第2回 PTAと「男性」

鈴木洋仁(すずき ひろひと)
(神戸学院大学現代社会学部准教授。専攻は歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』〔青土社〕など)

1 なぜ、PTA会長には男性が多いのか。

暗黙の了解……

 新型コロナウイルス感染拡大以来5年ぶりに本格的におこなわれた地元のお祭りに参加した。もともとどんな雰囲気だったのか、ほとんど覚えていなかった。それよりも、この連載を書いているからか、あらためて、お祭りは「男仕事」なのだなと、つくづく思った次第である。
 お祭りを作ってくれている方は、そこまで「男性」に偏っているわけではないし、また、「女性」が下働きばかりさせられているわけでも、虐げられているわけでもない。なんというか、その空気が、いかにも「男の世界」だと感じる。
 荒々しい、あるいは、さっぱりとしている、責任感がある……。こう書いていくと、この反対、つまり、「女々しい」、ジメジメしている、他人事感……などの点を「女の世界」だと、わたしは考えていることになるのだろうか。「女々しい」など、文字からして、いまはほとんどタブー、「放送禁止用語」ではないか。
 余談ながら、「放送禁止用語」というのは、はっきりとした制度としては存在しない。共同通信社が出している『記者ハンドブック』などの用語集で、「差別・不快用語集」や「禁止語・不快用語」という項目に載せていることばを、あくまでも自主規制で使わない。それをもって「放送禁止用語」と通称しているにすぎない。
 今回、書こうとしている「PTAと男性」というテーマもまた、「放送禁止用語」のような扱いだったのではないか。もう少し正確を期すなら、「なぜ、PTA会長には男性が多いのか」という疑問は差し挟んではいけない、口にしてはいけない、暗黙のタブーだったのではないか。
そんなことを、祭りの隅っこでぼんやりと考えていた。

都道府県ごとの割合

 次のグラフを見てほしい。


(出典:「平成20年版男女共同参画白書」「男女共同参画局」〔https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h20/gaiyou/html/honpen/b1_s00_01.html〕[2026年2月16日アクセス])

 18年前の2008年、と、やや古いものの、都道府県別単位PTA会長(小・中学校)に占める女性の割合を示す、内閣府男女共同参画局が集めたデータである。もとより、こうしたデータを毎年公表していない、あるいは、見つけにくいところに、PTAをめぐるジェンダーの課題が象徴されているだろう。
 グラフの最下部にあるとおり、この2008年時点では、全国のPTA会長に占める女性の割合は10.1%である。全国平均値を上回っているのは、わずか10都府県(宮城、埼玉、東京、神奈川、滋賀、京都、兵庫、奈良、徳島、沖縄)にすぎない。東京の段違いの高さ(46.7%)が人口の多さも相まって大きく平均を引き上げているだけで、実に78%の道府県では、90%以上のPTA会長が男性だった。全国平均の女性割合は、22年時点で、前回紹介したように17.4%まで上がっている(1)ため、このときよりは、各道府県で少しは増えているかもしれない。
 しかし、そう楽観するのは早とちりである。
 2008年時点で4.3%しか女性PTA会長がいなかった愛知県の県庁所在地・名古屋市では、どうだろうか。同市立小中学校PTA協議会が、23年1月に発表したデータに驚かざるをえない。

 名古屋市内の小中学校PTAでは、男性の会長が97%に対して女性の会長は3%しかいません(令和2年度(2))。

 2023年5月1日時点で名古屋市立の小学校は267、中学校は127、合計で394校あり(3)、同年4月に2校が統合されている(4)ため、2020年度には396校だったから、同市には、女性PTA会長は11人しかいない。「しかいない」というのは、同市の人たちにとっては心外なのかもしれない。上記の引用に続けて、次のように書いているからである。

