第13回 感動の力作『大指揮者カール・シューリヒト 生涯と芸術』

 シューリヒトに関する国内での初めてのまとまった文献が発売された。それはミシェル・シェヴィ『大指揮者カール・シューリヒト――生涯と芸術』(扇田慎平/塚本由理子/佐藤正樹訳、アルファベータ)である。
  シューリヒトについて、これまでは略歴程度のことしか知られていなかった。ダンツィヒに生まれるが、父はすでに他界、その後家計を支えた伯父も破産するなど、非常に厳しい生活を余儀なくされた。そんななかでも彼は音楽を生きる糧とし、才能を育んだ。本の虫と自負するほど読書をし、堪能な語学は8カ国語もあった。一時は作曲家になるか指揮者になるかで悩むが、「指揮は作曲と同等の創造的行為」と判断、指揮者への道を歩み始める。しかし、そんなシューリヒトも2度の戦争で大きな打撃を受けた。彼自身はゲシュタポにおびえ、また彼が育てたヴィースバーデンの人々も本拠地も失われた。さらに、私生活では3度も結婚に失敗している。だが、戦後はアンセルメの手助けによってスイスに住み、徐々にその活動を広げていく。そのスイスでシューリヒトはアンセルメ、フルトヴェングラーと親しく交わっていたことはあまり知られていない。
  本書はシューリヒトの生涯をたどりながら、多くの証言や批評などを引用して、彼の人間像や芸術を浮き彫りにしようとしたものである。その調査は実に詳細でありながら、重箱の隅をつつきすぎることなく、明解で変化に富み、読み手を飽きさせない。また、こうした評伝はえてしてレコードの情報が手薄になりがちだが、その点に関しても完璧に調査し(日本のキングインターナショナルが発売したシューリヒトの作品集にも言及している)、要所にそうした記述を取り込んでいる。しかも、未発表の録音についても多数触れており、これらがマニア心をくすぐることも間違いない。
  出世欲よりも音楽への愛を大切にしたシューリヒト。風邪をひきやすく、関節の持病を持っていた彼は、特に晩年は両腕を支えられながら舞台に登場したこともあったようだ。こうした彼の気質や健康がシューリヒトを華やかな舞台から遠ざけた一因にもなったが、シューリヒトの功績は明らかだった。本書に登場する多くの批評を読むと、誰もが彼の一途な姿勢、そしてその音楽の素晴らしさを心から賞賛していることが痛いほど伝わってくる。
  いつも気さくでおだやかなシューリヒトだが、彼はあてがわれた条件をいつもにこやかに受け入れたわけではなかった。むしろ彼は自分の要求が認められないときは、一切手を出そうとはしなかった。特に合唱や独唱を要するような大所帯の上演のときがそうだった。彼はオペラとも無縁と思われていたが、条件さえ整えば喜んで指揮をした。R・シュトラウスの『サロメ』やウェーバーの『魔弾の射手』などを戦後に手がけたようで、モーツァルトの『フィガロの結婚』も指揮したという記述がある(この『フィガロ』は録音が残っていないものだろうか?)。
  もうひとつ重要なのは、彼が自分のパート譜を使用していたことだ。シューリヒトはスコアに細かく書き込みをした。このスコアからパート譜にその指示を転記するのだが、この重要な作業を誰がやったか、それは本書を読んで確かめていただきたい。
  その他、弟子のアタウルフォ・アルヘンタやガブリエル・サーブのこと、あるいは1968年の東京オリンピックのときにシューリヒトが来日する可能性があったことなど(もしも彼が日本に来たのならば、この語学の天才はきっと日本語を勉強しただろう)、これまで知られていなかったことが山ほど書かれている。
  訳文はこなれていて非常に読みやすい。批評の多くは文学的・抽象的な表現が多いので、訳出の際の苦労が多かったと察せられる。また、人名の表記も最も一般的なものに準じており、この点に関しても全く問題はない。原書でも触れているとおり、各国の批評は語学に堪能だったシューリヒトにあやかって全部原語で記されているという。この批評の訳文と本文との統一も、さぞかし難題だっただろう。また、邦訳では削除されがちな人名索引(しかも欧文も併記)がついているのもありがたい。
  読み終わっての感想、これはひとりの指揮者の評伝というよりも、偉大な音楽作品から受けた感動にも等しい、そう思った。シューリヒトのファンはむろんのこと、フルトヴェングラー・ファンにも強くお勧めする。あるいは、戦前戦後のヨーロッパの音楽界の動向について知るためにも、非常に有意義な一冊である。

Copyright NAOYA HIRABAYASHI
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。