どうしよう、どうしよう……のフェミニズム――『分断されないフェミニズム――ほどほどに、誰かとつながり、生き延びる』を出版して

荒木菜穂

 青弓社をはじめさまざまな方々にお世話になりながら、書いている間、刊行されてから、私の頭のなかではいつも、いろんな「どうしよう」が渦巻いていました。思っていることを書きなぐるのではなく、どう伝えていけばいいのか、どう整理すればいいのか、そもそも本ってどうやって書くんだっけ、ちゃんと読んでもらえるだろうか、言葉足らずで伝わらなかったら、いや、伝えたいこと自体がフェミの人に受け入れられなかったらどうしよう……など。そういった「どうしよう」は、社会に文章を出す立場として、自分のなかで解決すべきなのはたしかです。
 しかしながら、それとともに、フェミニズムをテーマにする以上、落としどころがない「どうしよう」もあって、そういったグルグルとした揺れ動きはおそらく本書にも多く示されていると思います。
 まず、フェミニズムという名の下に書くということに、いろんな「どうしよう」がありました。本書は、フェミニズムの活動をしてきた方々にも、フェミニズムとあまり接点はないけれどジェンダーに関係しそうな日常のモヤモヤが気になる方々にも読んでほしいという思いがあったのですが、後者の場合、書名にある「フェミニズム」という言葉だけで抵抗感をもつ人もいるかもという不安がありました。例えば、いちおうフェミニズムの活動に(緩やかにではあるけれど)ずっと関わってきた私でも、本書を書いたことによって、親族やフェミ的なつながり以外の方々に「フェミ」バレするのが少し不安なところもあります。
 また、フェミニズムの名の下にさまざまな議論が巻き起こっていることも常に意識のなかにありました。さまざまな立場、それぞれの正義があるのだろうけれど、底知れぬ溝がそこにはあるように感じられることもあるし、ときとしてフェミニズムと真逆の方向に展開することもあったりする。そんな悩ましさとともに、もしかして『分断されないフェミニズム』って書名としてこの本、そんな状況をなんとかできる特効薬のようにみえてしまわないか、どうしよう!……という思いも湧いてきました。
 さらには今回、過去や現在の草の根フェミニズムについて、主に書き残されたものを中心に、そこで営まれてきたことの意義について、私自身の経験や肌感覚からリスペクトをもってつづったつもりではいますが、やはりどの立場から過去をとらえるかによって、それぞれの方が違った思いをもつこともあるかなという懸念もありました。
 とりわけ、この「どうしよう」には、今後の関係性のなかでぶちあたることが多くなると思っています。フェミニズムの活動はこんなもんじゃなかった、私の経験したことはもっとえげつなかった、そこにシスターフッドなんてキレイゴトはなかった、などのお叱りを受けることも多々あると思います。それらは、大いに心して受け止め、反省したいと思っています。しかし、おこがましくもあえて希望をもつなら、そこから本書が、あのころのフェミニズムには、いまのフェミニズムだって、こんな、あんなやりとりがあった、立場や主張が異なる者同士なんとか関係しようとする営みがそこにあった、と、さまざまな方々が思いをめぐらせ、語り合えるきっかけのひとつになればいいな、という思いもあります。
 ちなみに本書のサブタイトルは「ほどほどに、誰かとつながり、生き延びる」。フェミニズムの特効薬どころか、ここには一気に緩さが出ていていいな、と思っています。立場や考えが違っても、どうにかやってこられた「ほうの」フェミニズム、そこからの気づきや学びを残し、模索しながらもなにかしらの提案ができたらという。複数性やその調整、妥協、発想の転換、自身の問い直しなど、フェミニズム的活動のなかで示された揺れ動きやあいまいさをコンセプトに据えたのは、そこに政治があるから!という崇高な目的というよりは、私自身が、先ほどのような「どうしよう」のカタマリ、不安定な存在であることも大きいと思います。そんな緩やかでささやかな本書ですが、どうぞ手に取っていただけると幸いです。すでに関心をもった方は本当にありがとうございます。
 
 最後に、カバーイラストの希望をお伝えしたら、こんなかわいいカバーを作っていただきました。イラストレーターやデザイナーほかのみなさま、あらためてありがとうございました。

『分断されない女たち――ほどほどに、誰かとつながり、生き延びる』詳細ページ

 