 女性が会長になりにくい原因の一つとして、「母親代表」という役割があることによって会長は男性という役割分担ができていることもあるのかもしれません(5)。

 たしかに、「母親代表」に似たポジションは、名古屋以外にもある。熊本県の4つのエリア(菊池郡市、阿蘇郡市、上天草市・天草郡市、球磨郡)には、2022年11月の時点で「母親」の名称が付く役職があると、「熊本日日新聞」が報じている(6)。しかし、こうした「母親代表」なり、「母親部長」(阿蘇郡)なる役割が生まれる前提として、「PTA会長は男性」という事実があったのではないか。

2 「PTA会長は男性」の理由

あらためて、「なぜ、PTA会長には男性が多いのか」

 この問いに対して、前回も引用した、行政評論家の大原みはるは、次のように分析している。

 自営業者や地場の中小企業の経営者といった限られた男性が、えてして役員になりがちだし、圧倒的多数を占める女性の場合、そうした立場・職種の人を除けば、大半が専業主婦、働いているとしても短時間勤務の人が多い。
 つまり根本的な原因は、現状こうした時間的条件をクリアできる人材が、圧倒的に女性に偏っているという以外の何物でもなく、問題の根源はそこにあるのだ(7)。

 前回ふれたのと同じく、「平日昼間」がネックになっている、というのが大原の見解である。なるほど、男性の参加者が少なくなり、その少ない参加者は、地域の名士に近いため、そのなかから名誉職的に会長を選ぶ、ゆえに、「PTA会長は男性」だという理路になるだろう。
 すると、都市部の名古屋市でわずか3%しか女性PTA会長がいない事実もまた、大原の見方で解けるのだろうか。繰り返しになってしまうが、「母親代表」や「母親部長」という役割があるから、その役割があるために、「PTA会長は男性」というわけではない。
 順序が逆である。
「PTA会長は男性」と決まっているから、わざわざ「母親」に役割をあてがわなければ示しがつかない。母親には母親の名誉職的でもあり、かつ、実質的にPTAを運営するうえでのトップとして名実ともに権限を与えておかないと組織が回らない。「平日昼間」が元凶であるとしても、いや、元凶であればあるほど、なぜ「PTA会長は男性」なのかは解けない。

「父母と先生の会」

 1つの仮説としては、PTAのもともとの成り立ちの反省に立っている、という見方がありえるだろう。岩竹美加子が明らかにしたように、PTAを準備したのは、「母の会」であり、婦人会だった。

 PTAにつながる要素として、系統婦人会であること、連合し連絡提携をおこなうこと、横の組織と関連づけられること、個人主義を排すること、修養と奉仕の組織であることが挙げられる。PTAの煩雑な活動は、修養と奉仕、および共同体づくりを目指すものとして理解することができるだろう(8)。

 岩竹の主眼は、PTAの前史としての「母」の役割が大きかったありさまを強調するところにあるものの、「PTA会長は男性」との関連では、続く、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によるPTAの導入が興味深い。PTAは1885年ごろ、アメリカでアリス・バーニーが提唱した全米母親会議に起源をもち、第2次世界大戦後の連合国軍による占領統治で、教育の民主化の手段としてGHQによって導入される。
 このとき、1947年3月に文部省(当時)の作った『父母と先生の会』というパンフレットは、いまもなお、日本のPTAの源流として語られる。この「父母」という名称は、戦前の「母の会」や「婦人会」から大きな転換を迫るものだといえるだろう。女性だけではなく男性もまた、子どもの教育に参加すべきである、それこそが、男女同権の民主化である、そうしたGHQの姿勢が、この呼び方に表れている。
 PTAという呼称に代表されるように、あくまでもParents=親であり、母親とも父親とも限定していない。それをわざわざ「父母と先生の会」のように、「父」を入れたところが重要であり、岩竹は、次のように指摘する。

 父母別に二本立てにされた会ではなく、父母の会であり、先生中心ではなく、先生と父母が平等な立場にあって積極的な活動をおこなうものと構想されている(9)。

 教育の民主化の一つとして、父と母がまず対等であり、親として先生ともフラットな立場にいる。この点を強調するために、わざわざ「親」ではなく「父母」にした。そこであえて、これまで子どもの教育に後ろ向きだった父親を担ぎ出すために、「PTA会長は男性」という傾向が、各地で進んだのではないか。こうした仮説が成り立ちえよう。

