第3回 ミステリー・キャラクター・数学の固有性――『容疑者Xの献身』から『浜村渚の計算ノート』へ

西貝 怜

 現代の小説群は、キャラクターに代表されるように、新たな形質を取り入れその取捨選択を繰り返し、まるで進化の途中である。特にミステリー小説は、推理のあり方をいまも重要視しながら、キャラクターを導入することで新たな様相を獲得している。ならば、この推理におけるキャラクターの機能の一端を示せれば、現代の「小説の生存戦略」の理解も深まるだろう。

はじめに

 ミステリー小説といえば、作中で何か事件が発生してその犯人や謎の真相を探偵が推理によって明らかにする、というのが多くの作品に共通するスタイルである。しかし城平京『虚構推理(1)』(2011年)は、一見してミステリーとは思えないような事件の解決方法を描いている。妖怪が事件の一部始終を見ていて探偵にその真相を伝えたり、その探偵が殺人事件を沈静化するために嘘をついたりしている。このような事件へのアプローチの何がミステリーなのか。
 諸岡卓真は、『虚構推理』では嘘で事件を解決するという点で推理での「真実の追究」が後退することになっているが、そのために事件を解決するための様々なアプローチとしての推理の楽しさを描いていると述べている(2)。この『虚構推理』の推理のあり方について拙稿ではさらに考察を進め、罪を犯し謎を作り出す犯罪者と、本来は真実を探求することで立場を異にするはずの探偵が嘘を重ねるという点で接近してしまう倫理的問題を抱えている、と指摘した(3)。
 このような「変革」や「奇想」などと呼ばれるような事件への独特なアプローチを中心に、近年ではミステリー小説の多様性が大きくなっている。そのような様相は、キャラクターの描き方とも関連深い。たとえば『虚構推理』で主人公の2人は、不死者で都合のいい未来を選択できる能力を持つ青年と妖怪らの神となった女子高生である。この強いキャラクター性を持つ2人があってこそ、以上のような解釈が成立する。しかし、ミステリーでのキャラクターの機能についての言及は多いとは言えない状況である。
 そこで本稿では、数学の描かれ方に着目して、ミステリー小説でのキャラクターの機能の一端を示してみたい。数学を扱う理由は、以下の2点である。
 数学はその強い客観性から、ミステリーで真実を明らかにする道具として利用されやすい。しかし数学者という生き方があるように、数学はただの道具ではなく、人間のあり方に密接に関わっている。ならばミステリー小説での数学を考えることは、作品内の登場人物のあり方の考察にもつながるというのが1点目。2点目は、東野圭吾『容疑者Xの献身(4)』(2005年)と青柳碧人『浜村渚の計算ノート』所収「log.10『ぬり絵をやめさせる(5)』」(以下、「ぬり絵」と略記)がともに4色問題を扱っていながら、両者は大きく異なる数学と人の関係を描いているからである。特に後者はキャラクターを描いていることから、前者との比較でその機能が示すことが期待できる。
 以上から、まずは4色問題を解説しながら『容疑者Xの献身』から考える。

