重いものを軽くするには――『近代日本のジャズセンセーション』を書いて

青木 学

 出版してからの感想を述べたい。「苦労話」というほどのものではないが、制作時のエピソードをいくつか披露しよう。
 執筆の過程で労力を費やしたのは図版だった。掲載した図版は全部で149点。2、3ページに1回は図版に出くわすような内容である。もちろん、これは意図してやったことで、図版を多く載せたのには理由がある。
 編集の担当者である矢野未知生さんもウェブサイト「版元ドットコム」掲載のエッセー「博士論文を本にする」で指摘しているが、カタい博士論文をいかに広く多くの人に読んでもらうかというコンセプトは、自身も折に触れて重要だと思っていた。
 せっかく労力を費やして明らかになった事柄を、小難しい(読者にいちいち辞書を引いてもらうような)言葉をチョイスして伝えたい内容が濁ってしまうのは、執筆者と読者の双方にとってデメリットだし、基本的には伝わってこそ価値があると思う。ましてや一般書であればなおさらで、少しでも多くの人に理解されるような内容と構成に努めなければならない。そんな思いが自分のなかにもずっとあった。
 ただ、そう大きな口をたたいてはみるものの、もともとが「博士論文」という性質のうえに「ジャズ」という大変軟派なテーマを学術的なアプローチで提示することにこそ意味があるとも考えていたため、どうしても硬い表現になったり注釈が出てきてしまい、結果として、学術論文の域を出ることは難しかったように思う(たとえ論文であってもスルスル飲み込めるような感動的にうまい文章力が備わっていればよかったのだが……。大いに精進すべき点である)。
 それを案じて、論文特有の硬さをカバーするためにどうにか少しでも面白くなるようにと苦心した末が「図版」だった。精読しなくても、ページをめくるだけでなんだか気になる、目でも楽しめるような内容を目指した。
 しかし、肝心の図版収集にはずいぶんと時間かかった。「あとがき」でも触れたが、掲載している史料は音楽大学などが所蔵しているものが多く、そのため収集の際はあらゆる大学図書館、資料館などに出向いた。
 ご存じの方もいると思うが、大学の図書館を利用する場合は紹介状が必要で、毎週のように自身が所属する大学図書館のレファレンスを訪ねては申請を依頼していた。おそらく「また、こいつか」と思われていただろう。自分だったら、思う。
 それほどレファレンスの方々にはお世話になった。執筆にあたってもっともお世話になった方々といってもいいだろう。
 そんなことも含めて、史料収集は決して自身の力だけではなく様々な人の支えがなければ、書籍は仕上がらなかったことを改めて実感している。
 本当のところを言えば、掲載したい図版はもっともっとあったが、くどい印象を与えると察し、断腸の思いでカットした。それについてはどこかでお披露目できればと思う。
 あと、もうひとつ、「原稿の余白に」に記しておくことといえば、執筆時のモチベーションとの付き合い方だろうか。
 書籍はふがいないことにスケジュールどおりとはいかず、出版までに約3年の月日を要した「長期戦」だった。
 いくら音楽好きであり好きなテーマといえども、根性だけでは押し通せない。やはり、壁にもぶち当たる。そうなるとモチベーションの保ち方というのは重要で、音楽や映画など当時の風景をイメージできるものは何でも頼った。いかに気分を軽くするかである。はたから見れば遊びにしか見えないが、これが結構大事な要素だった。
 残念ながら、現在、100年以上前の話を鮮明に語れる人物などほとんどいない。その時点で100点満点の「正解」にたどり着くことはまずない。だからこそ、当時の感覚に少しでも近づこうとしながら書くことはとても重要な作業だと思っている。
 戦前の音楽や映画などに触れ続けていると、テレビも「YouTube」もサブスクリプションもない時代の感覚になったような不思議な感覚に陥るときがある。感覚的なタイムスリップというのだろうか。このときに得られる「もしかしたら、当時の人たちもこういう感覚だったのかもしれない」という感覚を自分ではとても大切にしていて、執筆時の原動力にもなった。そういう意味で、音楽や映画を含めた文化は過去に誘ってくれる魔法とさえ思っている。
 戦前・戦後を問わず、もしその時代の空気に触れたいときは、ぜひ残存する当時の文化に触れてみるといいだろう。きっと時代の理解に役立つはずである。
 本書を手に取る機会があれば、こうした「B面」もイメージしながら、気軽にページをめくっていただければ幸いである。

 

「女性展望」を探し集めた頃のこと――『ナチス機関誌「女性展望」を読む――女性表象、日常生活、戦時動員』を書いて

桑原ヒサ子

「よく集めたもんですね」と驚かれることがある。
「女性展望」の創刊は1932年だから、ほぼ90年前の出版物である。歴史的にはそう古くはないが、ナチ時代の官製雑誌だったから戦後ドイツの保存の意思はきわめて薄かった。いずれにせよ漏れなく集めるのは容易でないという驚きだろう。『ナチス機関誌「女性展望」を読む』を刊行して、「女性展望」を収集し始めた頃の大胆で幸運に恵まれた自分を思い出した。
 フェミニスト歴史家だった加納実紀代さんが勤務校である敬和学園大学に赴任され、第2次世界大戦期の女性雑誌などのメディアの表象分析を通して、戦争とジェンダーについて国際比較をする共同研究会を立ち上げた。2005年のことである。
 ドイツを担当することになったものの、ナチス期の女性雑誌は読んだことも見たこともなかった。少し調べたら、当時出版部数第1位だったのが「女性展望」とわかった。最も読まれていたのだから、これを取り上げるしかない。でも、どうやって集めるのか。
 ドイツ文学を研究していた私は、日本国内で手に入らない文献はドイツに出向いて探して、コピーしていた。2005年の夏は、まだ別の仕事の資料をゲッティンゲン大学図書館で探していたが、ついでに検索しても「女性展望」は出てこなかった。途方に暮れたが、ネット時代の到来が雑誌の収集を助けてくれることになった。

 自宅のパソコンから古書店のサイトに試しにアクセスしたら、なんと「女性展望」が売られているではないか。ナチ時代には牛乳1リットル程度だった価格は、1,000円から2,000円ほどになっていた。複数冊をまとめてたたき売りしている場合もあった。ドイツの大都市から名も知らぬ村まで、古書店の店主とどれだけメールのやりとりをしただろう。クレジットカードを使えず、郵便局から送金したこともあった。毎晩古書店サイトを探し回り、12年半にわたって発行された「女性展望」全282号中57パーセントを数カ月で一気呵成に手に入れた。しかし、その後は一向に出回らず、買い尽くした感があった。
 マニアックな収集熱は収まらず、2006年夏にドイツで収集するために、これまた自宅のパソコンから検索が可能になった大学図書館の蔵書を検索しまくった。案の定「女性展望」を所有する図書館はまれで、所蔵していても部分的だった。手元に欠けていたのは主に最初の2年間と廃刊までの2年半、そしてその間の購入できなかった号だった。検討を重ねた末、ハイデルベルク大学図書館、ベルリン国立図書館、エアランゲン大学図書館で残りすべてを手に入れられることがわかった。

 まずハイデルベルクの司書にメールした。すぐに返信があり、確認したところ閲覧に堪えられる状態ではないということだった。それで、図書館が所有する最後の3年半分すべてをデジタル化して私のためにCDを作ってもいいというのである。その費用の半分の400ユーロを私が負担するという条件だった。由緒正しきハイデルベルク大学図書館が、見ず知らずの個人とこんな交渉をするかと唖然としたが、古書店で相場を熟知していた私には願ってもない申し出だった。さらに驚いたのは、「女性展望」の全号のデジタル化を計画し、私が作成した「女性展望」所蔵大学図書館リストに従って、まずエアランゲン大学図書館に話をもちかけたということだ。当時、どの図書館も書籍のオンライン化を進めていた。しかしエアランゲンの回答は、よりにもよってなぜナチズム関係の雑誌を優先するのかという拒絶だったそうだ。
 私はハイデルベルク大学図書館を予定どおり訪れてCDを受け取った。そのうえ図書館は、ベルリンから私が必要としたマイクロフィルムを取り寄せておき、デジタル撮影機器を手配してくれていた。私は、ベルリンへ行かずして、デジタル撮影が無料でできたのである。
 エアランゲンでも問題は生じた。デジタル撮影を依頼していたが、撮影係がバカンスで不在のため、私のドイツ滞在中にCDを手渡すことは無理だと言われたのだ。だが、撮影代金を前払いすれば、日本に郵送するという。前払いは心配だったが、初秋にはちゃんと、創刊から2年分の2枚のCDが自宅に届いた。こうして私は「女性展望」のすべての号を手に入れたのである。

 ハイデルベルク大学図書館で現在、「女性展望」の1941年7月第1号から廃刊になる1944/45年号まで誰でもどこにいてもオンラインで簡単に閲覧できるのは、私の問い合わせがきっかけになり、私が資金の半分を捻出したからである。ネット上の私の論文を読んだという明治大学の女子大生から2016年にメールがあって、「女性展望」を読んでみたいと言ってきた。そこで、ハイデルベルクのことを紹介した。念のためにサイトをひさしぶりに開いたら、「女性展望」の号数検索画面に進む前に、06年にはなかった警告画面が現れた。
「ハイデルベルク大学図書館は「デジタル図書館」で学問・研究・教育の目的で現代史の資料を公開しています。この資料のなかにはナチズムの時代の雑誌・新聞も含まれていることを注意しておきます。ハイデルベルク大学図書館は、いかなる人種差別、暴力賛美、そして国民社会主義的内容から距離を置くことを表明します」
 ドイツでは、20世紀末以来ネオ・ナチズムや保守化が問題になっている。一見誇張してみえる図書館のこの表明には、ナチズムに対して現在もなお堅持されている厳しい公的姿勢を見て取ることができるだろう。

 

実録! 書名が決まるまで――『面白いほどわかる!クラシック入門』を書いて

松本大輔

著者
そうそう、一応自分が考えているタイトルは『世界で一番やさしいクラシック音楽入門』かな~と。

編集者
出版条件;書名;16歳からのクラシック入門

著者
タイトルは『16歳からのクラシック入門』でいきますか??
50代女子も読んでくれますかね・・・
対象を絞らない意味では『世界で一番やさしいクラシック音楽入門』も好きですが。
著者
うちの50代女子は「「16歳から」でも買う人は買う、かえってそのほうがインパクトある」、とも申しておりました。サブタイトルはありですか?

編集者
理屈から言えば「16歳から100歳まで」なんですが(笑)、読者にはどう伝わるか、ですね。サブなしで一本勝負と考えていますが。

著者
あれから本のタイトルのことをいろいろアンケート取ってたのですが、「「16歳からの」と題名についてたら手に取らないと思う」、「「16歳から」だと読者を限定しそう」というような意見が多かったです。
うちのかみさんにいたっては「16歳からっていわれたら自分は関係ないと思うわ」と言ってました。
まあ一番の問題はあの本を書いた自分自身が、あの本のターゲットを40、50代の初心者に置いていたので、「16歳からの」という意識をまったく持って書いてないことですが。

編集者
書名、そうですか。では、
『いちばんやさしいクラシック入門』
『クラシック音楽って簡単!――14歳から大人までの入門書』
『やさしい!簡単!クラシック入門』
などでしょうか。もっと考えます。
松本さんも、『世界で一番やさしいクラシック音楽入門』のほかにいくつかご提案ください。
当社は「世界一」などの語感にどうも腰が引けるので。
総合して決めましょう。
編集者
社内から大募集中です。あとでメールします。
私案
『交響曲を聴けばわかる!クラシック入門』
『交響曲から始めるクラシック入門』
などはどうですか?

著者
唯一原稿を呼んだスタッフが「決して世界一やさしくはないと思いますが」と言ってました・・・^^;
ただ、「やさしい」「はいりこみやすい」「聴きたくなる」というのはウリにしたいのですよね・・・
いっぱい出てきたので、いただいた候補と一緒に列挙します。
『いちばんやさしいクラシック入門』
『やさしい!クラシック入門 ~14歳から大人まで』
『交響曲を聴けばわかる!やさしいクラシック入門』
『きっと聴きたくなる!やさしいクラシック入門』
『聴きたくなる!やさしいクラシック入門』
『まつもと兄弟クラシックの旅 やさしい!クラシック入門』
『まつもと兄弟クラシックの旅 聴きたくなるクラシック入門』
『クラシック音楽って簡単!――14歳から大人までの入門書』
『やさしい!簡単!クラシック入門』
『交響曲を聴けばわかる!クラシック入門』
『交響曲から始めるクラシック入門』
何か思いついたらぜひお知らせください!