3 なぜ、男性(だけ)がPTAを語るのか

男性による語り

 前回ふれた、『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版、2022年)の著者・岡田憲治は、刊行後、「朝日新聞」の記者によるインタビューで、「PTAについて語ることは、明らかにジェンダーの問題をはらんでいます」としたうえで、次のように語っている。

 父親たちが役員に増えると、空気も変わりました。父親がPTAに関わることが少なかったのは、必ずしも男たちの参加意識が希薄だったのではなく、参加の機会や条件が整っていなかったという面も大きい。前例踏襲で変えてこなかった慣習を少し変えるだけで、組織を軟化させ、新鮮な血液を送り込むことができるかもしれないということです(10)。

 岡田もまた、先にふれた行政評論家の大原みはると同じく、「平日昼間」というハードルによるものだ、という環境要因を挙げている。しかし、この前段での発言は、「PTA会長は男性」の理由を考えるうえで貴重な示唆を与えてくれる。

 例えばちょっと教育委員会に問い合わせする場合も、一回り年上で男性で大学教授という肩書を持つ僕と、専業主婦の女性の場合とでは、先方の対応が明らかに違ったりする。残念ですが、まだまだそういう男女の不均衡に根ざしたモードが残っている。それによくよく注意しないと、男の書くものは、自分のアドバンテージに無自覚で、手柄自慢の臭いがするようなものになってしまいがちです(11)。

 PTAに関するここでの岡田の言い分は、先に述べた環境要因とつながる。教育委員会をはじめとしたPTAの外が、男性>女性という視線を送っている、というのである。これもまた、「平日昼間」と並ぶ外側の状況であり、「父親がPTAに関わることが少なかった」理由の説明としては妥当だろう。
 けれども、反復してしまうものの、岡田のことばもまた、「PTA会長は男性」を説明してはくれない(12)。ヒントは、岡田がここで述べているように、「男の書くもの」という点にある。PTAに関わる人たちは、圧倒的に女性が多いにもかかわらず、PTAをめぐる語りの大部分は男によるものである。岡田にインタビューした「朝日新聞」記者の石川智也が説くように、「いわゆる「PTA本」は男性著者によるものが多く、圧倒的に男のディスクールでした(13)」。
 この点は、今回の冒頭でふれた近況につながる。
 わたしは、地元の祭りを「男の世界」だと感じた。この感覚は、「PTA本」にも通じる。男だけの世界、男だからこその書き方、男ならでは、の視点……。こういった、いまはポリティカルに正しくない、差別だと取られかねない感覚を抱く、その背景は、「PTA会長は男性」という点とつながるのではないか。

 次回は、この問いへの岡田の答えをきっかけに、岡田自身の著書での「男のディスクール」としての特徴を、ほかの事例(「イクメン」や男性の育休)と照らし合わせながら、「PTA会長は男性」の理由を、引き続き探りたい。


