「時代」のなかの図書館――『図書館と戦争と民主主義の百年』を出版して

渡邊重夫

図書館に助けられ

 2025年は、1926年の「昭和改元」から「100年」を迎えようとしていた。そして、「不敗」を誇った大日本帝国の敗戦から「80年」の年だった。このとき、私は何を考え、何をなすべきなのか。戸惑いのなかで無為に時間を過ごしていた。そのとき脳裏に浮かんだのは、「その間、図書館はどうだったのだろうか」という素朴な問いだった。その問いが本書の出発点になった。
 2025年の1月15日に原稿の執筆を開始し、脱稿できるのかという不安とともにキーボードを叩き始めた。しかし「100年」という長い年月、研究室もない在野の一図書館学研究者にとっては、所蔵する資料だけではとうてい間に合わない。その折、助けられたのは「図書館」だった。原稿執筆の背後には、いつも近くにある北海道立図書館の膨大な蔵書があった。特に同館の図書館学資料室は、本書の命綱だった。「図書館雑誌」(日本図書館協会)や「学校図書館」(全国学校図書館協議会)などの逐次刊行物の創刊号から始まり、各種の図書館学資料が丁寧に保存・整理されていて、この資料なくして原稿執筆は一行たりとも進まなかった。図書館のことを研究していて、「図書館に助けられた」という思いは何物にも代えがたい。その結果、本書『図書館と戦争と民主主義の百年』も出版することができた。

「聖戦」と「民主主義」

 さて本書は、「「聖戦」を担わされた図書館」(戦前)と「民主主義の「砦」としての役割を担う図書館」(戦後)とを素描した。昭和の始まりを告げる前年の1925年、その後の歴史を特色づける2つの出来事があった。普通選挙法の実施と治安維持法の制定である。真逆の法律が「抱き合わせ」で成立している。普通選挙法は、その後の大政翼賛会の成立とともに翼賛選挙になり、選挙の意義は形骸化していく。それと並行して図書館への国家権力の介入が露骨になっていく。軍事国家は、図書館を利用して国民の思想善導、国民良化の政策を推し進め、図書館も不承不承(ときには積極的に)それらの政策を受け入れていく。「聖戦」を担う図書館である。そして治安維持法は、制定当初は無政府主義者・社会主義者が摘発の対象だったが、やがて自由主義者・宗教者にもその範囲が拡大していく。思想・言論弾圧は、暴力装置としての特高(特別高等警察)とセットで、遂には「誰でも」「いつでも」「どこでも」その対象範囲を広げ、市井の人々を逮捕・投獄していく。本書では、北海道の教師や学生が遭遇したそのうちの2例をもとに論じた。
 1931年の満州事変を契機とした日本のアジアへの侵略戦争。その開始時に国民は熱狂的にその戦争を支持し、マスメディアもそれに乗じて戦意高揚の情報を報じる。そして、遂にマスメディアは国家の拡声器になり、大本営発表を伝える。いつの時代、どこの国にもみられるマスメディアと国家の一体化であり、その結末はいつも悲劇的である。こうした悲劇は図書館にも及ぶ。戦渦は図書館の存立事態を危うくし、図書館機能の不全を招くことになる。
 
「知的自由は環状になっている」

 図書館も社会的な一機関であるために、政治の影響から免れることはできない。戦後成立した国立国会図書館法の前文には「真理がわれらを自由にする」という一文がある。真理を求める人々の思いは、自由を享受しようとする人々の思いと一体だと思う。すなわち、図書館が最も生き生きと存在価値を発揮しうる社会は「思想・信条・内心・表現・学問」などの自由が容認される社会である。アメリカ図書館協会知的自由部が編纂している『図書館の原則』には、「知的自由は環状になっている。表現の自由か思想へのアクセスかのどちらかが抑えられると、この環は崩壊する」と記してある。日本国憲法の解釈に基づいて換言するなら、図書館は、情報発信者の自由(表現の自由)と情報受領者の自由(知る権利)を「仲立ち」している。そのため、そのどちらかの自由が損なわれると図書館の存在意義は喪失する。図書館は民主主義社会を基盤にその機能を発揮することができる。そのことを本書の後半に記した。民主主義の「砦」としての図書館である。
 しかし今日、世界の国々を見渡しても、表現の自由も思想の自由も抑圧された国は多々ある。あの国、この国……。日本もそうならない保証はない。政治学者・丸山眞男は、「自由は置き物のようにそこに「ある」のではなく、それを不断に行使「する」ことによって守られる」という。図書館が民主主義社会を維持するための社会的装置としてありつづけるか否かは、ひとえに国民(市民)の日々の営みに依拠しているといえる。そうしたことをあらためて(そんなことを「あらためて」と思うのか、という声が聞こえそうだが)考えさせられた執筆経過だった。

 本書は、青弓社からの9冊目の出版である。私の単著は合計15冊なので、その半分以上は青弓社から出版した。矢野恵二氏には、そのつどご迷惑をおかけしてきた。特に今回、提案してもらった書名に納得がいかない私は何度も変更を伝えた。そのつど私の勝手な思いを受け止めてもらい、最終的には納得できる書名になった。心から感謝を申し上げたい。
 さらに付記したいのは、青弓社の校正のすばらしさである。一文字のミスも見逃さず、不確実な出典には確実な典拠を求めるという姿勢は、とても心強い味方だった。校正を担当された方々にも感謝したい。
 思い起こせば、私が矢野氏に初めてお会いしたのは、1988年11月21日、札幌の東急インというホテルのロビーでである。そのとき、最初の拙書『図書館の自由と知る権利』の出版の打ち合わせとなった。幸いにもこの書は日本図書館学会賞(日本図書館学会)受賞の栄誉に浴した。このときの出会いを仲立ちしてくださったのは大串夏身氏(当時・東京都立図書館勤務、現在は昭和女子大学名誉教授)である。次に矢野氏にお会いしたのは2019年6月6日のことである。この日は拙書『子どもの人権と学校図書館』が学校図書館賞(全国学校図書館協議会)を受賞することになり、その授賞式と記念パーティーが東京の中野サンプラザでおこなわれていた。この書も青弓社からの出版だったが、その会場に矢野氏も出席し、私は二重の喜びを味わった。そのときに矢野氏と一緒に写した「破顔一笑」の一枚の写真は、私の宝物である。
 
『図書館と戦争と民主主義の百年』試し読み
 

「起承転結」と社会学――『マンガ研究で卒論を書こう!――社会とメディアから考える』執筆を振り返って

池上 賢

「先輩、気がつきました。論文ってバトルマンガのストーリーに似てませんか? 俺たちには倒さないといけない敵がいる、それはこういうやつだ。で、それを倒すために仲間を集め、技を覚え……」
「池上さん、それを表すわかりやすい言葉が日本語にはありますよ。起承転結です」
 
 これは私が大学院生のころの、先輩との会話である。正確な時期は不明で文言も一文一句覚えているわけではないが、こういった内容を話したことは間違いない。
 さて、このエッセーでは拙著『マンガ研究で卒論を書こう!――社会とメディアから考える』について短く補足したい。
 本書の特徴として最も大きなものは、当然ながら「マンガ」という題材にフォーカスしていることだが、もう一つの特徴として、論文の構成に「起承転結」という考え方を用いている点がある。だが、今回本書の執筆にあたり、この概念を使うのかどうかはかなり判断に迷った。なぜならば、私はすでに論文の基本としてあげられるのは「序論・本論・結論」だと知っていたし、執筆のため参考にした著書の多くでも「起承転結という考え方は論文用のものではない」という主張が多くみられたからである(さらにいえばSNSなどでも、同様の主張を見かけることがある)。つまり、この考え方はいわば「異端」であるわけだ。だが、悩んだ末、私は自分が慣れ親しんできた「起承転結」というとらえ方で論文を書くことを記述することにした。ここでは、この点について説明をしたいのである。
 では、私はなぜ、「起承転結」という言葉を用いて解説をすることにしたのか。その理由の一つは、本書にも記載されている。つまり、論文構成の比喩として、「起承転結」という考え方は初学者にもわかりやすいと考えたからである。
 そして、もう一つには、実際に私自身が「起承転結」という思考で論文を執筆しつづけ、それなりの業績を残してきたという理由もある。自分の恥をさらすことになるが、私は大学院に入るまで、研究というものがどういうものかしっかりと理解していなかった。複数の議論を並べて中間的な結論を提示すればそれで論文になると本気で考えていた。当然のことながら、そのような状態でまともな研究ができるはずもなく、苦い経験を多数重ねるなかで少しずつ研究というものについて学んでいった。そして、あるときふと気がついて、大学院の先輩に話しかけたのが冒頭の会話である。
 この発想に気がついてから私の研究に対する理解は深まり、以後は(アカデミアで一般的な形式とは異なるかもしれないが)「起承転結」という考え方を意識しながら論文を執筆してきた。ちなみに、本書では池上賢自身の個人的な経験も交えながら記述してほしいとも依頼されていた。そういった経緯もあり、この考え方を採用した次第である。
 さらに、本書を書き終えてあらためて振り返ると、こと社会学では、「起承転結」という考え方が適合しているのではないかと考えることもある。
 社会学は、国際社会から日常生活まで、幅広い社会現象を研究対象にする学問である。むろん、私が本書の主題として取り上げたマンガも身近な娯楽であり、日常的な社会現象の一つになる。そのためか、社会学の論文では、「はじめに」などと呼称されるパートが設定されることがしばしばみられる。そこでは、研究者が自身の生活のなかで触れた素朴な実情やきっかけを記述したり、メディアで見聞きした社会現象に関する疑問を研究の導入として提示したりする。拙著『“彼ら”がマンガを語るとき、――メディア経験とアイデンティティの社会学』(ハーベスト社)でも、自分自身の個人的なマンガとの関わりに触れ、現代社会のメディアとアイデンティティという研究での大きな枠組みを提示している。もちろん、すべての社会学の論文がこのような構成をとるわけではない。だが、社会学の論文では、研究者自身の個人的な経験や素朴な体験談が研究の起点として提示されることがしばしばあるのだ。ちなみに、「起」の部分については、さまざまな導入が考えられるが、本書では学生にとって書きやすい「研究動機」に限定して記述した。
 ということで、「起承転結」という考え方を導入した理由を記述したが、すでに多くの場合で指摘されているように、「起承転結」という考え方には確かに問題もある。特に本論にあたる部分を「転」として説明することは、「意外などんでん返しが必要なのか」などと学生の勘違いを招く危険性があるかもしれない。とはいえ、この点については、学生に伝える際に、別に意外な出来事を書く必要はないということを丁寧に伝えれば対応が可能であると考える。
 このエッセーでは、私が「起承転結」という考え方を採用した理由を説明した。学生にどのようにアカデミックスキルを身につけてもらうのかという問題に「唯一完全な正解」はおそらく存在しない。少なくとも私自身は、「研究とは何か」を理解するうえで、「起承転結」という考え方に助けられてきた。本書もまた、その経験を学生たちに伝えるために書いた一冊といえる。
 