「女子鉄道員」を深掘りして――『女子鉄道員と日本近代』を出版して

若林 宣

 私が「女子鉄道員」という言葉を最初に知ったのはいつごろだったか、記憶に間違いがなければ小学校高学年から中学生のころ、ということは1970年代の終わりから80年代初めにかけてだったように思います。たしか図書館から借りてきた、日本の歴史あるいは鉄道を扱った一般向けの本に書かれていたもので、そこでは「女子鉄道員」の存在は、太平洋戦争中にみられた戦時下特有の現象として扱われていたのでした。
 それ以来関心を持ち続けてきて……と書いたら、実はウソになります。そのとき少年鉄道ファンだった自分の主たる関心の対象は機関車や電車であって、そこで働く人々に目を向けるようになるのはもう少しあとのこと。そして「女子鉄道員」が気になり始めたのは、日々利用する鉄道の現場に女性の姿が見られるようになってからのことだったと思います。それはおそらく、今世紀に入ってからのことでしょう。というのも、女性労働者を深夜業に従事させることを規制してきた労働基準法が改正・施行されたのが1999年4月のこと。それ以降、駅係員や、また車掌や運転士として列車に乗務する女性の姿が各地で見られるようになりました。
 そのころのことをいまになって思い返してみると、不思議な気がします。たとえば女性の車掌や運転士の登場を報じるマスコミの視線には、珍しいものを前にしたときのような好奇な目もあったように思います。考えてみればそれはおかしな話で、そこで働いている人が女性だからどうだというのでしょうか。またそのことは、翻ってみれば、それまで女性が鉄道からどれだけ疎外されてきたかを示していたようにも思われます。
 などと書いてみましたが、しかし当時の私はそこまで言語化できていたわけではなく、何か違うなあと感じていた程度にすぎませんでした。ただ、そこからゆっくりと意識するようになったのは間違いありません。
 とはいっても、「女子鉄道員」についてすぐさま深く調べ始めたわけではないのでした。それでも、折にふれて社史をいくつか読むくらいのことはしたのですが、それらも至って記述が少なく、バスや東京市電を除けば戦時下にみられた事象という扱いがせいぜいで、「やはり戦争がもたらした特異な例にすぎなかったのかなあ」と思ったりもしました。
 しかし、突破口というのはあるものです。
「女子鉄道員」とは別のテーマで調べものをしていたとき、あることに気がつきました。各地で出版された女性史の本には、地方紙を参考にした記述があったり、また実際に働いていた人による証言が載っていたりします。そしてそこからは、少なからぬ女性が鉄道で働いていた様子も浮かび上がってくるのでした。そのことに気づいたときには、「なぜ最初からこっちを見なかったのか」と後悔しきり。女性の地域での生活や労働の歴史を明らかにしようとする活動への目配りが足りなかったのは、私がシス男性であるがゆえでしょうか。そのあたりは、もっと反省すべきかもしれません。
 その後は、鉄道書だけに頼ることはやめにして、女性史にあたって地域史にも目を向けて、そして日本各地で発行された新聞をチェックすべくマイクロフィルムをからから回すという作業を続けました。なお新聞は、現在ではコンピューターで検索できるデータベースもありますが、それは全国紙に限られますし、自分が思いついた限りのキーワード検索では取りこぼすおそれもあります。そして何より地方紙をこそ見たかったのです。
 成果のほどについては本書を読んでいただければと思いますが、その存在が何も戦時下に限られていたわけではないという事実について、あらためて確かめることができたのでした。そして同時に、「女子鉄道員」が当時どのように書かれ、あるいはどのような目をもって見られていたのかについてもうかがい知ることができたように思います。「女子鉄道員」は、これまで男性中心の社会から見たいようにしか見られてこなかった存在だったといまは考えています。また、かつての姿がよく知られていなかったとすれば、それは忘れられていたというよりも、社会が正面から向き合おうとしてこなかったと言ったほうが適切なのではないでしょうか。
 国立国会図書館の新聞資料室で一人静かにマイクロフィルムを回す作業は、いろいろな気づきを得られる楽しいひとときでもありました。そしていま、ひとまずこのテーマで一冊を出せたことに、ほっとしています。
 

発達障害の子どもはおもしろい!――『がんばりすぎない!発達障害の子ども支援』を出版して

加藤博之

 本書の書名にある「がんばりすぎない!」には、私のいろいろな思いを込めています。出版後、ある人から「「がんばりすぎない!」ではなく、「がんばらない!」のほうがいいのではないか?」と言われました。語呂としてはそっちのほうがすっきりすると思ったのでしょう。しかし、それでは、私の本意を伝えることはできません。すでにがんばっている人たちのことを否定することにもなりかねませんから。
 そうです。発達障害の子どもと関わる親や先生たちはどうしても「がんばって」しまうのです。なぜでしょうか。障害が重い子であれば、かなりの割合でおおらかに接することができるでしょう。しかし、いざ発達障害の子どもを目の前にすると、そうはいかなくなってしまいます。がんばれば周りの子と同じようになるのではないか、という一種の幻想がつきまとってしまうのです。
 しかし、実際にはそうはいきません。一般の子育てで通用する方法がことごとく適用できないのが発達障害の子どもです。そうすると、諦めるかと思いきや、まだ足りないのではないかと思い込み、もっともっとがんばってしまう大人がいます。そこに大きな落とし穴があります。本書でも随所で述べているように、がんばることは逆効果になることが圧倒的に多いのです。そのため、何年もがんばってしまったあとに、やっとそのことに気づくというケースも少なくありません。
 そのような事情から、がんばっている大人に対して、がんばるのは確かに立派なことだけど、あまり「がんばりすぎないで」と言いたいのが、書名決定の由来です。ちょっと肩の力を抜いてリラックスすれば、それだけで子どもとの関係は変わってきます。私の好きな音楽に、大阪のブルース・バンド憂歌団の『リラックス デラックス』というアルバムがありますが、まさに、まずはリラックスしようじゃないかということが言いたいのです。

 出版後、いろいろな人たちからさまざまな感想をいただきました。なかでも、「この本は、発達障害のことを書いているにもかかわらず、一般の子育てにも十分通じるものがある」という内容が多いように思います。私は長年、障害がある子どもたちの臨床や教育、音楽療法に携わってきました。そして、子どもたちとの関わりのなかでつくづく感じることは、「子育ては、障害があろうとなかろうと、みんな同じだ」ということです。
 障害があるとどうしても、何か専門的なことをしなければならないと思われがちです。実際に、幼児期からせっせと訓練のようなものを求めるケースがみられます。それで、本当に子どもたちは幸せなのでしょうか。なぜ、障害があると、ほかの子よりも多くのことを求められるのか。もちろん、子どもへの配慮や対応の仕方を変えることは必要だと思います。しかし、子どもは誰でもまだ子どもなのです。

 もう30年以上前のことですが、私が公立学校の教員時代に大変お世話になった故・宇佐川浩先生(元・淑徳大学教授)から次のようなことを言われました。
「加藤くん、優れた障害児教育(療育)は、とても質が高い一般の教育につながるものだよ」
最近、この言葉の意味をかみしめることが多い気がしています。「そうか。そういうことか」と。きっと、何百人もの障害のある子どもたちが、「子育てとはこういうものなんだよ」と教えてくれているのだと思っています。

 ともあれ、発達障害の子どもは理屈抜きで面白い! 日々一緒に過ごしていて、ワクワクさせられる。「面白い」と感じ、いつもポジティブな見方で接していると、子どもはどんどん勝手に育っていきます。おそらく、一つひとつの行動を「面白い」と思っていればその子のよさが次々に発見でき、それは関わる大人を幸せにしてくれるのだと思います。幸せな大人がしょっちゅう近くにいれば、当然、子どもも幸せになることでしょう。それは、やがて子どもの自信につながり、自己肯定感にもつながっていくはずです。

 本書は、発達障害の子どもたちから学んだいろいろな知見をもとにしています。だから、本音を言えばもっともっとたくさん書きたかったと思っています。実際に、編集者から「多すぎます」と言われ、泣く泣く大幅に削除しました。その原稿は、パソコンのなかに眠っています。そして、日々増えていっています。字数の限りという壁には勝てません。そこだけが少しだけ無念ですが……。こんなに学べて、こんなに得をする職業が、はたしてこの世にあるのか、と日々思っています。

