第13回 感動の力作『大指揮者カール・シューリヒト 生涯と芸術』

 シューリヒトに関する国内での初めてのまとまった文献が発売された。それはミシェル・シェヴィ『大指揮者カール・シューリヒト――生涯と芸術』(扇田慎平/塚本由理子/佐藤正樹訳、アルファベータ)である。
  シューリヒトについて、これまでは略歴程度のことしか知られていなかった。ダンツィヒに生まれるが、父はすでに他界、その後家計を支えた伯父も破産するなど、非常に厳しい生活を余儀なくされた。そんななかでも彼は音楽を生きる糧とし、才能を育んだ。本の虫と自負するほど読書をし、堪能な語学は8カ国語もあった。一時は作曲家になるか指揮者になるかで悩むが、「指揮は作曲と同等の創造的行為」と判断、指揮者への道を歩み始める。しかし、そんなシューリヒトも2度の戦争で大きな打撃を受けた。彼自身はゲシュタポにおびえ、また彼が育てたヴィースバーデンの人々も本拠地も失われた。さらに、私生活では3度も結婚に失敗している。だが、戦後はアンセルメの手助けによってスイスに住み、徐々にその活動を広げていく。そのスイスでシューリヒトはアンセルメ、フルトヴェングラーと親しく交わっていたことはあまり知られていない。
  本書はシューリヒトの生涯をたどりながら、多くの証言や批評などを引用して、彼の人間像や芸術を浮き彫りにしようとしたものである。その調査は実に詳細でありながら、重箱の隅をつつきすぎることなく、明解で変化に富み、読み手を飽きさせない。また、こうした評伝はえてしてレコードの情報が手薄になりがちだが、その点に関しても完璧に調査し(日本のキングインターナショナルが発売したシューリヒトの作品集にも言及している)、要所にそうした記述を取り込んでいる。しかも、未発表の録音についても多数触れており、これらがマニア心をくすぐることも間違いない。
  出世欲よりも音楽への愛を大切にしたシューリヒト。風邪をひきやすく、関節の持病を持っていた彼は、特に晩年は両腕を支えられながら舞台に登場したこともあったようだ。こうした彼の気質や健康がシューリヒトを華やかな舞台から遠ざけた一因にもなったが、シューリヒトの功績は明らかだった。本書に登場する多くの批評を読むと、誰もが彼の一途な姿勢、そしてその音楽の素晴らしさを心から賞賛していることが痛いほど伝わってくる。
  いつも気さくでおだやかなシューリヒトだが、彼はあてがわれた条件をいつもにこやかに受け入れたわけではなかった。むしろ彼は自分の要求が認められないときは、一切手を出そうとはしなかった。特に合唱や独唱を要するような大所帯の上演のときがそうだった。彼はオペラとも無縁と思われていたが、条件さえ整えば喜んで指揮をした。R・シュトラウスの『サロメ』やウェーバーの『魔弾の射手』などを戦後に手がけたようで、モーツァルトの『フィガロの結婚』も指揮したという記述がある(この『フィガロ』は録音が残っていないものだろうか?)。
  もうひとつ重要なのは、彼が自分のパート譜を使用していたことだ。シューリヒトはスコアに細かく書き込みをした。このスコアからパート譜にその指示を転記するのだが、この重要な作業を誰がやったか、それは本書を読んで確かめていただきたい。
  その他、弟子のアタウルフォ・アルヘンタやガブリエル・サーブのこと、あるいは1968年の東京オリンピックのときにシューリヒトが来日する可能性があったことなど(もしも彼が日本に来たのならば、この語学の天才はきっと日本語を勉強しただろう)、これまで知られていなかったことが山ほど書かれている。
  訳文はこなれていて非常に読みやすい。批評の多くは文学的・抽象的な表現が多いので、訳出の際の苦労が多かったと察せられる。また、人名の表記も最も一般的なものに準じており、この点に関しても全く問題はない。原書でも触れているとおり、各国の批評は語学に堪能だったシューリヒトにあやかって全部原語で記されているという。この批評の訳文と本文との統一も、さぞかし難題だっただろう。また、邦訳では削除されがちな人名索引(しかも欧文も併記)がついているのもありがたい。
  読み終わっての感想、これはひとりの指揮者の評伝というよりも、偉大な音楽作品から受けた感動にも等しい、そう思った。シューリヒトのファンはむろんのこと、フルトヴェングラー・ファンにも強くお勧めする。あるいは、戦前戦後のヨーロッパの音楽界の動向について知るためにも、非常に有意義な一冊である。