『マンガ研究で卒論を書こう!――――社会とメディアから考える』試し読み
 

第2回 PTAと「男性」

鈴木洋仁(すずき ひろひと)
(神戸学院大学現代社会学部准教授。専攻は歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』〔青土社〕など)

1 なぜ、PTA会長には男性が多いのか。

暗黙の了解……

 新型コロナウイルス感染拡大以来5年ぶりに本格的におこなわれた地元のお祭りに参加した。もともとどんな雰囲気だったのか、ほとんど覚えていなかった。それよりも、この連載を書いているからか、あらためて、お祭りは「男仕事」なのだなと、つくづく思った次第である。
 お祭りを作ってくれている方は、そこまで「男性」に偏っているわけではないし、また、「女性」が下働きばかりさせられているわけでも、虐げられているわけでもない。なんというか、その空気が、いかにも「男の世界」だと感じる。
 荒々しい、あるいは、さっぱりとしている、責任感がある……。こう書いていくと、この反対、つまり、「女々しい」、ジメジメしている、他人事感……などの点を「女の世界」だと、わたしは考えていることになるのだろうか。「女々しい」など、文字からして、いまはほとんどタブー、「放送禁止用語」ではないか。
 余談ながら、「放送禁止用語」というのは、はっきりとした制度としては存在しない。共同通信社が出している『記者ハンドブック』などの用語集で、「差別・不快用語集」や「禁止語・不快用語」という項目に載せていることばを、あくまでも自主規制で使わない。それをもって「放送禁止用語」と通称しているにすぎない。
 今回、書こうとしている「PTAと男性」というテーマもまた、「放送禁止用語」のような扱いだったのではないか。もう少し正確を期すなら、「なぜ、PTA会長には男性が多いのか」という疑問は差し挟んではいけない、口にしてはいけない、暗黙のタブーだったのではないか。
そんなことを、祭りの隅っこでぼんやりと考えていた。

都道府県ごとの割合

 次のグラフを見てほしい。


(出典:「平成20年版男女共同参画白書」「男女共同参画局」〔https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h20/gaiyou/html/honpen/b1_s00_01.html〕[2026年2月16日アクセス])

 18年前の2008年、と、やや古いものの、都道府県別単位PTA会長(小・中学校)に占める女性の割合を示す、内閣府男女共同参画局が集めたデータである。もとより、こうしたデータを毎年公表していない、あるいは、見つけにくいところに、PTAをめぐるジェンダーの課題が象徴されているだろう。
 グラフの最下部にあるとおり、この2008年時点では、全国のPTA会長に占める女性の割合は10.1%である。全国平均値を上回っているのは、わずか10都府県(宮城、埼玉、東京、神奈川、滋賀、京都、兵庫、奈良、徳島、沖縄)にすぎない。東京の段違いの高さ(46.7%)が人口の多さも相まって大きく平均を引き上げているだけで、実に78%の道府県では、90%以上のPTA会長が男性だった。全国平均の女性割合は、22年時点で、前回紹介したように17.4%まで上がっている(1)ため、このときよりは、各道府県で少しは増えているかもしれない。
 しかし、そう楽観するのは早とちりである。
 2008年時点で4.3%しか女性PTA会長がいなかった愛知県の県庁所在地・名古屋市では、どうだろうか。同市立小中学校PTA協議会が、23年1月に発表したデータに驚かざるをえない。

 名古屋市内の小中学校PTAでは、男性の会長が97%に対して女性の会長は3%しかいません(令和2年度(2))。

 2023年5月1日時点で名古屋市立の小学校は267、中学校は127、合計で394校あり(3)、同年4月に2校が統合されている(4)ため、2020年度には396校だったから、同市には、女性PTA会長は11人しかいない。「しかいない」というのは、同市の人たちにとっては心外なのかもしれない。上記の引用に続けて、次のように書いているからである。

 女性が会長になりにくい原因の一つとして、「母親代表」という役割があることによって会長は男性という役割分担ができていることもあるのかもしれません(5)。

 たしかに、「母親代表」に似たポジションは、名古屋以外にもある。熊本県の4つのエリア(菊池郡市、阿蘇郡市、上天草市・天草郡市、球磨郡)には、2022年11月の時点で「母親」の名称が付く役職があると、「熊本日日新聞」が報じている(6)。しかし、こうした「母親代表」なり、「母親部長」(阿蘇郡)なる役割が生まれる前提として、「PTA会長は男性」という事実があったのではないか。

2 「PTA会長は男性」の理由

あらためて、「なぜ、PTA会長には男性が多いのか」

 この問いに対して、前回も引用した、行政評論家の大原みはるは、次のように分析している。

 自営業者や地場の中小企業の経営者といった限られた男性が、えてして役員になりがちだし、圧倒的多数を占める女性の場合、そうした立場・職種の人を除けば、大半が専業主婦、働いているとしても短時間勤務の人が多い。
 つまり根本的な原因は、現状こうした時間的条件をクリアできる人材が、圧倒的に女性に偏っているという以外の何物でもなく、問題の根源はそこにあるのだ(7)。

 前回ふれたのと同じく、「平日昼間」がネックになっている、というのが大原の見解である。なるほど、男性の参加者が少なくなり、その少ない参加者は、地域の名士に近いため、そのなかから名誉職的に会長を選ぶ、ゆえに、「PTA会長は男性」だという理路になるだろう。
 すると、都市部の名古屋市でわずか3%しか女性PTA会長がいない事実もまた、大原の見方で解けるのだろうか。繰り返しになってしまうが、「母親代表」や「母親部長」という役割があるから、その役割があるために、「PTA会長は男性」というわけではない。
 順序が逆である。
「PTA会長は男性」と決まっているから、わざわざ「母親」に役割をあてがわなければ示しがつかない。母親には母親の名誉職的でもあり、かつ、実質的にPTAを運営するうえでのトップとして名実ともに権限を与えておかないと組織が回らない。「平日昼間」が元凶であるとしても、いや、元凶であればあるほど、なぜ「PTA会長は男性」なのかは解けない。

「父母と先生の会」

 1つの仮説としては、PTAのもともとの成り立ちの反省に立っている、という見方がありえるだろう。岩竹美加子が明らかにしたように、PTAを準備したのは、「母の会」であり、婦人会だった。

 PTAにつながる要素として、系統婦人会であること、連合し連絡提携をおこなうこと、横の組織と関連づけられること、個人主義を排すること、修養と奉仕の組織であることが挙げられる。PTAの煩雑な活動は、修養と奉仕、および共同体づくりを目指すものとして理解することができるだろう(8)。

 岩竹の主眼は、PTAの前史としての「母」の役割が大きかったありさまを強調するところにあるものの、「PTA会長は男性」との関連では、続く、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によるPTAの導入が興味深い。PTAは1885年ごろ、アメリカでアリス・バーニーが提唱した全米母親会議に起源をもち、第2次世界大戦後の連合国軍による占領統治で、教育の民主化の手段としてGHQによって導入される。
 このとき、1947年3月に文部省(当時)の作った『父母と先生の会』というパンフレットは、いまもなお、日本のPTAの源流として語られる。この「父母」という名称は、戦前の「母の会」や「婦人会」から大きな転換を迫るものだといえるだろう。女性だけではなく男性もまた、子どもの教育に参加すべきである、それこそが、男女同権の民主化である、そうしたGHQの姿勢が、この呼び方に表れている。
 PTAという呼称に代表されるように、あくまでもParents=親であり、母親とも父親とも限定していない。それをわざわざ「父母と先生の会」のように、「父」を入れたところが重要であり、岩竹は、次のように指摘する。

 父母別に二本立てにされた会ではなく、父母の会であり、先生中心ではなく、先生と父母が平等な立場にあって積極的な活動をおこなうものと構想されている(9)。

 教育の民主化の一つとして、父と母がまず対等であり、親として先生ともフラットな立場にいる。この点を強調するために、わざわざ「親」ではなく「父母」にした。そこであえて、これまで子どもの教育に後ろ向きだった父親を担ぎ出すために、「PTA会長は男性」という傾向が、各地で進んだのではないか。こうした仮説が成り立ちえよう。

3 なぜ、男性(だけ)がPTAを語るのか

男性による語り

 前回ふれた、『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版、2022年)の著者・岡田憲治は、刊行後、「朝日新聞」の記者によるインタビューで、「PTAについて語ることは、明らかにジェンダーの問題をはらんでいます」としたうえで、次のように語っている。

 父親たちが役員に増えると、空気も変わりました。父親がPTAに関わることが少なかったのは、必ずしも男たちの参加意識が希薄だったのではなく、参加の機会や条件が整っていなかったという面も大きい。前例踏襲で変えてこなかった慣習を少し変えるだけで、組織を軟化させ、新鮮な血液を送り込むことができるかもしれないということです(10)。

 岡田もまた、先にふれた行政評論家の大原みはると同じく、「平日昼間」というハードルによるものだ、という環境要因を挙げている。しかし、この前段での発言は、「PTA会長は男性」の理由を考えるうえで貴重な示唆を与えてくれる。

 例えばちょっと教育委員会に問い合わせする場合も、一回り年上で男性で大学教授という肩書を持つ僕と、専業主婦の女性の場合とでは、先方の対応が明らかに違ったりする。残念ですが、まだまだそういう男女の不均衡に根ざしたモードが残っている。それによくよく注意しないと、男の書くものは、自分のアドバンテージに無自覚で、手柄自慢の臭いがするようなものになってしまいがちです(11)。

 PTAに関するここでの岡田の言い分は、先に述べた環境要因とつながる。教育委員会をはじめとしたPTAの外が、男性>女性という視線を送っている、というのである。これもまた、「平日昼間」と並ぶ外側の状況であり、「父親がPTAに関わることが少なかった」理由の説明としては妥当だろう。
 けれども、反復してしまうものの、岡田のことばもまた、「PTA会長は男性」を説明してはくれない(12)。ヒントは、岡田がここで述べているように、「男の書くもの」という点にある。PTAに関わる人たちは、圧倒的に女性が多いにもかかわらず、PTAをめぐる語りの大部分は男によるものである。岡田にインタビューした「朝日新聞」記者の石川智也が説くように、「いわゆる「PTA本」は男性著者によるものが多く、圧倒的に男のディスクールでした(13)」。
 この点は、今回の冒頭でふれた近況につながる。
 わたしは、地元の祭りを「男の世界」だと感じた。この感覚は、「PTA本」にも通じる。男だけの世界、男だからこその書き方、男ならでは、の視点……。こういった、いまはポリティカルに正しくない、差別だと取られかねない感覚を抱く、その背景は、「PTA会長は男性」という点とつながるのではないか。

