「永遠の反逆者」が目の前に!――『ミック・ジャガーという生き方』を書いて

佐藤明子

 「この本は、ミック・ファンやロックファンでなくても、楽しめると思いますよ」――それ以外とくに付け加えることはないが、今春の来日コンサートについて語ることを許してもらおう。
   曲がりなりにもミック・ジャガーについて一冊の本を書いた著者が、彼らのコンサートはこれで2回目などと大きな声では言えないが、言ってしまうけれど2回目だ。来日前は「今回はなるべくたくさん見たいな、そしてまたミックを待ち伏せでもしようかな」などと危ない夢がふくらむ一方だったが、現実は子どもたちの春休みで身動きがとれずに、夫が半日休暇をとって留守を引き受けてくれての名古屋ドーム参戦が関の山だった。電車を降り、たくさんのストーンズファンの群れにまぎれて会場への長い通路をひたすら歩く。自著を取り出して「わたし、これ書いたんです」と言ってみたい衝動にもかられたが、もちろんこらえた。
   席はアリーナで立ちっぱなし。これなら、3年前の2階席の方が全体が見渡せてスクリーンもしっかり見られたからよかったかも。ただ、Bステージかぶりつきだったのはラッキーで、3曲ではあったが至近距離でじっくりと見ることができた。近くで見る彼らはアカヌケしすぎていて、まるでマネキン人形のようだ。キースなどフィギュアとしか言いようがない。そんな彼らが演奏している。ミックの汗が見える。あのストーンズが目の前にいるんだ、もっと夢中になれ! どうしてわたしは、この期におよんでこんなに冷静なのか。いや、これが夢中というものか。夢中だから感動することさえ忘れてしまっていたのだ。夢が現実になった瞬間って、案外こんなものなのかも。
   ミックは何度もすぐそばまできてくれた。両手を大きく広げ、ひたすら腰を振り続ける、その悩ましげな顔は泣いているようだった。わたしが本書で書いたミックの魅力ここに極まれり!だ。でも、前回と違ってキースをほほえましく見ることができた。まるで父に対するようないたわりの思いがふつふつと湧きあがり、2曲のソロの間、目を細めっぱなしだった。自称どうしようもない人である彼を、それでも人々は愛し続けてきたのだ。
   そんな感慨で1曲目を聴いたが、相変わらず彼は自然体のままで、次の曲ではせっかくのこの熱い思いも薄れがちだ。それでもなお、こうして彼らが続けていることはすばらしいではないか。何十年もたってから立ち寄った店に同じマスターが笑ってそこにいるような安心感がある。
   ミックは最後に「ニッポンはいいなあ、またクルゼ」と言っていた。ステージに貼ったメモを照れくさそうに見ながら。実際に彼はまた来るつもりでいるのだろう。ストーンズがいつまでツアーを続けるのかは、メンバーの事情もあるだろうし、わからない。ただ、ミック本人は、いつかドームがガラガラになったとしても、身体を動かそうにも動かせないミジメな姿をさらすことになったとしても、これを続ける志があるのだろう。なぜなら彼は「永遠の反逆児」なのだから。醜くて美しい悪あがきのパフォーマンス、それは人間の証明だ。そのときが本当にきてしまったら、彼らの栄光を見てきた長年のファンにこそ、何かを感じてほしい。その瞬間こそが、ミックからのプレゼントなのだから。