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第12回 『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』を読む

 昨年、川口マーン惠美『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(新潮選書、新潮社)を読んでいたが、これについて一度も書く機会がなかったので、今回はこれについて触れてみたい。
  帯に「二十世紀最大の巨匠は、果たしてどちらなのか!?」とあるように、本書は往年のベルリン・フィルの楽団員へのインタビューをもとに、彼らがどちらのシェフを高く評価していたかを検証するものである。結論を先に言うと、この大前提そのものにちょっと無理がある。なぜなら、フルトヴェングラーとカラヤンのどちらが偉大かは言うまでもないことだ。勝負はついている。この本はフルトヴェングラー、カラヤンの双方の時代を体験した元ティンパニ奏者テーリヒェンが著した『フルトヴェングラーかカラヤンか』(高辻知義訳、音楽之友社)の拡大版を狙ったのだろう。しかし、あの本は、カラヤンが生きている間にフルトヴェングラーとカラヤンの内情を知る人物が出版したからこそ意味があったのである。まあ、簡単に言うと、「われわれのようにフルトヴェングラーを体験した者にとってはね、あんた(カラヤン)よりもフルトヴェングラーの方がずっと偉いんだよ」と、こんな感じである。
  このことをカラヤンは百も承知だっただろう。だが、それをはっきりと突き付けられるのは、カラヤンにとっては決して触れられたくない話題だったに違いない。でも、何人かの楽団員が語っているように、彼らは指揮者の要求に応えることが最大の任務である。それに、フルトヴェングラーが偉大だと感じていたところで、その時代が永遠に続くわけでもない。フルトヴェングラーが世を去ってしまえば、それで終わりなのだ。聴き手は死者を懐かしもうが奉ろうが勝手だが、現場の人間はそうはいかない。
  したがって、本書で著者が無理に白黒をはっきりつけさせようとしているのも、いささか強引な印象を受ける。それに、フルトヴェングラーを知らない楽団員に、フルトヴェングラーとカラヤンに対する評価の違いを引き出そうとするのも適切ではないだろう。それ以上に、証言の間にはさまっている著者の素朴な疑問や驚き、あるいは推測などが、的を射ていなくていささか読みづらい部分もある。
  とはいえ、優劣や白黒を題材にしたのではなく、フルトヴェングラーとカラヤン時代の楽団員の貴重な証言集として読むならば、それはそれで十分に興味深いものだ。少なくとも、この2人の指揮者のどちらかに興味のある人には、読んで損はない。
  本の基本的な作りが以上のような内容なので仕方がないが、私はフルトヴェングラー・ファンのひとりとしてもっと聞いてほしいことがたくさんあった。特に戦前から在籍していたバスティアーンやハルトマンらだ。彼らは戦時中の困難な時代、どんな思いで演奏をしていたのか。それに彼らはきっとフルトヴェングラーのベルリン復帰演奏会にも出演していただろう。その最初のリハーサル、楽団員はどんな気持ちでフルトヴェングラーを迎えたのか。そして指揮者が最初に発した言葉は何だったのか。演奏会当日の会場の雰囲気はどのようなものだったか。あるいは、映像が残っているシューベルトの『未完成』はどこで収録したのか、など。
  テーリヒェンは先ほどあげた著作『フルトヴェングラーかカラヤンか』のなかで、カラヤンの目をつぶって指揮をする方法がとてもやりにくく感じたので、カラヤンと一部の楽団員とで話し合いが持たれ、「ある種の折り合いをつけた」と記している。私は本書にあるテーリヒェンの「カラヤンの音楽には感情がない」という過激な発言よりも、この「折り合い」がどんなものだったのかが知りたかった。でも、それはいまとなってはもはや尋ねることができない。テーリヒェンは昨年4月に他界している。

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第11回 ナージャ健在!!!

