第5回 「抱いてセニョリータ」の船出――ソロデビューに詰まった山Pらしさ

柿谷浩一(ポップカルチャー研究者)

 歌手としての山下智久は、予想の斜め上をいく〈パンチのある曲〉で人々の心をガシッとつかんできた。とりわけ、歌手人生の肝心なターニングポイントでは「山Pといえばこの曲」「これぞ山Pの曲」という印象に強く残る作品を持ち前の魅力を生かして歌い、人気を不動のものにしてきた。
 なかでもいちばん鮮烈に記憶されるのは、ソロデビュー曲「抱いてセニョリータ」(2006年)だ。初主演テレビドラマ『クロサギ』(TBS系)の主題歌でもあったこの曲は、自身の歴代シングル曲でもトップの売り上げで、山Pの代表曲として広い世代に長く支持されてきた。
 曲調は懐メロ感あふれるロック歌謡曲で、一度聴くと耳から離れないメロディーライン、すぐに覚えられて口ずさめる歌詞、パフォーマンスでのわかりやすい手ぶり……と、人々の関心にすっと入り込んで親しみやすい、「大衆曲」らしい要素がそろった作りだった。サビにも使われる「抱いてセニョリータ」という曲名も衝撃的だった。日常だけでなくJ-POP的にも耳慣れない、なんとも大胆奇抜なそのフレーズは、時代を飛び抜けていた。「お嬢さん」を意味する「セニョリータ」のスペイン語と「抱いて」の日本語の掛け合わせは、同じ作詞家が手がけて前年に大ヒットした修二と彰「青春アミーゴ」を継承した作りで、前作の興奮も呼び覚ましながら、その語感からは一見よくわからないが無性に気になる魅力を放って、人々を強力に惹き付けた。

〈攻め〉のアーティスト

 知られたエピソードだが、この「セニョリータ」は、山Pの発案がきっかけで実現したもの。Bメロに入れてはどうかという本人からの提案がきっかけになって、作詞家のzoppがサビに採用したという。作品にアクセントを付けるアイデアとはいえ、最終的にこの一語が曲の核になったことを考えれば、とっさの着想にはアーティストとしての才能がにじむ。
 だがここで重要なのは、そのワードを入れることで曲の世界観が異彩を放つ。それを彼が進んで引き受け、そのなかへ大胆に自分を投企して(=投げ入れて)みせることに物怖じしていないのが、気概にあふれて頼もしいことだ。その後のキャリアで証明していくように、そして自身もたびたび語るように、新しい仕事に挑むとき、常に「難しい挑戦」を選び取っていくのが山Pの信念であり、彼の最大の「らしさ」だ。そんな持ち前の〈冒険心〉あふれる姿勢とスピリットが、「セニョリータ」の誕生秘話の段階から早くも詰まっていた感じがある。
 グループのNEWSとして歌手デビューし、すでに活動を始めていた山Pにとって、それとは別のイメージで単体として勝負していく。そういう意味で、新しさを果敢に求める面もあっただろう。だが山Pのアグレッシブさは、いつだって想定以上なのだ。のちにグループを脱退してソロ一本としての活動を本格始動するが、その記念すべき最初の一曲が、度肝を抜く奇抜さの「愛、テキサス」(2012年)だったように、(特に音楽面での)山Pはこちらがハラハラしてしまうほど刺激的なかたちで、節目節目の出発を飾ってみせる。そして見事に成果を上げるから大したものである。
 今後のイメージや活動ビジョンにも影響するデビュー曲(「愛、テキサス」は、いわば二度目のソロデビューである)で、決して「守り」に入らず、あえて個性を極めた作品で「攻め」ていく姿は、歌手・山下智久の原点であり原型といえる。

