「時代」のなかの図書館――『図書館と戦争と民主主義の百年』を出版して

渡邊重夫

図書館に助けられ

 2025年は、1926年の「昭和改元」から「100年」を迎えようとしていた。そして、「不敗」を誇った大日本帝国の敗戦から「80年」の年だった。このとき、私は何を考え、何をなすべきなのか。戸惑いのなかで無為に時間を過ごしていた。そのとき脳裏に浮かんだのは、「その間、図書館はどうだったのだろうか」という素朴な問いだった。その問いが本書の出発点になった。
 2025年の1月15日に原稿の執筆を開始し、脱稿できるのかという不安とともにキーボードを叩き始めた。しかし「100年」という長い年月、研究室もない在野の一図書館学研究者にとっては、所蔵する資料だけではとうてい間に合わない。その折、助けられたのは「図書館」だった。原稿執筆の背後には、いつも近くにある北海道立図書館の膨大な蔵書があった。特に同館の図書館学資料室は、本書の命綱だった。「図書館雑誌」(日本図書館協会)や「学校図書館」(全国学校図書館協議会)などの逐次刊行物の創刊号から始まり、各種の図書館学資料が丁寧に保存・整理されていて、この資料なくして原稿執筆は一行たりとも進まなかった。図書館のことを研究していて、「図書館に助けられた」という思いは何物にも代えがたい。その結果、本書『図書館と戦争と民主主義の百年』も出版することができた。

「聖戦」と「民主主義」

 さて本書は、「「聖戦」を担わされた図書館」(戦前)と「民主主義の「砦」としての役割を担う図書館」(戦後)とを素描した。昭和の始まりを告げる前年の1925年、その後の歴史を特色づける2つの出来事があった。普通選挙法の実施と治安維持法の制定である。真逆の法律が「抱き合わせ」で成立している。普通選挙法は、その後の大政翼賛会の成立とともに翼賛選挙になり、選挙の意義は形骸化していく。それと並行して図書館への国家権力の介入が露骨になっていく。軍事国家は、図書館を利用して国民の思想善導、国民良化の政策を推し進め、図書館も不承不承(ときには積極的に)それらの政策を受け入れていく。「聖戦」を担う図書館である。そして治安維持法は、制定当初は無政府主義者・社会主義者が摘発の対象だったが、やがて自由主義者・宗教者にもその範囲が拡大していく。思想・言論弾圧は、暴力装置としての特高(特別高等警察)とセットで、遂には「誰でも」「いつでも」「どこでも」その対象範囲を広げ、市井の人々を逮捕・投獄していく。本書では、北海道の教師や学生が遭遇したそのうちの2例をもとに論じた。
 1931年の満州事変を契機とした日本のアジアへの侵略戦争。その開始時に国民は熱狂的にその戦争を支持し、マスメディアもそれに乗じて戦意高揚の情報を報じる。そして、遂にマスメディアは国家の拡声器になり、大本営発表を伝える。いつの時代、どこの国にもみられるマスメディアと国家の一体化であり、その結末はいつも悲劇的である。こうした悲劇は図書館にも及ぶ。戦渦は図書館の存立事態を危うくし、図書館機能の不全を招くことになる。
 
「知的自由は環状になっている」

 図書館も社会的な一機関であるために、政治の影響から免れることはできない。戦後成立した国立国会図書館法の前文には「真理がわれらを自由にする」という一文がある。真理を求める人々の思いは、自由を享受しようとする人々の思いと一体だと思う。すなわち、図書館が最も生き生きと存在価値を発揮しうる社会は「思想・信条・内心・表現・学問」などの自由が容認される社会である。アメリカ図書館協会知的自由部が編纂している『図書館の原則』には、「知的自由は環状になっている。表現の自由か思想へのアクセスかのどちらかが抑えられると、この環は崩壊する」と記してある。日本国憲法の解釈に基づいて換言するなら、図書館は、情報発信者の自由(表現の自由)と情報受領者の自由(知る権利)を「仲立ち」している。そのため、そのどちらかの自由が損なわれると図書館の存在意義は喪失する。図書館は民主主義社会を基盤にその機能を発揮することができる。そのことを本書の後半に記した。民主主義の「砦」としての図書館である。
 しかし今日、世界の国々を見渡しても、表現の自由も思想の自由も抑圧された国は多々ある。あの国、この国……。日本もそうならない保証はない。政治学者・丸山眞男は、「自由は置き物のようにそこに「ある」のではなく、それを不断に行使「する」ことによって守られる」という。図書館が民主主義社会を維持するための社会的装置としてありつづけるか否かは、ひとえに国民(市民)の日々の営みに依拠しているといえる。そうしたことをあらためて(そんなことを「あらためて」と思うのか、という声が聞こえそうだが)考えさせられた執筆経過だった。

 本書は、青弓社からの9冊目の出版である。私の単著は合計15冊なので、その半分以上は青弓社から出版した。矢野恵二氏には、そのつどご迷惑をおかけしてきた。特に今回、提案してもらった書名に納得がいかない私は何度も変更を伝えた。そのつど私の勝手な思いを受け止めてもらい、最終的には納得できる書名になった。心から感謝を申し上げたい。
 さらに付記したいのは、青弓社の校正のすばらしさである。一文字のミスも見逃さず、不確実な出典には確実な典拠を求めるという姿勢は、とても心強い味方だった。校正を担当された方々にも感謝したい。
 思い起こせば、私が矢野氏に初めてお会いしたのは、1988年11月21日、札幌の東急インというホテルのロビーでである。そのとき、最初の拙書『図書館の自由と知る権利』の出版の打ち合わせとなった。幸いにもこの書は日本図書館学会賞(日本図書館学会)受賞の栄誉に浴した。このときの出会いを仲立ちしてくださったのは大串夏身氏(当時・東京都立図書館勤務、現在は昭和女子大学名誉教授)である。次に矢野氏にお会いしたのは2019年6月6日のことである。この日は拙書『子どもの人権と学校図書館』が学校図書館賞(全国学校図書館協議会)を受賞することになり、その授賞式と記念パーティーが東京の中野サンプラザでおこなわれていた。この書も青弓社からの出版だったが、その会場に矢野氏も出席し、私は二重の喜びを味わった。そのときに矢野氏と一緒に写した「破顔一笑」の一枚の写真は、私の宝物である。
 
『図書館と戦争と民主主義の百年』試し読み
 

「起承転結」と社会学――『マンガ研究で卒論を書こう!――社会とメディアから考える』執筆を振り返って

池上 賢

「先輩、気がつきました。論文ってバトルマンガのストーリーに似てませんか? 俺たちには倒さないといけない敵がいる、それはこういうやつだ。で、それを倒すために仲間を集め、技を覚え……」
「池上さん、それを表すわかりやすい言葉が日本語にはありますよ。起承転結です」
 