4色問題と後退する数学の固有性

 世界地図であれ日本地図であれ、はたまた架空の世界の地図であれ、平面に描かれたありとあらゆる地図を塗り分ける。隣り合った領域を同じ色にしてはいけない。このとき、地図を塗り分けるのに必要な色は、最小で4色であるか否か。これを検討するのが4色問題である。
 1976年のケネス・アッペルとヴォルフガング・ハーケンによる4色問題の「4色で塗り分けられる」という証明は、計算を機械におこなわせた複雑なものだった。その後、例えば2004年にもジョルジュ・ゴンティエがより簡潔に、機械を用いた4色問題の証明を発表している。このように4色問題については、これまで複数の報告が「4色で塗り分けられる」と主張している(6)。それにもかかわらずいまだ4色問題が検討されている理由の一つに、美しさの問題がある。そしてその一端を『容疑者Xの献身』は見事に描いている。
『容疑者Xの献身』では、石神という数学教師が、人を殺めてしまった母娘を庇い、罪を逃れられるように奔走する。探偵役は、石神と大学時代からの友人である物理学専攻の大学准教授の湯川である。この2人についての学生時代の回想シーンで、石神は4色問題の証明を手作業で試みている。湯川はアッペルとハーケンによって機械を用いて4色問題が証明されたことについて言及する。すると石神はその証明を「美しくない」と述べる。湯川はそんな石神を「エルデシュ信者」と称する。
 ポール・エルデシュは美しさを意識した数学研究をおこなっていたとして、たびたび数学の美しさを述べる際に言及される数学者である。この数学の美しさというのを一言で述べるのは難しい。ただ、4色問題ではその証明での美のあり方ははっきりしている。4色問題は、地図を塗り分けるという具体的なイメージを喚起させるものでありながら、いまだ機械に頼るという証明方法しかなされていない。この証明は、人間の具体的なイメージが介在する余地がない複雑な計算によるものなので、美しくないのである。この現状を踏まえ、「エルデシュ信者」として石神が人間の実感を伴った手作業による「美し」い4色問題の証明を志しているのだ。
『容疑者Xの献身』では、もう一場面で4色問題が登場する。のちに石神は罪を犯したその母娘を庇って逮捕され、留置所に収監される。そこでの就寝時間中に石神は、頭のなかで天井のシミを点と見なして、それらの点を結んで平面の図形を作っていくことで架空の地図を作る。石神はその図形を4色で塗り分けていくのだ。この場面で石神は、かつての自分は他者からの評価などにも悩んでいたが、数学の本質は他人と比較されるようなものでなく自分だけが理解すればよいこと、それは庇っている母娘を「美し」いと思ったことで気づけたと語る。この気づきによって自殺を思いとどまった石神は、「崇高なるものには、関われるだけで幸福」という境地に至ったとも述べる。
 石神にとって数学もその親子も「崇高」であり、その「美し」さの実感には具体的なイメージが必要である。ただ、数学にもその親子にも「関われるだけで幸福」であるために、石神は留置所でも耐えられるのである(石神はその親子のために別の罪を犯してはいるが)。より具体的に述べるならば、その親子との関係のうえで留置所に入り、そこで4色問題を「美し」く証明しようとするのではなく、その事例的問題を解くのが、作中のいまの石神の「幸福」なのである。
 4色問題で作中の過去と現在をつなぎ、石神の数学者としての内面という文学的命題が『容疑者Xの献身』では描かれている。ただ、そのためにせっかくの4色問題固有の「美し」さの問題もこの内面と結び付くことで薄れ、それは留置所内で脳内で解ける数学の問題はほかに多数あることからも言えるだろう。以上から本作では、4色問題は他の数学の問題として変換可能なものであることから、その数学としての固有性が後退しているのである。

渚というキャラクターによって保持される数学の固有性
 
『浜村渚の計算ノート』シリーズは、数学的な知見を用いてテロを実行する組織「黒い三角定規」と、女子中学生の浜村渚を含む警察グループとの戦いを主に描いている。「ぬり絵」では、「黒い三角定規」が洗脳した者らを利用して殺人事件を頻発させる。警察は当初、その事件の出現パターンが不規則に見えるために後手に回っていた。しかし渚の協力を得た警察は、「黒い三角定規」が犯人らの名前に含まれる色で市町村を色分けしていく4色問題の論理で事件を起こしていたことを突き止める。そして渚は市町村合併を提案する。その意図は地図を4色で色分けできないようにするための工作であり、それがかなえられることで「黒い三角定規」は敗北を認めて、この事件は沈静化した。
 以降もシリーズでは様々な数学上の問題も出てくるが、それはまず犯人側の論理として提示され、渚がそれを解いていくことで事件を解決していく。このミステリーという構造上、扱われる数学の問題は丁寧に説明され、その固有性は担保される。ただ、本作では、ミステリーとして謎の解明に結び付くゆえに数学のアイデンティティが強く描かれる、というだけではない。
 当初、事件の主犯格の実行犯は市町村合併が「ルール違反」と述べる。しかし、その場その場でなく先々の色分けも考えていれば市町村合併をおこなっても「黒い三角定規」による犯罪は完遂できたという渚の指摘によって、その実行犯は敗北を認める。そして事件が終わっても渚は4色問題で遊んでいる。誰よりも4色問題に渚は向き合う。そんな渚はシリーズを通して、犯罪を怖がり、同級生と遊び、苦手な科目の宿題に悩むような普通の中学生と繰り返し強調して描かれる。ただの女子中学生でしかない渚の数学への愛ゆえの真摯で具体性がある態度に、シリーズを通して警察も犯人らも感化され、魅了されていく。
 すなわち、ミステリーという構造に乗っかりながら、この渚の態度を読者に理解させるためにも、作中で数学の具体的で詳細な説明が必要なのである。強調される普通の女子中学生であるというように、渚のそのような数学をとことん追求するほどに好きというギャップのあるキャラクター性によって、『浜村渚の計算ノート』シリーズでは数学の固有性が強く表れているのである。

