第46回 書き下ろし、『フルトヴェングラーを追って』が完成

 2014年1月22日に、拙著『フルトヴェングラーを追って』(青弓社、四六判、288ページ、定価2,000円+税。参考〔/wp/books/isbn978-4-7872-7345-1〕)が発売される。これは『クラシック100バカ』(青弓社、2004年)、『クラシック名曲初演&初録音事典』(大和書房、2008年)、『クラシック・マニア道入門』(青弓社、2011年)に続く、4冊目の書き下ろしである。詳細は上記の青弓社のウェブサイトで確認していただきたいのだが、とにかくヴィルヘルム・フルトヴェングラーのディスクに焦点を絞り、そこを徹底的に掘り下げたものである。写真は通常のSP、LP、CDのレーベルやジャケットは無論のこと、さまざまな肖像、リハーサル風景、プログラム、チラシなど、200点以上も含まれる。この本のおかげでこの年末年始は1日も休めず、12月に入ってから続けて40日も無休だった。けれども、08年の『クラシック名曲初演&初録音事典』は08年1月2日から約2カ月半、全く無休だったのに比べると、今回はずっと楽だった。
 本書を校正していて、ある一定の速度で書いたのはいいのだが、文章が相当に隙だらけだったことを反省した。速く書いても、もっときちっと書けるようにしなくてはならないのだ。もう1つ感じたのは、精度を上げることの難しさである。章ごとに書いた時期が異なるとはいえ、表記の不統一をはじめ、見落としや思い込みがあちこちに散乱していた。校正は初校、再校、再々校、そして印刷に入る直前にもう一度、合計4回も見直したわけだが、特に3度目の再々校は「それまで何を見ていたの?」と言われても仕方がないほどたくさんの赤字で埋まった。もちろん、この4回の間には編集者のチェックも入るのだが、それでも次々と修正が出てくる。ちなみに、『クラシック名曲初演&初録音事典』は筆者、担当編集者、外部スタッフ4人(全体を4分割して集中的にチェック)が総出で原稿を見ていたのである。『フルトヴェングラーを追って』にも、あってはほしくないが、おそらくいくつかの間違いは含まれているだろう。そう思うと、ほとんどノー・チェックで垂れ流されているインターネットの情報が、いかに精度が低いかがわかるというものだ。
 今回、こうしてフルトヴェングラーの本を1冊出してみて、自分の頭のなかではいろいろなことが整理された。それに、大小さまざまな新規の情報は、まだまだ掘り起こせるのだという手応えも感じた。加えておきたいのは何人かの協力者に対する感謝である。彼らについては「あとがき」に記しているが、その方々のおかげで本書がいっそう読み応え・見応えのあるものになった。
 本書とほぼ並行して、フルトヴェングラーのCDの仕込みを2点分おこなった。その過程でもいくつかの発見はあった。そのような次第なので、自分にとってフルトヴェングラーは、引き続き追い続けなければならない対象のようだ。

(2014年1月14日執筆)