 これは私が大学院生のころの、先輩との会話である。正確な時期は不明で文言も一文一句覚えているわけではないが、こういった内容を話したことは間違いない。
 さて、このエッセーでは拙著『マンガ研究で卒論を書こう!――社会とメディアから考える』について短く補足したい。
 本書の特徴として最も大きなものは、当然ながら「マンガ」という題材にフォーカスしていることだが、もう一つの特徴として、論文の構成に「起承転結」という考え方を用いている点がある。だが、今回本書の執筆にあたり、この概念を使うのかどうかはかなり判断に迷った。なぜならば、私はすでに論文の基本としてあげられるのは「序論・本論・結論」だと知っていたし、執筆のため参考にした著書の多くでも「起承転結という考え方は論文用のものではない」という主張が多くみられたからである(さらにいえばSNSなどでも、同様の主張を見かけることがある)。つまり、この考え方はいわば「異端」であるわけだ。だが、悩んだ末、私は自分が慣れ親しんできた「起承転結」というとらえ方で論文を書くことを記述することにした。ここでは、この点について説明をしたいのである。
 では、私はなぜ、「起承転結」という言葉を用いて解説をすることにしたのか。その理由の一つは、本書にも記載されている。つまり、論文構成の比喩として、「起承転結」という考え方は初学者にもわかりやすいと考えたからである。
 そして、もう一つには、実際に私自身が「起承転結」という思考で論文を執筆しつづけ、それなりの業績を残してきたという理由もある。自分の恥をさらすことになるが、私は大学院に入るまで、研究というものがどういうものかしっかりと理解していなかった。複数の議論を並べて中間的な結論を提示すればそれで論文になると本気で考えていた。当然のことながら、そのような状態でまともな研究ができるはずもなく、苦い経験を多数重ねるなかで少しずつ研究というものについて学んでいった。そして、あるときふと気がついて、大学院の先輩に話しかけたのが冒頭の会話である。
 この発想に気がついてから私の研究に対する理解は深まり、以後は(アカデミアで一般的な形式とは異なるかもしれないが)「起承転結」という考え方を意識しながら論文を執筆してきた。ちなみに、本書では池上賢自身の個人的な経験も交えながら記述してほしいとも依頼されていた。そういった経緯もあり、この考え方を採用した次第である。
 さらに、本書を書き終えてあらためて振り返ると、こと社会学では、「起承転結」という考え方が適合しているのではないかと考えることもある。
 社会学は、国際社会から日常生活まで、幅広い社会現象を研究対象にする学問である。むろん、私が本書の主題として取り上げたマンガも身近な娯楽であり、日常的な社会現象の一つになる。そのためか、社会学の論文では、「はじめに」などと呼称されるパートが設定されることがしばしばみられる。そこでは、研究者が自身の生活のなかで触れた素朴な実情やきっかけを記述したり、メディアで見聞きした社会現象に関する疑問を研究の導入として提示したりする。拙著『“彼ら”がマンガを語るとき、――メディア経験とアイデンティティの社会学』(ハーベスト社)でも、自分自身の個人的なマンガとの関わりに触れ、現代社会のメディアとアイデンティティという研究での大きな枠組みを提示している。もちろん、すべての社会学の論文がこのような構成をとるわけではない。だが、社会学の論文では、研究者自身の個人的な経験や素朴な体験談が研究の起点として提示されることがしばしばあるのだ。ちなみに、「起」の部分については、さまざまな導入が考えられるが、本書では学生にとって書きやすい「研究動機」に限定して記述した。
 ということで、「起承転結」という考え方を導入した理由を記述したが、すでに多くの場合で指摘されているように、「起承転結」という考え方には確かに問題もある。特に本論にあたる部分を「転」として説明することは、「意外などんでん返しが必要なのか」などと学生の勘違いを招く危険性があるかもしれない。とはいえ、この点については、学生に伝える際に、別に意外な出来事を書く必要はないということを丁寧に伝えれば対応が可能であると考える。
 このエッセーでは、私が「起承転結」という考え方を採用した理由を説明した。学生にどのようにアカデミックスキルを身につけてもらうのかという問題に「唯一完全な正解」はおそらく存在しない。少なくとも私自身は、「研究とは何か」を理解するうえで、「起承転結」という考え方に助けられてきた。本書もまた、その経験を学生たちに伝えるために書いた一冊といえる。
 
