人生はアップデート――書くことの原動力――『妾と愛人のフェミニズム――近・現代の一夫一婦の裏面史』を出版して

石島亜由美

 本書が刊行されてから数週間がたった。印刷に回るギリギリまで校正をして、見れば見るほど修正したい箇所が見つかり、自己嫌悪に陥りながらもなんとか締め切りに間に合うように作業の区切りをつけて原稿を送り出した。そのあとはできるだけ原稿のことは考えないようにして淡々と日常を送ろうとしたが、気持ちを切り替える間もなく、ついさっきまで握り締めていたと思っていた私の原稿は書籍という印刷物になって目の前に現れ、あれよあれよという間に書店に並んでしまった。ネットを検索すれば「Amazon」でも簡単に買えるようになっている。本書の「はじめに」もウェブ上で試し読みができるようになっている。私が書いたものが私のもとを離れて、一冊の本として社会に流通してしまった。不思議な気分である。カバーに印字された「石島亜由美」という著者名を確認して、私は石島亜由美で、これは私の本なのだ、私は本を出版したのだと、いまさら照れくさい気分にもなっている。

 本書のタイトルは『妾と愛人のフェミニズム――近・現代の一夫一婦の裏面史』である。「妾」と「愛人」という存在を取り上げるのは、やはり勇気がいることだった。妾や愛人と聞けば、「夫の浮気相手」として非倫理的な存在という認識が一般的にあるだろう。そんな女性をフェミニズムが擁護するのかという批判の声が聞こえてきそうだ……。
 本書の議論は、妻の立場に揺さぶりをかけている。一夫一婦の法制度とジェンダー規範が確立した近代以降の日本社会では、妻は正しい存在であり、フェミニズムでもその立場は夫と対等になるために称揚され、妻の役割を肯定的に語ることが長い間の関心事だった。本書では、そうしたフェミニズムの経緯に水を差している。一夫一婦を支柱とした妻の問題を、妾・愛人の議論から照射しているのである。したがって、フェミニズム内部からは、女性間の対立の構造を深めるのではないかという声も聞こえてきそうだ。フェミニズム内外から飛んでくるだろう批判の声を感じ、おびえながら私は原稿を書き上げた。

 そして現在、出版されて数週間のためか、主だった批判の声はまだ私の耳には聞こえてこないが、意外だったことがある。本書の「はじめに」で、私がこのテーマに取り組むことになったきっかけを述べているが、その理由の一つに私の母親との確執があった。私が選択した道を「正しくない」と言って批判したうちの一人は、実は私の母親だったのである。その母親が私の本を読んで、この出版を心から喜んだのだった。「はじめに」に書いたそのことについても自分のことが書かれているとわかったようで、そのうえで「あのとき言い合ってよかったね」と、信じ難いほど前向きな感想が母親の口からもれたのである。
 本書を出版することは事前に母親には伝えていたが、出版は喜んでもらいたくても、本の内容、中身までは知られたくないという気持ちが強かった。せめて書名とカバーだけを眺めて、あとは何も考えないでページをめくらないでほしい。そのまま実家の仏壇の前に置いておいてくれと祈るような気持ちだったが、見事にその期待を裏切り、母親は読んでしまったのだ。読んだら落ち込むだろうと思っていた。複雑な気持ちになって、過去にこじれた関係もそのまま墓場までもっていかれてしまうのではないかという恐れを抱いていたが、杞憂だったとわかった。本書を書く原動力の一つだった母親との確執、私が身体に刻んできた過去のトラウマの一つが、この一言で吹き飛んでしまうような出来事だった。書くことでネガティブな経験は乗り越えられるということを、身をもって実感した出来事だった。

