浅見克彦『愛する人を所有するということ』所有の罪を背負った愛

 愛を論じた書物はごまんとあるのに、さらにその数を増やしてしまった。「もううんざりだ」という声が聞こえてきそうだ。でも、著者が言うのもなんだけれど、この書き物にはそれなりに独自性があると思う。
 この書き物は、性愛を思想の観点から論じたものだ。にもかかわらず、いまどきの若者にうけている小説、ポップスなども、たんなる味つけとしてではなく、問題そのものを照らし出す素材として、真剣に扱っている。それは、いま、このときに愛と格闘している「普通」の人々の、ありふれた感覚によりそって考えたかったからである。思想書としては異例のスタイルと素材を採用して、それなりに冒険している点を、まず見てほしい。
 もちろん、いちばん目を向けてほしいのは、所有を焦点として愛を問う、その内容だ。愛する人を所有しようとする意識とふるまいは、これまでも問題とされてこなかったわけではない。しかし、一貫して所有を焦点としつつ、愛が所有を抱えこむわけを論じようとした書物はあっただろうか。この努力を通じて、愛にともなう所有の意識とふるまいの背景に、自我の問題があることを明らかにした点、これがこの書き物の核心だと言っていい。愛による撹乱と「狂気」にのみこまれまいとして、自分の理性的なまとまりをささえ、維持しようとする自我。読者は、一度は経験したことはあるだろう、あの愛のサヴァイヴァルを思い起こすはずである。
 所有的な愛の背景に自我の問題があるという話は、たとえ納得できるものだったとしても、けっこう重い。その重さと、愛に走る者のテンションは、どうもそりがあわない。このズレを、できるかぎり感じさせないものを作りたい、それが今回の書き物の課題でもあった。結果は、まだまだかもしれない。でも、ところどころすっとばせば、寝っころがってでも読めるものになっているのではないかと、自分なりには思う。
 とはいえ、愛は所有の罪をひきずっている、というのがこの書き物の主旨である。この「問題」を考えたところでは、おのずと文章は重くならざるをえなかった。どう言い換えても、そこには一つの倫理問題がある。誰にとっても性愛がとるに足りない事柄ではなく、生きていくうえでかなり大切なことである以上、そこでのお互いの関わりに罪が潜んでいて、居心地の悪い「問題」があるのだとすれば、人はお互いの関わり方をまじめに考え直さねばならないだろう。こうしたトーンが、重く気乗りのしないものだというのなら、私は甘んじてその批評を受け入れよう。その重苦しさは、私とあなた、彼と彼女が逃れることのできない、愛の現実からくるのだから。しかし、愛に重苦しい罪を見いだし、その美しく清らかなイメージを壊すことは、読む者を愛への不信と諦めに走らせるものだ、という非難に対しては、それは違うと声を大にして言いたい。
 それは、この書き物の望むところではない。だからこそ、愛への不信と怯えにとらわれたいまどきの若者たちのありようを問い、「どこか違う」という思いを表わさずにはいられなかった。他者との交わりを遮断する「シングル・セル」同士の愛を冒頭で描き、愛へのあきらめと怯えに苦悩するAYUの叫びで締めくくるという構成は、愛をめぐるいまどきの若者の意識と態度を、「問題」として強く意識していることの表われである。もちろん、ことは愛の「説教」でかたづくようなものではない。性愛が所有という罪と汚れを背負い、あるいは醜い衝突と離反を抱えこむものである以上、そこから身をひき、氷の殻に閉じこもろうとするふるまいは、理由のある避けがたいものなのだ。だが、そうだとしても、愛から身をそらすことに解決を見いだすわけにはいかないと思う。私も、あなたも、そして彼/彼女も、他者と強く深く結びつこうとする心の奥底の傾きを、その根から抜き去ることはできないのだから。
 そうだからこそ、自分がおかさざるをえない所有の罪を直視し、その背後にある自我の求めの危うさを知ることが、求められるのだと思う。そして、この自分についての自覚をつき抜けることによって、その先にまつであろう確かな愛にたどりつくこと、それがこの書き物の課題であり願いなのだ。重苦しい愛の罪と汚れのトンネルを抜け出す道筋を、この書き物は示せただろうか。せめて、その暗闇を歩む読者の足元を照らすものになっていてほしい。心からそう願っている。

