「わたしは」「思う」――『海辺の恋と日本人――ひと夏の物語と近代』を書いて

瀬崎圭二

 5年前に、博士論文をほぼそのまま出版する形で『流行と虚栄の生成――消費文化を映す日本近代文学』(世界思想社、2008年)を刊行した際、反省させられたことがいくつかあった。この本には、私の〈専門〉である日本近現代文学研究の外側へ歩み出そうという意図があったし、なるべく私とは専門が異なる方々に読んでもらいたいという願いもあった。しかし、私の力不足や専門書という限界も手伝って、それらを完全に実現することはできなかったように思う。
 このたび、青弓社から刊行した『海辺の恋と日本人――ひと夏の物語と近代』では、とにかくこの点を少しでも改善したかった。拙著はやはりそれなりの紆余曲折、試行錯誤を経て、最終的に「青弓社ライブラリー」の一冊として刊行されることになったのだが、それは自分自身が望んだことでもある。かねてから私も読者としてこのシリーズを何冊も読んでいて、かたさとやわらかさとが入り混じったその体裁を気に入っていたからだ。
 今回の目標を、専門が異なる方々だけではなく、人文学に関心などない方々、戦前の古い文学、表現などにあまり興味を示さない学生たちにも読んでもらうことに定め、私自身もこれまで書いてきた文体を大幅に変えることにした。とはいえ、文学の研究論文の文体に慣れ親しんでいた私が、「青弓社ライブラリー」にふさわしい文体で文章を書くには多少の苦労があった。これまで守ってきた文体のルールを破らなくてはならなかったのである。
 私が大学の卒業論文を書いていた頃、こう指導されたことがある。「「わたし」という一人称を使ってはならない。「思う」という語を使ってはならない。研究論文というものは、厳正に客観的な事実を書くものである」と。以来、私はその言いつけをかたくなに守って、たとえ中身が適当でいい加減なものであっても、文体だけは断定調、あたかも自分が言っていることが〈客観的な事実〉であるかのように書いてきた。
 このたびの拙著の「はじめに」を書いていた頃のこと、担当編集者の矢野未知生さんがこんなことを求めてきた。「読者の「読書したい」という気持ちを「はじめに」でつかむために、自分の経験などを書くようにしてみてください」。自分の経験を書くとなると、「わたし」という一人称や、「思う」「思われる」という語を使わざるをえない……。こうして、私は卒業論文執筆以来15年以上守ってきた禁を破ることにしたのである。
 私としては今回の拙著はエッセーだと考えているし、少しでも多くの方々や、人文学に無縁な方々に読んでもらいたいという願いがある。そうした読者を念頭に置いたとき、やはり「わたしは」「思う」というところからスタートしないと伝わらないだろう。また、〈客観的な事実〉を書くことを厳密に重視した結果、最終的に「わたし」という一人称で語るしか術がないという認識に達し、それを選ぶことも一つの学問的態度であるだろう(実際、文学研究者のなかにはそのように論文を書いている方もいる)。
 禁を破って書いた「わたしは」「思う」の文体は、特に拙著の「はじめに」や「おわりに」の部分に顕著だが、これが意外に難しく、結局うんうんうなりながら書くはめになった。最も時間がかかったのはこの個所であることは間違いない。「わたしは」「思う」と書くことが、なんと不自由で責任を伴う表現であることか……。そして、もはや本当に思っているかどうかもよくわからなくなってきたようなことを「わたしは」「思う」と書いて、「おわりに」を結んでしまった。
 さて、拙著を脱稿して数日後のことである。大学の教員をしている私の研究室に、指導を希望する学生が論文の草稿を持ってきた。ざっと目を通し、少し困ってしまった。そこには「わたしは」「思う」というあの記述が列挙されているのである。以前なら、かつての私の先生が指導してくださったように書き改めるように言うのだが……。
 しばしの間考えあぐむのであった……。