『マンガ研究で卒論を書こう!――――社会とメディアから考える』試し読み
 

三という数字に惹かれて――『ロックミュージックの社会学 決定版』出版に寄せて

南田勝也

『ロックミュージックの社会学』のリマスターに注力しているとき、つくづく自分は「三」という数字に惹かれているのだなと感じた。多少なりとも意識はしていたが、『決定版』のために針をも通さぬよう論理を再点検しているなかで、そう自覚した。
 私がたびたび用いてきたロック音楽文化の「三つの指標」は、より反体制的な立場へ接近しようとするアウトサイド指標、より非日常的な領域へ踏み出そうとするアート指標、そしてバカげたことをあえて成し遂げようとするエンターテインメント指標だ。この三つを頂点とする「三角形」を想定し、そのあいだに張り渡される緊張関係を一つの「構造」として考えてきた。難解な芸術とわかりやすい娯楽、大衆的広がりとコアな共同体、政治的実践と芸術的実践といった対立が、互いに引き寄せ合い、ときに反発しあう。その運動のなかで文化はかたちを変え続ける。私はその空間を「ロック場」と呼び、ロックの本質とは固定的な実体ではなく、差異の関係のなかでそのつど立ち現れるものだと捉えてきた。
 しかし、なぜ「三」なのか。この問いは以前にも考えたことがあるのだが、あらためて自問してみると、いくつかの理由が思い当たる。文化研究の系譜において、文化を複数の領域に分節する発想に親しんできたことは確かだし、鶴見俊輔やフィリップ・タグ、サイモン・フリスらが示してきた三区分(伝統/大衆/民俗という文化類型)の視点も背景にあるだろう。だがそれ以上に、社会科学一般の思考習慣との対比が、自分の志向を浮き彫りにしているように思う。
 社会学は伝統的に二分法を好む。フェルディナント・テンニースの「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ」、エミール・デュルケムの「機械的連帯から有機的連帯へ」など、近代社会の成立を説明する際には対照的な類型が提示されてきた。変化を論じるときも、近代化や都市化といった「○○化」はビフォアとアフターを前提とする。さらに縦軸と横軸を組み合わせれば四象限が得られ、理念型の整理や調査設計において有効に機能する。ロバート・K・マートンの顕在的機能と潜在的機能、順機能と逆機能の区別、タルコット・パーソンズのAGIL図式などを思い起こせば、社会学がいかに四角形的思考に親和的であるかは明らかであり、私自身も長くこうした図式の恩恵を受けてきた。
 それに比べると、三角形はやや哲学的であり、美学的である。社会学の三大始祖のうちもっとも哲学に近かったゲオルク・ジンメルが指摘したように、二者関係に第三者が加わると相互作用の性質は質的に変化する。仲裁者、調停者、あるいは観察者としての第三者が介入することで、関係は単純な対立を超えた複雑さを帯びる。また、大澤真幸が論じた「第三者の審級」のように、実在する個人を超えた超越的視点を想定する議論もある。こうした発想は、数量的な整理だけでは捉えきれない社会的経験の層を示している。
 さらに美学の領域に目を向ければ、テオドール・アドルノの否定弁証法が想起される。ヘーゲル的な止揚の運動とは異なり、矛盾を安易に解消することなく、その非同一性にとどまろうとする態度である。音楽作品に向き合うとき、私たちはしばしば合理的な説明を拒む何かに出合う。理性だけでなく、未知のものを未知のまま受け取る感受性が求められる。そこでは二項対立に収まりきらない第三の契機が不可欠になる。だからこそ私は、ロックという美的表現を考えるときには、三角形に立ち返ってしまう。
 音楽社会学が音楽そのものを主題とすべきか、それとも社会的文脈を重視すべきかという問いは古くから繰り返されてきた。しかし実際には、作品と聴き手の関係、音楽を媒介としたコミュニケーション、さらには感情や記憶のはたらきといった問題を考えるとき、哲学や美学の視座を取り込まずにはいられない。そして、その複雑な関係を見通すためのモデルが必要になる。
 振り返れば、私が三角形にこだわってきたのは、世界を単純な対立ではなく、複数の力が拮抗しつつ動き続ける場として捉えたかったからなのだろう。三つの点を結ぶことで生まれる微妙な歪みや緊張は、文化の運動性を直感的に示してくれる。三角形は決して安定した図形ではない。わずかな力の変化で形を変え、内部のバランスを揺らし続ける。その可変性こそが、私にとって思考の足場となってきたのである。
 ――と、そんなことを考えながら、先日刊行された『音楽史事典』(日本音楽学会編、丸善出版)の自分の担当項目を確認していると、「日本のロック」の項で私は、その始祖としてジャックス(1967-69年)、はっぴいえんど(1969-72年)、フラワートラヴェリンバンド(1970-73年)の三つのバンドを挙げていた。こんなところにまで……と、思わず苦笑してしまった。どうやら、この癖は当分抜けそうにない。
 
『ロックミュージックの社会学 決定版』試し読み
 

高原書店からよみた屋を逆照射する――『古本屋という仕事――スローリーディング宣言!』を出版して

澄田喜広

 2025年末の12月によみた屋吉祥寺店を改装しました。1997年に開店してから3度目の大きな改装です。
 最初は壁面以外に両面の棚が4列で全10面の棚がずらりと並ぶ、「とにかく本がたくさんある」本屋でした。棚と棚の間の通路は90センチでしたが、柱が出っ張っているところは60センチぐらいのちょっと狭苦しいお店です。
 2002年ごろ、両面の棚を3列にして、少しゆったりとした配置にしました。西荻窪と阿佐谷にあった店を統合して吉祥寺店だけにしたこともあって、このころが店舗での売上の最盛期でした。棚の後ろに空間を作って、未整理の本を置く小さな倉庫スペースにしました。
 2度目の大改装は可動棚を使いました。木製で、視線ぐらいの高さにしました。最初は見通しがきいて気持ちよかったのですが、いつの間にか棚の上に本が増殖して、可動棚の車輪も重みに耐えかねているかのようでした。
 今回の改装で当初に近い4列配置に戻しましたが、柱の前は避けて狭いところを作らないようにしました。以前の倉庫用の棚とは違い、廃業した書店から譲ってもらった書店専用の高性能棚なので収納力が高く、これまでで最高の蔵書量になりそうです。
 そのときそのときの社会情勢や流行と自分の気分の折り合いがつくところを求めて、店の雰囲気を変えてきました。店長を務める妻との話し合いも重要です。ときには遠慮し、ときにはぶつかり合いながら、二人の考えを一致させます。うまくいっていない部分があると、そこがお互いのイライラの発火点になります。
 ずっと変わらないのは、店の奥の突き当たりの壁。思想・哲学の棚が30年以上にわたって変わらずにあります。そこから放射するように言語、心理、宗教、歴史、社会、科学、美術の本が、少しずつ配置を変えながらあって、手前に音楽、芸能、まんが、文学、文庫、新書、児童書、実用書などがあります。考えてみると、改装しても基本的な配置はあまり変わっていません。
 改装したばかりの棚をごらんになったお客が「高原書店を思い出す」とおっしゃいました。高原書店は、私がかつて勤めて修業した店です。その高原書店が閉店したのは6年前ですが、懐かしんで惜しんでくださるお客がまだたくさんいらっしゃいます。よみた屋とは什器も違いますし、置いている本ももちろん違うのですが、どこか受け継いでいるところがあるのでしょう。私自身も、自分の店では思いませんが、かつての同僚や、それどころか私の店から独立した人の店づくりでさえ、ふと高原書店の香りを感じることがあります。
 先日、高原書店の社長の高原坦が亡くなったあとに経営を受け継いだ陽子夫人に、同僚二人と一緒にインタビューする機会がありました。話を聞くつもりでしたが、つい当時の思い出がよみがえり、座談会のようになりました。
 私がいたのは1980年代ですが、そのころすでに高原書店は新古書店・インターネット古書店・個性派古書店の先駆けになる仕事をしていました。経営はずっと苦しかったと思いますが、社会への貢献という意味では立派な古書店でありつづけました。私のように「なるようになる」経営ではなく、高原社長は理念に基づいて理想を追求し、それを成り立たせる方法を考え続ける人でした。
 戦後の古書業界の重鎮である反町茂雄の「古本屋は、金を借りるな、人を使うな、安い本を扱うな」という教訓がありますが、高原書店はすべてその逆の経営をしました。「大量生産される本は、商品の量が多く、企業として発展性があるが、古典籍や稀覯本は全体の量が少なく、企業として発展する可能性は少ない」と高原坦の著書『古本屋30年――古本屋人生中間報告 増補改訂版』(自家版、2009年)にあります。
 高原書店の大量に出版された本を安く(定価の半額程度で)売ることと、古い専門的な本を売ることを一つの店で完結させるやり方は、新古書店と個性派古書店という別のビジネスモデルとしてそれぞれ発展しました。そのうち後者は古書組合に所属する店も多く、従来型の古書店の進化形として業界に受け入れられましたが、新古書店に関しては古書業界とは別の業態であると、業界も業者側も認識しているようです。
 もっとも、20世紀末にあれだけ全国に広まった新古書店もいまは見る影もなく、生き残った業者も書籍以外のゲームや時計などの商品が主力になりつつあるようにみえます。高原書店がそうだったように、本にこだわった店はネット販売に活路を見いだしています。
 店舗を運営する古書店はどこも経営が厳しいようです。よみた屋も通信販売を組み合わせてなんとか続けている状況です。ネット通販は、ほしい本を見つけるのには便利ですが、知らなかった本と出合う機能が弱いのが弱点です。また、データベース化されていない古い本や一点物に関しては、「日本の古本屋」など一部のサイトを除いて販売することができません。実店舗の閉店が相次ぐなかでも、新刊の独立系書店や若い古書店の開業も続いています。
 各家庭にはまだまだ本がたくさんあります。紙の書物は終わりが近いと言う人もいますが、プラットフォーマーが支配するウェブ記事や電子書籍に対して、分散して所有できる紙の書物だけの価値はまだ失われていません。実際のところ、漫画を除くと電子書籍の成績はかんばしくないようです。販売数量はともかくとして、重厚な書籍の刊行点数は減っていないようです。長時間一つの書籍に向き合うには物理的な存在感が重要なのかもしれません。古書店がやるべきことも、そう簡単に尽きることがないでしょう。
 
