杉淵洋一
水滴が着水すると、水面に波紋が広がっていく。第一の波紋が、有島武郎が小説『或る女』を世に送り出したときだとするならば、1926年のパリでのフランス語版『或る女』の出版を第二の波紋としてとらえることも可能だろう。本書はこの第二の波紋について、その原因となる水滴がどのように構成されたのか、そして、どのように水面を波紋が広がっていったのかについて、2人の翻訳者である好富正臣とアルベール・メーボンを起点として著者なりに考察をおこなった努力の痕跡である。あえて「努力」という言葉をここで使うのには、この書籍は2013年に名古屋大学に提出した「有島武郎の思想とその系譜」という博士論文が原型となっていて、もともとは研究論文として書いたものが大部分だからである。
有島武郎が自宅で主宰していた学生サロン「草の葉会」の芹沢光治良、谷川徹三、大佛次郎といった参加者たちが、有島について語った文章を読めば読むほど、有島武郎という人間が単なる作家という範疇に収まる人物ではなく、日本の近代化の一翼を担った人物として浮かび上がってくる。有島武郎の考え方や生き方は、当時の鎖国から解き放たれ、世界の列強と対峙する必要に迫られた日本の若者たちを激しく鼓舞していたのである。そういったこれまでの有島武郎像からは零れていた側面を本書では描きたかったのである。
そして、この書籍を上梓するに至るまでに、本当にたくさんの人々のお世話になってきた。もともとは研究のためにと書いた論文の集まりではあったが、お世話になってきた人々へ感謝の証しとして、博士論文から本書に書き改める際は、できるだけ日常的な表現を用いて、内容について理解しやすいような文章を心がけた。特に芹沢光治良の四女・岡玲子様や芹沢光治良の出身地である沼津の沼津市芹沢光治良記念館には、本書の出版にあたって貴重な写真や証言を提供していただき、そのご厚情には深く深く感謝する次第である。芹沢光治良が「世の中を裨益する人間になりたい」という思いを強く抱く一端となった有島武郎の社会に対して真摯な生き方を、芹沢文学の愛読者の方々には少しでも本書から感じ取っていただけることを願っている。また、ここ10年以上にわたって参加させていただいた愛知県常滑市の有志の方々が運営している谷川徹三を勉強する会にも深く感謝を申し上げておきたい。有島武郎と谷川徹三の関係について考察した章などでは、この会で学んだことが大いに役立っている。この会の会長であり、大学時代に谷川徹三の教え子だった杉江重剛様の谷川についての実像に迫った証言は、有島と谷川の具体的な関係性を示唆するところが多く、本書の執筆を大いに助けたことをここに付言しておきたい。
なぜ、有島武郎の『或る女』がフランス語に翻訳されたのか。それは、有島が、世界を渡り歩きながら、日本という国を牽引していくことになる当時の若者たちにとっての憧れの的だったからである。このような稀有な人間の実像について学ぶことは、SNSや移民などの問題によって21世紀の新たな意味での開国を迫られている我々にとっても、今後の社会が進むべき道を判断していくうえの指標にもなるだろう。本書が有島武郎という人間のすべてを描ききれているわけではなく、多くの点を見落としてしまっているところもあることは、私の力の至らなさによるものであり、その点についてはご寛恕いただければ幸いである。しかしながら、本書を手に取って、明治、大正という時代を駆け抜けるようにして去っていった有島の姿から、心に残る何かを感じ取っていただけるのならば著者にとっては望外の喜びである。
有島武郎の恩師である新渡戸稲造の「願はくはわれ太平洋の橋とならん」という言葉はあまりにも有名だが、新渡戸はこの「橋」について、「橋は決して一人では架けられない。何世代にも受け継がれて初めて架けられる」と述べたとされている。ある世界と別の世界をつなぐ橋は、思いを受け継いだ者たちによって、緩やかながら確実に架けられていくものなのである。私は本書を通して、近代化の最中にあった日本からヨーロッパに有島武郎の思いを乗せた虹の橋が架けられていく軌跡をわずかばかりでも描きたかったのである。