 もう一つ、この出版で私が乗り越えることができたと思うことがある。それは、大学を離れても研究を続ける原動力を失わず、自分が腑に落ちる在野での研究スタイルを見つけられたことである。私は女性学専攻の大学院に入って博士号を取得し、そのまま大学の研究職に就いたが、8年あまりでその道を断念して鍼灸師に転職した。大学を辞めるとき、大学を離れても研究は続けることを自分に課したが、鍼灸師の資格を取るために今度は専門学校に3年通い、国家試験を受験して資格取得後は臨床の現場に出ていく(しかも2つの治療院をかけもちした)という状況下で、二足のわらじを履くというのはそう簡単なことではないと悟った。
 今回の出版に際して、SNSをエゴサーチしていると、私が「鍼灸師」であることに反応しているツイートがあった。人文の世界からすると、鍼灸師で書籍も出版していることが面白い経歴として見られるかもしれないが、治療の世界では中途半端な存在として扱われる。専門学校を卒業して同級生が正社員として就職、あるいは独立・開業して鍼灸師としての腕を磨いていくなかで、私はアルバイト生活を送ってきた。バイトに通うだけで精いっぱいで、周囲が修練に費やしている時間を、私の場合はすべて原稿を書く時間につぎこんだ。同級生とはこの2年、私が執筆にあてた時間の分だけ実力の差が開いてしまったが、とにかく私は自分の意志を貫いた。二足のわらじでもなんとかやっていくことができる。大学を辞めたという過去を乗り越える出来事となった。

 ネガティブな経験は書くことで乗り越えられる。それが本書を出版して、いま、私が感じていることである。最後にもう一つ、いまだから言えることがある。本書を出版した青弓社は筆者が憧れた出版社だった。私は学生のときに青弓社の就職試験を受けていた。本当は青弓社の編集者として仕事をしたかったのだ。しかし、見事にその試験に落ちていたという過去の傷がある。無鉄砲だった当時の自分に恥じ入る気持ちを抱えたまま時は過ぎたが、そのときの記憶は本書の出版によって「苦い思い出」として、人に対して語ってもいい出来事に変化していることに気づく。ネガティブな経験や記憶は完全に消えることはないけれども、新しいチャレンジによって書き換えていくことはできると思う。本書をつくってくれた青弓社のみなさんに感謝して、「おわりに」で書いたことをもう一度ここで言いたい。今日のこの日の気持ちを「20年前の自分に伝えてあげたい」と思う。
 

生きている人間を推すからこそ“変人”となる勇気を――『宝塚の座付き作家を推す!――スターを支える立役者たち』を出版して

七島周子

「七島さん、郵便がきてるよ」
 2021年の冬、出社すると青弓社からの封書が届いていました。
 私は編集者で出版社勤めをしているとはいっても、美容師や美容業界向けの業界誌を制作する会社。ほかの出版社から封書が届くのは珍しく……、それで違和感があったのかも。隣の席の先輩が教えてくれました。
 それが拙著『宝塚の座付き作家を推す!』が生まれる最初の一歩。この依頼は、当時私があるヘアカタログサイトで連載していた、好きな座付き作家を好き勝手に紹介するコラムを見つけてもらってのことでした。
 この連載自体は、同サイトの編集長からじきじきに依頼を受けた正式な仕事ではあったけれど、媒体はヘアカタログサイトだし、編集長も美容業界誌の編集として新人時代からお世話になっているいわば“兄弟子”のような人だったため、心のどこかで「美容の仕事」と一続きのものと思っていました。小さな自宅の庭で気の置けない家族とつつましく野菜や花を育てているような、そんな感じ。それを「世の中に出荷しませんか」と。これには大変驚き、率直にうれしくワクワクしたのを昨日のことのように覚えています。
 業界は違えど同じ編集者の目線から見ても、私の連載はいわゆる「バズっている」ようなものでもないし、私自身もまったく無名。それを見つけて出版の決裁をするの、同業者として感服です。すごい勇気と決断……! また、書籍執筆が初めてで、どこもかしこも未熟な私の論を「おもしろい」と評価してもらったことは支えになりました。