 発達障害がわかれば、どんな子どもにも対応できる。
 発達障害がわからなければ、子どもはよくわからない。
 

ここが第二のスタートライン――『音楽ライターになろう!』を出版して

妹尾みえ

「FMで『音楽ライターになろう!』が紹介されていたよ」と知人が教えてくれた。兵庫県西宮市のコミュニティFM・さくらFMの番組「cafe@さくら通り」(6月8日放送)の「本棚に音楽を」というコーナーで、木曜パーソナリティーを務める安來茉美さんが取り上げてくださったのだ。
 こんな本が出ましたよというインフォメーションだけかと思ったら、1時間近くたっぷりの紹介でびっくり。本のなかで取り上げたスティーヴィー・ワンダー、ベティ・ラヴェット、ルイ・アームストロングらの曲も流れた。音楽を聴きながらだと、原稿をつづったときの想いが立体的に浮かび上がってきて、自分の文章なのに胸が熱くなった。そうなのだ、原稿はいつも聞こえる音楽と一緒。こうして耳を刺激する文章をつづるのが音楽ライターの役目なのだ。どんなにそれらしくても文章のなかに閉じ込めてはいけない。

『音楽ライターになろう!』を書いてみて予想外だったのは、現役ライターからの反響だった。なり方も仕事のやり方も誰も教えてくれなかったから読みたいという人もいたし、原稿料だけでは食べていけない!とハッキリ書いてほしいという人もいた。
 そしてみなさん、ライター業だけでなく、音楽を取り巻く状況に何かしらの葛藤を抱いて仕事をしている。
「ライターを育てる気がない音楽業界に嫌気が差す」と業界の知り合いにこぼした知人は、ChatGPTを引き合いに出して「いまみたいな音楽ライターは必要なくなるんじゃないか」と言われたそうだ。
 AIも使いようによってはよき相棒になるようだが、私自身は「聴き、評価し、自分の言葉で表現する」音楽ライターの仕事がAIが取って代わられるとは思わない。こうしてみると音楽ライターって、いろんな意味でフィジカルと連動した仕事なのかもしれない。
 そんな話題も含め、音楽業界の未来や、後輩に手渡したいことについて、もっと話したり発信したりほうがいいのだろう。これから音楽ライターになりたいという人が夢をもてるような話もしてみたい。

 などとエラソーなことを書いているが、今回の執筆では編集のみなさんにかなりご迷惑をおかけした。表現の甘さも痛感し、潮時という言葉も頭をよぎった。
 それにググればマニアックな情報でも収集できるいま、これからの音楽ライターは生半可な知識では勝負できないだろう。「ライターと読者の知識の差がなくなっている」という厳しい意見も耳にする。
 その分、これからはいままで以上に、書き手が何を聴いて、何を感じて、何を己の言葉で語るのかが重要になると思う。例えば、現場に足を運んで伝える、自分の視点でガイドブックを編む、専門誌ではないメディアで音楽を紹介する――私にしかできないこともあるんじゃないか?
 愚痴っている場合じゃない。もうひと踏ん張りしてみよう。私にとって、この本は音楽ライターとしての第二のスタートラインになりそうだ。
 

人生はアップデート――書くことの原動力――『妾と愛人のフェミニズム――近・現代の一夫一婦の裏面史』を出版して

石島亜由美

 本書が刊行されてから数週間がたった。印刷に回るギリギリまで校正をして、見れば見るほど修正したい箇所が見つかり、自己嫌悪に陥りながらもなんとか締め切りに間に合うように作業の区切りをつけて原稿を送り出した。そのあとはできるだけ原稿のことは考えないようにして淡々と日常を送ろうとしたが、気持ちを切り替える間もなく、ついさっきまで握り締めていたと思っていた私の原稿は書籍という印刷物になって目の前に現れ、あれよあれよという間に書店に並んでしまった。ネットを検索すれば「Amazon」でも簡単に買えるようになっている。本書の「はじめに」もウェブ上で試し読みができるようになっている。私が書いたものが私のもとを離れて、一冊の本として社会に流通してしまった。不思議な気分である。カバーに印字された「石島亜由美」という著者名を確認して、私は石島亜由美で、これは私の本なのだ、私は本を出版したのだと、いまさら照れくさい気分にもなっている。

 本書のタイトルは『妾と愛人のフェミニズム――近・現代の一夫一婦の裏面史』である。「妾」と「愛人」という存在を取り上げるのは、やはり勇気がいることだった。妾や愛人と聞けば、「夫の浮気相手」として非倫理的な存在という認識が一般的にあるだろう。そんな女性をフェミニズムが擁護するのかという批判の声が聞こえてきそうだ……。
 本書の議論は、妻の立場に揺さぶりをかけている。一夫一婦の法制度とジェンダー規範が確立した近代以降の日本社会では、妻は正しい存在であり、フェミニズムでもその立場は夫と対等になるために称揚され、妻の役割を肯定的に語ることが長い間の関心事だった。本書では、そうしたフェミニズムの経緯に水を差している。一夫一婦を支柱とした妻の問題を、妾・愛人の議論から照射しているのである。したがって、フェミニズム内部からは、女性間の対立の構造を深めるのではないかという声も聞こえてきそうだ。フェミニズム内外から飛んでくるだろう批判の声を感じ、おびえながら私は原稿を書き上げた。

 そして現在、出版されて数週間のためか、主だった批判の声はまだ私の耳には聞こえてこないが、意外だったことがある。本書の「はじめに」で、私がこのテーマに取り組むことになったきっかけを述べているが、その理由の一つに私の母親との確執があった。私が選択した道を「正しくない」と言って批判したうちの一人は、実は私の母親だったのである。その母親が私の本を読んで、この出版を心から喜んだのだった。「はじめに」に書いたそのことについても自分のことが書かれているとわかったようで、そのうえで「あのとき言い合ってよかったね」と、信じ難いほど前向きな感想が母親の口からもれたのである。
 本書を出版することは事前に母親には伝えていたが、出版は喜んでもらいたくても、本の内容、中身までは知られたくないという気持ちが強かった。せめて書名とカバーだけを眺めて、あとは何も考えないでページをめくらないでほしい。そのまま実家の仏壇の前に置いておいてくれと祈るような気持ちだったが、見事にその期待を裏切り、母親は読んでしまったのだ。読んだら落ち込むだろうと思っていた。複雑な気持ちになって、過去にこじれた関係もそのまま墓場までもっていかれてしまうのではないかという恐れを抱いていたが、杞憂だったとわかった。本書を書く原動力の一つだった母親との確執、私が身体に刻んできた過去のトラウマの一つが、この一言で吹き飛んでしまうような出来事だった。書くことでネガティブな経験は乗り越えられるということを、身をもって実感した出来事だった。

