ギモン1 どこで展示するの?(第1回)

第1回 作品と出逢う場所

難波祐子(なんば・さちこ)
(現代美術キュレーション。著書に『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーターという仕事』〔ともに青弓社〕など)

 いま、この連載を読んでくださっているあなたは、「現代美術」や「キュレーター」といったものに少なからず興味をもっている方にちがいない。あるいは、何らかの形で実際に現代美術関連の仕事に携わっている方かもしれない。そんなあなたの記憶のなかで、「現代美術」や「キュレーター」に関心をもつきっかけになるような展覧会や作品に初めて出逢ったのは、どこだっただろうか。
 私の場合は、忘れもしない、1993年秋にロンドンで開催されていた「20世紀のアメリカ美術(1)」展だった。ごった返す主会場のロイヤル・アカデミー・オブ・アーツより、いくぶん静かな郊外にあるサブ会場のサーチ・ギャラリーの最後のセクションの一角にその作品はあった。
 暗い部屋の奥の壁一面に雪山と思われるモノクロ映像。鮮明ではなく、絶えずゴォーというノイズが入ってうごめいている。手前には小さな乳白色のキューブの部屋。内部は裸電球1つで灯され、粗末な木のテーブルと椅子が置かれている。テーブルの上には金属製の水差しと、水が入ったグラス。そしてその簡素な部屋とはおよそ不釣り合いな小型モニターに映し出されたカラーの山の静止映像。部屋に近づくと、スペイン語と思われる言語で何かをささやき続けている男の声が聞こえる。ふと脇にある説明に目がとまる。「ビル・ヴィオラ」という聞き慣れないアーティストの名前。作品タイトルは「十字架の聖ヨハネの部屋」(1983年)。
「スペインの詩人で神秘家の十字架の聖ヨハネ(1542-91)はカトリック教会の弾圧を受け、1577年に9カ月間幽閉された。独房には窓がなく、背を伸ばして立つこともできなかった。頻繁に拷問を受けながらも、聖ヨハネはのちに代表作となる詩の多くをこの期間に書いている。そこでは愛、恍惚、暗い夜道、市壁や山々を超えた飛翔などが詠われている(2)」
 その説明を読み終わるやいなや、まるで雷にでも打たれたかのようにビリビリとした衝撃が全身に走った。ささやく声は聖ヨハネの詩の朗読であり、小さな部屋は彼の独房、山の映像は彼が詠った世界だったのだとその瞬間すべてが一度につながって、「十字架の聖ヨハネ」という時代や国を超えた一人の人物と、それを作品として表現したアーティストの美しい精神世界が、突如として自分のなかに広がったのだった。当時の私は、現代美術のことなど何ひとつ知らない社会人類学専攻の学生だった。だが、これは尋常な事態ではないと思い、とにかく現代美術に関わっていかなければと半ば勝手な使命感にも似た思いから、将来進むべき道を決めてしまった。もちろん、それからすぐに現代美術に関する職に就けたわけではなかったのだが、このたった一つの作品に出逢ったせいで(おかげで?)、極端な言い方かもしれないが、ある意味、人生が変わってしまった。事実、あれから四半世紀以上たったいまも、こうして現代美術やキュレーターに関する仕事に携わっているのだから。