『古本屋という仕事』試し読み
 

「図書館は成長する有機体である」とあらためて実感――『子どもの読書を支える図書館――ブックトークや読書のアニマシオンから考える』を出版して

槌谷文芳

 北海道蘭越町と滋賀県豊郷町を通算して41年、自治体職員として働きました。蘭越町での38年間のうち28年間は総務や税務などの一般行政職でした。滋賀県の豊郷町立図書館の期間を含めても図書館勤務は通算13年で、一般行政職として働いた期間のほうが長いことになります。
「人生に無駄な経験はない」とよく先輩から聞かされました。税務行政のときに地方分権時代の法定外目的税や法解釈権などが注目され、政策法務に関心をもちました。また、農務水産行政では、内水面漁業協同組合の事務局員として簿記会計にふれました。
 学生時代には新古典派経済学が主流でしたが、就職したころ、供給重視や合理的期待形成などが注目され、やがて新自由主義や市場原理主義の思想と結び付くようになって、新古典派以上の違和感がありました。そんななかで、自動車の社会的費用など、宇沢弘文による社会的共通資本の考え方に親近感をもちました。また、北海道町村会が主催する新しい行政経営に関する研究会に参加したときの私のテーマは「行政経営品質」でした。そのときの経営学や組織論の知識が、図書館の経営に役立ったように思います。
 図書館との出合いについてのエピソードです。当時、地方分権改革の気運が高揚するなかで、全道から自治体職員が集う研修会が札幌でありました。町長が講師を引き受け、私も同じ研修会に自主参加すると職場に報告していました。それが目にとまったのでしょうか、町長の公用車に同乗することになりました。「槌谷くんは、こんど異動するとしたらどんな仕事がしたいか」というようなことを聞かれました。正直に「経営をしてみたいです」と答えました。いまから考えると僭越でしたが、結果的に新設する図書館の準備を任されました。図書館との関係の始まりです。こんな小さな偶然の巡り合わせから本書を出版することになり、とても不思議な縁を感じます。
 本書の校正を終えて確信したことが一つあります。本書は、大きな意味でブックトークの原稿を作成する手法を使っていたということです。ブックトークでは、紹介したい本やテーマを中心に、想像力をはたらかせて関連する資料を集め、つないでいきます。紹介したい本に関連する資料を発見できることもありますが、あまり関係がなさそうな資料も、とりあえず「マインドマップ」にします。回り回って中心になる本やテーマに接続することもあります。人の記憶は、意外性や遊びが大きなはたらきをするといいます。ブックトークでも、中心になる本から意外な方向に資料がつながる面白さを発見することがあります。とりわけ読書のアニマシオンは、発見を協働し、ともに成長するように誘います。ブックトークの研修会では本のつながりが大事だといいますが、私などはむしろ意外性とワクワク感が好きです。
 カナダの環境生態学者スザンヌ・シマードの著書『マザーツリー――森に隠された「知性」をめぐる冒険』(三木直子訳、ダイヤモンド社、2023年)があります。森林は、マザーツリーを中心に森の立木のすべてを菌類ネットワークがつないでいる、という発見です。菌類が水や栄養や病原菌の情報さえも交換しているといいます。図書館はしばしば森に例えられますが、これは本質を突いています。図書館の森をつないでいるのは、地下に張り巡らされた菌類ネットワークのようなはたらきをする言語活動だと想像しています。
 ブックトークや読書のアニマシオンは、能動的なはたらきかけを特徴とする言語活動です。言語には、単調な繰り返しのような回帰性と、複雑さを引き起こす意外性や遊びがあります。森に暴風雨などの錯乱が起こって倒木の跡に新しい芽が吹くように、新たな知が創造されます。
 日本は、経済成長しない没落国家へ向かっているといわれることがあります。そうした社会情勢のなかでも私が強調したいのは、図書館には卓越した機能があること、そして、誰でも望めば「情報教育者」として大学院修士課程まで学び続けることができるような公共政策によって教育改革が進み、21世紀日本に社会的公正と豊かな社会文化を育むということです。
 本書には、住民ボランティアのみなさん、司書課程を学ぶ人、非正規を含む図書館職員、さらに教育行政職員などの自治体職員に向けて書いた章があります。しかし本書の骨格は、筆者を北海道から滋賀県の図書館へ送り出してくれた職員の寄せ書きにあった「図書館は成長する有機体であることを実感しました」の言葉でした。その有機体から自己組織化、フラクタル図形をイメージし、分子生物学、脳科学、認知心理学の知へとつなげ、言語活動に着目し、子どもの読書、ブックトークや読書のアニマシオンから考えて本書を構成し、執筆したのです。
 