 もう一つ、この出版で私が乗り越えることができたと思うことがある。それは、大学を離れても研究を続ける原動力を失わず、自分が腑に落ちる在野での研究スタイルを見つけられたことである。私は女性学専攻の大学院に入って博士号を取得し、そのまま大学の研究職に就いたが、8年あまりでその道を断念して鍼灸師に転職した。大学を辞めるとき、大学を離れても研究は続けることを自分に課したが、鍼灸師の資格を取るために今度は専門学校に3年通い、国家試験を受験して資格取得後は臨床の現場に出ていく(しかも2つの治療院をかけもちした)という状況下で、二足のわらじを履くというのはそう簡単なことではないと悟った。
 今回の出版に際して、SNSをエゴサーチしていると、私が「鍼灸師」であることに反応しているツイートがあった。人文の世界からすると、鍼灸師で書籍も出版していることが面白い経歴として見られるかもしれないが、治療の世界では中途半端な存在として扱われる。専門学校を卒業して同級生が正社員として就職、あるいは独立・開業して鍼灸師としての腕を磨いていくなかで、私はアルバイト生活を送ってきた。バイトに通うだけで精いっぱいで、周囲が修練に費やしている時間を、私の場合はすべて原稿を書く時間につぎこんだ。同級生とはこの2年、私が執筆にあてた時間の分だけ実力の差が開いてしまったが、とにかく私は自分の意志を貫いた。二足のわらじでもなんとかやっていくことができる。大学を辞めたという過去を乗り越える出来事となった。

 ネガティブな経験は書くことで乗り越えられる。それが本書を出版して、いま、私が感じていることである。最後にもう一つ、いまだから言えることがある。本書を出版した青弓社は筆者が憧れた出版社だった。私は学生のときに青弓社の就職試験を受けていた。本当は青弓社の編集者として仕事をしたかったのだ。しかし、見事にその試験に落ちていたという過去の傷がある。無鉄砲だった当時の自分に恥じ入る気持ちを抱えたまま時は過ぎたが、そのときの記憶は本書の出版によって「苦い思い出」として、人に対して語ってもいい出来事に変化していることに気づく。ネガティブな経験や記憶は完全に消えることはないけれども、新しいチャレンジによって書き換えていくことはできると思う。本書をつくってくれた青弓社のみなさんに感謝して、「おわりに」で書いたことをもう一度ここで言いたい。今日のこの日の気持ちを「20年前の自分に伝えてあげたい」と思う。
 

生きている人間を推すからこそ“変人”となる勇気を――『宝塚の座付き作家を推す!――スターを支える立役者たち』を出版して

七島周子

「七島さん、郵便がきてるよ」
 2021年の冬、出社すると青弓社からの封書が届いていました。
 私は編集者で出版社勤めをしているとはいっても、美容師や美容業界向けの業界誌を制作する会社。ほかの出版社から封書が届くのは珍しく……、それで違和感があったのかも。隣の席の先輩が教えてくれました。
 それが拙著『宝塚の座付き作家を推す!』が生まれる最初の一歩。この依頼は、当時私があるヘアカタログサイトで連載していた、好きな座付き作家を好き勝手に紹介するコラムを見つけてもらってのことでした。
 この連載自体は、同サイトの編集長からじきじきに依頼を受けた正式な仕事ではあったけれど、媒体はヘアカタログサイトだし、編集長も美容業界誌の編集として新人時代からお世話になっているいわば“兄弟子”のような人だったため、心のどこかで「美容の仕事」と一続きのものと思っていました。小さな自宅の庭で気の置けない家族とつつましく野菜や花を育てているような、そんな感じ。それを「世の中に出荷しませんか」と。これには大変驚き、率直にうれしくワクワクしたのを昨日のことのように覚えています。
 業界は違えど同じ編集者の目線から見ても、私の連載はいわゆる「バズっている」ようなものでもないし、私自身もまったく無名。それを見つけて出版の決裁をするの、同業者として感服です。すごい勇気と決断……! また、書籍執筆が初めてで、どこもかしこも未熟な私の論を「おもしろい」と評価してもらったことは支えになりました。

 青弓社が「おもしろい」と言ってくださるように、私の視点はかなり変わっていると思います。まず、そもそもタカラヅカというスターシステムがウリのコンテンツで作家の話を必死にしているの、はっきり言って“変人”です。
 さらに、彼ら/彼女らの作品を評価する観点もだいぶ変わっています。仮に私と同じように作家に興味をもつ読者だったとしても、きっと共感を集めることはないでしょう。「作家を推す!」と冠していますが、“推しカルチャー”の根本ともいえる「“好き”を共有してつながる」ということは期待できない本です。
 なぜそんな本になったかというと、本書全体で述べたいのが、“推しカルチャー”のなかでの作品受容は「“推し”に対する“好き”がすべて」という風潮が強いことへの疑問だったから。もちろん、推し活そのものは「“好き”がすべて」でいいと思います。ですが、その“推し”が出ている作品、その人が関わり残す仕事に対して「関わっているから尊い」だけでいいのか?、 それって本当にその“推し”は喜ぶの?と常々思っていたのです。

