今年に入って、自前のレーベルGrand Slamで初期ステレオLPからの復刻盤CDを2点発売した。4月にはクナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル、ワーグナーの『ワルキューレ』第1幕全曲(GS-2033)で、5月はシューリヒト指揮ウィーン・フィル、モーツァルトの『ハフナー』、シューベルトの『未完成』、ベートーヴェンの『交響曲第2番』(これだけモノーラル)(GS-2034)である。この不況のなかにあって、すでに世に知られた名盤を新たにカタログに加えるのには多少心配もしたが、多くの方々のご協力もあってそこそこ順調に動いている。この次に発売するワルター指揮コロンビア交響楽団、ベートーヴェンの『田園』(GS-2035、5月27日頃発売予定)も同様になることを期待したいものだ。
ということで、初期ステレオLPのCD化を進めるにあたり、この頃の演奏についてあれこれと調べているのだが、ちょっと面白いことに気がついた。ステレオLPは1955年頃から実用化されたが、ステレオ装置の普及に若干時間を要したせいか、しばらくの間はオリジナルのステレオ音源も、モノーラル盤とステレオ盤が並行してLP発売されていた。これはちょうどCDが登場した頃も同様で、「LP、CD同時発売」と記された雑誌の広告などを見かけた人も多いだろう。
その初期LP時代、モノーラル盤が発売されて、そのあとにステレオ盤が発売されていたが、間もなくモノーラル、ステレオ同時発売が当たり前になった。しかし、時代がステレオへと流れが変わるにつれて、ステレオLPだけの発売も次第に増えていった。しかし、一方ではステレオ盤LPが発売されたあとに、あえてモノーラル盤が発売されていた例も珍しくない。
今日の感覚で言えば、きっと誰もが「ステレオが先に出たのならば、追いかけてモノーラル盤を出す必要はない」と思うに違いない。けれども、当時の技術者にとっては、ステレオはまだわからないことが多かった。だから、発売する方にとってはステレオ盤よりもむしろモノーラル盤の方が自信を持って出せたのである。また、当時の雑誌の批評にも「これは○年○月にステレオ盤が発売され、今回はモノーラルでの再発売である。音は前に出たステレオ盤よりも優れており、私としてはこのモノーラル盤の方をお勧めしたい」といった口調のものも意外に多い。
確かに、初期LPのステレオ録音にはちょっと変わった音がするものもある。全然低音が出ないもの、特定のパートがいかにもマイクに近いもの、左右のチャンネルに極端に分離して真ん中の響きが薄いもの、あるいはひろがりがなくてほとんどモノーラルのように思えるもの、などなど。こんな音だったら、まとまりのいいモノーラルの方が聴きやすいかもしれない。また、当時は聴く側もステレオの音には慣れていないことも考えられるだろう。
新しいものが出てくると、必ずその反動が起きる。CDも、登場した頃は「音が固い」「20キロヘルツ以上の帯域がカットされているので、響きの成分が失われている」とか、さんざん言われていた。なかには「製造後6年以上が経過すると音が出なくなる」とか、「○○研究所によると、CDは後半になるにしたがってピッチが少しずつあがっていく」という、けっこうむちゃくちゃなものもあった。
ステレオ初期に出たモノーラル盤は、確かにそれなりの味わいを持っている。これは未確認ではあるが、イギリスのデッカなどはモノーラルとステレオを別のラインで収録していたとも聞いている。もしもこれが本当だとすると、あえてモノーラル盤を聴く意味はある。私はステレオ音源をあえてモノーラル盤で聴こうとは思わないが、ちょうどこの頃のモノーラル盤をステレオ盤よりも高く評価するコレクターの気持ちは理解できる。いずれにせよ、モノーラルだろうがステレオだろうが、それなりに心地よい音で響けばいいのだ。
ちょっと長い前振りになってしまったが、世の中には「モノーラル」と耳にしただけで拒絶する人が案外多いのだそうだ。これはCDショップの人からよく聞く話である。客がCDを持ってきて、「これはモノーラルですか? ステレオですか?」と尋ねてくる。「それはモノーラルですね」と答えると、すぐに棚に戻してしまうそうな。そんなことがしょっちゅうあるので、ある店員は「これはモノーラルですが、とてもいい演奏です。お勧めです」と言い続けたけれども、そうしたモノーラル・アレルギーの人は、ほとんど耳を貸さないそうだ。その店員は「モノーラルとステレオの区別と、演奏の良し悪しや自分の好みとは全く関係がないのに、なんででしょうねえ」と嘆いていたが。
モノーラルは絶対に聴かない、こういった人々の心理は何だろう。モノーラルを聴くと脳が破壊されると信じているのだろうか? それとも、たまたま最初に聴いたモノーラル録音が非常にひどくて、それがトラウマになってしまったか? また、そんな人は古い映画も観ないのか? ラジオのAM放送が流れると耳をふさいでしまう?
いやいや、これはきっと某業界関係者が新録音の新譜を買わせるために、「モノーラルを聴くと難聴になる」という情報をひそかに流しているためだ。あるいは、モノーラルを聴くと体中に赤い発疹ができてしまうという、一般的にはほとんど知られていない病気があるからだ……。
ということはあるわけがないが、でも、このモノーラル・アレルギーとは、いったい何だろう。
[追記]そういえば、デジタル録音でないと聴かない、という人がいると聞いたことがある。そういう人は“アナログ・アレルギー”か。
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