 ぶったまげた! その言葉がいちばん似合う。2月7日、東京交響楽団の定期演奏会に出演したナージャ・サレルノ=ソネンバーグである。弾いたのはブルッフの『ヴァイオリン協奏曲第1番』、指揮は秋山和慶。
  ともかく、こんな破天荒なブルッフは全く初めてだ。第1楽章の冒頭、オーケストラの短い序奏のあと、ヴァイオリンが聴こえるかいなかというほどの最弱音で始まる。しかも、始まったばかりなのに、いまにも止まりそうなほど遅いテンポだ。そこから徐々にペースを上げていくのだが、その後テンポはジェット・コースターのように激変するし、間の取り方も一定ではない。ヴィブラートのかけ方も濃淡をはっきりさせ、危なっかしい音程にも遠慮なしに強烈なヴィブラートをかける。その自由奔放さは水を得た魚という程度ではとても追いつかない。音楽に合わせてナージャは所狭しと動き回る。仁王立ちになったかと思うと急に前かがみになり、激しいトリルではそれと同期するように床を靴でコツンコツンと鳴らす。オーケストラの部分になるとリズムに合わせて身体を揺らし、次にソロが出てくる個所では背筋をピンと伸ばし、楽器をやや上に向けて弾き始めたりする。音楽をするのが楽しくて仕方がない、といった彼女の気持ちがこれでもかと伝わってくる。指揮の秋山もよく彼女についていっていた。というよりも、客席で見ていると秋山もこの大波小波を楽しんでいるかのようだった。
  ナージャは1994年のクリスマス、自宅で友人を招いてパーティーを開いていた。彼女はタマネギを切っていたが、そのとき誤って左手の小指を切ってしまった。その傷はあと数ミリ大きければ一生小指が動かなかったであろう、という恐ろしいものだった。そこから長いトンネルが始まった。一時は別の仕事も考えたそうだが、彼女は気を取り直して3本の指で練習したりしたそうだ(このあたりの経緯については『ナージャ/ユモレスク』、ノンサッチWPCS5095のCDに詳述した)。だが、結果としてこの試練が彼女を一回り成長させたのである。
  しばらくナージャのことを聞かなくなって間もないころ、彼女は自主製作のCDを出し始めた。ひとつはチャイコフスキーとアサドの『ヴァイオリン協奏曲』(エイベックス AVCL25111)、そしてもう一つは『白熱のリサイタル』(同AVCL25112)である。ともに2004年のライヴだが、もうすっかり復活したというよりも、以前にもまして音楽は熱っぽくなっていた。むろん、ライヴ収録ということもあるだろうが、これほど生き生きとした音がCDから出てくるという例はあまりない。その後、彼女は2005年から翌年にかけて録音した『メリー・クリスマス』(同AVCL25181)も発売したが、これもいかにもナージャらしいにぎやかなアルバムだった。
  でも、その自主制作から3年から5年も経過している。2月7日の公演もひょっとしたらすっかり変質したナージャを聴かされるのではという心配もあった。だが、演奏は最初に述べたとおりだ。この原稿を書いていても、第3楽章のスリリングさを思い出して胸が高鳴ってくる。EMIに録音していた頃は不良少女が突っ張っていたような雰囲気があったが、いまやその自由なスタイルを完全に独自のものとして消化してしまっている。ふと、ナージャが1988年に録音したブルッフの『ヴァイオリン協奏曲』(EMI)を久しぶりに鳴らしてみた。その当時は十分に個性的と感じていたが、このたびの演奏とは落差がありすぎる。むろん、生演奏とスタジオ収録との差はあるのだが、表現の練り具合や突き詰め方が全く異なっている。
  こんな演奏をする人が、わずか2回の公演だけで(もうひとつは翌2月8日、川崎での公演)、リサイタルもない。これは全く惜しいことだ。次はいつ来るのか、具体的な予定は立っていないという。おそらくこの公演は、私にとって2009年の最高の演奏会のひとつになるだろう。
  実はこの日の公演、そのわずか2、3日前にエイベックス・クラシックスの担当者から「いま、ナージャが日本に来てますよ。週末に東京交響楽団の定期に出ます」という電子メールを受け取って、初めて知った。彼がメールをくれなかったら、この日の演奏を間違いなく聴き逃していただろう。