 その疑問の背景にあるのは、まず一つに、その“推し”も生きているからということです。私はタカラヅカに始まり、いろんなものや人を推してきた半生でしたが、いつも「生きている人間を推すってなんて怖いことだろう」と思ってきました。彼らにも人生があるのに。
 タカラヅカ以外の俳優やアイドルのファンなどが特に顕著ですが、たとえば恋愛・結婚や脱退、引退など、本人のライフステージに関わることに対して「こうあるべき」を振りかざすことは普通におこなわれていて、そうやって「正しさ」で導くことが“推し”を応援することだと思われているふしもあります。私は25年間「生きている人間を推す」ことをやってきましたが、あらためて順応したくない価値観です。そして、本当に“推し”の人生を尊重できる応援の仕方を心がけ、模索してきました。
 タカラヅカは音楽学校に始まる「学校システム」から、“推される人たち=生徒”の人生に対してファンが干渉しづらい仕組みができています。そんなタカラヅカだからこそ、単に「贔屓がかっこよければいい」「贔屓や相手役をすてきに(ファンが願うとおりに)見せてくれる作家こそが正義」というだけでなく、もっと多様な作品の楽しみ方を提案できればと思いました。拙著にラインナップした12人の“推し”座付き作家たちの共通点は、作品の出来・不出来やファンを喜ばせることが得意かどうかではなく、生徒たちの役者としての成長やキャリアアップに寄り添うように作品をつくる、まさに「先生」として私が愛せる人たちだということはここに補記しておきます。

 もう一つは、先に述べたようにタカラヅカの作品は生徒と先生の成長と人生観を投影したものですが、それと同じくらい観劇するという行為そのものが、本来は観る人を映す鏡だと思うからです。私が胸を打たれる作品に「生徒たちのよき師」としての座付き作家の姿勢を感じるのは、私自身の宝塚音楽学校受験の経験に基づいていると思います。さらに、いま身を置いている美容業界も師から技術を受け継いでいく教育産業なので、ことさらにその点に思い入れをもつのだとも分析します。だからこそ「変わって」いて、多くに共感されるマジョリティにはなりえません。
 しかし、これは何も私だけの特別な事情ではなく、本来は観客のみなさん一人ひとりにそういった人生の違いがあるはず。仕事も境遇も育ちも何もかも違う人たちが一つの同じ作品を見て、まったく同じ感想で「共感」しあおうとするのって、本当はとても違和感があるな、と。先に述べた「「関わっているから尊い」でいいのか?」というのは、作品の良し悪しをもっと批評すべきということではなく、せっかくなのだからもっと没入しようよ、という提案でもあるんです。まったく違う人生を生きている人たちが一堂に会し、一つの作品を見る。その人生によって、同じ場所で同じ時間に見ても、感じ方がまったく違うかもしれない。それが自由であることが舞台や映画、ライブを鑑賞する醍醐味ではないでしょうか。

 とはいえ、本来その「違い」が怖いから、現代人は「“推し”が好き」ということでつながり安心したいのだということも見当がついているのですが……。それでも、せっかくその“推し”たちが生活のほとんどをなげうってつくっている作品に、こちらも同じくらいの熱量で没入することが彼らに対する敬意であり、何よりの応援ではないでしょうか。
 私が自分の「小さい庭」から大切に育ててきたものをみなさんに出荷してお役に立てることがあるとすれば、共感していただくことではなく……、もっと広く深く自由に作品読解の畑を耕し、心の土壌を肥やすことができる方法の提案。舞台観劇を通してご自身の心をもっと深く知ることができるような、小さな鍬のような存在になれたら幸いです。

 

堀口大學が経験した「異国」――『異国情緒としての堀口大學――翻訳と詩歌に現れる異国性の行方』を書いて

大村梓

 子どもの頃から読書が好きだった私にとって、本を出すのはずっと夢でした。周りに出版や創作に関わる仕事をしている友人が多いのもあって、何かを作り出して自分の名前で世に出すのは身近なことでした。そうはいっても自分がその当事者になると、本一冊を出版するのはこんなに大変なのか、と思いました。
 私は主に日本近現代文学、比較文学を専門として大学では講義をおこなっていますが、もともとはどちらかというと外国文学、翻訳文学を好んで読んでいました。母親が読書好きだったこともあって、小さい頃から家には本がたくさんありました。本棚に置いてあった『チボー家の人々』の黄色い表紙をいまだに覚えています。十代の頃に好きだったのはフランスの作家であるジュール・ヴェルヌの作品で、まだ見たことがない世界への憧れを抱いていました。高校は帰国子女や在京外国人の方が多いところを選び、大学院ではオーストラリアに留学し、その後、さまざまな国からやってきた同僚が多くいる職場で勤務したこともあり、異文化を身近に感じて過ごしてきました。おそらくそういった長年の経験から自分のなかで「日本」に対する認識も変わっていったのだと思います。そういったこともあり、翻訳家・詩人・歌人である堀口大學の活動により関心をもつようになりました。インターネットもない時代に海外に在住していた堀口は、どのように異国での生活を受け止めていたのでしょうか。堀口はそんなに詳しく異国での自分の経験について述べる人ではありませんでした。私たち読者は短い随筆、短歌や詩から、堀口が経験した「異国」をうかがい知ることができます。
 私もいまでこそ外国の友人も多く、海外に渡航することも多いので、もうカルチャーショックを感じることはほとんどないのですが、思い返してみれば十代の頃はよくカルチャーショックを感じていたような気がします。比較文学・比較文化の研究をしていることもあって、異文化にふれたときに自分のなかの固定観念や思考の枠みたいなものに気がつく瞬間を、非常に興味深いと感じます。もちろん私たち研究者・教育者はすべてのものに対して公平な態度で接したいと考えています。しかし一方で、自分の考えには固定観念や思い込みがあるのではないか、と常に自分を振り返るように職業上なっているような気がします。そういった自分のなかの固定観念や思考の枠に気がついたときに、まだまだ勉強しないといけないことがある、と研究を続ける理由にもなっています。
 本書で取り扱った翻訳文学という領域は、さまざまな要因が複雑に絡み合ったものです。翻訳は必ず読む誰かを想定しておこなわれます。自分が読むために翻訳する場合でも、誰かのために翻訳するためでも、そこには読む人がいるから翻訳するという目的が存在します。そして翻訳は翻訳に用いられる言語の制約にとらわれています。人によってはその制約をわずらわしいと思うかもしれません。しかし私はその制約がむしろ面白いと思います。そういった制約のなかでどれだけ試行錯誤をこらして、新しい文章を作り上げることができるのか。そういった苦心の跡を、本書では明らかにしたいと思いました。
 また、私たちは必ずしも自分が考える自分ではない姿で他人に受け止められていることも多いです。私はそれが面白いと思うタイプの人間ですが、みなさんはどうでしょうか。特にそれを顕著に感じるのが、日本で日本文学について語っているときの「私」と海外で日本文学について語っているときの「私」は、明らかに求められるものも、認識のされかたも異なるということです。具体的にいえば、日本で日本文学について語るときは外国での日本文学のとらえられ方についてふれながら話すことが多く、海外で日本文学について語るときは現在の日本文学や日本文化のあり方についてふれながら話すことが多いです。そういった求められているものの違いに気を配りながら研究者生活をおこなうことは、私にとっては興味深いことです。堀口も自分の日本文壇での役割と海外での役割の違いについては非常に敏感に感じ取っていたようです。そういった複数の顔をもっている自分、というものをどのように受け止めていたのか、という視点も本書では重要なポイントになってきます。
 本書を読んで、実際に自分も海外に行き、自分の異なる面を発見し見つめ直してみたいと思っていただけたのであれば、きっと本書に書いたことをよく理解していただけたということなのではないかと思います。

