第50回 フランス・ターラの主宰者、ルネ・トレミヌの訃報に驚く

 今日は午前中に、あの、めんどうな確定申告書を提出(まだe-Taxではない)、午後はなかなかエンジンが稼働しない感じで仕事を進めていた。ところが、そこにびっくりするようなニュース、それもとっても悲しい知らせが届いた。近年最も旺盛な活動を続けていたフランスのヒストリカル・レーベル、ターラ(Tahra)の主宰者であるルネ・トレミヌが急死したというのだ。聞くところによると、先週の水曜日に病院に行き、その翌日には天に召されたという。69歳、あまりにも早い。
 2012年の4月、パリで一度だけルネに会った。無論、そのときはルネのパートナーであるミリアム・シェルヘンも一緒だった。その会合のあと食事をすると事前に聞いていたのだが、「次に行かなくてはならないところがある」とのことで、それほど長くはしゃべらなかった。見た目は言ってみれば、普通のオジサンである。「気難しいやつ」と耳にしたような気もするが、私にはそう思えなかった。とても友好的だと感じた。私がルネやミリアムに話かけると、ときどき2人でフランス語で何やら言葉を交わし、こちらには再び英語で答えが返ってきたのを覚えている。ちょうどフルトヴェングラーのボックスLPのジャケットの試作品がテーブルに並べられ、それについてあれこれと言い合っていたのだ。まさか、あれが最後の出会いだとは。前後関係ははっきりしないが、彼ら2人は狭いパリの中心街から、広々とした農家に移り住んだばかりだった。確かルネから届いたメールでも「とてもいいところだから、一度遊びに来てください」と言われたと思う。
 メールの受信トレイを見てみたら、ルネから届いたメールのいくつかが残っていた。私がいくつか質問したことに対して、彼はきちんと答えてくれている。彼もまた、「こんな音源はどうだろうか?」「この企画についての意見を聞かせてほしい」とか言ってきていた。
 面白かったのは「日本でグランドスラムというヒストリカル・レーベルがあるようだが、これはいったい何だ?」とルネが日本のレコード会社に問い合わせてきたことだ。そこで私は彼に自分が作ったフルトヴェングラー関係のCDをほとんど全部送ったのだが、ちゃんとお礼の返事をくれた。
 ターラはルネとミリアムの二人三脚で運営していたレーベルである。ルネが不在となってしまっては、今後このレーベルがどうなるかが心配だ。いずれにせよ、このレーベルから出たものによって、多くのファンが狂喜したことは間違いない。私は、ファンを代表してお礼を言いたい。ありがとう、ルネ!

(2014年2月17日執筆)

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第49回 佐村河内騒動について

 昨日から、佐村河内守が作曲した作品が、実はすべて他人が書いたものだったとのニュースが大きく報道されている。私はこのニュースを聞いたとき、レコード会社はさぞや大変だろうなと思ったが、それ以外のことについて、たとえば憤るとか、そういうふうには感じなかった。ふと思い出したのはフリッツ・クライスラーだ。彼は自作の小品に偽名をつけ、「修道院で発見した」「図書館に埋もれていた」などとウソを発表し、あるときそれらすべてが自作であることを公表、多くの研究者や音楽評論家をカンカンに怒らせた。無論、このクライスラー事件と今回の騒動とは同一視はできないが、でも、似ていると思った。
 私も『交響曲第1番「HIROSHIMA」』や『ピアノ・ソナタ第1番』を聴いたが、どうにも共感できず、それらについても特に何か書くことはなかった。テレビの報道では、「絶望を経て書いた作品」「東日本大震災の被災者への思い」といった情報を頭に入れて聴いて感動した人たちがかわいそうだ、というようなことを言っていた。でも、これはおかしな発言だ。なぜなら、テレビはやらせが当たり前の世界である。ありもしないことを作り上げて受けを狙っているからだ。視聴者だって、そうしたやらせを日々喜んで受け入れているではないか。だから、今回の件も大がかりなやらせがおこなわれ、それによって多くの人が感激したのだから、その点についてだけ言えば、特に大きな問題ではないと思う。
 法的な問題が絡んでくるから、この佐村河内事件はしばらくくすぶるだろうが、でも、書かれた作品は全く変わりようがない。周辺の情報をいったんリセットし、もう一度作品に接すれば、初めてこれらの作品が正当に評価されるだろう。

(2014年2月6日執筆)

