第45回 クリストファ・N・野澤先生をしのぶ

 日本人演奏家、および日本で活躍した海外の演奏家についての研究者・コレクターであったクリストファ・N・野澤先生が、2013年8月13日に亡くなられた。享年89歳。この知らせはなぜか伏せられていて、9月に入って私を含め、多くの音楽関係者に伝えられた。
 まず、野澤先生の略歴は以下のとおりである。1924年4月24日、東京生まれ。小学校時代はロンドンで過ごし、このときにハミルトン・ハーティら多くの演奏家を聴く。暁星を経て名古屋帝国大学に入学、遺伝学を専攻。卒業後は上智大学、清泉女子大学などで生物を講義。コオロギの研究では著作もあり、北杜夫『どくとるマンボウ昆虫記』(〔新潮文庫〕、新潮社、1966年、181ページ。当時の筆名は野澤登)でも触れられている。また、昆虫の鳴き声を録音したレコードの監修もおこなう。
 父親のコレクションを戦火で失うが、戦後から日本人演奏家のものを中心に収集を始める。ラジオ番組『音楽の森』(FM東京、1976―90年)では故・立川澄人らとのトークで人気を博す。1996年から弦楽器専門誌「ストリング」(レッスンの友社)では邦人によるクラシック演奏史の研究「幻の名盤伝説」を70回あまり連載。最近では、ロームミュージックファンデーションのSP復刻シリーズ、諏訪根自子の追悼盤(日本コロムビア)など、野澤先生監修のCDは多数発売されている。
 私が野澤先生に初めてお目にかかったのは2000年か01年だと思う。とある方から「会ってみませんか」と言われたが、何せコレクターのなかには一癖二癖ある人が多く、ちょっと二の足を踏んでしまった。しかし、実際にお目にかかった野澤先生は非常に温和な紳士だった。最初の出会いは先生のご自宅である。狭い部屋にはレコード、資料類がびっしりと並んでいた。コレクターのお宅におじゃますると、「お聴かせしたいが、行方不明なので次回までに探しておきます」ということがときどきある。けれども、野澤先生の主要なコレクションはきちんと整理されていて、そのようなことは全くなかった。ノートがたくさんあって、個々の演奏には番号が付けられていて、その該当の番号のCDR、ミニ・ディスク、カセット・テープなどがすぐに取り出されるのだ。もちろん、SP盤も次から次へと出てくる。とにかく、野澤先生のお宅にうかがうと、あれこれと希少な音源が矢継ぎ早に鳴らされるし、見たこともないような貴重なプログラムや写真などが次々に出されるので、ひたすら「ええ?」とか「おー!」とか、そんな声を出しっぱなしだった。
 野澤先生はご自身の収集方針について、以下のようなことを言われていた。「海外の演奏家は海外の人たちに任せればいいんです。日本人の演奏家のことは、日本人にしかできませんから」「私はとにかく現物主義。雑誌の予告にあった、カタログに載っていた、それをうのみにしてはいけません」「完璧な人間はいません。どんな立派な資料だって間違いはあります。それに単にケチをつけるのではなく、みんなで情報を交換し合って、より精度の高い物を作り上げればいいんです」
 野澤先生とお会いして以来、個人的に最も印象が強いのは1910年に録音されたベートーヴェンの『交響曲第5番』(ドイツ・オデオン)だった。このSP盤は指揮者の記載がなく、しかもシュトライヒ・オルケスター(ストリング・オーケストラ、弦楽合奏団)と記されていることから、長い間「弦楽器だけで演奏された駄盤」と認識されていた。ところが、野澤先生が入手されたSPを聴くと、完全なフル編成であり、カットもない完全全曲だったことが判明したのである。それまではベートーヴェンの『交響曲第5番』といえばアルトゥル・ニキシュ指揮、ベルリン・フィルの1913年録音が史上初の全曲盤とされていたわけだが、この定説が見事に覆されたのである(この演奏はのちに指揮者も判明し、CD化もなされた/ウィング・ディスク WCD-62)。
 8月に入り、ある関係者が野澤先生に何度電話しても出ないことを不審に思い、アパートの管理人や警察官同伴で野澤先生宅に入ったところ、倒れている野澤先生が発見されたという。もう少し発見が早ければ、助かったのではと思った。しかし、ある方から耳にしたのは、野澤先生が「もしかすると、今年の夏は越せないかもしれない」と漏らしておられたとのことだった。
 野澤先生ご自身が自覚されていたのであれば、これは仕方がないことだ。天寿を全うされたとしか言いようがない。けれども、客人が驚き、その姿を見て上品な笑みを浮かべておられた野澤先生の姿が二度と見られないのは、やはり非常に寂しい。
(略歴に関しては富士レコード社、河合修一郎氏から情報を提供していただきました)