 

「紙」出身者がブログで起こした小さな奇跡――『フードライターになろう!』を出版して

浅野陽子

 出版から約1カ月たちました。私の日常に大きな変化はなく、今日もメディアの片隅で食の取材をし、文章を書いています。
 とはいえ、一人の職業ライターから本の「著者」になったことで、出版前には決して味わえなかったミラクルや感動が、少しずつ起こっています。
 たとえば、紀伊國屋書店新宿本店にある、食関係の本や料理書がぎっしり並ぶ専門フロア。フードライターとして駆け出しのころから、何度足を運んだかわかりません。
 その売り場で最も目立つコーナー、「dancyu」「料理王国」各誌の最新号が積み上げられている真ん中に、本書『フードライターになろう!』の山(しかもポップ付き)を見つけたときは、胸に迫るものがありました(青弓社のみなさまをはじめ、最高の表紙イラストを描いてくださった藤本けいこさん、素敵なブックデザインをしてくださった和田悠里さん、本当にありがとうございました。オレンジ主体の表紙は売り場でひときわ輝いていました!)。

 また、本を読んでくれた友人・知人、直接面識のないSNSのフォロワーさんから、
「面白い」「役に立つ」のほか、
「食ジャンルに限らず、取材して書く仕事をする全ライターに必要な情報が詰まっています」
「まさに探していたテーマの本に出合え、予約してから読破するまで楽しめました」
「どのページからも仕事への思いが伝わり、いまの自分自身をも見直す機会になりました」
など、いまのところは大変ポジティブな感想をいただいており、そのたびに自分でも読み返しちゃったりして(笑)、悦に入っています。

 しかし、本を出してわかった最大の発見は「自分が何者であるか」に気づけたことでした。「はあ?フードライターだから『フードライターになろう!』って本の依頼がきたんでしょ」と突っ込まれそうですが……。
 実は、長年この仕事を続けながらも、私は「自分が何の専門家か」がわからず、フワフワしていました。メディアに注目されるフードライターさんは「ラーメン」「カレー」「フレンチ」「肉」「スイーツ」と、それぞれ得意なジャンルをおもちです。

 でも私は日本国内で食べられるすべての料理、食材、酒が好きで、絞れませんでした。そして、食の取材ならどのジャンルでもそこそこ書けてきました。要は、器用だけれど特徴や個性がない、“何でも屋”フードライターだったのです。
 しかし、出版後、本の現物を見せたり、SNSのアカウントに書影の画像を貼ったりしていたら、「食の文章が得意な人」と認識されるようになりました。
 そこで、「おいしさを伝える書き方」や「食の文章がうまくなる方法」をSNSで短く発信すると、急に「いいね!」が付き始め、フォロワーも増えていったのです。
 そういえば、過去10回出演したテレビ番組で、共演したタレントさんやディレクターさんに「浅野さんの食レポは違う」となぜかほめられてきたことも思い出しました。
 そうか、私はフードライターの原点である「食×文章」そのものを個性にすればいいんだと。
「食とSNS」は親和性があり、「おいしかったー」「この店のこの料理がうまい!」と画像付きで発信する人はたくさんいます。ですが、過去に味の表現や料理人への取材術、原稿の書き方を一人で統括的にまとめた人は、プロのフードライターを含めてたまたまいなかった。ラッキーでした。

 ちなみに、この本は依頼をいただいてから1年間かけて書き上げました。執筆中は、自分にとって身近すぎる、いつもの仕事の話なので自信がもてませんでしたが、最後の校正で自分の書いた全15万字を一気読みしたら、案外面白かった。「20年同じことをやり続けたら、誰のどんな体験も一つの価値になるんだな」とも思いました。
 出版に必要なのは、原稿用紙300枚あまりの文字量を書ききる体力と気力があるか、そしてお金を出してそれを読みたい人がいるか。つまり「市場(マーケット)」があるかです。
 そこに市場があるかは誰にもわかりませんが、まずは発信しないとチャンスは生まれません。本書も私のブログの「フードライターになるには」という記事を青弓社の方が見つけてくださったのがきっかけです。食をテーマに出版したいと考えている方は、とにかく発信することをおすすめします。

 日本では少子高齢化が加速しています。本気で世界を「お客さん」にしないと、日本人の豊かな生活は立ち行かなくなると私は焦っています。日本のアニメや漫画、“Kawaii(カワイイ)”文化は人気ですが、「食」という素晴らしい資産は、世界にいま一つアピールできていません。
 本にも書きましたが、本書をきっかけにプロとして食の発信をする人の輪が広がって、「日本の食と酒を世界一のコンテンツにする」のが私の夢です。
 実はそのための、次の本のネタも考えています。またお目にかかれる日がありますように。

[ブログ]
「フードライター浅野陽子の東京美食手帖」
https://asanoyoko.com/

 