  *

 と、こんな個人的な昔話にお付き合いいただいたのには、わけがある。それは、これから本連載を通して現代美術やキュレーターをめぐる数々のギモンを考えていくうえで、こうした個々人の私的な実体験や現場での実践などが、それらの問いに対して思考を開くための糸口になることが珍しくないからだ。なかでも特に展覧会での現代美術作品の鑑賞体験は、ときに強烈な原体験になって人々の心を動かす。それは、美術館や展覧会が、きわめてアナログなメディアであることと深い関係があると思われる。
 そこで本連載最初のギモンは、何よりもまず作品を展示する場所、アートと出逢う場所についてあらためて考えてみたい。あなたにとって作品が展示してある場所といえば、まず初めに浮かんでくるのは、やはり展覧会を開催している美術館やギャラリーなどの屋内の展示室だろうか。それとも街中や屋外などで作品展示を展開する芸術祭やビエンナーレ、トリエンナーレと呼ばれる大型の国際展だろうか。あるいは最近は、特に若い世代を中心に映像作品をスマートフォンの動画サイトなどで視聴するケースも多いだろう。そもそも作品を展示する場所は、作品にとってどういった意味をもつのだろうか。美術館の展覧会で作品を展示することは、自宅に好きな絵を飾ったり、いつでも好きなときにスマホで動画を見るのと何が違うのだろうか。今回のギモンの入り口として、ここではまず、古典的とも言える「美術館」の「展覧会」という枠組みのなかで作品に出逢うことに着目し、「美術館」と「展覧会」を一つの装置、あるいはメディアとして捉えて考えてみよう。というのも、作品展示をする場所として王道とも思える「美術館」や「展覧会」のあり方も、実は平坦な道のりではなく、その役割や定義は、時代によって大きく変遷してきたし、いまもなお変化し続けているからである。と同時に、その変遷を経てもなお、「美術館」も「展覧会」も作品と人が出逢うためのメディアとして機能し続けていることについても考えてみたい。

美術館と展覧会の歴史的背景

 それでは美術館・博物館、ならびに展覧会の歴史を簡単におさらいしてみよう。今日おなじみの美術館や博物館といった施設は、現在は日本では社会教育のなかに位置づけられ、そこで展示される作品や資料の数々は、広く公衆が享受することが当たり前になっている。だが、長い美術の歴史のなかで、いまのような形で展示物を誰でも見ることができるようになったのは、比較的最近の話だ。ただし「美術の歴史」といっても、往々にして語られるのは、洞窟壁画に端を発し、古代メソポタミア、エジプト、ローマ、ギリシャ、中世のキリスト教美術、ルネサンスを通って近代へと単線的に発展していく西洋美術史であることは、頭の片隅に入れておく必要がある。西洋中心(より厳密に言えば西欧と米国中心)だった単線的歴史観に基づく美術史(history of art)に異を唱え、アジアやアフリカ、中南米などの複数の美術史(histories of art)がグローバルな文脈で盛んに語られ始めたのは、1990年代になってからである。そのことは現在の現代美術とキュレーションを取り巻く状況を考える際に非常に重要な視点なので、本連載でものちほど追って詳しくふれていきたい。だが、「美術館(博物館)」「展覧会」は、西洋美術史、ならびにそれを支える西洋中心の言説と歴史観のなかから生まれてきたものなので、ここでは便宜上、西洋美術史の流れのなかで、これらの成り立ちの歴史的背景を見ていこう。

美術館というシステム

 はじめに人々が美術と出逢った場所としては、それを「美術」と定義するかどうかは議論の余地が大いにあるものの、西洋美術史的に言えば、スペインのアルタミラやフランスのラスコーで知られる旧石器時代のものとされる洞窟内に描かれた壁画、いわゆる洞窟壁画だろう(3)。それらは鑑賞目的というよりも、呪術的・宗教的な意味合いが強いものだったと考えられている。その後も長きにわたってさまざまな神に捧げられるもの、それらを祀るもの、儀礼や儀式、布教に用いられるものなど、宗教的な目的でさまざまな美術品が作られた。棺に納められる副葬品だったり、神殿を飾る神々の彫像、教会の祭壇画や天井画、色鮮やかなステンドグラスに描かれた『聖書』の物語など、美術は人々を日常生活から別の世界へと誘うような特別な場所で接することができるものだった。あるいは、時の権力者の富や名誉を彩るような宝剣や装身具、さらにルネサンス期になると、パトロンとなる王侯貴族や商人など富裕層のために描かれる肖像画や贅沢な調度品の数々が、彼らの邸宅や宮殿を飾ってきた。
 また15世紀から18世紀の大航海時代には、ヨーロッパの王侯貴族などの間で、アジアやアフリカ、アメリカ大陸、オセアニアなどの「未開の」地から珍しい動植物の標本や剥製、化石や鉱物、部族の仮面や彫像、絵画、陶磁器などを集めた「驚異の部屋」(ヴンダーカンマー〔Wunderkammer〕、同様のものにイタリアのステュディオーロ〔studiolo〕など)と呼ばれる私的なコレクションが形成されていくことになる。これらの「驚異の部屋」のいくつかが今日の博物館の前身になっていて、例えばイギリスの大英博物館は、医師であり収集家だったハンス・スローン卿のヴンダーカンマーのコレクションがもとになっていることで知られている。またフランスのルーヴル美術館は、もともと宮殿だったが、フランス革命後に王室所有の美術コレクションが国有財産化されて「美術館」として広く一般に公開されるようになった。ルーヴルの例のように、市民革命などを経て、もともとは特権階級の人々しか観覧できなかった美術品の多くが、「博物館」「美術館」という形で現在は誰もが享受できるものになっているケースも多い。