編集者
書名は「メインに交響曲があると、入門者にはハードルが高い=そもそも交響曲が何かを知らないから」という社内意見もあって、迷いに迷っています。

著者
それは言えてるかも・・・
そもそも交響曲が何かを知らない人に読ませたいので書名に交響曲があると手にも取ってくれない・・・
著者
書名候補追加
『聴きたくなる!クラシック入門の旅』
自分がこの本を書いていたときの気持ちに一番近いかも。

編集者
あと二晩考えますが、社内からは以下が出ました。
『みんな最初はクラシックがわからなかった――やさしいクラシック音楽入門』
『クラシックの聴き方がわかる本』
『クラシックは交響曲を聴けばだいたいわかる』
『ゼロからわかるクラシック入門』
『入門 クラシックの世界』
『何から聴けばいいかわからない人のためのクラシック入門』
『クラシックの良さがわからない――16歳からのクラシック入門』
『ベートーヴェンがわからない――16歳からのクラシック入門』(モーツァルトでも)
『誰もがはじめはクラシックを知らない――交響楽でたどる早わかり入門書』
『クラシックは交響曲から聴こう!――14歳から大人までの入門書』
『交響曲で学ぶざっくりクラシック入門――14歳から大人までの入門書』
で、いまのところ一番人気は
『聴きたくなる!やさしいクラシック入門』
です。
「の旅」はヨーロッパ観光ガイドと誤解される、という意見が大勢です。
とりあえず。

著者
『聴きたくなる!やさしいクラシック入門』
いいですね~!
『絶対聴きたくなる!やさしいクラシック入門』
という意見も出てきました。^^
> 「の旅」はヨーロッパ観光ガイドと誤解される、という意見が大勢です。
な、なるほど・・・確かに・・・

編集者
書名を
『聴きたくなる!やさしいクラシック入門』
で決めたいのですが、いかがでしょうか。

著者
> 『聴きたくなる!やさしいクラシック入門』
了解です!
これがすっきりです!!
よろしくおねがいします。

編集者
諦めが悪くてスミマセン。最後の最後の案です。
『聴きたくなる!やさしいクラシック入門』
で決めましたが、
『クラシックが面白いほどわかる!』
『クラシックが面白いほどわかる!―――14歳からの入門書』
のどちらかは、やはりNGでしょうか。

著者
> 『クラシックが面白いほどわかる!』
あ、『面白いほどわかる!クラシック入門』はどうですか??
確かに他の入門書に比べたら「面白い」かなと思うし・・・
あ、
「たのしいクラシック入門!」
とか。。。
「年齢入れ」は不評なのでやめておくとして。
よけい混乱させてしまいましたね。

編集者
では、
『面白いほどわかる!クラシック入門』
で決定します。もう、変えません!

著者
> 『面白いほどわかる!クラシック入門』
よろしくおねがいします!

 

ギモン4:作品って何?

難波祐子(なんば・さちこ)
(キュレーター。東京都現代美術館を経て、国内外での展覧会企画に関わる。著書に『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーターという仕事』〔ともに青弓社〕など)

「作品」は誰が作るのか

 これまで美術館をはじめとする、「作品」を展示する環境と、その歴史的な成り立ち、また「作品」が展覧会での展示を通して「作品」として成立するうえでのキュレーターの役割などについて見てきた。これらのギモンでは、アーティストが「作品」を作り、キュレーターがそれを「展示」する、という大前提を基本にしていた。だが、ギモン1で少し触れた1990年代以降に急増した参加型の作品は、作品が成立するうえでアーティスト以外の複数の人が関わることが多く、こうした「大前提」にさまざまな問いを投げかけている。
 ところで、「作品」を複数の人による協働作業で作る、という行為自体は、美術史的に見れば、実は新しいものではない。ヨーロッパでは、特に中世からルネサンス期にかけて工房制度が長きにわたってあり、絵画の制作は、アーティスト個人の表現活動というよりは、工房で分業による集団作業でおこなわれていた。近代以降、師弟関係に基づく工房制度の時代とは、美術作品の制作のあり方も様変わりしたが(1)、現代美術では、単一の作者としてのアーティストという存在にかわって、地域住民や観客が作品の制作に関わることがごく一般的になってきた。例えばギモン1に登場したリクリット・ティラヴァーニャの「無題(デモステーション)」シリーズを思い起こしてみよう。展覧会の会期中、会場に用意された仮設舞台を、地元のバンドや俳優といった人たちが活用していき、そのプログラム自体が、作品の完成に結び付く。ティラヴァーニャは、作品のための設えを用意し、ファシリテーター的にそこでの出来事を見守る。このような展覧会においては、「作品」は誰が作ると言えるだろうか。そしてこうして作られた「作品」は、誰のものと言えるだろうか。またキュレーターは、こうした作品の「展示」に対して、どのような役割を担うのだろうか。
 今回のギモンでは、「作品」とは何かを考えるなかで、特に「作品」の作り手にまつわるギモンに着目し、近年盛んになっている参加型の作品や、アーティスト以外の人々との協働制作の形式をとるような作品を中心に、具体的な事例をいくつか見ながら、参加者・観客側の視点から考えていこう。またそれを受けて、あらためてキュレーターの役割についても考察してみたい。

「参加型」アートとは?

 ここで「参加型」という言葉の、本稿での位置づけを明確にしておきたい。そもそも展覧会は、観客が来て、作品を鑑賞する、という行為のもとに成り立っている。絵画や彫刻作品を観て、それについて観客が何かを感じる、ということも広義の「参加」にはなるかもしれない。あるいは、新型コロナウイルスの感染拡大による美術館休館ですっかりおなじみになった、オンラインでのライブ配信型の作品やVR(仮想現実)で撮影された展覧会を視聴することも「参加」と言えるだろう。逆に作品との直接的な接触などを伴ういわゆるインタラクティブ(相互作用的)な作品を思い浮かべる人もいるかもしれない。ボタンを押したら何かが動作するとか、観客が展示室に入るとセンサーが観客の動きを感知して映像のプロジェクションや音などに反映される、といったタイプの作品だ。極端な話、どの作品も、最終的には鑑賞者がいてはじめて作品が完成する、とも言える。だが、本稿で主に扱う「参加型」の作品は、観客や地域住民などが参加するプロセスそのものが、作品成立に深く関わっている類いのもの、そしてその結果を「展覧会」という枠組みのなかで展示する作品を論じることにしたい。例えば、台湾出身でニューヨーク在住のリー・ミンウェイは、1990年代から作家自身と参加者による直接の対話に基づくプロジェクトや、展覧会場を訪れた人が、リーの設えた環境で、何らかの作業や行為をすることを作品化したプロジェクトを数多く発表している。ニューヨークのロンバード=フレイド・ギャラリーで2000年におこなわれた「プロジェクト・ともに眠る(The Sleeping Project)」では、画廊のなかに作られた隣り合ったベッドをもつ寝室空間で、抽選により招かれたゲストがリーと一夜をともにし、さまざまな出来事を語り合う。ゲストは、普段、自分が眠る際に手元に置いている時計や写真立てなどの私物を持参し、ベッド脇のナイトテーブルに置いて帰る。会場を訪れた人は、ナイトテーブルの上に残されたものを見ながら、そこで交わされた会話などを想像する。この作品は、もともとリーが高校生のときに夜行列車でパリからプラハに向かった際に乗り合わせた年配のポーランド人男性と一晩を過ごした体験から着想を得ている。その人物はホロコーストの生還者で、当時の収容所での様子や体験などをリーに語り終えたあと、眠りについた。だがリーは、話を聞いて、その昔、もしかしたらいま、自分が乗っている列車と同じ線路のうえを走っていた列車に夜通し乗せられて、朝まで生きながらえなかった人もいたかもしれないなどと思いをめぐらせ、眠ることができなかった。この私的で強烈な体験をもとに、何年もたってから、「眠る」ことと、「(誰かと)ともに眠る」ことについて、作品にしようと考えたのがこのプロジェクトだったと彼は語っている(2)。このように自分以外の誰かと行為をともにすることが、リーの作品の根幹をなしている。その行為は、作家と直接協働作業をおこなう場合もあれば、展覧会場で観客の手に委ねられることもある。例えば「プロジェクト・手紙をつづる(The Letter Writing Project)」(1998年)では、会場内に障子の部屋を思わせる、すりガラスと木枠で三方を囲まれた3つのブースが設けられ、観客は、そのブースのなかに入って手紙を書いたり、読んだりすることができる。ブースのなかには机と便箋と封筒が置いてあり、観客は、誰かへの感謝、許し、あるいは謝罪の手紙を書くように促される。手紙を書き終えたら、持ち帰らずにブースの内側の壁に設えられた木枠に手紙を挟んでその場をあとにする。手紙の封はしてもしなくてもいいが、封をしていない手紙はほかの人が自由に読んでいいことになっている。そして封筒の表に送り先の住所が書いてあれば、作家か美術館スタッフがかわりに投函してくれる、というプロジェクトだ。ここでは、手紙を書く、あるいは読むという観客の参加、そしてその行為によってそれぞれが個人のストーリーに思いをめぐらすことが作品の重要な一部になっている。
 リーやティラヴァーニャのような参加型作品は、最終的な発表の場が美術館やギャラリーでの展覧会のことが多いが、こうした地域住民や観客の直接参加などを伴う作品は、1990年代後半から、リレーショナル・アート、コミュニティ・アート、あるいはソーシャリー・エンゲージド・アート(社会的な参加を伴うアート)といった名称で、地方自治体や学校でのアートプロジェクトやワークショップとして美術館やギャラリー以外の場所でも実施される機会も多く見られる。例えばイギリスのアーティストであるジェレミー・デラーは、何らかの共通項をもつ地域住民など特定のコミュニティと協働して作品を制作することで知られている。初期代表作の一つ、『アシッド・ブラス』(1997年)は、街中のブラスバンドと、電子音楽とクラブ・カルチャーに端を発するアシッド・ハウスという一見全く異なる音楽文化の間に奇妙な共通性を見つけたデラーが、イングランド北部の町ストックポートを拠点として活動するブラスバンドにアシッド・ハウスの生演奏を依頼したことから始まったプロジェクトだ(3)。『アシッド・ブラス』は瞬く間に人気を博し、イギリス各地で演奏されたほか、アルバムも発売されて、バンドのレパートリーとしても演奏される長期プロジェクトになった。この作品についてデラーは、自身の制作のターニング・ポイントだったと述べている。「モノ(オブジェ)を作らなくてもいいんだ、と気づいた。こんなふうにイベントをやって、何かを巻き起こして、それを人々と一緒にやって楽しめばいいんだ。乱雑で野放しでオープンエンドなプロジェクトをすることで、伝統的なアーティスト像にこだわらなくてもよくなった。ブラスバンドが僕を解放してくれたんだ(4)」。デラーのプロジェクトは、単なる音楽のコラボレーションの域を超えて、それぞれの背景にある社会史を浮き彫りにし、異なるコミュニティ同士の新しい出会いを生み出すなど、さまざまな広がりを見せるプロジェクトになった。このように参加型作品の多くは、絵画や彫刻などのように物質的な「作品」として残るのではなく、何らかの出来事が起こり、そのプロセスや結果が共有されることそのものが「作品」になることを特徴としている。よって作品の形態も美術館での展示だけではなく、街中などでおこなわれるパフォーマンスやイベント、あるいはコンサートや映画など多岐にわたるケースも多い。だが、こうした作品を実現するにあたっては、展覧会やアートプロジェクトなど、アートの枠組みがその背景にあることがほとんどである。
 デラーは、このような手法を国際展の場でも取り入れている。例えば、ギモン1で少し触れたミュンスター彫刻プロジェクトは、ドイツの中世の面影が色濃く残る街ミュンスターで10年に一度開催される大型の国際展だが、デラーは2007年に参加した際に次回開催の10年後である17年まで続く作品を発表した。デラーは、ドイツで盛んな「クラインガルテン」、あるいはクラインガルテン運動を広めたシュレーバー博士の名にちなんで「シュレーバーガルテン」と呼ばれる市民農園に着目した。そしてミュンスター郊外にある50以上のクラインガルテン協会に、各農園での四季折々の天候や植物の移り変わりの様子、各協会での社会的・政治的な活動などを10年間にわたって日誌に記録してもらうよう依頼した。10年後の17年には、そのうちの一つのクラインガルテン内にある小屋に、各農園の10年にわたる日誌約30冊を自由に閲覧できるスペースを設けた(5)。各日誌にはそれぞれの農園の個性が反映されていて、家族やメンバーで集まってバーベキューやパーティーをしたときの写真や、収穫された野菜の写真、新聞や雑誌の切り抜きなどが思い思いにスクラップされ、子どもたちが描いた絵やメンバーが書いた詩などとともにつづられていった。またミュンスター彫刻プロジェクトに訪れた人も、メッセージやイラストなどを記すことができるように、農園のメンバーが使っていたものと同じ様式の白紙の日誌も用意され、会期中次々と来場者によって書きつづられていった。
 クラインガルテンの活動自体は、デラーの呼びかけとは関係なくドイツで200年以上の長きにわたって市民に親しまれている営みである。そのため、それだけでは「作品」にはならない。だが、アーティストが展覧会という仕組みや仕掛けを使って、普段であれば、関わっている当事者たちも気がつかないような人々の市民農園での活動を、当事者たち、市民農園のことを知らない人々、国内外から集まる展覧会の観客に、目に見える形で提示、共有する場を農園のメンバーたちと10年という長いスパンをかけて作っていくことで、一つの「作品」になった。このように参加型アート作品は、それを通してさまざまな人々が有形無形のつながりをもつことが特徴である。また、参加型作品の大半は、長くても2、3ヶ月程度の会期の展覧会に向けて準備され、そのあとは終了してしまうのだが、『アシッド・ブラス』やクラインガルテンでのデラーの息の長い活動は、展覧会やアート作品の枠組みを横断しながら、それらを超えて、参加者側がその試みに自発的に参加し、ともに作り上げていると言えるだろう。また通常は、展覧会での発表が作品の最終的な完成形だと見なされがちな参加型作品だが、このように長期のプロジェクトでは、どこまで(いつまで)参加すれば、その作品が完成したと言えるのか、どこからどこまでが「作品」なのか、という問いを図らずも投げかけている。

