第38回 ラザレフとラフマニノフの『交響曲第1番』

 11月11日(金)、日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会に行き、ラフマニノフの『交響曲第1番』を聴いた。指揮はアレクサンドル・ラザレフ。この公演に先立ち、9日(水)にはラザレフ指揮の新プロジェクトに関する記者会見がおこなわれたが、その内容は日本フィルのサイトで全文読むことができる(http://www.japanphil.or.jp/cgi-bin/news.cgi#628)。
  この『交響曲第1番』は初演が大失敗となり、そのためラフマニノフは極度のノイローゼに陥り、作曲が全くできない状態になった。それを救ったのがダール(ラザレフはダーリと言っていた)博士で、この博士の治療が功を奏し、名作『ピアノ協奏曲第2番』が誕生したのはあまりにも有名な話である。
  この『交響曲第1番』の初演(1897年3月15日、ペテルブルク)がなぜ失敗に終わったか、それは上記のラザレフの記者会見での発言に明らかだが、要するに本番前に指揮者のグラズノフが飲み過ぎたというわけである。酩酊状態で、まともに指揮ができなかったのが失敗の最大の原因だったようだ。
  でもこの初演当日、前半ではグラズノフの『交響曲第6番』の初演もあり、その日はダブル初演。もしも指揮者グラズノフが酩酊状態であるならば、自作の『第6番』だってまともに棒を振れなかったはずだ。けれども、こちらが失敗したという話は聞いたことがない。ただ、リハーサルのときにグラズノフはラフマニノフの作品についてあれこれと修正の要望を出したと言われているが、そうなると単なる酩酊ではなく、ラフマニノフの『交響曲第1番』への根本的な共感が希薄だったのが失敗の要因とも考えられる。
  11日、腰の手術を終え、元気になったラザレフは指揮台を所狭しと動き回り、オーケストラからまことに鮮烈な音を引き出していた。9日は記者会見に先立ってリハーサルを公開していたが、非常に細かく練り上げていた。その日はちょうど第3楽章をリハーサルしていたが、途中で第2ヴァイオリンに難所があり、そこをかなりしつこく繰り返していた。最後になって第3楽章の通し演奏をおこない、時間は残り3分。ここで終わるだろうと思っていたが、ラザレフは先ほど集中的にやっていた第2ヴァイオリンを再び取り上げていた。時間を無駄にせず、望む音への熱き情熱をもったラザレフ、だからこそ本番にあのような冴えた音が出るのだろう。
  この『交響曲第1番』は初演が大失敗したため、とうとうラフマニノフ生前には2度と演奏されなかった。だが、ラザレフのような指揮で聴いていると、長く封印されるほどの駄作とは思えないし、これはこれで独特の味がある作品だと認識を新たにした。
  ところで、記者会見終了後、ラザレフに直接話を聞いてみた。以下、Q=質問、A=ラザレフの答えである。
Q「先ほどプロコフィエフ、スクリャービン、フラズノフ、ショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキーのプロジェクトについてお話をしていただいたのですが、たとえばスクリャービンはピアノ協奏曲も含まれますか?」
A「もちろん、やります」
Q「ボロディンの作品は?」
A「『交響曲第2番』ならやってもいいと思います」
Q「カリンニコフは?」
A[うーん、旋律はきれいだけれど(『交響曲第1番』の第1楽章の第2主題を歌う)、起承転結がない」
Q「ハチャトゥリアンは?」
A[いやだ!」
Q「えっ、そうなんですか」
A「まあ、『スパルタクス』『仮面舞踏会』ならやってもいいですが。『スパルタクス』の初演のとき、ハチャトゥリアンはリハーサルでトロンボーンにもっと出せ、もっと出せと要求しました。その翌日、同じことを要求しました。これじゃあ、うるさくてしようがない。ほかにハチャトゥリアンの何をやればいいのでしょうか?」
Q「交響曲とか」
A「『交響曲第3番』のことですか? あんなやかましい交響曲、それに優秀なトランペット奏者を20人も集められませんよ。とにかく、ハチャトゥリアンはやりたくない」
Q「そうですか。ありがとうございました」
 
  一説によると、ハチャトゥリアンは旧ソ連の体制を支持していたため、ロシアの演奏家の間ではおおっぴらにハチャトゥリアンを賛美できないとも言われている。だが、一方では「ハチャトゥリアンは決して優遇されておらず、苦しんでいた」とする説もある。旧ソ連のことになると、どこまでが本当でどこまでがウソなのかはよくわからない。はっきりしているのは、ラザレフの指揮でボロディン、カリンニコフ、ハチャトゥリアンらの交響曲は今後聴けそうもない、ということである。

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