(2013年9月11日執筆)

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第44回 諏訪根自子の新発見音源について

 2013年6月5日、「朝日新聞」の夕刊に諏訪根自子の新発見音源についての記事「天才少女全盛期の調べ」が掲載されていた。曲目はブラームスの『ヴァイオリン協奏曲』、1949年11月28日の放送で、東宝交響楽団との共演とある。これを見て、私は何やら意図的なものや、釈然としないものを感じた。諏訪は2012年3月に他界していたが、それが公になったのが同年9月だったため、多くの人に衝撃を与えたのは記憶に新しい。とにかく、この「朝日新聞」の記事を読むかぎりでは、新発見の音源は諏訪の死後、思いがけず発見されたかのように読めてしまう。だが、これは厳密に言えば正しくない。そもそもこの音源の存在は、私が知るかぎり、少なくとも数年以上も前に知られていたからだ。なぜなら、私はある関係者から「このような音源があるが、発売する意義はあるだろうか」と相談されたことがあり、しかも、その関係者は私に音源のコピーまで送付してくれたのである。
 こうした音源が世に出ることに関しては歓迎すべきことだが、正しくない事実関係については、やはり異議を唱えたい。なお、私が得た情報では、このブラームスの伴奏指揮は上田仁(うえだ・まさし)とのことである。

(2013年6月5日執筆)

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第43回 「アマゾン」をのぞいて、ちょっとびっくり

 近所にオペラ好きの女性がいて、先日、とあるオペラのCDを探しているけれど、どこにも見当たらない、どこか売っているところを教えてくれないかと言われた。私は「「アマゾン」で探せばあるでしょう」と答えたが、その人は口をぽかんとあけて、「え? そんなに遠くに行かなくちゃ、買えないの?」と驚いていた。ネットをやならい人にとって、「アマゾン」と言えば南米のそれを真っ先に思い出すのだろう。
 私もときどき「アマゾン」は利用するのだが、日本のサイトを見てちょっとびっくりしてしまった。たまたま自分が作ったGRAND SLAMのCDを見ていたのだが、こちらには在庫がちゃんとあるのにもかかわらず、「再入荷の見込みなし」と記されたCDがあまりにも多いからだ。しかも、普通に買えるのに、ときに中古が5,000円、1万円前後の値段がついていたりする。本当に在庫がない場合、仕方なく高額の中古を買わなければならないことはある。しかし、普通に在庫があるのに知らずに中古を買ってしまう人が出ては、やっぱりちょっとかわいそうだ。
 GRAND SLAMのCDはGS-2000から始まって、最新のGS-2109(ブルーノ・ワルターのモーツァルト『交響曲第38番』『第40番』、3月中旬発売予定)まで100タイトルを超えた。ありがたいことである。そこで、すでに〈在庫がなくなってしまったもの〉を以下に記しておく。2000番から2109番まで欠番はないので、以下のリストに含まれていないものは普通に入手できる。