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第48回 日本ムラヴィンスキー協会の天羽健三さん逝く

 日本ムラヴィンスキー協会の事務局長だった天羽健三(あもう・けんぞう)さんが2014年1月23日、76歳で永眠された。
 私が天羽さんと初めて会ったのは、2000年の初頭だと記憶する。以後、もっぱらエフゲニー・ムラヴィンスキーを中心に、ヤンソンス親子やレオニード・コーガンなど、主に旧ソ連関係のアーティストについての情報交換を通じてお付き合いがあった。柱となっていたムラヴィンスキー協会は、話題が底をついた状況ゆえに近年は休止状態になっていたが、その代わりにかつてムラヴィンスキーの通訳を務めていた河島みどりさんのトーク・イベントを開催するなど、地道な活動を続けておられた。昨年の夏前だと思うが、河島さんのイベントでお目にかかった際には普段と全く変わりない様子だったが、秋には急遽入院したと聞いた。しかし、11月には退院されたとの知らせを受けたので、私は暖かくなった頃にご連絡を差し上げようと思っていた矢先に訃報が届いた。
 天羽さんの最大の功績は、ムラヴィンスキーのディスコグラフィとコンサート・リスティングを制作したことだ。ディスコグラフィは最初に協会の会員用として配布後、自費出版など何回かの改訂を経ている。その間に録音データの精度は増し、世界各国で出たディスクの情報を限りなく収集するだけではなく、個々のディスクを試聴して多くの誤表示も指摘してあった。一方、コンサート・リスティングは、わざわざロシアにまで足を運び、あまり整理されていない資料のなかから必要な記録だけを抽出するという、非常に困難な作業を経て完成されたものだった。これも、ディスコグラフィ同様、何回か改訂されているが、双方の最終形は天羽さんご自身が訳したグレゴール・タシー『ムラヴィンスキー――高貴なる指揮者』(〔叢書・20世紀の芸術と文学〕、アルファベータ、2009年)の巻末に収められている。この本は本編ともども、ムラヴィンスキーを語るうえでは最も重要な資料だろう。
 私はたまたまムラヴィンスキーの生演奏を2回聴いたということで、ムラヴィンスキーについて書く機会をいくつも与えられてきた。その際、天羽さんのディスコグラフィとコンサート・リスティングがどれほど役に立ったかは語り尽くせないほどだ。これまで偉そうな顔をして書いてきたけれども、この2つの偉大な資料がなければ、ほとんど自分では何もできなかっただろう。改めてこの天羽さんの労作に、心から感謝する次第である。
 最後に、天羽さんのごく大まかな履歴を。生まれは1937年、韓国の釜山。高校まで和歌山で過ごし、京都大学入学後は機械工学を専攻。その後、東芝で原子力発電の設計に30年間従事。聞くところによると、東日本大震災による原発事故は天羽さん自身にとても大きなショックだったようで、ときおり「自分が何かできることはないか」と漏らされていたようだ。
 2月2日、天羽さんの葬儀がおこなわれた夜、そのときは珍しいくらいの濃霧だった。視界が非常に悪かったために電車のダイヤは大幅に乱れ、タクシーもまるで手探りのような運転だった。深夜、そんななかを歩いていると、いつもの風景が全く別物に見えた。それはまるで、異国をさまよっているかのようだった。偶然だったのかもしれないが、私にとっては忘れられない別れの夜となった。

(2014年2月5日執筆)

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第47回 『フルトヴェングラーを追って』、発売後2週間で増刷決定!

 拙著『フルトヴェングラーを追って』(青弓社、2014年)が発売後、わずか2週間で増刷が決定した。これは、単純にうれしい。無論、初刷も第2刷も部数は少ないのだが、この出版不況のなかにあっての増刷は、ちょっと胸を張ってもいいかもしれない。フルトヴェングラーにも感謝、である。
 すでに直接感想を寄せてくれた人がいるが、そのなかで最も多かったのは「フルトヴェングラーのSACDについて」だった。私と同じように、「いったいどこがいいのか、さっぱりわからない」と悩んでいたファンが、本書を読んで我が意を得たりと納得してくれたのである。続いて多かったのは、「レコード年表」を喜んでくれた人。「見ていると、次々にいろいろなことを思い出しました」「フルトヴェングラーが他界した時点で終わっているのではなく、現在まで続いているのがよかった」など。あとは「手前味噌」、自分の作ったCDの制作裏話である。私自身はそんなに面白いとは思わないけれど、でも多くの人が楽しんで読んでいるのは間違いないようだ。そうなると、フルトヴェングラー以外のCDについても、〝自作CD裏話〟などとして1冊にまとめたら受けるだろうか。何せ自前レーベルのCDは予定も含め、いまや110タイトルにもなる。そのうちの4割がフルトヴェングラーだが、それ以外はブルーノ・ワルター、カール・シューリヒト、ハンス・クナッパーツブッシュ、ポール・パレー、ピエール・モントゥー、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどである。特にワルターは、かつてのコロンビア・レコードのプロデューサーだったジョン・マックルーアとも直接連絡がとれ、実に多くの情報を得ることができた。つらつらと思い出してみると、それなりにネタはあるかもしれない。真剣に考えてみようか。
『フルトヴェングラーを追って』をインターネットで検索していたら、「Amazon」のカスタマーレビューがたまたま引っかかってきた。ふーんと思った。投稿者はたとえば、本書の「メロディア/ユニコーン総ざらい」の項について「特に目新しいものはない」と書いている。この文章の一部はベートーヴェンの『交響曲第9番「合唱」』(GS-2090/2013年1月発売)の解説にも書いていて、内容の一部は重複するが、ユニコーンの創設者ジョン・ゴールドスミスやイギリス・フルトヴェングラー協会会長のポール・ミンチンなどの顔写真は、ゴールドスミスから提供されて初めて確認できたものだ。それ以前、国内の出版物に彼らの写真は使用されたことはないと思うし、日本国内でもこの2人の顔を認識できるフルトヴェングラー・ファンはほとんどいないと思われる。そして、最後のほうには私以外の、わずかに1人か2人の関係者しか知りえない情報も記してある。そもそも、メロディアとユニコーンについて、これだけ系統だって記した文献は過去に日本国内ではもちろんのこと、海外でさえも例はない。にもかかわらず、この「Amazon」の投稿者は「目新しいものはない」と断じている。そうなると、この人物は、それこそ化け物のようにフルトヴェングラーに関する知識と情報をもち、なおかつ内部情報さえも見透かす神通力の持ち主ということになる。近々、この投稿者と連絡がとれることがあれば、こちらから頭を下げて教えを乞うとしよう。さすが、世の中、上には上がいるものである。

(2014年2月4日執筆)

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