 次回は、この問いへの岡田の答えをきっかけに、岡田自身の著書での「男のディスクール」としての特徴を、ほかの事例(「イクメン」や男性の育休)と照らし合わせながら、「PTA会長は男性」の理由を、引き続き探りたい。


(1)「I あらゆる分野における女性の参画拡大」(https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r05/zentai/pdf/r05_genjo.pdf)[2026年2月16日アクセス]
(2)PTA運営ガイドライン検討会議『PTA運営ガイドライン――これからのなごやのPTA』名古屋市立小中学校PTA協議会、2023年、10ページ(https://www.pta-nagoya.jp/images/202301/ptaguidelinenagoya01_u3yxba9jmkpflgs1wv7d_u3yxba9jmkpflgs1wv7d.pdf)[2026年2月16日アクセス]
(3)「令和4年度 学校基本統計(学校基本調査結果)「名古屋の学校」」「名古屋市」(https://www.city.nagoya.jp/shisei/toukei/1003703/1003773/1004041/1034906/1004043.html)[2026年2月16日アクセス]
(4)「御園小学校と名城小学校の統合に向けた取り組み」「名古屋市」(https://www.city.nagoya.jp/kodomo/schools/1027693/1016995/1016810/1016833/1016892/1016894.html)[2026年2月16日アクセス]
(5)前掲『PTA運営ガイドライン』10ページ
(6)「父親も就任、PTAの「母親部長」 地域によって残る性別役職名 「時代にそぐわない」見直しも」「熊本日日新聞」2022年11月21日付(https://kumanichi.com/articles/859289)[2026年2月16日アクセス]
(7)大原みはる「PTA参加者の「男女の偏り」を引き起こしている「そもそもの要因」――「平日昼間に強制参加」というハードル」「現代ビジネス」2022年4月7日(https://gendai.media/articles/-/93952?page=4)[2026年2月16日アクセス]
(8)岩竹美加子『PTAという国家装置』青弓社、2017年、130ページ
(9)同書136ページ
(10)石川智也「PTAを「魔界」「義務」「苦行」から解放し、再び「民主主義の学校」にするために――なぜ野党が勝てないのか、そのヒントもPTAにある 政治学者・岡田憲治インタビュー」「論座アーカイブ」2022年5月17日(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022051300001.html)[2026年2月16日アクセス]
(11)同記事
(12)ただし、岡田は、ここで「PTA会長は男性」の理由を説明しようとしているわけではない。
(13)前掲「PTAを「魔界」「義務」「苦行」から解放し、再び「民主主義の学校」にするために」

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第11回 山下智久41歳の誕生日に『池袋ウエストゲートパーク』を想う

柿谷浩一(ポップカルチャー研究者)

最初期からあふれる哀愁

 山下智久との最初の出会いは、いまでも忘れられない。それは、まだアイドルとしても駆け出しだった15歳の山Pが、役者としての知名度を一気に上げ、その存在感を強く印象づけたテレビドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系、2000年。以下、『IWGP』)だ。そこで演じた、いつもスケッチブックを開いて絵を描いている素朴な専門学校生のシュンが、ぼくの胸を妙にとらえた。長瀬智也演じる主人公を中心とするヤンチャな仲間のなかで、ひとり口数が少なくシャイで内気で、メンバーの端っこにそっといて、人のあとをついていく控えめな姿は文字どおり脇役らしかったが、そのオーラは異彩を放って鮮烈だった。
 幼さが残るフェイスはかわいらしく、その甘さも、マイルドさを絶妙にブレンドして個性的だった。だが、なんといっても最大の魅力は、彼のたたずまいからじんわりと伝わってくる「哀愁感」だった。本音を話せる友達もなく、自分の居場所もない。そんな彼が池袋の公園で出会った主人公たちに「仲間に入れてくれる?」と願い出て、気づけば陽キャのメンバーに自然と交じっていく。作品を見返してみると、そんなシュンの心情については驚くほど説明がないことに思い当たる。だがそれが必要ないほど、あてどない孤独と隠した悲哀の心のうちを、たたずまいでもって山Pは十分に表現してみせた。どこか独特の「陰」や「憂い」を含む、そんな山Pの長所が役のうえで本領発揮されるのはまだ先のことだが、役者人生の本格的なスタートともいうべきこの時点ですでに、彼の特性は芽生え、力をみせていた。

時代とリンクしながら

 作中の不良たちは、どこにぶつけていいかわからない若者特有の鬱憤や持て余したエネルギーを、ギャングという破天荒な生き方に転化することで生きている。だがシュンは、そんな彼らの友達になっても、振り切って同じようには生きられない。その優しさとピュアさあふれる不器用さ、そしてそこにうっすらと漂う独特の悲哀は、彼個人の生き方や性格、置かれた環境を超えて、あの時代の空気感にふれている気配があって目が離せなかった。
 物語の舞台である2000年には、社会もカルチャーも新世紀を前に、まさに転換期を迎えていた。1990年代から2000年代へと移りゆくその年は、J-POPやギャル文化などが勢いを増し、文化的にはポップでポジティブな雰囲気が加速した。その一方で、前年ブームになった「ノストラダムスの大予言」に象徴される終末観や、バブル崩壊後の不況など、負のムードも依然として尾を引いて残存していて、社会全体に「明/暗」「陽/陰」が混濁したようなモヤがかかった時代だった。
 そのなかで漂う、どことない閉塞感、つかみどころがない停滞感……。1990年代ほどではないが、いや、それよりも曖昧で不明瞭になりつつあるからこそ、むしろいっそう厄介になったその重圧が、若者たち一人ひとりを覆っていた。山P演じるシュンはその象徴のような人物で、暗澹とした「時代の重し」を喧騒や暴力へと置き換えることができず、ひたすら自分のなかに閉じ込めて抱え、都会の街に置き去りにされながら、もがき生きるようで哀切に映った。シュンがまとうおぼろげな「哀愁」は、生身の山下智久が元来もつ個性の反映でもある。けれども、それが時代の雰囲気とリンクし、当時の平凡で等身大の若者(どちらかといえばオタク寄り)の実像をリアルにつかんでいたのは、若き山下智久の役者力のたまもので、彼の役者人生の原点として、しかと評価し記録されるべきところである。

尾崎豊の影をみる

 この作品の放送時、ぼくは大学3年にさしかかるころだった。進学にともなって上京して2年。東京にもようやく慣れ、自分の居場所や少ない友人をかろうじて見つけ出しつつあった。だがその半面で、なんともいえない寂しさも自覚するようになっていて、どちらかといえば社交的で活発ながら、不器用な性格のため、そうした本音を誰かに話すことも、また紛らわす方法や解決策も見いだせず、どこかスッキリしない日々を送っていた感触も強かった。
 そんなぼくに、山P演じるシュンは鋭く刺さった。
 この文章のために当時の手帳を掘り起こしたところ、ドラマの感想がペンで走り書きしてあるのを見つけた。そこには「山下智久のシュンは、風貌も年齢も職種も全く違うが、どこか尾崎豊の影がある。平成の尾崎だと思う」とあって、われながらなかなか面白いことを書いているなと読みながら、当時考えていたことが思い出されてきた。
 尾崎豊は、若者の孤独や葛藤や傷を「冷たい都会の街」に重ねながら、悲痛な叫びとして歌い続けた伝説のミュージシャンだ。彼が歌った、街の喧騒や群衆のなかでたたずむちっぽけで寂しげな青年は、シュンの姿とどこか重なった。事実、シュンが求めたのは、単なる友人でも恋人でもなく「仲間」。自分がこの世界に存在してもいいんだ、そう思わせてくれる人。あるいは、自分が生きる意味を与えてくれる人間関係で、それは「愛」と言い換えてもいいものだった。それは、まさに尾崎が追求したものにほかならない。器用ではないけれど、純粋なまでにまっすぐに、勇気をもって、自分とは全く違う不良グループという世界に飛び込んで、愛ある絆を都会の街に求めた。
 同じ東京の真ん中、同じ都会の空の下で寂寞としていたぼくは、そんなシュンが他人事とは思えず、とにかくいとおしく、大好きだった。それだけに、物語が進んでシュンが亡くなったときは、どうしていいかわからなくて狼狽した。そんな記憶が強くよみがえる。

圧倒的な死のシーン

 もう昔の作品だけに、前後の細かいストーリーは忘れてしまっている人もいるだろう。しかし、シュンの死が脳裏に色濃く焼き付いているのはぼくだけではないはずだ。それは、作品の真のクライマックスといっても過言ではないほど、どこか魅惑的で、インパクトがあった。ギャングの抗争に巻き込まれ、犠牲になってシュンは殺されてしまう。その悲しみももちろん大きかったが、なんといっても胸を突き刺して衝撃的だったのは、その死(体)の圧倒的な美しさである。
 主人公が仲間たちのたまり場にあるロッカーを殴ると、開いた扉からおもむろに、手足を拘束されたシュンの死体が、無数の黒い羽根とともに静かに倒れてくる。蒼白な顔と黒い羽根、体を拘束する白い袋と黒い布。そのコントラストのなかで、シュンは死んだというより、まるで永久とわの眠りに就いたようで、神秘的な威光を放って圧巻だった。作中にはケンカ、傷害、殺人……、数々のバイオレンスが散りばめられているが、そのすべてを自分の肉体と死でもって代わりに償い、昇華し、浄化するようにも映って、それがさらに胸を苦しくした。
 その姿を見ながら、ストーリーの流れうんぬんとは別に――つまり、シュンという人物への喪失の感情とは別に、そのもっと奥底から湧いて出てくるかたちで――、悲しさとは違う涙がすっと頬に伝ったのを鮮明に思い出す。少なくとも当時のぼくは、それまでほかのどんな作品や物語でも、そうした涙を流したことはなく、初めての経験だった。
 自分で形容するのは恥ずかしいが、物語によって動かされる感情とは切り離された、妙に静かでじゅんな、心というより「魂」が泣いて、「魂」から流れる涙。そんなふうに感じられるものが目から流れた。場面を観た心境としては、ひたすら悲しくてやり切れない。でも、そんな次元ではない、感情という尺度では到底説明できない心の揺れのようなものが、命のはかなさや、愛に飢えた都会の若者の救いがたさと一緒になって襲ってきて、どうしようもなかった。目を閉じて、体を倒す。ただそれだけのアクションであるにもかかわらず、そこまでの感慨をもたらす山Pの芝居に、言葉がなかった。
 シュンが優しい人間であることはストーリーから十分わかっていたが、山Pの死の演技は、どれほど彼の心が美しかったかを余すところなく伝えて見事だった。心が清くピュアな人物なればこそ、その死も途方もなく必然的に美しい。その事実、いや真実を目の当たりにして、犯罪や乱闘にまみれた物語のなかで、シュンが心をけがすことなく、ひたすら仲間の「愛」を求め、その「愛」に囲まれ支えられた短い人生だったことを思うと、また胸がギュッとなった。そして、山Pは「美しい心」の持ち主を演じさせると一級であることが、役者としての彼を見るのは初めてながら、強く確信できた。
 こうしたもろもろの想いや発見を含め、若いぼくのなかで、血の気が引いたシュンの蒼白の顔は、色白が特徴的だった尾崎豊の面影にも接続しながら、特別な出来事として深く胸に刻み込まれたのだった。