 青弓社が「おもしろい」と言ってくださるように、私の視点はかなり変わっていると思います。まず、そもそもタカラヅカというスターシステムがウリのコンテンツで作家の話を必死にしているの、はっきり言って“変人”です。
 さらに、彼ら/彼女らの作品を評価する観点もだいぶ変わっています。仮に私と同じように作家に興味をもつ読者だったとしても、きっと共感を集めることはないでしょう。「作家を推す!」と冠していますが、“推しカルチャー”の根本ともいえる「“好き”を共有してつながる」ということは期待できない本です。
 なぜそんな本になったかというと、本書全体で述べたいのが、“推しカルチャー”のなかでの作品受容は「“推し”に対する“好き”がすべて」という風潮が強いことへの疑問だったから。もちろん、推し活そのものは「“好き”がすべて」でいいと思います。ですが、その“推し”が出ている作品、その人が関わり残す仕事に対して「関わっているから尊い」だけでいいのか?、 それって本当にその“推し”は喜ぶの?と常々思っていたのです。

 その疑問の背景にあるのは、まず一つに、その“推し”も生きているからということです。私はタカラヅカに始まり、いろんなものや人を推してきた半生でしたが、いつも「生きている人間を推すってなんて怖いことだろう」と思ってきました。彼らにも人生があるのに。
 タカラヅカ以外の俳優やアイドルのファンなどが特に顕著ですが、たとえば恋愛・結婚や脱退、引退など、本人のライフステージに関わることに対して「こうあるべき」を振りかざすことは普通におこなわれていて、そうやって「正しさ」で導くことが“推し”を応援することだと思われているふしもあります。私は25年間「生きている人間を推す」ことをやってきましたが、あらためて順応したくない価値観です。そして、本当に“推し”の人生を尊重できる応援の仕方を心がけ、模索してきました。
 タカラヅカは音楽学校に始まる「学校システム」から、“推される人たち=生徒”の人生に対してファンが干渉しづらい仕組みができています。そんなタカラヅカだからこそ、単に「贔屓がかっこよければいい」「贔屓や相手役をすてきに(ファンが願うとおりに)見せてくれる作家こそが正義」というだけでなく、もっと多様な作品の楽しみ方を提案できればと思いました。拙著にラインナップした12人の“推し”座付き作家たちの共通点は、作品の出来・不出来やファンを喜ばせることが得意かどうかではなく、生徒たちの役者としての成長やキャリアアップに寄り添うように作品をつくる、まさに「先生」として私が愛せる人たちだということはここに補記しておきます。

 もう一つは、先に述べたようにタカラヅカの作品は生徒と先生の成長と人生観を投影したものですが、それと同じくらい観劇するという行為そのものが、本来は観る人を映す鏡だと思うからです。私が胸を打たれる作品に「生徒たちのよき師」としての座付き作家の姿勢を感じるのは、私自身の宝塚音楽学校受験の経験に基づいていると思います。さらに、いま身を置いている美容業界も師から技術を受け継いでいく教育産業なので、ことさらにその点に思い入れをもつのだとも分析します。だからこそ「変わって」いて、多くに共感されるマジョリティにはなりえません。
 しかし、これは何も私だけの特別な事情ではなく、本来は観客のみなさん一人ひとりにそういった人生の違いがあるはず。仕事も境遇も育ちも何もかも違う人たちが一つの同じ作品を見て、まったく同じ感想で「共感」しあおうとするのって、本当はとても違和感があるな、と。先に述べた「「関わっているから尊い」でいいのか?」というのは、作品の良し悪しをもっと批評すべきということではなく、せっかくなのだからもっと没入しようよ、という提案でもあるんです。まったく違う人生を生きている人たちが一堂に会し、一つの作品を見る。その人生によって、同じ場所で同じ時間に見ても、感じ方がまったく違うかもしれない。それが自由であることが舞台や映画、ライブを鑑賞する醍醐味ではないでしょうか。

 とはいえ、本来その「違い」が怖いから、現代人は「“推し”が好き」ということでつながり安心したいのだということも見当がついているのですが……。それでも、せっかくその“推し”たちが生活のほとんどをなげうってつくっている作品に、こちらも同じくらいの熱量で没入することが彼らに対する敬意であり、何よりの応援ではないでしょうか。
 私が自分の「小さい庭」から大切に育ててきたものをみなさんに出荷してお役に立てることがあるとすれば、共感していただくことではなく……、もっと広く深く自由に作品読解の畑を耕し、心の土壌を肥やすことができる方法の提案。舞台観劇を通してご自身の心をもっと深く知ることができるような、小さな鍬のような存在になれたら幸いです。