GRAND SLAM在庫なしの一覧(2014年3月1日作成)
GS-2003 『ゴロワノフ SP復刻集』第1巻
GS-2004 『ゴロワノフ SP復刻集』第2巻
GS-2006 フルトヴェングラー/チャイコフスキー『悲愴』
GS-2007 フルトヴェングラー/ベートーヴェン『交響曲第7番』
GS-2008 フルトヴェングラー/ベートーヴェン『運命』『皇帝』
GS-2009 フルトヴェングラー/ベートーヴェン『交響曲第9番』(バイロイト)
GS-2010 パレー/ベートーヴェン『田園』
GS-2011 フルトヴェングラー/ブラームス『交響曲第3番』
GS-2012 フルトヴェングラー/ブラームス『交響曲第4番』
GS-2014 フルトヴェングラー/チャイコフスキー『交響曲第4番』
GS-2017 フルトヴェングラー/シューベルト『グレート』(BPO、DG)
GS-2018 フルトヴェングラー/フランク『交響曲ニ短調』(VPO、デッカ)
GS-2022 フルトヴェングラー/ブルックナー『交響曲第7番』
GS-2024 シューリヒト/ブラームス『交響曲第2番』
GS-2029 トスカニーニ/『ローマ三部作』
GS-2032 シューリヒト/シューマン『ライン』
GS-2033 クナッパーツブッシュ/ワーグナー『ワルキューレ』
GS-2035 ワルター/ベートーヴェン『田園』(LP復刻)
GS-2036 クナッパーツブッシュ/ワーグナー『管弦楽作品&アリア集』
GS-2037 クレンペラー/ベートーヴェン『交響曲第9番』
GS-2040 クナッパーツブッシュ/『ウィーンの休日』(LP復刻)
GS-2042 『ソレンコワ・イン・ジャパン』
GS-2047 クナッパーツブッシュ/ブルックナー『交響曲第5番』
GS-2050 ハイフェッツ/チャイコフスキー『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』、ブラームス『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』
GS-2053 トスカニーニ/ムソルグスキー『展覧会の絵』
GS-2055 ワルター/ベートーヴェン『運命』『田園』(テープ復刻)
GS-2057 ハイフェッツ/ベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』、メンデルスゾーン『ヴァイオリン協奏曲』
GS-2059 ムラヴィンスキー/チャイコフスキー『交響曲第4番』
GS-2062 ワルター/ブラームス『交響曲第4番』
GS-2066 ムラヴィンスキー/チャイコフスキー『交響曲第5番』
GS-2070 フルトヴェングラー/ベートーヴェン『英雄』(疑似ステレオ盤)
GS-2076 フルトヴェングラー/ベートーヴェン『英雄』(BPO)
GS-2078 ムラヴィンスキー/チャイコフスキー『悲愴』
GS-2084 フルトヴェングラー/『交響曲第9番』(疑似ステレオ盤)
 手違いで一度「在庫なし」と情報を流してしまったヨーゼフ・カイルベルトのブルックナー『交響曲第9番』(GS-2039)、ハンス・クナッパーツブッシュ『ウィーンの休日』(GS-2085、テープ復刻)も、在庫はある。ただし、カイルベルトは残り5枚となっている。

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第42回 アルフレッド・コルトーと日本

 今年2012年はアルフレッド・コルトーが亡くなって50年、1952年に来日して60年にあたる。CD関係ではいまのところあまり大きな動きはなさそうだが、とりあえず長く絶版だった『アルフレッド・コルトー』(ベルナール・ガヴォティ著、遠山一行/徳田陽彦訳、白水社)はこのダブル記念の年に復刊された。
 1952年秋、コルトーの来日公演は予定を大幅に延長するほどの盛況ぶりだったが、このツアー中、山口県下関・宇部でのコンサートのとき、コルトーは川棚(かわたな)温泉に3泊した。コルトーはここの景色をいたく気に入り、「トレビアン」を連発していたそうだ。なかでも厚島に魅せられ、コルトーは「ぜひ、この島を買い取りたい」と申し出たが、当時の村長は無償で島をコルトーに提供したという。その後、この厚島は「孤留島(コルトー)」というニックネームが付けられた。この件についてはガヴォティの著作(242ページ)にもさらりと触れられている。コルトーは川棚の関係者に再訪を約束し、日本を後にしたが、その望みはとうとう実現できなかった。
 話を多少はしょってしまうのだが、この川棚温泉にコルトーホールが建設された。併行して記念碑の建立も計画されたが、ホールの音響整備と記念碑建立の資金が不足しているらしく、現在、コルトー音楽祭実行委員会で寄付を募っている。寄付の募集期間は9月30日までだが、まだ間に合うので、寄付の意志がある人は下記に連絡をとってほしい。
〒759-6301 山口県下関市豊浦町川棚5180 川棚温泉交流センター・川棚の杜内 コルトー音楽祭実行委員会(電話083-774-3855 E-mail:info@kawatana.com)

