ラジオというメディアの魅力――『コミュニティFMの可能性――公共性・地域・コミュニケーション』を書いて

北郷裕美

 この原稿を書いている2月21日は(僭越ながら)私の誕生日である。以前から続いている「Facebook」のタイムラインには、新年の挨拶に匹敵するたくさんのメッセージがいまも入ってきている。年齢を意識する場面は日常のなかで極力減ったが、まあきょうくらいはいいかなと、一人ひとりに一生懸命返信していたところである。
 そのなかに学生時代の友人の名前もちらほらある。「Facebook」で復活した友人たち。今度会おうぜ、が挨拶がわりになってしまっている。そんな彼らと共有していた昭和の時代は、机の横に必ずトランジスターラジオ(のちにラジカセに出世するが)があった。自分も「ながら族」の典型だったが、夜の帳のなかで器用に勉強と両立していたかはかなり疑問である。現在も続く深夜放送のプロトタイプ番組のそのなかで、自分はさまざまなことを思いめぐらせていた。その行為は消費するという感覚ではなく、貪欲にかつ積極的に受容するものだった。「ラジオの前のあなた」とパーソナリティーから一人称で発せられるメッセージも、演歌から歌謡曲、映画音楽、ポップスからロックまで混在するチャートがあった頃の音楽も、さまざまな下世話で役立つ情報も、すべて……。
 ラジオを聴くシチュエーション。そこにたたずむのは自分一人。深夜の孤独な時間をまさに積極的に享受していた。アクセスなどという積極性ではなく、スイッチを入れたらあとは音声に任せてしまう。ただビジュアルが伴わない分、頭のなかのスクリーンにはフル回転で映像が投影され続ける(結局、学業は疎かになる)。落合恵子の声に、吉田拓郎の歌に、大政奉還やミトコンドリアが重なっては消えていく……。メランコリーな誰にもじゃまされない深夜の一人遊びである思考体験を、次の日の朝、教室という名のオフ会の場で他者の視点をもって反芻して再度味わう。
 著作とは重ならない話と思われるかもしれないが、今回世に問い直した「コミュニティFM」というラジオ媒体は、私と同じような年代の人には懐かしく、若い人にはいにしえの媒体として「先生、聴いたことないんですけど……」と、平気でゼミの学生にものたまわれる。「コミュニティFM」ラジオを地域活性やコミュニケーションのツールとしてその価値を、特に地域という文脈のなかで、今回真摯な気持ちで書き下ろした。そのことはいまも信念をもって伝えたいことと自負している。ただ、ラジオという音声媒体に対する共感や有意性は言葉では伝えられない。あの時代をともに生きた者たちにとってはセンチメンタルなまでに共有物だったものが、世代を超えてつなげることの難しさをいまは感じている。多様な媒体が生まれたことや、社会環境の大きな変化など、理由を探れば枚挙にいとまはない。だが、メディアは印刷媒体も含めて何か一つのもの(電子媒体など)にすべて収斂されるのは自分はいやだ(およそ研究者らしくない物言いだが)。これらのメディアは、すべて過去の文化遺産にならないでほしい。なぜならどの媒体もまったく違う存在価値をもち、物語を共有し、それにふれた体験をずっと内包し続けられるものだから。とりわけラジオは人間くさいのである。寄り添う媒体なのである。だから子どもたち(ラジオを聴かない若者たち)に過去の遺物としてではなく、今回著した音声媒体を時制の枠を超えて「現時進行形」の媒体として、認めてほしい、使ってほしいなと思っている。そして彼らに新たな価値創造を加えてもらえるなら、時代を超えてすてきな物語を紡ぎ続けられるという期待をもっている。
 ここまで書いて思ったのは、絶対「余白」にしか書けない文章であり、ヘタをすれば「余白の外に」追いやられそうな気配もあるのでこのあたりで締めたいと思う。

戦争の時代の化粧品広告――『戦時婦人雑誌の広告メディア論』を書いて

石田あゆう

 戦争のさなかにあっては化粧どころではない。私もそう思ってきた。女性が化粧を楽しめるのは、平和な時代であってこそだと某ジャーナリストも言って(書いて)いた。だがそれがそうとも言い切れないのではないか、というのが本書の出発点である。
 女性の化粧に対する情熱と、その欲望を糧に肥大化した化粧品産業は、ちょっとやそっと節約や倹約の時代になったところで姿を消さなかった。もちろん派手な化粧は御法度で、人目はコワイ。だが自然な化粧や素肌美人はどうだろう。女性の化粧は艶やかさやけばけばしさが真骨頂ではない。いまも昔も肌荒れを避け、素肌を美しく保つために化粧品は必須である。戦時期には真っ白な白粉や口紅といった化粧品広告はなりをひそめるようになるが、素肌美人や若々しい女性でいるために化粧をしましょう、と積極的な商品宣伝がなされた。戦時下にあって健康美が奨励され、国産愛用運動が展開されたこともその傾向に拍車をかけた。日本人の肌色に合っていて自然に見えるということで、国産オークル系ファンデーションはこの時期の人気商品になった。
 そんな化粧品広告を戦時下の「主婦之友」(主婦之友社)をはじめとする婦人雑誌に見ることができる。これも私にとって奇妙なことだった。「主婦之友」という雑誌メディアは、戦時期にあって女性の戦争動員/協力を引き出すのに積極的な役割を担ったプロパガンダ・メディアだというのが通説だからだ。1937年の日中事変以後、誌面や出版広告には戦争への意識を高めようとする内容が盛り込まれるようになる。そうした誌面の横では化粧品広告の美人たちがほほ笑んでいた。この矛盾した内容の誌面はどういう方針によるものだったのか。
「主婦之友」という雑誌は、創業者である社長の石川武美の方針で「一社一誌主義」を掲げ、「主婦之友」だけにすべての労力を注ぎ、このただひとつのメディアを選んでくれる読者の信頼を裏切らないことをモットーにした。1926年の「読売新聞」の連載「雑誌界の人物」に登場した石川は、雑誌出版について次のように語っていた。

