柿谷浩一(ポップカルチャー研究者)
山P特有の「芯」のあり方
2011年、山下智久はそれまで所属していたNEWSを脱退した。大きな決断だった。そんなソロの道を走り始めた彼にとって最初の記念碑的作品になったのが、3カ月間にわたって深夜に放送された『山下智久・ルート66~たった一人のアメリカ』(日本テレビ系、2012年)である。
自ら運転する中古のアメ車で、シカゴからロサンゼルスまで続く「ルート66」を走ってアメリカ横断に挑む一人旅を記録したドキュメント。最低限の撮影スタッフを除いて、普段の活動では当たり前のマネージャーもいなければ、衣装もなし、メイクもしない私服姿で、買い物や洗濯も自分でおこなう。そんな彼は、俳優でも歌手でもアイドルでもない「ひとりの男」としての素顔をさらけだしていて、役や演技で見るのとは違う“人間的な魅力”に満ちていた。
作品の軸は、旅の途中で出会う人々との交流。山Pはそのひとりひとりに「人生にとって何が大切か」をたずね、そこから自己を見つめ直していく。彼が受け取る人々の答え=メッセージはさまざまだが、ある老人の「大事なことはやりたいことを貫き通すこと」、ルート66への愛をタトゥーに刻んだ男の「みんな好きなことをすればいい」、そしてカウボーイの「仕事というより生き方だ」という言葉……そのどれもがしかと“自分”をもっていて、確固たる信念に貫かれた生きざまから出てくるものだった。「芯」のある人間、一本「筋」が通った人間――そうした生き方と人生観が、山Pの胸を熱く捉えていった。
そんな彼自身もこの『ルート66』の直前、「やりたいことをやる」、その追求のためにソロへの転身を図ったことを思えば、人々に負けず劣らず、強い意志をもった「芯」のある人間といえる。だが「芯」といっても、彼のそれは頑固で強情という感じがしないのが不思議なところだ。ソロになって「やりたいこと」や「目指すべき方向」は、すでに彼のなかに少なからずあったにちがいない。でもそれを主張し、押し出してみせる強い気概や雰囲気は作品中には決してなく、旅を通じてあらためて、他者の言葉のもと、自分自身の意思を濾過していく。すでにある想いに固執せず、「本当に何がしたいのか」をさらに磨いて確かめていく。そんな「謙虚」で「冷静」ともいえる胸のうちを純化する営みと構えが、山Pにしかない人間性として光っていた。
ともすると「ソロになる」という選択は、我を通す。そんなふうにも捉えられかねないが、彼の新たな出発は、じつに風通しがよく心地よいカジュアルさに満ちていた。作品から伝わってくるそのニュアンスが、なんともすがすがしく新鮮だった。欲望や情熱に向かってがむしゃらに突き進むのは誰だって可能だ。そうではなく、熱を帯びる自分をあえてとどめて、異なる考えや価値観へと積極的に身を寄せ、知らない知見や経験を織り込みながら、次なるステップへ船出していく。そうした柔軟で開放的な歩みの進め方――グループ脱退からの独り立ちという大きな決断と行動力の底にある山P特有のありようが、この旅全体から伝わって際立っていた。それは山Pのイメージと印象を、ガラリと新鮮に塗り替えてスリリングだった。役者仲間たちの証言や現場でのエピソードなどで彼の控えめな性格と真面目ぶりを耳にすることはあったが、業界的な人間関係のなかでの謙虚さや礼儀正しさではない、その実際のカタチを生でたっぷりと目の当たりにしたのは、この映像が初めてだった。
それを見るに及んで、ひとりになっての彼の挑戦は「どんな仕事を見せてくれるのか」という次元を超え、「いったいどんな生き方をしていくのか」と、山Pという人間そのものへの期待に移り変わって、これからの展開を注視せずはいられない気持ちに強く駆り立てられた。
心で言葉を聴く、その実直さ
旅の道中で出会ったさまざまな人の語りに耳を傾け、学びを得る。そのアツい対話が『ルート66』の見どころだが、より正確にいうと、そこで見せる山Pの表情にこそ、この作品の肝がある。象徴的なところでは、旅をスタートしてから最初に出会う老人の、長年生きてきた経験から出る深い話に耳を傾けるシーンだ。ここで山Pは感嘆してうなずき、ほろっと泣きだしそうになりながら目頭を押さえる。あるいはルート66を愛する人たちから親しまれる理容師の男性の口から出てくる言葉に「参ったな」と額に手をやる。そうした身ぶりも含めて、山Pは相手の言葉の前で真摯な顔をしきりに見せる。それがじつに魅力的だった。言葉をまっすぐに受け取ろうと相手をまなざすその瞳も、なんとも澄んで神妙だった。
そんな姿から強く感じたのは、「なんて心がきれいな人なんだ」という衝撃だった。まだ十分には山Pの実体を知らずにこれを見たぼくは、彼の純朴な人間味のようなものにどこかで魅惑されながらもやはり、キラキラ輝いて活躍する、そんなアイドルらしいイメージが(恥ずかしながら)優先してあった。でもこの映像のなかにいる山Pは、それとは打って変わって「ピュアなハートをみせる一青年」で、インパクトが大きかった。
しかも山Pに特徴的だったのは、相手の言葉の前で感嘆の一言を吐くことはあっても、それ以上に過剰なかたちで反応や感情をやすやすと「言葉」に出さないところである。まるでスポンジが水分を吸収するように、言葉ひとつひとつを、静粛に、じんわりじっくりとかみしめ、心と身体のなかに深く浸透させていく。このときまだ語学力が十分でない山Pの、相手の英語をより集中して漏らさず聞き取ろうとするひたむきさも重なって、それは色濃く感じられて、印象深かった。