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第41回 燃える男

 NHK交響楽団の創立85年ということで、記念のライヴが続々と出てくるが、物量が多くてなかなか聴くのが追いつかない。だがそのなかで、シリーズ中ではちょっと異色のものに遭遇した。それはルーマニアの鬼才コンスタンティン・シルヴェストリが指揮した1964年の公演である(キングインターナショナル KICC-2049~50)。
 まず、ドヴォルザークの『交響曲第9番「新世界より」』。第1楽章の冒頭からして普通ではない。水面下で謎の生物がうごめくようにテンポは遅く、響きは暗い。やがて、びっくりするほど長い長い間があって、最初のフォルテッシモが足を引きずるように登場する。そのあと加速・減速が繰り返され、ティンパニはまるで噛みつくようだ。主部に入ると金管楽器は怒号のように強調されたり、相変わらずテンポは一定ではなく、各パート間のバランスも独特である。第2楽章も最初のイングリッシュ・ホルンの歌い方から一風変わっているし、全編うねるような熱いロマンに支配されている。続く、第3楽章、第4楽章も全く普通ではない。かつてチェコの名指揮者カレル・アンチェルは「外国人の指揮者がドヴォルザークを振ると、概してロマンティックになりすぎる」と語っていたが、このシルヴェストリの演奏などはその最も極端な例だろう。一般的には受け入れがたいだろうが、「俺はどうしてもこのテンポで、このバランスでやりたいのだ」という指揮者の燃えたぎる情熱が感じられて、個人的には楽しく聴けた。なお、音はモノーラルだが、非常に明快で鑑賞には全く問題はない。
 おっと、これで終わりではない。ほかにも強烈な演奏がある。リムスキー=コルサコフの『スペイン奇想曲』。これも緩急の差が激しく、ときにオーケストラがずれている。ヴァイオリン・ソロもべらんめえ調に弾いているが、むろんこれは指揮者の指示だろう。チャイコフスキーの『交響曲第4番』も、最初の金管楽器の主題からしてすでに奇怪である。その先は想像どおり。たまげたのはドヴォルザークの『スラヴ舞曲第1番』だ。拍手が鳴りやまないうちに始まっているのでアンコールだろうが、それにしても冒頭の狂気のような爆発音! そして、そのあとのせっぱつまったような快速テンポ。曲想を完全に逸脱しているかもしれないが、とにかくこんな破天荒な演奏は聴いたことがない。
 もうひとつ驚いたのが、佐藤久成が弾いた『ニーベルングの指環』(イヤーズ&イヤーズクラシック YYC-0003)である。これはワーグナーのオペラをヴァイオリンとピアノ(ピアノは田中良茂)に編曲したものを取り上げているのだが、これが強烈すぎるほど強烈だった。赤々と燃え上がる情熱の炎、そして曲の内側をえぐり取るようなすさまじいポルタメントなど、ヴァイオリンとピアノがこれほどまでにワーグナーの深奥な響きや毒を感じさせるとは。とにかく、だまされたと思って聴いてほしい。収録曲は『さまよえるオランダ人』序曲、『マイスタージンガー』前奏曲、『神々の黄昏』から「葬送行進曲」(これも、すごい)、『パルジファル』前奏曲など。