(1)「I あらゆる分野における女性の参画拡大」(https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r05/zentai/pdf/r05_genjo.pdf)[2026年2月16日アクセス]
(2)PTA運営ガイドライン検討会議『PTA運営ガイドライン――これからのなごやのPTA』名古屋市立小中学校PTA協議会、2023年、10ページ(https://www.pta-nagoya.jp/images/202301/ptaguidelinenagoya01_u3yxba9jmkpflgs1wv7d_u3yxba9jmkpflgs1wv7d.pdf)[2026年2月16日アクセス]
(3)「令和4年度 学校基本統計(学校基本調査結果)「名古屋の学校」」「名古屋市」(https://www.city.nagoya.jp/shisei/toukei/1003703/1003773/1004041/1034906/1004043.html)[2026年2月16日アクセス]
(4)「御園小学校と名城小学校の統合に向けた取り組み」「名古屋市」(https://www.city.nagoya.jp/kodomo/schools/1027693/1016995/1016810/1016833/1016892/1016894.html)[2026年2月16日アクセス]
(5)前掲『PTA運営ガイドライン』10ページ
(6)「父親も就任、PTAの「母親部長」 地域によって残る性別役職名 「時代にそぐわない」見直しも」「熊本日日新聞」2022年11月21日付(https://kumanichi.com/articles/859289)[2026年2月16日アクセス]
(7)大原みはる「PTA参加者の「男女の偏り」を引き起こしている「そもそもの要因」――「平日昼間に強制参加」というハードル」「現代ビジネス」2022年4月7日(https://gendai.media/articles/-/93952?page=4)[2026年2月16日アクセス]
(8)岩竹美加子『PTAという国家装置』青弓社、2017年、130ページ
(9)同書136ページ
(10)石川智也「PTAを「魔界」「義務」「苦行」から解放し、再び「民主主義の学校」にするために――なぜ野党が勝てないのか、そのヒントもPTAにある 政治学者・岡田憲治インタビュー」「論座アーカイブ」2022年5月17日(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022051300001.html)[2026年2月16日アクセス]
(11)同記事
(12)ただし、岡田は、ここで「PTA会長は男性」の理由を説明しようとしているわけではない。
(13)前掲「PTAを「魔界」「義務」「苦行」から解放し、再び「民主主義の学校」にするために」

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第1回 PTAとわたし

鈴木洋仁(すずき ひろひと)
(神戸学院大学現代社会学部准教授。専攻は歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』〔青土社〕など)

1 なぜ、PTAなのか

「子どものため」への違和感

 なぜ、自分が楽しい、とか、楽しむため、ではいけないのだろう。おそらくどこのPTAでも言われる「子どものため」への違和感が、この連載のもとにある。
「子どものため」というかけ声に素直に応じられない。建前、隠れ蓑、言い訳にして、何かをごまかしたり、見ないことにしたりしているのではないか。ずっと引っかかっている。この違和感の正体を見つけたい、それが、この連載を始める動機である。
 では、素直になればすむかといえば、そうではないだろう。「子どものため」に違和感がある、と書くこと自体、わたしは後ろめたい。「子どものため」で何が間違っているのか、それ以上に何があるのか。そうも思う。ボランティアで無心に取り組めばいいし、そうする以外になかったのではないか、そうも思う。この違和感は、実は、現時点ではほぼ消えかけているのも確かなのである。
 わたしは、2021年度から22年度、娘が通う小学校のPTA役員を務めた。それは事実であるものの、では、胸を張ってその成果や体験を自慢したり後悔したりできるかと言えば、そうではない。
 PTA=Parent Teacher Associationという組織について偉そうに何かを語れるほど全身全霊を傾けたわけでもないし、逆に、何かを声高に批判したいほどの恨みもない。わたしがもう役員を務めておらず、喉元過ぎれば熱さを忘れているからだし、物言えば唇寒し、のように、何をどう書いたとしても、不利益が生じるのではないかと恐れているからでもある。
 PTAを語ることばは、たとえば、「ダイヤモンド・オンライン」で連載されていた「大塚さん、PTAが嫌すぎるんですが…(1)」のように、問題点の指摘と改善策の提示のセットで示される場合が多い。
 もちろん、上記の連載を担当したライターの大塚玲子をはじめ、PTAの実態を世の中に知らしめることはとても貴重である。幽霊の正体見たり枯れ尾花、のように、必要以上に怖がってしまっているかもしれないし、反対に、「おっかないPTA(2)」もあるのだろう。