坪井秀人『偏見というまなざし』「偏見」を語ること、「箱」を超えること

 『偏見というまなざし』というこの本の企画は、編集者の林桂吾さんが名古屋にいたときに私の研究室に何度かきて、ひととおりいまの文学や思想の状況について雑談を繰り返したあと、「なにかおもしろい本が出せないかなあ」という思いを漠然と二人の間で共有するようになったところで、すぐに動きはじめた。最初は、日本には翻訳をとおして文化研究(カルチュラル・スタディーズ)やメディア論の本はたくさん入っているが、日本の近代の問題を文化研究やメディア論などの視点から総合的に考える入り口になるような本があまりないのではないか、という問題意識から始まったと思う。
 その後、書いていただく執筆者の方々を決めていく過程で、このうちの「入り口」ということをより強く意識するようになっていった。いまでは文化研究を紹介し、それを日本のさまざまな文化状況に応用する本はいくつか出ているが、私たちのこの企画は、文化研究やメディア論の通俗化を慎重に警戒しながら、それらの原点である政治性を確認し、なおかつ、より身近な問題をとおして、日本の近代を平易な言葉で語り直そうというところに特徴があると思う。「入り口」と書いたのは、そういう意味においてである。
 そうした基本的な態度が「偏見」という本書のキイワードを必然的に呼び寄せたと言える。「差別」については多方面の領域ですでに多くのことが語られてきたし、今後も語られ問われていくだろう。差別も偏見と同様、私たちの日常のなかにごく普通の顔つきで転がっており、私たちはいつでもその主体にも客体にもなりうるような状況にある。だから偏見を考えることはまさに差別を考えることにほかならないのだが、あえて「偏見」ということばにこだわったのも、私たちの日常に、目に見える形でアクションとして露顕する前の、曖昧な様態をまずは点検してみる必要があると考えたからだ。
 もちろん「意識されざる差別」というものがあるわけで、いや差別というもの自体、もともと意識され自覚されることが少ない(ない)ところに最も根深い問題があることを前提にされるべきであることは言うまでもない。しかし、「意識されざる差別」と「偏見」とを区分けする径庭は(厳密ではないものの)じつはたいへん大きいのではないだろうか。偏見というものは手を差し出せば各人のすぐ目の前にあって触れているものだ。このことばがすでに視覚的な意味を内包しているように、それは私たちが生活のなかで感じていること、感覚や感性からダイレクトに繋がって派生しているものなのだ。私たちの「感じ方」を規定しているシステムを日本の近代のなかに辿り直しみるという試みは、だから直ちに大きな歴史(物語)の扉に到達することはないだろう。
 だが、こうした低い目線を選び取ることことこそ、私たち自身の行為や思想の責任の在処を問い直す出発点になりうるという考えを、この本の編集の過程で私は確かなものにできたと思う。
 ところで本書のもう一つの特徴は、ふだんあまり交流することの少ない多領域の書き手の方たちがその論考を通して顔を合わせたことだろう。それぞれの領域で現在、もっともヴィヴィッドに仕事をされている方たちに書いていただけたと自負している。ただ編者としてやり残したことがあるとすれば、論考のそれぞれが実際的に応答を重ねるような場を作ることだろうか。その応答の場はむしろいま、読者の皆さんのなかに委ねられているのかもしれない。
 私自身は学会などでは日本の近代文学研究というアカデミックな枠組みに帰属している人間だが、勤務先の大学の所属は「情報文化学部」というところにある。大学院は「人間情報学研究科」が所属先で、講座は学部も研究科もともに「情報創造論」という。ひとから「何をやっている学部なんだ?」とたずねられて答えに窮することが多い。こうした事情は私以外の同僚にとってもほとんど同じようで、文理融合をめざした情報系の学部・研究科という公式お題目的な説明はできても、組織がやっていること、やりたいことを一言で述べるとなるとじつにむずかしいのだ。もちろん大学は社会に対して情報を公開し、研究教育の実態に対する説明義務を負っている。私も数年前までは広報の仕事を任されて高校生たちの前で説明したり、進級する学生へのガイダンスを毎年のようにおこなって、学部などの説明はしてきている。だが、あたらしく構築された組織はしょせんは実践によって語る以外に語りようがない。いままでなかった学問領域は説明することによって成立するのでなく、作り上げることによってはじめてその顔を見せる。
 反面、こうした(横断的な)組織にいてもなお痛感させられるのは、大学というところがまだまだ「社会化」されていない、風通しの悪いところだということである。私のいるような組織に対しては既設学部の人たちからは比較的冷ややかに揶揄的に見下されることも少なくない。どうせ「便宜的」に新しい学問をでっちあげているだけだろうとか、伝統がないところで学問は育たない、とか。その一方で文学部・教育学部など既設学部の側からは、さまざまな観点から人文基礎学の危機を憂える声が煽るように呻くように聞こえてくる。このことは、大学では、内部的に既得権益も絡みながら、「発明された伝統」としてのアカデミズムの制度がまだほとんど疑われていないことを反照している。私のいる「学際的」な組織も現在、あらためて改組の荒波に直面している。
 以上のような事態はどういうことを提起しているのだろうか。簡潔に結論づけよう。大学が新しい領域を開拓することと、それを社会に向けて発信しつづける努力は今後も続けねばならない。しかし、それと同時に、大学という場所だけで知を鍛え上げられるなどというような思い上がった幻想はすみやかに廃棄されねばならないだろう。
『偏見というまなざし』のような試みが何かユニークなものを実現しているとすれば、それはちょうど上に述べたような、知の枠組みを保全するのでなく、それを超えて、そのつどその都度新たなネットワークを作り出していくこと、そうした運動を生起させる場を用意することだと思う。今回の企画の執筆者にも私を含めて多くの大学教員の方たちが含まれているが、同時にお二人のキューレーターにもお書きいただくことができたのは、そうした趣旨のうえでもたいへん幸いなことだった。あちこちにいろいろな「箱」があって、そこから飛び出した人たちが共通の場を作り出す。それがたまたま書物の体裁をとっていたということだが、こういうことができる以上、まだまだ本の文化も捨てたものではないし、私個人は本を編集することの快楽を存分に味わわせていただいた。読者の皆さんとこの快楽をこれからじっくりかわしあえればと願っている。

