身体を加工する動物=人間――『美容整形と〈普通のわたし〉』を書いて

川添裕子

 立ち居振る舞いやしぐさから外見の整え方に至るまで、人の身体は一生を通して文化的に加工され続けます。本書のテーマである美容整形は、多様な身体加工術の一つといえます。では美容整形はどのような特徴をもった加工技術で、その経験はどのようなものなのでしょうか。ここでは、読者が面白かったと言ってくれたなかから4点を取り上げて、本書で見えてきたことを少し紹介したいと思います。

・伝統的な身体加工
 伝統的な共同体で慣習としてなされる加工には、形態美以外にも広い意味があります。たとえば共同体メンバーが参加する儀礼のなかで、身体に瘢痕文身(はんこんぶんしん:皮膚を刃物などで切ったりすることで文様を描く)が施されることで、その人は特別な力を得る、異なる段階へ進む、あるいはまた別の存在になります。加工に伴う痛みは必須の試練とされ、できあがった形の細部が気に入らなくて何度もやり直すといったことは基本的にはありません。これらは見栄えの向上に特化した美容整形とは異なる点です。ただし、伝統的な身体加工と現代的な身体加工を排他的に分けてしまうことは適切ではありません。瘢痕文身に対する認識も変化してきていますし、美容整形にも見栄えをよくするだけではない面が見えてくるからです。

・負傷兵治療と美容整形
 病気やケガ、刑罰などによる外見の悩みを解消しようという試みは古くからありましたが、近代的な美容整形は麻酔術や消毒法が確立した19世紀に入ってから本格的に始まります。その技術は、クリミア戦争や2つの世界大戦での負傷兵の治療を経て発展してきました。ケガの治療と美容整形では患者を取り巻く状況は全く違いますが、使われる技術や執刀する外科医は基本的には同じです。ですからケガや病気と美容を単純に二分化してしまっては、外見の問題を十分に検討することができなくなります。本書では男性患者への聞き取りはわずかしかできませんでしたが、「美容整形=美=女」ではなく、「美容整形=外見=人」という立場で検討しています。

・普通文化と儒教
 少し前まで日本では、美容整形は「親からもらった身体を傷つけない」という儒教の教えに背くといった意見が聞かれました。しかし、日本以上に儒教が浸透している韓国で調査してみると、整形して異性の目を引き付け結婚し子どもを産めば、孝や先祖祭祀を重視する儒教に適(かな)うという見方もできることがわかります。身体に何を「すべき」で、何が身体を「傷つける」のかの判断は、社会によっても時代によっても変化しうるといえます。現在のところ美容整形についての対応は、日本では「秘密」と「普通」を強調する声が意外に多く、韓国ではかなりおおっぴらな美の追求というように対照的です。しかしこれも「世間」と「ウリ(われわれ)」という独特の人間関係から捉え返してみると、日本では話さないほうが社会に対して、韓国では話すほうがウリ仲間に対して、関係を損なわないと考えられていることがわかります。日本の患者の「普通」の訴えにも社会的影響がみられます。「普通」であることが肯定的に評価される日本社会で、美容整形は人びとが信頼を置く大学病院から長い間排除されてきました。美容整形を受けることは「普通でないことをしない」というタブーを犯したとみなされかねません。だから話さないし、とびきりの美男美女にもならない。「秘密」と「普通」は日本社会での無難な選択でもあるのです。これは、美容整形をすることが「普通」とみなされるようになったら、整形をしないわけにはいかない風潮が生まれる可能性も示しています。さらに確固とした実態があるわけではない「普通」や「美」を数値や図像などに同一視していくだけでは、〈普通でないわたし〉や〈醜いわたし〉ばかりが量産されることにもなります。

・鏡や写真に映る〈わたし〉
 メディアで伝えられる美容整形のイメージは両極端になりがちです。一つは別人のようになって新しい人生を歩みだすハッピーな物語、もう一つは整形を繰り返すことで破滅に向かう不幸の物語です。実際の調査では、この2つの面は同一人物の同じ時期にも生じうることがわかりました。身体は生きる基盤です。劇的な変化、新しい身体の痛みや違和感、その身体で他者の前に出ることなどを経験していくなかで、「生まれ変わる」ことを実感する可能性があります。しかし身体の状態を常に監視して、反省して、問題があれば対処する習性を身につけた現代人からは、「これでいいのか」という思いが消えることはありません。鏡や写真に映った自分を見てさらなる整形が必要と思えば、「整形リピーター」になるのは簡単です。美容整形とは、儀礼を通して出来事的に人を変える伝統的な身体加工と、監視し反省し対処するという近・現代の身体加工の狭間を揺れているというのが本書の結論です。
 身体は、人が属する社会の価値観を踏まえて加工されます。美容整形は近・現代社会の方向性と合致しているからこそ流行しています。美容整形について、同時代を生きる人間の身体のありようについて、一緒に考えてみませんか。