既視感?――『戦時下女学生の軍事教練――女子通信手と「身体の兵士化」』を出版して

佐々木陽子

 いまから80年以上前、太平洋戦争が勃発した日の女学生たちの興奮や熱気が、元女学生の語りから伝わってきた。日米開戦を知ったとき、校庭に集まった生徒も教員も異様な熱気に包まれたとのことだ。なかには、裏付けがない勝利への確信だけではなく、漠とした不安を抱いた者もいただろうが、異様な熱気はこうした不安や混沌とした思いを吹き飛ばすに余りあるものだったようだ。あの異様な興奮を昨日のことのように思い出すと語った人もいた。
 戦争勃発によって平和は簡単に壊すことができても、戦争を終わらせ平和を再生することは難しい。2022年2月、ロシアのウクライナ侵攻で始まった戦争の泥沼化を見れば一目瞭然だろう。いま、日本では、北朝鮮によるミサイルの連続打ち上げ、中国による台湾への武力侵攻の恐れなどの不安定要素を理由に、日本の「専守防衛」が標語にすぎないことを明かすかのように、防衛費拡大のタガが外される方向へと動きだした。日本は「専守防衛」を掲げ「敵基地攻撃能力はもたない」と言明してきたが、自国を守るために「反撃能力」が必要だと叫び始めた。従来の規模からは考えられない防衛費の拡大を政府は打ち出し、いつの間にか、防衛費拡大の車輪が動きだした。こうした潮流を抑制することがどれほど困難かは想像に難くない。どうしてこうした変化が私たちの日常に忍び込んでくるのだろう。緊迫感漂う東アジア情勢のニュースが流され、「反撃能力」をもたなければ日本は危険にさらされると叫ばれる。私たちの政治への無関心や諦念や絶望、そして想像力の欠如の隙間に、こうした危機意識をもつことこそが現実的であるという言説が入り込んでくる。防衛費拡大の潮流ができてしまえばそれに流されていることにも気づかず、変節を変節と指摘することも困難になる。どこまで防衛費を拡大しても安全・安心が得られないことを、私たちの知性は知っているはずなのに。
 15年戦争では兵役を担う男性兵士だけでなく、本来は労働動員と無関係で学業を本業とするはずの女学生も動員が強制され、彼女らの身体は戦時国家に領有され収奪されていった。自分のものだったはずのこの身体は、いつしか当人のものではなくなっていった。だが、兵役にしても労働動員にしても、国家による国民の身体の「領有だ」「収奪だ」と叫べば「非国民」呼ばわりされる。同調圧力が強まれば、これに真っ向から抗うことは、困難にちがいない。本書では女学生の身体が軍国主義の潮流のなかでどのように変容していったかを追った。「ぜいたくは敵だ」「外地の兵隊を思え」といわれ、我慢競争のような日常へと切り替わっていき、極度な精神主義に塗り固められた教育現場では、日本が勝利することを当然視する空気が充満したという。「戦争なんか早く終わればいい」「一日でも早く家族が戦地から帰ってくればいい」という本音や実感は、いつしか語られなくなる。それどころか、戦死を名誉とみなし、靖国に祀られれば「英霊」「軍神」と称えられたが、「どうしてあれほどまでに多くの生命が軽んじられ犠牲にならねばならなかったのか」という問いは封印された。個性を失った死者は国家の名の下に祭祀対象とされ、個別のはずの死は「英霊」に総括される。本音や実感が禁句になり、「報国」「忠君愛国」という標語が満ちるとき、国家のために死ねる覚悟の国民創出に戦時国家が成功を収めたことを意味するのだろう。
 女学生の身体性が男性的なるもの・兵士的なるものに接近することが歓迎される時代が到来するとは、戦前には思ってもみなかっただろう。だが、戦争が総力戦である以上、女学生をも巻き込んで戦争は遂行された。軍事教練に励む女学生のなかには、体力第一主義の教育を嫌った者もいただろうが、一方で「女ならそんなことはするな」「女ならしとやかでいろ」という抑止的・静止的な身体性が、軍事教練などの実施によって変容していくことに解放感にも似た思いを抱いた女学生もいただろう。女性を排除した組織とされてきた軍隊にも、女性が軍属である通信手として参入し、男性通信手に代替して任務を果たした。過度な精神主義が合理的な思考、科学的知識を凌駕すれば、紋切り型の標語が充満し、実感や本音は葬り去られる。今日の軍拡の動きに照らすと、戦時下女学生の体験は、決して現在の社会と無関係なものとはいえないだろう。

 本書を一人でも多くの人に手に取ってもらい、時代に変容が生じ、いつしか潮流ができあがってしまえば、対抗が困難になることなど、現在の日本のありように思いをはせることにもつながればと願ってやまない。

 