落合真司『中島みゆき・円環する癒し』プロの境界線

 わたしはプロの音楽ライターではない。たとえばコンサートリポートを書く場合、プロの音楽ライターなら「ブレイクするきっかけとなったシングルの『○○○』をステージでどのように唄うかが、今回コンサートを観るわたしのテーマだった」といった筆の運び方になると思う。
 わたしはそれがどうしても許せないのだ。そのライターの考え方はわからなくもないが、どこか押しつけられているようでいやなのだ。その歌を唄っているときの表情と声はどんなだったか、ライトはどのようにステージを染めて、サウンドが客席にどう響いていたかをスケッチしてくれたほうがよほどうれしい。
 それに、書き手がそのアーティストに深く惚れ込んでいることも重要だ。プロというのは、ファンと一緒になって興奮していては話にならない。一歩ひいた冷静な観察が必要だろう。
 しかし、わたしはそれも許せないのだ。ファンと同じ心拍数で熱く語ってくれなければ、書かれた文章に共鳴できない。実にわがままな読者だ。
 わたしは、もし自分が読者ならこんなアーティスト論を読みたいというわがままな理想のもとに中島みゆき論を書きつづけてきた。だから、書くことで食べているいないに関係なく、プロとは言えないのだ。
 アマチュアというより単なるド素人のわたしが青弓社の門を叩いたのは、バブルがはじける直前の1990年1月のことだ。1冊の本がいったい何枚の原稿から成るのかも知らなかったわたしが、原稿のコピーを持ち込んだ。それが中島みゆき論のスタートとなった。
 出版すると思った以上に読者から反響があり、手紙などを通してファンの交流が広がっていった。シリーズ6冊目となった今回の『中島みゆき・円環する癒し』には、そんな多くのファンの声を掲載している。
 11年のあいだに時代は大きく動き、ファン同士の意見や情報の交換はインターネットによっていとも簡単に実現してしまった。一ファンの立場からみゆき論を展開しているホームページも多数立ち上げられている。もうわたしが本を出版する必然性はなくなったのかもしれないと迷いかけたこともあった。
 そんなとき、つぎの本はいつ出るのですかといった手紙を数人の読者からいただき、涙が出そうになった。待ってくれている人がいるんだ。しかも、何カ月もかけてつくる書籍というきわめてローテクな媒体を待ち望んでいる人たちがいる。そこにわたしは愛情を強く感じた。
 アナログだからこそ伝わる言葉のぬくもりがある。言葉は質量のないデジタル記号ではなく、手ざわりも匂いも表情もある生き物なのだ。言葉には治癒力がある。中島みゆきが言葉と表現の可能性にこだわり、言葉による癒しを放射しつづけているからこそ、これはもうなんとしても体温の伝わるアナログで語らなければと決意を新たにした。
 その結果、わたしひとりの力ではなく、書籍としてのみゆき論を待ち望んだ多くのファンの協力によって本は完成した。とくに2000年末のコンサートでは、ステージを観終えた夜の11時から朝の5時半まで友人と激しく議論し、やっと互いに納得できる結論を導き出せたときは本当に快感だった。おかげで遅筆な自分に大きな浮力がついた。
 そう、わたしはおそろしく遅筆である。執筆するために、まるまる3カ月も仕事を休む。そして書くことだけに専念して、やっと300枚書きあげるといったペースだ。仕事をしながら、あいた時間に少しずつ書きためるということができない。
 しかし今回初めて、仕事をしながら原稿を書いた。それも、2冊同時進行で執筆した。自身では革命的なできごとだった。これもすべてあたたかい読者と、青弓社との信頼関係があったからだと感謝している。
 セルフライナーノーツとしては少々力の入りすぎた文章になったが、プロになれないド素人の力みとお許し願いたい。