万国博覧会というフォーマット

 展覧会については、コレクションを公開する形の展覧会は、先にふれた美術館や博物館の前身になるヴンダーカンマーなど、王侯貴族の邸宅などの一室をごく限られた人々を対象に実施していた先例がある。そのほかルーヴル宮でも王立絵画彫刻アカデミーの会員らの作品を「サロン・カレ(方形の間)」という一室で展示する通称「サロン」が革命より少し前の1737年から実施されている。だが、今日のようにより多くの一般の人々に向けてそのときどきの最新の物品や美術工芸品を紹介するようなスタイルの展覧会は、主には産業振興を目的とする博覧会の歴史がもとになっていると言えるだろう。
 市民革命や産業革命を経て、各国の優れた物品などを陳列する国際見本市的な博覧会である万国博覧会(国際博覧会。通称、万博)が19世紀から世界各地で開催されるようになり、今日に至っている。特に万博は、各国の技術や芸術の粋を世界に紹介して国の威信を内外に知らしめる、国威発揚的な性格をもっていた。1851年の第1回にあたるロンドン万国博覧会では、クリスタル・パレス(水晶宮)と呼ばれる当時類を見なかった鉄骨とガラスという素材を駆使した巨大な建物が建造され、主会場になった。また1900年のパリ万博(第5回)ではエッフェル塔が建てられ、その姿は現在でもパリを象徴する観光名所になっている。日本も第2回のパリ万博(1867年)で江戸幕府・薩摩藩・佐賀藩が出展するなど早くから参加していて、1873年のウィーン万博からは明治政府が日本として公式参加して日本庭園や神社を造ったほか、浮世絵や工芸品、名古屋城の金のシャチホコなどを展示した。またパリやウィーンでの万博における日本の出展が、いわゆる「ジャポニスム」と呼ばれる日本ブームを巻き起こすなど、こうした万博の開催は、各国の優れた最新の技術や文化を直接肌で感じる機会となった。
 日本国内でも博覧会は明治に入ってから盛んに開催され、内国勧業博覧会が東京(上野)のほか京都や大阪でも開催された。また同じく東京・上野公園で開催された東京府勧業博覧会で建てられた建物が「竹之台陳列館」として美術関係団体に貸し出され、明治から大正期にかけて美術展会場として用いられた。政府主催の美術振興策として組織された文部省美術展覧会(通称、文展。現在の日展の前身)も同館で開催された。このように近代になってから、欧米を中心にいまの博物館、美術館、展覧会の原型ができ、日本も明治政府が近代化を果たすなか、その流れを受けて美術館や展覧会という装置を取り入れてきた。ちなみに「美術」という言葉は江戸時代まで日本語にはなかったが、ウィーン万博の出品分類をきっかけに「美術」という官製訳語が日本で用いられ始めたことは、日本での美術史の形成や言説を考えるうえで非常に興味深い(4)。
 これまで美術館や展覧会の歴史的な成り立ちを概観してきたが、これらの近代的な枠組みは、第二次世界大戦後に美術の中心がパリからニューヨークに移り、「現代美術」が登場することで、さらに大きな変遷を遂げていくことになる。