『大麻の社会学』その後――本書と批判的犯罪学

山本奈生

 大麻規制の状況は刻々と変わっていくもので、本書を刊行してから、アメリカのバイデン大統領はやはり全米での規制を抜本的に変えようとはしなかったけれど、連邦法で収監されているごく一部の人々には「恩赦」を与えた(しかし、全米で大麻所持によって収監されている州法違反者の大部分はまだ置き去りにされている(注1))。そして、日本では「使用罪」を創設しようと、厚生労働省の規制当局が奔走しつづけているように見える。
 本書を読んでもらった方からは、大きく2つの問題関心に分かれる読後コメントを聞かせてもらい、大変うれしかった。
まず1つ目に「大麻」という書名に関心をもってくれた読者からは、時事報道に関連する話題としてというよりは、もっと身近で切実なコメントが寄せられた。ある人の「実は兄に逮捕経験があるが、しかし自分は兄が悪人だったとは全然思っていないのだ」というコメントや、別のある人の「自分自身の活動と、筆者・山本とのこれまでの交流」という問題関心から本書を手に取ってくれたというコメントがそれで、そうした読者によって、私は本書で記そうとしたすべての狙いを汲み取ってもらったのである(注2)。
 実際のところ、大麻に関する議論はただの文化史や法制史に還元することはまったくできない。逮捕され収監される人々の生について語ることなのだから、実存と不可分のテーマであるはずだと、私は思う。
 そして2つ目に、「社会学」、とくに本書序章で一応記しておいた「批判的犯罪学」という「立て看板」へのコメントをいろいろともらった。批判的犯罪学という名称は、私にとっては例えばカルチュラル・スタディーズがそうであるように、名詞というよりは動詞の意味を多く含み、1つだけに定義することが困難な、「批判的に犯罪概念と向き合う、人々の営み」の総称である。ただ共通しているのは、既存の犯罪概念や刑法制度を抜本的に批判し、そこに含まれる権力性と対峙しようと試みる姿勢ではないだろうか。
 個別分野としてみても、その批判性は論じる人々の視座によって変化し、環境破壊や公害を扱う「緑の犯罪学」であれば、エコロジー論や「住まう人々の生活視点」から、大企業こそが巨大な犯罪行為をしているとして犯罪概念を解体・再構成しようとするし、「受刑者(自身による)犯罪学」であれば、受刑者という当事者の視座から刑務所制度の痛みを告発する姿勢が含まれる(注3)。そして私は「アクティビストでもあり研究者でもある」立場から、「ストリートで生きる人々」の人生を重視して本書を記したつもりである。
 現代日本の「五輪汚職疑惑」や「政界とカルト」問題をみるだけでも、そもそも犯罪とは何か、一体誰の痛みが無視されがちで、誰の「加害」が黙認されがちなのかが、問われなければならないはずだ。そうした「そもそも犯罪とは何か」を批判的に問うてきたのが、「68年の精神」を背景にしながら、1970年以後カルチュラル・スタディーズが勃興していった時代と軌を一にして発展してきた、欧米の「批判的犯罪学」の潮流だった。私はそのムーブメントが成してきたことの一部を拝借したのである。しかし、日本ではカルチュラル・スタディーズが広範に受容されてきたのに対して、どうして「批判的犯罪学」はあまり知られてこなかったのだろうか。
 さてそれで、2022年度の日本犯罪社会学会大会(第49回)では「批判的犯罪学の視角――犯罪社会学と刑事司法制度のあり方を問う」というミニシンポが開催され、「綱領」が発表された(注4)。文章は山口毅が作成し、企画参与者がみんなで意見を出し合った「暫定的な綱領」だが、これがなかなかよくできていて、本書で私が書いた大雑把な概説よりも明快であることを認めたい(しかし、「綱領」については学会発表しなかった私も企画準備会に参加して、少しだけ一緒に考えた部分があるのだから、誰が優れているとか誰の手柄だといったことではなく、言うべきことをみんなで言ったのだと思う)。
 この「綱領」は①刑事司法と主流派犯罪学への批判的視角、②研究者の規範的コミットメントの明示と検討、③個人化の拒絶と社会の変化に対する要請の3点をとして詳細な解説がなされた。そのうちどこかで公刊されることだろう。「綱領」は「社会の問題を看過して個人に問題を押しつける抑圧的な装置のひとつとして刑事司法制度を位置づけ」てから「犯罪学は刑事司法制度を追認して正当化するイデオローグ(注5)」だとストレートに論陣を張って、犯罪学者や法曹関係者が多数くる学会で大いに論争と顰蹙を買った(褒めています。論争と顰蹙を買わない穏健な批判というのは、批判が不足しているのだから)。
 ミニシンポで問われたことの1つは、これまで特に犯罪社会学分野での「社会問題の構築」が含む問題性だった。これは『大麻の社会学』は「社会問題の構築」論ではないのだという、私の関心とも近い論点である(注6)。
 端的に言えば、犯罪と摘発といった人の生死に関わる、そして国家と権力性の重力圏にあらざるをえないテーマを扱う場合、研究者側がただ「こうやって構築されてきたのでした」としてすます姿勢を、私(たち)は首肯しかねるのである。一部の「社会問題の構築」は、常識や先入観を括弧に入れて、観察と記述に専念する。それはそれで、「普通の社会」を相対化している点でみるべき点もあるが、しかし、そこで同時に研究者自身の批判精神までも括弧に入れてしまっている部分があったのなら、それは本末転倒なのではないか。
 私がミニシンポ登壇者の1人、岡村逸郎とそれぞれの自著に関して談話した際、彼と私が言い合っていたのは一冊の本に人生の重みをかけるという営為は、どうしても実存それ自体と不可分だよね、ということだった(注7)。ここでいう実存や人生の重みというのは、何かの苦境や困難の当事者経験だけに限られるわけではないと思う。ある人が日々の人生経験を踏まえて本の山と向き合い、作者との対話を経て権力性への違和感を論理的に確信する瞬間はありえて、そうした批判的思索もまた実存の1つなのである。
 しかし、その確信を世に問う際に自己を安全圏で「私はただ観察しただけなのです」とする振る舞いは、少なくとも実存の悩みを抱く読者に何かを喚起することができるかどうか、私には疑問である。結局のところ、先に紹介した本書への読者からのコメントはどちらも、私にとっては同型の問題を別様の方法で問いかけていたのであり、筆者は今後の原稿執筆に際して、そうした「研究と実存、批判精神」の論点を幾度も思い返すことだろう。


(1)「バイデン米大統領、「大麻の単純所持」に恩赦 連邦法で有罪の6500人が対象」「BBC NEWS JAPAN」2022年10月7日付(https://www.bbc.com/japanese/63167891)
(2)筆者の旧友の白坂和彦による紹介文。「あさやけ」(https://cbdjapan.com/archives/6949)
(3) 分野各論の概説として、平井秀幸「犯罪学における未完のプロジェクト──批判的犯罪学」(岡邊健編『犯罪・非行の社会学――常識をとらえなおす視座 補訂版』〔有斐閣ブックス〕所収、有斐閣、2020年)、また山本奈生「書評 『批判的犯罪学ハンドブック 第2版』」(「佛大社会学」第46号、佛教大学社会学研究会、2022年)がある。
(4) 2022年度日本犯罪社会学会大会テーマセッションB「批判的犯罪学の視角――犯罪社会学と刑事司法制度のあり方を問う」
(5) 山口毅「批判的犯罪学とは何か――綱領作成の試み」2022年、注(4)のセッションから。
(6) この点について、学会誌での本書書評と筆者リプライにも記述がある。山口毅「書評 山本奈生 著『大麻の社会学』」「犯罪社会学研究」第47号、2022年
(7) 岡村逸郎『犯罪被害者支援の歴史社会学――被害定義の管轄権をめぐる法学者と精神科医の対立と連携』明石書店、2021年。同書の「2022年日本犯罪社会学会奨励賞受賞スピーチ」にも実存への言及がある(同学会ニューズレターに掲載予定)。