 著者  miss-m@osb.att.ne.jp

     http://member.nifty.ne.jp/island-miyuki/

鶴岡英理子『宝塚ゼミ00年』宝塚ゼミ24時間開放中!

 真夏だったのに・・・そう思いながら空を眺めている。なんだか気がついたら冬で、気がついたら2000年、ミレニアムイヤーの終わりが近づいていた、そんな気分なのだ。でも手元に一冊の本がある。
『宝塚ゼミ00年』
 駆け抜けた日々に置き忘れた秋の代わりに、ピンクの花々の表紙が微笑んでいる・・・と・・・詩的に決めたい!と願う私を無視して、ゼミのメンバー坂本悠が囁く。「突発本って同人業界だけかと思ったよ」(やかましい!)
 怒鳴るのは簡単だけれど、否定するのはむずかしい。だって世に言う宝塚本の発行点数たるや人後に落ちないだろう青弓社が、社運を賭けて世に問う(言ってない!、誰も言ってないって!) 宝塚関連本の新シリーズ『宝塚ゼミ』発刊を、私は今号のスペシャル講座として詳細報告した「ベルリン公演」観劇時ですらまったく知らなかったのだから。
 そう、この『宝塚ゼミ』の企画が立ち上がったのが8月。全体像が固まったのが9月。だというのに締め切りがナント10月31日!!!
 実質たった2カ月で、今後半年に一冊発行していこうともくろむ「シリーズ本」を立ち上げてしまおうというのだから、言ってのける青弓社も青弓社なら、引き受けてしまう私も私。度胸比べとしてはいい勝負だろう。
 それだけに我ながらよく動いたと思う。前述の坂本をはじめ、宝塚を語ろうとすれば欠かせない関西班メンバーの内海たもつ、早瀬淳子の執筆メンバーはほとんど泣き落としの状態で強引に参加させたし、イラストのかのんには「締め切り2週間は早く見込んでね。出来によっては書き直してもらうから!」と、何様なの??の態度にも出た。さらに、各方面にご協力をあおいだ舞台写真の借用や、インタビューの依頼、カメラマンの交渉など、少しでも気分がなごむかな?と、なぜかキティちゃんのノートに書きつづけた覚え書きがあっと言う間に真っ黒になるのに、どこかでは呆然としていた。とにかくあせってはいけないと、とりあえず明日しなければいけないことだけを考えるようにしていたものだから、それらがクリアされたときすっかり終わった気になって、肝心の原稿を一文字も書いていない事実に打ちのめされたりもした。
 でも、そんなむちゃくちゃな日々も喉元すぎればなんとやら・・・のいま、結局は楽しかったと思えるのは、私がやっぱり宝塚を愛しているからだと思う。2000年一年分の「公演評」、いくらファンでもいざ参加するにはハードルの高い「スターさんと行く公演記念の海外ツアー」、「同じ作品の外部公演とのリンク」、はては「娘役が床に座るの意味は?」のようなマニアック以外のなにものでもない話題まで、考えたり、語ったり、読んだりしている・・・そんな時間が幸せだったのは「宝塚ゼミ校長兼、主任教授兼、用務員兼、電話番」などと名乗っている、当の私が一番だったのだ。
 だから私はまるで少女のように高揚して「寿ひずるさんにインタビュー」したし、無念にも亡くなられた「作曲家寺田瀧雄氏への想いを語っていただいたアンケート」にあふれた、ファン諸子それぞれの胸つかれる想いを泣きながら集計していた。作品を論じようとすれば、誉めてばかりはいられないけれど、宝塚への礼節は何よりも大切にしたつもりでいる。そのわりには突発本(オイオイ・・)の泣きどころ、誤植や不備が多くてごめんなさい!なのだが、それらすべてを含めて、少しずつでもゼミをいいものにしていきたい、いま、心からそう思っている。
 いままで生きてきていろいろあったし、今年のクリスマスもやっぱり一人だけれど(!)、でも宝塚がそこに存在してくれていて、ときめいていられる時間に私はずっと助けられてきた。だからこそ同じ思いのあなたが(イエ、クリスマスが一人の方でなくていいのですよ!)ゼミを訪ねてくれるのを心待ちにしている。「図書室の関連本」を読みあさって作品世界を広げて、いつまでも語り明かしていられるような、そして、忌憚のないご意見を寄せてくれるような、そんなあなたを・・・。
「宝塚ゼミ校門、24時間開放中! 乞うご訪問!!」

