ギモン6:赤ちゃん向けの展示ってあるの?(第2回)

難波祐子(なんば・さちこ)
(キュレーター。東京都現代美術館を経て、国内外での展覧会企画に関わる。著書に『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーターという仕事』〔ともに青弓社〕など。企画した主な展覧会に「坂本龍一:seeing sound, hearing time」〔2021, M WOODS Museum | 木木美術館、北京〕など)

赤ちゃんと一緒に楽しめる展覧会

「こどものにわ」は、テーマパークのようなイメージのこども向けの展覧会ではない。テーマパークには遊び方に答えがあらかじめ用意されているが、美術館の展覧会に「正解」はない。訪れた人々が、それぞれの楽しみ方を主体的に探して、それぞれの答えを見つけてもらうことが必要になってくるので、ある意味、不親切だ。そのかわり、小さなこどもでも親しみやすいように、視覚的にインパクトのある作品や体全体で感じる作品、参加型の作品を中心に展示した。一口に「こども」と言っても年齢によって大きく差があり、特に乳児などは、月齢によって発達段階も非常に大きく異なる。そこで、それぞれの発達段階に応じて、必要であれば、大人がこどもに声をかける、こどもと一緒に何かを体験するなど、さまざまな年齢層の人たちが関わりをもちながら鑑賞できるような作品を参加作家と話し合いながら具現化していった。
 展示は、大巻伸嗣の作品から始まる。大巻は、空間全体を生み出すような作品を通して、日常と非日常の境界を創り出す。展示室に入ると、絶滅危惧種の花を白の修正液と水晶の粉で球体に描いた『Echoes-Crystallization』が神秘的な空間を構成し、鑑賞者を静かに異世界への入り口へと誘う。そして、白い薄布をくぐると、床一面に色とりどりの花模様『Echoes-INFINITY』が広がる。美術館の絵は壁に展示してあるものが一般的だが、大巻の絵は、こどもの目線により近い床一面に広がる。絵を踏みつけるというタブーは、大人でもそうそうある機会ではないので、新鮮な体験だ。床一面の花は、柔らかな白いフェルトの上に顔料で描かれているので、時間の経過とともに踏まれて、その輪郭は次第にぼやけていく。また、部屋の奥に進んで振り返ると、柱の一面に床と同じようにフェルトに描かれた作品がアクリルのパネルで額装されて展示してあり、展覧会が始まる前の時間を留めている。
 出田郷は、視覚などの人間の知覚、身体と空間の関係などをテーマにきわめてシンプルな手法で、しばしば光を用いて作品を作っている。縞模様は、理由はわかっていないが、赤ちゃんが好むことで知られ、乳児の視覚実験などに用いられている(28)。『lines』は四面の透過性スクリーンに映し出すアニメーションの作品で、白黒の縞模様が幅を変えたり、伸び縮みしたり、縦縞から横縞へ変化したり、回転したりする。四方を囲まれた空間のなかにいる人は、周りの空間の視覚的な変化によって、自分が浮遊するような錯覚にとらわれる。『reflections』は、約8,000枚のアクリル・ミラーが埋め込まれた6メートル四方のウレタンマットの床面を歩くと、光の反射が万華鏡のように壁や天井に広がる作品だ。自分の動きにしたがって、影もキラキラとうごめく。赤ちゃんの明るさに対する感度は、色の識別よりも早く、生後2カ月から5カ月の間にすでに大人と同等の高度なレベルをもつとわかっている(29)。
 サキサトムは、日常生活でのなにげない一コマや異文化での所作、習慣の違いなどを映像やインスタレーションを通して表現してきた。「こどものにわ」では、異世代の差異に着目し、乳幼児の視覚世界を再現することを試みた。『ガーデン』は、作家が住むロンドンの夏の庭で、半径3メートルというごく狭い世界を16ミリフィルムで撮影した映像作品だ。庭に咲く花や焦点が合っていない事物の断片的な映像は、自分の周りの世界を少しずつ知り始めるこどもの認識世界や、非常に限られた自分の身近な世界が、世界のすべてだった頃の時間を象徴するようだ。一方、『メーヤの部屋』は、誰もいないはずのこども部屋で無機質なビニールの青い筒が動くことで繰り広げられるファンタジーを映像化し、床に置かれた2台のモニターで時間をずらして映し出す。最近の実験で、10カ月の赤ちゃんでも、テレビ映像と実物の区別をしていることがわかってきた(30)。モニターのなかで、生き物とそうでないもの、現実世界と空想の世界、映像世界と実世界が交錯する。サキの映像世界は、こどもがリアルタイムで経験しているこどもの時間と、その視覚世界や心象風景をある種懐かしく思い起こす大人の時間を詩的に重ねていく。
 広場のような高さ19メートルの広い吹き抜け空間で、KOSUGE1-16は、見知らぬ者同士の間でコミュニケーションが生まれる仕掛けを3つの作品で表現した。まず初めに目に飛び込んでくる高さ約6メートルの『大きな木(小)』は、木陰で休む要領で木の根元に集うと、カラフルな毛糸の毛虫が上下する。中央に設置された『AC-MOT』は、両手で遊べる卓上用のサッカーゲームが、一人一選手で操作するまでに拡大され、総勢12人で遊べる巨大なサッカーボードゲームだ。選手を操作する棒が重いので、小さなこどもが遊ぶには、大人の助けが必要になる。3つ目の作品『サイクロドロームゲームDX』は、身体能力が異なる大人とこどもが真剣勝負できるユニークな作品だ。大人用自転車1台とこども用自転車2台、三輪車が1台設置されていて、それぞれが自転車や三輪車をこぐと、ペダルからシャフトとチェーンで動力が伝わって、小さなサイクリストの人形が周りのコースを猛スピードで駆け抜ける。
 建築家の遠藤幹子は、KOSUGE1-16の作品の周りに、親子が一緒に楽しめる交流型の空間『おうえんやま』を創り出した。壁沿いに広がる「おおやま」と、その前に「こやま」が2つそびえ、ところどころに巨人の足のイメージのクッションが配されている。「おおやま」と「こやま」は黒で塗装され、チョークで自由に落書きができるようになっている。また「こやま」にはところどころに丸い穴が開いていて、その周りには、巨大人間の身体が描かれ、穴から顔を出すと、あたかも自分が巨大人間になったように見える。巨人の足のクッションは、こどもにとっては遊具となり、大人にとっては一息つく場所になる。

遠藤幹子《おうえんやま》(2010年)とKOSUGE1-16《AC-MOT》(2006/2010年)
東京都現代美術館「こどものにわ」展(2010年)における展示風景
撮影:森田兼次、写真提供:東京都現代美術館

「こどものにわ」から「みんなのにわ」へ

「こどものにわ」がオープンしてしばらくすると、特別支援学校から来館の問い合わせが多数入るようになった。ベビーカーに優しい展示は、車椅子利用者にも優しい。また赤ちゃんが楽しめる展示は、知的障害をもつ人にとっても楽しめる展示だったのだ。異世代が自由に交流しながら楽しめる展示は、普遍的なデザインである、ユニバーサル・デザインの考え方を想起させる。ユニバーサル・デザインは、「年齢、性別、能力、環境にかかわらず、できるだけ多くの人々が使えるよう、最初から考慮して、まち、もの、情報、サービスなどをデザインするプロセスとその成果(31)」を指す。赤ちゃんから楽しめる展示を考え始めると、結局はほかの世代の人々、多様な背景をもつ人々が楽しめる展示について考えさせられる。もちろん、デザインと違ってアートという嗜好性に左右される分野ですべての人に受け入れられる展覧会というのは、不可能に近いのかもしれない。だが、一つの展覧会でも、さまざまな世代によって楽しめ、かつ、その楽しみ方が異なる、という展覧会のあり方を模索することは、パブリックな場としての美術館の役割を問い直すことにつながる。ニコラ・ブリオーは、『関係性の美学』のなかで、開かれた展覧会のあり方が必ずしも凡庸になるとはかぎらないと述べ、「あるイメージを前にして感じるこどもらしい純真な驚きと、そのイメージが引き起こすさまざまなレベルの解釈の複雑さ」の間にある理想的なバランスを探ることの可能性を示唆している(32)。作品に対峙してその美しさに感動したり、作品に込められたメッセージを読み取ったりすることは、美術に触れるうえで大切な経験である。そして同時に一緒に作品を観ている(あるいは、一緒に参加している)他者との関係を築くことを許す美術や展覧会の方法論は、小さなこどもや、こども連れの大人を優しく招き入れる。人々が集うアートの庭で、さまざまな人が関わりながら、単に鑑賞するだけでなく、互いに交流するきっかけになれば、子育て支援の観点からも美術館という場がもつ可能性が広がるだろう。アートが、日常とは異なる自由な空間と時間を生み出し、人々にこれまでとは異なる形での交流を促す。
 乳児は、近年、「人間の心の起源を科学的に研究する上で重要な研究対象とみなされるようになってきている(33)」。日本では、2001年に日本赤ちゃん学会が創設され、これまで脳科学、発達心理学などそれぞれの専門分野で扱われてきた乳幼児の心や体に関する研究を、医療や心理学だけでなく工学、社会学などさまざまな分野から多角的に考えていく「赤ちゃん学」が徐々にその成果を積み上げている(34)。美術に関しては、08年の小学校の図画工作の学習指導要領の改訂で、これまでの「表現」に加えて「鑑賞」にも重点が置かれるようになった。就学前の乳幼児に関しても、赤ちゃん学などと今後連携して美術鑑賞が赤ちゃんに与える影響などが研究できれば、赤ちゃん学にとっても美術教育のうえでも、新しい発見をもたらす大きな可能性を秘めていると言えるだろう。

「こどものにわ」を実施してから4年後の2014年に「ヨコハマ・パラトリエンナーレ2014(35)」(略称:パラトリ)という障害者と現代アート作家による協働プロジェクトの美術部門のキュレーターを務める機会に恵まれた。それまで障害がある方と身近に接する機会がほとんどなかった私にとっては全く未知の世界で、当然ながら新たなチャレンジの連続だった。なかでも最初のつまずきは、「協働/コラボレーション」というコンセプトだった。背景が異なる者同士が「みんなハッピーにコラボレーション」などとなるはずはなく、表現と表現のガチ勝負、個性と個性のぶつかり合いで、予定調和とは程遠い異なる価値観、世界観を共時的に提示するのが精いっぱいといった企画だった。しかしだからこそ、それまでになかったユニークな表現が数多く生まれたことも確かだった。パラトリに参加したギリシャ人アーティストのミハイル・カリキスは、特定の人が「disabled(「障害」の訳語で、不能、能力が欠如しているの意)」なのではなく、私たちは皆、「differently abled(異なる能力をもつ)」であると表現すべきではないか、と述べたが、非常に的確な指摘だと思う。また日用品から驚くほど小さくて精巧な作品を生み出すことを得意とする岩崎貴宏は、制作のリサーチのために織物の作業をおこなっている福祉作業所や特別支援学校を訪れた。そしてそこで求められている丁寧に織り目がそろった織物には目もくれず、糸の太さや色の組み合わせがバラバラな大胆な織りや、はみ出した糸が未処理のままにしてある織りに興味をもった。織り目がそろった織物は、バッグやポーチなどほかのものに加工して販売しやすいので、作業所ではこうしたものが推奨される。だが、福祉の世界では少数派である、織り手の個性や、そのときどきの心の動きがそのまま反映されている自由な織りのほうが、岩崎の琴線に触れたのだった。施設や特別支援学校に日々通う障害者の多くは、社会への適応を最終目標としている。だが、さまざまなこだわりやはみ出した織り目こそ面白い、美しいと評価する現代アートの価値観は一石を投じる。アートを通したパラトリの取り組みは、障害者を社会に適応させるのではなく、障害者が生きやすい場所になるように社会のほうを変えていくためのヒントを見いだすきっかけになったはずだ。