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第40回 子連れ対策の強化を望む

 1月12日午後、三浦文彰のリサイタルに行ってきた(調布市文化会館たづくり・くすのきホール。ピアノは菊地裕介)。私は開演2分ほど前に着席したが、間際になって目の前の席に5歳と3歳くらいの女の子と、その母親とおぼしき客が座った。「あ、こりゃあ演奏を台なしにされてしまう」と思ったが、全くそのとおりだった。
 特に妹と思われる方は演奏が始まるやいなやゴソゴソと動く。それを制する母親。これの繰り返しである。すぐ前の席だからいやが応でも視界に入ってくる。周囲の他の客が何か言いだすかと思って静観していたが、誰も何も言わない。ずいぶんと寛容なようだ。
 私はこれまで、このような子連れに何度演奏をじゃまされたことだろう。そのたびに直接注意し(これまで、少なくとも2組の親子にはお帰りいただいた)、さらには係員にもその旨を告げてきた。でも、この悪習はいっこうに改善されない。このたびも注意しようと思ったが、しょせんは調布という郊外である。それに、三浦という若い男性ヴァイオリニストが主役であり、平日の午後ということになれば、ある程度質がよくない客層が予想されるのに、それを見込めなかった自分も悪いのだろう(同じ列の初老の男性は演奏中にいきなり携帯電話を取り出し、画面をチェック。暗い客席で携帯の画面を見ると異様に目立つことを知らないらしい。それに、演奏中にさえ携帯をチェックしなければならないようだったら、聴きにこなくてもいいはずだ)。
 ひどく気分を害されたので後半を聴く気力をなくし、会場を去ろうとした。そして、係員にひとこと「何であんなに小さい子供を入れるんですか? 非常に行儀が悪くて迷惑です。とても後半を聴く気にならないので帰ります」と言ったのだが、「未就学児の入場はできないことになっておりますが」との返答。「2、3歳くらいは未就学児ではないんですか?」と言ったら、「申し訳ありません」で終わり。生演奏は二度と再現できないのだということをもっと重要視してもらわなければ困るのだが、でも主催者にとってはチケット代さえもらえれば、それで問題はないのだろう。ちなみに、この日の三浦のリサイタルは完売だった。
 前半を聴いただけの印象を振り返ると、デビューCD(プロコフィエフの『ヴァイオリン・ソナタ第1番』『ヴァイオリン・ソナタ第2番』/ソニークラシカル MECO-1006)で聴き取れる音よりも、実際の彼の音はもう少し柔らかくて繊細である。次回は“都会”のホールで口直しをするとしよう。
 先日、コンビニでビールを買ったら、レジで「20歳以上」というボタンを押せと言われた。これは「年齢確認」なのだろうが、明らかに20歳以上だとわかる50歳を過ぎたおじさんにもボタンを押させるのは無駄というか、ほとんど意味がない作業ではないか。
 それと同じく、ほとんどのチラシに書いてある「未就学児のご入場はご遠慮ください」という断り書きも、もはやたいして意味がないものとなっているようだ。繰り返すが、生演奏の再現は2度と不可能である。それを思えば、主催者は明らかな未就学児を連れた客に対して毅然とした態度でお引き取り願ってもいいのではないか。

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第39回 枝並千花が弾くワルターのソナタ、TPPのこと、など

 2012年はブルーノ・ワルターの没後50年だが、それにふさわしい演奏会が4月9日にある(東京オペラシティ・リサイタルホール、19時開演、ピアノ:伊藤翔)。それは枝並千花ヴァイオリン・リサイタルで、ワルターのソナタの本邦初演がおこなわれることだ。このソナタは1909年にウィーン・フィルのコンマス、アルノルト・ロゼーのヴァイオリン、ワルター自身のピアノで初演されたもので、CDは過去にオルフェオ・デュオ(Vai Audio VAIA 1155)とハガイ・シャハム(Talent DOM 291093)があった。
 このソナタは伝統的な3楽章形式で、演奏時間は約30分。ワルターは師マーラーにあこがれ、そのマーラーと同じく指揮と作曲の双方の分野で活躍することを夢見たが、マーラーの死後、ワルターはぷっつりと作曲をやめてしまった。最近、ワルターの『交響曲ニ短調』(レオン・ボトシュタイン指揮、北ドイツ放送交響楽団、CPO 777 163-2)がCD発売されたが、これはちょっと歯ごたえがある内容だった。さすがのマーラーもこれを聴いてウームと思ったらしいが、まあそれは理解できる。
 でも、このワルターのヴァイオリン・ソナタは聴きやすい作品である。枝並はすでにフランクとフォーレのソナタが入ったアルバム『夢のあとに』を発売しているが(MA Recordings MAJ-506)、このアルバムで聴くしなやかな美音から想像すると、ワルターのソナタへの期待もぐんと高まってくる。ちなみに、4月9日のワルター以外の演目はコルンゴルトの『から騒ぎ』から4つの小品、R・シュトラウスのソナタである。
 ヴァイオリンといえば、ある人が12月26日にソウルでチョン・キョンファのリサイタルを聴いてきたということである。ソウルでやるのだったら、少なくとも東京で1回くらいはやってほしいとは思うが、そう簡単にならないのはいつもの彼女のこと。新録音の話も浮上しているとのことだが、目下のところどうなるかは全く不明である。
 話題はみなさんもご存じのTPP、環太平洋経済協定というものに変わる。詳細は知らずとも、なんとなく欧米諸国が自分たちの都合のいいように物事を運びたいために仕組んだワナのような臭いが漂うのだが、「文藝春秋」2012年1月号(文藝春秋)の記事「警告 著作権が主戦場になる!」を読んで、やっぱりと思った。
 この記事を書いたのは弁護士の福井健策だが、福井によるとこのTPPには著作権の保護期間の延長も含まれているという。つまり、現在日本の保護期間は50年だが、TPPに加盟してしまうと70年に延長されるのである。もしもそうなったら、私が現在やっているCD制作は廃業に追い込まれる。公共の利益のために延長されるというのならば仕方がないが、福井も書いているように、この延長は「ミッキーマウス保護法」なのである。ミッキーマウスの保護期間が切れそうになると延長される、それが過去に繰り返されているのだ。一部の企業が自分たちの利益を守りたいがために法律をねじ曲げる。これは、植民地支配的な発想だ。世界の多くの国は北朝鮮を野蛮な国と思っているようだが、この「ミッキーマウス保護法」もそれと同じレベルである。2011年に打ち立てた誓いは、ディズニーランドなどには決して足を踏み入れない、ディズニー関連商品を絶対に買わない、である。
 話題はふたたびコロッと変わる。最近、エードリアン・ボールト指揮、ロンドン・フィルのシューマンの『交響曲全集』を買った(First Hand FH-07、3枚組み)。これは1956年の録音だが、信じがたいほどの鮮明なステレオである。演奏もめちゃめちゃすばらしい。シューマンの全4曲が揃ったCDではポール・パレー指揮、デトロイト響(マーキュリー)が最高だと思ったが、そのパレーは『第4番』だけがモノラルだった。対するボールト盤は4曲すべてステレオである。3枚めはベルリオーズの序曲集だが、こちらも冴えざえと響き渡っている。