奥村敏明『文庫パノラマ館』文庫放浪記

 土曜日になると神保町の雰囲気が変わる。街にはスポーツ用品や楽器を目当てにやって来る若い人がめだつ。古書街にも遠方からの人が多くなって、街は普段着からよそゆきの顔になる。そんな日はこちらもよそゆきの顔をしていつもと違う街へ出かける。
 東急田園都市線の三軒茶屋で地下鉄を降りて、まずカフェ・ド・ミュールクレピに立ち寄る。店の名前は何度聞いても忘れるけれど、ここのマンデリンはうまい。ゆっくりと味わう。なにしろお目当ての古本屋、江口書店は午後3時にならないと開店しない。
 時間があるときは玉川通りを環状八号線へ向かって行くと、少し路地を入った所に錦絵や刷り物で有名な時代や書店がある。また茶沢通りを下北沢方面へ向かうと左側に美術書や詩集で知られた喇嘛舎があるけれど、どちらも文庫本にはあまり縁がなさそうだ。そこで、玉川通りを渋谷に向かって歩く。きれいなお嬢さんたちとすれちがう。やがて昭和女子大学を過ぎて三宿の交差点を渡れば目的の江口書店は近い。
 開店時間にまだ間があれば左に曲がる。角になんとも不思議な雰囲気のビルが建っている。この前を通り過ぎて少し行くと右側に山陽書店がある。ここは案外あなどれない。絶版文庫がかなり充実している。河出市民文庫の『新訳西遊記』の上下巻揃いが600円だ。帯もしっかりしていて編集顧問の名簿がついている。横の棚に版画荘文庫、伊藤永之介『梟』があった。2,500円だ。安いけど天にシケ跡がある。迷って棚に戻しかけたらご主人から声がかかった。「1,000円でどうですか?」。かくして8冊目の版画荘文庫が私の書架に収まった。
 来た道を引き返して、交差点を渡ると目の前が三茶書房である。神保町の支店ということだが、こちらの店のほうが貫禄がある。文学書の初版や原稿などを揃えているが文庫本はしろっぽいものが多い。帝国文庫のバラが500円くらいでかなり置いてあるけれど、これを買ってしまうと重くて重くてほかの本が持てなくなる。
 さて、ようやく江口書店である。開店してまだ30分もたっていないのに店内には数人の客がいる。店の前に平台がある。この上に裸電球でもともっていればまちがいなく昭和30年代にタイムスリップ出来る。滝田ゆうの世界だ。この店は掘り出し物が多いことでよく知られている。御歳80を超えてかくしゃくたるご主人は、ときどきこちらのはらわたにしみ通るような咳をしながらもけっしてタバコを手放さない。そしてなぜか横向きに座っている。絶版文庫が切れ目なく補充されるという棚は右手の突き当たりにある。この棚をよく見ようとかがみ込むとちょうどご主人のお尻をのぞき込むようなかたちになっていささか具合が悪いのだけれど、そんなことは言っていられない。改造文庫の『横瀬夜雨詩集』を見つける。和田久太郎『獄窓から』、小栗孝則訳『シラー詩集』、土岐善麿編著『作者別万葉全集』『作者別万葉以降』など全部まとめて2,000円でゆっくりお釣りが来る。そして平台で拾った70円の東聯文庫と50円の医学選書ははじめてお目にかかる文庫本であった。東聯文庫はまちがいなく文庫本の範囲に入るが、医学選書のほうはいささか迷いが生じた。医学というものと廉価普及を目的とする文庫本とがしっくりこない。
 帰りの電車のなかからさっそく調査が始まる。表紙を眺め、奥付を調べ、序を読み、あとがきに目を通す。既刊近刊目録を見て、収録されている作品をチェックする。巻末の「医学選書刊行に就いて」で発行の経緯と目的を読んだ結果、今回は蒐集の対象から除外することに決めた。べつに理由はない。ただなんとなく「違う」という感じがしただけである。
 気に入った場合は自宅や、勤め先の図書館にあるさまざまな書誌を使って本格的な調査をしてみる。しかし大抵はよくわからない。文庫本そのものから得られるわずかな情報をもとに推測と憶測を重ね合わせて一つの推論を導き出してみる。原情報と齟齬がないか確かめて、これを一応の結論として書きとめておく。
 こうして書きためた原稿が数百枚になって『文庫博覧会』と『文庫パノラマ館』へと結実していった。この間情報科学は確実に進歩して、原稿を書き始めたころには思いもかけなかった数々の新しいメディアが誕生した。とくに書誌は本の形から電子メディアへと大きく変わっていった。現在ではCD-ROMやインターネットによる書誌確認は当たり前のこととなった。こうしたメディアにすべて遅滞なく順応したかと問われると、いささか忸怩たる思いがする。しかし、また、文庫本の書誌は一朝一夕になるものではない。今回の『文庫パノラマ館』でも述べたことであるが、これはまだまだ完成されたものではない。この本をたたき台にして、多くの人たちの力を借りて徐々に完成に近づけていきたいと思っている。

