関口義人
2003年に青弓社から上梓した『バルカン音楽ガイド』から数えてちょうど10冊目となる今回の本は、なんと「ヒップホップ」がテーマだ。自分でも意外と言えば意外だった。何しろバルカン、ブラス、ジプシー、アラブ、ベリーダンスというここまでの流れの先に「ヒップホップ」なのだ。青弓社と出版を合意したものの、昨年(2012年)末までは資料集めや全体の構想の決定だけに相当まごまごし、書き始めたのは年が変わってからだった。私自身長い海外生活の結果、自分の“いわゆる”アイデンティティーが希薄になり続け、どこに立っているのかが見えにくくなった。そんなときに語りかけてきたのが「ラップ」であり、聞こえてきた音楽が「ヒップホップ」だった。この音楽には、アメリカという故郷はあっても、長じた先の環境は世界中のいたるところにあるとしか言いようがないのだ。そこに焦点を絞って書いていこうと決めたものの、そこに行き着くまでの論議が薄っぺらでは説得力がない。そこで結局、ヒップホップ生誕の地であるブロンクスからまずはアメリカを縦横無尽に走り抜け、イギリス、日本を巡って世界の五大陸へと筆を進めることになった。
私が「ヒップホップ」を愛聴しはじめて15年になる。しかしここで書きたかったのは自分のヒップホップ愛ではない。
1989年(東欧革命)、2001年(アメリカ同時多発テロ事件)、11年(東日本大震災)と世界(そして日本)が激変し、自分たちが生まれた惑星である地球の様相が一変してしまった現在、世界を見渡す羅針盤としての意図せざる役割がヒップホップには生じた気がする。実は日本のヒップホップは世界的に見ても非常に特殊な内容を表している。それはそのまま日本社会が歩んできた「移民なき国家」の姿であり、それゆえに20年遅れてやってきた階級社会の図でもあるのだ。
一方で世界は良くも悪くも20世紀の前半に既に階級社会が定着した。そこに生じた労働、経済、言語、社会、宗教、文化などの対立やら闘争なりが“くびき”として市民社会の上に重くのしかかった。世界が東西に分断された1945年以降も、その分岐線が南北に分かたれた80年以降の世界でも、問題の基軸の一つが「移民」だったのだ。そしてこのテーマにもっとも敏感かつ過激に反応したのはどこの国でも10代の若者たちだった。そしてそんな彼らが放ったのが「ラップ」だったのである。社会に放たれた異物としての「移民」にとっては生死をかけた一生に一度の賭けなのだ。言葉も不自由で、社会制度にもなじめない土地で彼らが獲得した、同胞との連帯とそれを支えるコミュニティー、そしてそこで交わされるコミュニケーションとしてのラップとヒップホップの激しいビートは、そのまま彼らの生の叫びであり、取り上げられるテーマは彼らの日々の苦しみなのだ。
私が本書のタイトルに「断層」の語を選んだのはそういう理由による。それは移民としての身分の問題や、そこで加えられる差別の問題もあるし、ときには移民同士のなかにさえ火種が燻る。ヒップホップ発祥の地アメリカ東部にあっても、この音楽は明らかに移民生活を続けた人々やその子どもの世代に起爆した。それはあくまで「遊び」や「集い」のなかにしか娯楽や楽しみを見いだせなかった彼らの日常のフラストレーションの発散の手法だった。しかしやがてこの文化をになった1980年代のヒップホップ後継者たちが、そこに政治や社会的意見を持ち込んだ。ここにはじめてアメリカのブラックピープルによる言論が立ち上がったのだ。その意味で、これまでにアメリカに響いたブルース、ゴスペル、ソウル、ジャズなどの黒人が中心に発展してきた音楽と“ヒップホップ”は根本的に相違がある、と私は考えたのである。
8章からなる本書には1,000人にも及ぶ「ステージネーム」の保有者の名前が登場する。ヒップホップに関わるDJやトラックメーカー、ラッパーなどはほとんど自らのサイン代わりにステージネームを採用し、その名前で活動する。そういうこともあって読者、ことにヒップホップになじみがない読み手にとって本書には咀嚼しにくい部分も多々あるだろう。しかし、それこそがこの文化の根幹に関わる要素であるのだから、お許し願うしかない。
一方で普段からヒップホップをライブや音源で聴いている人々に本書がどう受け取られるかに私は大きな関心をもっている。固有のラッパーやDJについての好き嫌いにはあまり言及せずに、彼らが残してきた作品を中心に周囲の状況などとも絡めて解説を加えた。世界中で響くラップをその国の言語で理解できるリスナーは世界を探してもそう多くはいないだろう。“ことば”の表現であるヒップホップには結果として(言語の)「壁」が立ち塞がる結果になる。しかしそれが世界の現実だし、世界とはそうした場所なのである。移民はまず、その壁と闘いながら新たな土地での生活を築いていかなければならないのだ。世界に断層が存在すること自体は否定してもはじまらない。しかしそれらの対立や軋轢が人々の対話や粘り強い交渉によって、または「ラップ」の応酬によって平和裏に解決されることを心から願って、本書を書き上げた次第である。相当に疲れた。しかし充実した仕事になった。