「作品」は誰のものなのか

 さて、ここでいま一度考えたいのは、こうした協働制作などを伴う参加型作品は誰のものなのか、またどこまでが作家の手によるもので、どこからが参加者の手によるものなのか、というギモンである。それを考えるうえで、2000年にロンドン北部の小学校の児童がイギリス人アーティストのトレイシー・エミンと作った作品をめぐるエピソードを1つ紹介したい。この作品は、ロンドン北部と東部にある教会や礼拝堂などの宗教施設でおこなわれた「聖なるところにあるアート(Art in Sacred Spaces)」という著名な現代美術作家12人によるグループ展の一環として展示されたものだった。エミンは、小学校の8歳児12人に「美しいと思うものを教えて」というテーマで、言葉を募るワークショップをおこなった。そして「木」「日の出」「イルカ」「おばあちゃん」などの単語をつづったフェルトの文字が、子どもたちが持ち寄ったカラフルな端切れに子どもたち自身の手によって縫い付けられていった。最終的には、こうして制作したパッチワークでできたキルトを、地元の教会の祭壇に1週間展示した。ここまでは、よくある地元の子どもたちとのワークショップで協働制作された作品の話で、普段は自らのプライベートを暴くようなスキャンダラスな作品で知られるエミンの別の一面を見せるプロジェクトで終わるはずだった。だが、話はこれで終わらなかった。展覧会から約4年たった04年に、この作品をめぐる騒動が起きたのだ。作品を保管していた小学校が、この作品を長期間、安全かつ劣化しない形で保管するための方策として、アクリル製の展示ケースを製作してはどうかと見積もったところ、4,000ポンドかかるとわかった。そのような費用を捻出することが難しいと判断した学校が、苦肉の策として、同作品を競売にかけて、その売り上げ(3万ポンドから3万5,000ポンド相当の見込み)を同校の芸術棟を充実させるために有効活用しようとした。だが、オークションハウスで有名なサザビーズは、この作品をまずはエミン本人が自身の作品だと認めないかぎり、作品の価値は端切れ代程度にしかならない、と学校側に伝えた。これに対してエミンは、もし作品を競売にかけるのであれば、それを自分の作品だと認めることを拒否するばかりか、作品の返還も求めると言い出す騒ぎになった。最終的にはこの騒ぎの顛末は、展示ケースのための費用4,000ポンドをエミンが負担する、ということで決着がついた(6)。作品を実際に00年に制作したときには、エミンがコンセプトを考え、子どもたちとのワークショップにも立ち会い、エミンが参加するグループ展の一環として展示された。だが、このキルト作品が「トレイシー・エミンの作品」として、いざ評価額をつけるとなったとき、それは純粋に作家の作品と言えるのか、それとも協働制作者である子どもたちもまた作家と言えるのか、また作った作品は一体誰のものなのか、という作家と作品の曖昧な関係性を図らずも明るみに出すことになった。一口に「協働制作」と言っても、参加している側の作品への作り手としての意識や作品に対する思い入れ、そして作家自身の参加者や作品に対する考え方は、作家によって一律ではないし、同じ作家による同じ枠組みで実施されたプロジェクトであっても、関わる人々が変われば異なってくるかもしれない。ここで「作品」の作り手についての考察をもう一歩進めていくうえで、エミンのプロジェクトとは全く異なる参加型アートを実践している、藤浩志の「かえっこ/Kaekko」を紹介したい。

システムとしての「作品」

「かえっこ」は、藤浩志が2000年から始めたプロジェクトの総称で、家庭で不要になったおもちゃを交換するという仕組みそのものを作品化した、いわばシステム型の作品である。もともとは1997年頃に藤の家で生じたゴミ出し問題に端を発し、家庭内でゴミを排出せずに、ゴミを再利用して表現行為に転換する「家庭内ゴミゼロエミッション」プロジェクトが「かえっこ」へと繋がった。そこから2000年の福岡アジア美術館での開館1周年イベントの一環として開催されたアーティストフリーマーケットに、藤が自身の子どもたちと出店したことがきっかけになり、その後、子ども向けのワークショップとして国内外の美術館やアートプロジェクトの場で「かえっこバザール」などの名称で盛んに開催されるようになった。そのなかで、交換したおもちゃがかえっこバンクで「カエルポイント」として発行され、その貯まったポイントで気に入ったおもちゃを購入したり、オークションをおこなったりする仕組みが生まれた。また、おもちゃをもってこなくても、スタッフとして「かえっこ」の運営を手伝ったり、ワークショップの活動に参加するとカエルポイントがもらえるなど、おもちゃの交換をめぐってさまざまな活動が誘発される仕組みが整えられていった(7)。のちにこのシステムそのものを「Kaekko」というローマ字で藤は使い分けている。ここで注目したいのは、この「かえっこ/Kaekko」が、瞬く間に美術館やアートプロジェクトでおこなわれるアーティスト藤浩志のワークショップ型プロジェクトから、誰でも開催できるシステム型プロジェクトとして広まり、環境問題に関心があるNPOや子育て支援グループ、街づくりの関係者など、従来のアートに従事する層とは異なる団体などがこぞって開催するようになったことだ。「かえっこ」を開催するにあたっては、藤の妻である藤容子が担当するかえっこ事務局に連絡をすると、開催情報のウェブ掲載などの広報協力を受けることができるほか、カエルポイントを押すためのカエルスタンプやかえっこカードなどの開催に必要なツール、最初のおもちゃの貸し出しなどを受けることができる。だが、ここで「かえっこ」がほかの参加型作品と大きく異なる特徴的な点は、「かえっこ」の開催の規模や目的は、主催者の裁量に任されているということだ。つまり「Kaekko」は、システムとして誰でも使えるようになっていて、そこにはもはやアーティスト藤浩志の名前は登場しない。私も当初は「かえっこ」を藤のワークショップ型プロジェクトとして認識して、実際に美術館やアートプロジェクトの現場で開催された「かえっこ」を見てきたのだが、ある日、ローカルのニュース番組で「かえっこ」が取り上げられていたのを目にして、ちょっとしたショックを受けた。その番組では、とあるNPO団体(子育て支援系だったか、街づくり系だったかは記憶が定かではないが)の女性の主宰者が、「かえっこ」を開催していて、その活動について生き生きとした口調で語っている様子が取材されていた。そこに映る映像は、以前、藤のプロジェクトとして見ていた「かえっこ」そのものだった。おもちゃを交換する仕組みや、カエルポイント、運営をお手伝いする子どもたちなどが、レポーターにより「市民による素敵な取り組み」風に紹介されていた。だが、ニュースレポートはそこで完結し、それがもともとは藤浩志の発案だったことや、アート作品であることなどには全く言及がなく、当時、「え、これって藤さんの作品だよね? 著作権、大丈夫なの?!」とあらぬ心配をしてしまったことを覚えている。藤は「かえっこ」について次のように述べている。「《かえっこ》は最初から「仕組み」の表現作品だと考えていました。使う人がコンセプトやプログラムを決めることでどんどん変わっていくタイプの作品です(8)」。さらに藤は、このシステムとしての「Kaekko」をそこで終わりにせず、それを利用して『Happy Paradies(ハッピーパラダイズ)』というインスタレーション作品として再び一つの形ある「作品」として引き戻す作業をおこなっている(9)。『Happy Paradies』は、マクドナルドの子ども向けのおもちゃ付きセットで知られる「ハッピーセット」でもらえるおもちゃと、それに類似したおもちゃ約14,000個、おもちゃの一部や破片約250個、おもちゃで作られた『夢の鳥』や『Toys Saurus』などの複数のオブジェからなるインスタレーション作品である。これらの素材になった大量のおもちゃは、全国で開催される「かえっこ」事業の終了後に残ったおもちゃが返却される過程で、次の「かえっこ」へと循環して活用されることがない、いわば「子どもたちでさえ不要と思うおもちゃ」である。それらを色や形、大きさ、キャラクターなどによって数百種類に分類し、インスタレーション作品の素材として用いている(10)。さらにこの作品を展示する際には、「美術大学の学生との関係を尊重し、同じような、あるいは理想的にはもっと若い、まだ感性が柔らかい状態の学生」が、作家の指示どおりではなく、「自らの感性と意志で自由に並べること」を重視している(11)。このように「Kaekko」から派生した『Happy Paradies』もまた、形ある「作品」でありながらも、複数の他者の手による開かれた展示のシステムを提供している作品になっている。エミンの作品で争点になった協働制作による作品の「作家性」は、藤の「Kaekko」や『Happy Paradies』では軽やかに解体されてしまい、物理的なモノではなく、システムそのものに宿る。藤のこのような実践は、小説などの文学作品の作者と読者の関係を想起させる。小説などの作品を書くのは作者だが、その作品をめぐる多様な解釈は、実際に作品を読む読者一人ひとりの手に委ねられていて、作者自身の作品に込めた意図に必ずしも縛られることはない。ここで参加型アートにおける作家についての考えを深めるための手がかりとして、文学作品での作者と読者の関係をめぐる議論を少しのぞいてみよう。

参加型アートの「作者」とは?