近藤健児『絶版文庫三重奏』絶版文庫演奏会への招待状

 お互いに面識はないものの、絶版文庫の汲めども尽きない魅力にとりつかれた点で意気投合した三人が、インターネットの掲示板上で情報交換をするうちに、この本の企画は誕生した。
 田村道美は、名著名作の紹介に関しては、比較文学的観点から興味深いと思われる作品を中心に取り上げた。また書誌的観点からは、「レクラムかカッセルか」で、明治期に刊行された袖珍名著文庫や袖珍文庫がドイツのレクラム文庫ではなく、イギリスの文庫本「カッセルズ・ナショナル・ライブラリー」を範として発刊されたことを明らかにした。また、「文庫本の奥付に見る終戦前後」では、1940年(昭和15年)から50年のあいだに刊行された文庫本の奥付の表記が目まぐるしく変化したという、これまであまり注目されなかった事実を当時の出版・社会状況と関連づけながら、文庫本の奥付がいかに雄弁な時代の証人たりうるかを示した。
 中島泉は三年ほど前からホームページを開設し、明治・大正期に刊行された文庫、とくに少年少女向けに刊行された文庫本の蒐集家としてつとに有名である。また、今年2000年の5月14日から6月18日まで、岐阜県博物館マイミュージアムギャラリーで「文庫の世界――文庫で見る日本の近現代史」と題する展示会を開催し、これまで蒐集してきた貴重な文庫本の一部を一般に公開した。本書においても、それらの貴重かつユニークな文庫本の紹介が中心となっている。なお、一銭文庫・探偵文庫などは、明治・大正期の文庫本蒐集の第一人者鈴木徳三氏の「日本における文庫本の歴史(一)-(四)」(『日本古書通信』696-699号、所収)のなかでも取り上げられていない珍しいものである。
 近藤健児は先に青弓社から刊行した『絶版文庫交響楽』で紹介できなかった、あるいは刊行後に入手できた幻の名著名作を中心に紹介することになった。グリゴローヴィッチ『不幸なアントン』(世界文庫)、『チャペク童話集 河童の會議』(冨山房百科文庫)、ギャンチヨン『娼婦マヤ』(河出文庫特装版)、フランク『後尾車にて・路上』(世界名作文庫)、ドルジュレス『木の十字架』(新潮文庫戦前版)、ブルトンヌ『性に目ざめる頃』(三笠文庫)、謝冰心『お冬さん』(市民文庫)など、いずれも絶版文庫蒐集家垂涎の的と言っていい作品ばかりである。
 本書のタイトルを『絶版文庫三重奏』としたのは、専門が異なり(中島は解析的整数論、田村は英文学・比較文学、近藤は国際経済学)、文庫の蒐集分野も異なる三人が、それぞれの持ち味を発揮しながら協力し合い、これまでになかったような「絶版文庫へのオマージュ」一曲を奏でたいとの思いからである。
 文庫は、かなりの部数出回った普及版の本である。いくら古くて珍しいものでも、天下に一つか二つしかないというものではない。本書を読んで「こんな本も出ていたのか」と発見があれば、また探す楽しみも増えるだろう。本書にも専門店やインターネット検索のガイドを載せたが、あらゆる手を尽くして、何年もかけてようやく手に入れた本を読む、そんなときこそがしみじみ湧き上がる喜びを感じる至福のひとときであり、読者は四人目の演奏者となり、三重奏は四重奏になる。
 この本はそんな演奏会の入場券なのである。さあ、ご一緒に!