『子どもの読書を支える図書館』試し読み
 

13年を費やして30人を発掘。続篇も13年かかる?――『必聴!ヴァイオリニスト30――魅惑の音色を発掘する』を出版して

平林直哉

 10月3日に新刊『必聴!ヴァイオリニスト30――魅惑の音色を発掘する』が届いた。単著はこれで9冊目だ。8冊目の『クラシックの深淵』(青弓社、2021年)と同様に、今作もまた真夏の、しかも酷暑での校正作業になった。大変だとはいえ、しょせんはエアコンをフル稼働しての作業だし、自分の著書の校正だ。不満などあるはずがない。ところが……。
 執筆した原稿が校正ゲラに印刷され、そこに著者と編集者の朱字が入り乱れる。こうした制作工程は以前とまったく変わらないし、書籍になるまでのワクワク感・ドキドキ感もいつもと同じだ(「なんだかんだ言っても、いまがいちばん楽しいんだよねー」)。しかしながら、今回はひとつの本をまとめあげる大切さと重さを、それこそ心に突き刺さるくらいに強く感じた。
 本書の「おわりに」にも書いたように、原稿の大半は青弓社の連載読み物サイト「WEB青い弓」に掲載したものに加筆・修正を施したものである。サイトに掲載する時点ではもちろんベストを尽くし、並行して編集者のチェックも入っている。これらに書き下ろしを加えて一冊にまとめる際には、連載第1回から各回の時間が経過したことによって派生した事柄の修正程度に収まるだろうと想定していた。ところが、実際に作業を進めていくと、まず気づかされるのが自分の脇の甘さである。見落としや誤認が多数見つかる。さらに、編集者から多くの疑問点が指摘された。それらを解明するために調べていくと、別の不明点や疑問点が、それこそ湧いて出てくるという状態だった。
 日常的に感じていることでもあるが、今回の作業を通じても明らかになったインターネット上にあふれている情報の不正確さにはあらためて驚かされた。何かを調べるきっかけを作るのにインターネットは便利ではあるが、そこに書いてある事柄に関しては何重にもチェックしなければならない。
 周囲にはSNSの有効活用をささやく人も少なからずいる。しかし、ブログにしろYouTubeにしろ、編集者のような第三者の目を通過したものはほとんどなさそうである。垂れ流し状態といってもいいだろう。実際、ブログやYouTubeのなかには明らかな誤りや認識不足、出典不明の怪情報などがあふれている。これを自分の原稿に例えていえば、いちばん最初に書き上げたものをそのままインターネット上に投稿したり、ないしはしゃべったりすることと同じだろう。冷静に考えれば恐ろしいことである。公表するからには慎重のうえにも慎重に、と「人の振り見て我が振り直せ」を痛感している。
 ともあれ、「あまり知られていないヴァイオリニストの個性的で魅力にあふれた演奏を紹介する」という当初の目的がかなり達成できたことには安堵している。既存のガイドブックとは異なり、有名どころをあえて外した意図を理解してくれるファンが増えることを期待したい。
 ひとつだけ補足しておきたい。それはイェリ・ダラニの項目にあるコルティ作曲『グラーヴェ』である。SPのレーベル面にはコルティしか表記がなく、カタログなどの資料もすべてこれに準じている。ところが、最新のビダルフのCD(85056-2)では、作曲者はヴェラチーニで、コルティは編曲者なのだと記されている。これに気がついたのは校正締め切りの間際のことであり、本当にヴェラチーニが作曲者なのかを調べる時間がなかったことと、オリジナルのSPを探す際にはコルティのままでないと検索してもヒットしなくなることなどを考慮し、あえてそのままにしておいた。そもそも、ビダルフのCDはSP復刻なのだから、この情報は解説文だけではなく、曲目一覧に添えるべきものだろう。
 なお、「おわりに」では本書で取り上げた音源についても触れている。実は、CD制作用のマスターはすでに完成していて、ジャケットも原稿がほぼ完成し、使用予定の写真類もそろえている。いずれは発売するつもりで準備してはいるが、必ずしもそうなるとはかぎらない。というのは、そもそも本書で紹介した音源の大半は著作隣接権が切れているので、誰でもがSNSにあげたり製品化したりすることが可能である。いつでも自分が一番乗り、先駆者になろうと思い込みすぎないほうがいいのではないか、と思っている。さて、どうしたものかと思案中である。
 
『必聴!ヴァイオリニスト30』試し読み
 

いまなぜ高所綱渡り師なのか――『高所綱渡り師たち――残酷のユートピアを生きる』を書いたあとで

石井達朗

 現在の舞踊を中心にして、パフォーミングアーツ全般に対するわたしの関心は、もとをたどれば、幼少期に1年に1度、母が連れていってくれたサーカスにある。大きな神社の境内に秋になると市が立ったのだが、それと並行して神社から少し離れた空き地にサーカス団がやってきてテント公演をするのが恒例だった。子どもにとっての娯楽がいまのようになかった時代、秋にやってきて、終わると跡形もなく消えていくサーカスは、異形の人たちがもたらす最高の楽しみだった。テントのなかに一歩足を踏み入れると、馬糞のにおいとサーカス芸人たちのきらびやかなスパンコールが同居している。どこにもない不思議な世界。とくに魅せられたのは曲馬と空中ブランコである。大人になってからは、欧米はもとより中国、韓国、インドなどの町や村でさまざまなサーカスを観てきた。
 綱渡りに引かれるようになったのは、サーカスという集団を離れて、野外の高所でパフォーマンスをおこなう人たちがいるからである。彼ら/彼女らは孤高の存在だ。文字どおりの独立独歩の冒険者たちである。サーカスのように鳴り物入りで綱渡りを盛り上げてくれるわけではない。何よりも高所綱渡り師たちは、サーカスでアクロバットするほかの芸人たちとはどこかちがう。最近のサーカスは、わたしの子どものころとは比較にならないくらいの大きな鉄骨に支えられたテントを使うので、テントのなかではるかてっぺんを見上げるようにして綱渡りを観たという人も少なからずいるはずである。その場合は、落下防止のネットが設置されていたり、綱渡り師とワイヤーを結ぶ「テザー」とか「ハーネス」を装着したりするなどの安全対策をとっている。
 それにしても高所綱渡り師たちとは一体、何者なのか。歴史をみると、一瞬の油断で、あるいは何らかの物理的な条件が不備であったために命を落とした者たちが少なくない。大けががもとで残りの人生を車椅子などで生活した者たちはもっと多いだろう。しかし、彼ら/彼女らは決して向こう見ずの命知らずではない。なぜあえてそれほどの高所に挑戦するのか。
 そんなふうにわたしに迫ってきたのが、フィリップ・プティである。彼の生のパフォーマンスを1度だけ、1980年代末のニューヨークで観たことがある。プティといえば、74年に、110階建て、地上410メートルを超えるニューヨークのワールドトレードセンタービル2棟の屋上に長さ42メートルのワイヤーを設置して、命綱なしに渡ったという歴史的な行為がある。すべて違法であることを承知のうえでおこなった確信犯である。プティの助っ人たちは、徹夜で超高層ビルの屋上をワイヤーでつなぐという大仕事をしたのだ。プティも一睡もせずにこの作業をやったあと、その日の朝、綱渡りを決行した。「勇気」や「挑戦」などという言葉さえ色褪せて聞こえるほど、度を超している。
 歴史をひもとくと、驚くことにフィリップ・プティに勝るとも劣らない高所綱渡り師たちが少なからず存在してきた。これは決して男たちだけではない。女たちもいる。そういう人たちに言葉をとおしてできるだけ肉薄してみたいと思ったのが、本書を書き始めたきっかけである。高所綱渡り師について語る場合、数字が物を言う。いつ、何歳のときに、ロープの高さ、長さ、太さ、バランス棒の長さ、集まった群衆の数は……など。そのほか、ロープの下に設置する安全ネットの有無、ハーネスなどの墜落防止対策をしていたかどうか、天候はどうだったか、ロープの種類は麻か鋼か、など。不幸にも墜落してしまったのなら、その人は亡くなったのか。墜落した理由はどこにあるのか。墜落はしたけれど命拾いしたのなら、その後の人生はどうだったのか。わたしの好奇心がふくらめばふくらむほど、数字による具体的な記述も増えてくる。20世紀前半から19世紀へと時代をさかのぼるほど資料が少なくなったり、資料によって記述が異なっていたりと、困惑させられることもよくあった。
 高所綱渡りをする者たちについて知りたい情報は尽きないが、わたしにとって最大の疑問は、彼ら/彼女らは一瞬にして命を失ったり、残りの人生を障がい者として生きなければならなくなったりするかもしれないのに、なぜ綱を渡るのかということだ。彼らは精神も肉体もわれわれ常人とはちがう何かをもっているのか。それともさしてちがわない人たちなのか。恐怖、不安、躊躇をどんなふうに克服できるのか……など、尽きることがない問いが追い立てるように執筆中のわたしを突き動かした。それらの問いに対する答えはいまだに一筋縄では捉えられない。
 本書を書き終わってひとつ感じていることがある。人という生き物は自分が想像する以上に、途方もない可能性をもっているにちがいないということだ。外に羽ばたこうとウズウズする心身の力を内包している。それが、最近はケータイやパソコンなどのデジタルテクノロジーによって、いつも押し込められているように思えてしかたがない。高所綱渡り師という静かな挑戦者たちが、歴史のなかにいつも存在してきた。そして現在もいることに思いを馳せてみたい。そのことが、いまや当たり前のようにITの森の住人になってしまっている我々に、何か根底からちがう尺度を与えてくれるかもしれないと思うのだ。
 