「ダサさ」の調理法

 そんなひねりが効いた「抱いてセニョリータ」というタイトルとサビからなる独特な世界観を、山Pは奇妙で浮いたイメージにすることなく、有無をいわさぬ圧巻のまとまりと濃度で、自分のモノにして歌い上げる。その表現力は、いま一度、高く評価されてしかるべきだ。
「セニョリータ」の語以外にも個性的な要素は作中に散らばっていて、「格好つけずに そばにおいでよ」「もう楽にしてあげるから」といった、エゴがやや強く出て気恥ずかしくなる歌詞の並び、さらには(いい意味で)コンセプトがぶっ飛んだ衣装に加え、マイクスタンドに皮グローブというオールドなアイテム、そしてなんといっても、サビの盛り上がりで両手の拳をあわせ「手拍子」するなどの振り付け……、曲の至るところで、微妙で絶妙な「ダサさ」を伴うのが特色である。しかしそれも山Pのフィルターにかかると「味」があるカッコよさに変わる。
 しばしば言われるが、カッコいいアイドルがカッコいいことをするのは当たり前で芸がない。その逆で、アイドルがあえてダサい表現をする。そのギャップや化学反応が、ほかにない魅力を作る。たしかにこの曲も、そのお手本のような側面もある。だが山Pの場合に際立つのは、「ダサい要素もあるのが、かえってカッコいい」。そのレベルを軽やかに超えて「ダサいはずなのに、それをダサく感じさせない」地点までもろもろを消化=昇華して、未知の新しいカッコよさへ〈アップデート〉して鮮やかに表現してしまう。そのセンスとスキルは、アイドルならではという感じを強く受ける。
 しかも彼の歌唱パフォーマンスは、アイドルらしくキラキラと華麗にというよりは、ダサさも真剣に表現していく。そんなニュアンスのほうが強く押し出されて、そのあたりも魅力的だ。
 楽曲全体としては決してダサく映らない。でも一方で、往年の歌謡曲っぽいサウンドも含め、ダサさのなかから、いくぶんの「俗っぽさ」や「泥臭さ」といった〈大衆的な香り〉はしっかり引き出して、それを違和感なくさらりと身体と声になじませて歌う。古くさく野暮やぼにみえるもの、それ自体のアクは抜きながら、そのエッセンス部分は作品のコクとしてしっかり生かす。山下智久は、表現面でのそんな絶妙な調理バランスに秀でていて、性別や年齢を問わず誰からも愛される作品性がそこから生み出されている。

哀愁をつくる声

 この曲に〈大衆っぽさ〉がにじむのは、曲調によるだけではない。歌い手の山P特有の、少し曇った「鼻にかかった声」による効果も大きい。その歌声は、伸びやかで透明感もありながら、どこかくすんだハスキーさとハードボイルド風の渋みがあって、それがじんわり心に染みてくる。山Pは「陰」や「哀愁」を持ち合わせている点がほかのアイドルにない個性だと言われるが、たたずまいやオーラに加え、声質もその一因になっている。しかも声色だけではない。音を伸ばし終わる間際など、要所要所で優しく息を吐くような「ウイスパーな歌い方」を交ぜるところも彼の歌唱の特質だ。
 つまり、声と歌唱スタイル、その両面で立体感と奥行きある「生々しい哀感」を漂わせる。それが山下智久という歌手の真骨頂なのだ。哀愁があるのではなく、哀愁が漏れ出ている。この曲も、そんな独特なテイストで出来上がっている。――ちなみにテレビドラマ『野ブタ。をプロデュース』で歌う加山雄三の「お嫁においで」や、修二と彰で披露した海援隊「贈る言葉」などは、この特長がいかんなく発揮された例で、山Pのボーカルは郷愁を含む音楽によくマッチする。
 歌詞に目を向ければ、歌われているのは相当に過激な求愛と恋の駆け引き。だがその激しく勢いある心情も、山Pの声によってどこか「哀感」のベールに包まれ、情緒豊かな質感を備えて深みがある。そして聴き手の側からいうと、その声は「ねっとり」とした粘り気が感じられて、耳にまとわりついてくる感触が強い。それも妙にクセになるポイントだ。