開花する「美」の表現力

 このあと、山Pは年齢と作品を重ねるたび、その外貌に磨きがかかって、そこに向けた賛美や評価はうなぎ上りになっていった。しかし、そうした外見の美しさの魅力はもちろんだが、彼のなかで真に優れていて、また評価すべき点は、何かを――とりわけ対極の位置にある「怒り」や「悲しみ」だったり、「醜さ」や「悪」といったものを、極上の「美」でかたどってみせる、そしてそこに、ひと言では形容しがたい深遠な感銘を作り出す表現力だと思った。山P自身も美しいが、美を芝居のエッセンスにしうる。それを、役者・山下智久の本格的な幕開けの記念碑であるシュン役のときから、強く感じてきた。
 そんな『IWGP』からちょうど25年がたち、山Pが直近でみせた成果である配信ドラマ『神の雫/Drops of God』シーズン2(Hulu/Apple TV+、2026年)でも、その魅力はふんだんにあふれていた。(詳しいことは別の回に譲るが)例えば最終話で、山P演じる一青とカミーユが寄り添って海を眺めるシーン。海も空も、2人の前に広がる世界は、ほの暗くくすんで重たい。2人の心は極限まで傷つき疲弊し、孤独と絶望に満ちて、そのさまは「精神の死」と呼んでも大げさではない。だがその暗澹と絶望さえも美しく見える。絶句するほど、どこまでも美しい。そう、決して美しくなどないはずなのに、とびきり崇高に映える。それゆえ、観る側を襲う悲痛は凄まじい。
 このシーンに限らず、そんな光景が『神の雫』には幾度もあった。その静謐な「美しい絶望」の2人に息を飲み、何度もそれを見返しては余韻にひたっていると、内容も状況もぜんぜん異なるが、あるときふと、シュンの死の場面が脳裏をかすめた。

まっすぐな山Pへ

『IWGP』から、早いもので四半世紀近い月日がたった。いまでは国内だけでなくグローバルに評価される一流の俳優になった山Pは、芝居の幅も格段に広がり、スキルも増した。だが、ただ拡張しバラエティーに富んだ進化を遂げたというより、原点である『IWGP』から最新作『神の雫』シーズン2まで、持ち前の個性や特質を基軸にしかと据えながら、腕前を磨いてきたという印象が強くある。そんなまっすぐな姿勢の山下智久が好きだ。そして、その歩み方と軌跡を、ドラマのなかの彼に出会ったあの日にさかのぼって想うと、なんとも誇らしくさえ思えてくる。
 今日、4月9日で、山下智久は41歳の誕生日を迎えた。『IWGP』でいうと、年長の主要人物・横山署長を演じた、当時の渡辺謙(1959年生まれ)を越える年齢だ。劇中で最年少の人物だった山Pが、である。そう考えると、このかんの時間、そこにあった著しい成長と飛躍もいっそう感慨深い。
 そして毎年、この日に強く想う。原点から延びる「一本道」を地道に、でも果敢に歩み続ける山Pを、これからも変わりなく見せてほしいと。そして、ぼくもそれをまっすぐ追い続けていきたいと。
 
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第10回 たしかな未来へ、言葉の秘儀――ライブ「Beautiful World」と『インハンド』から

柿谷浩一(ポップカルチャー研究者)

希望の名言

 山Pには、彼が語るからこそ胸に響く印象的な「名言」がいくつかある。なかでも、飛び抜けて多くの人に“救い”をもたらして記憶に残るのが「控えめに言って希望しかない」である。2021年、コロナ禍(新型コロナウイルス感染症拡大)の最中におこなわれたオンラインライブ「Beautiful World」の締めのトークで語られたフレーズだ。社会も人々も先のみえない不安に押しつぶされ、何に向かってどう歩けばいいかさえわからないなか、「ここからですよ」と言って、「楽しいこと」があふれる未来を観客に向けてありありとイメージさせ、力強く提示してみせた。コロナ禍の影響で今回かなわなかった生ライブもふくめて、今後の活動を前向きに予告したものだが、そのひと言の力は規格外だった。
 人々が見失いかけていた生きることや人生、またこの世界のポジティブな側面を一瞬にして強く思い起こさせ、活力をもたらした。より正確にいえば、聴いている人のうちにある前向きさや気力、勇気といったものが山Pの言葉によって刺激され、おのずと、沸々と息を吹き返し、「この先はきっと大丈夫だ」という強い確信をぼくらは手にできた。そしてトークが終わるころには、暗鬱としたもやがかかっていた視界はすっと開け、コロナ禍以降はじめてといっても過言ではない解放感を強く感じた。
 ほかのアーティストもそうだが、なかでもアイドルは、社会や文化状況がどれほど苦しいときも、いやむしろそういうときにこそ、人々にパワーや光を授ける、それが仕事のひとつの核といえる。とはいえ、誰も経験したことがないコロナ禍という絶望にも近い状況下で、ごく短いワードによって、有無をいわさない「希望」を与えてみせる。それは簡単なようにみえて、相当の覚悟と自信、そして責任も必要なことだ。当時たしかにいろいろな表現者が個々に「がんばろう」というエールを発して、どれもが力になった。だがこれほど堂々たる姿勢で、しかもきっぱりと〈宣言=断言〉するように、どう転ぶかわからない未来を自分の手につかむ。そんなたくましさとスケール感でもって「これから待っているのは希望ばかり」と豪語しえたアイドルはどれだけいただろう。おそらく稀有だったはずだ。

現代が「山Pの言葉」を待っている

 対面ではないとはいえ、ライブの実施だけでも大きな「希望」だった。だがさらに言葉(の力)によって、コロナ禍の現状をとりまく閉塞感を楽しみへと瞬時に反転させ、光が差す道を指し示す。それは、たしかにファンへ向けたアイドルらしい身ぶりでありながら、コロナ禍を生きる人全員の「未来を保証する」、それぐらいの気概とパワーに満ちていた。
 やや照れくさそうに笑みを浮かべた顔、キザっぽい決めぜりふの感じ、そして耳に残る表現選びなど、観客を少しでも笑顔にしたいという配慮にあふれ、たしかに言葉のトーンはカジュアルではあった。だが疑いなく、そのワンフレーズからは「未来の像」が力強くダイナミックに具現化されて伝わって、手ごたえも圧倒的だった。
 この先の未来、それも激動のただなかにある社会の行方に言及することは、難しくナーバスなだけでなく、ともすると仰々しく映ったり、言葉が浮ついたりする恐れもある。だが山Pにそんな印象はかけらもなく、むしろあるのは「きっとそうにちがいない」と納得させられてしまう、強靭なまでの説得力である。長々とした説明で語りかけるのでも、目に見える根拠によりかかる説得でもなく、口から出る言葉ひとつでそれをなしえるのだから大したものである。
 現実的な説明ができないわけではない。独立や海外進出など、ここまでの数年間、ほかのアイドルにとって未踏の挑戦を続け、数々の苦難や障壁を乗り越えながら実績を上げてきた山Pだ。その地道な歩み、堅実な努力、想像を上回る新しい景色を見せてきた実践力……、そうしたバックグラウンドがあってこそ、彼の言葉は信頼を獲得した。だがそうしたことをいったん脇に置いても、山Pは「言葉」で未来を作り上げる、それがいいすぎならば、未来へのレールをみせて実感させる。彼の直近のテーマに沿っていえば「vision」を打ち立てる。そんな力が、彼の言葉には十全に備わっているように思われてならない。
 山Pはどんなときも、変に熱を帯びて語ったり、複雑なレトリックやロジックで話したりはしない。その逆で、顔つきやたたずまいに由来するクールさやスマートさで、どちらかといえばラフな軽妙さで、でもパワフルな確実性を備えて「芯の通ったこと」や「真を捉えたこと」を発信する。そのテイストこそ山下智久だ。そして、そこに比類ない信頼が含まれるのは、メッセージの中身や意味だけが理由ではおそらくない。彼の言葉の姿が、どこかいまの時代に合致し共鳴する、いわば現代の言葉のモードに応えられているためではないか、という感じが強くある。
 このフレーズ以外にも、「人生は一度しかない」「(岐路では)困難なほうを選ぶ」をはじめとした彼の名言は、信念を貫くブレない生き方と、そこにある強い意志と結び付いて重みがある。だがそれでいて、その届け方とパッケージの仕方――そこには言葉の温度感や質感、耳触りなどのもろもろがふくまれる――は、常にクレバーでクリアで、風通しがいい。そしてシンプルである。
 この息苦しい現代、ゆるぎない確かな希望や道しるべを求めている人は少なくない。だが暑苦しい力説や教訓なり、上段に構えた指南なりを欲しているわけでは必ずしもない。むしろ人々のニーズとしては、そう、山下智久の言葉のように端正でさっぱりしながらも、届けられる感触は厚く、「生」をグッと後押ししてくる。そういう言葉のかたちが、いま(特に平成から令和への移り変わりのなかで)受け入れられているように感じる。その点で彼の言葉は、まず第一にファンへ向けられてはいるものの、広く大衆の胸にも届く時代性を備えているのではあるまいか。いまや彼の発信の主要な場のひとつになった「Instagram」を見ても、それぞれの投稿に添えられるごく短い一言(ときに簡素な英語のフレーズなど)が心地よくも、同時にしばしば「格言」めいて響いて話題になることも、その象徴のひとつだ。
 山下智久の言葉は、いまこそ求められている――。