崎野真祐美×岩崎貴宏 《Out of Disorder》(2014年)
撮影:麻野喬介、写真提供:ヨコハマ・パラトリエンナーレ2014(横浜ランデヴープロジェクト実行委員会)

 これまで本ギモンでは、赤ちゃん向けの展示があるのか、ということについて見てきたが、その答えは「ある」と「ない」の両方と言えるかもしれない。東京都現代美術館では、「こどものにわ」をきっかけとして、現在に至るまで、乳幼児を対象とした企画展がシリーズ化され、各学芸員の関心と独自の視点を反映させながら、発展的に継承されている(36)が、それは「ある」の何よりの一つの証拠だろう。一方で、乳幼児を対象とした展示が特別支援学校の生徒にも受け入れられた例からもわかるように、一つの展示が企画した本人も予期しない形で新しい方向に広がっていくこともある。またそれが展覧会の醍醐味でもあったりする。パラトリでもアーティストと障害者の協働を通して、社会的包摂について、キュレーター、アーティスト、福祉施設職員、障害者自身やその保護者など、それぞれが思いも寄らない学びと刺激を受けることになった。展覧会は、異質なものを受け入れる寛容さを知る場でもある。展覧会に行く、ということがもっと身近なこととして、あらゆる世代のあらゆる背景をもつ人々の生活に根づいていくとき、「こどものにわ」は「みんなのにわ」へとのびやかに解放されていくだろう。


(28)前掲『赤ちゃんは世界をどう見ているのか』130ページ
(29)同書133ページ
(30)旦直子「乳児における映像メディアの認識の発達」KAKEN 2004年度実績報告書、東京大学(https://kaken.nii.ac.jp/ja/report/KAKENHI-PROJECT-02J07003/02J070032004jisseki/
(31)関根千佳『ユニバーサルデザインのちから――社会人のためのUD入門』(Nextシリーズ)、生産性出版、2010年、140ページ
(32)Nicholas Bourriaud, “Relational Aesthetics,” (for the English translation), Les presses du réel, 2002, p. 58.
(33)前掲『乳児の世界』1ページ
(34)「日本赤ちゃん学会」(https://www2.jsbs.gr.jp/
(35)「ヨコハマ・パラトリエンナーレ」(https://www.paratriennale.net
(36)「こどものにわ」の後にこども展シリーズとして企画された同館の展覧会に「オバケとパンツとお星さま――こどもが、こどもで、いられる場所」(2013年)、「ワンダフルワールド――こどものワクワク、いっしょにたのしもう みる・はなす、そして発見!の美術展」(2014年)、「おとなもこどもも考える――ここはだれの場所?」(2015年)、「あそびのじかん」(2019年)、「おさなごころを、きみに」(2020年)がある。

 

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ローカル放送の送信所――『日本ローカル放送史』を出版して

樋口喜昭

 日本には多くのローカル放送局があります。全国組織のNHKは各地にローカル放送局を置いていて、民間放送は都道府県にローカル放送が免許されて広告放送をおこなっています。ローカル放送は、多くの番組を東京の放送局で制作されたものに頼っていますが、独自に制作したローカル番組をエリア内に向けて放送しています。
 インターネット全盛の現在に場所や時間が制限されたコンテンツにアクセスするということは、不便極まりないと感じるかもしれませんが、その場所に行かないと見られない、その時間にならないと始まらないというメディア体験は、ご当地料理を味わうような魅力も感じます。
 なぜ地上波放送は場所に縛られているのか。そして、なぜこのように全国各地に存在し、活動を続けているのか。その詳細については本書を読んでいただくとして、ここでは、本書ではあまり触れていない話のなかから、放送というシステムのハードウエアである「送信所」のお話をしたいと思います。

電波を出す塔の存在

 放送番組は、最近ではインターネットでも一部、同時に再送信されるようになってきましたが、放送というメディアは、放送局が送信した電波を、みなさんがテレビ受像機やラジオ受信機で直接受信して視聴することで特徴付けられます。ですので、送信所の電波塔(電波が発射される設備)は情報の源と言えます。発射される電波に乗った番組の華やかさに比べれば、多くの送信設備は非常に地味で、多くがその地域が見晴らせる場所にひっそり佇んでいます。
 一方で、都市のイメージを形成する風景の一部になっている送信所も存在します。東京タワー、東京スカイツリー、名古屋テレビ塔、さっぽろテレビ塔、といったように、もはや電波を出しているかは関係なく、観光施設としての地位を築いているものもあります。また、仙台の大念寺山のタワー群のように山頂にそびえライトアップされた電波塔も、塔の存在がその土地の景色の一部になっています。地デジ化後に本来の役目を終えたタワーもありますが、現在でも地元に愛され、車窓からその姿が見えると、その土地に来た実感を与えるランドマークになっていると言えましょう。
 このような放送用の送信所の存在は、大都市に限った話ではなく、中継局も含めれば実に多くの送信設備が全国各地に建てられています。なぜ、送信所がこれだけ多く建てられているのか。それは日本の地形に関係があります。
 日本は小さな島国ですが、周りを海に囲まれ、狭い地表にはいくつもの山脈が走っています。特にテレビ放送が利用している電波は、光と同様、基本的に送信所からの見通し範囲でしか届きません。放送をより多くの世帯に届けるには、山で隔てられたエリアごとに送信アンテナを設置する必要があり、その結果、多くの送信所が建てられました。それでも電波が届かない集落では共同受信アンテナを建てるといった方法で、全世帯が受信できるよう環境の整備がなされてきました。これまで日本の放送の最大の功労者は、送信受信技術者だったと言っても過言ではありません。

Googleストリートビューでの送信所巡り

 さて、本書で使用したカバー写真は、担当の方に選んでもらったパブリックドメインのうちの一枚で、静岡県島田市にある中継局のもの。実際にどの角度から撮影したものかは、Googleのストリートビューで確かめることができます。直接行かなくても送信所巡りができる、いい時代です。

「Googleストリートビュー」(https://goo.gl/maps/czrwwP39ngjPvf4D7)[2021年9月2日アクセス]

 早速、ストリートビューを使って、“金谷お茶の香通り”という道を島田中継局がある一帯に近づいてみます。写真では気がつきませんでしたが、その一帯は一面のお茶畑。ご当地感が出ます。さらに近づいていくと、カバーの右に写っている赤白の鉄塔は、NHKとK-MIXという静岡県域のFM放送のものとわかります。さらに進むと、いくつかの通信用の鉄塔を過ぎて、テレビ静岡の中継局が見えました。近くまで近寄れないのですが、お茶畑のなかに美しく自立しています。
 このようにバーチャルで送信所巡りをしていると、地デジ化以後、移転したり使用されなくなったりした送信施設が結構あることがわかります。今後、インターネットを利用した放送番組の送信が一般的になり、放送の送信所がどのように扱われるのか、そしてこれまで原則県単位ですみ分けられてきたローカル放送がどのように変わっていくのかに注目しています。

廃止されるAMラジオ、撤去される送信所

 山頂付近に建てられた鉄塔以外にも、平地にも放送用の送信所が存在しています。AMラジオ(中波放送)用の送信所で、使用している電波の波長が長いために長いアンテナ本体をワイヤーで支える構造で、自立型の塔のように目立ちはしませんが、長年各地でのラジオ放送の送信を担ってきました。写真は、福島県の会津若松市にあるNHKのAMラジオの送信施設です。住宅街にひっそりとあります。歴史は古く、戦時期の1942年に作られ、会津地方にAMラジオを送り届けてきました。

「Googleストリートビュー」(https://goo.gl/maps/T7JQEHwioNQ1j75Z9)[2021年9月2日アクセス]

 一時このアンテナをめぐって騒動がありました。白虎隊が自刃した地として有名な観光地である飯盛山から若松城(鶴ヶ城)を見ると、ちょうどアンテナがかぶって景観を損ねるというのです。観光のために撤去するか、送信施設を守るか。戦前から現存する電波塔に対して、当時の市長は「昭和の激動時を伝えてきた電波塔。全国的にこうした構築物を近代遺産として保存する動きもあり、今後も市民・観光客の声を聞いていきたい」(「福島民報」2011年12月7日付)と述べて撤去はされませんでした。

飯盛山より望む会津若松市街地。よく見るとお城に重なる電波塔
(出典:「飯盛山 (福島県)」「wikipedia」〔https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%9B%9B%E5%B1%B1_(%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C)〕[2021年9月2日アクセス])

 今年6月15日、全国の民間AMラジオ47局のうち44局が、2028年秋までにFMラジオに転換を目指すことを各局が加盟する「ワイドFM(FM補完放送)対応端末普及を目指す連絡会」が発表しました。すでに、多くのAMラジオ放送はワイドFMでも同時に送信(FM補完放送)されるようになっていて、将来的にAMラジオは完全に停波し、送信所も撤去されることになります。平地に広い土地が必要なAM送信設備は更維持コストもかかることから時代の流れと言えばそれまでですが、場所によっては戦前からの放送の歴史とともに歩んできた送信所が消えていくことを寂しくも感じます。
 地域での放送局のあり方を問う際には、経営面や番組といったソフト面に注目が集まりがちですが、送信所や放送局舎というハードウエアが、これまでその地域でどのような存在だったのかにも注目していきたいと考えています。

樋口喜昭(東海大学文化社会学部広報メディア学科特任教授、TarTaruVision代表)研究ページ:https://researchmap.jp/yoshihiguchi

 

第35回 第6の組「夢組」始動

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 人気絶頂のトップスターも数年で退団という宿命を抱える宝塚歌劇団。以前は、退団=結婚という未来図が普通で、トップスターの退団理由も「結婚準備」なるいまや死語のような理由がまかり通っていました。
 21世紀も20年も過ぎた現在、トップスターの退団は「後進に道を譲る」というのが本当のところで、退団後は宝塚で培った舞台人としての経験を生かして、芸能活動に進むか、ダンスや声楽などの教師など様々な職業に転職するなど、結婚して家庭に入るというケースは逆にまれになってきました。
 ただ、宝塚を卒業したからといってトップスターや一芸に秀でた実力派以外は、ミュージカル全盛の現代とはいえ、そうそう仕事が舞い込むわけではありません。ただ何人かが一緒になると元タカラジェンヌの威光は捨てたものではなく、集客もばかになりません。そこで、あちこちでOGを中心にした公演のようなものが活況を呈しています。
 宝塚歌劇団としては、退団後のスターたちの芸能活動については一切干渉することなくオープンですが、昨今、元タカラジェンヌを売りにした公演が増加、悪質な芸能事務所によるトラブルなども表面化し、しばしば問題になってきました。そこで、宝塚歌劇団の親会社・阪急阪神ホールディングスは、歌劇団を卒業して芸能活動を続けようという意思があるOGのために、彼女たちが安心して第二の人生を歩めるようにサポートしようという新たなプロダクション「タカラヅカ・ライブ・ネクスト」を昨年4月に立ち上げたのです。
 人気絶頂で卒業したトップスターたちは系列の梅田芸術劇場が預かり、退団後の最初の仕事はここからスタートするのが、このところの定石になってきています。しかしこれは、あくまで人気があるトップスターに限られていました。タカラヅカ・ライブ・ネクストは、実力があっても在団時には十分に活躍できなかった人たちに第二のチャンスの可能性を広げてあげようという狙いも含めて設立されました。2025年に大阪で開催される万国博覧会に向けて、OGメンバーによる何らかのイベントをいつでもできる体制を整えておきたいという親会社の意向も見え隠れします。
 現在、元星組の音花ゆり、元宙組の純矢ちとせ、同じく元宙組の澄輝さやとら7人が在籍していますが、この9月、東京・日本青年館と宝塚バウホールで退団したばかりの元雪組の人気スター・彩凪翔を迎えて旗揚げ公演『アプローズ――夢十夜』(作・演出:三木章雄)が上演されました。
 彩凪を中心にライブ・ネクストメンバーからは音花、元月組の貴千碧、元雪組の透水さらさ、元宙組の風馬翔、元雪組の星乃あんりの5人が出演。元雪組の笙乃茅桜、元宙組の星吹彩翔がゲスト出演。東京公演は元月組のトップスター・彩輝なお、宝塚公演には元雪組の水夏希が特別ゲストとしてお祝いに駆け付け、各9人というこぢんまりとしたコンサートでした。
『セロ弾きのゴーシュ』をベースに、スターとして再出発を夢見る青年が古びたオペラ座でそこにすみついた舞台の精霊たちに新たな出発を後押しされるという、退団間もない彩凪の今後に重ね合わせた内容で、音花と透水は歌、貴千と笙乃はダンス、風馬・星乃は芝居とダンス、星吹は芝居と歌とそれぞれの特徴を生かした活躍ぶりで、メンバーのショーケース的な公演にもなっていました。
 彩凪の退団後初の本格的ステージということと、彩輝や水といったトップスターの出演もあって公演は完売の人気。宝塚の公演はライブ配信もおこなわれるなどOG公演としては破格の扱いで、さすが親会社肝いりの旗揚げ公演だけありました。
 今後はコンサートだけでなく、ストレートプレイや朗読劇、リサイタルといった公演も視野に入れるといい、宝塚で培った様々な表現のスキルを存分に発揮、在団中にはできなかった形で披露する機会もでき、無限の可能性が考えられます。
 いわゆる第6の組「夢組」構想ともいうべき展開で、トップスターを頂点に二番手、三番手という形態の組ではなく、宝塚を卒業したタカラジェンヌにもっと自由に活躍できるフィールドを提供しようというまったく新たな組になりそうです。
 卒業後も自分たちでハンドリングしようという親会社の意向は透けて見えるのですが、これまでは卒業したら他人みたいな、OGたちへの支援という意味では一歩前進したといえるのではないでしょうか。
『宝塚イズム44』(2022年1月刊行予定)では、第6の組・夢組(タカラヅカ・ライブ・ネクスト)の話題にもふれながら、コロナ禍のなかをなんとか順調に公演を重ねる宝塚歌劇の新しい年に向けた動きを探っていきます。楽しみにお待ちください。