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第38回 ラザレフとラフマニノフの『交響曲第1番』

 11月11日(金)、日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会に行き、ラフマニノフの『交響曲第1番』を聴いた。指揮はアレクサンドル・ラザレフ。この公演に先立ち、9日(水)にはラザレフ指揮の新プロジェクトに関する記者会見がおこなわれたが、その内容は日本フィルのサイトで全文読むことができる(http://www.japanphil.or.jp/cgi-bin/news.cgi#628)。
  この『交響曲第1番』は初演が大失敗となり、そのためラフマニノフは極度のノイローゼに陥り、作曲が全くできない状態になった。それを救ったのがダール(ラザレフはダーリと言っていた)博士で、この博士の治療が功を奏し、名作『ピアノ協奏曲第2番』が誕生したのはあまりにも有名な話である。
  この『交響曲第1番』の初演(1897年3月15日、ペテルブルク)がなぜ失敗に終わったか、それは上記のラザレフの記者会見での発言に明らかだが、要するに本番前に指揮者のグラズノフが飲み過ぎたというわけである。酩酊状態で、まともに指揮ができなかったのが失敗の最大の原因だったようだ。
  でもこの初演当日、前半ではグラズノフの『交響曲第6番』の初演もあり、その日はダブル初演。もしも指揮者グラズノフが酩酊状態であるならば、自作の『第6番』だってまともに棒を振れなかったはずだ。けれども、こちらが失敗したという話は聞いたことがない。ただ、リハーサルのときにグラズノフはラフマニノフの作品についてあれこれと修正の要望を出したと言われているが、そうなると単なる酩酊ではなく、ラフマニノフの『交響曲第1番』への根本的な共感が希薄だったのが失敗の要因とも考えられる。
  11日、腰の手術を終え、元気になったラザレフは指揮台を所狭しと動き回り、オーケストラからまことに鮮烈な音を引き出していた。9日は記者会見に先立ってリハーサルを公開していたが、非常に細かく練り上げていた。その日はちょうど第3楽章をリハーサルしていたが、途中で第2ヴァイオリンに難所があり、そこをかなりしつこく繰り返していた。最後になって第3楽章の通し演奏をおこない、時間は残り3分。ここで終わるだろうと思っていたが、ラザレフは先ほど集中的にやっていた第2ヴァイオリンを再び取り上げていた。時間を無駄にせず、望む音への熱き情熱をもったラザレフ、だからこそ本番にあのような冴えた音が出るのだろう。
  この『交響曲第1番』は初演が大失敗したため、とうとうラフマニノフ生前には2度と演奏されなかった。だが、ラザレフのような指揮で聴いていると、長く封印されるほどの駄作とは思えないし、これはこれで独特の味がある作品だと認識を新たにした。
  ところで、記者会見終了後、ラザレフに直接話を聞いてみた。以下、Q=質問、A=ラザレフの答えである。
Q「先ほどプロコフィエフ、スクリャービン、フラズノフ、ショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキーのプロジェクトについてお話をしていただいたのですが、たとえばスクリャービンはピアノ協奏曲も含まれますか?」
A「もちろん、やります」
Q「ボロディンの作品は?」
A「『交響曲第2番』ならやってもいいと思います」
Q「カリンニコフは?」
A[うーん、旋律はきれいだけれど(『交響曲第1番』の第1楽章の第2主題を歌う)、起承転結がない」
Q「ハチャトゥリアンは?」
A[いやだ!」
Q「えっ、そうなんですか」
A「まあ、『スパルタクス』『仮面舞踏会』ならやってもいいですが。『スパルタクス』の初演のとき、ハチャトゥリアンはリハーサルでトロンボーンにもっと出せ、もっと出せと要求しました。その翌日、同じことを要求しました。これじゃあ、うるさくてしようがない。ほかにハチャトゥリアンの何をやればいいのでしょうか?」
Q「交響曲とか」
A「『交響曲第3番』のことですか? あんなやかましい交響曲、それに優秀なトランペット奏者を20人も集められませんよ。とにかく、ハチャトゥリアンはやりたくない」
Q「そうですか。ありがとうございました」
 