紐倉哲のメッセージ力

 そんな山下智久の名言、山Pと格言がもつパワーは、役のなかでも顕著だった。近作で思い起こすのは、テレビドラマ『インハンド』(TBS系、2019年)だ。――ちなみに、この作品が終盤で描く題材は、未知の新型エボラウイルス。日本中がその恐怖に包まれて困難な局面を打破していくストーリーは、いまから振り返れば、コロナ時代を半年先取りして意義深くもあった――。山Pが演じるのは、メカニックな義手を装着した、天才だが変わり者の寄生虫学者・紐倉哲ひもくらてつ。彼が独自の科学的知見から、感染症やウイルスに関する事件を解決していく医療ミステリーだ。その毎回のラストで、紐倉博士が関係者(被害者や加害者)に向けて繰り出すせりふが作品の肝だった。
 初回の「お前は人類の希望だ」「僕たちの救世主だ」、同じく初回のラストに置かれて物語全体のテーマにふれた「誰も無力じゃない、僕も君もね。未来は、僕たちの手の中にある」のほか、第4話の「人間は笑顔になれる唯一の生物だ。だからもっと笑えばいい」など、ハッとする気づきや視点をもたらすとともに、シンプルながら深く考えさせるポジティブな名言が多く並んだ。人や事物の本質を鋭く突く至言なのはもちろんだが、博士のメッセージの凄みは、やはり圧倒的な「肯定力」にある。
 といっても、相手への同情や共感とともにやみくもに慰めたり激励したりする、そういった浅い肯定ではない。博士がおこなうのは、その人の言動や心情というレベルをはるかに超えて、その存在自体を丸ごと、この世に等しく生きる「生物」というくくりで捉えて、強力かつ豪快に認めてみせること。それは、その人が世界に生きる命として、唯一無二にして大きな「希望」と「可能性」に満ちていることを証明する営みで、「君には生きている価値があり、生きるべき意味がある」、そんな保証というべきものだ。これはフィクション上の表現ではあるが、短い一言でがっしりと「希望」を授けて人を「未来」へと導く。その疑問を挟む余地もない圧巻の感触と桁外れの説得力は、やはり先にみた生身の山P(の言葉の特性)によって担保されている部分が少なくなさそうだ。「人類を代表して言うよ」といったせりふに代表されるように、メッセージの射程と規模もとにかく大きい。そこに違和感を抱かせず、地に足ついた言葉として感じさせたのは、やはり山下智久が演じればこそだ。
 彼(という存在)から発せられる言葉は、語気や言い回しに特別な雄大さはないが、個の枠組みをはるかに超えた壮大なスケール(ここでは「地球」、そして古来からの「生命の歴史」という規模感)や重みにも耐えうる強度があって比類ない。時間でいえば未来、モノでいえば人類や世界全体――そうした遠大なものを対象にしたメッセージを語れる特質が、山下智久にはある。

語りの秘儀

 しかもこの作品についていえば、山Pの語り口(の芝居)も秀逸だった。放送時には、博士のしゃべりがボソボソしていて聞き取りにくいという批判があったが、それは的を外している。たしかに山Pはほかのどの作品の役にもまして、意図的に声を低音にして、抑揚を欠いた話し方で演じている――感情を出さない持ち前の雰囲気もそこに加わるため、ことさら平坦な口調の印象は強かったのかもしれない。だが、それでいい。それでこそ博士の名言は成立しえた。
 例えば第3話には、「生物は死を必要としている」として、死にゆく者とその悲しみの必然を説き、「僕たちは失ったものを受け入れて、それでも生きていくしかない」と語る場面がある。こうした言葉は、科学者のものだからこそ「真理」として胸に刺さる。その支柱をなすのは客観性と論理性だ。決して己を語るのでも、主義・主張を訴えるのでもなく、感情を極力セーブしながら、科学的事実を淡々と積み重ねて論証するようにして、博士の結論=メッセージは生まれゆく。その独特にして学者らしい思考のプロセス、言語の運動を、うまく制御された語りで見事に実現している。
 しかも、こもった声のトーンは、博士の生き方と価値観――彼が徹底的な内省のもとに生きていることを巧みに表現して雄弁でもあった。最終話の「今日が無事に終わらなければ明日は来ない。明日が来なきゃ明後日もない。100年後っていうのは、そういったかけがえのない毎日の積み重ねでやってくる」は、科学の将来のため目の前の犠牲(死者)もやむなしと考える若手研究者に吐く言葉だが、博士は他者に向けて語りながら、常にそれを自分自身に向けてもいる。彼のメッセージは、単に相手に伝える考えや想いなのではなく、自身への確認や戒めだったり鼓舞だったりする。対話とメッセージに目を向けただけなら、それぞれの名言は核心を突いた「ゆるぎない答え」のようだが、博士にとってすれば、それは迷いや葛藤、課題として現在進行形で「揺れ動く問い」として存在している――とりわけ、親友の助手を死なせた過去の傷を背負って心の奥を閉ざした物語前半までの博士には、それが色濃く感じられた。つまり、くぐもって不明瞭にも思える山Pの声と語り口は、これらのメッセージが他者と同時に己に向けた「独白」でもある点で、よく機能して巧妙だったのだ。
 名言が名言たりえるのは、それが一方的に言い放たれるのでなく、それを発した本人の内部で反芻され、自己の問題としても引き受けられる。その緊密な結び付きがあればこそ、鋭くも強靭で、またその一方で、慈しみ深いものとして力を帯びる。博士の語りにはそれがしっかりと確認できる。

書物の言葉のように

 さらにいえば博士の口ぶりは、淡々としていながら、えもいわれぬ「詩情」のようなものを含んで響くのもいい。彼は科学者でありながら、その言葉には、科学とは反対にある文学や哲学にも似た色味がある。第9話に、医者の本望を忘れて私利私欲に落ちた人物へ放つ、こんなせりふがある。「肩書きがなくては己れが何なのかもわからんような阿呆共の仲間になることはない」。博物学者の南方熊楠の文章を引用したものだ。このシーンは、ほかにいろいろなフレーズがあるなかでも、ドキッとする衝撃で作中に引き込んだ。それは、場面の雰囲気を断ち切るように古風な文言を持ち出した意外さもさることながら、引用というスタイルが博士の話し方とじつによくマッチしていたためにほかならない。実際に引用が使われる場面はあまりないが、博士の名言は、何かの「書物」――あえていえば詩や小説の一節を引いて〈朗読〉するのに近い深みと味がある。単に理論的で理知的というのではなく、広大な「人文学の知」のもりから彼の名言は出てくる、そんなイメージとでもいったらいいか。それゆえグッと聴き入ってしまう。
 
 山下智久を通して語られる「名言」は深く胸を刺してくる。繰り返すが、それは意味のためだけではない。彼はいうなればメッセンジャーとして、言葉の届け方/作り方の点で無類の個性を有しているのだ。それが現実か虚構かを問わず、そうした彼の言葉のかたちにも、ぜひもっと目を向けたいところだ。とりわけ、彼が語る「希望」や「未来」がもつ創造力は、いままで以上に波及して、ぼくらとこの世界のエネルギーになっていくにちがいないから……。
 
筆者X:https://x.com/prince9093
 
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三という数字に惹かれて――『ロックミュージックの社会学 決定版』出版に寄せて

南田勝也

『ロックミュージックの社会学』のリマスターに注力しているとき、つくづく自分は「三」という数字に惹かれているのだなと感じた。多少なりとも意識はしていたが、『決定版』のために針をも通さぬよう論理を再点検しているなかで、そう自覚した。
 私がたびたび用いてきたロック音楽文化の「三つの指標」は、より反体制的な立場へ接近しようとするアウトサイド指標、より非日常的な領域へ踏み出そうとするアート指標、そしてバカげたことをあえて成し遂げようとするエンターテインメント指標だ。この三つを頂点とする「三角形」を想定し、そのあいだに張り渡される緊張関係を一つの「構造」として考えてきた。難解な芸術とわかりやすい娯楽、大衆的広がりとコアな共同体、政治的実践と芸術的実践といった対立が、互いに引き寄せ合い、ときに反発しあう。その運動のなかで文化はかたちを変え続ける。私はその空間を「ロック場」と呼び、ロックの本質とは固定的な実体ではなく、差異の関係のなかでそのつど立ち現れるものだと捉えてきた。
 しかし、なぜ「三」なのか。この問いは以前にも考えたことがあるのだが、あらためて自問してみると、いくつかの理由が思い当たる。文化研究の系譜において、文化を複数の領域に分節する発想に親しんできたことは確かだし、鶴見俊輔やフィリップ・タグ、サイモン・フリスらが示してきた三区分(伝統/大衆/民俗という文化類型)の視点も背景にあるだろう。だがそれ以上に、社会科学一般の思考習慣との対比が、自分の志向を浮き彫りにしているように思う。
 社会学は伝統的に二分法を好む。フェルディナント・テンニースの「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ」、エミール・デュルケムの「機械的連帯から有機的連帯へ」など、近代社会の成立を説明する際には対照的な類型が提示されてきた。変化を論じるときも、近代化や都市化といった「○○化」はビフォアとアフターを前提とする。さらに縦軸と横軸を組み合わせれば四象限が得られ、理念型の整理や調査設計において有効に機能する。ロバート・K・マートンの顕在的機能と潜在的機能、順機能と逆機能の区別、タルコット・パーソンズのAGIL図式などを思い起こせば、社会学がいかに四角形的思考に親和的であるかは明らかであり、私自身も長くこうした図式の恩恵を受けてきた。
 それに比べると、三角形はやや哲学的であり、美学的である。社会学の三大始祖のうちもっとも哲学に近かったゲオルク・ジンメルが指摘したように、二者関係に第三者が加わると相互作用の性質は質的に変化する。仲裁者、調停者、あるいは観察者としての第三者が介入することで、関係は単純な対立を超えた複雑さを帯びる。また、大澤真幸が論じた「第三者の審級」のように、実在する個人を超えた超越的視点を想定する議論もある。こうした発想は、数量的な整理だけでは捉えきれない社会的経験の層を示している。
 さらに美学の領域に目を向ければ、テオドール・アドルノの否定弁証法が想起される。ヘーゲル的な止揚の運動とは異なり、矛盾を安易に解消することなく、その非同一性にとどまろうとする態度である。音楽作品に向き合うとき、私たちはしばしば合理的な説明を拒む何かに出合う。理性だけでなく、未知のものを未知のまま受け取る感受性が求められる。そこでは二項対立に収まりきらない第三の契機が不可欠になる。だからこそ私は、ロックという美的表現を考えるときには、三角形に立ち返ってしまう。
 音楽社会学が音楽そのものを主題とすべきか、それとも社会的文脈を重視すべきかという問いは古くから繰り返されてきた。しかし実際には、作品と聴き手の関係、音楽を媒介としたコミュニケーション、さらには感情や記憶のはたらきといった問題を考えるとき、哲学や美学の視座を取り込まずにはいられない。そして、その複雑な関係を見通すためのモデルが必要になる。
 振り返れば、私が三角形にこだわってきたのは、世界を単純な対立ではなく、複数の力が拮抗しつつ動き続ける場として捉えたかったからなのだろう。三つの点を結ぶことで生まれる微妙な歪みや緊張は、文化の運動性を直感的に示してくれる。三角形は決して安定した図形ではない。わずかな力の変化で形を変え、内部のバランスを揺らし続ける。その可変性こそが、私にとって思考の足場となってきたのである。
 ――と、そんなことを考えながら、先日刊行された『音楽史事典』(日本音楽学会編、丸善出版)の自分の担当項目を確認していると、「日本のロック」の項で私は、その始祖としてジャックス(1967-69年)、はっぴいえんど(1969-72年)、フラワートラヴェリンバンド(1970-73年)の三つのバンドを挙げていた。こんなところにまで……と、思わず苦笑してしまった。どうやら、この癖は当分抜けそうにない。
 