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第10回 ムラヴィンスキーを愛した大野弘雄さん、逝く

 大野弘雄(おおの・ひろお)さんが1月23日に亡くなった。享年68。大野さんはアルトゥスから発売されたムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルの来日公演の音源提供者だった。
  大野さんがムラヴィンスキーの公演を録音しようとしたきっかけは、レニングラード・フィルの楽団員からの依頼だったという。ムラヴィンスキーが生前発表した録音は非常に数が限られていた。ある時期は10年以上も全く新譜が出ていなかったこともあった。おそらく、楽団員にとっても自分たちの成果を音として聴く機会も極めてまれだったに違いない。大野さんはレニングラード・フィルの楽団員と直接の交流があり、その楽団員を自宅に招いた際に録音のことを切り出されたらしい。楽団員にとってはツアーの合間の日本観光もおおいに興味があっただろう。しかし、旧ソ連の国家の代表として来日し、特別な思いを込めて演奏したに違いない彼らにとって、その日本公演の音も聴きたいという思いは十分に理解できる。
  かくして、数多くの日本公演が大野さんの手によって保管されていたが、むろん日の目を見ることはなかったし、私もそのような噂すら耳にしたこともなかった。それが公になったのは日本ムラヴィンスキー協会主催の、ムラヴィンスキー夫人来日歓迎会の席だった。夫人は言うまでもなくレニングラード・フィルの首席フルート奏者で、公私ともどもムラヴィンスキーを支えていた人物である。夫人はこうもらした。「私の夫はときどき録音をしても、聴いたあとすぐに消せと命令していました。いまにして思うと、録音をした人が主人の言いつけを守らずに、とっておいてくれたらどんなによかっただろうと思います」。そのあと大野さんは、夫人に保管していた録音のことを伝えたようだ。むろん夫人は怒るどころか、望外の喜びだったという。
  こうして、この一連の来日公演はCD化されることになった。特に、私のようにその演奏を体験した人間にとっては、興味津々どころの話ではない。そのムラヴィンスキーの来日公演については「クラシックジャーナル」第020号に詳述したのでそれを参考にしていただきたいが、ここではそのなかでも最も印象的なところだけを書きとめておきたい。
  まず、シューベルトの『未完成』(ALT053、1977年)である。このとき、私は東京文化会館の最前列右側で、ムラヴィンスキーを見ていた。ムラヴィンスキーは一礼したあと、旧配置の左に陣取る低弦の方を見ていた。しかし、じっと彼らを見ているだけで、演奏がいつになっても始まらない。なぜ始まらないのだろうと思った次の瞬間、低弦奏者たちの左手のポジション移動が見えた。なんと、すでに演奏は始まっていたのだ。空恐ろしいピアニッシモだった。CDを聴くとこのときの様子がはっきりと思い出せる。しかし、実演に接していない人にとって、強弱が極端に激しく、またテープ・ヒスの多い録音という印象を受ける可能性が高いが、これは仕方あるまい。
  ベートーヴェンの『田園』交響曲(ALT063、1979年)も忘れることができない。しかも、このCDは当日のプログラムがそっくり1枚に入っている。この『田園』は霧のような柔らかい響きが千変万化する演奏だった。しかし、録音で聴くとやたらに筋肉質な演奏に思えてしまう。最も不思議に思ったのは第4楽章の「嵐」である。ここはものすごく弱く柔らかい音で一貫されていたと固く信じていた。その間、約3分半だったが、私は「なんと風変わりな嵐だろう」と感じていた。だが、このCDで聴くとごく普通にガツンと演奏している。この差は、いまでも全くわからない。そのときは夢でも見ていたのだろうか、とさえ思う。