感動と感銘に立ち会って、言葉が出てこない、言葉が見当たらない。そんなシンプルでありのままの自己を、変に隠したりつくろったりすることなく露呈してみせる。何か返事をするなり、心境を言葉にする。そうした意識がよぎりそうな場面でも、彼は黙々とうなずいて、対話相手の言葉を受け止める。そのウソがない姿(とそのさらけだし方)に彼の誠実さは詰まっていて、それはアイドルや役者といった肩書きを取り払ったときの、生身の山下智久が元来もつ人間性、あるいは人間力の高さのように思われた。
自身の価値観を大きく揺さぶるメッセージの重さと説得力、それゆえの沈黙。そういうこともできるが、彼から強烈に伝わってくるのは、感動の大きさにも増して、先人の言葉が心の琴線にふれる感覚や触感の生々しさであり、そのもとにある感性の豊かさや深さのほうだ。言葉を理知的に「頭」で受け止めるタイプの人間もいるが、山Pはそれとは反対で、とことん「心」で感応する。そうした強い感受性の持ち主にみえる。普段はアイドルとして、役者として、作品=表現を届ける側にいるが、アーティストの真価と質はアウトプットだけでは決まらない。むしろ重要なのは、表現(力)の源泉になる、人やモノ、世界にふれて何かを感じて考える。そうしたアンテナとキャッチの仕方にこそある。
その意味で、『ルート66』のなかの山Pは、自ら発する言葉をなくしながら、ひたすら何かを深く心で感じ取る。そのたたずまいが、なんとも深遠で独特なのだ。しかも「寡黙」な面もある彼なればこそ、その姿はより興味深く、目が釘付けになった。
大自然が再発見したスター性
言葉をなくす姿をさらけだす。そこに表れる山Pの実直さは、旅先の人物たちに対してだけでなく風景の前でも同じである。
広大な地面と岩肌が延々と続くモニュメントバレーを訪れる回では、その絶景を前に、山Pは「やべぇ」「すげぇ」を連呼することしかできなくなる。その後のグランドキャニオンでも、「no word(言葉にならない)」な状態になる。人生を一変させたという、モニュメントバレーの荘厳さに満ちた大自然が、圧倒的な感動をもたらして彼の言葉を奪った。起きていることは確かにそうだが、この山Pには心がすっと洗われて、ずっと見ていたくなる不思議な清廉さが鮮烈にともなう。そう感じるのは、単にそこに感動体験があるためではなく、彼のそのふるまいに感じ入るものがあるからだ。
丸裸の大自然に包まれ、文字どおり「何者でもないひとりの人間」に立ち戻るとき――つまりアイドルという衣を脱ぎ捨てて自然の自分になるとき、普段は当たり前のカメラや周囲を意識して、演じて「言葉」をつむぐ。そうしたふるまいを一切見せず、見方によっては淡泊で、物足りなくも映る「言葉につまる素の自分」を、恥じらいなく前面にさらけだす。それは、彼が常に「見られる職業」に身を置き、演技がくせになっていてもおかしくないことを考えれば、簡単なようで相当に勇気がいることである。それをなんともナチュラルに、ストレートに見せられるところに、山Pの根にある「純な人間性」がにじむ。
人の言葉だけでなく、風景を前にしても、彼は余計な言葉を発さず、ただひたすらに身と心を対面させる。その言葉なき、あまりに簡素で、まっすぐな姿がすがすがしく尊い。しかも特筆すべきは、人智が及ばない大自然の威厳のなかにいながら、そんな彼の素のたたずまいや雰囲気が単に自然に圧倒されているというのでなく、えもいわれぬ独特な「威光」をそこにしっかり宿している点だ。
普段のメディアやステージでの華々しい脚光を浴びるのとは違う場だからこそにじみ出てくる、彼の存在や身体、もっといえば精神や魂そのものから発せられる、山下智久だけがもつ〈静寂にして神秘〉な色味とでもいうべきもの。そのまるで宝石のような秘めた輝きを自然のなかで醸し出す山Pの姿は、彼がアイドルや役者という以前に「スター」と呼ぶにふさわしい存在であることを再発見させてくれる。人影もなく、大地を吹き抜ける風のほかに何の音もしない静寂を極めた空間。そのなかで、言葉をなくして黙る彼がひたすら魅惑的に映るのは、そこに山Pというスターの本領が垣間見え、彼をスターたらしめている主成分が浮き彫りになって存在しているからだろう。
モニュメントバレーにいる山Pは、「東京にいるとどれだけ力が入っているかよくわかる」と、シーンのラストで感慨をもらす。どんな人でも自然のなかに放り込まれれば、素の自分が顔を出す。でもそれがいわゆるオフショット的な感じにならず、自然体のなかに人物の核になる「本質」を強く感じさせる。もっといえば、素の存在の内側に、さらにはその生と命そのもののなかに、光や希望のようなものを保持している、そうした人物は決して多くない。それこそ、スターでありアイドルと呼ばれる人間の素質にほかならない。
モニュメントバレーの大自然は、文字どおり、彼を丸裸にして、いつもカメラと舞台装置と照明でまばゆく照らされているのとは違う、「山下智久の原初」を、つかの間浮かび上がらせてみせた。それを目撃して、もともとどこかミステリアスで、いい意味でつかみどころがなく、説明もしにくい魅力を放つ山Pの、より深い奥底を知りたい想いはますます強くなるばかりだった。
(つづく)
筆者X:https://x.com/prince9093
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