PTAからみたいもの

 わたしが体験したPTAがよかったのか悪かったのか、それをここで明らかにしたいわけではないし、後述のように、語る難しさもある。「子どものため」と言っている人たちを批判したいわけでもないし、それが間違っていると言いたいわけでもない。問題は、なぜわたしが「子どものため」に違和感を覚えるのか、であり、あくまでも個人的な感覚を出発点にしたい。何が原因でこの思いに至ったのか。どういった理由があるのか。こうした点を、「わたし」の経験をもとにしながら、属人的な、つまり、わたしだけの要素に帰着させるのではなく、逆に、より社会的に共有できる角度からみていきたい。
「子どものため」に違和感を抱く/抱かない、のラインをどこで引くことができるのか。それは、もちろん個人差や地域差、時代の差があるだろう。人それぞれだし、歌は世に連れ世は歌に連れ、という具合に、時の流れに反映させられるだろう。
 だからこそ、「わたし」やいろいろな人の体験談を通して、少しでも普遍的な見方へと伸ばしたい。普遍的とまで大げさにならなくても、より広くわかちあえる話題としてPTAを考えたい。
 なぜなら、PTAにはまず、日本的な組織の功罪が集約されていると考えるからである。日本人らしさ、日本的なるもの、日本っぽさ、そういったものをまとめて煮詰めた集まりがPTAではないか、と思うからである。
 と書きながら、「功」をどこまで取り上げられるのか心もとない。かといって、「罪」の部分だけをみていても詮ないにちがいない。無理をするつもりも忖度するつもりもない、と書いてみたものの、そう簡単ではないだろう。
 娘がまだ小学校に通っているから、変なことを書いたら不利益があるかもしれない、というだけではない。何をどう書いたとしても、わたしの立場が問われる。「偉そうなことを書いているわりに、あなたは何をしたのか」とか「それはあなたの感想ですよね」と返される。ここにこそ、PTAを扱う意味がある。

PTAを語る/PTAの語り

 日本語圏で学校と関係するかぎり誰もが多かれ少なかれ関わっているゆえに、みんなが何かを言いたい。その半面、実名で顔を出して堂々と意見を言えるかといえば、それほど解放されているわけでもない。
 ここで「日本語圏」とまわりくどく書いたのは、エリアとしての日本に限られないからである。海外の日本人学校、たとえばタイのバンコクの日本人学校のPTA(3)は、日本国内とほとんど変わらない、もしくは、それ以上に大きな組織を擁する。役員だけで41人にのぼるPTAは、国内でもなかなかみられないのではないか。
 重要なのは、バンコクでも巨大なPTAがある、それも日本的なPTAがある、という事実である。場所としての日本にとどまらず、日本人らしさを象徴するような何かがPTAにあるから東南アジアでもみられるのではないか。
 とはいえ、PTAを語るのは難しい。いい思い出があっても、苦い記憶があっても、どちらも簡単ではない。前者なら差し支えなさそうなものの、プライバシーの問題だけではなく、「自慢話」とか「偏見」、「恵まれている」といったやっかみにさらされる。後者では逆に、何を書いても「悪口」「誹謗中傷」ととられかねない。わたしもまた、こうした難しさのなかにいる。
 PTAを語ろうと思うのは、そこで見つけた何かがあるからであり、語りたいものがあるからにほかならない。より正確に言えば、見つけた何かが何なのかを探したいし、語りたいものを見つけたい。
 いまの段階では、まだはっきりとしているわけではない。でも、文字として残しておきたいし、残すことによって、ほかの誰かの話を聞いてみたい。研究対象として割り切れないからこそ、その割り切れなさの正体を見たい。
「子どものため」への違和感が、ここにつながる。