  このCDの最後の『ワルキューレの騎行』は生の演奏にかなり近い。けれども、実際に響いた演奏はこのCDの数百倍もすごかった。私はショックのあまり、終わってもすぐに拍手はできなかった。
  ムラヴィンスキー夫人は「日本での演奏は特別なものだった」と語っていたが、実際、あれこれと比較してみると地元レニングラードでの演奏よりも優れたものが多いような気もする。いずれにせよ、二度と聴くことはあるまいとあきらめていた日本公演、これがCDとして聴けるということは、私にとっては言葉に言い表せぬほどの感激である。大野さんの努力に対し、改めて感謝を捧げるとともに、ご冥福をお祈りしたい。

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第9回 五味康祐『オーディオ巡礼』(ステレオサウンド)を読む

 これは1980年に出たものの復刊である。五味康祐(ごみ・やすすけ、1921-80)は剣豪小説で知られ、53年に『喪神』で芥川賞を受賞してる。オーディオにも造詣が深く、特にタンノイのスピーカーをこよなく愛したことでも有名だ。マージャンや手相にも詳しく、その分野の著作もある。しかし、五味は長く不遇な生活を送り、いまで言うホームレスも経験している。金になるものはなかなか書けず、LPレコードを聴くことで空腹をしのいだ日々もあった。そうした彼のつらい日々を救ったのが音楽だったのである。
  五味はあこがれのタンノイを手に入れ、それを思いどおりに鳴らすのに10年かかったと書いている。その試行錯誤はまさに格闘と言えるものだ。そうした格闘こそが尊いと彼は言う。だが彼は、高価な装置を買えなどとはひと言も言っていない。それどころか、五味は成り金趣味のようなオーディオ・マニアを「横っ面をひっぱたきたい」と嫌っていた。
  彼は常に「自分は本当に正しい音を聴いているのだろうか」と自問し、あちこちの家に出向いてオーディオを聴いた。むろん、その大半はごく一般的な装置のものが多い。五味は装置の総額が高いか低いかが重要ではなく、自分ができる範囲で少しでも音を良くしたいと願い、それを実践することが大切と説く。その結果出てきた音は「その人の人生そのもの」と言い切っている。また彼は、「同じ装置でも部屋が違えば別物の音がする。部屋がオーディオを鳴らす」と部屋の重要性も指摘する。
  五味はある日、得意のマージャンで大金をかせいだ。これでオーディオが買えるぞと意気込んだが、次の瞬間に「こんなやましい金で音楽は聴けない」と思った。彼は「音楽は私の倫理観と結びつくもの」としていたからだ。この考えはブルーノ・ワルターが「音楽には道徳的な力がある」と述べたことと似通っている。
  コレクションに関しても五味は以下のように言っている。「数ではない、その人にとって必要なだけのレコードがあれば良い。気に入らないものはさっさと処分せよ」、と。また彼は「若い時には装置に無理をせず、ひとつでも良い演奏、作品を聴いた方がよい」とも主張する。そして、「その人にとっての名盤は、聴きこめば聴きこむほど輝きを増す」と続ける。また、「LPが200枚あるとする。1日1枚聴いても、特定のLPにあたるのはせいぜい1年に1回」と記しているが、確かにそのとおりだ。これは当たり前のことなのだが、ためることばかりに夢中になっていると、こんなことまで忘れているのだ。また彼は「私は最近、音楽ではなく音質を聴いているような気がする」という一文には、我ながらはっとさせられる思いだった。
  ヒゲについてのこだわりもすごい。SPやLPはターンテーブルに装着するとき、よくレコードのレーベル面を先端にあてて中心の穴を探ろうとする。このとき、レーベル面にすじが入ってしまうが、これを俗に“ヒゲ”と呼んでいる。五味はこのヒゲを「一度ついたら永遠に消えない。私の300枚のコレクションにはヒゲはひとつもない」と断言し、「ヒゲをつけて平気な人は信用しない」とまで言い切っている。極端だと思う人も多いだろう。だが、レコードや作品を大切に思うからこそ、こう言えるのである。こんな話もある。彼は評判のいい医者のオーディオ・ルームに招待されたが、五味はその音に失望し、「こんな医者には二度とかかるまい」と決心したという。