(第2回に続く)

 


(1)American Art in the 20th Century: Painting and Sculpture, 1913-93, Martin-Gropius-Bau, Berlin, 8 May – 25 July 1993; Royal Academy of Arts, London, 16 Sept. – 12 Dec. 1993.
(2)ヴィオラ自身による作品解説。『「ビル・ヴィオラ はつゆめ」展覧会カタログ』木下哲夫/近藤健一訳、2006年、淡交社、54ページ
(3)2018年2月22日の「Science」誌など最近の研究では、洞窟壁画の起源はこれまで想定されていたよりさらに数万年もさかのぼった約6万5,000年前にホモ・サピエンス(現生人類)ではなく、ネアンデルタール人によって描かれたとされている。
(4)「美術」の初出については諸説あるが、いずれも明治のこの時期に翻案されたものである。明治以降の日本における美術の受容については、北澤憲昭著『眼の神殿「美術」受容史ノート』(美術出版社、1989年〔ブリュッケ、2010年〕)をぜひ一読していただきたい。

 

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はじめのギモン 現代美術って何でもあり?

難波祐子(なんば・さちこ)
(現代美術キュレーション。著書に『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーターという仕事』〔ともに青弓社〕など)

 とある日曜日の昼下がり。お昼ご飯にパスタを食べたあと、中学3年生の息子と珍しく将来、何をやりたいかという話になった。そこでふと息子が「現代アートって簡単だよね」と言って、テーブルの上に出しっ放しにしていたパルメザンチーズの容器をひっくり返した。

「ほら、これ、なんか周り全部白いバックにして、白い台の上に置いて、ケースに入れて、その周りになんか紐みたいなの張って「入らないでください」とか「さわらないでください」って書いてさ、で、四角い紙みたいなのに「〇〇〇〇(自分の名前)」って書いて、「この作品は、現代社会をいままでの発想とは真逆の発想で捉えることを表している」とかって説明書けば終わりじゃん」
「ちなみにタイトルは?」
と聞くと、
「逆パルメザンチーズ」
(爆笑)
「え、それってでも、デュシャンじゃん」
と私。
「そーだよ、デュシャンが便器ひっくり返してアートって言うから、何でもアートになったんじゃん。でも、デュシャンがそれもうやっちゃったから、現代アート何やっても、面白くないよね」
「え、あんたデュシャン知ってるの? 学校で習った?」
「いや、俺、観たもん。小学生のとき、美術館で観た」

 はじめに断っておかなければならないが、息子は、親がアート関係の仕事に携わっているために、確かに小さいときから現代美術の展覧会にあちこち連れ回されていたので、本人も知らないうちに、一般的な中学3年生と比べれば、常日頃からアートに接するという、ちょっと(いや、かなり)特殊な環境で育ったかもしれない。それにしても展覧会慣れしていた当時小学3年生だった彼にとっても、便器がうやうやしく展示されていた光景は、よっぽど印象的だったのだろう。いまではすっかり展覧会を観に一緒に出かけることもなくなってしまった、自称「現代美術嫌い」のわが子から、こんなにいとも簡単に粉チーズ容器一つ使って、現代美術の概念と展示について核心を突くような発言が飛び出すとは、正直思ってもみなかった。