 文学作品などの「作者」については、1960年代のフランスで、ロラン・バルトが『作者の死』(1968年)、ミシェル・フーコーが『作者とは何か?』(1969年)と相次いで論考を発表している。なかでもバルトは、「作者の死」という象徴的な言葉で、テキストをめぐる作者と読者の関係について論じていて、その考え方はアートの理論にも大きな影響を与えている。バルトは、「一遍のテクストは、いくつもの文化からやって来る多元的なエクリチュール〔引用注:「書かれた言葉」〕によって構成され(12)」た「引用の織物である(13)」と言う。そしてこの多元的なエクリチュールによって織物のように編まれた作品の「多元性が収斂する場」は、「作者ではなく、読者である」とし、次のように結論づける。「読者の誕生は、『作者』の死によってあがなわれなければならないのだ(14)」。つまり、作者が書いた織物のようなものである作品は、作者の手を離れて、読者によって自由に解釈されていくというのだ。それまで作者というのは、作品の意図や解釈を支配する神のような存在と思われていた。だがバルトの「作者の死」は、作者ではなく、作品の受け手である読者がその作品を読む行為によってそれぞれの意味を見いだすと説く。これは、従来の作者と作品の関係性を根本から問い直すような考え方だ。それは、まるで美術作品の唯一の作り手とされてきたアーティストと作品の関係性が、参加型アートの台頭によって揺らぐさまと呼応しているかのようだ。例えば、先に見た藤の「Kaekko」システムは、参加者・鑑賞者によって藤浩志という一人のアーティストの手から離れて、自由に運用され、享受されている。だが、このことは、「Kaekko」というシステム型作品を生み出した藤自身の存在を完全に消し去ってしまうわけではない。
 バルトが言う「作者の死」に対して、フーコーは作者について、実在するものとして異を唱えている。ただし、ある一冊の書物を記した一個人としての作者、という存在としてではなく、作者というものが果たす「機能」に着目し、作家と作品の関係性をさまざまな角度から分析している。例えば、ジークムント・フロイトというのは単に『夢判断』という本の作者であるだけではなく精神分析学の創始者であり、それによって精神分析に関するさまざまなテキスト、概念、仮説などの言説を生み出す機能をもっている(15)、と説く。フーコーは、「機能としての作者」は、「言説の世界を取りかこみ、限定し、分節する法的制度的システムと結びつく」と言う。そしてそれは、時代や文明の形態によって「一律に同じ仕方で作用するものではない」と指摘している。さらにフーコーは、こうして生まれた言説は、それを生み出した「ある現実の個人」に帰属させるのではなく、「複数の立場=主体を同時に成立させることができる(17)」と述べている。美術作品に当てはめて考えてみると、バルトやフーコーの「作者」と「作品」をめぐる論考は、参加型アートにおいて、非常に興味深い視点を与えてくれる。作家と鑑賞者が、それぞれ作品の「作り手」と「受け手」としてはっきりと分断されていた従来の作品と異なり、参加型アートの場合、鑑賞者も書き手になり、織物のように作品を作り出していく。ただしそこで作者はバルトが言うような「死」を迎えるのではなく、フーコーが言うように作者も鑑賞者も複数の作り手になり、多元的・主体的に作品を形成していく。それぞれの作家の作品は、もともとは作家の個人的な原体験などから着想を得て、生まれているが(リクリットの祖母の家での料理、リーの夜行列車での体験など)、それが参加者を招くことで、それぞれの参加者個人の体験や経験などと重なり合いながら、「作品」になっていく。そういった意味では、「作品」は作家一人のものではないが、作家自身の存在を否定するものでもないと言えよう。そしてフーコーが言うようにこうして生まれた「作家」や「作品」をめぐる言説は、それを取り巻く社会的なシステムと結び付いていて、その背景になる時代や文化によって、多様な姿を見せている。

参加型アートでのキュレーターの役割

 これまで協働制作を伴う参加型の作品における、作家と参加者・鑑賞者の関係について見てきたが、ここで少し視点を変えて、こうした作品でのキュレーターの役割についても考えてみよう。先に紹介したデラーのような実践は、ソーシャリー・エンゲージド・アート(社会的な参加を伴うアート)という枠組みで論じられることも多い。ソーシャリー・エンゲージド・アートというカタカナの用語は、特に2000年代になって日本でも使われる機会が増えてきた。これらの多くは、美術館のなかではなく地域のコミュニティなどで実践され、ときにその地域が抱える社会的な問題を解決するための手立て、あるいはそうした問題をあぶり出すためのツールとして、アートの手法を使っていることが多い。イギリスの美術史家クレア・ビショップは、こうしたソーシャリー・エンゲージド・アートの実践を著書『人工地獄』で、美術史や美術批評に照らし合わせながら、パフォーマンス、演劇、美術教育なども含めた幅広い参加型の実践を、多数のアーティストや参加者たちへのインタビューなどを交えながら多角的な視点から紹介し、分析を試みた。そこで彼女はキュレーターの役割について、次のような重要な指摘をしている。「各プロジェクトに責任を持ち、ときに――しばしばアーティスト以上に――一部始終に立ち会う唯一の存在となるキュレーターの手に、参加型アートの主な語り手としての権利が委ねられる」。ビショップは、そうした「キュレーターたちの語りにおいて、批評的な客観性が排されていること」に失望し、そのことが彼女の研究の重要なモチベーションになったと述べている。ビショップが言うとおり、プロジェクト全体を把握しているキュレーターや、それについてキュレーターの言葉を頼りに研究・批評する者にとって、特に「プロジェクトの中心要素に人間関係の形成があり、それが特定の主体によるリサーチに否応なく影響を与えてくるような場合」に「かかわりが深まるほど、客観的で居づらくなる(18)」ことは確かだ。こうした状況に対して、ビショップは美術史家としての立場からあくまでも客観的に分析を試みるが、そもそも、参加型プロジェクトで、当事者としてのキュレーターが参加者、アーティストとともに人間関係を形成していくのは、ある意味必然的な結果であり、逆にそうした人間関係が形成されなければ、しばしば長期にわたるプロジェクトを遂行することは不可能になるだろう。そのプロセスのなかで、キュレーターは、そのプロジェクトの推進者、アーティストや参加者の伴走者であることが求められる。同時に、最終的にはその結果を展覧会やアートプロジェクト、あるいはカタログや報告書として外に向けて発信していく役割も担う。そこでビショップが言うような客観性をどこまで担保する必要があるかは、プロジェクトの目的や、対象にする観客によっても異なってくるだろう。ここで最後に参加型アートにおいて、こうした作品は誰のために作るのかについてあらためて考えてみたい。

「作品」は誰のために作るのか

 協働制作を伴う参加型アートで誰がその作品を享受するのか、ということを考えると、一義的には、そのプロジェクトに直接参加したある特定の個人やグループ、コミュニティの人たち、ということになるだろう。だが、それがアートの文脈で語られるとき、作品はその一義的な参加者のためだけのものにとどまらない。作品の展示やパフォーマンスのお披露目、映像上映などで、それらを鑑賞するより多くの人々が、一義的な参加者たちの体験を追体験したり、各々の記憶や体験、人生のストーリーなどと結び付けたり、重ね合わせたりしていく。もちろん、プロジェクトの協働制作を直接担った参加者と、それを展示室などで鑑賞する鑑賞者が全く同じ体験ができるわけではないだろう。それでも、一つの「作品」として展覧会の文脈で発表され、多くの人に共有され、享受されることで、最終的には、広義の「参加型作品」が成立すると言える。また参加型作品の作り手は、作家一人にとどまらず、参加者、鑑賞者も主体的にそのプロセスに関わり、キュレーターも加わって、多元的な織物のような「作品」とそれを取り巻く言説を作り上げていく。

 あらためて、「作品」とは何か、というギモンに立ち返ると、「作品」を成立させる諸条件は、作品を取り巻く環境、歴史的背景、作品制作の方法論など非常にさまざまな要素が絡み合っていることがわかる。参加型の「作品」をめぐって、作品が一人の作家により作り出され、完成し、展示されるもの、という前提から大きくはみ出していくなかで、作家と観客の間にある境界線が曖昧になっていき、アーティストとキュレーターの役割も交錯していく。従来の作品を作る人=作家、見る人=観客、作品を選んでその場を設える人=キュレーターといった構図がより有機的・複合的に絡まっていることを、これまで見てきた事例からも垣間見ることができる。本ギモンの後半では、参加型作品をめぐる作家と観客、キュレーターの関係について少し駆け足で論じたので、消化不良を起こした方もいるかもしれない。それらについては、これから続くギモンでまた別の視点を交えながら、あらためて解きほぐしていきたい。


(1)ただし、こうした工房制度スタイルは、現代美術でいまでも一部健在であり、それについては近い将来、また別の機会に論じてみたい。
(2)“LEE MINGWEI: THE SLEEPING PROJECT, 2000”(https://www.perrotin.com/artists/lee_mingwei/550/the-sleeping-project/48708)。オリジナルの作品では、交わされた会話は録音され、会場で聞くことができたようだが、近年の再制作では、ゲストが持ち込んだオブジェがナイトテーブルに置かれるだけになっている。なお、本稿に登場するリーの作品の日本語タイトルは、すべて森美術館「リー・ミンウェイとその関係」展(2014年)に掲載されているものを採用した。
(3)『アシッド・ブラス』については、BBC2で2012年2月24日に「The Culture Show」で放映された「Acid Brass: Jeremy Deller」に簡潔にまとめられている。“Acid Brass – Jeremy Deller – The Culture Show (24/02/2012),” YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=gBJxMQGYXM4
(4)“Acid Brass, 1997,” Jeremy Deller(https://www.jeremydeller.org/AcidBrass/AcidBrassMusic.php
(5)Skulptur Projekte Münster 2017カタログ、170ページ
(6)この事件については複数のイギリスメディアが報道しているが、本稿は以下のウェブサイトを参照した。“Blanket refusal,” The Guradian, March. 30, 2004(https://www.theguardian.com/artanddesign/2004/mar/30/art.schools),“Emin wants school quilt returned,” BBC News, March. 30, 2004(http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/london/3584273.stm),“Emin pays to show school’s quilt,” BBC News, April. 6, 2004(http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/london/3603787.stm
(7)「かえっこ」誕生の詳しい経緯については、「《かえっこ》から《kaekko》までトークバトル」(『「かえっこについてかたる。」――かえっこフォーラム2008記録集』所収、水戸芸術館現代美術センター、2009年)16―29ページを参照のこと。
(8)同書24ページ
(9)『Happy Paradies』についての考察は、同作品を収蔵した金沢21世紀美術館の野中祐美子による以下の論考を参照されたい。野中祐美子「藤浩志《Happy Paradies(ハッピーパラダイズ)》――拡張する作品概念」、「Я[アール]――金沢21世紀美術館研究紀要」第7号、金沢21世紀美術館、2017年、92―96ページ
(10)同論文92ページ
(11)同論文95ページ
(12)ロラン・バルト「作者の死」『物語の構造分析』花輪光訳、みすず書房、1979年、88ページ
(13)同書85―86ページ
(14)同書88―89ページ
(15)ミシェル・フーコー「作者とは何か?」『作者とは何か?』清水徹/豊崎光一訳(ミシェル・フーコー文学論集1)、哲学書房、1990年、53―55ページ
(16)同書50ページ
(17)同書50ページ
(18)クレア・ビショップ『人工地獄――現代アートと観客の政治学』大森俊克訳、フィルムアート社、2016年、20ページ

 