「わたしは」「思う」――『海辺の恋と日本人――ひと夏の物語と近代』を書いて

瀬崎圭二

 5年前に、博士論文をほぼそのまま出版する形で『流行と虚栄の生成――消費文化を映す日本近代文学』(世界思想社、2008年)を刊行した際、反省させられたことがいくつかあった。この本には、私の〈専門〉である日本近現代文学研究の外側へ歩み出そうという意図があったし、なるべく私とは専門が異なる方々に読んでもらいたいという願いもあった。しかし、私の力不足や専門書という限界も手伝って、それらを完全に実現することはできなかったように思う。
 このたび、青弓社から刊行した『海辺の恋と日本人――ひと夏の物語と近代』では、とにかくこの点を少しでも改善したかった。拙著はやはりそれなりの紆余曲折、試行錯誤を経て、最終的に「青弓社ライブラリー」の一冊として刊行されることになったのだが、それは自分自身が望んだことでもある。かねてから私も読者としてこのシリーズを何冊も読んでいて、かたさとやわらかさとが入り混じったその体裁を気に入っていたからだ。
 今回の目標を、専門が異なる方々だけではなく、人文学に関心などない方々、戦前の古い文学、表現などにあまり興味を示さない学生たちにも読んでもらうことに定め、私自身もこれまで書いてきた文体を大幅に変えることにした。とはいえ、文学の研究論文の文体に慣れ親しんでいた私が、「青弓社ライブラリー」にふさわしい文体で文章を書くには多少の苦労があった。これまで守ってきた文体のルールを破らなくてはならなかったのである。
 私が大学の卒業論文を書いていた頃、こう指導されたことがある。「「わたし」という一人称を使ってはならない。「思う」という語を使ってはならない。研究論文というものは、厳正に客観的な事実を書くものである」と。以来、私はその言いつけをかたくなに守って、たとえ中身が適当でいい加減なものであっても、文体だけは断定調、あたかも自分が言っていることが〈客観的な事実〉であるかのように書いてきた。
 このたびの拙著の「はじめに」を書いていた頃のこと、担当編集者の矢野未知生さんがこんなことを求めてきた。「読者の「読書したい」という気持ちを「はじめに」でつかむために、自分の経験などを書くようにしてみてください」。自分の経験を書くとなると、「わたし」という一人称や、「思う」「思われる」という語を使わざるをえない……。こうして、私は卒業論文執筆以来15年以上守ってきた禁を破ることにしたのである。
 私としては今回の拙著はエッセーだと考えているし、少しでも多くの方々や、人文学に無縁な方々に読んでもらいたいという願いがある。そうした読者を念頭に置いたとき、やはり「わたしは」「思う」というところからスタートしないと伝わらないだろう。また、〈客観的な事実〉を書くことを厳密に重視した結果、最終的に「わたし」という一人称で語るしか術がないという認識に達し、それを選ぶことも一つの学問的態度であるだろう(実際、文学研究者のなかにはそのように論文を書いている方もいる)。
 禁を破って書いた「わたしは」「思う」の文体は、特に拙著の「はじめに」や「おわりに」の部分に顕著だが、これが意外に難しく、結局うんうんうなりながら書くはめになった。最も時間がかかったのはこの個所であることは間違いない。「わたしは」「思う」と書くことが、なんと不自由で責任を伴う表現であることか……。そして、もはや本当に思っているかどうかもよくわからなくなってきたようなことを「わたしは」「思う」と書いて、「おわりに」を結んでしまった。
 さて、拙著を脱稿して数日後のことである。大学の教員をしている私の研究室に、指導を希望する学生が論文の草稿を持ってきた。ざっと目を通し、少し困ってしまった。そこには「わたしは」「思う」というあの記述が列挙されているのである。以前なら、かつての私の先生が指導してくださったように書き改めるように言うのだが……。
 しばしの間考えあぐむのであった……。