 

Copyright Tetsuji Yabushita
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商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。

ギモン6:赤ちゃん向けの展示ってあるの?(第1回)

難波祐子(なんば・さちこ)
(キュレーター。東京都現代美術館を経て、国内外での展覧会企画に関わる。著書に『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーターという仕事』〔ともに青弓社〕など。企画した主な展覧会に「坂本龍一:seeing sound, hearing time」〔2021, M WOODS Museum | 木木美術館、北京〕など)

乳幼児を対象とした展覧会

 2010年の夏、東京都現代美術館で「赤ちゃん(1)から大人まで楽しめる」参加型・体感型の展覧会「こどものにわ(2)」がオープンした。同館では、それまで教育普及プログラムの一環として、乳幼児を対象にしたワークショップやギャラリーツアーを実施していたが、展覧会として実施するのは、これが初めてだった。結果的には約2カ月の会期中に8万3,000人を超える入場者があり、展示室入り口のベビーカー置き場は、連日ベビーカーであふれかえることになった。この展覧会は、卑近な例で恐縮だが、私自身が4年越しで準備して実現した展覧会だった。
 展覧会は通常、館の学芸員による企画会議で各学芸員からのプロポーザルなどと年間のプログラムの予算、同時期開催予定の展覧会同士の内容のバランス、実施のタイミングなどをもろもろ検討しながら決まる。この展覧会に限って言えば、実施が決まるまで3年、実施決定から展覧会オープンまで1年を要した。3年間、企画会議で却下されるたびに、何度も案を練り直し、ブラッシュアップした企画書を作成し続け、その根拠となるための調査研究を進めた。なかでも、上司から言われたいちばんの却下理由は、「赤ん坊にアートを見せても、わからないのでは? 展覧会に連れてくる意味があるのか?」というものだった。そう、そもそも赤ちゃんにアートを見せても、わかるのだろうか。赤ちゃん向けの展示というものはあるのだろうか。ギモン5「日本人向けの展示ってあるの?」では、日本人向けの展示に関するギモンを入り口として、キュレーションを取り巻く文化の表象の問題について考えてみた。本ギモンでは、同じ日本人でも世代が異なる場合、特に乳幼児を対象とした展覧会のケースについて、まず前半となる第1回で、近年の乳幼児の認識能力に関する研究についてひもといていきながら、赤ちゃんと美術館の関係について考えていきたい。また後半の第2回では、「こどものにわ」を具体的な事例として取り上げながら、世代や背景が異なる人々に対する展覧会や社会的包摂のことを考えた展示について、その可能性を探っていきたい。

「こども向け」の展示とは?

 もういまから15年以上前の話だが、当時2歳になったばかりの息子をベビーカーに乗せて、広島市現代美術館で開催されていたシリン・ネシャットの展覧会(3)に行った。息子は、親の仕事の都合上、0歳児の頃から美術館には連れ回されているのだが、その日も、たまたま帰省先の広島で開催中のシリン・ネシャットの展覧会に息子連れで訪れた。シリン・ネシャットはイラン出身の女性アーティストで、イスラム世界の女性の存在などをテーマにした写真や映像作品で国際的に活躍している。扱っている写真や映像は、黒いベールを被った女性や儀礼の様子、イスラム社会の男女の対比を描くものなど、深刻で重い内容のものがほとんどである。息子には悪いが、完全に親の趣味で行った展覧会だった。だが、『パッセージ』(2001年)という映像作品の部屋で息子が釘付けになり、ほかの展示室を回った後も、その部屋に戻って何度も観たがり、ほかの展示室はそそくさと後にして、ずいぶん長い時間、その部屋で過ごすハメになった。作品自体は埋葬の儀礼が題材になっていて、前半は、黒いスーツ姿の男性たちが海辺から砂漠へと屍を運んでくるシーンと、黒装束の女性たちが砂漠で埋葬用の穴を手で掘り進めるシーンで構成される。最後に屍が運び込まれて、大地が激しく燃え上がる圧巻の映像と、ミニマル・ミュージック(4)で知られる作曲家フィリップ・グラスが書き下ろした崇高なサウンドで締めくくられる。そんな作品にベビーカーに乗った息子が反応するとは思いもよらなかったのだが、この話はここで終わらなかった。家に帰ってしばらく自分の部屋にこの展覧会のチラシをうれしそうに貼っていた息子だったが、美術館に訪れた際に予約受け付け中だったカタログが後日、自宅に届いたときに事件は起こった。包みからカタログを取り出して、息子に「広島で行った展覧会のカタログが届いたよ」と話しかけたところ、「◯◯(自分の名前)の!」と言ってそのカタログを持ち去って、お気に入りの某きかんしゃキャラクターの絵本などが並ぶ自分の部屋の本棚にしまい込んでしまった。私は1ページもカタログを読む暇もなく、あっけにとられてしまった。それまで「こども向け」の本やイベントやテレビ番組などはカラフルで楽しげなもの、といった先入観にどっぷりハマって子育てしていた私にとって、お世辞にも「楽しい」とは言えない、かなり渋いシリン・ネシャットのカタログが息子にとっては、展覧会を観て、しばらく時間がたっていても、忘れ難いお気に入りの思い出の品になっていたことは、まさに灯台下暗しの、目からウロコの事件だった。そこから、大人が勝手に考えている「こども向け」展示ではない展覧会の可能性について、真面目に探求してみようとリサーチを始めることになった。

乳幼児の世界観

 1970年代頃までは、1890年にアメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズが「咲き誇るがやがやとした混乱(5)」と形容したように、乳幼児が知覚する世界は混沌としている、と多くの発達理論家が考えていた。生まれたばかりの赤ちゃんは目が見えない、痛みの感覚が鈍い、何もわからず何もできない、といった無力な赤ちゃん像が一般的だった(6)。しかし、近年の脳科学をはじめとする諸分野の研究成果から、乳幼児はいままで考えられていたよりもさまざまなことを認識し、感じていることがわかってきた。例えば、赤ちゃんは胎児のときから音を聞き、生まれたばかりの新生児でも目が見える。ただし視力は悪く、新生児は0.001程度で、生後半年までに急速に発達し、その時点で0.2程度(7)、4、5歳になってようやく大人並みに見えてくる。しかし、そのようなぼんやりとした視覚世界にいる生まれたばかりの新生児でも丸と三角の形を区別できるし(8)、人の顔も早い段階から認識し、特に母親の顔は生後数日でも注目することができる(9)。また、こうした乳児の視覚、聴覚、触覚などの個々の感覚は、関連することなくばらばらに独立して機能していると思われていたが、近年の研究で、乳児の個々の感覚は、生まれたときから調和してはたらき、統一された世界を知覚することがわかっている(10)。さらに、赤ちゃんは、外からの刺激によって反射的に動いているだけではなく、生まれた直後からすでに「意識的に四肢を動かしている」ことも明らかになっている(11)。このように赤ちゃんは、高度の認識能力を備え、能動的に行動していることがわかってきた。さて、ここで「赤ちゃんはアートをわかるのか?」という初めの問いに戻ると、美術館や展覧会に来た赤ちゃんは、少なくとも全く何もわからないわけではなく、むしろ、普段とは違う環境に置かれて、かなりさまざまな刺激を受けている可能性が高いと言えるだろう。特に現代美術の場合、視覚だけでなく、聴覚や触覚、ときには嗅覚など、五感を使って感じる作品も多い。しかし、公園に出かけるのと、美術館に出かけるのとでは、赤ちゃんにとって何か違いはあるのだろうか。