水野雅士『シャーロック・ホームズの時間旅行』ドイルはパンのみにて生くるにあらず

 この本は、シャーロック・ホームズ物語をまだ読んだことがないか、あるいは子どものころ読んだことはあるがその後はひもといたことがないという方々を対象に、シャーロック・ホームズの世界のおもしろさと奥の深さを少しでも感じ取ってほしいという思いから書いたものである。
 作者のコナン・ドイルはみずからの本領は歴史小説にありと考えていたが、皮肉なことに生活のために書きはじめたシャーロック・ホームズ物語の成功によって作家としての地位が固まり、シャーロック・ホームズの創造者として名を残すことになった。いったいなぜこのようにドイル本人にとって不本意なことになってしまったのだろう。
 いろいろな見方はできるだろうが、一つには、ドイルが自分の本命と思って取り組んだ歴史小説には力が入りすぎたのではないだろうか。一篇の歴史小説を書くについても時代考証や関連資料の読破など、ドイルの事前準備は徹底したものだったらしい。その結果、作品は正確かつ精緻ではあっても、息の抜けない重苦しいものになってしまったのではないだろうか。
 それにひきかえシャーロック・ホームズ物語のほうは、ドイルがパンを得るための副業として書いたものであるから、自分の力量を世間に問おうなどと肩ひじを張る必要もなく、ただひたすら売れること、読者に受けることを考えて自由に書いた。しかし作家としてのプライドと技能まで捨てたわけではないから、そこにはストーリー・テラーとしてのドイルの天分が存分に発揮され、続々と傑作が生まれたのだろう。
 気楽に書いたのはいいが、困ったことに、このシャーロック・ホームズ物語はあちこちにつじつまの合わないところがある。それらの矛盾点がいまもなおシャーロッキアンのあいだで議論の種になっており、ああでもないこうでもないとシャーロッキアンを悩ませ、かつ楽しませている。ドイルは『花婿失跡事件』のなかでホームズに「リアリズムの効果を出すためには、ある程度の取捨選択が必要なんだ」といわせているが、壮大かつ精緻に組み立てられたドイルの歴史小説よりは、シャーロック・ホームズ物語のほうが、少々つじつまは合っていなくても、人生の真実をいきいきと捉えているのかもしれない。
 副業で書いたとはいいながら、博覧強記といわれたドイルの歴史、古典、『聖書』などに関する蘊蓄は物語の随所にきらめいている。彼のディレッタントぶりは主人公のホームズそのままである。その知的好奇心の広さには目を見張るものがあり、本書の第1部「シャーロッキアンの気ままな世界史漫歩」で取り上げたテーマにしても、ホームズ物語に出てくる歴史上の人物・事物のほんの一部にすぎない。たとえば歴史上の人物で、第1部のテーマとして取り上げたのは31人だが、ホームズ物語に登場または関係する歴史上の人物は全部で220人を下らない。
 いまや世の中は情報の洪水である。書物以外にも各種のメディアに取り囲まれており、とりつくシマが何かないと、情報の波にのまれてしまいそうな感じさえするが、シャーロック・ホームズ物語が世界を眺めるための一つの視点を与えてくれることは確かである。比較の基準になる物語の背景が19世紀末というのがまたいい。百年という単位の物差しで現在を眺めるということは、よきにつけあしきにつけ、現状の問題点と今後あるべき姿が、ホームズの虫眼鏡で見るように、かなりはっきりと見えてくる。
 ところで、シャーロッキアンの楽しみ方のなかに「ザ・ゲーム」という因果なお遊びがある。彼らが「聖典」と呼んでいる60篇からなるホームズ物語は、ドイルが40年間にわたって書きつづけてきたものだから、ドイルも人間である以上、なかには記憶違いや勘違い、あるいは誤植など印刷上のミスもないとはいえない。いや必ずあるはずである。にもかかわらず「ザ・ゲーム」のルールというのは、ホームズやワトソンなど登場人物をすべて実在の人物と信じて疑わないこと、物語相互間あるいは物語の記述と歴史的事実とのあいだに一見矛盾するようなところがあっても「聖典に誤謬なし」を原則とすること、そしてそこには何らかの合理的な理由があるはずと考え、これを追究することである。本書の第2部「シャーロック・ホームズのタイムマシン」はその矛盾追究の一例である。ご一読賜れば幸いである。(了)