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第28回 公演再開! 観客の熱気と感染対策

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 一時は収まりかけた新型コロナウイルス感染が再び拡大しつつあるなか、宝塚歌劇は7月17日から本拠地の宝塚大劇場、同31日から東京宝塚劇場、8月1日からは大阪の梅田芸術劇場メインホールと3劇場での公演を約4カ月ぶりに再開しました。ところが大劇場再開後2週間、8月2日に公演関係者に体調不良が判明、急遽4日までの公演が中止になる事態が発生。検査の結果、出演者8人とスタッフ4人の計12人の感染が判明、その後さらに1人増えて8月末までの公演中止を余儀なくさせられました。一方、東京宝塚劇場の出演者にも陽性者が出て再開後わずか1週間で公演中止、新型コロナウイルスは宝塚でも猛威を振るっています。
 3月末以降、全公演を休演していた宝塚歌劇ですが、本拠地の宝塚大劇場が花組公演『はいからさんが通る』(脚本・演出:小柳奈穂子)、東京宝塚劇場が星組公演『眩耀(げんよう)の谷――舞い降りた新星』(作・演出・振付:謝珠栄)と『Ray――星の光線』(作・演出:中村一徳)、梅田芸術劇場メインホールは宙組公演『FLYING SAPA――フライング サパ』(作・演出:上田久美子)。いずれも、新型コロナウイルス感染拡大で稽古を中断、上演が延期されていた公演で、花組公演がトップスター・柚香光の本拠地お披露目、星組公演が礼真琴の東京お披露目と、どんな形であれ新たなスターの披露公演がようやく実現したことは、劇団にとってもファンにとっても喜ばしいことでした。
 7月17日、宝塚花のみちには3月時点ではまだ工事中だった新「宝塚ホテル」がオープン、大劇場初日開場に急ぐファンも思わず足を緩めてその偉容を眺めながら劇場に向かう姿がちらほら、4カ月ですっかり様変わりした花のみちに休演期間の長さがあらためてうかがえて、今回のコロナ禍の異常事態を実感させられました。
 大劇場正門前にはテレビカメラや報道陣が多数詰めかけ、駆け付けたファンに感想を聞くなど、劇場再開が社会的にも注目されていることを裏づける光景も。入場は宝塚バウホール口1カ所で、入場者全員に手指のアルコール消毒を要請、体温をチェックしてからロビーに入場というシステム。初日とあってマスク姿の関係者がやたらに目につき、全社員総動員といった感じの物々しさ。ファンクラブのチケット出しもロビー大広間ではなくエスプリホール前、開演前のロビー大広間はいつもとはずいぶん異なった緊張感あふれる雰囲気でした。
 座席は感染拡大を予防するため、1席ずつ空けての販売、舞台と客席の距離を保つために最前列も空席にし、定員2,500人の半分以下の収容とあって再開を待ちわびたファンで初日のチケットは早々に完売。劇団は再開当日のフィナーレをCSの専門チャンネルで生中継し、翌日の公演をネットで有料配信するなど遠隔地で劇場に足を運べない人のための新たな取り組みも企画してこの事態に積極的に対応しました。当面の間は団体貸し切りも受けない方針で、そのためか座席数が減っているにもかかわらず、チケットは日にちを選ばなければ十分入手可能、思いがけずゆったりと観劇できる事態になったのがちょっぴり皮肉でした。
 公演は、舞台上の三密を避けるため、演出に工夫を重ね、オーケストラの生演奏を録音に変更、フィナーレの客席降りもなくすなど、感染予防に最大限の配慮をして上演。開演前の「場内での会話は控えてください」という場内アナウンスのせいか、しーんと静まり返った客席が、ざわついたのは5分前に緞帳が上がりピンク色の文字で「はいからさんが通る」と浮き上がったとき。そして高翔みず希組長の挨拶のあと柚香光の開演アナウンスになると爆発したように大きな拍手が。いつもの半分の人数のはずですが2,500人収容のときと同じくらいのパワーでした。
 伊集院忍役でトップ披露になった柚香は、まるでマンガから抜け出たような凛々しさ・美しさ・力強さのなかに純粋さとコミカルな部分もうまく引き出され、これ以上ない適役、代表作として長く語り継がれるでしょう。ここまで役と本人が二重写しになった例はこれまで見たことがないといってもいいぐらいです。花村紅緒に扮した華優希も、3年前に比べて段違いの成長ぶり。青江冬星役の瀬戸かずや、鬼島森吾軍曹役の水美舞斗と藤枝蘭丸の聖乃あすか、花組初登場の永久輝せあと、いずれも4カ月のブランクの間にため込んだパワーを最大限に解放していたかのようでした。
 31日の東京宝塚劇場、8月1日の梅田芸術劇場での公演初日も、普段の半分の観客数にもかかわらず、再開を待ち望んだファンの熱い視線が、劇場内に独特の温かい空間を作り上げていました。それぞれの再開初日はこうして無事幕を閉じましたが、感染拡大の荒波は宝塚に容赦なく降りそそぎ、8月に入って宝塚大劇場と東京宝塚劇場で最悪の事態が起こってしまいました。さらに8月17日から開幕の予定だった彩風咲奈主演の雪組公演『炎のボレロ』(作:柴田侑宏、演出:中村暁)、『Music Revolution!――New Spirit』(作・演出:中村一徳)の出演者にも1人感染者が出てしまい、公演延期の判断が下されました。
 1日からの梅田芸術劇場メインホールでの真風涼帆主演の宙組公演『FLYING SAPA』と14日からの同シアタードラマシティ、桜木みなと主演の宙組公演『壮麗帝』(作・演出:樫畑亜依子)は予定どおりおこなわれましたが、いつまた中止になるかわからない薄氷を踏む思いの緊張感あふれる毎日の公演でした。
 入場者全員の検温とアルコール消毒、マスクの徹底など劇場側の対応に加えて、これからの舞台が無事開幕できるように観客側も各自責任をもって予防を徹底、両者で安心して楽しめる空間を作り上げることがさらに必要になってくるでしょう。
 我が『宝塚イズム42』も、宝塚歌劇の公演再開とともに、12月発行を目指して動き始めようとしています。公演スケジュールの大幅な見直しがあり、雪組・月組の退団公演が先送りになることなどから特集をどうするか、これから検討することになりますが、新型コロナウイルス感染拡大のなか、宝塚歌劇の魅力をどうお伝えできるか、知恵を絞りたいと思っています。ご期待ください。

 

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絵本と、いつもうまく書けなかったある夏のこと――『絵本で世界を学ぼう!』を書いて

柏原寛一

 夏のあいだ、図書館の仕事のあとはいつも同じ店に入って、(大したものを注文もせず)くる日もくる日も絵本を読んだ。112冊(当初)の一つひとつに紹介文を書くつもりだった。ぼくの計算したところによると、1日5冊ずつ書いていかなければ、締め切りには間に合わない。絵本を詰め込んだリュックは重たかった。

 子どものための図書館で働き、子どもたちが絵本を選び、とびらを開くところにふれ、また、子どもの本に向き合う図書館員らと過ごしているうちに、ぼくにとって絵本は特別なひかりを帯びていった。美しく、清潔で、強いひかりだ。手軽に語ることをためらわせるような。
(いつもうまく言い表すことができないのだけれど)絵本はけっして「かんたん(イージー)」なものでなく、一人ひとりの作家によるかけがえのない厳しさ、優しさをもってつくられる。ぼくは、そう思っている。

 どんなものごとも、ほんとうに言い切ってしまうのは難しい。たとえば土とかコップのために、わたしたちはどんなふうに言い切ることができるのだろう。
 はじめに取りかかる絵本について、ひと文字も書きだすことができなかった。この仕事の途方のなさに気がつき、息苦しくなる感じがした。いったい何を書けばいいのだろう。あらすじ? もし、正しくその物語を表そうとするなら、そのまま書き写すほかないじゃないか。
 書けないとわかると、(この気持ちを説明することは難しいのだが)読むことができていない、と感じるようになった。きわめて後ろめたかった。
 ああ、今夜もちっとも進まなかった。こんなことに手をつけていいのだろうか……。
 そういう何日かが過ぎて、ぼくは少しずつ書くようになった。あるいは、いくつかの初々しい情熱を手放してしまったかもしれない。しかし、とにかく、ぼくは書き始めた。その絵本がどのような作品であるか(自分なりに)読み取り、そのあとで、自分が感じたことをそっと書きつけた。仕事のあとはいつもの店に行き、休みの日は大きな図書館にかよった。
 ぐん、と重たいリュックをかついだ夏の夜の帰り道、その昼その夜に読んだ絵本のことを考えて歩いた。またうまく書けなかった、と思いながら、あくる日に読む作品のことを思い浮かべた。何かに追い立てられるような、何かに立ち向かうような、ちぐはぐな気分だった。苦しくも、りんりんと勇気がわくようでもあった。

 図書館に勤めた日々、子どものための本と付き合う日々は、ぼくをいくらか偏った大人にしたかもしれないが、そのことを大切にしていたいと思う。むちゃくちゃな絵本、ちょっと変わった図書館員、子どもたち。ぼくはきみたちのことが好きだ。
 引き返しができない目つきでそれぞれの作品に向かい、それらに宛ててけんめいに書きたいと思った。せめて、そのようでなければ、一人ひとりの作家、翻訳者の仕事には近寄れないはずだから。
 ほかのブックリストがどのように編まれるものか、ぼくは知らない。おそらく、こんなふうにはだれも考えていないだろう。
 とはいえ、ぼくは、風変わりなものを書こうと考えていたわけではない。一つひとつの絵本について、誤りなく、だれにとってもわかりやすい紹介文であるように心がけた。夏につくった下書きのうち、あまりに熱っぽいところはそのあと数カ月をかけて取り去った。

 本書の刷り上がりと店頭に並ぶまでの10日ばかりに、この文章を書いてしまおうと思っていた。でも、うまく書きだすことができなかった。今夜こそ、と入る新しい喫茶店の席は空いておらず、結局いつもの店に向かう交差点で信号を眺めて立ち止まるとき、こんなことがあったよな、と思う。雨上がりの夕方はひどく蒸し暑い。そうだ、一つ前の夏のあいだも、汗をかき、どちらかと言えばうつむいて、絵本を背負い、ぼくはこの信号が変わるのを待っていた。

 

第3回 ミステリー・キャラクター・数学の固有性――『容疑者Xの献身』から『浜村渚の計算ノート』へ

西貝 怜

 現代の小説群は、キャラクターに代表されるように、新たな形質を取り入れその取捨選択を繰り返し、まるで進化の途中である。特にミステリー小説は、推理のあり方をいまも重要視しながら、キャラクターを導入することで新たな様相を獲得している。ならば、この推理におけるキャラクターの機能の一端を示せれば、現代の「小説の生存戦略」の理解も深まるだろう。

はじめに

 ミステリー小説といえば、作中で何か事件が発生してその犯人や謎の真相を探偵が推理によって明らかにする、というのが多くの作品に共通するスタイルである。しかし城平京『虚構推理(1)』(2011年)は、一見してミステリーとは思えないような事件の解決方法を描いている。妖怪が事件の一部始終を見ていて探偵にその真相を伝えたり、その探偵が殺人事件を沈静化するために嘘をついたりしている。このような事件へのアプローチの何がミステリーなのか。
 諸岡卓真は、『虚構推理』では嘘で事件を解決するという点で推理での「真実の追究」が後退することになっているが、そのために事件を解決するための様々なアプローチとしての推理の楽しさを描いていると述べている(2)。この『虚構推理』の推理のあり方について拙稿ではさらに考察を進め、罪を犯し謎を作り出す犯罪者と、本来は真実を探求することで立場を異にするはずの探偵が嘘を重ねるという点で接近してしまう倫理的問題を抱えている、と指摘した(3)。
 このような「変革」や「奇想」などと呼ばれるような事件への独特なアプローチを中心に、近年ではミステリー小説の多様性が大きくなっている。そのような様相は、キャラクターの描き方とも関連深い。たとえば『虚構推理』で主人公の2人は、不死者で都合のいい未来を選択できる能力を持つ青年と妖怪らの神となった女子高生である。この強いキャラクター性を持つ2人があってこそ、以上のような解釈が成立する。しかし、ミステリーでのキャラクターの機能についての言及は多いとは言えない状況である。
 そこで本稿では、数学の描かれ方に着目して、ミステリー小説でのキャラクターの機能の一端を示してみたい。数学を扱う理由は、以下の2点である。
 数学はその強い客観性から、ミステリーで真実を明らかにする道具として利用されやすい。しかし数学者という生き方があるように、数学はただの道具ではなく、人間のあり方に密接に関わっている。ならばミステリー小説での数学を考えることは、作品内の登場人物のあり方の考察にもつながるというのが1点目。2点目は、東野圭吾『容疑者Xの献身(4)』(2005年)と青柳碧人『浜村渚の計算ノート』所収「log.10『ぬり絵をやめさせる(5)』」(以下、「ぬり絵」と略記)がともに4色問題を扱っていながら、両者は大きく異なる数学と人の関係を描いているからである。特に後者はキャラクターを描いていることから、前者との比較でその機能が示すことが期待できる。
 以上から、まずは4色問題を解説しながら『容疑者Xの献身』から考える。

4色問題と後退する数学の固有性

 世界地図であれ日本地図であれ、はたまた架空の世界の地図であれ、平面に描かれたありとあらゆる地図を塗り分ける。隣り合った領域を同じ色にしてはいけない。このとき、地図を塗り分けるのに必要な色は、最小で4色であるか否か。これを検討するのが4色問題である。
 1976年のケネス・アッペルとヴォルフガング・ハーケンによる4色問題の「4色で塗り分けられる」という証明は、計算を機械におこなわせた複雑なものだった。その後、例えば2004年にもジョルジュ・ゴンティエがより簡潔に、機械を用いた4色問題の証明を発表している。このように4色問題については、これまで複数の報告が「4色で塗り分けられる」と主張している(6)。それにもかかわらずいまだ4色問題が検討されている理由の一つに、美しさの問題がある。そしてその一端を『容疑者Xの献身』は見事に描いている。
『容疑者Xの献身』では、石神という数学教師が、人を殺めてしまった母娘を庇い、罪を逃れられるように奔走する。探偵役は、石神と大学時代からの友人である物理学専攻の大学准教授の湯川である。この2人についての学生時代の回想シーンで、石神は4色問題の証明を手作業で試みている。湯川はアッペルとハーケンによって機械を用いて4色問題が証明されたことについて言及する。すると石神はその証明を「美しくない」と述べる。湯川はそんな石神を「エルデシュ信者」と称する。
 ポール・エルデシュは美しさを意識した数学研究をおこなっていたとして、たびたび数学の美しさを述べる際に言及される数学者である。この数学の美しさというのを一言で述べるのは難しい。ただ、4色問題ではその証明での美のあり方ははっきりしている。4色問題は、地図を塗り分けるという具体的なイメージを喚起させるものでありながら、いまだ機械に頼るという証明方法しかなされていない。この証明は、人間の具体的なイメージが介在する余地がない複雑な計算によるものなので、美しくないのである。この現状を踏まえ、「エルデシュ信者」として石神が人間の実感を伴った手作業による「美し」い4色問題の証明を志しているのだ。
『容疑者Xの献身』では、もう一場面で4色問題が登場する。のちに石神は罪を犯したその母娘を庇って逮捕され、留置所に収監される。そこでの就寝時間中に石神は、頭のなかで天井のシミを点と見なして、それらの点を結んで平面の図形を作っていくことで架空の地図を作る。石神はその図形を4色で塗り分けていくのだ。この場面で石神は、かつての自分は他者からの評価などにも悩んでいたが、数学の本質は他人と比較されるようなものでなく自分だけが理解すればよいこと、それは庇っている母娘を「美し」いと思ったことで気づけたと語る。この気づきによって自殺を思いとどまった石神は、「崇高なるものには、関われるだけで幸福」という境地に至ったとも述べる。
 石神にとって数学もその親子も「崇高」であり、その「美し」さの実感には具体的なイメージが必要である。ただ、数学にもその親子にも「関われるだけで幸福」であるために、石神は留置所でも耐えられるのである(石神はその親子のために別の罪を犯してはいるが)。より具体的に述べるならば、その親子との関係のうえで留置所に入り、そこで4色問題を「美し」く証明しようとするのではなく、その事例的問題を解くのが、作中のいまの石神の「幸福」なのである。
 4色問題で作中の過去と現在をつなぎ、石神の数学者としての内面という文学的命題が『容疑者Xの献身』では描かれている。ただ、そのためにせっかくの4色問題固有の「美し」さの問題もこの内面と結び付くことで薄れ、それは留置所内で脳内で解ける数学の問題はほかに多数あることからも言えるだろう。以上から本作では、4色問題は他の数学の問題として変換可能なものであることから、その数学としての固有性が後退しているのである。