  LP世代の方はご記憶だろうが、ある時期にはノイマンSX68というカッティング・ヘッドがはやった。五味は「このノイマンSX68が音をきたなくした。これを褒めるやからは舌をかんで、死ね」とまで書いているが、この本を読み終えた2、3日後、私はあるエンジニアから「日本でノイマンSX68がはやるようになって、LPの音が変になり始めた」と聞いたのには驚いた。
  さまざまな作品に関して、五味は素晴らしさを讃えているが、その文章になんと深い愛情と痛切な想いがこめられているのだろうか。なまじの曲目解説よりも、ずっと心に響く。本書で彼が「ハイドンの中でも白眉の名曲」と記した『交響曲第49番「ラ・パッシオーネ(受難)」』、私はこれを持っていなくて、早速買いに行った。
  この本を読んで、私は恥ずかしくなった。このメールは盤鬼としているのだが、この五味に比べれば、せいぜい小鬼、いや鬼の域にすら入っていないと思った。読んで本当によかったと思う。
  これは本とは直接関係のないことだが、音楽雑誌の編集者がこんなことを話してくれた。あるとき、その人は五味宅に電話をし、このようなテーマで原稿を書いていただきたいと言ったら、五味に「電話で原稿を頼むとは何事だ! 家に来い! 話はそれからだ!」と一喝されたという。電子メール全盛のいま、お互いの声を知らなくても仕事を続けられる。しかし、本来書き手と編集者とは、五味が言うような関係でなくてはならないだろう。
  読了して、忘れかけていたものをたくさん思い出したような気がした。本書を送ってくださったステレオサウンド編集部には謝意を記しておきたい。送ってくださらなかったら、読むのはだいぶあとになったかもしれないし、読む機会すら逸したかもしれない。
(この本は333ページ、2,667円+税)

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第8回 クナッパーツブッシュ、1949年のステレオ録音ヨウラ・ギュラーを聴く

 ドリームライフから「クナッパーツブッシュ・スペシャル・ボックス」という2枚組み(RIPD-0002)が発売された。クナッパーツブッシュ指揮、ウィーン・フィル、曲目はハイドンの『交響曲第88番「V字」』、R・シュトラウスの交響詩『死と変容』、ブラームスの『交響曲第3番』、そしてワーグナーの『ジークフリート牧歌』である。ワーグナー以外は1958年11月8、9日、ウィーンでの、そしてワーグナーは49年8月30日、ザルツブルク音楽祭でのそれぞれライヴである。
  2枚組みとはいえ、このセットにはCD-ROMもついていて、そこにはプログラムや写真などの図版が数多く所蔵されているため、実質的には3枚組みと言ってもいいだろう。解説書も充実しているので、なかなかの力作と言える。
  ところが、このセットを手に取ってみると、不思議に思うことがある。それは『ジークフリート牧歌』に「ステレオ」と表示されていることだ。ドリームライフのホームページを見ると、そこには「実験的なステレオ」とある。しかし、このセットには単に「ステレオ」と表示されているだけで、どういう意味での実験的なものなのかに関する説明は全くない。実験的ということは、1949年のザルツブルク音楽祭でステレオ録音がおこなわれていた、と誰もが思うはずだ。
  商業用の最初のステレオ録音は1955年におこなわれている。これ以前にもステレオ録音はおこなわれていたが、一般的に最古のものとしては第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが開発したとされるものが有名である。このステレオ収録については一部の文献にも記されていたが、比較的最近になってカラヤン指揮のブルックナー『交響曲第8番』(ただし、第4楽章だけ)、ギーゼキングが弾いたベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第5番「皇帝」』という実物がすでにLP・CD化されている。さらには、トスカニーニのファイナル・コンサート(1954年)も実験的なステレオとして有名であり、このCDも現在入手可能である。