『ロックミュージックの社会学 決定版』試し読み
 

第9回 原点にして出発点、ルート66の一人旅【後篇】

柿谷浩一(ポップカルチャー研究者)

寡黙の裏にある真摯さ

 山Pはどこか控えめで、物静かな面がある。あまり多くを語ることなく言葉数が少ない、そうした印象をもっている人も多いはずだ。だが実際、彼は語ることにも秀でた「言葉の人」でもある。それがよくわかるのも『山下智久・ルート66~たった一人のアメリカ』の見どころである。番組は、訪れる旅先や人々との交流を中心に据えながら、ルート66をひとり運転する車内の様子、そして帰国後に収録された友人リリー・フランキーとのトークコーナーを交互にサンドする形式で毎回構成されている。そのいずれにも、山Pの「言葉」のありよう――とりわけ、その素直さがありありと感じられた。
 旅全体を振り返ってゲスト相手に話すときも、ひとりハンドルを握りながら立ち寄った先の出会いにふれて想いをつぶやくときも、そこにはまったくてらいがなく、じつにシンプルで端正な言葉でもってよどみなく話す。その山Pを見て「こんなふうに語れる人なのか」と目を見張った。
 饒舌とか話がうまいというのとは違うが、自分の気持ちや考えを明晰かつ簡潔に言語化してソツがない。そして語彙の選択も含めて、彼の言葉の流れはじつに心地よく、すーっと思考を言語にしていく感じが強い。山Pが自分で言うほど口ベタというイメージはもっていなかったが(とはいえ、それをじっくり確認する機会はこの作品以前に少なかった)、それにしても、これほど言葉に長けているというのは新たな発見だった――そう感じたのは決してぼくだけでなく、山Pが語れる人だというイメージは、そう広くは認知されていなかったはずだ。その(魅)力が存分に発揮されるのは数年後、冠番組のバラエティーや自身がパーソナリティーを務めるラジオが始まってからのことだ――。
 そんな山Pの語り(方)が魅力的に感じられる最大の理由は、おそらく自分の想いを「言葉」に乗せる、「言葉」に換える。そこに彼がとことん実直であるためにちがいない。対話相手や風景の前で言葉をなくすのと同様に、言葉を豊富に出す場でも、彼は「言葉」の前に誠実である。トークコーナーのなかで「芸能界に入っていなかったらどんな仕事をしていたか」と質問され、山Pが「もうちょっと考えていいですか?」と一拍おいて答えるシーンがある。それは考えるための時間というのもあるだろうが、やはり「言葉」にするということ、「言葉」そのものに、謙虚でまっすぐである証しに思えた。
 山Pを指してしばしば、世間は「寡黙」という。確かに人に比べれば、口数は少なく控えめだ。だがそれは性格に由来するだけでなく、山P特有の「言葉との向き合い方」も反映されてのことだと思われてならない。つまり、彼は「言葉」に対して、言語による心情表現に対して、じつに真摯なのだ。だからこそ彼が発する言葉は変に飾ることなく、「Instagram」の投稿コメントもそうであるように、心地よいまでのスマートさでもって、違和感なく人々の胸にすっと届いてくる。
 アイドルはどうしてもその存在性ばかりが注目されるが、「言葉の職業」であることも忘れてはならない。そんな点で、この作品は山下智久の「言葉のドラマ」として、彼を知るための重要な示唆を含んで刺激的かつ有意義だった。

「運命」をたぐり寄せる

 この旅で、山Pが最終的にたどり着いたひとつの答えが「You can do it」、やればできる。だからこそ、目標のためにブレずに、やるべきことへと突き進むという意思の確認だった。もちろん山も谷もさまざまに経て、ここから人々の予想を超えながら、ソロとしての彼の快進撃が本格的に始まっていくわけだが、時間がたってみると、この作品は彼の「未来」の運命をたぐりよせる。そんな奇跡ともいうべき一面ももちあわせていたことにも気づく。そのことを書き加えておきたい。
 ――作品によっては、この『ルート66』を意図的に参照したり、そこから何かしら着想を得て作られたものもあるかもしれない。だがそうした実際がどうかより、その後のさまざまな作品と「旅」とが一本の線として接続して映る、そこに感じ取ることができる「宿命」のほうが大切だ。彼にとってこの旅が、ソロ活動の単なる始まりではなく、疑いなく今後の「原点」になり、自身のモチベーションだけでなく表現活動の原動力とビジョンにもなっていった。そうなるように活動が展開されていった。その証しとして、この旅で経験したこと、この映像に収められたものが、のちの彼のさまざまな重要作品と地続きになっている。
 山Pには、この『ルート66』の時点では未発表だった一曲がある。それは、山P自身が作詞を手がけた「Dreamer」。この曲は、初のアジアツアーコンサートを収めたDVD『SUPERGOOD, SUPERBAD』(2011年)の特典映像の終盤パートでサウンドトラック的に一部が流れただけで、長く音源化が待たれていた。それが実現したのが、ソロになって数年間の集大成ともいえる初のベストアルバム『YAMA-P』(2016年)だった。そのとき公開されたMVの舞台になったのは、ほかでもなく旅で最も大きな影響を受けたと語る、アリゾナ州モニュメントバレー地域。足元がすくわれるような絶壁に孤高に立ち、延々と続く荒涼とした大地と空に対峙して歌う、勇敢ながら神秘的ですがすがしいその姿は、旅の風景体験としっかり重なっていた。
 歌詞にも「奇跡の星に生まれた命さ 何だって出来そうな そんな気がしてこないかい?」と出てくる。ここだけ切り取ってみると、いくぶん過度に壮大で現実離れした表現メッセージにも映るが、山Pが絶景を前に「大げさだけど、地球に生まれてよかった」ともらした実感、そして出会った人々にもらった夢へと突き進む勇気。それらを根拠にしていればこそ、強烈な説得力で胸に迫りくる。
 同じく旅の途中、立ち寄ったテキサス州での本格的なカウボーイ体験、さらには西部劇のショーの経験も、テンガロンハットをかぶって歌う姿が印象的な、グループ脱退後初のシングル曲「愛、テキサス」(2012年)の世界観につながっている。ほかにも、大自然と一体化するように深呼吸する姿は、テレビドラマ『アルジャーノンに花束を』の終盤、高知能のあまり死の恐怖や不安を感じることさえできず、生命の輝きと尊厳の念に満ち満ちた主人公が、森のなかで太陽に向かって両手を大きく広げて世界とつながる崇高なショットに重なるなど、ルート66の体験を背後に感じさせる演技や表現は数多い。
 ――ちなみに余談までにいうと、この旅以前に目を向ければ、山Pの代表作『プロポーズ大作戦』で主人公たちがいつも集まるアメリカンなハンバーガー店に「ROUTE 66」のプレートが象徴的に飾られていたことも思い出される。そこからみれば、アメリカ横断の旅自体が過去(の作品)からすでに宿命づけられていた感じさえして、不思議でもある。

山PからTOMOHISA YAMASHITAへ

 そしていちばん大きいのは、山Pにとってこの旅が英語を学ぶ入り口になったことだ。作品の時点では英会話の単語帳を手にするなど、旅行に必要な最低限の会話がどうにかできる程度の語学力だった。しかしその後、継続的な学習で英語力を鍛え、それを生かしてたびたび自ら海外へ出向くなどしながら、映画『サイバーミッション』やドラマ『THE HEAD』、そして近年では国際エミー賞(連続ドラマ部門)を受賞した『神の雫/Drops of God』と、グローバルな出演チャンスを手にしてきた。
 旅のゴール近く、アカデミー賞授賞式の会場として知られるドルビー・シアターの前を通るとき、「あのレッドカーペットをいつか歩きます」と宣言するシーンがあるが、その約10年後、2020年には、映画『マン・フロム・トロント』でのハリウッド進出を確かに実現してみせた。つまりこの作品は、ぼくらがよく知る日本のアイドル山Pが、世界のTOMOHISA YAMASHITA(TOMO)へと羽ばたいていく旅の序章でもあって、彼のグローバルな活躍はこのときから強く方向づけられた、そういっても過言ではない。
 役者やアイドルをキャスティングした海外旅行の番組は、「旅番組」「紀行番組」という一企画として終わることも珍しくない。だが山Pの場合、それは今後の活動と分かちがたく結び付く、立派な「作品=物語」になった。そう、『ルート66』はただの単一のコンテンツや通過点ではなく、山下智久の活動と軌跡に有機的に関わる、いわば「未来の彼を作る」、彼だけの、彼のための作品になったのだ。
 
 この旅が、彼の未来を決定づけ、未来の運命を作った。そう確かに感じられるのは、旅で得た経験を、しかと目に見えるかたちにして生かしていく。そんな山Pの努力と実践力があってのことだ。You can do it(やればできる)――その勇気や熱意を、決して抽象的なもので終わらせず、You did it(やった、あるいは、よくやった)として、着実にかたちにして成果として現実にしていく。それは並大抵のことではない。旅で見聞きしたこと、感じ取ったものを「原点」に、それをこれからの活動の駆動力にしえたのは、山下智久という人間とアーティストの力といわなければならない。
 