エイズ問題との関わりを通して見えてきた日本と/の「ゲイ」 ――『日本の「ゲイ」とエイズ――コミュニティ・国家・アイデンティティ』を書いて

新ヶ江章友

 本書を書き上げたあと、様々な不安が心をよぎった。その不安はいまも続いている。調査対象者とのラポール関係を築くのが難しかったと書いたが、あのようなことを書いてもよかったのだろうか。このようなことを考え始めると、本が出版できたことの喜びとともに、憂鬱な気持ちが何度も心を去来していった。
 私は2006年に、「HIV感染不安の身体――日本における「男性同性愛者」の主体化の批判的検討」という論文を筑波大学の紀要に書いた。この内容は大幅に改稿して、本書の第3章として所収している。この論文は筑波大学附属図書館のウェブサイトからダウンロードが可能で誰でも読むことができるが、これ自体が、いわゆるエイズの活動をおこなっている「ゲイ・コミュニティ」のなかで物議を醸してしまったようなのである。この論文は、日本の「ゲイ・コミュニティ」を批判したものとしてゲイ・アクティビストやエイズ・アクティビストたちに受け入れられてしまった。書いた文章が一旦筆者の手を離れると、それを読んでどのように解釈するのかは読者に委ねられる。読者による解釈の意図がどのようなものだったかはまた別の問題として、私の論文が「ゲイ・コミュニティ」に対して何らかの刺激を与えたことで、私は今後「ゲイ・コミュニティ」とどのように関わっていくことができるのかを常に思い悩みながら現在に至っている。
 私が書いた2006年の論文は、読み方によってはたしかに「ゲイ・コミュニティ」批判ととらえられかねない側面もある。しかし私があの論文で述べたかったことは、特定の個人やコミュニティを批判することではなかった。2000年代当時、世界だけではなく日本の「ゲイ」の間で、HIV/AIDSをめぐる公衆衛生施策を通して一体何が起ころうとしていたのかを、その活動に巻き込まれながらも距離をとるという人類学的「反省」の視点から現場を見ることが、そのときとても重要であるように感じたのだ。その現場で一体何が起こっているのか――そのことを言語化し、自分なりに納得したいと思った。その成果が、本書『日本の「ゲイ」とエイズ――コミュニティ・国家・アイデンティティ』だと言える。
 日本の「ゲイ」とエイズをめぐって、どのような知が形成されていったのか。そのうえで、MSM(Men who have Sex with Men、男性と性行為をする男性)が「ゲイ」という主体としてどのように立ち上がっていくのか。本書では、この点を執拗に追い求めている。
 科学的知識が決して価値中立的で客観的なものではなく、研究者たちが生きる研究室のなかの日常的実践の延長線上で生成されるという、科学人類学におけるいわゆる「実験室研究」の見解は、MSMのHIV/AIDS感染リスク行動の調査研究にもあてはまる。純粋科学としての数学や物理学などの知識生成とは異なり、社会とより密接なつながりをもった疫学の知識生成では、その政治性がより顕在化してくると言えるだろう。厚生労働省の研究費の配分の仕方、アンケートを収集するための「ゲイ・コミュニティ」と研究者との連携のあり方、誰が味方で誰が敵かなど、そのような人間関係(=権力関係)のもとで、客観的だと言われている科学的知識(この場合、疫学的知識)はより政治性を帯びながら生成されてくる。しかし本書で描かれていることは、日本の「ゲイ」とHIV/AIDS研究をめぐる様々な実践のうちの、ほんの氷山の一角を示したにすぎない。その背後には、実はもっと多様な権力をめぐるドラマが隠れているのだ。
 本書の大きなテーマの一つになっているのが、「ゲイ」というアイデンティティと国家との関係である。私たちは国家を、人間の生き方や行動を統治していく一つの暴力機構としてとらえることもできる。その国家との結び付きを強めながらエイズ施策を展開していくという「ゲイ・コミュニティ」の構図そのものが、一体何を意味するのか。1980年代の雑誌「薔薇族」(第二書房)は、HIV/AIDSの流行にともなって日本の「ホモ」たちに批判の目が向かないよう、読者たちにおとなしくしようと呼びかけていた。だが弱者の立場に置かれたマイノリティが国家の政策と連携し始めるとき、そこで一体何が起こるのだろうか。社会学者の森山至貴は『「ゲイコミュニティ」の社会学』(勁草書房)で、「ゲイコミュニティ」についていけなさという重要な問題提起をおこなっている。しかし私にとって、「ゲイ・コミュニティ」は何か不安なものに見えてくる。ここで言う「ゲイ・コミュニティ」とは、東京・新宿二丁目などの繁華街を指しているのではない。私が言いたいのは、同性愛者同士のつながりそのものに不安を感じるのではなく、「ゲイ・コミュニティ」をコミュニティとして語ろうとする人々の語り方そのものに、何か不安なものを感じるのである。
 日本の「ゲイ」のあり方を国家との関係から分析するという試みは、まだ端緒についたばかりだ。海外では同性婚をめぐる法の整備が進んでいるが、日本では今後どうなるのだろうか。本書に示したとおり、1980年代のエイズ問題に対してこの国がどのような反応を示したのかを見ればわかるが、同性婚をめぐる問題に対しても、「対岸の火事」としてすませるわけにはいかない日がくるのではないか。そのとき、生殖医療をめぐって国内でくすぶっている様々な問題が、今度は同性婚と接続されながら議論されることになるのかもしれない。この問題は、文化人類学のなかで長年議論されてきた親族研究に、新たな一ページを刻んでいくことにもなるだろう。研究だけではなく日常生活でも、同性婚は親族や家族の意味そのものを大きく書き換えていく可能性を秘めている。そのとき、この日本という国自体が、そして日本の「ゲイ」自身が、この問題に対してどのような反応を示すのだろうか。日本で同性愛の生の様式が真の意味で試されるのは、おそらくはこれからだろうと私自身は考えている。