おわりに

 石神は犯人側、渚は探偵側という違いはある。ただ、どちらも数学を強く愛好し、それによって培った論理的能力で事件に関わっている。謎を解かせまいとする数学と、謎を解こうとする数学に、その固有性が表れる違いはそれほど大きくないはずである。石神は具体的な数学の問題を用いて事件を起こしてはいないということだけが、『容疑者Xの献身』で4色問題の固有性が薄れてしまっている原因ではないのは、先述のとおりである。数学への態度を、人間の内面に回収させるか、あるいはキャラクター性の一つにするかが、事件を追及する者としての石神と渚の大きな違いの一つである。
『浜村渚の計算ノート』シリーズのミステリーとしての構造は、『虚構推理』のように独特なものではない。しかし、渚というキャラクターを、事件を数学で解決するというわかりやすいミステリーの構造にはめ込むことによって『浜村渚の計算ノート』シリーズは、謎や事件を解決するための道具以上に数学の価値を強く描いている。ただ、人間の深い内面に触れないで、社会的役割や個人的な性質などのようにキャラクター性を示すのに数学を用いれば、数学とそれに関わる人間を縦横無尽に描けるかというと、そういうわけではない。
 たとえば王城夕紀『青の数学(7)』(2016年)では、ネット空間上での数学バトルが描かれる。そのために様々な数学の問題が提示される。ただこの作品は、主に高校生らの数学への価値観や、これに関する議論に代表されるような数学を通じた人間関係を強く描こうとしている。すなわち『青の数学』は、数学に関わる人々の青春を描くことが主眼に置かれているので、種々の数学の固有性が希薄になっている。数学好きというキャラクターをミステリーに配置する『浜村渚の計算ノート』と、青春物語に配置する『青の数学』では、数学の固有性のあり方が真逆である。
 青春、ミステリーと同様に、SFやファンタジーなどの小説のテーマ的なジャンルだけが、作中の数学の固有性を規定しないのは確かだろう。そのジャンル的な物語に、一つの内面に特化するのではなく、様々な特性を持つキャラクターが配置されることによって、数学と人との関係の描き方もより豊かになりうるのではないだろうか。『浜村渚の計算ノート』がミステリーとしては古典的でありながら、キャラクター概念を導入することで数学とミステリーの新たなあり方を示しながらも、『青の数学』のような作品もあるように。


(1)城平京『虚構推理――鋼人七瀬』(講談社ノベルス)、講談社、2011年
(2)諸岡卓真「創造する推理――城平京『虚構推理』論」、日本近代文学会編集委員会編「日本近代文学」第87巻、日本近代文学会、2012年
(3)西貝怜「ミステリと謎――『虚構推理』の正義の行方」「ジャーロ」第69号、光文社、2019年、308―313ページ
(4)東野圭吾『容疑者Xの献身』文藝春秋、2005年。なお本稿では2008年に刊行された文春文庫版を用いる。
(5)2009年に講談社birthシリーズで販売された青柳碧人『浜村渚の計算ノート』(講談社)が初出ではあるが、本稿では以下を用いる。青柳碧人「log.10『ぬり絵をやめさせる』」『浜村渚の計算ノート』(講談社文庫)、講談社、2011年、5―69ページ
(6)この4色問題の論理的な詳細や歴史について知ることができるものとして、以下を挙げておく。ロビン・ウィルソン『四色問題』茂木健一郎訳(新潮文庫)、新潮社、2013年
(7)王城夕紀『青の数学』(新潮文庫nex)、新潮社、2016年

 


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第2回 なろう作家のひとりごと

山口直彦

「活字離れ」「出版不況」が叫ばれて久しい書籍業界だが、いま「なろう系」と呼ばれるジャンルが活況を呈している。
 縛りが少なく、斬新なアイデアを盛り込めることが大きなメリットだったが、作品が増えるにつれて新たな問題点も見えつつある。
 本稿は、とある「なろう系」作家が投稿した、一風変わった短篇作品を取り上げ、「なろう系」が露呈している問題点を議論する。

はじめに――小説書き(アマチュア)が作家になる話

 Webサイト「小説家になろう(1)」(以下、「小なろ」と略記)は株式会社ヒナプロジェクトが運営する小説投稿サイトである。作品投稿・閲覧は誰でも無料でおこなうことができ、ジャンルもほぼ問わない(2)。投稿者・読者の双方に使い勝手がよかったことから人気に火がつき、投稿作品数は約79万作品(3)。SimilarWebが分析・公開している日本の上位Webサイトランキングによれば、「小なろ」のアクセス数は第15位(4)。登録ユーザ数は約176万人(5)、ユニークユーザーが約1,400万人、月間約20億PV(6)(7)にもなり、小説投稿専門のサイトとしては名実ともに日本最大のWebサイトと言える。
 もともとは純粋にアマチュアの創作活動拠点として機能していたが、「小なろ」に投稿された作品が出版社に見いだされて商業出版されるようになり、なかでも「なろう系」と俗称される人気作品群が出現し、ある種のジャンルとして確立するようになった(8)。そのため現在では作家デビューしたい人の登竜門としての機能も実質的に果たすようになっている。