作品を観る行為と他者への共感

 これまでのギモンでも見てきたが、あらためて美術館、あるいは展覧会という場所を特徴づけているものは何か、と考えると、美術館は、美術作品が展示してあり、それを鑑賞する場、ということが挙げられる。作品は、一般的な事物と異なり、多くの場合、作家やキュレーターが、その作品をほかの人に鑑賞してもらうことを前提として制作・展示したもの、という人の意図が込められている。他者の意図を汲み取ること、あるいは作家やほかの鑑賞者の思いに共感することは、乳幼児にとって(そして大人にとっても)美術を鑑賞する行為をほかの日常的な営みとは異なる特別な体験とする重要な要因になっていると思われる。
 これまでに、2歳児でも、意図的に作られたものは絵と認めるが、偶然できたものは認めない、という興味深い実験結果がいくつか報告されている。例えば、男性の形に見える絵を見せて、一方のグループには、それが意図的に描かれたことを伝え、もう一方にはそれが偶然の産物だと伝える。つまり、一方には「ジョンがお絵描きの時間に、先生にあげようと絵の具で絵を描きました。それはこんな感じでした」と伝え、もう一方には、「ジョンのお父さんが壁にペンキを塗っていたときに、ジョンがうっかりペンキを何滴か床に落としてしまいました。それはこんな感じでした」と伝える。そして、その後、それぞれに「これは何かな?」と質問すると、意図的に描かれた絵だと説明を受けたグループは「男の人」など描かれた対象を答える傾向が強く、偶然できたものと説明を受けたグループは、材料の「ペンキ」と答えることが多かった(12)。さらに年齢が低い0、1歳児だと、言葉によるコミュニケーションが難しく先のような実験はできないが、別の実験や観察から、少なくとも他者の意図を汲み取ったり、他者の感情を理解したりすることは、かなり早い段階からできることが明らかになっている。
 乳児は、生後1年間の間に自分と他者を区別し、またさらに他者や自分以外のモノとの関係性を徐々に培っていく。生後2カ月頃には、大人がほほ笑みかけると、それに応じて乳児がほほ笑む、という「社会的微笑」と呼ばれる現象が現れ、自分と他者を区別して知覚する人-人の二項関係が成立し始める(13)。また生後5、6カ月には事物に関心が向かうようになり、見せられた物をつかんだり、振ったり、口に入れたりなどするようになり、人-物の二項関係も成立する。この頃から、他者が見ているものを目で追うことができる「共同注意」と呼ばれる現象も見られ始める(14)。さらに生後9カ月頃には、自分が遊ぶオモチャを大人に見せてその反応をうかがう、など乳児-物-他者の三項関係が成立するようになる(15)。また乳児は、成長するにつれて、自分の情緒について経験するだけでなく、他者の情緒に対しても共感したり理解するようになっていく。もっとも初期の他者との情緒の交流の形として、新生児に大人の「喜び」「悲しみ」「驚き」といった表情を見せると、大人と同じ表情を模倣する「新生児模倣」が知られている(16)。新生児模倣は、その後、成長すると観察されなくなってしまうが、生後2カ月には、先に述べた社会的微笑が観察されるようになる。さらに、生後7カ月頃から、乳児は周りの状況を判断する際に、母親などの信頼できる人の様子をうかがいながら自分の振る舞いに適用するようになる(17)。このような現象は、「社会的参照」と呼ばれている。有名な実験に、生後12カ月の赤ちゃんを見せかけの断崖である「視覚的断崖」に載せると、断崖の向こう側にいる母親が見せた表情によって行動が変わるというものがある。この視覚的断崖は、深さ約30センチの溝の上にガラス板が渡してあり、見た目は断崖だが、ガラスの上を渡ることができ、また断崖の向こう側には魅力的なおもちゃが置いてあるという装置である。この実験で赤ちゃんは、母親が否定的な表情や不安そうな表情を示すとガラス面の上を渡ろうとはしないが、母親がほほ笑むなど肯定的な表情を見せると大半が渡ることがわかった(18)。また、共感に関するメカニズムは、1990年代以降、脳のなかに他者の経験を自己に鏡のように写し取るようなミラーニューロンシステムと呼ばれるものがあることが明らかにされている(19)。例えば、快または不快な刺激を受けた他者の表情を知覚すると、観測者自身が同様の快・不快の刺激を知覚したときのような神経活動が脳内で生じる(20)。ミラーニューロンシステムについては未解明の部分も多いが、近年の実験で、6、7カ月の赤ちゃんも成人と同様に他者の行動を見るだけで、他者と同じ運動関連部位の脳活動が見られることがわかっている(21)。
 乳幼児の美術鑑賞に関しては、美術教育の分野でも比較的最近になって扱われるようになった分野であり、科学的な研究の方法論が確立されているわけでもない。そのため、あくまで推論にすぎないが、これまで見てきたような乳幼児の高い認識能力を考えると、「作品」として認識し始めるのは2歳ぐらいからだとしても、二項関係が成立しはじめる0歳児からでも、ある程度の大人の関わりなどがあれば、それぞれの年齢や発達段階に応じて美術鑑賞を楽しむことはできそうである。公園や家などの日常的な場所と異なり、美術館では、まず何よりほかの人が作った作品を「観る」という行為が特徴的である。乳幼児にとっては、美術館という場所は、新奇なモノがたくさんあること自体が興味の対象であるとともに、大人が観ている行為や、大人の反応や心の動きも、自らがそのモノをどう判断するかの基準になっていることだろう。大人が楽しそうに観ていれば、その気持ちが伝わってくるし、逆に自分が面白いと思ったものに対して、大人がそれを共有してくれることはこどもにとって喜びとなるだろう。また、気になった作品に手を伸ばしたときに大人に咎められれば、触らずに大切に観なければならないものがある、など、美術館での鑑賞のルールも成長に応じて徐々に理解していくだろう。

子育て支援と美術館

 赤ちゃんを連れて美術館に行くことは、赤ちゃん自身だけでなく、一緒に行く大人にとっても普段の生活では気づかない、さまざまな発見や驚きを得られる機会になる可能性を秘めている。考えてみれば当然のことだが、赤ちゃんが自らの意志で美術館に来ることはない。赤ちゃんを美術館に連れてくるのは、たいていお母さんをはじめとする周りの大人たちだ。子育て中の母親などの育児者が、普段の生活のなかで行ける場所はスーパーマーケットや公園などに限られがちだ。だが、子育てをしていても、文化的な刺激を受けたいと思っている人はたくさんいるはずだ。小さなこどもがいても、映画やコンサートにだって行きたいし、美術館にも行きたいかもしれない。近年は、赤ちゃんを連れて鑑賞できる映画館も増えたし(22)、0歳児からの音楽会も開催されている(23)。では、美術館はどうだろうか。
 日本では、核家族社会での子育て中の母親の孤立化について、1980年代頃からその問題が指摘されてきたが、90年代に入ってようやく行政も子育て支援施策を本格的に展開するようになった(24)。また、それまでこどもを預けてまで仕事をしたり、趣味に興じることは親のわがままである、と否定的にとられていたが、現代の子育て事情をふまえて、「親子が心身ともにリフレッシュする時間を持つことの重要性から肯定的に受け止めることも必要(25)」であると、これまでの母性観の転換がみられるようになった。確かに一昔前と違って、最近の傾向として、こどもを預けて大人だけで何かを楽しむのではなく、こどもと一緒に楽しむ、また母親だけでなく、父親もさまざまな催しに参加する姿が見受けられる。中谷奈津子は、子育て家庭のための「継続的・定常的な「縁側」のような地域の居場所づくりへの支援」の必要性を説いているが、その際に行政主体の「預かる」「教える」子育て支援、遊びや遊び場の提供型支援だけでなく、子育てをする母親自身が主体的に組織や活動に「参加」するよう促進していく必要性を指摘している(26)。美術館は、自らが主体的に美術を鑑賞することで、こども自身だけでなく、周りの大人もさまざまな感性を呼び覚ますことができる場となりうる。特に現代美術では、これまでのギモンでも見てきたとおり、観客の主体的な参加を促す作品やプロジェクト型の作品が近年増加して、美術と社会の関係について広く議論されている(27)。美術館を地域社会により開かれた場としていくことで、美術館が地域の子育て家庭にとって、既存の提供型支援施設とは異なる第三の「居場所」になれる可能性は高い。
 一昔前までは、美術館の「こども向け」のプログラムと言えば、教育普及事業の一環として開催される小学生以上を対象としたギャラリー・ツアーやワークショップが主流だった。だが、美術館での赤ちゃん向けプログラムは、赤ちゃんが保護者と一緒に展示を観て回るギャラリー・ツアーなどを中心に近年、増加傾向にある。ただし、それらへの参加は、運営上の制約などもあり、人気があっても人数や回数が限定されることが多い。また、小さなこどもを連れて遠方に出かけるのは至難の業なので、子育て家庭が、ベビーカーだけで移動でき、いつでも気軽に行けるプログラムをもつ美術館が自分の住んでいる地域にないと参加しづらい。
 こうした状況をふまえて、2010年に開催された「こどものにわ」では、まず、それまで美術館を訪れたことがない美術館近隣在住の子育て家庭が美術館に来るきっかけになるように、美術館がある東京都江東区の協力を得て、展示に先駆けて区内4カ所の子ども家庭支援センター、児童館、保育園などの子育て関連施設で乳幼児とその保護者を対象としたワークショップを展覧会に参加する作家のKOSUGE1-16とおこない、その成果を展示の一部とした。また会期中に近隣の商店街と美術館をつなぐ形で乳幼児とその保護者を対象としたワークショップを同じく参加作家の大巻伸嗣とおこなった。そして、美術館では、ワークショップやギャラリー・ツアーなどのように一過性で終わるものではなく、小さなこどもを連れた家庭がよりいつでも気軽に美術館を訪れることができるように、約2カ月半の会期で開催する「展覧会」という形式のプログラムを実現した。次回は、「こどものにわ」で展示された作品についてもう少し具体的に見ていきながら、「赤ちゃん向けの展示」がもたらしたものについて、掘り下げて考えていきたい。

大巻伸嗣《Echoes-INFINITY》(2010年)
東京都現代美術館「こどものにわ」展(2010年)における展示風景
撮影:森田兼次、写真提供:東京都現代美術館
出田郷《reflections》(2009/2010年)
東京都現代美術館「こどものにわ」展(2010年)における展示風景
撮影:森田兼次、写真提供:東京都現代美術館


(1)母子健康法では「赤ちゃん」を次のように定義していて、本稿でもそれに準じて各用語を用いる。新生児:出生後28日未満の乳児、乳児:1歳未満のこども、幼児:1歳から小学校就学前までのこども。
(2)「こどものにわ」2010年7月24日―10月3日、東京都現代美術館
(3)「第6回ヒロシマ賞受賞記念 シリン・ネシャット展」2005年7月23日―10月16日、広島市現代美術館
(4)ミニマル・ミュージックは、音型の反復や持続などで構成される現代音楽の形式の一つ。1960年代から70年代にかけてアメリカを中心に隆盛し、世界的な音楽文化にも影響を与えた。
(5)原典はWilliam James,‘one great blooming, buzzing confusion,’The Principle of Psychology, Macmillan, 1890.
 スイスの発達心理学者のジャン・ピアジェも「赤ちゃんは無力な存在である」と唱えた。またオーストリアのジークムント・フロイトをはじめとする精神分析の理論家は、乳児は「混乱しているというより、最初は周りの世界と関係していない」と考えていた(P・ロシャ『乳児の世界』板倉昭二/開一夫監訳、ミネルヴァ書房、2004年、32ページ)。
(6)榊原洋一「赤ちゃん理解の急速な進歩と赤ちゃん学」、産経新聞「新・赤ちゃん学」取材班『赤ちゃん学を知っていますか?――ここまできた新常識』所収、新潮社、2003年、346―351ページ
(7)山口真美『赤ちゃんは世界をどう見ているのか』(平凡社新書)、平凡社、2006年、17―18ページ
(8)小西行郎『赤ちゃんと脳科学』(集英社新書)、集英社、2003年、37ページ
(9)山口真美『赤ちゃんは顔をよむ――視覚と心の発達学』紀伊國屋書店、2003年
(10)前掲『乳児の世界』34-35ページ
(11)前掲『赤ちゃんと脳科学』110ページ
(12)ポール・ブルーム『赤ちゃんはどこまで人間なのか――心の理解の起源』春日井晶子訳、ランダムハウス講談社、2006年、109―113ページ
(13)岡本依子/菅野幸恵/塚田-城みちる『エピソードで学ぶ乳幼児の発達心理学――関係のなかでそだつ子どもたち』(新曜社、2004年)129―130ページでは、二項関係の成立を生後3、4カ月頃と紹介しているが、P・ロシャは、2カ月としている。三項関係の成立については、ロシャも同じく9カ月としている(前掲『乳児の世界』194―198ページ)。
(14)前掲『エピソードで学ぶ乳幼児の発達心理』146―148ページ
(15)同書129―130ページ
(16)同書121―122ページ
(17)前掲『赤ちゃんは顔をよむ』105―106ページ
(18)同書106―107ページ、前掲『エピソードで学ぶ乳幼児の発達心理』50―51ページ
(19)福島宏器「他人の損失は自分の損失?――共感の神経的基盤を探る」、開一夫/長谷川寿一編『ソーシャルブレインズ――自己と他者を認知する脳』所収、東京大学出版会、2009年、192―195ページ
(20)同書194ページ
(21)嶋田総太郎「自己と他者を区別する脳のメカニズム」、同書所収、66―70ページ、嶋田総太郎『脳のなかの自己と他者――身体性と社会性の認知脳科学と哲学』(日本認知科学会編「越境する認知科学」第1巻)、共立出版、2019年、146―149ページ
(22)TOHOシネマズは2003年から赤ちゃん連れで楽しめる「ママズクラブシアター」を展開している(〔https://www.tohotheater.jp/theater/009/info/mamas_club_theater.html〕)。
(23)代表的なものにソニー音楽芸術振興会の「Concert for KIDS 0才からのクラシック®」がある(〔https://www.smf.or.jp/concert/kids/〕)。
(24)中谷奈津子「地域子育て支援施策の変遷と課題――親のエンパワーメントの観点から」、国立社会保障・人口問題研究所編「社会保障研究」第42巻第2号、国立社会保障・人口問題研究所、2006年、168ページ(〔http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/18095307.pdf〕)
(25)同論文168ページ
(26)同論文170ページ
(27)日本での具体的な事例のドキュメントとして、例えば荻原康子/熊倉純子編『社会とアートのえんむすび1996-2000――つなぎ手たちの実践』(ドキュメント2000プロジェクト実行委員会、2001年)など参照。

 

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地球は見つめられている?(いま何かをするのか、しないのか)――『アトランタからきた少女ラーラ』を出版して

広小路 敏

公私でいえば私人のラーラが

 このメモのタイトルを見ると、「見つめている」主語が神様のように思われるかもしれません。真意は、「ほかのすべての地球に住む人々」か、本当に「別の天体に住む人」。後者である可能性は、私たちが知りうる情報からはほぼ否定されますが、本書のラーラはSFとして、ほかの天体からきて、地球を「体験」しました。彼女にはどう映り、母星へはどう報告するのでしょうか。

犬は人間の友達?

