最近発売されたユベール・スダーン指揮、東京交響楽団のブルックナーの『交響曲第7番』(ファイン・エヌエフ/SACDシングルレイヤー=NF61202、通常CD=NF21202)を聴き、その演奏と録音のすばらしさに感動した。
これがここまで成功したのは、やはりきちんとセッションを組んだ録音だからなのだろう(収録は2009年3月27、28日、ミューザ川崎シンフォニーホール)。以前は、製品として売るレコードは無人のホールか録音専用会場で収録することが常識だった。ところが、近年ではリハーサルと本番の両方を録音し、後日、傷のないテイクを編集するという方法が主流である。言うまでもなく、リハーサルと本番とでは会場の響きが全く異なる。それを電気的に加工してつなぎ合わせるのだから、音が不自然になることは容易に想像がつくだろう。それに聴衆の有無が演奏者に影響を与えることも考慮すれば、なおさらである。
しかし現実的には、特にオーケストラのような大所帯を、演奏会とは別の日にセッティングして録音するのは膨大な経費がかかる。ことに最近のような不況だと、ますますこうしたセッション録音はできにくくなる。ただ、こうした回しっぱなしの録音は、晩年のギュンター・ヴァントのような高齢の演奏家の負担を減らすことができるという利点もある。けれども、このような場合は特例と捉えた方がいいのではないだろうか。
技術者は現在の技術を駆使すれば不自然な音にはならないと考えているようだが、実際は全くそうではないと思う。たとえば、1960年代、70年代のアナログ時代に録音されたオーケストラの録音を聴いていると、譜面をめくる音、弓が譜面台に触れた音、弱音器を床に置いたと思われる音、椅子がきしむ音、靴音などなど、実にさまざまな演奏ノイズが入っている。これらは入っていて当たり前なのだが、驚くことにこうした音は最近のCDからはほとんど聴こえてこないのである。おそらく、技術者が懸命になって除去しているのだろう。そういったノイズはない方がいいのかもしれないが、この操作によって必要な響きの成分までもが犠牲になっていると推測できる。
私が最も嫌いなのは、ライヴとはとても思えないライヴ録音である。演奏中の会場は不気味なほど静かであり、奏者もむしろ淡々と弾いているが、演奏が終わるやいなや盛大なブラヴォー。しかもこのブラヴォーは音楽が鳴っているときよりもはるかに臨場感豊かに響いている。正直、こんな不自然な拍手ならば、カットしてくれた方がよほどましである。
ファイン・エヌエフは、このスダーンに限らず長岡京室内管弦楽団などもすべてセッションで収録している。他のレーベルでセッション録音を積極的におこなっているのはエクストンだろう。たとえばエド・デ・ワールト指揮のR・シュトラウス、ワーグナー、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮のブルックナー、ストラヴィンスキー、小林研一郎指揮のチャイコフスキーの『交響曲第5番』(アーネム・フィル)など、絶賛されるべき内容のものは多い。また、ちょっと一般的ではないが、エクストンから発売中の“ダイレクト・カットSACD”、1枚2万円の高額盤だが、これが言葉を失うほどすごい音が出てくる。私はいままでにデ・ワールト指揮の『ツァラ』(OVXL00020)、ズヴェーデン指揮のブルックナーの『交響曲第9番』(OVXL00014)、同じくズヴェーデンのストラヴィンスキーの『春の祭典』(OVXL00007)を購入したが、2010年にはさらに2、3枚手に入れようと思っている。
オーケストラ音楽はやはりクラシック音楽のなかでも最も注目される分野である。したがって、2010年はオーケストラのセッション録音がひとつでも多くおこなわれ、さらにそれらがSACDという優れたフォーマットで発売されることを期待したい。
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