投稿したら流れていった件

「小なろ」には毎日膨大な量の作品が投稿される。一例として2019年12月25日に新規投稿された短篇小説を検索して作品数と文字数を集計してみると、136作品39万2,855文字という結果になった(9)。これは文庫本換算で約4冊分に相当し、毎分500字のペースで読み続けても読み終えるまで13時間かかる。短篇だけではなく、連載小説も含めればさらに膨大な量の作品が「小なろ」に投稿されていて、到底すべてを読み終えられる量ではない。作品を投稿すれば、その瞬間《だけ》は、トップページの新着作品欄に載るが、次から次へと作品が投稿されるため、すぐに新着作品欄からは見えなくなってしまう。
 この状況では、単純に作品がうまいとか面白いだけで作品は評価されない。作家デビューを夢見て「小なろ」に作品を投稿する作者は、まず「いかにして自分の作品を埋もれさせずに読者の目に触れさせられるか」が最初の難関となる。読者を獲得し、高評価を得られればランキングに掲載される。ランキングの上位10作品に入ればトップページに掲載されるため、新規ユーザの目に留まりやすくなり、さらに読者が増える好循環が始まる。この〈自分の作品をランキングに掲載させねばならないプレッシャー〉をいかに乗り越えるかが作者の死活問題になっている。

なろう系作家の下剋上

『無職転生――異世界行ったら本気だす』は、2012年から15年にかけて作者「理不尽な孫の手」が「小なろ」に連載(10)した作品である。14年に商業出版(11)されて『このライトノベルがすごい!2015』に初出(12)、『このライトノベルがすごい!2017』では単行本・ノベルズ部門第4位を記録している(13)。出版後すぐに漫画化されて現在も連載中のほか、20年にはテレビアニメ放映も決定されているなど、「なろう系」作品のなかでも特にヒットした作品として知られている。
 同作者が「小なろ」に投稿している作品のなかに、『小説投稿サイトでランキング一位を取らないと出られない部屋』(以下、『出られない部屋』と略記)という異色の作品がある。
 本作には以下のような紹介文が付されている。

 目覚めると、真っ白い部屋にいた。
 部屋に一台だけあるパソコンのディスプレイには、こう表示されていた。
【この部屋は、小説投稿サイト『小説を書こう』のランキングで一位にならなければ出られない】
 これは、何もない部屋に閉じ込められた男の、地獄の投稿生活を綴ったものである(14)。

 作中ではサイト名が「小説を書こう」という架空の名称になっているが、これが「小なろ」と重なる存在であることは明白だろう。『出られない部屋』は作家を目指して「小なろ」に作品を投稿する人が背負っている〈自分の作品をランキングに掲載させねばならないプレッシャー〉を、条件をクリアしないかぎり閉鎖空間から脱出することができずタイムループを繰り返すという〈脱出ゲームのプレッシャー〉に置き換えることでエンターテインメント小説に仕立てている。なろう系作家の姿をなろう系作家が書く「メタ〈なろう系〉小説」ととらえることもできるし、実際に「小なろ」で成功した作者による「ノンフィクション小説」あるいは「ルポルタージュ」ともとらえられる。エンターテインメント性を持たせるために多少の誇張も含まれるが、まったく素人の状態からループを繰り返しながらノウハウを学び、段階的に成長していく様子を見ていくと、なろう系作家を目指す人のための「教科書」にも見えてくる作品である。
 例えば『出られない部屋』の「L4」(4回目のループ)では、どれほど優れた作品であっても、投稿ペースや投稿の時間を考えないと評価に結び付かないことを主人公は学んでいる。たとえ投稿前に作品を完成まで書き溜めてあったとしても、一度にまとめて投稿すると評価に結び付かない。あえて章を小分けにして、1日につき1、2章のペースで投稿したほうが全体の評価は伸びることを、主人公は試行錯誤と分析によって学ぶ。また、連作作品の新章を投稿すると、トップページの「更新された連載中小説」に掲載される。これは初見の読者に興味を持ってもらうためには貴重な機会だが、掲載される作品数が決まっているため、後から別の作品が投稿されればすぐに流され消えてしまう。このチャンスを生かすためには「人が多く集まる時間に投稿すること」「毎正時は予約投稿機能により投稿者が一気に増えてすぐ表示が流れてしまうため、あえて手動投稿で自動投稿が落ち着いた1分後を狙って投稿する」というノウハウ(15)を学ぶ。