  しかしながら、1949年のザルツブルク音楽祭でステレオ録音がおこなわれていたというのは全く初耳である。ヨーロッパで放送録音が実用化されたのは60年代に入ってからである。そういうことを考えると、この49年のステレオ録音は、録音史上でもちょっとした事件だろう。
  こうした放送用録音のステレオ騒動と言えば、何と言っても1950年春の、フルトヴェングラーがミラノ・スカラ座に客演した際のワーグナーの『ニーベルングの指環』が有名である。イタリア・チェトラから83年に発売されたこの全曲盤は、当初「オリジナル・ステレオ」と発表され、センセーションを巻き起こした。ところが、LPにカッティングされた音はまぎれもなくモノーラルで、情報の訂正にレコード会社、レコード店は奔走した。なぜこのような間違いが起きたか? それはチェトラのカタログに「2チャンネル・レコーディング」と記されていたことがその発端だったようだ。この表示があるLPレコードはほかにもフルトヴェングラーがザルツブルク音楽祭で指揮したウェーバーの『魔弾の射手』、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』などがあったが、それらはいずれもモノーラルのカッティングだった。また、CD時代になって『魔弾の射手』には“ステレオ”と表示されたものも複数のレーベルから出たが、これらもすべて本物のステレオではなく、加工された疑似ステレオであることが判明している(この疑似ステレオの音そのものは意外にいいと思う)。
  いずれにせよ、ザルツブルク音楽祭でステレオ録音がおこなわれたのではないかという未確認情報が以前からあったのは事実だ。そうなると、この『ジークフリート牧歌』が初めての実例であってもおかしくはない。でも、出てきた音を聴いてみると、ちょっと首をかしげたくなる。教会で録音したような、ものすごく長い残響がある。「レコード芸術」2009年3月号に誰かが「ザルツブルクの旧祝祭劇場がこんなに残響があるのは不自然」というようなことを書いていたが、確かにこれはいくら何でも不自然である。まあ、その残響は聴きやすく付け加えたと解釈しても、方向感覚や各パートの定位などが全く聴きとれないし、音は一点から出ているようにしか思えない。これは明らかにモノーラルを疑似ステレオ化したものだろう。        
  しかし、疑似ステレオであってもステレオはステレオである。でも、この場合は誰もがその当時におこなわれたステレオ録音だと思うだろう。ドリームライフのホームページ上では「実験的」と書いてはあるものの、「“当時の”実験的なステレオ」とはなっていない。現代の技術を駆使して加工しても実験的なステレオであることに変わりはなく、ホームページでの表記は虚偽とまでは言えない。けれども、この場合は非常に誤解を招きやすいものであるのは間違いない。それに、もしもオリジナル・ステレオであれば、その経緯に関して多少なりとも記述があってしかるべきだと思う。
  この『ジークフリート牧歌』は、いわばオマケである。本編の1958年の公演について少し触れておこう。演奏そのものは過去に出ていたもので、初出ではないようだ。音質はちょっと聴くと鮮明だが、しばらく聴いていると弱音と強音の差があまりないことに気づく。それに第1ヴァイオリンと木管楽器が異様にマイクに近く、金管楽器や打楽器は逆に遠いので、演奏の全体像がいささか把握しにくい。このセット、資料的な点を考慮すれば、熱狂的なクナ・ファン向け、といったところだろうか。

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