『高所綱渡り師たち』試し読み
 

男性たちの第一歩のために――『ジェンダーの考え方――権力とポジショナリティから考える入門書』出版に寄せて

池田 緑

 これまでジェンダー論の授業を複数の大学で担当してきて、ずっと感じていたことがありました。ジェンダー論の授業なのですから、ジェンダーについての知識や議論を紹介することはもちろん重要なのですが、それ以上に、ジェンダーに対する視角・態度が重要なのではないか、ということです。せっかくの知識も、頭ではわかっていても、実際に男性の支配と直面したときにうまく対応できない、引け目を感じてしまう、丸め込まれてしまうといったことが起きやすく、それらを克服するためには単なる知識だけでは難しい。ジェンダーに対する態度というか、視点というか、現象学的社会学でよく使われる「自然的態度」をチェックしなおすことが必要なのではないか、と感じてきました。
 これはとくに女子学生においてですが、身近な男性(家族、彼氏、アルバイト先の人など)とジェンダーをめぐって衝突し、マンスプレイニング全開で説教されて言い返せず、悔しい思いをした話をたくさん聞いてきました。そういう彼女たちがジェンダーの授業を受けて知識とロジックを獲得して、「よし、今度は言い返してくる」「今日は負けないぞ」と意気揚々と帰っていくのですが、しばしば「言い返せなかった~」「また言いくるめられた~!」と半べそをかきながら戻ってくることもありました。
 話を聞いてみると、様々なごまかしのロジックや、彼女らが内面化しているジェンダーの、他者に対する葛藤を恐れる部分などを、男性たちは見事に突いてきているのでした。ジェンダーを内面化する過程で、女性たちにはいわば「つけ込まれやすいポイント」とでも表現できる部分が埋め込まれ、男性たちはまさにそこにつけ込んでいたのでした。
 ただし、別の発見もありました。ジェンダー論の授業を担当しはじめたころの話です。彼女たちが身近な男性にジェンダーの授業で学んだ内容を話すと、いちばん多い反応は「どうせ、ヒステリックなおばさんが言ってんだろ」といった、集団間の権力関係を個人の資質に還元して無化しようとする典型的なごまかしの対応でした(本当はもっと聞くに堪えない罵詈雑言が多いのですが、ここではマイルドな表現にしました)。そのときに「いや、若い男の先生だよ」と彼女たちがいうと、男性は黙るというのです(そのころは私も若い教員でしたので)。
「あ、そこは黙るんだ」というのが、発見でした。女性に言われてもごまかせることが男性に言われるとごまかせず、その結果沈黙せざるをえない。男性たちは、女性からのクレイムに対してはあれこれごまかす方法を熟知していても、同じ利害にある男性からの告発やクレイムに対しては脆弱なのです。それを否定する根拠も、ごまかすロジックも、同じ利害を共有しているという関係性(同じポジショナリティ)のために構造的にも準備しにくいからです。
 私が男性による女性に対する支配や権力作用の“手口”を焦点化しようと考えたのも、男性たちがつけ込むポイントを開示することで、女性たちにそのごまかしのポイントを示すこと。それ以上に、男性たちに「もうこの手は使えないよ」と、自らのありようを見つめ直す機会を共有したかったからでした。
 もちろん、そのような試みに対しては批判もありうるでしょう。しかし、女性に対して頻繁に使用している「黙殺」「無視/スルー」は、同じ利害関係にある男性に対しては使いにくくなるでしょう。「黙殺」「無視/スルー」は、非対称的な権力関係では効果を発揮できますが、同じ利害関係にある者同士では効果が十分に期待できないからです。
 必要なのは、男性同士での、自らがおこなってきた権力行使についての情報の共有と議論だと思います。その過程で利益を失いたくない男性たちと、女性たちとの関係性を変えたいと願う男性たちの間で、対立やいさかいも起こるかもしれません。しかしそのような対立やいさかいこそ、男性たちにとって必要なものだと思うのです。
 男同士が、自らの利害を開示しながら争う姿をみせること。これが重要と思います。これまで女性たちは、分断された利害をめぐって争わされてきました(本書の第6章で少し考察しました)。男性たちは、自分たちがその争いの原因を作ったにもかかわらず、女性たちの争いをニヤニヤと眺めていただけでした。分断支配という状態です。今度は、男性たちがそのような姿を女性たちにさらす番だと思うのです。それが、両性が平等で対等な位置づけに立つための一歩になり、男性たちが自らのありようを刷新する出発点になると信じます。
 社会学者ハーバート・ブルーマーは、シンボリック相互作用論を唱えるにあたって、大きな理論から細部や現象を定義的に説明するのではなく、社会や現象を捉える際に大きな方向性を与え、概念から細部や現象の現実の個別性に至るようなものを「感受概念」として論じました。私はジェンダー論(ジェンダー規範やジェンダーそのものではなく)こそ、典型的な感受概念と感じてきました。本書には、そのようなジェンダーをめぐる現実の現象や事例に接近するための、感受概念として作用しうるポイントを、主に権力作用という観点から整理するという目的で書いた面があります。
 ジェンダーにまつわるあれこれについて現実の現象や関係のなかで直面したとき、それをどのように捉えて考えるのか、その大きな方向性や枠組みとして本書のささやかな試みが機能するならば筆者としてはうれしいかぎりです。本書の書名を『ジェンダーの考え方』としたのも、そういった含意があったからでした。