作者無双――小説家、業界で生き残るために歩む道

「小なろ」を通じて自分の作品をたくさんの人に見てもらおうと思う投稿者、特に「小なろ」を通じて作家デビューを目指す投稿者にとっては、「いい(=読者に受け入れられ評価される)作品」を書くことは必要条件ではあるが、必要十分条件にはならない。いい作品を書いたうえで、さらに「作品を読者に伝える工夫」を尽くすことが求められる。そこに必要なのは文学論でも創作技術でもなく、マーケティングと営業とSEO(16)のノウハウである。だから『出られない部屋』のなかで主人公が学ぶノウハウに、小説の内容に関わるノウハウ――すなわちストーリー構成やキャラクターの設計・描き分けなど――に関するものはほとんどない。代わりに主人公が学ぶのはほぼ一貫して「いかに作品を読者に届けるか」のノウハウである。いわばSNO(=Shosetsukani Narou Optimization=「小説家になろう最適化」)と言えるだろう。
 純粋な気持ちで創作に取り組もうとする人にとっては、邪道な小手先芸に見えるかもしれない。しかしながら、文学賞受賞を目指して投稿作を書くにあたって、賞の傾向や審査員の好みを分析して作品に反映することを必要な努力の一つであると考えれば、『出られない部屋』で主人公が会得するノウハウもその延長線上にある。なぜならば〈一般読者〉と〈審査員〉の間に明確な線引きがある従来の文学賞と異なり、インターネットの世界では〈一般読者〉こそが重要な〈一次審査員〉の役割を果たしているからである。ケアレスミスで一次審査に落ちることがないように文学賞投稿者が推敲を重ねるのと同じ理屈で、作品を読者に届ける努力と工夫がなろう系作家には求められているのである。
「小なろ」に限らず、インターネット上で自分の作品や各種の情報を公開することは、多少の知識さえあれば誰でも無料で簡単におこなうことができる。かつてはパソコンや通信回線などに初期投資をおこなうというハードルがあったが、もはやほとんどの国民が1人1台のスマホや携帯電話を持ち、自宅でも学校でも職場でもパソコンがあふれている現代ではもはや初期投資のうちに入らないだろう。
 しかしインターネット上の作品を他者の目に触れ「させ」、読んで「もらい」、評価に結び付けるためには、創作とはまた異なる次元の努力が求められる。いい作品であれば他者の目に触れ「る」、読んでもらえ「る」ような牧歌的な状況ではないのだ。

なろう作家のひとりごと

「小なろ」という開かれた場から、誰でも創作活動を楽しみ、世に公開できるようなインフラが整ったこと、そしてそのうえで創作活動が花開いていることは素晴らしいことだが、同時に弊害も生じていることに目を向けなければならない。
『出られない部屋』ではストーリーの都合上、小説投稿サイト以外のWebサイトにアクセスできないことになっているが、実際には「小なろ」の外部でも作者や作品に興味を持ってもらうための行動が必要である。例えば一般的なSEOに相当する行為や、SNS(「Twitter」や「Facebook」など)での露出などがある。従前の商業作家であれば出版社や編集や雑誌や新聞広告や書評が担ってくれた部分を、現在のなろう作家はすべて自分で引き受けることが必然的に求められていて、下手すれば創作活動以上の時間と手間を費やさなければならないという本末転倒な状況さえ起こりうる。
 また大橋崇行の論考(17)で詳しく解説されているとおり、現在「なろう系」とくくられる作品は、ほとんどが「異世界モノ」に偏っている。これは異世界モノに注目が集まったことで類似の作品を求める読者の要求、読者の要求に応えなければならない作者、この機会に類似作品を書いてみようと思う新規参入者の相互作用によって、加速度的に進んでいる現象である(ちなみに、異世界モノの前には特定職業に着目した作品群〔職業もの〕のブームがあり、同様に多数の派生作品を生み出した)。出版社は「小なろ」で評価が高い作品から刊行するため、商業デビューを目指す作家がさらに偏りを増長させる。「小なろ」そのものはあらゆるジャンルに開かれた場であるにもかかわらず、「なろう系」として評価されるためにはブームにうまく追従して作品を作るか、わずかな望みにかけて新たな鉱脈を掘り当てるしかない。むしろ「なろう系」が足枷になって作品の自由度が低くなってしまっている面があり、ジャンルの深み・厚みがなかなか育たない状況になってしまっている(定められた様式のなかで創意工夫を楽しむ、定型詩的なあるいは様式美的な楽しみ方があることは否定しない)。

おわりに――出版社のお仕事 in ネット社会

 本稿では、理不尽な孫の手『小説投稿サイトでランキング一位を取らないと出られない部屋』を紹介しながら、同作から垣間見える「なろう系」作家の見えざる努力と「なろう系」作品の問題点について述べた。
 インターネットや「小なろ」などの各種Webサイトといったインフラが整備されたことで、誰もが創作者として作品を発表し、消費できる環境が整ったことは文化的に大きな意義がある。その一方で、出版社が〈「小なろ」で人気の作品=売れる作品〉というと安易に結び付ける仕組みを作ってしまうと、せっかくの開かれた創作の場が有効に機能しなくなってしまいかねない。
 出版社には、「小なろ」でヒットした作品や作者を一本釣りして刊行するだけでなく、隠れて目立たない作品や風変わりだが個性のある作品を丁寧に拾い上げ、磨いて、整えて、世に送り出すという本来の仕事も忘れないでもらいたい。書籍の文化とインターネットの文化が対立するでも依存するでもなく、互いに刺激を与え合っていく関係になってほしい。