渚というキャラクターによって保持される数学の固有性
 
『浜村渚の計算ノート』シリーズは、数学的な知見を用いてテロを実行する組織「黒い三角定規」と、女子中学生の浜村渚を含む警察グループとの戦いを主に描いている。「ぬり絵」では、「黒い三角定規」が洗脳した者らを利用して殺人事件を頻発させる。警察は当初、その事件の出現パターンが不規則に見えるために後手に回っていた。しかし渚の協力を得た警察は、「黒い三角定規」が犯人らの名前に含まれる色で市町村を色分けしていく4色問題の論理で事件を起こしていたことを突き止める。そして渚は市町村合併を提案する。その意図は地図を4色で色分けできないようにするための工作であり、それがかなえられることで「黒い三角定規」は敗北を認めて、この事件は沈静化した。
 以降もシリーズでは様々な数学上の問題も出てくるが、それはまず犯人側の論理として提示され、渚がそれを解いていくことで事件を解決していく。このミステリーという構造上、扱われる数学の問題は丁寧に説明され、その固有性は担保される。ただ、本作では、ミステリーとして謎の解明に結び付くゆえに数学のアイデンティティが強く描かれる、というだけではない。
 当初、事件の主犯格の実行犯は市町村合併が「ルール違反」と述べる。しかし、その場その場でなく先々の色分けも考えていれば市町村合併をおこなっても「黒い三角定規」による犯罪は完遂できたという渚の指摘によって、その実行犯は敗北を認める。そして事件が終わっても渚は4色問題で遊んでいる。誰よりも4色問題に渚は向き合う。そんな渚はシリーズを通して、犯罪を怖がり、同級生と遊び、苦手な科目の宿題に悩むような普通の中学生と繰り返し強調して描かれる。ただの女子中学生でしかない渚の数学への愛ゆえの真摯で具体性がある態度に、シリーズを通して警察も犯人らも感化され、魅了されていく。
 すなわち、ミステリーという構造に乗っかりながら、この渚の態度を読者に理解させるためにも、作中で数学の具体的で詳細な説明が必要なのである。強調される普通の女子中学生であるというように、渚のそのような数学をとことん追求するほどに好きというギャップのあるキャラクター性によって、『浜村渚の計算ノート』シリーズでは数学の固有性が強く表れているのである。

おわりに

 石神は犯人側、渚は探偵側という違いはある。ただ、どちらも数学を強く愛好し、それによって培った論理的能力で事件に関わっている。謎を解かせまいとする数学と、謎を解こうとする数学に、その固有性が表れる違いはそれほど大きくないはずである。石神は具体的な数学の問題を用いて事件を起こしてはいないということだけが、『容疑者Xの献身』で4色問題の固有性が薄れてしまっている原因ではないのは、先述のとおりである。数学への態度を、人間の内面に回収させるか、あるいはキャラクター性の一つにするかが、事件を追及する者としての石神と渚の大きな違いの一つである。
『浜村渚の計算ノート』シリーズのミステリーとしての構造は、『虚構推理』のように独特なものではない。しかし、渚というキャラクターを、事件を数学で解決するというわかりやすいミステリーの構造にはめ込むことによって『浜村渚の計算ノート』シリーズは、謎や事件を解決するための道具以上に数学の価値を強く描いている。ただ、人間の深い内面に触れないで、社会的役割や個人的な性質などのようにキャラクター性を示すのに数学を用いれば、数学とそれに関わる人間を縦横無尽に描けるかというと、そういうわけではない。
 たとえば王城夕紀『青の数学(7)』(2016年)では、ネット空間上での数学バトルが描かれる。そのために様々な数学の問題が提示される。ただこの作品は、主に高校生らの数学への価値観や、これに関する議論に代表されるような数学を通じた人間関係を強く描こうとしている。すなわち『青の数学』は、数学に関わる人々の青春を描くことが主眼に置かれているので、種々の数学の固有性が希薄になっている。数学好きというキャラクターをミステリーに配置する『浜村渚の計算ノート』と、青春物語に配置する『青の数学』では、数学の固有性のあり方が真逆である。
 青春、ミステリーと同様に、SFやファンタジーなどの小説のテーマ的なジャンルだけが、作中の数学の固有性を規定しないのは確かだろう。そのジャンル的な物語に、一つの内面に特化するのではなく、様々な特性を持つキャラクターが配置されることによって、数学と人との関係の描き方もより豊かになりうるのではないだろうか。『浜村渚の計算ノート』がミステリーとしては古典的でありながら、キャラクター概念を導入することで数学とミステリーの新たなあり方を示しながらも、『青の数学』のような作品もあるように。


(1)城平京『虚構推理――鋼人七瀬』(講談社ノベルス)、講談社、2011年
(2)諸岡卓真「創造する推理――城平京『虚構推理』論」、日本近代文学会編集委員会編「日本近代文学」第87巻、日本近代文学会、2012年
(3)西貝怜「ミステリと謎――『虚構推理』の正義の行方」「ジャーロ」第69号、光文社、2019年、308―313ページ
(4)東野圭吾『容疑者Xの献身』文藝春秋、2005年。なお本稿では2008年に刊行された文春文庫版を用いる。
(5)2009年に講談社birthシリーズで販売された青柳碧人『浜村渚の計算ノート』(講談社)が初出ではあるが、本稿では以下を用いる。青柳碧人「log.10『ぬり絵をやめさせる』」『浜村渚の計算ノート』(講談社文庫)、講談社、2011年、5―69ページ
(6)この4色問題の論理的な詳細や歴史について知ることができるものとして、以下を挙げておく。ロビン・ウィルソン『四色問題』茂木健一郎訳(新潮文庫)、新潮社、2013年
(7)王城夕紀『青の数学』(新潮文庫nex)、新潮社、2016年

 


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第2回 なろう作家のひとりごと

山口直彦

「活字離れ」「出版不況」が叫ばれて久しい書籍業界だが、いま「なろう系」と呼ばれるジャンルが活況を呈している。
 縛りが少なく、斬新なアイデアを盛り込めることが大きなメリットだったが、作品が増えるにつれて新たな問題点も見えつつある。
 本稿は、とある「なろう系」作家が投稿した、一風変わった短篇作品を取り上げ、「なろう系」が露呈している問題点を議論する。

はじめに――小説書き(アマチュア)が作家になる話

 Webサイト「小説家になろう(1)」(以下、「小なろ」と略記)は株式会社ヒナプロジェクトが運営する小説投稿サイトである。作品投稿・閲覧は誰でも無料でおこなうことができ、ジャンルもほぼ問わない(2)。投稿者・読者の双方に使い勝手がよかったことから人気に火がつき、投稿作品数は約79万作品(3)。SimilarWebが分析・公開している日本の上位Webサイトランキングによれば、「小なろ」のアクセス数は第15位(4)。登録ユーザ数は約176万人(5)、ユニークユーザーが約1,400万人、月間約20億PV(6)(7)にもなり、小説投稿専門のサイトとしては名実ともに日本最大のWebサイトと言える。
 もともとは純粋にアマチュアの創作活動拠点として機能していたが、「小なろ」に投稿された作品が出版社に見いだされて商業出版されるようになり、なかでも「なろう系」と俗称される人気作品群が出現し、ある種のジャンルとして確立するようになった(8)。そのため現在では作家デビューしたい人の登竜門としての機能も実質的に果たすようになっている。

投稿したら流れていった件

「小なろ」には毎日膨大な量の作品が投稿される。一例として2019年12月25日に新規投稿された短篇小説を検索して作品数と文字数を集計してみると、136作品39万2,855文字という結果になった(9)。これは文庫本換算で約4冊分に相当し、毎分500字のペースで読み続けても読み終えるまで13時間かかる。短篇だけではなく、連載小説も含めればさらに膨大な量の作品が「小なろ」に投稿されていて、到底すべてを読み終えられる量ではない。作品を投稿すれば、その瞬間《だけ》は、トップページの新着作品欄に載るが、次から次へと作品が投稿されるため、すぐに新着作品欄からは見えなくなってしまう。
 この状況では、単純に作品がうまいとか面白いだけで作品は評価されない。作家デビューを夢見て「小なろ」に作品を投稿する作者は、まず「いかにして自分の作品を埋もれさせずに読者の目に触れさせられるか」が最初の難関となる。読者を獲得し、高評価を得られればランキングに掲載される。ランキングの上位10作品に入ればトップページに掲載されるため、新規ユーザの目に留まりやすくなり、さらに読者が増える好循環が始まる。この〈自分の作品をランキングに掲載させねばならないプレッシャー〉をいかに乗り越えるかが作者の死活問題になっている。

なろう系作家の下剋上

『無職転生――異世界行ったら本気だす』は、2012年から15年にかけて作者「理不尽な孫の手」が「小なろ」に連載(10)した作品である。14年に商業出版(11)されて『このライトノベルがすごい!2015』に初出(12)、『このライトノベルがすごい!2017』では単行本・ノベルズ部門第4位を記録している(13)。出版後すぐに漫画化されて現在も連載中のほか、20年にはテレビアニメ放映も決定されているなど、「なろう系」作品のなかでも特にヒットした作品として知られている。
 同作者が「小なろ」に投稿している作品のなかに、『小説投稿サイトでランキング一位を取らないと出られない部屋』(以下、『出られない部屋』と略記)という異色の作品がある。
 本作には以下のような紹介文が付されている。

 目覚めると、真っ白い部屋にいた。
 部屋に一台だけあるパソコンのディスプレイには、こう表示されていた。
【この部屋は、小説投稿サイト『小説を書こう』のランキングで一位にならなければ出られない】
 これは、何もない部屋に閉じ込められた男の、地獄の投稿生活を綴ったものである(14)。

 作中ではサイト名が「小説を書こう」という架空の名称になっているが、これが「小なろ」と重なる存在であることは明白だろう。『出られない部屋』は作家を目指して「小なろ」に作品を投稿する人が背負っている〈自分の作品をランキングに掲載させねばならないプレッシャー〉を、条件をクリアしないかぎり閉鎖空間から脱出することができずタイムループを繰り返すという〈脱出ゲームのプレッシャー〉に置き換えることでエンターテインメント小説に仕立てている。なろう系作家の姿をなろう系作家が書く「メタ〈なろう系〉小説」ととらえることもできるし、実際に「小なろ」で成功した作者による「ノンフィクション小説」あるいは「ルポルタージュ」ともとらえられる。エンターテインメント性を持たせるために多少の誇張も含まれるが、まったく素人の状態からループを繰り返しながらノウハウを学び、段階的に成長していく様子を見ていくと、なろう系作家を目指す人のための「教科書」にも見えてくる作品である。
 例えば『出られない部屋』の「L4」(4回目のループ)では、どれほど優れた作品であっても、投稿ペースや投稿の時間を考えないと評価に結び付かないことを主人公は学んでいる。たとえ投稿前に作品を完成まで書き溜めてあったとしても、一度にまとめて投稿すると評価に結び付かない。あえて章を小分けにして、1日につき1、2章のペースで投稿したほうが全体の評価は伸びることを、主人公は試行錯誤と分析によって学ぶ。また、連作作品の新章を投稿すると、トップページの「更新された連載中小説」に掲載される。これは初見の読者に興味を持ってもらうためには貴重な機会だが、掲載される作品数が決まっているため、後から別の作品が投稿されればすぐに流され消えてしまう。このチャンスを生かすためには「人が多く集まる時間に投稿すること」「毎正時は予約投稿機能により投稿者が一気に増えてすぐ表示が流れてしまうため、あえて手動投稿で自動投稿が落ち着いた1分後を狙って投稿する」というノウハウ(15)を学ぶ。