 ケイティは本当に、僕(ケント)の役に立つユーマン(HumanOid)です。
「逆に……」、といいますか、歴史的に犬も、人の役に立つはたらきをしてきました。その点をもっと掘り下げて書くべきだったかな、と思い返します。とくに、この7月初旬の大雨のなかで、被災した人たちを救助するために、人間の数千倍の嗅覚を生かして、また持ち前の強い体力を支えとして、風雨を突いて瓦礫のなかに挑んでいく機動犬の姿を見ると、本当にありがたい気持ちでいっぱいになります。
 作中では、軍用犬の例を強調しすぎたかも、という反省も浮かびます。……あまり書くとネタバレ解説になってしまうのでこのあたりにとどめますが、いずれにしても、人と動物とが愛し合う……、人が、動物の「権利」(友人の浅川千尋という憲法学者が『動物保護入門――ドイツとギリシャに学ぶ共生の未来』〔世界思想社、2018年〕で「動物の権利」を数年前に書いていて、共感)を意識して睦み合うことができる……、そういう社会をめざしたいという気持ちです。
* 編集の進行のなかでプロのアドバイスに沿って、納得のうえで取り外しましたが、人が動物を食べることについて、どう考え、今後どんな道がありうるのかについて、SFは未来予測をしなければならないと思いますし、それは「タイムトラベル」のテーマと合わせて私の近未来課題のひとつです。

鬼軍曹(ルイス・ゴセット・Jr)?

 物語の終盤で、宇宙ヨットのクルーは、ラーラが誰に恋心を抱いたのかを論争します。いつ、どのように、誰に対して彼女は恋したのでしょうか。また、主人公のひとり、司郎が高校入学当初に出会う依子はどんな人だったのか。……これらはとても大切な点で、編集者とのやりとりのなかで、「充実を試みること」ができた諸点です。
 厳しい朱入れを頂戴しながら、「チキショー! それはこういうことなんだよ!」と切歯扼腕、補筆したものでした。こちらはリチャード・ギアのような俳優とは対極にありますが、編集者からの「教育的助言」には、邦題『愛と青春の旅だち』(監督:テイラー・ハックフォード、1982年)に登場したフォーリー軍曹のような厳しさを覚えたものでした。
 あの校正の数日間で、私は変わったかもしれません。感謝しています。

長い「おわりに」

 私は、書籍の出版という作業は、優れた監督者の下に、作者を含む各スタッフがそれぞれに個性(音色)を発揮して、オーケストラのように成り立つものと考えました。映画でも(現場を見た経験はありませんが、みんなが手を取り合って完成を喜び合う(『蒲田行進曲』のオールラストのように)シーンに向かうようなものであってほしいと、勝手に思っています。
 その気持ちがあって、まず、青弓社の編集者各位にお礼を申し上げますとともに、装画を担当してくださった谷川千佳さん、采配をくださったデザイナー(デザイン会社)の方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。本当にありがとうございました。
 また、もう一言だけ、「英訳はいつ出るのか」「アラビック版はあるのか」、“Let us pray for miracle! Good luck with your book!” 、「また早く読みたい」と声をくださっている友人(と私は考えています)のみなさん、本当にありがとうございます。
 そして読んでくださった方は、ぜひご意見をください。「私たちは何をしなければならないと思うのか」、そして「微力でも私がしたいと思っていることはこんなことだ」と。
 広小路はみなさんと、どんな立場に立つ間柄であったとしても、どんなことでも一つひとつ話し合いたいと思っています。お便りをお待ちしています。

筆者のフェイスブック:https://www.facebook.com/satoshi.matsuda.54390

 

第34回 ご挨拶と『宝塚イズム43』「宇月颯&如月蓮&貴澄隼人、スペシャル鼎談!」こぼれ話

橘 涼香(演劇ライター・演劇評論家)

 梅雨が明けた途端に一気に酷暑に突入しました。暑くなれば少しは収束傾向になるのでは?と期待していた新型コロナウイルスの感染拡大に残念ながら歯止めがかからず、東京は4度目の緊急事態宣言発出中という混乱が続いています。それでも現在、東京での宝塚歌劇公演は、東京宝塚劇場での珠城りょう&美園さくらコンビ退団公演でもある月組公演ロマン・トラジック『桜嵐記』、スーパー・ファンタジー『Dream Chaser』が、夜の部の開演時間を30分前倒しするだけの変更で華やかに上演中。7月21日から池袋の東京芸術劇場プレイハウスで、トップ・オブ・トップとして20年間、宝塚を牽引した専科の大スター・轟悠の、宝塚の男役芝居としては最後の作品となる『婆娑羅の玄孫』が開幕。さらに首都圏のKAAT神奈川芸術劇場では、7月22日から星組男役スターとしてますます精彩を放ち続ける愛月ひかる主演ミュージカル・ロマン『マノン』が開幕など、このコロナ禍にあって、宝塚歌劇が歩みを止めない姿に勇気をもらう毎日です。

 と、まず時候のご挨拶から入らせていただきましたが、この「『宝塚イズム』マンスリーニュース」では「はじめまして」となります、演劇ライター・演劇評論家の橘涼香です。『宝塚イズム』(青弓社)には、単発でのいつくかの寄稿を経て、『宝塚イズム38――特集 明日海・珠城・望海・紅・真風、充実の各組診断!』(2018年)にご登場くださった朝夏まなとさんのOGロングインタビューを契機に、続巻のOGロングインタビューや、『宝塚イズム41――特集 望海風斗&真彩希帆、ハーモニーの軌跡』(2020年)からは「OG公演評──関東篇」も担当するなど、様々な形で参加してきました。そしてこのたび、絶賛発売中の『宝塚イズム43――特集 さよなら轟&珠城&美園&華』をもって鶴岡英理子さんが共同編著者を退くことになったことから、ご縁をいただき、2022年1月刊行予定の『宝塚イズム44』から編著者の大任に就くことになりました。特に年2回刊行になってから、薮下哲司さんと鶴岡さんが目指してこられた健全な批評誌としての『宝塚イズム』の精神を引き継ぎ、『宝塚イズム』の未来に、微力ながら貢献できたらと考えています。中心になってくださっている共同編著者の薮下さんとは、19年年末に東京宝塚劇場前にある日比谷シャンテビル内の書店・日比谷コテージ主催『宝塚イズム40――特集 さよなら明日海りお』刊行記念のトークショーでもごいっしょしましたし、その前から演劇現場でも様々にお世話になっていましたので、胸をお借りして務めてまいります。自分で申し上げるのも、の感がありますが、人一倍の宝塚愛をもっていると自負していますし、これまでも貫いてきた「酷評するなら書かない」のポリシーを胸に、宝塚、スターさん、作家さんほか、関わる方々へのリスペクトを忘れず、何よりも同じ宝塚を愛する同志である読者のみなさまに喜んでいただける誌面作りを目指していきますので、今後とも『宝塚イズム』をどうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、私の所信表明演説(!?)だけでは「『宝塚イズム』マンスリーニュース」になりませんので、ありがたくも大変なご好評で発売中の『宝塚イズム43』で担当した「『エリザベートTAKARAZUKA25周年スペシャル・ガラ・コンサート』、宇月颯&如月蓮&貴澄隼人、スペシャル鼎談!」のこぼれ話をご披露いたします。

 コロナ禍で果敢に開催された『エリザベートTAKARAZUKA25周年スペシャル・ガラ・コンサート』では、私自身も一瞬にして往時がよみがえるという、歴代スターさんたちが集ったすばらしい公演の数々を堪能しましたが、その日替わりで登場するキャストのみなさまを支える全日程出演メンバーの方々が、どんな思いで公演の土台を築いていったのか。さらにガラコンサート全体を司る大任であるルイジ・ルキーニ役を数多く務められた宇月颯さんは、どんな気持ちで公演に臨み、舞台を牽引されたのか。ぜひお話をうかがいたい!と願ったところからスタートした企画は、関係各所のご尽力とご快諾をいただき、宇月さん、その同期生でゾフィーの取り巻きの「チーム重臣」でヒューブナーを演じられた如月蓮さん、宇月さんと同じく月組育ちで退団同期でもあり、如月さんと同じ「チーム重臣」でシュヴァルツェンベルクを演じた貴澄隼人さん、のお三方にお集まりいただくことができました。鼎談当日はあいにくの雨だったのですが、実はたっぷりゆとりをもって予約したつもりの都内某所の予約時間が超過寸前!! 「あと10分です~!」と大騒ぎになったほど、盛りだくさんのお話が飛び出して和気藹々。実は誌面に載せたものの倍以上のお話がありましたというほど、うれしい悲鳴のなかで、お話をうかがうことができました。
 
 宇月颯さんは宝塚歌劇団時代、なんと言っても優れたダンサーとしての評価が高かった方ですが、霧矢大夢さん主演版の『アルジェの男』(月組、2011年)の終盤「泥にまみれた~」ではじまる主題歌の影ソロを務められたときから、実はものすごく歌もうまい方なんだ!といううれしい喜びが常に記憶にあり、歌ってほしいな、もったいないな……と月組の舞台を観てはいつも思っていました。ですから珠城りょうさんのトップ披露公演『カルーセル輪舞曲』(2017年)で群舞のなかから抜け出した宇月さんが「1人では飛べないこの大海原をあなたの翼になって皆で飛んでいこう」という趣旨の、鮮やかなソロ歌唱を披露したときには、もう心でガッツポーズでしたし、取材仲間から「宇月さんってあんなに歌がうまかったの?」という話題がたくさん出たときにも「もともとうまいんですよ~!」とお前が歌っているのか!?(違います!)くらいに、なんの権利もなく鼻高々になってブイブイ言わせていた、ちょっとおかしいよ自分、な記憶がいまも鮮烈です。その後の宇月さんのご活躍は言わずもがなで、ダンス、芝居だけでなく見事な歌を数々聴いていましたから、ルキーニ役のオファーがうれしくありがたかったけれども、歌中心のガラコンサートで自分がルキーニでいいのか相当に悩んだ……というお話には、なんと謙虚な方だろうと思うと同時に、だからこそ歴代経験者に交じって、堂々とルキーニを演じることができたのだなと、深く得心がいったものです。
 