 そのような感想とは別に、本書の執筆・編集過程では貴重な体験がありました。本書は私が書いたものの、同時に青弓社編集部のみなさんとの共作という感想をもっています。編集部から戻ってきたゲラは真っ赤で、本当に細かな言い回しにいたるまで、ジェンダー論の入り口に立った読者にどのようにして届けるかという視点からの提案にあふれていました。指摘を要約すると、論点はシンプルに、学問的な思いなどは初学者に伝わりにくいからバッサリ切れ、言いきるべきところは言いきって議論にメリハリをつけよ、といったものでした。その結果、私がこれまで書いてきたものとは相当異なる文体・表現になりました。文体だけでいえば、まるで別人格です。しかし、あとから読み返すといずれも適切な提案で、別人格を引き出してもらえたなどということは本当に稀有で貴重な体験と思います。
 また本書のサブタイトルには「ポジショナリティ」という言葉が入っていますが、提案された当初はポジショナリティは必ずしも本書全体のサブテーマとまではいえないと思い、入れるのをためらっていました。しかし編集部内はもちろん、営業部の方々も様々な声を集約してくださり、本書の特徴を打ち出すためにぜひ入れてほしいと言われ、そこまでしていただけたのであればと入れることにしました。
 見本を手に取ったときにあらためて読んでみたところ、本書でポジショナリティという用語が登場するのは第5章ですがそれ以後は頻出していて、また第4章までの記述も「ポジショナリティ」という用語こそ使用していないものの、相当にポジショナリティを意識した議論になっていました。サブタイトルに入れるにふさわしい言葉だったと、あらためて思いました。私自身も把握していなかったような本全体の構造を見抜く、プロの慧眼に驚いた経験でした。
 
[青弓社編集部から]
4月27日(日)の14時から、大妻女子大学で本書の書評会を開催します。

評者として、江原由美子さんと木村絵里子さんがコメントくださり、著者の池田緑さんが応答します。

対面とオンライン(アーカイブあり)がありますので、ご興味がある方はぜひご参加ください。

『ジェンダーの考え方』書評会
4月27日(日) 14:00-16:30
方法:対面とオンライン
場所:大妻女子大学千代田キャンパスのH棟313室(オンラインはZoom)
参加料:880円(税込み)

対面での参加チケット
https://seikyusha.stores.jp/items/67e5fae1006ad14c8a3db9fc

オンラインでの参加チケット
https://seikyusha.stores.jp/items/67e5fc24c6aee7ae031a6f43

 

あるアーティストのファンであり続けること――『ライブミュージックの社会学』出版に寄せて

南田勝也

 私が『ライブミュージックの社会学』を編むことにしたのは、新型コロナウイルス感染症禍のくすぶった日々に考えていたひとつの問いがきっかけである。その問いとは「あるアーティストのファンであり続ける●●●●●ことはどのようにして可能か」というものである。このアジェンダは本書では展開していないので、このコラム欄で私の思念の道筋を記してみたい。
 
 現在、あるアーティストのファンであり続けることは、どんな条件で担保されているだろうか。もちろん往年のミュージシャンや解散バンドのファンの場合は「心のなかのナンバーワン」を永続的に定めているだろうが、そういうことではなく、活動の存続がそのまま経済基盤になっている現在進行形のアーティストとそのファンの関係についてだ。
 元来それは文化産業が守ってきた。音楽関連会社のマネジャーやエージェントが、世間知らずで気まぐれなアーティストに代わって、ファンの前に姿を現すスケジュールを組んできたのである。そのなかでもっとも重要な活動は新作のリリースであり、シングル盤なら数カ月に1枚、アルバム盤なら年に1枚のペースが大方にとっての標準になっていた。
 ディスクを発表すれば、音楽批評家によって新譜評が書かれ、音楽誌にインタビューが掲載されて露出の機会が増える。まず何よりも、心待ちにしていたファンがプレゼントを渡されたときのように喜ぶ。いそいそと街のレコード店に出かけてディスクを手に取り、帰りの電車で開封の儀を済ませ、帰宅するとうやうやしく再生する。その音源をリピート再生しながら次のアルバムが出る日を楽しみに待つ。つまり、ずっとファンでいてくれる。
 もうひとつはツアーだ。アーティストはいまも昔も巡業を好む。ギター1本で移動できるシンガーは旅の歌をレパートリーにもっているものだし、ライトバンに機材を詰め込む小所帯のバンドは深夜高速を利用して全国を回る。アリーナクラスのアーティストになるとそうはいかないが、近年ではライブ使用可能なハコモノが各地に設置されているので、当該地域のファンの欲求はそこで充足される。重要なことは継続性であり、とくに地方在住者にとっては数年に一度でも自分の住む地域に来てくれれば揺るぎない信頼につながる。
 ツアーのチケットがなかなかとれない人気者の場合は、ライブ参加のためにファンクラブの入会を半ば義務づけているパターンもある。これは批判の対象になりうるが実のところうまい仕組みであり、今回は抽選に外れても会員であるかぎり次のチャレンジは約束されているので、ファンがファンであり続けることに持続的に貢献する。
 また、そうしたクローズドなつながりとは反対のオープンな仕組みも進展していて、それがフェスである。現代的なフェスが誕生してから四半世紀、多様な出演者が彩る開放的な雰囲気が受け入れられ、全国各地で四季を通じて開催されている。ツアーの行程にフェス出演を組み込むアーティストは多くいる。ファンにとってはフェスのチケット代は割高だが入手は容易で、単独公演ならチケット争奪戦になるライブアクトを見る好機になっている。
 
