「知」を駆け抜けろ!――『メディア・リテラシーの社会史』を書いて

富山英彦

  私が社会学を始めたのは大学院の修士課程からである。その前は科学哲学や図書館情報学を専攻し、幸か不幸か学際的に国文学や民俗学、宗教学や歴史学を手広くかじり、知的な雰囲気を楽しんでいた。そのうえで、きちんと学問に取り組もうと入り込んだのが社会学だった。その大学院の研究や学習の過程で身についた「学問」なるものの方法は、ひとつの小さなテーマや素材に取り組み、深く掘り下げ、論文として完成させるものである。私の偏見かもしれないが「学問」とはそういうものであり、現にいまでも卒論指導などでは、なるべく小さなテーマを深く調べ、論じるようにアドバイスすることが多い。
しかしその一方で、私自身がそんな学問に飽き足らなさを感じていた。テレビで放映されるドキュメンタリーに感心し、芝居の舞台に感動し、小説を読んで没入した。学生だって教室で先生の話を聞くよりは、映画館に足を運んだり、好きなアーティストのライブに出かける方が楽しいに違いない。もしかしたらそうした大学以外のメディアとのかかわりの方が、彼ら・彼女らの人生に影響を与えているかもしれない。
  自分がバブルの頃に学生時代をすごし、高校から大学にかけては「ニューアカ」と呼ばれたファッショナブルな学問スタイルが流行したこともあって、私も格好いい学問に憧れていた。でも、元より田舎者で地味な自分がそんなスタイルになじむはずもない。私は表現の豊かさに惹かれながらも、自分の履歴や生活の糧としての「学問」に踏みとどまり、限界を感じていた。
  本書のテーマは、「豊かな表現」を可能にする「書く」力の獲得が、「読む」ことに支えられてきた「私」のダイナミズムを失わせるのではないかという問題である。そんな表現に対する憧れと疑惑は、私自身の経験のなかで芽生えていった。さらに付け加えれば、「あとがき」に書いた「頭のいい研究者」に対する批判ないし嫌みもまた、自分の憧れと表裏の関係にあることを表明しておこう。
  そんな思いを抱き続ける頃に、青弓社から本書の誘いをいただいた。
  「あとがき」にも書いたけれど、本書の完成までの道のりは長かった。出版という表現形式を甘く見ていたこともあるだろう。編集者の見識は鋭く、批評は辛かった。しばらく経って自分で読み返してもひどい内容だった。それでも出版の機会を待ってくれる編集者に申し訳なかった。最初に書いた丸一冊分の原稿は、そのほとんどを自ら捨てた。
  私は割り切って、資料の世界に没入することを決めた。それが本来は、自分の強みのはずだった。でもこの方法は時間がかかるし、疲れる。金もかかるし、評価もされにくい。何とでも言い訳できるが、とにかく私は資料に没入することから逃げていた。論文の本数がほしい就職エントリーの時期から大学に職を得てからというもの、時間ばかりかかって確実な成果が期待できない研究スタイルから逃げ続けていた。
  私は「出版の危機」に直面し、反省して、真面目に資料に取り組むことにした。でも情報系の大学に身をおく自分にとって、資料へのアクセスには限界がある。古い大学のように文書は蓄積されておらず、都心の大学のように頻繁に大型図書館や資料館に通うことも難しかった。私はとりあえず、所属する大学の図書館が所蔵する新聞の縮刷版をめくることから始めてみた。何かが得られる予感はあったけれど、確信はなかった。電子化されたデータベースを使わずにアナログ資料に取り組む方法は情報収集として効率が悪く、締め切りに間に合わないことは見えていた。でも時代をつかみ、論じるべき「相手」を見つけるためには時間と手間が必要だった。自分の身体に「時代」を染み込ませたかった。
  それと同時に憧れもあった。いままで自分がやってきた小さなテーマや素材を掘り下げるのではなく、近代日本なるもののメディア空間を駆け抜けてみたいと考えた。活字に驚いた時代からテレビに興奮する社会、そして現代のIT革命にいたるメディアの社会史を、人々のリテラシーに着目して書き抜きたいと思った。それはいままで自分が封印してきた手広い考察の方法であり、学生時代に楽しんだ「知」のスタイルに回帰することだった。そうして本書ができあがった。
  もしできるならば、多くの読者が「知」を楽しみ、駆け抜けることの興奮を味わっていただけたらと願っている。