  *

 ここで本題に入る前にデュシャンって何?と思った方のために、少し補足を。読者のなかには、マルセル・デュシャンの名前はともかく、この便器の「作品」には、どこかで見覚えがある人も多いだろう。この作品が初めて登場したのは、1917年のニューヨークのこと。出品料を払えば無資格無審査で誰でも出品できる第1回アメリカ独立芸術家協会の展覧会に出品するため、市販の男性用小便器をひっくり返し、「R. MUTT」という作者の名前を示す署名と「1917」という制作年を入れて「Fountain(泉)」というタイトルを付けた「作品」が、出品料を添えて同協会宛てに送られてきた。だが、無資格無審査を謳っている展覧会であったにもかかわらず、この作品は委員の間で議論を巻き起こし、展覧会オープンの1時間前まで話し合いはもつれ込み、会場になったグランド・セントラル・パレスの展示室に置かれることはついぞなかった。この協会の主要メンバーの一人だったデュシャンは、このことをきっかけに同協会を辞任した。後日、この作品は同じくニューヨークにあった「291」という画廊で展示され、同画廊を主宰していて、写真家であったアルフレッド・ スティーグリッツによって撮影された。その写真には「R. Muttによる「泉」」「独立芸術家協会から出品拒否にあった」というキャプション(作品タイトルなどの説明書き)が添えられ、「リチャード・マット事件」と題された匿名の論説とともに雑誌「ザ・ブラインド・マン(The Blind Man)」に掲載され、広く知られることになった。この作品の制作過程や出品に至るまでの経緯をめぐっては諸説あり、デュシャンの手によるものではないとする研究者もいるが、そもそもオリジナルの「泉」を直接目にした人はごくわずかであり、ここでその真偽を検証することは目的ではないので割愛する。もっとも、作品本体は現存せず、現在、世界各地の美術館で見られる「泉」は、50年以降、デュシャン公認で複数個、再制作されたレプリカであるのがこの話をどこまでもややこしくしているのだが、それも含めて非常にデュシャンらしいエピソードである。ちなみに現在は作品保護のために展示ケースに入って展示されているものがほとんどだが、オリジナルは、むき出しのまま展示してあった。
 ともあれ、「便器がアートになる」という「泉」のインパクトは大きく、一般的には「デュシャン=便器の人」のイメージが定着しているが、デュシャンが提示した大いなるギモンのなかで、「泉」はほんの一例にすぎない。デュシャンは、この「泉」の前にも、既製品を用いた作品である「レディ・メイド」のシリーズを発表している。大量生産されている複製可能な日用品を「作品」として提示することで、「美術作品は、作家自身の手によるものであり、唯一無二のオリジナルである」というそれまでの美術の固定概念を根底から覆した。また美術作品といえば美しいもの、視覚的に魅力的なもの、という考え方に対しても、デュシャン自身が、視覚的に無関心と感じる既製品をあえて選択し、それを「アート」と呼んでしまえば、なんでも「アート」になってしまう危険性を指摘することで、新しい思考を創出しようと試みた。これは、美術史のなかではまぎれもなく歴史的な一大事件だった。以来、デュシャンは「現代美術の父」と呼ばれ、いまだに多くの人によって参照され、語られている。

  *

 さて、そろそろ本題の「逆パルメザンチーズ」に戻ろう。確かに息子が言うことは一理ある。デュシャン以上の歴史的転換を巻き起こすような現代美術の作品は、そうそう出てくるものではない。だが、あれから100年以上たった今日でも、現代美術は絶えるどころか、さまざまな形で発表され、多くの人々の目に届けられ続けている。作家たちは何のために日々、作品を作り、それを発表するのだろうか。ネットに投稿された写真や動画なら瞬時に世界中の人たちに発信し、シェアすることができる世の中で、私たちはなぜいまだに美術館や展覧会などにわざわざ足を運んで、人が作ったものを観にいくのだろうか。
 美術の展覧会を作る仕事に「キュレーター」という仕事がある。美術館では一般的に「学芸員」と呼ばれている仕事だ。作家が作品を作るように、キュレーター、あるいは学芸員と呼ばれる人たちは、展覧会を作る。なぜそのような仕事が必要なのだろうか。作家が作った作品をただ展示すればいいのではないのかと思う人もいるだろう。そもそも展覧会とは何だろうか。また作品は美術館の「展示ケース」に入って、白い部屋に飾られて、作家名とタイトルと説明書きが添えられたら、便器でも粉チーズ容器でも本当に「アート」になってしまうのだろうか。そんなのは、単なる言いがかり、詭弁にすぎないのではないだろうか。絵画や彫刻を美術館や展覧会で観て、その「美しさ」に感動を覚えることには納得できても、便器を「アート」として飾るような現代美術の展覧会は、「意味不明」と感じる人も多いだろう。一方で、近年、街中などでも展開する現代美術の「芸術祭」や「トリエンナーレ」という名称で知られる大規模で国際的な展覧会は、どこも大人気だ。こうした現代美術の展覧会を作るキュレーターは、例えばゴッホやモネの展覧会を作るキュレーターと何が違うのだろうか。そもそもキュレーターはなぜ展覧会を作り、それを多くの人が観にいくのだろうか。現代美術の展覧会のことをひとたび考え始めると、さまざまな疑問が湧いてくる。

