第37回 サイトウキネンに行く

 5月頃だろうか、ある人から「サイトウキネン、行ったことないんですか? 一度くらい行ってもいいんじゃないですか?」と言われ、ふとその気になった。だが、チケットを手配し終えた頃には別の人からこう言われた。「行って面白いのかなあ?」。私はそれに対しこう返答した。「動けば何かが生まれる」
  今回、私は2回松本を訪れた。1回めは8月19日(金)におこなわれた「ふれあいコンサートⅠ」である。曲目はモーツァルトの『ピアノ四重奏曲第2番』、プロコフィエフの『五重奏曲作品39』、バルトークの『2台のピアノと打楽器のためのソナタ』。演奏は小菅優、伊藤恵のピアノほか、ほかのメンバーはサイトウキネンのオーケストラに名前が入っている人たちである。特にプロコフィエフとバルトークは日頃めったにやらないので、こういったプログラムが聴けるのがまさに音楽祭ならではだ。この2曲、初めて生で聴いたせいか、非常に面白かった。地震の影響で予定していたザ・ハーモニーホールが使用不能となり、松本文化会館の中ホールに急遽変更になったのは演奏者側にも不運ではあったが、お客さんの反応は非常によかった(バルトークではピアノの弦が演奏途中で切れるという事故にも初めて遭遇。小菅さん、怪力ですな)。
  2回めは8月26日・松本文化会館(大)のオーケストラコンサート、指揮はヴェネズエラの新鋭ディエゴ・マテウス、曲目はチャイコフスキーの『「ロメオとジュリエット」序曲』と『交響曲第4番』、中プロはバルトークの『ピアノ協奏曲第3番』(独奏:ピーター・ゼルキン)、そして27日・まつもと市民芸術館主ホールでのバルトークの『バレエ「中国の不思議な役人」』(指揮:沼尻竜典)と歌劇『青ひげ公の城』(指揮:小澤征爾)である。
  日程順に触れていくと、マテウスの演奏は若くてバリバリである。「エネルギッシュでよかった」という人もあれば、「オーケストラを鳴らしすぎ」と感じた人もいた。私も確かにちょっと騒々しいとは思ったが、オーケストラの献身的な熱演はそれなりに気持ちがよかった。ゼルキンのソロはマテウスとは正反対の渋く正統的なものだった。
  27日は何と言っても『青ひげ』で小澤が出るかどうかで話題が持ちきりだった。初日の21日だけ振って、23日、25日は降板である。前日の26日、私は関係者からその周辺の話を聞いたけれど、感触としては絶望的のように思えた。
  27日はまず『中国の不思議な役人』を見る。私はバレエについては全く詳しくはないが、この新潟を本拠地とするバレエ団ノイズムはなかなかやるな、と思った。存分に楽しませてもらった。
  そこでいよいよ後半の『青ひげ』。会場には「本当に小澤は出てくるのか?」という雰囲気が漂っていたが、小澤の姿が見えたとたんにどっと湧いた。ブラヴォーも出ていたような気がする。オーケストラのメンバーもみんな、「あ、来た!」と満面の笑みを浮かべていた。私が聴いた感じでは、始まって5分程度は指揮者とオーケストラの一体感がいささか希薄に思えた。でもそれはしようがない。オーケストラにとっては6日ぶりの小澤の棒である。しかし間もなく本調子となり、私も音楽に集中できた。総合的に言えば、一部にバレエの扱い方に違和感を感じたことを除けば、上々の公演だったと思う。
  終演後、何度もカーテンコールに応えていた小澤の姿を見ると、2度も降板したほど体調が悪いようには思えなかった。「小澤は今日も無理でしょう」と言っていた知人に「出た! お化け、じゃない小澤、本当に出たぞ」とメールしたら、即座に「それはラッキーでしたね」と返ってきた。
  サイトウキネンというオーケストラだが、確かに寄せ集めの欠点があると言えばある。まとまりという点では直前の8月24日に聴いた読売日本交響楽団(指揮は小林研一郎)の方が上だった。しかし、このオーケストラのメンバーによって先ほど触れた珍しい室内楽やオペラなど、短期間に多彩なプログラムを楽しめるのはありがたいことである。それに、フェスティバルの存在自体も、日本のクラシック界の発展に大きく寄与していることは間違いない。
  私は今回初めて松本を訪れたが、遅まきながらこの街並みのすばらしさにたちまちファンになってしまった。特に感激したのは縄手通り、中町などの古い建物や石垣が残っている付近である。小さなお店や資料館もあって、身も心も、そして財布も軽くなった。また、ほとんどのお店にはサイトウキネンのミニTシャツが飾ってあって、街全体がこのフェスティバルを盛り上げようとしているのにも感心した(ただひとつ気になったのは、主に松本駅周辺にある街頭のスピーカーから流れ出るBGM。これはない方がいい。ちょっと無粋)。
  今回は昼間ちょこっと観光し、夕方、夜が仕事(演奏会)というわけだったが、次回はできるならば完全にフリーな日を1、2日程度付け加えてサイトウキネンに行きたいと思った。
  松本訪問、予想をはるかに上回る収穫だった。「動けば何かが生まれる」、これはやはり正解だったのである。

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