 その宇月さんの同期生で星組ひと筋の如月蓮さんは、宝塚時代からムードメーカーという言葉がピッタリくる明るさを常に感じさせてくれる男役さんでした。とても印象に残っているのが、紅ゆずるさんが初めて全国ツアーで主演を務めた『風と共に去りぬ』(星組、2014年)で、直近の宙組公演では悠未ひろさんと七海ひろきさんが役替わりで演じたのに象徴される、代々綺羅星のごとき男役スターさんが演じてきたルネ役を繊細に、相手役の妃白ゆあさんを大きくつつむ包容力で演じたかと思うと、紅さんトップ披露公演の『THE SCARLET PIMPERNEL』(星組、2017年)では、王太子ルイ・シャルルにつらく当たるマクシミリアン・ロベスピエールの崇拝者で靴屋のシモンを色濃く演じるといった役幅の広さでした。しかもそんなシモンを演じていても、如月さんの舞台には宝塚を逸脱するほどイヤなやつには決して役柄がならない矜持があって、「如月さんがいらっしゃると場が明るくなる」という貴澄隼人さんのお話に納得する思いでした。「エリザベートのハモリパートの難しさを初めて知った!」という、経験した方だからこその感慨や、無観客上演になってしまった際の涙と渾身を傾けた演技といったご自身のお話だけでなく、宇月さんがいかにルキーニ役として、歴代のルキーニ役者さんに献身されたかの、同期ならではの愛あるお話ぶりにも心打たれました。
 
 そして貴澄隼人さんは、宇月さんと同じく月組育ちの男役さん。三銃士を大胆に脚色した『All for One』(月組、2017年)で、珠城りょうさん演じるダルタニアンの父親ベルトラン役で、ガスコン魂を歌った温かい美声をご記憶の方も多いと思います。なかでもなんといっても『ロミオとジュリエット』(月組、2012年)新人公演でジュリエットの父キャピュレット卿を演じたときに披露した「娘よ」のソロが忘れられません。「どうだ、うまいだろう!」になっても「語り」になりすぎても違うと思えるビッグナンバーを、娘への心情を切々と歌う感情と、ビロードのようだなといつも感じる艶やかな歌声を両立させ、特に喉の調子が整っていた東京宝塚劇場での新人公演で披露した歌唱は、私個人としては歴代キャピュレット卿のなかでも非常に優れた名唱に数えられるものだったと信じています。全日程メンバーが例えば一日だけ入る歴代スターさんの空気を感じることにどれほど配慮されたか、毎日の舞台稽古、そしてご自身の役柄シュヴァルツンベルクの極端に低いソロパートに対する秘話などを、お話されるときもきれいなお声で語ってくださいました。貴澄さんのとことん真面目だけれども面白いという宇月さん、如月さんがおっしゃる側面が、これからの俳優活動でも見えてくるといいなと期待しています。
 
 そんなお三方がそろって出演される古典ラブバトル劇『ル・シッド』の初日も7月21日。池袋あうるすぽっとでの上演で、キャスト10人のうち8人が元タカラジェンヌという座組にも期待が高まります。ちなみに『宝塚イズム43』鼎談時には写真撮影の間だけマスクをはずしていただき、感染対策に厳重に注意しての取材でしたが、そのわずかな時間にも笑顔がこぼれでて素敵でした。中村嘉昭さんが撮影してくださった、そんな瞬間の数々を切り取られたお写真(こちらのカラーを見ていただく方法はないものか……といま、青弓社編集部とも相談を重ねています)も含めて、とても貴重なお話の宝庫である『宝塚イズム43』の鼎談全文をぜひお読みいただけたらと願っています。刷り上がった書籍をごらんになった宇月さんが「たまちゃん(珠城)の退団特集にいっしょに載ることができてうれしい」と言ってくださったのも、あー宝塚愛!を感じて胸に染みるひと言でした。そんな宝塚を、これからもOGさんたちを含め様々な形で見つめていきたいと思っています。末永くどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

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第33回 コロナ禍での『宝塚イズム43』刊行!

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 オリンピックが始まろうとしているのに新型コロナウイルスの感染拡大は一向に収まる気配がなく、東京は4度目の緊急事態宣言発出中。前代未聞の混乱状態ですが、宝塚歌劇は公演時間を変更するなど感染拡大に細心の注意を払いながら東西ともなんとか通常どおり上演しています。そんななか、わが『宝塚イズム43』も無事に7月初旬に刊行することができ、おかげさまで全国の大型書店で好評発売中です。
 今号は、トップ・オブ・トップとして20年間、宝塚に君臨した専科のスター・轟悠の突然の退団発表を受けて、すでに退団を発表していた月組トップコンビの珠城りょう、美園さくら、花組の娘役トップ・華優希に加えて、轟の退団をメインに据えた特集を組みました。轟の存在が宝塚歌劇にとっていかに大きいものだったか、どんな影響を与えてきたか、などを執筆メンバーに考察してもらい、単に惜別の特集というだけでなく、轟が存在しない宝塚歌劇が今後どんなふうに展開していくのか、将来の展望も見据えた特集になっています。
 そして、昨年3月、退団を発表していながらコロナ禍の休演で半年遅れとなった月組の珠城と美園、そして7月の『アウグストゥス――尊厳ある者』(作・演出:田渕大輔)東京公演で退団した花組の娘役トップ・華の3人の退団には、通常の惜別特集を組みました。華の大劇場千秋楽は無観客のライブ配信という不運に見舞われましたが、珠城と美園は退団の時期はずれたものの『桜嵐記(おうらんき)』(作・演出:上田久美子)というすばらしい作品で見送ってもらうことができた幸せなカップルでした。
 小特集は、今年は花組と月組が誕生して100周年という節目の年にあたることから、花組と月組にまつわるさまざまな思い出やスターの話題をピックアップしてみました。本来は4月に宝塚大劇場で、歴代のスターたちが勢ぞろいしての祝祭イベントがあるはずだったのですが、コロナ禍で中止になってしまい、せめて誌面で応援しようと企画していたところ、11月に大劇場花組公演と梅田芸術劇場で100周年記念公演が決定、タイムリーな小特集になりました。
 また、今年はミュージカル『エリザベート』の日本初演25周年の記念の年にもあたります。歴代出演者が勢ぞろいした『エリザベートTAKARAZUKA25周年スペシャル・ガラ・コンサート』が開催されました。全日程出演するアンサンブルキャストには在団中には出演がかなわなかったメンバーが選ばれるなど、これまでにないフレッシュなキャストで上演されました。そんなメンバーのなかから宇月颯、如月蓮、貴澄隼人の3人に橘涼香さんが貴重な話を聞いてくださいました。この裏話はまたあらためてここで書いていただくとして、『エリザベート』が宝塚の演目のなかでいかにカリスマになっているか、3人の鼎談を読むとよくわかります。
 OGロングインタビューは、2000年から06年までトップを務め絶大な人気を誇った元宙組の和央ようかに登場してもらいました。現在、滞在中のハワイからのリモート取材で、7月に開催する予定だった宝塚ホテルでの里帰りディナーショーの話を中心に『エリザベート』初演時の苦労話などを聞くことができました。しかし肝心のディナーショーが、新型コロナウイルスの感染拡大が収まらず、緊急事態宣言は解除されたものの、その後に発出された兵庫県独自のまん延防止等重点措置のため7月の開催を断念、10月23、24の両日に延期されてしまいました。ゲストも実咲凛音から綺咲愛里に交代するなど、インタビューの内容とはずいぶん変わってしまいますが、そのあたりはご了承のうえお楽しみください。
 それにしてもこんな状態がいつまで続くのか、もう元通りにはならないという悲観論者の声も聞かれますが、一日も早くマスクをしなくてもいい世界になることを祈りたいものです。

 

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ギモン5:日本人向けの展示ってあるの?(第2回)

難波祐子(なんば・さちこ)
(キュレーター。東京都現代美術館を経て、国内外での展覧会企画に関わる。著書に『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーターという仕事』〔ともに青弓社〕など。現在、キュレーションした坂本龍一の個展「坂本龍一: seeing sound, hearing time」が北京の木木美術館〔M WOODS Museum〕で開催中〔2021年8月8日まで〕)

「他者」の表象と日本の現代美術の表象

 ギモン1の「美術館と展覧会の歴史的背景」のところで少し述べたが、「美術史」と言えば、長年「西洋美術史」を示すことが欧米社会だけでなく、それ以外の地域でも一般的な認識だった。だが、1980年代末の冷戦の終焉と90年代の物流や経済のグローバル化、テクノロジーの発達による情報化の波を受けて、文化の面でも変化を余儀なくされ、そのなかで非欧米地域の美術史についての検証と理論化が進められてきた。現代美術史も長らく単線的な西洋美術の歴史の延長線上に位置づけられてきたが、90年代にポスト・コロニアル(ポスト植民地主義)の議論が盛んになるにつれて、複眼的な視点から、これまで美術史の外に置かれていたアジアやアフリカなど多様な地域の美術も含めて美術史を編み直す動きが見られた。国際的なビエンナーレやトリエンナーレでも非欧米地域の現代美術とその表象が大きなテーマとして各地で積極的に取り上げられるようになった。そこでの議論の中心になったのは、「他者」の表象を取り巻く言説だった。
「他者(the Other)」という英語表記で大文字の「O」を用いる言葉は、ポスト・コロニアルの言説でしばしば用いられる特殊な哲学用語である。「他者」とは、要は、異性愛者の白人男性から見た「他者」であり、有色人種、女性、そして近年よく耳にするLGBTなどの同性愛者やトランスジェンダーといった社会的少数派、マイノリティーを指す。こうした「他者」は、歴史的にも政治・経済・社会活動で表舞台から排除され、社会的弱者としての立場を余儀なくされてきていて、現在もその不均衡はまだまだ是正されきっていないのが現実である。美術の世界でもその傾向は同じであり、例えば一般的な美術史の教科書に名を残すような女性アーティストの数は、国や文化によって多少の差はあるものの、歴史的に見れば男性アーティストの数よりも圧倒的に少ない。また欧米諸国のアーティストに比べて非欧米諸国のアーティストは、1990年代に入るまでほとんど欧米で紹介されることがなかった。それが、グローバル化と情報化の流れを受けて、一気に世界中が簡易に移動できたり、瞬時にネットワークでつながるような動きが加速し、美術の世界でもこれまで知りうることが困難だった遠方の地での情報がリアルタイムで入手できるようになった。こうした状況に伴って、これまで文化的にも「周縁」とみなされてきた非欧米地域の美術が90年代に入って一気に紹介される機会が増大した。またこうした非欧米地域の美術を紹介する展覧会は、主に欧米のキュレーターが欧米の観客のためにキュレーションする、という帝国主義的・植民地主義的手法が長く主流を占めてきた。だが、そうしたアプローチに批判が高まってきたのも90年代であった。
「表象」という言葉についてもここで少し補足しておきたい。「表象(representation)」という言葉は、「他者」同様、記号論や人類学などで用いられる哲学用語である。文字どおり訳すと「(何かや誰かの)代わりに示す、表現する」という意味になるが、美術の場合だと、作品をある文化的な特徴を「表象」するものとして捉えたり、あるいはある特定の国や地域の美術を紹介する展覧会のことを、その国・地域の美術を「表象」する事象として扱う。例えば、日本の現代美術作品を集めた展覧会は、日本の現代美術を表象するもの、ということになる。このように「他者」の表象というのは、現代美術の場合、非欧米地域の文化や美術をどのように作家やキュレーターが表し、紹介しているのか、という意味で用いられている。
 先に述べたとおり、1990年代に入って、非欧米地域の美術を欧米のキュレーターが欧米の観客に向けて紹介するという植民地主義的な展覧会への批判が高まった。それに対して、当該地域出身のキュレーターであれば、よりオーセンティックな、本物らしい、その地域の美術を表象できるのではないか、という期待が、欧米の美術関係者のなかでも寄せられていた。例えばアフリカの美術の展覧会ならアフリカ出身のキュレーター、アジアの美術ならアジア出身のキュレーターのほうが、欧米出身のキュレーターよりもより忠実にその地域の美術を理解し、欧米出身のキュレーターにはできない視点からよりオーセンティックな展覧会を作れるのではないか、と思われたのである。先に紹介した戦後の日本美術を紹介する2つの展覧会が実施されたのは、そうした論争が盛んになった時期でもあった。