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第45回 クリストファ・N・野澤先生をしのぶ

 日本人演奏家、および日本で活躍した海外の演奏家についての研究者・コレクターであったクリストファ・N・野澤先生が、2013年8月13日に亡くなられた。享年89歳。この知らせはなぜか伏せられていて、9月に入って私を含め、多くの音楽関係者に伝えられた。
 まず、野澤先生の略歴は以下のとおりである。1924年4月24日、東京生まれ。小学校時代はロンドンで過ごし、このときにハミルトン・ハーティら多くの演奏家を聴く。暁星を経て名古屋帝国大学に入学、遺伝学を専攻。卒業後は上智大学、清泉女子大学などで生物を講義。コオロギの研究では著作もあり、北杜夫『どくとるマンボウ昆虫記』(〔新潮文庫〕、新潮社、1966年、181ページ。当時の筆名は野澤登)でも触れられている。また、昆虫の鳴き声を録音したレコードの監修もおこなう。
 父親のコレクションを戦火で失うが、戦後から日本人演奏家のものを中心に収集を始める。ラジオ番組『音楽の森』(FM東京、1976―90年)では故・立川澄人らとのトークで人気を博す。1996年から弦楽器専門誌「ストリング」(レッスンの友社)では邦人によるクラシック演奏史の研究「幻の名盤伝説」を70回あまり連載。最近では、ロームミュージックファンデーションのSP復刻シリーズ、諏訪根自子の追悼盤(日本コロムビア)など、野澤先生監修のCDは多数発売されている。
 私が野澤先生に初めてお目にかかったのは2000年か01年だと思う。とある方から「会ってみませんか」と言われたが、何せコレクターのなかには一癖二癖ある人が多く、ちょっと二の足を踏んでしまった。しかし、実際にお目にかかった野澤先生は非常に温和な紳士だった。最初の出会いは先生のご自宅である。狭い部屋にはレコード、資料類がびっしりと並んでいた。コレクターのお宅におじゃますると、「お聴かせしたいが、行方不明なので次回までに探しておきます」ということがときどきある。けれども、野澤先生の主要なコレクションはきちんと整理されていて、そのようなことは全くなかった。ノートがたくさんあって、個々の演奏には番号が付けられていて、その該当の番号のCDR、ミニ・ディスク、カセット・テープなどがすぐに取り出されるのだ。もちろん、SP盤も次から次へと出てくる。とにかく、野澤先生のお宅にうかがうと、あれこれと希少な音源が矢継ぎ早に鳴らされるし、見たこともないような貴重なプログラムや写真などが次々に出されるので、ひたすら「ええ?」とか「おー!」とか、そんな声を出しっぱなしだった。
 野澤先生はご自身の収集方針について、以下のようなことを言われていた。「海外の演奏家は海外の人たちに任せればいいんです。日本人の演奏家のことは、日本人にしかできませんから」「私はとにかく現物主義。雑誌の予告にあった、カタログに載っていた、それをうのみにしてはいけません」「完璧な人間はいません。どんな立派な資料だって間違いはあります。それに単にケチをつけるのではなく、みんなで情報を交換し合って、より精度の高い物を作り上げればいいんです」
 野澤先生とお会いして以来、個人的に最も印象が強いのは1910年に録音されたベートーヴェンの『交響曲第5番』(ドイツ・オデオン)だった。このSP盤は指揮者の記載がなく、しかもシュトライヒ・オルケスター(ストリング・オーケストラ、弦楽合奏団)と記されていることから、長い間「弦楽器だけで演奏された駄盤」と認識されていた。ところが、野澤先生が入手されたSPを聴くと、完全なフル編成であり、カットもない完全全曲だったことが判明したのである。それまではベートーヴェンの『交響曲第5番』といえばアルトゥル・ニキシュ指揮、ベルリン・フィルの1913年録音が史上初の全曲盤とされていたわけだが、この定説が見事に覆されたのである(この演奏はのちに指揮者も判明し、CD化もなされた/ウィング・ディスク WCD-62)。
 8月に入り、ある関係者が野澤先生に何度電話しても出ないことを不審に思い、アパートの管理人や警察官同伴で野澤先生宅に入ったところ、倒れている野澤先生が発見されたという。もう少し発見が早ければ、助かったのではと思った。しかし、ある方から耳にしたのは、野澤先生が「もしかすると、今年の夏は越せないかもしれない」と漏らしておられたとのことだった。
 野澤先生ご自身が自覚されていたのであれば、これは仕方がないことだ。天寿を全うされたとしか言いようがない。けれども、客人が驚き、その姿を見て上品な笑みを浮かべておられた野澤先生の姿が二度と見られないのは、やはり非常に寂しい。
(略歴に関しては富士レコード社、河合修一郎氏から情報を提供していただきました)

(2013年9月11日執筆)

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第44回 諏訪根自子の新発見音源について

 2013年6月5日、「朝日新聞」の夕刊に諏訪根自子の新発見音源についての記事「天才少女全盛期の調べ」が掲載されていた。曲目はブラームスの『ヴァイオリン協奏曲』、1949年11月28日の放送で、東宝交響楽団との共演とある。これを見て、私は何やら意図的なものや、釈然としないものを感じた。諏訪は2012年3月に他界していたが、それが公になったのが同年9月だったため、多くの人に衝撃を与えたのは記憶に新しい。とにかく、この「朝日新聞」の記事を読むかぎりでは、新発見の音源は諏訪の死後、思いがけず発見されたかのように読めてしまう。だが、これは厳密に言えば正しくない。そもそもこの音源の存在は、私が知るかぎり、少なくとも数年以上も前に知られていたからだ。なぜなら、私はある関係者から「このような音源があるが、発売する意義はあるだろうか」と相談されたことがあり、しかも、その関係者は私に音源のコピーまで送付してくれたのである。
 こうした音源が世に出ることに関しては歓迎すべきことだが、正しくない事実関係については、やはり異議を唱えたい。なお、私が得た情報では、このブラームスの伴奏指揮は上田仁(うえだ・まさし)とのことである。

(2013年6月5日執筆)

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