許 光俊『オペラ大爆発!』クラシック音楽批評とは消費者運動である

 誰だってあるとき、「どうして私は勉強しなければならないのだろう?」「なぜ私はこの世にいるのだろう?」「自分は何なのだろう?」などという問いに、前触れもなく直撃されたことがあるはず。
 あまりにも根源的なそんな問いに、もちろん絶対確実な答えが存在するはずがない。人は自分なりにさまざまな答えを出したり、あるいは問いを忘れたりすることで、生きていく。答えが見つからなかったり、問いを忘れられない人間は、頭がおかしくなったり、自殺したり、哲学者になったりする。
 青弓社から発売されている私の音楽の本は、みな「クラシック音楽とは何なのだろう? オペラとは何なのだろう?」という根本的な問いから生まれた。この「何なのだろう?」という疑問が「オペラは1600年ごろイタリアで…」なんていう答えを期待していないのは、むろんのことだ。
 べつに、そんな問いをみずからに向けてみる必要なんて、さらさらない。ただ音楽やオペラを楽しんでみたいだけなら。実際、世界中の多くの人は、こんな問いに悩んだりはしていない。
 だが、幸か不幸か、私は音楽をたんに楽しむことができない。音楽の底によどんだ不気味な力が、私の感覚や頭をじくじくと刺激する。私はノー天気に音楽を聴いてヘラヘラしていられない性分なのだ。
 あるとき私は、ひじょうに切実に「クラシック音楽とは、オペラとは何なのか」を知りたいと思った。それまでずっとクラシック音楽やオペラを聴いてきて、そんな問いが頭に浮かんだことがなかったのに。この問いに遭遇してみると、これこそは「誰それの演奏がすばらしい」だの「この曲はこういう状況で作曲された」だの「今度何々というフェスティヴァルが始まる」なんていう些末な情報よりも、はるかに大切なことに思えた。
 残念ながら、こうした問いに一生懸命答えようとする本はほとんど見つからなかった。見つかっても、その内容に私は納得できなかった。そういうわけで、私は、いま試行錯誤しているのである。といっても、この試行錯誤は、けっして百パーセントしんどい仕事ではない。その途中に楽しい発見もあれば、人間との出会いもある。そういうわけで、私は大まじめに、しかし楽しく、本を作っているのである。
 私が「クラシック音楽とは何なのか」という問いを抱えてしまった理由のひとつは、私が必ずしも高確率でコンサートやCDに満足できなかったことだ。「どうして、みんなはこんな演奏で喜んでいるのだろう?」「評論家は本当はわかっていないのでは?」という疑いが強くなった。そうして、私自身が評論なんぞも書く身になってみると、クラシック音楽業界というのは、とてつもなくレベルの低い世界なのだということがわかった。
 録音技師は、作品のことをよく知らないし、コンサートにろくに行かない。評論家は、来日公演の限られた演奏だけで演奏家の評価をしている。雑誌は、メーカーやマネージメント会社と共犯関係にあって、都合のいい記事ばかり載せている。みんな、なあなあで仕事している。本当にあきれ果ててしまうようなひどさだ。要するに、誰も聴き手のことなど考えていないのだ。お金を払ってくれる聴衆がいなければ、クラシック音楽もオペラも存続できないはずなのに。
 この現代社会のなかで、さまざまな隠蔽や嘘はあるにしても、商品は批評の対象となる運命にある。なかには、一部の自動車評論家だとか、雑誌だとか、相当厳しく商品を評価している人たちもいる。なのに、商品としてのクラシック音楽やオペラを正直に評価しようとする人はごく限られる。そういう点では、私がやっていることは、一種の消費者運動なのである。たぶん、メーカーの人などは私のことをよく思っていないだろうが、人からお金を取る以上、否定的な評価を受ける可能性があるのは当たり前のことだ。それがイヤなら、すべてタダにしてごらんなさい。演奏家も何も、みんなボランティアになりなさい。いいや、それ以上に、人を納得させるだけの音楽を提供してみなさい。
 イヤなことに、すべてが、ただおのれが存続するためにだけ働いているように見える。けれども、すべては存続しなければならないのか? そんなことはない。クラシック音楽やオペラというジャンルそのものでさえ、無理に生かす必要はない。そう考えたとき、逆に、音楽の貴重さ、ありがたさがいっそう輝くのである。(了)