 私は明治33年17才の時東京に出て本屋に入り、雑誌を中心に仕事をしてゐましたがそれ以後は徹頭徹尾雑誌のためにつくしてゐます。私はいつも雑誌を生命としてゐます。雑誌は私の学校であり教師であって今日まで一度もそれを裏切ったことはありません。
最早、現代に於いては宗教は雑誌に移って来なければなりません。印刷の発明は宗教や政治や実業の上に大革命を与へました。若し今日キリストが生れて来たならば印刷宣伝をやり記者になって神の道を説くでありませう(「雑誌界の人物(15)――石川武美氏」「読売新聞」1926年7月7日付)。

 石川はクリスチャンでもあったが、よりよい情報を雑誌を通じて読者に届けるというメディア・コミュニケーションのありようを宗教とのアナロジーで語っている点がおもしろい。
 しかし「一社一誌主義」はその一誌を失えば数多くの読者とのつながりも信頼もすべてを失ってしまう危険があった。読者のためを思って雑誌は編集されるが、その内容を当局が時局にふさわしいと思うかどうかは別問題である。だからこそあらゆることを想定して、発禁になることだけは「読者のため」に避けなければならなかった。さらに系列雑誌をもたなかったため、「読者のため」に価格を抑えるには広告への依存度が高くなった。
こうして「読者のため」の雑誌「主婦之友」は、倹約の戦時宣伝と消費の商品広告が奇妙に共存する不徹底なプロパガンダ・メディアになっていったのである。付け加えておくならば、敗戦後、戦争責任を認め廃刊することが決定した「主婦之友」だが、やはり「読者のため」に、と一転、続刊になった。ここから戦後をも代表する長寿雑誌として道を歩み、実質廃刊になったのはそれから63年後、2008年のことであった。

複写カウンターでの1人芝居――『〈スキャンダラスな女〉を欲望する――文学・女性週刊誌・ジェンダー』を書いて

井原あや

 1月半ばに、拙著『〈スキャンダラスな女〉を欲望する』の見本が届いた。ようやくできあがったのだという安堵感と、これからこの本が人前に出るのだという緊張感が入り交じった思いでページをめくっていたとき、ふと思い出したことがある。女性週刊誌の記事を集め始めた頃の、自分の姿だ。その自分の姿を、「原稿の余白に」として綴ってみたい。
 例えば国立国会図書館では、女性週刊誌はマイクロフィルムにもなっておらず、データベース化されてもいない。そのため、閲覧室で雑誌そのものを開いて、その内容を1つひとつページをめくりながら確認し、必要であれば複写を申し込むことになる。こう書くと、国立国会図書館に行ったことがある方なら誰しも「そんなことは当然だ。女性週刊誌や週刊誌に限ったことではない。お前1人が大変ではないのだ」と思われるだろう。また、「週刊」ではなく毎日刊行される新聞を研究対象に選べばなおのこと目を通す分量は増えていくので、女性週刊誌などの週刊誌というメディアを読むこと自体の苦労をここで語りたいのではない。こうしたことは、本を出されるような方、あるいは論文を書かれる方であれば誰しもが経験することであって、私などがそれを「苦労」と呼ぶのは申し訳ない。
 では何が「苦労」だったのかといえば、複写申し込みである。いまとなっては、それは苦労でも何でもなく、単なる自意識過剰なので笑い話でしかないが、女性週刊誌などの週刊誌には、必要以上に大きく目を引くように書かれたタイトルや写真がつきものだ。それが戦略なのだし、私もそうしたページが欲しいので、複写を申し込まなくてはならない。先にも述べたように、女性週刊誌はマイクロフィルムにもなっていないし、データベース化されているわけでもないので、当然、複写申し込みの列に並んで、そこでページを複写係の方と確認することになる。列に並んで待っている間、私の前の方が申し込みの部分を確かめておきたいのか、ページを開いていた。見ようと思って見たわけではないが、きちんとした論文の複写を申し込まれるのが、何となく目の端に入った。対して私はといえば、読者の興味関心を引く、いわばかなり「キツめ」のタイトル――例えば、「衝撃!」だとか「情死」といった見出しが躍るページを複写カウンターで開いて複写係の方と確認していくのだ。待っている列とカウンターは離れているので、待ち時間に列でページを開かないかぎり周囲には見えないのだが、もしも何かのはずみで後ろの方にページが見えたらどうしよう、その方が、私には到底理解できない数式が並んだ論文や天下国家を論じたものなどを複写するような方であれば、私のことをどう思うだろうか、あるいは複写係の方が、私の前後の方と私の複写申し込みの部分を比べながら、「今日はバラエティーに富んだ日だった」と1日を振り返ったらどうしよう(当然、図書館の方は仕事なのでそんなことは思わない)、などと悶々としながら、それでも平静を装って、複写ページを確認して申し込んだ――真新しい拙著のページの間から立ち上ったのは、周囲の目を気にして、自意識過剰に複写申し込みの列に並び、複写担当の方におかしく思われないか、ドギマギしていた自分だった。
 もちろん、いまはもう、ふてぶてしくなったのか成長したのか、複写申し込みの列にも堂々と並べるけれど。