つかこうへいさんのこと――『ミュージカルにいこう!』を書いて

ささきまり

  好きなものを褒める、というのは楽しいものです。拙著『ミュージカルにいこう!』でも、ずいぶんいろいろと好きなものを褒めることができてうれしかったのですが、あっという間にページが尽きてしまいました。褒めたい人や作品はまだまだたくさんあります。そのひとりが、作家のつかこうへいさんです。そもそもつかさんの作る舞台はストレートプレイなので、それでこの本では褒めるのが後回しになった、ということもあるのですが。とりあえずこの「原稿の余白に」の場をお借りして、ちょっと褒めてみたいと思います。
 つかこうへい作品にふれたことがある方はご存じだと思うのですが、彼の描く世界や台詞には独特の力があり、それはときに暴力的と感じるほどの強さももっています。そのため私は昔、つかさんという人は、たとえば機嫌の悪いときに「つかさん、あのぅ……」と話しかけようものなら「うるせえな、このバカがよ」と返されてしまうような、とても気難しくて怖い人なのではないかと思っていました。けれども、文字と文字の間にあふれた優しさもまたとてつもない大きさで、ことにそれが舞台の上で役者の体を借りてあらわれたとき、客席の私たちの心にはなんとも温かな気持ちが生まれます。なので、もしかしたらほんとうは優しい人なんじゃないかしら、という疑惑も拭いきれませんでした。それが確信に変わったのはいまから15年ほど前、お電話でお話ししたときのことです。お話ししたといっても、以前働いていた会社のチケットセクションでつかさんの『熱海殺人事件』という公演をまるごと預かってチケットを販売したことがあり、そのことで主担当だった先輩あてにつかさんご自身がお電話をかけてこられたのをたまたま私がとった、というだけのことなのですが。
 「もしもし、つかです」
 受話器を通して聞こえてくる声はたいへん低く、落ち着いたものでした。
 「あの、あの、いま○○は外出しております」
 「そうですか。では○○くんが戻ってきたら伝えてください」
 そういってつかさんは、ゆっくりと丁寧に、劇団側で必要になったのでいついつのどこそこのチケットを2席ほど押さえておいてほしい、というようなことをおっしゃいました。私は面食らいながらも、つかさんの声の不思議な響きに癒されていくのを感じました。私は確信しました。こんな声をもっているつかさんは、やっぱり優しい人にちがいない。そして受話器を置き、たったいまメモをとったはずの白い小さな紙に目を落として、愕然としました。

 はい かしこまりました
 かしこまりました
 はい
 かしこまりました

 ……ありえません。あまりに舞い上がっていた私は、つかさんの指定した日にちや席の番号ではなく、自分が復唱している言葉のほう、しかも相づちだけを書き起こしていたのです。まあ、電話をしているときに紙とペンが手元にあると、なぜか同じ単語を何度もなぞってしまったり、いろんな大きさの丸や三角をたくさん書いてしまったりという不思議な現象が起こりがちです。しかしこれはひどすぎる。青ざめた私に、同僚たちが「たしか○○日って復唱してた!」「○列っていってた気がする!」などと記憶を寄せ集めてくれたおかげでどうにかことなきをえましたが、まったくもって情けない思い出です。
このチケットセクションにいたとき、私は、お客様からの電話をとったり、営業の方とお会いしたり、情報誌の編集に携わったり、チケットを予約するシステムを作るお手伝いをしたりしました。そして、芝居を支える人たちは、劇場や稽古場の外にもたくさんいるのだということを学びました。1枚のチケットを誰かに手渡すまでに、どれだけ多くの人たちが時間や気持ちをさいて準備をしているのか。いまでもチケットをとるとき、電話1本やメール1本の向こうで起きているいろいろなドラマを想像します。15年前に比べればずいぶんシステマティックになったようにみえるチケット予約ですが、関わる人たちのてんやわんやぶりはおそらくあまり変わっていないことでしょう。そんなほほ笑ましさも含めて、観劇が好きなのかもしれません。
 ちなみにつかさんですが、その後いろいろな方からきいた話を統合してみると、やはり優しい方らしいです。数々の猪突猛進エピソードには、かなり長嶋茂雄的なインパクトとスケールの大きさを感じます。たぶん、「つかさん、あのぅ……」と話しかけたら「お! なんだ」と前のめりで応えてくださるのではないでしょうか。そういえば、つかさんの舞台はストレートプレイといっても、ほとんどの場合ダンスシーンがあるんですよね。役者さんが突然マイクを握って歌ってしまうこともありますしね。それと、多くの作品のエンディングには、いままでの悲しみをひっくり返すような奇跡的などんでんがえしが用意されています。『蒲田行進曲』で映画監督や女優の小夏が繰り返す「ここはキネマの天地ですよ。望めば、どんな願いも叶うところなんです」という台詞。“キネマ”を“ミュージカル”に入れかえてもそのまま通じるような、美しい言葉です。
 ああ、またページが尽きてしまいました。このつづきは、また後日どこかで。