触媒と舞台装置しての国際展――『ビエンナーレの現在――美術をめぐるコミュニティの可能性』を書いて

暮沢剛巳

  奥付の「編著者略歴」でも触れたように、ここ数年来国内外でいくつかの国際展を観て回る機会があった。そのうち「越後妻有トリエンナーレ」に関しては今回かなりのスペースを費やして論じたので、ここではそれと別に「リスボン建築トリエンナーレ」について述べてみたい。
   私がリスボンを訪れたのは2007年6月のことだ。初めて訪れたヨーロッパ西端の街は直行便がないこともあって予想以上に遠かったが、その疲労の分だけ、冷えたビールやワインの喉越しもまた格別だった。到着して早々にホテルで体を休めた翌朝、私は早速地下鉄に乗ってトリエンナーレ主会場の最寄りであるオリエント駅へと向かった。駅を降りた眼前には人工的な海岸線が開けており、その一角に主会場の「ポルトガル・パヴィリオン」も確かに建っていた。
   このトリエンナーレでは、「アーバン・ヴォイド」を記念すべき初回のメインテーマとして掲げていた。EU加盟を果たし、万博やサッカー・ユーロ選手権などの大規模な国家的イヴェントを実現したポルトガルだが、戦後長らくファシズムの独裁体制が続いた後遺症が尾を引いてか、国民の生活水準は現在も加盟国中下位に低迷しており、都市の再開発はなかなか思うに任せないようだ。一方、「ポルトガル・パヴィリオン」の設計者でもある世界的巨匠アルヴァロ・シザを筆頭に、著名なポルトガル人建築家の多くは北部の地方都市ポルトを拠点としており、首都リスボンはこの方面でも影が薄い。リスボンに滞在していた数日の間、何度か市街地を歩き回る機会があり、昔ながらの古い街並みと再開発された新しい街並みとがいささかチグハグな印象を否めなかったが、その意味では「アーバン・ヴォイド」というテーマには強い必然性が感じられたことは確かである。
   さて、ではこの「アーバン・ヴォイド」というテーマに対してはどのような回答が可能だろうか。メイン会場の国別展示には計12カ国が参加し、都市模型や映像インスタレーション、パネル展示などによってそれぞれ思い思いの回答を示していたが、なかでも日本の展示が示していた回答はそのユニークさにおいて際立っていた。日本の展示は全体で4つのパートから構成されていたが、その中心を占めていたのは「皇居美術館」、すなわち皇居を一種の空虚に見立てたロラン・バルトの「空虚の中心」を独自に再解釈し、皇居という空間に国宝・重文級の美術品を集中させるヴァーチャル・ミュージアムの仮想プロジェクトだったのである。このユニークな展示が、多くの観客の関心をさらったことは言うまでもない。
   その後、リスボンでの大きな反響はメディアの報道などを経て日本にも伝えられ、11月には新宿の多目的スペースで現地とはいささか装いをあらためた展示がおこなわれた。また、内外の展示の様子や新宿展と並行して開催されたシンポジウムなどを収録した単行本が出版されることも決まり、縁あってシンポジウムに出席した私は、その単行本にも執筆参加することになった。単身で外国の国際展を観に出かけるというごくプライヴェートな体験から発した意外な展開にわれながら驚かずにはいられないが、今後はこの貴重な経験を通じて得た「皇居」や「空虚」、あるいはそれとは裏返しの「混沌」や「戦争」への関心をさらに発展させ、ぜひとも具体的な作業を通じて深めていきたいと考えている。
   本書で論じた「越後妻有トリエンナーレ」では農村部のコミュニティにおけるアートの可能性を、共に本書を作った「国際展の文化政治学」のメンバーで訪れた「光州ビエンナーレ」では過酷な政治的現実の記憶がアートへと翻訳される瞬間を垣間見た。国際展はアートとアートならざるモノの思わぬ出会いを演出する触媒であり、舞台装置である。第3回の「横浜トリエンナーレ」や「ヴェネチア・ビエンナーレ建築展」などが予定されている今年は、一体私は何を見ることになるのだろうか。