2 わたしにとってのPTA

何をしたのか/していないのか

 このあたりでようやく、わたしが実際に何をして、何を思っているのかを語ろう。
 わたしは、娘の小学校入学と同時にPTAの役員を務めることになった。1年目は会計、2年目は会計監査を担当した。その間、いくつかの出来事があったし、それについての考えもある。
 あのとき、あれをしていたら、これをしなかったら、と後悔ばかりが募る。もっとできたことはたくさんあったはずだし、言わなければよかったことばかりだった。その一つひとつを反省していけば、それなりの分量にはなるし、いくつかの教訓を引き出せるだろう。
 ただ、ここでは、個人情報が云々でも、他の人のプライバシーを守るためでもなく、あるいは先に述べたように語りにくいからでもなく、わたしの体験を具体的に書かないように努めたい。それは、これまで述べてきたように、わたしのPTA体験を美談として語ろうと、苦い思い出として語ろうと、わたし自身をはじめ誰か個人に責任を求めたいわけではないからだ。
 わたしがどこで成功/失敗したのか、という個人的な体験をもとにした、いわば当事者研究のような方向はありえるだろう。オートエスノグラフィーとして、自分を素材に考える道も考えられる。
 たとえば、この連載の次回で触れるPTA体験本、それも男性の著者によるものはときおり出版され、話題になる。昨年も、政治学者の岡田憲治による『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版、2022年)が高い評価を得た。詳細は次回に譲るが、男性によるPTA体験記は、往々にして「びっくりルポ」に傾きがちになる。その理由とわたしの見解は次の回に譲るとして、単発的にPTAの本が出て話題になる、そこに注目したい。

PTAのジェンダー差

 こうした「男性によるPTA論」がしばしば話題になる、それをふまえて、ここでジェンダーについて考えたい。「子どものために」と並んでずっと考えていたのは、ジェンダーについてだからである。
 PTAはほとんど女性によって担われている一方で、会長の多くは男性ではないか。この直感は、データに裏打ちされている。内閣府男女共同参画局が毎年公表している「男女共同参画白書」の下記のデータをみよう。


(出典:内閣府男女共同参画局「令和4年度男女共同参画社会の形成の状況」〔https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r05/zentai/pdf/r05_genjo.pdf〕)

 最新の2023年版では、PTA会長のうち、82.6%が男性である。男性と女性、その2つに当てはまらない性のカテゴリーをめぐってはこの連載でも扱う予定なので、その話題は置こう。
 15年前の2008年時点で10%だったことを思えば、この間に1.7倍に増えた変化をもって男女共同参画が進んだ、と言えなくもない。多いと言われるPTAでも役員の男女比は50%と50%程度だとみられる以上、会長の男性割合は偏っていると言わざるをえない。
 行政評論家の大原みはるが指摘(4)するように、「ヒラの委員などまで含めた「実働レベル」での男女比について、全国的に調査した公式データ」がないと思われること、もとより、「平日昼間に強制参加」という高すぎるハードルがあるPTAがまだまだ大多数ではないのか。
 PTAとジェンダーの関係はこの連載全体を通して考えていきたいし、それによって、いろいろなテーマをみやすくできると考えている。
 もとより、この関係は、岩竹美加子の名著『PTAという国家装置』(青弓社、2017年)を貫く視点だったし、岩竹は、直近のインタビューでも「個人的な意見として、PTAが特にたくさんの母親を苦しめている(5)」と語っている。
 本を1冊費やしても語り尽くせないほど多岐にわたる論点をもっているのが、PTAとジェンダーだと言えるだろう。