甘い吐息の表現力

 そんな山Pの魅力的な声の延長線上にある曲の最大の見せ場が、サビのラスト、フェロモン全開の「はーっ」という甘い吐息と投げキッス。ずるいほどセクシーな色気で(その場面だけでなく曲全体に)一気に「危険な香り」を充満させ、歌っている男女の情事にリアルな臨場感とうっとりする余韻を作り出して、参ったと言いたくなる。こう説明してみたものの、彼の吐息が伝えるものはもっと奥深い。
 直前の「じれったいのよ」に絡まりながら、吐息は恋する相手へ向けた「甘美な誘惑(能動的に吐き出す息)」のようでもあれば、思うように相手に接してもらえない「切ない感嘆(受動的に出る息)」にも映る。はたまた若い主人公が背伸びした「大人ぶった色気」にも感じられれば、年齢を問わず本気で恋する人間が見せる「大人な一面」にも捉えられる。しかも「じれったいのよ●●」の言い回しに乙女のような心が透けて見えるために、愛情表現は強気で積極的だけれど、どこか恋心を悶々とさせるしかない臆病で内向的。男勝りにみえて、本当は繊細でうぶ。そんな背反した主人公像も浮かぶ。さらに付け加えれば、生々しい息づかいには「そこに生きた人間」がいる手応えも強烈にあって、吐息がこちらへダイレクトに届く感触に重なりながら、一瞬、遠いアイドルが近く感じる錯覚も覚える。
 曲を締める決めのアクションながら、意味や要素が重なり交じり合った奥行きと余韻たっぷりの「吐息」。それが聴き手を誘い、引き込んで終わりがない……。単にセクシーだからではなく、その表現が豊かであればこそ、メロメロになって抜けられないのだ。

「らしさ」がみえる

 アップテンポなロックサウンドに乗せた「情熱」的な歌と踊りも、この曲の魅力だ。といっても、いわゆる「ほとばしって爆発する」のとは少し違う、山Pにしか出せない力強さと激しさに人々は夢中になった。たしかに歌い方もアクセントを効かせてパワフルだし、華麗なターンをはじめ、ダンスもキレキレでエネルギッシュだ。でも外へ向けて熱を放散するというより、歌って踊るなかで、徐々に熱感を強く帯びて、身体の全体で沸々ふつふつと「煮えたぎっていく」、そんな表現感が際立つ。それを助けたのが、サビの「抱いて」や「強く」のワードを3回重ねる部分だ。特別なことはない強調の繰り返し(リフレイン)だが、あとに続く「セニョリータ●●●」や「離さないで●●●」のアクセント部に向かって――両手で胸を(相手の人物を抱きしめるイメージで)強くなぞり、拳を突き上げる手ぶりを付け、黙々と感情を高め、静かにヒートアップさせていく。そのひたむきで愚直な感じが、山Pにマッチしていた。
 若さあふれる外見にワイルドな熱狂はないが、内面にある想いはいつもまっすぐでアツい。それまで演じたドラマの役でも生きてきた、そんな山Pの人間味が、このサビ部分にギュッと凝縮していた。しかも情動的ななかに絶妙に「闇」も感じさせる。それを自然と醸し出すのも、山Pの歌手としての技だ。
 それまでの山Pは、明るめの髪色でヤンチャなイメージが強かった。だがこの曲(が主題歌の『クロサギ』)で一転して黒髪になった。――厳密には『野ブタ。をプロデュース』の本編や曲のPVに比べると、修二と彰でテレビに出演するときには山Pの髪色はもう暗めだが、黒髪のビジュアルが全面に強調され際立ったのは『クロサギ』とこの曲からだ。――それはかなり衝撃的で、違う一面を突き付けられて、そこから一気にとりこ●●●になった人も少なくなかったはずだ。ミステリアスな雰囲気をまとった、清楚感あふれる黒髪の美青年が、熱っぽく「大人の恋心」をストレートに歌って踊る。それが独特な味わいで、魔性の魅力を見せつけた。
 ちなみに、この黒髪の山Pが桁外れの魅力を放ったのは、歌の随所で際立つ、眉間に力を入れた「黒眉」、長く黒い前髪からのぞく野心的だけれど澄んだ「瞳」、それを囲む端麗な「まつ毛」まわり、そうしたさまざまな「黒いパーツ」の美しさが、(身につける黒の皮ジャンや皮手袋とも相まって)再発見されてのことだった。その意味で、黒髪へのイメチェンは、ドラマに合わせた役作り以上に、山Pのもうひとつの魅力を提示し、デビュー曲の世界観を深遠にする駆動力として、2つの点で大きな出来事だったのだ。