ディアスポラなアーティストとキュレーターの登場

 グローバル化が進むなかで、同時に台頭してきた世界的な傾向が、グローバルとは対極にある「ローカル」を志向する流れであった。欧米中心主義で画一的なグローバルに対して、自分たちが住む国、地域、地元ならではの個性、良さ、価値観、文化を大切にして、それを外に向けてアピールするような流れである。美術の場合はそれが先に述べた国際展などで顕著に現れた。またこうした国際展も、それまではヴェネチア・ビエンナーレやドクメンタ(ドイツ)、あるいはホイットニー・バイエニアル(アメリカ)など欧米を中心として開催されていたが、1990年代に入って、光州(韓国)、上海、台北、横浜、アジア太平洋(ブリスベーン、オーストラリア)などアジアを中心とする非欧米地域で新しいビエンナーレやトリエンナーレが次々と立ち上がった。こうした新興の国際展は、欧米のそれと差別化を図るうえで、その土地ならではのローカルな文脈を強調したり、その地域・国らしさを売りにする戦略が多く見られた。そしてこれらの国際展で台頭してきたのが、非欧米地域出身のキュレーターやアーティストだった。これらの国際展では、それまでの欧米の国際展では紹介されてこなかった、その開催地域出身のアーティストが、同じく開催地域出身のキュレーターによって数多く紹介された。だが、こうした非欧米地域出身のアーティストやキュレーターの多くは、実は欧米で教育を受けたディアスポラなアーティストやキュレーターが大半を占めていたことで、この「本物らしさ」や「その国・地域らしさ」をめぐる表象の問題はより混迷を深めることになった。
 ここで「ディアスポラ」という聞き慣れない言葉が突然登場してしまったので、少し説明しよう。「ディアスポラ」とは、ギリシャ語で「離散」を意味する言葉で、もともとはパレスチナを離れて世界各地で暮らすユダヤ人のことを指していた。それが転じて近年は、政治的・思想的な理由で国を離れ、自国以外の場所を拠点として活動をおこなう者のことを意味する。現代美術の世界では、1989年の天安門事件をきっかけとして、多くの中国人アーティストやキュレーターがほかの知識人とともにニューヨークやパリへと移り住み、ディアスポラなアーティストやキュレーターの先駆けとなった。また90年代は、アジアやアフリカの富裕層の子弟や国費留学生などが欧米に留学することが一般的になり、彼らが大学卒業後に自国に戻って活躍する機会が増えた。例えばタイでは、主にアメリカの大学や大学院に留学したアーティストやキュレーターが、タイに戻ってアーティスト・ランのスペースを設立して運営したり、アートプロジェクトを企画するなどの動きが活発化した。こうした欧米で教育を受けたディアスポラなアーティストやキュレーターは、英語、フランス語、ドイツ語などの欧米の主要言語と、アートの専門用語(ジャーゴン)という二つの特殊な「言語」を駆使することに長けていて、欧米の専門家に対して、わかりやすく非欧米の表象について語ることができるという、ある意味、特権的な立場にいた(28)。つまりこうしたアーティストは欧米の美術関係者に対して、わかりやすいオーセンティックな「ローカル」の作品を提示することを得意としたのである。またキュレーターは、そうしたアーティストを、「グローバル対ローカル」や「グローカル」「ハイブリッド」などのはやりの言説を巧みに用いながら、その地域の美術を代表するものとして積極的に紹介する役割を果たした。だが、こうした他者の表象の立役者だった彼ら自身が、それまで欧米出身者が主流だった「スター・キュレーター」「スター・アーティスト」と呼ばれる国際展の常連組に同じように名を連ねるようになるには、時間はかからなかった。皮肉なことに結果的には、世界中どこの国際展に行っても、同じディアスポラなスター・キュレーターが選定する同じくディアスポラなスター・アーティストの顔ぶれによる企画が散見されることになった。そしてこうした非欧米地域の美術についての展覧会は、同じく非欧米地域出身のキュレーターの手によるほうがよりオーセンティックな表象になる、という一種の幻想的な期待が欧米・非欧米双方の美術関係者のなかで徐々に崩れ始めていった。

共同キュレーションによる新しい試み

 2000年代に入って、こうした他者の表象をめぐる議論は、世界各地で盛んにおこなわれた共同キュレーションなどの試みによって、新たな方向性を模索していくようになった。そこでは誰が誰をというよりは、お互いがお互いに対話を通して新しい表象の可能性を切り開くというスタイルが主流になっていて、その傾向はいまも続いている。日本では、国際交流基金アジアセンターが主催した「アンダーコンストラクション――アジア美術の新世代」展がその好例の一つになった。この展覧会は、インドネシア、インド、韓国、タイ、中国、日本、フィリピンから9人の若手キュレーターが、アジア各地でリサーチして、アジアの表象について共同で模索する、という一大プロジェクトだった。このプロジェクトでは、2000年から参加キュレーターによる調査とセミナーがおこなわれ、01年から02年にかけて、アジア7都市で単独あるいは共同でキュレーションした展覧会を実施し、最終的には東京でそれまでのローカル展を総括する展覧会を開催した。このプロジェクトをきっかけにして構築されたアジア人キュレーターやアーティスト、美術関係者のネットワークは、その後の日本国内外のアジアの表象をめぐる展覧会にも大きく貢献することになった。
 また2013 年に森美術館で開催された「六本木クロッシング2013 アウト・オブ・ダウト――来たるべき風景のために」もオーストラリア人のキュレーター、ルーベン・キーハンとアメリカ人キュレーターのガブリエル・リッターが森美術館の片岡真実と共同でキュレーションをおこなった。「六本木クロッシング展」は、同館で04年にスタートした3年に一度開催される、日本における多様なジャンルのアーティストやクリエーターを紹介する展覧会である。4回目となった13年は、海外から日本の現代美術に精通している2人のゲストキュレーターを迎え、若手作家だけではなく、異なる世代の作家や海外在住の日本人作家なども加えて、日本の現代美術を多角的に検証する機会とした。ここで大切なのは、キーハンが述べているようにこの展覧会が、「日本美術とは何なのか、何だったのかという問いではなく、日本美術がどうなりうるか、そして何ができるのか」を日本に対して、それも「単に約1億3,000万人の住む列島という場ではなく、何十億という人々がその意味を共有し、協議している日本という考え、概念に対して何ができるのか(29)」と問題提起している点である。

「日本の」現代美術

 さて、ずいぶんとまわり道をしてしまったが、「日本人向けの展示というのはあるのだろうか」という今回のギモンを発端にして、ある特定の国や地域の美術を表象することについていろいろと考えてきた。ここでいちばん考えたかったことは、日本の現代美術は、誰にとって、誰が発信する「日本らしさ」「日本文化らしさ」なのだろうか、というギモンと、現在の日本人にとって、あるいは世界の人々にとってその国らしさを表象するということはどういった意味をもつのだろうか、という大きな問いだ。というのも、一国の文化をプロモーションするというのは、それが誰に向けたものであれ、第二次世界大戦中のナチス・ドイツの一大文化プロパガンダや、戦時中の日本の文化統制などを彷彿とさせるナショナリズムな動きと切り離して考えることができない、危険と背中合わせの行為だからである。異文化はもとより、LGBTや障害者など多様な背景をもつ人々に対する社会的包摂(インクルーシブ)が必要とされる現代社会で、ある特定の文化を表象することについて、私たちは注意深くあるべきである。
 また、ここでこれまで当たり前のように用いてきた「日本の」現代美術が規定する「日本」や「日本らしさ」は、実は一定の決まりきった概念ではなく、時代によっても、また個々人によってもその定義は揺らいでいるものであることには留意する必要がある。日本は長らく単一民族による単一国家であるという幻想があったが、近年のアイヌや琉球文化への見直しや、日本に長期滞在している日系ブラジル人やアジア人労働者などの地域コミュニティとの関わりへの眼差しなどは、そうした考え方に一石を投じている。
 また、同じ「非欧米地域」の「アジア」ではあっても、例えば日本の現代美術の国内外での紹介のされ方と、植民地支配を経験したほかのアジア諸国の現代美術の紹介のされ方を同一視することはできない。もっと言えば、「東洋」というコンセプト自体も、西洋側に規定されてきたものであり、そのことを忘れて十把ひとからげに「アジア」の美術とか、「日本」の美術という言い方をすることは、非常に乱暴な態度である(30)。したがって「日本の」現代美術の展覧会が開催されるときに、それが誰によって、誰のために開催されているか、というその背景にある文脈によって、その定義は常に流動的であることは頭の片隅に置いておく必要があるだろう。
 先に登場した「他者」や「表象」といった言葉も、もともとは英語の「the Other」「representation」という欧米の知識人層で用いられる専門用語である。そもそもこれまで見てきた展覧会や美術館という枠組みそのものや、現代美術というカテゴリー自体が西洋生まれの概念だった。明治の時代に翻訳された「美術」という用語が日本でなじみがなかった概念であったように、文化や地域によって「美術」や「現代美術」の定義そのものも統一されたものではないことは、ローカルの文脈を考えるうえで大切な要素だろう。
 国を挙げて推進されてきた東京2020の文化プログラムに関連する展覧会の多くは日本で実施され、コロナ禍の影響によって当初想定していた海外からのインバウンド客ではなく、日本国内の観客がその主たる対象になった。これらの展覧会を鑑賞する側から見れば、政府や組織委員会の思惑とは裏腹に、それが外国人向けに作られようと日本人向けに作られようと、もはや結果的には大差がないように見受けられる、というか比較検証することも物理的にできない、というのが正直なところだ。これらのプログラムの多くは、主には「海外」の観客に向けて日本文化を発信するものだったが、「海外」と一口に言っても、それは日本人や日本文化の定義が一様ではないように、「海外」を「日本以外」とした、かなり大ざっぱで漠然とした定義であると言えるだろう。先に見てきたように多言語化対応で中国語と韓国語が英語に加えられたことは、想定されていたインバウンド客のなかでもアジアの観客を意識したことは推察される。だが、ここで言う「アジア」も正確には東アジアの観客で、ここには西アジアや東南アジアは含まれていない。

コロナ禍における文化の表象

 ある特定地域の美術の表象が1990年代に問題になったように、それを享受する観客についても、単純に「日本」の観客、「アジア」の観客と一括りにすることは、このグローバルな現代社会で、時代錯誤的な発想であると言わざるをえない。むしろコロナ禍という特殊な状況で、どこの国のアーティストもキュレーターも、そして観客も自由に移動することが制限され、自国にとどまることを余儀なくされたことで、この問題はまた新たな局面を迎えているのではないだろうか。
 例えば、コロナ禍で展覧会や美術関係のシンポジウムもオンラインのプログラムが増えて、どこにいても、世界中のプロジェクトやプログラムを自宅にいながらにして享受できるようになった。そうしたプログラムでは世界各地をリアルタイムで同時に結ぶものも多い。そうなった場合に、対象となる観客の居住地域はもはや重要な要素ではなく、開催されるプロジェクトのテーマや内容に関心がある層であれば、言語や時差の問題はあるかもしれないが、基本的には誰でもどこからでも参加できる。そこでは何がオーセンティックなのか、ということはもはや問題にされないし、逆にいまを生きる私たちに何が必要なのか、またそれを異なる文化や社会に生きる各自がどう受け止めるか、それぞれの状況でどう対処しているのかを互いに学び、共有し合うことのほうが喫緊の課題になっていると言えるだろう。それは、キーハンらが提起した日本の現代美術に対する問いと共通する姿勢ではないだろうか。
 これまで見てきたように日本の現代美術の表象は、時代とともに変化し続けている流動的なもので、今日のグローバルな文脈では、日本の現代美術も、ほかの地域の美術の表象と同じく複眼的に思考されることが求められていると言える。一方で、本ギモンの冒頭で少し例示したように、「日本の現代美術」と言われて、私たちが何となく曖昧にそれらしく思い描くもの、があることも事実である。それが東京2020の文化プログラムでは、よりはっきりと極端な方向性をもって可視化されることになった。だが、そもそも「日本人」にしかわからない「日本の現代美術」の展示などあるのだろうか。「日本人」のアイデンティティや定義が揺らぐなかで、同じ日本人でも年齢や住んでいる地域、生きている時代、自らの関心の対象によって、現代美術の受け止め方もそれぞれであるにちがいない。そして展覧会で「わかる」ことは重要なのだろうか。次のギモンでは、こうした問いについてまた一歩考えを進めていくために、赤ちゃん向けの展示があるのかという問いを通して、展覧会の観客について、また別の観点からあらためて考えていきたい。


(28)ディアスポラの知識人については、香港出身のレイ・チョウ『ディアスポラの知識人』(本橋哲也訳、青土社、1998年)を参照されたい。
(29)ルーベン・キーハン「喪失の構造、解放の構造」、森美術館編『六本木クロッシング2013 アウト・オブ・ダウト――来たるべき風景のために』所収、平凡社、2013年、212ページ
(30)タイの美術史家であるアピナン・ポーサヤーナンは、こうした「西洋」に対するアジアの単一的な「東洋化」や「アジア化」といった見方に対して異を唱えている。Apinan Poshyananda, “Roaring Tigers, Desperate Dragons in Transition” in Apinan Poshyananda eds, Contemporary Art in Asia: Traditions/Tensions, Asia Society Galleries, New York,1996, p. 24.