作者無双――小説家、業界で生き残るために歩む道

「小なろ」を通じて自分の作品をたくさんの人に見てもらおうと思う投稿者、特に「小なろ」を通じて作家デビューを目指す投稿者にとっては、「いい(=読者に受け入れられ評価される)作品」を書くことは必要条件ではあるが、必要十分条件にはならない。いい作品を書いたうえで、さらに「作品を読者に伝える工夫」を尽くすことが求められる。そこに必要なのは文学論でも創作技術でもなく、マーケティングと営業とSEO(16)のノウハウである。だから『出られない部屋』のなかで主人公が学ぶノウハウに、小説の内容に関わるノウハウ――すなわちストーリー構成やキャラクターの設計・描き分けなど――に関するものはほとんどない。代わりに主人公が学ぶのはほぼ一貫して「いかに作品を読者に届けるか」のノウハウである。いわばSNO(=Shosetsukani Narou Optimization=「小説家になろう最適化」)と言えるだろう。
 純粋な気持ちで創作に取り組もうとする人にとっては、邪道な小手先芸に見えるかもしれない。しかしながら、文学賞受賞を目指して投稿作を書くにあたって、賞の傾向や審査員の好みを分析して作品に反映することを必要な努力の一つであると考えれば、『出られない部屋』で主人公が会得するノウハウもその延長線上にある。なぜならば〈一般読者〉と〈審査員〉の間に明確な線引きがある従来の文学賞と異なり、インターネットの世界では〈一般読者〉こそが重要な〈一次審査員〉の役割を果たしているからである。ケアレスミスで一次審査に落ちることがないように文学賞投稿者が推敲を重ねるのと同じ理屈で、作品を読者に届ける努力と工夫がなろう系作家には求められているのである。
「小なろ」に限らず、インターネット上で自分の作品や各種の情報を公開することは、多少の知識さえあれば誰でも無料で簡単におこなうことができる。かつてはパソコンや通信回線などに初期投資をおこなうというハードルがあったが、もはやほとんどの国民が1人1台のスマホや携帯電話を持ち、自宅でも学校でも職場でもパソコンがあふれている現代ではもはや初期投資のうちに入らないだろう。
 しかしインターネット上の作品を他者の目に触れ「させ」、読んで「もらい」、評価に結び付けるためには、創作とはまた異なる次元の努力が求められる。いい作品であれば他者の目に触れ「る」、読んでもらえ「る」ような牧歌的な状況ではないのだ。

なろう作家のひとりごと

「小なろ」という開かれた場から、誰でも創作活動を楽しみ、世に公開できるようなインフラが整ったこと、そしてそのうえで創作活動が花開いていることは素晴らしいことだが、同時に弊害も生じていることに目を向けなければならない。
『出られない部屋』ではストーリーの都合上、小説投稿サイト以外のWebサイトにアクセスできないことになっているが、実際には「小なろ」の外部でも作者や作品に興味を持ってもらうための行動が必要である。例えば一般的なSEOに相当する行為や、SNS(「Twitter」や「Facebook」など)での露出などがある。従前の商業作家であれば出版社や編集や雑誌や新聞広告や書評が担ってくれた部分を、現在のなろう作家はすべて自分で引き受けることが必然的に求められていて、下手すれば創作活動以上の時間と手間を費やさなければならないという本末転倒な状況さえ起こりうる。
 また大橋崇行の論考(17)で詳しく解説されているとおり、現在「なろう系」とくくられる作品は、ほとんどが「異世界モノ」に偏っている。これは異世界モノに注目が集まったことで類似の作品を求める読者の要求、読者の要求に応えなければならない作者、この機会に類似作品を書いてみようと思う新規参入者の相互作用によって、加速度的に進んでいる現象である(ちなみに、異世界モノの前には特定職業に着目した作品群〔職業もの〕のブームがあり、同様に多数の派生作品を生み出した)。出版社は「小なろ」で評価が高い作品から刊行するため、商業デビューを目指す作家がさらに偏りを増長させる。「小なろ」そのものはあらゆるジャンルに開かれた場であるにもかかわらず、「なろう系」として評価されるためにはブームにうまく追従して作品を作るか、わずかな望みにかけて新たな鉱脈を掘り当てるしかない。むしろ「なろう系」が足枷になって作品の自由度が低くなってしまっている面があり、ジャンルの深み・厚みがなかなか育たない状況になってしまっている(定められた様式のなかで創意工夫を楽しむ、定型詩的なあるいは様式美的な楽しみ方があることは否定しない)。

おわりに――出版社のお仕事 in ネット社会

 本稿では、理不尽な孫の手『小説投稿サイトでランキング一位を取らないと出られない部屋』を紹介しながら、同作から垣間見える「なろう系」作家の見えざる努力と「なろう系」作品の問題点について述べた。
 インターネットや「小なろ」などの各種Webサイトといったインフラが整備されたことで、誰もが創作者として作品を発表し、消費できる環境が整ったことは文化的に大きな意義がある。その一方で、出版社が〈「小なろ」で人気の作品=売れる作品〉というと安易に結び付ける仕組みを作ってしまうと、せっかくの開かれた創作の場が有効に機能しなくなってしまいかねない。
 出版社には、「小なろ」でヒットした作品や作者を一本釣りして刊行するだけでなく、隠れて目立たない作品や風変わりだが個性のある作品を丁寧に拾い上げ、磨いて、整えて、世に送り出すという本来の仕事も忘れないでもらいたい。書籍の文化とインターネットの文化が対立するでも依存するでもなく、互いに刺激を与え合っていく関係になってほしい。


(1)「小説家になろう――みんなのための小説投稿サイト」(https://syosetu.com/)[2020年3月16日アクセス]
(2)厳密に言えば、二次創作作品は禁止(原作者許諾や著作権が切れた作品を原作にするものなど一部例外を除く)、R15作品は警告表示付きで公開、R18作品は成年向けサイトからだけ閲覧可という制限があるが、日本の法律に鑑みれば必要最小限の制限と言えるだろう。
(3)「小説掲載データ」(https://syosetu.com/index/data/)[2020年3月16日アクセス]
(4)SimilarWeb「Japan における上位ウェブサイト SimilarWeb ウェブサイトランキング」2020年2月1日最終更新(https://www.similarweb.com/ja/top-websites/japan)[2020年2月16日アクセス]
(5)前掲「小説家になろう」トップページ掲載の数値による[2019年7月20日アクセス]。
(6)KAI-YOU Premium「「小説家になろう」インタビュー――文芸に残された経済的活路」(「Vol.1 個人発サイトがエンタメ/出版業界を席巻する理由」〔https://premium.kai-you.net/article/53〕[2020年2月16日アクセス])で、2019年4月時点の情報として記載。
(7)PVはページビューの略で、ウェブサイト内の特定のページが開かれた回数を表す(ウェブサイトのアクセス統計で訪問者の多さを測る指標として最も一般的なもの)。
(8)大橋崇行「「異世界モノ」ライトノベルが、現代の「時代劇」と言えるワケ」2019年9月14日(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67125)[2020年2月16日アクセス]
(9)調査をおこなった2019年12月27日13時50分の段階で、小説種別「短編」になっている作品を新着投稿順に並べ替え、初出が19年12月27日00時00分から23時59分までの作品を集計。
(10)「無職転生――異世界行ったら本気だす」(https://ncode.syosetu.com/n9669bk/)[2020年2月16日アクセス]
(11)フジカワユカ、理不尽な孫の手原作『無職転生――異世界行ったら本気だす』第1巻(MFコミックス、フラッパーシリーズ)、KADOKAWA、2014年
(12)『このライトノベルがすごい!』編集部編『このライトノベルがすごい!2015』宝島社、2014年、168ページ
(13)『このライトノベルがすごい!』編集部編『このライトノベルがすごい!2017』宝島社、2016年、60ページ
(14)「小説投稿サイトでランキング一位を取らないと出られない部屋」(https://ncode.syosetu.com/n1077eb/)[2020年2月16日アクセス]
(15)予約投稿機能は、作品をあらかじめ登録だけしておき、指定の日時まで更新を遅らせる機能である。年月日時は指定できるが、分を指定することはできず、登録時刻の正時から順次公開される。
(16)Search Engine Optimization=「サーチエンジン最適化」。より多くウェブサイトが検索サイトの検索結果に表れるようにおこなう取り組みの総称
(17)前掲「異世界モノ」ライトノベルが、現代の「時代劇」と言えるワケ」

 


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第1回 聖地巡礼の一例――大洗と『ガールズ&パンツァー』

金木利憲

 私は『小説の生存戦略――ライトノベル・メディア・ジェンダー』(青弓社、2020年)で、「聖地巡礼」というテーマを担当した。これは小説をベースにしながら現実と接続し、作品の外に飛び出ていく行為である。聖地巡礼発生の仕組みと展開は本書中に記した。ならばこのコラムでは、巡礼をおこなう当事者としての私がどのように行動しているのか記録しておくのがいいと考えた。この意味で、本文と表裏一体をなしている。両者を読み合わせれば、より理解が深まるだろう。

はじめに

 私は本書で「聖地巡礼」というテーマを与えられ、1章を担当した。
 本書の企画は、ライトノベル研究会内で立ち上がったものだ。それが本格的に動きだした直後、テーマごとの担当者を決める会合を私は欠席してしまった。しかしながら、私自身、舞台探訪=聖地巡礼を好み、機会を作って現地訪問の旅へと出かけていることが研究会の面々に知られていたため、いわば欠席裁判でご指名を受けたのだった。
 その際の決め手は「この会にはガルパンおじさん(1)がいましたよね?」だったと聞く。
 聖地巡礼発生の仕組みと展開は本書中に記した。ならばこのコラムでは、ガルパン聖地巡礼の話を記録しておくのが筋というものではないだろうか。その前に、「ガルパン」とはなんぞや、という話をしておくことにする。
 なお、「聖地巡礼」の原義は宗教上の行為でもあるため、作品の舞台をたどる行為を指す用語としては「舞台探訪」を推奨する声もある。しかし、ここでは論考との用語統一を図り、主に「聖地巡礼」を用いる。

ガルパン概説

 ガルパンは、正式タイトルを『ガールズ&パンツァー』という。始まりはアニメ(制作:アクタス)で、テレビ版とOVA版、劇場版が2作ある。時系列順に整理しておこう。
・2012年10―12月+13年3月;テレビ版(全12話+総集篇2話)
・2014年7月:OVA版
・2015年11月:劇場版(1作目)
・2017年12月―:劇場版(2作目、全6話予定で現在2話まで上映)
 メディアミックスもおこなわれていて、小説・マンガ・ゲーム・パチスロなどを展開している。
 舞台となる世界では、戦車同士の試合が女性向けの伝統武道として「戦車道」の名で競技化され、華道や茶道と並ぶ「乙女の嗜み」として認知されている。この戦車道の全国大会で優勝を目指す女子高生たちの奮闘を描く物語である。なお、「特殊なカーボン」によって乗員たる高校生たちは保護されていて、戦車道の試合で人は死なない設定になっている。
 この作品の「聖地」と目される茨城県東茨城郡大洗町は、主人公チームが所属する架空の学校「大洗女子学園」が置かれている巨大艦船の母港としてしばしば登場していて、作中では町並みや商店、ランドマークや交通機関などがかなり忠実に描かれている。
 なかでも注目されるのが、劇場版(1作目)冒頭の、通称「大洗市街戦」と呼ばれる戦車道の模擬試合だ。ここで戦車が走り回るルートは、現実の大洗町の道路とほぼ矛盾なく一致する(2)。また、建物の様子など、町並みもかなり忠実に描かれている。
 これほど巡礼に適した作品はそう多くない。通っているうちに、聖地に加えて町の人との交流や巡礼者同士の交流も見えてきた。
 そんな大洗町のガルパン聖地巡礼の一例を紹介したい。

聖地巡礼

 2016年3月21日、友人K氏と上野駅で落ち合い、8時半の常磐線特急ひたちで出発。途中、水戸駅で鹿島臨海鉄道(大洗鹿島線)に乗り換え、10時13分、定刻どおり大洗駅に到着。観光案内所で巡礼マップとスタンプラリー台紙を入手(3)。
 この路線も駅も、作中に登場する。その縁もあって、キャラクターや戦車のラッピングを施した車両が2両走っている。また、月替わりでキャラクターイラストを刷り込んだ記念乗車券・入場券を発行するなど、ファン向けのサービスも手厚い。