大衆歌謡曲への接続

 山Pに限らず「ザ・歌謡曲」テイストの曲を歌う男性アイドル(グループ)は、ほかにもあった。だがそんななかでも、声や吐息に象徴されるように、この曲ほど「哀愁」と「色気」あふれる世界観をアグレッシブに体当たりで披露してみせる――しかも自身のソロデビューというターニングポイントでそれを代表曲に掲げ、大衆をしっかりと釘付けにしたのは稀有なことに思える。
 同じく懐メロ風の「青春アミーゴ」の後継作の面もあるとはいえ、人気急上昇中の若手きってのアイドルが、アイドル曲らしい音楽性や、はやりのJ-POPのモードによりかからず、それとは正反対に往年の歌謡曲にあった色味やムードと大胆に接続しながら、ソロとして斬新なスタートを切ったのは印象深い。サウンド自体の古めかしさや懐かしさばかりでなく、声や歌い方、あるいは存在から出るオーラといった山Pのもろもろが、昭和歌謡に通じる要素を多分に含んでいて、歌唱を通して、どこか大衆曲のなかに脈々とある「アイドル×歌手」の系譜の断片を、ひとり担って立つ気配というか、面白味を感じられもした。曲を聴いた当時の感想には、ジュリーこと沢田研二や山口百恵など、1970・80年代のスター歌手の表現や世界観に近いものを見いだす反応も少なからずあったと記憶する。
 実際、曲の肝である「じれったい」の部分を切り取ってみるだけでも、山Pが歌う憂いあるそのフレーズは、アイドル的人気を博した中森明菜の「少女A」のサビ(この曲も「年齢と恋心」のテーマで共通している)に重なる雰囲気もあるし、ちょくの先輩でもある少年隊の名曲「じれったいね」の記憶を呼び起こしもする。販売戦略として、あえて昔の歌謡曲寄りにしたのかもしれない。だがそうした実際の背景以上に、この出来事がもつ意味は重要だ。
 山下智久という歌手が、価値観などさまざまなものが「新旧」の入れ替わりを迎えていた平成半ばに、単純な目新しさではなく、日本人がよりどころにしてきた「うた」あるいは「アイドル」の歴史を継承する。それが言いすぎならば、かつての歌手やアイドルがもっていた風情やにおいを自身に取り込んでソロ活動の幕を切る。――これはきわめて文化的なことだったように思われる。
 この曲から数年後、桑田佳祐が自身の冠番組『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』(フジテレビ系)の企画(2009年6月29日放送)で、21世紀のベストソングの第3位に「抱いてセニョリータ」を挙げた。それは人一倍歌謡曲をリスペクトする桑田の感性と、独特のハスキーボイスで「哀愁+エロス」が漂う曲を多く歌ってきた経験も生きた選曲だった。決して彼ひとりの好みではなく、その曲が文化的・時代的にいかに重要な位置を占めるか。なぜ、その曲が人々に親しまれ、聴かれているか。そうしたポピュラー音楽の歴史に則した評価がうかがえるセレクトに思えた。そこで選ばれた20曲のうち、アイドル曲は「抱いてセニョリータ」だけで、それを見たとき、山Pが歌手としてソロデビューし、またそれが大衆に受けたことには、やはり浅からぬ意味と理由がありそうだと感じた。
 
 山Pは、単に楽曲のサウンドや世界観で〈攻めた〉だけではない。彼はポピュラー音楽という「大きな文脈」の波のなかに、果敢な船出を遂げた。少なくともそういう運命を背負って歌手としての彼のキャリアは始まり、それを足場にすることで、その後の多彩かつ柔軟な音楽活動を展開していくことになる。
 
筆者X:https://x.com/prince9093
 
[青弓社編集部から]
8月は更新をお休みし、次回(第6回)は9月中旬に掲載予定です。どうぞお楽しみに。
 
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