  *

 これから始める本連載は、現代美術をめぐるさまざまな問いのなかでも、「現代美術のキュレーター」という仕事と「展覧会」という仕組みに着目し、キュレーターが展覧会づくりで抱きがちな、ささやかだが大切な問いの数々を10の「ギモン」として取り上げて、読者のみなさんと一緒に考えていきたい。そして最終的には、本連載を書籍の形にまとめて刊行したいと考えている。
 具体的な構成は次のとおりである。まずは、展覧会における空間・場所・時間軸をめぐる2つの「ギモン」から始めていく。「ギモン1 どこで展示するの?」では、展覧会を開催する場所としておなじみの美術館やギャラリーについて、その歴史的な背景なども見ていきながら、美術館や展覧会という場所にまつわるギモンについてあらためて考える。続く「ギモン2 展示には順番があるの?」では、実際の展示空間での作品の配置や、展示空間で鑑賞者が体験する時間についてのギモンについて具体的な例を見ながら検証していく。次に展示の主役である作品をめぐるギモンとして「ギモン3 何を展示するの?」と「ギモン4 作品って誰が作るの?」という2つの「ギモン」を通して、作品が作品として成立する仕組みなどについて再考する。そして今度は展覧会の観客をめぐるギモンに目を向け、「ギモン5 日本人向けの展示ってあるの?」「ギモン6 赤ちゃん向けの展示ってあるの?」という2つのギモンを中心に、観客の文化・社会的背景と展示の関係について、実例なども踏まえながら見ていく。続いて、現代美術という私たちが生きている現代と同時代に生まれる作品に特有の作品収集にまつわる問いを「ギモン7 どうして美術館は作品を集めるの?」と「ギモン8 何を残すの?」を通して考える。そして最後に、これらのギモンの総括的な問いかけとして「ギモン9 どうして「展覧会」を作るの?」と「ギモン10 キュレーターって何をするの?」の2つを通して現代美術の展覧会とキュレーターについて再び考えてみたい。この最後の2つのギモンについては、連載ではなく、書籍にまとめる際に書き下ろす形で発表したい。また書籍化にあたっては、それまでの連載についても必要に応じて手を加えながら、まとめていきたいと考えている。

  *

 こうした問いに一つずつ向き合うことで、これから展覧会を企画しようとしている初心者から、長年、展覧会に携わっている現役学芸員、キュレーターまで、幅広い層にとって「展覧会」とは何か、キュレーションとは何か、という古くて新しい問いにそれぞれの立場から考えていくための手がかりになってほしい、とひそかに期待している。またキュレーターに限らず、普段、展覧会や美術館に行くことに関心がある多くの方々にも、なぜ「展覧会」に私たちが惹かれてしまうのか、「キュレーター」とは何をする人たちなのか、という根源的な問いについて考えるきっかけになることを祈っている。デュシャンが投げかけた大いなるギモンへの応答になるかどうかは、はなはだ心もとないが、この小さなギモンへの問いかけの積み重ねが、ヴァーチャルなモノづくりが席巻するいまの時代に「展覧会」というアナログなメディアで勝負するキュレーターの大「ギモン」についていま一度考えるための糸口となれば幸いである。

[補足]デュシャンの画像は著作権フリーで下記からダウンロード可能である。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Marcel_Duchamp,_1917,_Fountain,_photograph_by_Alfred_Stieglitz.jpg

 

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