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高原書店からよみた屋を逆照射する――『古本屋という仕事――スローリーディング宣言!』を出版して

澄田喜広

 2025年末の12月によみた屋吉祥寺店を改装しました。1997年に開店してから3度目の大きな改装です。
 最初は壁面以外に両面の棚が4列で全10面の棚がずらりと並ぶ、「とにかく本がたくさんある」本屋でした。棚と棚の間の通路は90センチでしたが、柱が出っ張っているところは60センチぐらいのちょっと狭苦しいお店です。
 2002年ごろ、両面の棚を3列にして、少しゆったりとした配置にしました。西荻窪と阿佐谷にあった店を統合して吉祥寺店だけにしたこともあって、このころが店舗での売上の最盛期でした。棚の後ろに空間を作って、未整理の本を置く小さな倉庫スペースにしました。
 2度目の大改装は可動棚を使いました。木製で、視線ぐらいの高さにしました。最初は見通しがきいて気持ちよかったのですが、いつの間にか棚の上に本が増殖して、可動棚の車輪も重みに耐えかねているかのようでした。
 今回の改装で当初に近い4列配置に戻しましたが、柱の前は避けて狭いところを作らないようにしました。以前の倉庫用の棚とは違い、廃業した書店から譲ってもらった書店専用の高性能棚なので収納力が高く、これまでで最高の蔵書量になりそうです。
 そのときそのときの社会情勢や流行と自分の気分の折り合いがつくところを求めて、店の雰囲気を変えてきました。店長を務める妻との話し合いも重要です。ときには遠慮し、ときにはぶつかり合いながら、二人の考えを一致させます。うまくいっていない部分があると、そこがお互いのイライラの発火点になります。
 ずっと変わらないのは、店の奥の突き当たりの壁。思想・哲学の棚が30年以上にわたって変わらずにあります。そこから放射するように言語、心理、宗教、歴史、社会、科学、美術の本が、少しずつ配置を変えながらあって、手前に音楽、芸能、まんが、文学、文庫、新書、児童書、実用書などがあります。考えてみると、改装しても基本的な配置はあまり変わっていません。
 改装したばかりの棚をごらんになったお客が「高原書店を思い出す」とおっしゃいました。高原書店は、私がかつて勤めて修業した店です。その高原書店が閉店したのは6年前ですが、懐かしんで惜しんでくださるお客がまだたくさんいらっしゃいます。よみた屋とは什器も違いますし、置いている本ももちろん違うのですが、どこか受け継いでいるところがあるのでしょう。私自身も、自分の店では思いませんが、かつての同僚や、それどころか私の店から独立した人の店づくりでさえ、ふと高原書店の香りを感じることがあります。
 先日、高原書店の社長の高原坦が亡くなったあとに経営を受け継いだ陽子夫人に、同僚二人と一緒にインタビューする機会がありました。話を聞くつもりでしたが、つい当時の思い出がよみがえり、座談会のようになりました。
 私がいたのは1980年代ですが、そのころすでに高原書店は新古書店・インターネット古書店・個性派古書店の先駆けになる仕事をしていました。経営はずっと苦しかったと思いますが、社会への貢献という意味では立派な古書店でありつづけました。私のように「なるようになる」経営ではなく、高原社長は理念に基づいて理想を追求し、それを成り立たせる方法を考え続ける人でした。
 戦後の古書業界の重鎮である反町茂雄の「古本屋は、金を借りるな、人を使うな、安い本を扱うな」という教訓がありますが、高原書店はすべてその逆の経営をしました。「大量生産される本は、商品の量が多く、企業として発展性があるが、古典籍や稀覯本は全体の量が少なく、企業として発展する可能性は少ない」と高原坦の著書『古本屋30年――古本屋人生中間報告 増補改訂版』(自家版、2009年)にあります。
 高原書店の大量に出版された本を安く(定価の半額程度で)売ることと、古い専門的な本を売ることを一つの店で完結させるやり方は、新古書店と個性派古書店という別のビジネスモデルとしてそれぞれ発展しました。そのうち後者は古書組合に所属する店も多く、従来型の古書店の進化形として業界に受け入れられましたが、新古書店に関しては古書業界とは別の業態であると、業界も業者側も認識しているようです。
 もっとも、20世紀末にあれだけ全国に広まった新古書店もいまは見る影もなく、生き残った業者も書籍以外のゲームや時計などの商品が主力になりつつあるようにみえます。高原書店がそうだったように、本にこだわった店はネット販売に活路を見いだしています。
 店舗を運営する古書店はどこも経営が厳しいようです。よみた屋も通信販売を組み合わせてなんとか続けている状況です。ネット通販は、ほしい本を見つけるのには便利ですが、知らなかった本と出合う機能が弱いのが弱点です。また、データベース化されていない古い本や一点物に関しては、「日本の古本屋」など一部のサイトを除いて販売することができません。実店舗の閉店が相次ぐなかでも、新刊の独立系書店や若い古書店の開業も続いています。
 各家庭にはまだまだ本がたくさんあります。紙の書物は終わりが近いと言う人もいますが、プラットフォーマーが支配するウェブ記事や電子書籍に対して、分散して所有できる紙の書物だけの価値はまだ失われていません。実際のところ、漫画を除くと電子書籍の成績はかんばしくないようです。販売数量はともかくとして、重厚な書籍の刊行点数は減っていないようです。長時間一つの書籍に向き合うには物理的な存在感が重要なのかもしれません。古書店がやるべきことも、そう簡単に尽きることがないでしょう。
 
『古本屋という仕事』試し読み
 

第8回 原点にして出発点、ルート66の一人旅【前篇】

柿谷浩一(ポップカルチャー研究者)

山P特有の「芯」のあり方

 2011年、山下智久はそれまで所属していたNEWSを脱退した。大きな決断だった。そんなソロの道を走り始めた彼にとって最初の記念碑的作品になったのが、3カ月間にわたって深夜に放送された『山下智久・ルート66~たった一人のアメリカ』(日本テレビ系、2012年)である。
 自ら運転する中古のアメ車で、シカゴからロサンゼルスまで続く「ルート66」を走ってアメリカ横断に挑む一人旅を記録したドキュメント。最低限の撮影スタッフを除いて、普段の活動では当たり前のマネージャーもいなければ、衣装もなし、メイクもしない私服姿で、買い物や洗濯も自分でおこなう。そんな彼は、俳優でも歌手でもアイドルでもない「ひとりの男」としての素顔をさらけだしていて、役や演技で見るのとは違う“人間的な魅力”に満ちていた。
 作品の軸は、旅の途中で出会う人々との交流。山Pはそのひとりひとりに「人生にとって何が大切か」をたずね、そこから自己を見つめ直していく。彼が受け取る人々の答え=メッセージはさまざまだが、ある老人の「大事なことはやりたいことを貫き通すこと」、ルート66への愛をタトゥーに刻んだ男の「みんな好きなことをすればいい」、そしてカウボーイの「仕事というより生き方だ」という言葉……そのどれもがしかと“自分”をもっていて、確固たる信念に貫かれた生きざまから出てくるものだった。「芯」のある人間、一本「筋」が通った人間――そうした生き方と人生観が、山Pの胸を熱く捉えていった。
 そんな彼自身もこの『ルート66』の直前、「やりたいことをやる」、その追求のためにソロへの転身を図ったことを思えば、人々に負けず劣らず、強い意志をもった「芯」のある人間といえる。だが「芯」といっても、彼のそれは頑固で強情という感じがしないのが不思議なところだ。ソロになって「やりたいこと」や「目指すべき方向」は、すでに彼のなかに少なからずあったにちがいない。でもそれを主張し、押し出してみせる強い気概や雰囲気は作品中には決してなく、旅を通じてあらためて、他者の言葉のもと、自分自身の意思を濾過ろかしていく。すでにある想いに固執せず、「本当に何がしたいのか」をさらに磨いて確かめていく。そんな「謙虚」で「冷静」ともいえる胸のうちを純化する営みと構えが、山Pにしかない人間性として光っていた。
 ともすると「ソロになる」という選択は、我を通す。そんなふうにも捉えられかねないが、彼の新たな出発は、じつに風通しがよく心地よいカジュアルさに満ちていた。作品から伝わってくるそのニュアンスが、なんともすがすがしく新鮮だった。欲望や情熱に向かってがむしゃらに突き進むのは誰だって可能だ。そうではなく、熱を帯びる自分をあえてとどめて、異なる考えや価値観へと積極的に身を寄せ、知らない知見や経験を織り込みながら、次なるステップへ船出していく。そうした柔軟で開放的な歩みの進め方――グループ脱退からの独り立ちという大きな決断と行動力の底にある山P特有のありようが、この旅全体から伝わって際立っていた。それは山Pのイメージと印象を、ガラリと新鮮に塗り替えてスリリングだった。役者仲間たちの証言や現場でのエピソードなどで彼の控えめな性格と真面目ぶりを耳にすることはあったが、業界的な人間関係のなかでの謙虚さや礼儀正しさではない、その実際のカタチを生でたっぷりと目の当たりにしたのは、この映像が初めてだった。
 それを見るに及んで、ひとりになっての彼の挑戦は「どんな仕事を見せてくれるのか」という次元を超え、「いったいどんな生き方をしていくのか」と、山Pという人間そのものへの期待に移り変わって、これからの展開を注視せずはいられない気持ちに強く駆り立てられた。