写真1 ラッピングトレイン

 駅前で偶然、車で来ていた共通の知人と出会い、そのまま一緒に回ることにした。今回はたっぷり時間をかけ、先述の「大洗市街戦」ルートを徒歩で回る予定でいたのだが、車のおかげで半日ですんだ。さらに、私たちよりもずっと現地情報に詳しくて、まるで「ガルパン」専門ガイドのよう。本当にありがたいことだった。
 実際に道筋をたどると、ほぼすべて矛盾なくつながることに舌を巻く。入念な検討があったのだろうと思う。大きな改変があったのは2カ所だが、これは作劇上の都合だろう。
 一周した後は、ガイドのような知人も未発見だったという「立体駐車場」を探してしばし街中を探訪するも、ついに見つからなかった(4)。
 途中の土産物屋で、自分用と頼まれものの作品グッズと通常の土産物を購入した。
 一回りするとすでに15時半。お気に入りのキャラクター(福田)の看板が設置された店で遅い昼食にする。来店特典の缶バッジとオリジナル名刺をもらう。
 17時半、知人と別れ、K氏とともに本日の宿である肴屋本店へ。この宿は、「作中で戦車に二度も突っ込まれた宿」として、ファンの間では非常に有名だ。夕食は作品に関係する「あんこう鍋」を事前予約している。実を言うと、今回の巡礼は、K氏があんこうの季節に偶然この宿を予約できたからという理由でおこなわれているのだった。

写真2 宿の外観。作中では玄関部分に二度も戦車が突っ込むことになる

 人生初にして待望のあんこう鍋は美味だった。
 宿には巡礼者が多数いて、そのうちの一部と交流し、情報交換。時折、宿の主人も話に入ってくる。
 翌日は10時にチェックアウト。その際に、イギリスで自分で撮影してきた戦車の写真を渡す。この宿に突っ込んだ型式だ。フロントに立つご主人は一目でソレとわかった様子。……たくさんのお客さまたちに教えられてきたのだろうなあ。
 この日は徒歩で市街地をめぐる。
 まずは宿近くの曲がり松商店街を歩く。すぐに、多くの店先にキャラクターの等身大POPが飾られているのが目にとまる。それもそのはず、大洗の商店街ではこれまで2回にわたり、権利者と組んで希望する店舗にキャラクターの等身大POPを配布しているのだ。なかには店主によってマフラーが巻かれたりして(いわく「寒いだろうから」)、ファンだけでなく地元の人々からも大事にされているのがよくわかる。さらに、店とファンの結び付きが強くなってきたため、その隣に店主の等身大POPさえ置かれていることもある。

写真3 等身大キャラPOP・店主POPとスタンプ台

 大洗には、現地を訪れるファンのことを「ガルパンさん」と呼ぶ人がいる。かつては不安げな響きとともに使われていたが、いまは親しげになった。作品を核にしたファンと地元の共生関係がわかる言葉だと思う。
 歩くと小腹が空いてくる。買い食いしながら散歩は続く。等身大POPがある店にはたいていそのキャラゆかりのグッズが置かれ、店員と談笑するファンが数人いる。そういった人たちと挨拶を交わし、ときに作品やキャラ愛の話に興じるのも楽しいひとときだ。
 13時10分、昼食。作中のメニュー「鉄板ナポリタン」を再現した喫茶店だ。噂に違わないボリュームだったが、おいしく完食できた。
 昼食後、町歩きを再開。
 ショッピングモール・まいわい市場でおやつを買い、興味がない人からすれば平凡なエスカレーターと広場の写真を撮る。作中では、手すりを破壊しながら戦車が降りてきて、広場の噴水でぐるぐると追いかけっこをする場所だ。

写真4 まいわい市場のエスカレーター
写真5 まいわい市場の垂れ幕。これも作中キャラ

 他にも橋やホテルなどゆかりの場所を歩き、写真を撮りながら巡っていく。気心知れた友人と検証しながらの道中は楽しい笑いがたえない。
 16時10分、大洗駅から鉄路で帰る。帰り道、作中メニューを再現したとんかつ屋に寄っていく。こちらも大ボリューム。帰宅後に乗った体重計は……まあ、言わぬが花だろう。

写真6 戦車の形を模したとんかつ

 その後、同年5月1日に、茨城県久慈郡大子町の旧上岡小学校を訪れた。劇場版(1作目)で、大洗女子学園生徒の仮住まいとなった「廃校」のモデルになった場所だ。作中だと大洗町内にあるかのように描かれるが、実際は直線で約60キロ離れている。
 コスプレ撮影のマナーで問題になり、必ずしもファンを歓迎していない雰囲気だったが、それでも作中の黒板再現などがあって印象的だった。新緑の季節で、風が気持ちよかったことが記憶に残っている。

写真7 旧上岡小学校
写真8 黒板再現

 また、同年5月23日には大洗ゴルフ倶楽部を訪問することができた。これは先方の好意によって実現したファン向けのイベントで、常時公開はしていない。劇場版(1作目)の冒頭、「大洗市街戦」の直前のシーンが目の前に浮かぶよう。これで一連の戦闘シーンの現場をすべてこの目で見て、記録できたことになる。

写真9 大洗ゴルフ倶楽部で

 同年6月18日には、北海道に用事ができたついでに、大洗―苫小牧間を結ぶフェリー・さんふらわあに乗船。劇場版(1作目)の移動シーンを押さえることができた。

写真10 さんふらわあ船内、ゲームコーナー

 これで、主要な舞台は巡り終えた。長かったような短かったような、そんな旅だった。

おわりに

 アニメ作品に大洗が登場したのは、『ガルパン』が最初ではない。名前だけではあるが、1984年2月公開の劇場作品『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(監督:押井守)に「大笑海水浴場」というダジャレとして登場する。とはいえ、本格的に街が扱われたのは『ガールズ&パンツァー』が最初だ。
 聖地巡礼研究では、『涼宮ハルヒの憂鬱』の兵庫県西宮市と、『らき☆すた』の埼玉県久喜市(旧北葛飾郡鷲宮町)がしばしば扱われるが、事例としては古い。『ガルパン』も決して新しいとは言えない事例だ。聖地巡礼でファンと地元がうまく噛み合った成功例は少ないが、新たな事例研究が始まることを願ってやまない。
 現在、新型コロナウイルス感染症の拡大防止によって、聖地巡礼は中断を余儀なくされている。また現地を訪れることができる日が一日も早く訪れるように、いまは必要以上の外出を慎む日々である。


(1)『ガールズ&パンツァー』ファンの男性の俗称。ときに自称。
(2)ファンによる検証(「ガールズ&パンツァー劇場版 大洗市街戦 戦闘経過をGoogle Maps上で再現してみる」〔http://dragoner.heteml.jp/girlsundpanzer/〕[2020年3月1日アクセス])。
(3)商店街の店舗にスタンプを設置。かつて集めると景品がもらえるキャンペーンがあったが、終了後も継続して設置中。
(4)のちに調べてみると、背景は確定したが、駐車場本体については候補はあるものの決め手に欠けるようだ。

[付記]
『小説の生存戦略』の私の担当箇所で、誤植がありました。謹んで訂正します。
第9章「「聖地巡礼」発生の仕組みと行動」
177ページ、最終行 
誤:「ベーカー街十三番地」
正:「ベーカー街二二一B」

 


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第27回 コロナ禍中にたどり着いた『宝塚イズム41』の刊行

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 新型コロナウイルス感染拡大予防のための緊急自粛要請が徐々に解除の流れになり、全国の大型書店も再開の動きが出てきました。コロナ禍中の4月以来編集作業を重ねてきた『宝塚イズム41』は6月1日発売予定。絶妙のタイミングでみなさんの手元に無事お届けできるのではないでしょうか。
 巻頭特集は「望海風斗&真彩希帆 ハーモニーの軌跡」。2月に今秋退団を発表した雪組のトップコンビ、望海風斗と真彩希帆のこれまでの輝かしい軌跡を『イズム』執筆メンバーに振り返ってもらいます。通常なら「望海風斗、真彩希帆サヨナラ特集」となるところですが、コロナ禍で宝塚歌劇の公演が中断。再開後は、スケジュールを新たに編成しなおして公演されることになり、退団日が遅ければ来年にずれ込む可能性があるため「退団が決まっている二人の軌跡をたどる」という形をとったのです。とはいえ、さすが実力派の二人です。入団当時から現在まで、しっかりと見守ってくださったメンバーの珠玉の原稿が集まりました。抜群の歌唱力とともに二人の相性のよさの秘密が解き明かされます。ご期待ください。
 小特集は「小池修一郎、美麗な世界の創造者」。今年3月に65歳の誕生日を迎え、歌劇団を役職定年となった演出家小池修一郎氏の創作の秘密と作品の魅力、宝塚での功績を論じます。宝塚歌劇団は親会社が阪急電鉄ですので、劇団員も演出家も会社員で、否が応でも社則に従っての定年退職を迎えます。もちろんその後も「団友」という立場で歌劇団の仕事に携わることは可能で、これまでにも柴田侑宏、酒井澄夫、岡田敬二、三木章雄、中村暁といった各氏はことあるごとに新作や旧作の再演時に演出を担当しています。理事長を務めた植田紳爾氏は特別顧問という立場で別格ですが、『エリザベート』(1996年初演)を筆頭にここ30年間、ヒット作を量産、宝塚歌劇の隆盛を演出家という立場から支えてきた小池氏もそれに準じる待遇になると思われます。
 今年1月、自身の集大成的大作『ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス アポン ア タイム イン アメリカ)』(雪組)を発表して、歌劇団の演出家としての立場に一区切りをつけた小池氏の演出家としての原点や、今後の活躍への期待など多彩なアプローチで小池氏の創作の秘密に迫ります。
 一方、今年2月に肺炎で亡くなった、1960年代から70年代にかけて宝塚で一時代を築いた稀代のショースター、眞帆志ぶきさんをしのぶ特集も組みました。眞帆さんは、レビューがメインで芝居は前物だった宝塚の最後のスター。鴨川清作氏のミューズとして『シャンゴ』(雪組、1968年)や『ノバ・ボサ・ノバ』(星組、1971年)など数々のショーの傑作を生み出した眞帆さんですが、全盛時代はまだビデオが普及する前で音源は残っていても映像は全く残されておらず、その偉業は、ややもすれば忘れ去られがちです。きちんと記録を残しておかないといけないという思いから、追悼文と生前のインタビューを交えた葬儀のルポを掲載しています。
 OGインタビューは、昨年退団した元星組トップスター、紅ゆずるさんの登場。取材時点では公演予定だった退団後の初舞台、6月の熱海五郎一座新橋演舞場シリーズ第7弾東京喜劇『Jazzyなさくらは裏切りのハーモニー――日米爆笑保障条約』が残念ながら公演中止になってしまいましたが、宝塚への熱い思い、そしてこれからの抱負などをたっぷりお聞きしています。
 恒例の大劇場公演評や新人公演評、外箱公演対談さらにOG公演評なども、コロナ禍の休演で執筆担当者が観られなかったり取り上げる予定の公演が中止になったりとさまざまな障害がありましたが、なんとか原稿がそろい刊行にこぎつけました。こういう事態になってもみなさんの宝塚愛は変わらず、いつになく熱がこもった一冊になったと自負しています。
 肝心の新型コロナは、治療薬やワクチンが世界中の医療関係者の必死の努力にもかかわらず未開発のまま。緊急事態宣言の解除もさまざまな制約のうえでの見切り発車となりました。劇場も解除の対象に入り再開への兆しはありますが、閉鎖空間で客席はおろか舞台上も3密は避けられず、再開にあたって客席は1列おきの着席で両サイドは2席あけてとか、舞台と客席の空間を確保せよとか無理難題。キャパシティーの半分以下の入場者数では公演しても赤字は必至、第一こんな状態で観劇しても楽しむどころか不安が増すばかり。おまけにロビーでの滞留時間を短くせよとのお達しもあってグッズ販売もままならないという状態のなか、実際に再開できるのかどうかまだまだ先が見えない状態です。
 宝塚歌劇は6月末までの休演が決まっていて、7月再開を目指していますが、この様子だと自粛以前の通常の状態で再開するのは難しそう。一刻も早く、演者も観客も安心して心の底から楽しめる空間を取り戻すことができることを望むばかりです。『宝塚イズム42』発売時(12月1日予定)にはそういう状態になっていることを期待しつつ、とりあえず6月1日発売の『宝塚イズム41』をお楽しみください。

 

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