(1)「小説家になろう――みんなのための小説投稿サイト」(https://syosetu.com/)[2020年3月16日アクセス]
(2)厳密に言えば、二次創作作品は禁止(原作者許諾や著作権が切れた作品を原作にするものなど一部例外を除く)、R15作品は警告表示付きで公開、R18作品は成年向けサイトからだけ閲覧可という制限があるが、日本の法律に鑑みれば必要最小限の制限と言えるだろう。
(3)「小説掲載データ」(https://syosetu.com/index/data/)[2020年3月16日アクセス]
(4)SimilarWeb「Japan における上位ウェブサイト SimilarWeb ウェブサイトランキング」2020年2月1日最終更新(https://www.similarweb.com/ja/top-websites/japan)[2020年2月16日アクセス]
(5)前掲「小説家になろう」トップページ掲載の数値による[2019年7月20日アクセス]。
(6)KAI-YOU Premium「「小説家になろう」インタビュー――文芸に残された経済的活路」(「Vol.1 個人発サイトがエンタメ/出版業界を席巻する理由」〔https://premium.kai-you.net/article/53〕[2020年2月16日アクセス])で、2019年4月時点の情報として記載。
(7)PVはページビューの略で、ウェブサイト内の特定のページが開かれた回数を表す(ウェブサイトのアクセス統計で訪問者の多さを測る指標として最も一般的なもの)。
(8)大橋崇行「「異世界モノ」ライトノベルが、現代の「時代劇」と言えるワケ」2019年9月14日(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67125)[2020年2月16日アクセス]
(9)調査をおこなった2019年12月27日13時50分の段階で、小説種別「短編」になっている作品を新着投稿順に並べ替え、初出が19年12月27日00時00分から23時59分までの作品を集計。
(10)「無職転生――異世界行ったら本気だす」(https://ncode.syosetu.com/n9669bk/)[2020年2月16日アクセス]
(11)フジカワユカ、理不尽な孫の手原作『無職転生――異世界行ったら本気だす』第1巻(MFコミックス、フラッパーシリーズ)、KADOKAWA、2014年
(12)『このライトノベルがすごい!』編集部編『このライトノベルがすごい!2015』宝島社、2014年、168ページ
(13)『このライトノベルがすごい!』編集部編『このライトノベルがすごい!2017』宝島社、2016年、60ページ
(14)「小説投稿サイトでランキング一位を取らないと出られない部屋」(https://ncode.syosetu.com/n1077eb/)[2020年2月16日アクセス]
(15)予約投稿機能は、作品をあらかじめ登録だけしておき、指定の日時まで更新を遅らせる機能である。年月日時は指定できるが、分を指定することはできず、登録時刻の正時から順次公開される。
(16)Search Engine Optimization=「サーチエンジン最適化」。より多くウェブサイトが検索サイトの検索結果に表れるようにおこなう取り組みの総称
(17)前掲「異世界モノ」ライトノベルが、現代の「時代劇」と言えるワケ」

 


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第1回 聖地巡礼の一例――大洗と『ガールズ&パンツァー』

金木利憲

 私は『小説の生存戦略――ライトノベル・メディア・ジェンダー』(青弓社、2020年)で、「聖地巡礼」というテーマを担当した。これは小説をベースにしながら現実と接続し、作品の外に飛び出ていく行為である。聖地巡礼発生の仕組みと展開は本書中に記した。ならばこのコラムでは、巡礼をおこなう当事者としての私がどのように行動しているのか記録しておくのがいいと考えた。この意味で、本文と表裏一体をなしている。両者を読み合わせれば、より理解が深まるだろう。

はじめに

 私は本書で「聖地巡礼」というテーマを与えられ、1章を担当した。
 本書の企画は、ライトノベル研究会内で立ち上がったものだ。それが本格的に動きだした直後、テーマごとの担当者を決める会合を私は欠席してしまった。しかしながら、私自身、舞台探訪=聖地巡礼を好み、機会を作って現地訪問の旅へと出かけていることが研究会の面々に知られていたため、いわば欠席裁判でご指名を受けたのだった。
 その際の決め手は「この会にはガルパンおじさん(1)がいましたよね?」だったと聞く。
 聖地巡礼発生の仕組みと展開は本書中に記した。ならばこのコラムでは、ガルパン聖地巡礼の話を記録しておくのが筋というものではないだろうか。その前に、「ガルパン」とはなんぞや、という話をしておくことにする。
 なお、「聖地巡礼」の原義は宗教上の行為でもあるため、作品の舞台をたどる行為を指す用語としては「舞台探訪」を推奨する声もある。しかし、ここでは論考との用語統一を図り、主に「聖地巡礼」を用いる。