心で言葉を聴く、その実直さ

 旅の道中で出会ったさまざまな人の語りに耳を傾け、学びを得る。そのアツい対話が『ルート66』の見どころだが、より正確にいうと、そこで見せる山Pの表情にこそ、この作品の肝がある。象徴的なところでは、旅をスタートしてから最初に出会う老人の、長年生きてきた経験から出る深い話に耳を傾けるシーンだ。ここで山Pは感嘆してうなずき、ほろっと泣きだしそうになりながら目頭を押さえる。あるいはルート66を愛する人たちから親しまれる理容師の男性の口から出てくる言葉に「参ったな」とひたいに手をやる。そうした身ぶりも含めて、山Pは相手の言葉の前で真摯な顔をしきりに見せる。それがじつに魅力的だった。言葉をまっすぐに受け取ろうと相手をまなざすその瞳も、なんとも澄んで神妙だった。
 そんな姿から強く感じたのは、「なんて心がきれいな人なんだ」という衝撃だった。まだ十分には山Pの実体を知らずにこれを見たぼくは、彼の純朴な人間味のようなものにどこかで魅惑されながらもやはり、キラキラ輝いて活躍する、そんなアイドルらしいイメージが(恥ずかしながら)優先してあった。でもこの映像のなかにいる山Pは、それとは打って変わって「ピュアなハートをみせる一青年」で、インパクトが大きかった。
 しかも山Pに特徴的だったのは、相手の言葉の前で感嘆の一言を吐くことはあっても、それ以上に過剰なかたちで反応や感情をやすやすと「言葉」に出さないところである。まるでスポンジが水分を吸収するように、言葉ひとつひとつを、静粛に、じんわりじっくりとかみしめ、心と身体のなかに深く浸透させていく。このときまだ語学力が十分でない山Pの、相手の英語をより集中して漏らさず聞き取ろうとするひたむきさも重なって、それは色濃く感じられて、印象深かった。
 感動と感銘に立ち会って、言葉が出てこない、言葉が見当たらない。そんなシンプルでありのままの自己を、変に隠したりつくろったりすることなく露呈してみせる。何か返事をするなり、心境を言葉にする。そうした意識がよぎりそうな場面でも、彼は黙々とうなずいて、対話相手の言葉を受け止める。そのウソがない姿(とそのさらけだし方)に彼の誠実さは詰まっていて、それはアイドルや役者といった肩書きを取り払ったときの、生身の山下智久が元来もつ人間性、あるいは人間力の高さのように思われた。
 自身の価値観を大きく揺さぶるメッセージの重さと説得力、それゆえの沈黙。そういうこともできるが、彼から強烈に伝わってくるのは、感動の大きさにも増して、先人の言葉が心の琴線にふれる感覚や触感の生々しさであり、そのもとにある感性の豊かさや深さのほうだ。言葉を理知的に「頭」で受け止めるタイプの人間もいるが、山Pはそれとは反対で、とことん「心」で感応する。そうした強い感受性の持ち主にみえる。普段はアイドルとして、役者として、作品=表現を届ける側にいるが、アーティストの真価と質はアウトプットだけでは決まらない。むしろ重要なのは、表現(力)の源泉になる、人やモノ、世界にふれて何かを感じて考える。そうしたアンテナとキャッチの仕方にこそある。
 その意味で、『ルート66』のなかの山Pは、自ら発する言葉をなくしながら、ひたすら何かを深く心で感じ取る。そのたたずまいが、なんとも深遠で独特なのだ。しかも「寡黙」な面もある彼なればこそ、その姿はより興味深く、目が釘付けになった。

大自然が再発見したスター性

 言葉をなくす姿をさらけだす。そこに表れる山Pの実直さは、旅先の人物たちに対してだけでなく風景の前でも同じである。
 広大な地面と岩肌が延々と続くモニュメントバレーを訪れる回では、その絶景を前に、山Pは「やべぇ」「すげぇ」を連呼することしかできなくなる。その後のグランドキャニオンでも、「no word(言葉にならない)」な状態になる。人生を一変させたという、モニュメントバレーの荘厳さに満ちた大自然が、圧倒的な感動をもたらして彼の言葉を奪った。起きていることは確かにそうだが、この山Pには心がすっと洗われて、ずっと見ていたくなる不思議な清廉さが鮮烈にともなう。そう感じるのは、単にそこに感動体験があるためではなく、彼のそのふるまいに感じ入るものがあるからだ。
 丸裸の大自然に包まれ、文字どおり「何者でもないひとりの人間」に立ち戻るとき――つまりアイドルという衣を脱ぎ捨てて自然の自分になるとき、普段は当たり前のカメラや周囲を意識して、演じて「言葉」をつむぐ。そうしたふるまいを一切見せず、見方によっては淡泊で、物足りなくも映る「言葉につまる素の自分」を、恥じらいなく前面にさらけだす。それは、彼が常に「見られる職業」に身を置き、演技がくせになっていてもおかしくないことを考えれば、簡単なようで相当に勇気がいることである。それをなんともナチュラルに、ストレートに見せられるところに、山Pの根にある「純な人間性」がにじむ。
 人の言葉だけでなく、風景を前にしても、彼は余計な言葉を発さず、ただひたすらに身と心を対面させる。その言葉なき、あまりに簡素で、まっすぐな姿がすがすがしく尊い。しかも特筆すべきは、人智が及ばない大自然の威厳のなかにいながら、そんな彼の素のたたずまいや雰囲気が単に自然に圧倒されているというのでなく、えもいわれぬ独特な「威光」をそこにしっかり宿している点だ。
 普段のメディアやステージでの華々しい脚光を浴びるのとは違う場だからこそにじみ出てくる、彼の存在や身体、もっといえば精神や魂そのものから発せられる、山下智久だけがもつ〈静寂にして神秘〉な色味とでもいうべきもの。そのまるで宝石のような秘めた輝きを自然のなかで醸し出す山Pの姿は、彼がアイドルや役者という以前に「スター」と呼ぶにふさわしい存在であることを再発見させてくれる。人影もなく、大地を吹き抜ける風のほかに何の音もしない静寂を極めた空間。そのなかで、言葉をなくして黙る彼がひたすら魅惑的に映るのは、そこに山Pというスターの本領が垣間見え、彼をスターたらしめている主成分が浮き彫りになって存在しているからだろう。
 モニュメントバレーにいる山Pは、「東京にいるとどれだけ力が入っているかよくわかる」と、シーンのラストで感慨をもらす。どんな人でも自然のなかに放り込まれれば、素の自分が顔を出す。でもそれがいわゆるオフショット的な感じにならず、自然体のなかに人物の核になる「本質」を強く感じさせる。もっといえば、素の存在の内側に、さらにはその生と命そのもののなかに、光や希望のようなものを保持している、そうした人物は決して多くない。それこそ、スターでありアイドルと呼ばれる人間の素質にほかならない。
 モニュメントバレーの大自然は、文字どおり、彼を丸裸にして、いつもカメラと舞台装置と照明でまばゆく照らされているのとは違う、「山下智久の原初」を、つかの間浮かび上がらせてみせた。それを目撃して、もともとどこかミステリアスで、いい意味でつかみどころがなく、説明もしにくい魅力を放つ山Pの、より深い奥底を知りたい想いはますます強くなるばかりだった。

(つづく)

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「図書館は成長する有機体である」とあらためて実感――『子どもの読書を支える図書館――ブックトークや読書のアニマシオンから考える』を出版して

槌谷文芳

 北海道蘭越町と滋賀県豊郷町を通算して41年、自治体職員として働きました。蘭越町での38年間のうち28年間は総務や税務などの一般行政職でした。滋賀県の豊郷町立図書館の期間を含めても図書館勤務は通算13年で、一般行政職として働いた期間のほうが長いことになります。
「人生に無駄な経験はない」とよく先輩から聞かされました。税務行政のときに地方分権時代の法定外目的税や法解釈権などが注目され、政策法務に関心をもちました。また、農務水産行政では、内水面漁業協同組合の事務局員として簿記会計にふれました。
 学生時代には新古典派経済学が主流でしたが、就職したころ、供給重視や合理的期待形成などが注目され、やがて新自由主義や市場原理主義の思想と結び付くようになって、新古典派以上の違和感がありました。そんななかで、自動車の社会的費用など、宇沢弘文による社会的共通資本の考え方に親近感をもちました。また、北海道町村会が主催する新しい行政経営に関する研究会に参加したときの私のテーマは「行政経営品質」でした。そのときの経営学や組織論の知識が、図書館の経営に役立ったように思います。
 図書館との出合いについてのエピソードです。当時、地方分権改革の気運が高揚するなかで、全道から自治体職員が集う研修会が札幌でありました。町長が講師を引き受け、私も同じ研修会に自主参加すると職場に報告していました。それが目にとまったのでしょうか、町長の公用車に同乗することになりました。「槌谷くんは、こんど異動するとしたらどんな仕事がしたいか」というようなことを聞かれました。正直に「経営をしてみたいです」と答えました。いまから考えると僭越でしたが、結果的に新設する図書館の準備を任されました。図書館との関係の始まりです。こんな小さな偶然の巡り合わせから本書を出版することになり、とても不思議な縁を感じます。
 本書の校正を終えて確信したことが一つあります。本書は、大きな意味でブックトークの原稿を作成する手法を使っていたということです。ブックトークでは、紹介したい本やテーマを中心に、想像力をはたらかせて関連する資料を集め、つないでいきます。紹介したい本に関連する資料を発見できることもありますが、あまり関係がなさそうな資料も、とりあえず「マインドマップ」にします。回り回って中心になる本やテーマに接続することもあります。人の記憶は、意外性や遊びが大きなはたらきをするといいます。ブックトークでも、中心になる本から意外な方向に資料がつながる面白さを発見することがあります。とりわけ読書のアニマシオンは、発見を協働し、ともに成長するように誘います。ブックトークの研修会では本のつながりが大事だといいますが、私などはむしろ意外性とワクワク感が好きです。
 カナダの環境生態学者スザンヌ・シマードの著書『マザーツリー――森に隠された「知性」をめぐる冒険』(三木直子訳、ダイヤモンド社、2023年)があります。森林は、マザーツリーを中心に森の立木のすべてを菌類ネットワークがつないでいる、という発見です。菌類が水や栄養や病原菌の情報さえも交換しているといいます。図書館はしばしば森に例えられますが、これは本質を突いています。図書館の森をつないでいるのは、地下に張り巡らされた菌類ネットワークのようなはたらきをする言語活動だと想像しています。
 ブックトークや読書のアニマシオンは、能動的なはたらきかけを特徴とする言語活動です。言語には、単調な繰り返しのような回帰性と、複雑さを引き起こす意外性や遊びがあります。森に暴風雨などの錯乱が起こって倒木の跡に新しい芽が吹くように、新たな知が創造されます。
 日本は、経済成長しない没落国家へ向かっているといわれることがあります。そうした社会情勢のなかでも私が強調したいのは、図書館には卓越した機能があること、そして、誰でも望めば「情報教育者」として大学院修士課程まで学び続けることができるような公共政策によって教育改革が進み、21世紀日本に社会的公正と豊かな社会文化を育むということです。
 本書には、住民ボランティアのみなさん、司書課程を学ぶ人、非正規を含む図書館職員、さらに教育行政職員などの自治体職員に向けて書いた章があります。しかし本書の骨格は、筆者を北海道から滋賀県の図書館へ送り出してくれた職員の寄せ書きにあった「図書館は成長する有機体であることを実感しました」の言葉でした。その有機体から自己組織化、フラクタル図形をイメージし、分子生物学、脳科学、認知心理学の知へとつなげ、言語活動に着目し、子どもの読書、ブックトークや読書のアニマシオンから考えて本書を構成し、執筆したのです。
 
『子どもの読書を支える図書館』試し読み