 しかしこのようなルーティーンに基づく活動は、現在では崩壊寸前の状況にある。
 インターネット、とりわけサブスクリプションの登場は、シングル盤やアルバム盤のフィジカルな単位を無意味化させた。それどころか、それが新曲なのか過去曲なのかという時間の概念さえ曖昧にさせている。そもそも新人は別にしてベテランになるとアルバムは数年ごとのペースになりがちだし、シングル盤は出したとしても「一斉に店頭に並ぶ」販売スタイルが失われた結果、話題として盛り上げにくいものになっている。そして新人たちはフィジカルでの販売を放棄し、配信オンリーで独自のプロモーションを展開している。
 そこで頼りになるのはチャートのはずだが、多様に存在するポータルサイトの集計はまちまちで、著名なアーティストでもリリースに気づかれないままランク外へと埋もれていく。かつてなら誌面だけでなく広告面でも援護射撃していた音楽雑誌は、長引く出版不況によって全盛期の力を期待できない。音盤の発売スケジュールに寄り添って「ファンであり続ける」ことは確実に難しくなっている。
 となると、ライブが唯一的に残された紐帯になる。ライブでのアーティストは、新曲を演奏しようがしまいが、現在進行形の姿でファンの前に現れてくれる。ツアーのたびに新しいデザインのグッズも用意されて、記憶と記録の双方に痕跡を残してくれる。非線形的なインターネットの時空間に漂う楽曲群の不確かさとは対照的に、はっきりと線形的で確実な「ともに年月を重ねていく」感覚を与えてくれるのだ。これが2019年までは順調に推移していたアーティストとファンの関係式だった。
 しかしその幸福な関係式は、2020年2月以降のコロナ禍によって断絶の時を迎える。
 
 コロナ禍は生活のさまざまな場面にストレスをもたらしたが、私がもっともめいったのは、大学教員という職業柄もあるだろう、身体的・精神的に本来もっとも活発な若い世代が身動きできずに日々落ち込んでいく姿を目の当たりにしたことだった。
 あるゼミ生は、好きなバンドのライブ映像を見る気が起きないと語った。映像を見るとその空間に自分がいないことを自覚してしまう。ライブキッズだった彼女にはそれがつらすぎるのだ。また、あるゼミOGは、10枚以上の「使われることはなかった」チケットの写真を「Instagram」に投稿した。彼女はチケットを「この子達」と表現し、理不尽な現実に悲しみを覚えながらも、ファンであり続けるため踏ん張っていることをメッセージした。さらに、あるゼミOBは、学生時代からバンドを続けていて、2020年は大型イベントに誘われることが決まり、飛躍の年になるはずだった。しかしそのイベント自体が中止になった。
 コロナ禍がライブ市場にもたらした損失は、経済的なものにとどまらず、アーティストとファンの心理的な関係に及んでいた。当たり前に訪れるだろうと思っていた明日はぷつりと途絶え、次はどんな音を聴かせてくれるのだろうという高揚感は失われ、継続こそがバンドの命綱なのにそのモチベーションさえ奪われてしまった。
 私は、彼や彼女の顔を思い浮かべながら、コロナ禍が明ければライブミュージックに関する書籍を出版すると決めた。音楽研究として歴史性と現場性を存分に描ける執筆者に集ってもらい、学術書としてはイレギュラーなほどに写真をふんだんに用いたのは、ライブの魅力を人々に伝えて裾野を広げるためだ。
 幸いなことに、ゼミOBのバンドは、コロナ禍を乗り越えてライブ巧者の異名をとるほどに成長し、都内の中規模ライブハウスをソールドアウトにするレベルに達している。人間が出せる最高スピードの時速36kmで突っ走る彼らには追い付けないかもしれないが、私は彼らに倣い、ライブ研究の論文発表というツアーを継続していきたいと考えている。
 
『ライブミュージックの社会学』試し読み
 

妻にこそ読んでほしいのだが――『世界文学全集万華鏡――文庫で読めない世界の名作』を書き終えて

近藤健児

 私が購入する大量の本やCDの洪水に迷惑しているせいか、妻は私が書く本については、だいたいいつも冷淡に受け止めている。「そんな本、誰が買ってくれるの?」「また本を出してくれるなんて、青弓社ってほんとに奇特な出版社だね」と何度言われたかわからない。本当は身近な人にこそ励ましてもらいたいし、とにかくまず妻に読んでもらいたいものなのだが、ページさえ開こうとしないのである。今回も『世界文学全集万華鏡』を手に取ると、「ジョージ・エリオットの「ロモラ」しか読んだことがない。知らない本だらけだわ」と一刀両断されてしまった。
 世界文学全集の定番の作家といえば、フョードル・ドストエフスキー、レフ・トルストイ、スタンダール、ロマン・ロラン、アンドレ・ジッド、アーネスト・ヘミングウェイなどがすぐさま思い出されるだろう。これらの作家のものは文庫でも刊行されていて、代表作を中心にほぼ安定的に供給されている。原則的には古書か図書館に頼ることになる、往年の世界文学全集を探してわざわざ読む必要はない。もちろんあえて文庫ではなく世界文学全集の一巻で読む理由もある。より読みやすい訳者のものを選ぶことは大切だし、写真が多用された詳しい解説が魅力的な場合が多いからだ。ただ本書では、せっかく世界文学全集の一巻に所収され昭和の時代に世に出た作品でありながら、文庫化されなかったことも手伝って、研究者や熱心な読書家以外からは忘れられつつあるものに、再度光をあてようと選書した。その結果ほとんどの作品が文庫化されたこれら大物作家の本を加えることはしなかったのである。
 そうしたわけで、A級の大作家が入っていない目次になったが、一方では複数の作品を選書している作家もいる。ヘンリー・ジェイムズはただ一人、「アメリカ人」「ボストンの人々」「カサマシマ公爵夫人」の3作を選んだ。いずれも落とすことができない秀作と思うからである。2作を選んだのは、ジョージ・エリオット(「フロス河の水車場」「ロモラ」)、ジョゼフ・コンラッド(「ノストローモ」「勝利」)、トーマス・マン(「大公殿下」「選ばれた人」)、オノレ・ド・バルザック(「あら皮」「幻滅」)、エミール・ゾラ(「クロードの告白」「生きるよろこび」)の5人である。これらの人たちも先に挙げた作家に劣らぬA級作家であることは疑いない。どういうわけか文庫に恵まれないエリオットを除けば、代表作・主要作の多くが文庫で読める。だがこれらの作家はおおむね相当に多作なので、文庫ではほぼすべての作品をカバーするまでには至っていないだけである。先に世界文学全集の一巻として世に出て、そこで一定数の読者を獲得してしまったので、加えて文庫化するほどの需要が期待できなかったのも、ちょっと地味な作品が文庫化されない原因かもしれない。
 というわけでいまに至るまで、バルザック「あら皮」の文庫本は存在しないのだが、世界文学全集はたとえ必要な端本だけを買い求めたとしても置き場に困るし、不ぞろいは見栄えがいいとはいえない。だから文庫があるならそのかたちで手元に置きたいのが人情である。本文中にも書いたが、クラウドファンディングでバルザックの文庫未刊の小説を出すなんて話をもちかけられたら、日ごろからそんな空想をしている私なんかはうっかり騙されて、10万円をレターパックで送ってしまいそうなのである。そんなことになったら、ますます妻に(以下自粛)。

 
『世界文学全集万華鏡――文庫で読めない世界の名作』試し読み