 

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やるべきことを、やるべきときにやる――『海外ルーツの子ども支援――言葉・文化・制度を超えて共生へ』を出版して

田中宝紀

 約1カ月前、私の初めての単著『海外ルーツの子ども支援――言葉・文化・制度を超えて共生へ』を出版しました。
 私が海外ルーツの子ども支援に携わり始めたのが2010年。その頃の私は、現場のど真ん中で日々子どもたちや保護者と向き合い、必要があれば学校に出向いて交渉や相談を重ねる「支援者」でした。ときには自宅を繰り返し訪問したり、自治体の担当者に状況の改善を求めたりなど、“いま、目の前の子どもに必要なこと”を手探りで続けていました。
 そのような日々のなかで、子どもたちの現状や課題について「書いて発信する」ことを意識し始めたのは、この仕事に携わるようになってから5年後の2015年のことです。きっかけは、同年2月に神奈川県川崎市で発生したある事件で、当時中学1年生だった被害者の男子生徒が、河原で10代の少年たちにナイフで殺害された、残忍で痛ましい出来事でした。
 当時、メディアによる連日の報道によって事件の背景が明らかになるにつれ、私は主犯格の少年が海外にルーツをもっていることを知りました。そしてその主犯格の少年が置かれた環境から、もしかしたらこの少年は「シングルリミテッド」(母語を喪失し、日本語モノリンガルだが、その日本語力が小学校低学年程度でとどまっている状況)なのではないかと感じました。その直感をもとに、個人ブログの記事としてシングルリミテッド状態に置かれた子どもの苦しさや大変さ、なぜシングルリミテッド状態に陥る子どもが存在しているのか、その要因である日本語を母語としない子どもの教育機会が不十分な実態などを、主犯格の少年を理解する手掛かりになるのではないかという趣旨で書いて公開しました。
 正直にいうと、記事を公開するまでは不安や怖さがあり、強い批判を浴びるのではないかと感じていました。どちらかというと、記事の内容が主犯格の少年を“擁護”していると受け取られても仕方ないものだと思っていたからです。しかし、私の小さな懸念が吹き飛ぶくらいその記事は拡散され、最終的に何万もの人読まれました。そして記事を読んだ人から届いた感想やコメントのほとんどが、シングルリミテッド状態に陥る子どもの苦しさについて共感するものや、「(主犯格の少年に)そうした背景がある可能性を知ることができてよかった」といった内容のものでした。また、記事の内容の多くは、日頃海外ルーツの子どもと関わりをもつ私たち支援者にとっては「あるある」の事柄でしたが、読者からは「初めて知った」「気づかなかった」「重要な課題なのでもっと知りたい」といった声を寄せていただきました。
 この出来事をきっかけに、私は私たちの「あるある」がどれほど閉じたものだったか、そのことを「一般化して伝えること」や「身近に海外ルーツの子どもがいない人にわかりやすく伝えること」がどれほど大切であるか、に気づきました。

 それ以降、私は「課題の社会化」を活動テーマのひとつとして掲げ、海外ルーツの子どもやその家族が置かれた状況がどれほど困難なのか、その課題がどれほど重要なのか、どうやってそれを解決していけるのか、などを書いて発信していきました。もちろん、「わかりやすさ」は諸刃の剣であり、ときに偏見を強化することにつながったり、海外ルーツの子ども自身を傷つけたりする可能性も感じてはいました。それでも、伝わるように伝えなければいつまでも子どもたちが置かれている状況は変わらず、その存在さえも「見えない」ままになってしまうという危機感に後押しされ、発信を続けてきました。そしてその発信がどのような広がりとつながりをもたらしたかについては、拙著で書いたとおりです。

 現時点でも海外ルーツの子どものことを知らない人や、知っていても詳しくはわからない人はまだまだたくさんいますが、それでも国や自治体、教育関係者や公益活動の担い手など、海外ルーツの子どもたちにとって重要な役割を担う人々の間では少なからず「課題認知」は進んだ、という実感をもっています。
 半ば意図しない状況から「あるあるを書き、発信する」という役割を(勝手に)担って歩んできたこの数年間。書くべきときに書くべきことを書けないと悩んだり、批判を受けてもう書くことをやめようと思ったり、(私自身にとっては大きな)山も谷もそれなりに経験してきました。それでもなんとか書くことを続けてきた、その結果が、少しでも子どもたちの状況改善や課題解決につながってくれているのであれば、これほどうれしいことはありません。

 今回、これまでの歩みと経験から見いだした「あるある」をまとめたことで、私が担ってきた役割は一段落した、と肩の荷を少し下ろすことができました。これから先、私が書く文章がどのような役割を新たに担うかは、いまはわかりません。
 ただ、いまでも目の前に子どもたちがいて、コロナ禍のなかで状況はよくなる気配をまだみせていません。
【やるべきことを、やるべきときにやる】
 これからもそんなシンプルな日々を積み重ねて、子どもたちの未来を開き、多様な人々がともに生きることができる社会を実現する。その実現に向け、多くの方々とともにその一端を担い続けていきたいと思います。

 

第32回 上田久美子と『桜嵐記』

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 新型コロナウイルス感染拡大第4波襲来で4月25日から緊急事態宣言が発出され、再び宝塚大劇場、東京宝塚劇場が2週間の休館となり、花組・星組公演が中止になりました。娘役トップの華優希と二番手男役スター瀬戸かずやの退団公演だった花組公演ドラマ・ヒストリ『アウグストゥス――尊厳ある者』(演出:田渕大輔)とパッショネイト・ファンタジー『Cool Beast!!』(作・演出:藤井大介)は、5月10日の千秋楽を無観客のライブビューイングとライブ配信で開催するという前代未聞の事態になりました。タカラヅカ・スカイ・ステージはサヨナラショーだけを生中継、瀬戸の「宝塚の生徒がこんな光景を二度と見ることがないように祈ります」という挨拶の言葉が痛切でした。
 5月11日までの緊急事態宣言はさらに延長されましたが、大阪府以外は劇場再開が認められ、15日からの珠城りょう、美園さくらの月組トップコンビのサヨナラ公演、ロマン・トラジック『桜嵐記(おうらんき)』(作・演出:上田久美子)とスーパー・ファンタジー『Dream Chaser』(作・演出:中村暁)は、宝塚大劇場に満員の観客を集めて開幕しました。当初の予定では昨年暮れの公演予定でしたので半年遅れ、出演者、関係者そして見守る観客も含めて薄氷を踏む思いの緊張感あふれる初日でした。
 そんななか上演された『桜嵐記』は、いまや宝塚の物語の紡ぎ手として第一人者になった上田が、南北朝時代、南朝に殉じた武将・楠木正行に題材をとって書き下ろした歴史ロマン。楠木正成と正行親子の話は『太平記』でも知られ、1991年のNHK大河ドラマではそれぞれ武田鉄矢と中村繁之が演じていました。正成が河内の国守を任され、庶民に厚く慕われていたことは舞台にもありますが、地元ではいまだに「楠公さん」と親しみを込めて呼ばれていて、現在、河内長野市など大阪府東部の市町村を中心に「楠公さんを主人公にしたドラマを」と再びNHK大河ドラマ誘致運動が盛んにおこなわれているくらいです。ただ、天皇に忠誠を尽くした武将として戦前の修身の教科書で天皇崇拝の象徴として扱われたことで、再評価に不安を覚える人々がいることも確かです。今回の舞台化は、『太平記』の時代に立ち返り、正成と正行の武将としての純粋な生き方を描いたもので、なかでも四条畷の戦いからラストにかけての怒涛の展開は見事なものでした。
 作・演出の上田久美子は1979年生まれ、奈良県出身。京都大学文学部フランス文学専修卒で、2年間の製薬会社勤務を経て2006年、宝塚歌劇団に演出助手として入団しました。13年、月組バウホール公演『月雲(つきぐも)の皇子(みこ)』で演出家デビュー。『古事記』と『日本書紀』で衣通姫伝説が微妙に異なることから自由に物語を紡いだ古代ロマンでしたが、これがすばらしい出来栄えで関係者を仰天させ、当初予定になかった東京公演が決まったほどでした。『桜嵐記』に主演した珠城のバウ初主演作でもあります。
 2014年、第2作の宙組ドラマシティ公演『翼ある人びと――ブラームスとクララ・シューマン』も第18回鶴屋南北賞に最終ノミネートされるなど注目を浴び、大劇場デビューとなった15年の雪組公演『星逢一夜(ほしあいひとよ)』は第23回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞、その後も花組公演『金色(こんじき)の砂漠』(2016年)、宙組公演『神々の土地』(2017年)と次々に力作を発表しました。
 今年は正月に望海風斗、真彩希帆のサヨナラのために楽聖ベートーヴェンの半生を描いた『fff――フォルティッシッシモ』を発表したばかりで、『桜嵐記』は2作目。作家としてまさに脂の乗り切った絶頂期といっていいでしょう。
 上田作品の特徴は、まずストーリーの中心となる人物の生き方に一本芯が通っていてぶれないことにあります。そんな魅力的な主人公が生きるうえで、時代の壁や周囲の人物の思惑で葛藤が生まれ、思うようにはならない。そこに普遍的な人生の縮図が浮き上がり、観客は感動に打ちのめされるという仕組みです。男役をいかにかっこよくみせるかという宝塚の基本をマスターしたうえで、各組メンバーの個性に合わせた配役の妙、さらにドラマ作りのセンスのよさが相まって、観客の充足感の高さは常に上位を保っています。
『桜嵐記』は、宝塚に数ある日本物の芝居のなかでも有数の出来栄えで、宝塚の歴史に残る作品になると思います。悲劇でありながら未来に希望を託したラストの余韻は、コロナ禍まっただなかにあって心に染み入りました。観終わった後、故・柴田侑宏氏の墓前に「後継者が生まれましたよ」と報告したいと思って『宝塚イズム43』の公演評にもそう書いたのですが、本当は、創始者の小林一三翁に報告するのが筋かもしれません。私がすることではないと思いながら、ふとそんなことまで考えてしまった『桜嵐記』でした。

 さて、その『宝塚イズム43』は轟悠はじめ珠城、美園、華と4人の退団者の惜別特集がメインで、執筆メンバーからは熱のこもった原稿が数多く集まっています。OGインタビューは、元宙組トップスター、和央ようかさんがハワイからリモートで受けてくださいました。退団15年、宝塚への熱い思いを存分に語ってくれています。現在、鋭意編集中で、お手元にお届けできるのは7月初旬になりますが、それまで楽しみにお待ちください。

 

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