ガルパン概説

 ガルパンは、正式タイトルを『ガールズ&パンツァー』という。始まりはアニメ(制作:アクタス)で、テレビ版とOVA版、劇場版が2作ある。時系列順に整理しておこう。
・2012年10―12月+13年3月;テレビ版(全12話+総集篇2話)
・2014年7月:OVA版
・2015年11月:劇場版(1作目)
・2017年12月―:劇場版(2作目、全6話予定で現在2話まで上映)
 メディアミックスもおこなわれていて、小説・マンガ・ゲーム・パチスロなどを展開している。
 舞台となる世界では、戦車同士の試合が女性向けの伝統武道として「戦車道」の名で競技化され、華道や茶道と並ぶ「乙女の嗜み」として認知されている。この戦車道の全国大会で優勝を目指す女子高生たちの奮闘を描く物語である。なお、「特殊なカーボン」によって乗員たる高校生たちは保護されていて、戦車道の試合で人は死なない設定になっている。
 この作品の「聖地」と目される茨城県東茨城郡大洗町は、主人公チームが所属する架空の学校「大洗女子学園」が置かれている巨大艦船の母港としてしばしば登場していて、作中では町並みや商店、ランドマークや交通機関などがかなり忠実に描かれている。
 なかでも注目されるのが、劇場版(1作目)冒頭の、通称「大洗市街戦」と呼ばれる戦車道の模擬試合だ。ここで戦車が走り回るルートは、現実の大洗町の道路とほぼ矛盾なく一致する(2)。また、建物の様子など、町並みもかなり忠実に描かれている。
 これほど巡礼に適した作品はそう多くない。通っているうちに、聖地に加えて町の人との交流や巡礼者同士の交流も見えてきた。
 そんな大洗町のガルパン聖地巡礼の一例を紹介したい。

聖地巡礼

 2016年3月21日、友人K氏と上野駅で落ち合い、8時半の常磐線特急ひたちで出発。途中、水戸駅で鹿島臨海鉄道(大洗鹿島線)に乗り換え、10時13分、定刻どおり大洗駅に到着。観光案内所で巡礼マップとスタンプラリー台紙を入手(3)。
 この路線も駅も、作中に登場する。その縁もあって、キャラクターや戦車のラッピングを施した車両が2両走っている。また、月替わりでキャラクターイラストを刷り込んだ記念乗車券・入場券を発行するなど、ファン向けのサービスも手厚い。

写真1 ラッピングトレイン

 駅前で偶然、車で来ていた共通の知人と出会い、そのまま一緒に回ることにした。今回はたっぷり時間をかけ、先述の「大洗市街戦」ルートを徒歩で回る予定でいたのだが、車のおかげで半日ですんだ。さらに、私たちよりもずっと現地情報に詳しくて、まるで「ガルパン」専門ガイドのよう。本当にありがたいことだった。
 実際に道筋をたどると、ほぼすべて矛盾なくつながることに舌を巻く。入念な検討があったのだろうと思う。大きな改変があったのは2カ所だが、これは作劇上の都合だろう。
 一周した後は、ガイドのような知人も未発見だったという「立体駐車場」を探してしばし街中を探訪するも、ついに見つからなかった(4)。
 途中の土産物屋で、自分用と頼まれものの作品グッズと通常の土産物を購入した。
 一回りするとすでに15時半。お気に入りのキャラクター(福田)の看板が設置された店で遅い昼食にする。来店特典の缶バッジとオリジナル名刺をもらう。
 17時半、知人と別れ、K氏とともに本日の宿である肴屋本店へ。この宿は、「作中で戦車に二度も突っ込まれた宿」として、ファンの間では非常に有名だ。夕食は作品に関係する「あんこう鍋」を事前予約している。実を言うと、今回の巡礼は、K氏があんこうの季節に偶然この宿を予約できたからという理由でおこなわれているのだった。

写真2 宿の外観。作中では玄関部分に二度も戦車が突っ込むことになる

 人生初にして待望のあんこう鍋は美味だった。
 宿には巡礼者が多数いて、そのうちの一部と交流し、情報交換。時折、宿の主人も話に入ってくる。
 翌日は10時にチェックアウト。その際に、イギリスで自分で撮影してきた戦車の写真を渡す。この宿に突っ込んだ型式だ。フロントに立つご主人は一目でソレとわかった様子。……たくさんのお客さまたちに教えられてきたのだろうなあ。
 この日は徒歩で市街地をめぐる。
 まずは宿近くの曲がり松商店街を歩く。すぐに、多くの店先にキャラクターの等身大POPが飾られているのが目にとまる。それもそのはず、大洗の商店街ではこれまで2回にわたり、権利者と組んで希望する店舗にキャラクターの等身大POPを配布しているのだ。なかには店主によってマフラーが巻かれたりして(いわく「寒いだろうから」)、ファンだけでなく地元の人々からも大事にされているのがよくわかる。さらに、店とファンの結び付きが強くなってきたため、その隣に店主の等身大POPさえ置かれていることもある。

