延吉 実『司馬遼太郎とその時代――戦中篇』「他人の秘事」と文学と

 戦前期の大阪市浪速区は、司馬遼太郎こと福田定一の〈わが街〉であった。その街は、1945年(昭和20年)3月13日深夜から翌14日未明にかけて、アメリカ軍が大量に投下した焼夷弾で焼け野原になった。第一次大阪大空襲である。
 浪速区は壊滅状態。同区の区役所も焼けたが、敗戦後も、その被災した建物を改装補修して、ずっと使っていた。つい最近まで大阪市内の区役所のなかでは、戦前に建てられた唯一の建物だったという。全面的な建て替え工事が、2002年2月現在、おこなわれている。
 浪速区役所は、松本清張の長篇推理小説『砂の器』(1960~61年)に登場し、清張ファンならよくご存じだろう。建て替え前には、ときおり同区役所を訪ねてくる清張ファンがいたとも聞く。筆者が訪ねたのは、『砂の器』よりもむしろ戦前の福田定一の足跡をたどるためだった。戸籍係、庶務窓口、旧講堂などを覗いてみた。20歳の定一が1943年(昭和18年)に徴兵検査を受けたのは、3階の講堂だった。
 それにしても福田定一が浪速区民だったのは戦前期であり、半世紀以上も前の話だ。戦前の街は焼失し、当時の区民も、ほとんどが福田一家を含め借家住まいだったため、よそに離散している。区役所を訪ねても何がわかるだろうか。まさか「戦前に浪速区に住んでいた福田定一のことが何かわかりますか?」などと訊くわけにもいかない。
『砂の器』で蒲田操車場殺人事件の真相を追う今西刑事は、浪速区役所を訪ね、重大な発見をしている。しかし筆者の場合、何をしているのかと言えば、(大見得を切れば)文学(ブンガク)ということになるだろう。それではブンガクをやるとは、区役所へ行くことかと訊かれると、おおいに困ってしまうのだ。要するに、筆者の文学的営為などは、なんともとりとめないものだと告白せざるをえないのである。
 それはともかく、清張の『砂の器』と同時期に書かれた推理小説が司馬にもある。1960年(昭和35年)、「週刊文春」に連載された『豚と薔薇』だ。そのあとがきで、司馬はこんなことを書く。

  私は、推理小説に登場してくる探偵役を、決して好きではな
 い。他人の秘事を、なぜあれほどの執拗さであばきたてねばなら
 ないのか、その情熱の根源がわからない。それらの探偵たちの変
 質的な詮索癖こそ、小説のテーマであり、もしくは、精神病学の
 研究対象ではないかとさえおもっている。

(東方社、1968年、204―205ページ)

 上の一節は、推理小説の探偵役について述べられたものだが、司馬の「探偵役」忌避は推理小説の範囲外にもおよぶのだろうか。つまり、歴史作家・司馬遼太郎の伝記的側面の調査研究も「他人の秘事」をあばくことに含まれるのかということだ。筆者がそんな疑問を抱くのも、司馬の足跡をたどるうちに、ある不可解な出来事にでくわしたからである。
 東大阪市立花園図書館に、〈司馬遼太郎コーナー〉というのがある。司馬の自筆原稿や色紙、著作物などが展示されている。展示書籍には、司馬家からの寄贈本もあるようだ。なかに、いまは書店で入手不能なものが少なからずあった。
 鍵のかかったガラス戸書架を覗いていて、筆者は短篇小説集『白い歓喜天』(1958年)と『名言随筆・サラリーマン』(1955年)の閲覧を申し出た。前者は館内閲覧できたが、後者は見せられないと言われた。不可の理由を訊ねてみると、司馬家の申し入れで、なかを見せられないのだという。
 奇妙な話だが、そのときは事情がよくのみ込めず、『白い歓喜天』だけを閲覧した。筆者は納得していたわけではない。作家が刊行した自著を、あとになって絶版にすることはあるだろう。しかし一度公刊したものを、見せてはいけないと申し入れをするなどとは、普通は考えられない。
「噂の真相」1998年6月号に、「『戦後最大の歴史家』司馬遼太郎が歴史から抹殺した私生活の?過去?」という記事が載っていた。司馬には離婚歴があり、前妻とのあいだに息子があるということを暴露したものだ。これなどは、司馬のいう「他人の秘事」をあばきたてる行為にあてはまるのかもしれない。しかし、人の生きた証が秘事であるとは、本来おかしな話だ。ましてやそれが正式な婚姻や出生である場合には、なおさらそうだろう。
 同誌はまた、マスメディアも年譜作者たちも上の事実を記述していないことも指摘している。その点もまた、たしかに奇妙なことだと言わなければならない。たとえば、年譜を作成した山野博史氏などは、司馬家の申し入れを受けて書かずにいるのだろうか、という疑問はわいてくる。その場合、山野氏年譜の正統性とか真正性、文献学的誠意が当然問題になるだろう。
 いちおう筆者は文学研究者のつもりで、「噂の真相」の記者ではないから、司馬の「秘事」に心ひかれるわけではない。ブンガクをする筆者の願いは、あたりまえのことだが、作家の内面や精神・創作の根源に肉薄することであり、作品と作家個人にあるはずの人間の普遍的真実を明らかにすることだ。
 さて、『司馬遼太郎とその時代――戦中篇』は、司馬遼太郎こと福田定一の戦争体験を記述したものだが、福田定一の「秘事」をあばきたてるものではない。書きたかったのは、あの戦争の時代を生きた福田定一という一人の人間のこと、福田定一が生きたあの時代のことである。