3 エスノグラフィーという方法

エスノグラフィーとはいえ……

 この連載の方法について述べよう。
 エスノグラフィーとは、ethno=民族の、graphy=書く、この2つの言葉から成り立っていて、ある民族について何かを書くこと、である。
 たしかにPTAもまた、ある種の民族性、「異文化」だったり、「他者」だったりする性質をもっている(6)。会社や組織からみれば、何かが異なっていたり(「異文化」)、よそよそしかったり(「他者」)している点で、エスノグラフィーの対象として当てはまる。それとともに、完全なる「異文化」でも「他者」でもない。先に書いたように、日本人らしさや日本っぽさを集約した存在とも考えられる。ここまで書いてきたように、奥歯に物が挟まったようにしか語れない隔靴搔痒感を招く、その何かを生み出すものとしてPTAはある。
 PTAをカルトじみた団体だとはとても言えないし、実際にそうではない。おそらく、日本にあるほぼすべての集団がそうであるように、外からみれば、いろいろと「おかしい」ところがある。その「おかしい」ところは、犯罪にあたるわけでもないし、反社会的な行為でもない。PTAの役員を務め始めたときのわたしは、そう思っていたからである。もっと「普通の」組織にすればいいのに、もう少し「楽に」なるように変えたい、そう思っていた。
 この連載では、こうしたわたしの思いや失敗をもとに、いくつかのテーマに即して考えていきたい。この点で、つまり、自分自身や自分自身のなかにある違和感を「異文化」や「他者」として扱って書いていくという点で、ethno=民族の、graphy=書く、ものになればいいともくろんでいる。
 もちろん、わたしだけの話を並べるのではなく、これまでに話を聞かせてくれた人たちの語りや、これまでに公にされていることば(本、雑誌、ネット記事など)ももとに書いていく。

読者のみなさんへのお願い

 もしできるなら、この連載を読んだみなさんからも、ぜひお話をうかがいたい。連絡先は、この文章の末尾にあるわたしのメールアドレスまで直接でもいいし、不安な方は、このウェブサイトを運営している出版社の青弓社宛てにいただければ幸いです。
 わたしは、エスノグラフィーの専門家ではないし、また、PTAの専門家でもない。読者のみなさんと一緒に、PTAについて何かを思ったり、考えたり、発言したりする、そうした素人の立場をもとに、できるだけ多くのテーマを考えたい。
 社会学者であり、なによりもひとりの人間として、プライバシーを暴くことも個人攻撃をすることからも、厳しく身を離さなければならない。
 ブログのような個人発信ではなく、出版社、それも信頼のおける学術出版社が運営しているサイトでの連載だからこそ、個人情報の保護をはじめとしたさまざまな注意は十分すぎるほどに配慮してもらえる。
 おおむね月に1回程度の更新とはいえ、連載形式、それも、そこそこの文字数(6,000文字弱)は初めてなので、予定どおりに進まないこともあるかもしれない。その点も含めて、また、そのときどきの時事的な話題も取り込みながら、PTAを通した日本、特にジェンダーという観点でみた日本社会を、いろいろな角度から考えていきたい。
 その先にみえるものは、PTAなんていらない(不要論)でも、やめてしまえ(廃止論)でもないだろう。かといって、PTAをほめたたえる(礼賛論)わけでも、あきらめる(諦念)でもないにちがいない。
 PTAそのものの是非を、ああでもない、こうでもない、と口角泡を飛ばすというよりも、その組織や、そこでの体験をきっかけに、さまざまなことを論じていきたい。しばし、その道程にお付き合いいただけると幸いです。
 次回は、先に述べたように、政治学者の岡田憲治による『政治学者、PTA会長になる』をもとに、「PTAと男性」をテーマに考えよう。


(1)「大塚さん、PTAが嫌すぎるんですが…」「ダイヤモンド・オンライン」(https://diamond.jp/category/s-pta
(2)「PTAを保護者が恐れる最大の理由、悪名高い「ポイント制」なぜなくならない?」「ダイヤモンド・オンライン」(https://diamond.jp/articles/-/320729)での大塚の表現から。
(3)「バンコク日本人学校PTA」(https://www.tjas.ac.th/bkkpta
(4)大原みはる「PTA参加者の「男女の偏り」を引き起こしている「そもそもの要因」――「平日昼間に強制参加」というハードル」2022年4月7日「現代ビジネス」(https://gendai.media/articles/-/93952
(5)「PTA活動どう違う ジェンダーギャップ指数上位フィンランドと日本」2023年9月5日「朝日新聞デジタル」(https://digital.asahi.com/articles/ASR804R2FR8QUHBI01G.html
(6)藤田結子「エスノグラフィー」、藤田結子/北村文編『現代エスノグラフィー――新しいフィールドワークの理論と実践』(ワードマップ)所収、新曜社、2013年、21ページ

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