写真3 等身大キャラPOP・店主POPとスタンプ台

 大洗には、現地を訪れるファンのことを「ガルパンさん」と呼ぶ人がいる。かつては不安げな響きとともに使われていたが、いまは親しげになった。作品を核にしたファンと地元の共生関係がわかる言葉だと思う。
 歩くと小腹が空いてくる。買い食いしながら散歩は続く。等身大POPがある店にはたいていそのキャラゆかりのグッズが置かれ、店員と談笑するファンが数人いる。そういった人たちと挨拶を交わし、ときに作品やキャラ愛の話に興じるのも楽しいひとときだ。
 13時10分、昼食。作中のメニュー「鉄板ナポリタン」を再現した喫茶店だ。噂に違わないボリュームだったが、おいしく完食できた。
 昼食後、町歩きを再開。
 ショッピングモール・まいわい市場でおやつを買い、興味がない人からすれば平凡なエスカレーターと広場の写真を撮る。作中では、手すりを破壊しながら戦車が降りてきて、広場の噴水でぐるぐると追いかけっこをする場所だ。

写真4 まいわい市場のエスカレーター
写真5 まいわい市場の垂れ幕。これも作中キャラ

 他にも橋やホテルなどゆかりの場所を歩き、写真を撮りながら巡っていく。気心知れた友人と検証しながらの道中は楽しい笑いがたえない。
 16時10分、大洗駅から鉄路で帰る。帰り道、作中メニューを再現したとんかつ屋に寄っていく。こちらも大ボリューム。帰宅後に乗った体重計は……まあ、言わぬが花だろう。

写真6 戦車の形を模したとんかつ

 その後、同年5月1日に、茨城県久慈郡大子町の旧上岡小学校を訪れた。劇場版(1作目)で、大洗女子学園生徒の仮住まいとなった「廃校」のモデルになった場所だ。作中だと大洗町内にあるかのように描かれるが、実際は直線で約60キロ離れている。
 コスプレ撮影のマナーで問題になり、必ずしもファンを歓迎していない雰囲気だったが、それでも作中の黒板再現などがあって印象的だった。新緑の季節で、風が気持ちよかったことが記憶に残っている。

写真7 旧上岡小学校
写真8 黒板再現

 また、同年5月23日には大洗ゴルフ倶楽部を訪問することができた。これは先方の好意によって実現したファン向けのイベントで、常時公開はしていない。劇場版(1作目)の冒頭、「大洗市街戦」の直前のシーンが目の前に浮かぶよう。これで一連の戦闘シーンの現場をすべてこの目で見て、記録できたことになる。

写真9 大洗ゴルフ倶楽部で

 同年6月18日には、北海道に用事ができたついでに、大洗―苫小牧間を結ぶフェリー・さんふらわあに乗船。劇場版(1作目)の移動シーンを押さえることができた。

写真10 さんふらわあ船内、ゲームコーナー

 これで、主要な舞台は巡り終えた。長かったような短かったような、そんな旅だった。

おわりに

 アニメ作品に大洗が登場したのは、『ガルパン』が最初ではない。名前だけではあるが、1984年2月公開の劇場作品『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(監督:押井守)に「大笑海水浴場」というダジャレとして登場する。とはいえ、本格的に街が扱われたのは『ガールズ&パンツァー』が最初だ。
 聖地巡礼研究では、『涼宮ハルヒの憂鬱』の兵庫県西宮市と、『らき☆すた』の埼玉県久喜市(旧北葛飾郡鷲宮町)がしばしば扱われるが、事例としては古い。『ガルパン』も決して新しいとは言えない事例だ。聖地巡礼でファンと地元がうまく噛み合った成功例は少ないが、新たな事例研究が始まることを願ってやまない。
 現在、新型コロナウイルス感染症の拡大防止によって、聖地巡礼は中断を余儀なくされている。また現地を訪れることができる日が一日も早く訪れるように、いまは必要以上の外出を慎む日々である。


(1)『ガールズ&パンツァー』ファンの男性の俗称。ときに自称。
(2)ファンによる検証(「ガールズ&パンツァー劇場版 大洗市街戦 戦闘経過をGoogle Maps上で再現してみる」〔http://dragoner.heteml.jp/girlsundpanzer/〕[2020年3月1日アクセス])。
(3)商店街の店舗にスタンプを設置。かつて集めると景品がもらえるキャンペーンがあったが、終了後も継続して設置中。
(4)のちに調べてみると、背景は確定したが、駐車場本体については候補はあるものの決め手に欠けるようだ。

[付記]
『小説の生存戦略』の私の担当箇所で、誤植がありました。謹んで訂正します。
第9章「「聖地巡礼」発生の仕組みと行動」
177ページ、最終行 
誤:「ベーカー街十三番地」
正:「ベーカー街二二一B」

 


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