  一説によると、ハチャトゥリアンは旧ソ連の体制を支持していたため、ロシアの演奏家の間ではおおっぴらにハチャトゥリアンを賛美できないとも言われている。だが、一方では「ハチャトゥリアンは決して優遇されておらず、苦しんでいた」とする説もある。旧ソ連のことになると、どこまでが本当でどこまでがウソなのかはよくわからない。はっきりしているのは、ラザレフの指揮でボロディン、カリンニコフ、ハチャトゥリアンらの交響曲は今後聴けそうもない、ということである。

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第37回 サイトウキネンに行く

 5月頃だろうか、ある人から「サイトウキネン、行ったことないんですか? 一度くらい行ってもいいんじゃないですか?」と言われ、ふとその気になった。だが、チケットを手配し終えた頃には別の人からこう言われた。「行って面白いのかなあ?」。私はそれに対しこう返答した。「動けば何かが生まれる」
  今回、私は2回松本を訪れた。1回めは8月19日(金)におこなわれた「ふれあいコンサートⅠ」である。曲目はモーツァルトの『ピアノ四重奏曲第2番』、プロコフィエフの『五重奏曲作品39』、バルトークの『2台のピアノと打楽器のためのソナタ』。演奏は小菅優、伊藤恵のピアノほか、ほかのメンバーはサイトウキネンのオーケストラに名前が入っている人たちである。特にプロコフィエフとバルトークは日頃めったにやらないので、こういったプログラムが聴けるのがまさに音楽祭ならではだ。この2曲、初めて生で聴いたせいか、非常に面白かった。地震の影響で予定していたザ・ハーモニーホールが使用不能となり、松本文化会館の中ホールに急遽変更になったのは演奏者側にも不運ではあったが、お客さんの反応は非常によかった(バルトークではピアノの弦が演奏途中で切れるという事故にも初めて遭遇。小菅さん、怪力ですな)。
  2回めは8月26日・松本文化会館(大)のオーケストラコンサート、指揮はヴェネズエラの新鋭ディエゴ・マテウス、曲目はチャイコフスキーの『「ロメオとジュリエット」序曲』と『交響曲第4番』、中プロはバルトークの『ピアノ協奏曲第3番』(独奏:ピーター・ゼルキン)、そして27日・まつもと市民芸術館主ホールでのバルトークの『バレエ「中国の不思議な役人」』(指揮:沼尻竜典)と歌劇『青ひげ公の城』(指揮:小澤征爾)である。
  日程順に触れていくと、マテウスの演奏は若くてバリバリである。「エネルギッシュでよかった」という人もあれば、「オーケストラを鳴らしすぎ」と感じた人もいた。私も確かにちょっと騒々しいとは思ったが、オーケストラの献身的な熱演はそれなりに気持ちがよかった。ゼルキンのソロはマテウスとは正反対の渋く正統的なものだった。
  27日は何と言っても『青ひげ』で小澤が出るかどうかで話題が持ちきりだった。初日の21日だけ振って、23日、25日は降板である。前日の26日、私は関係者からその周辺の話を聞いたけれど、感触としては絶望的のように思えた。
  27日はまず『中国の不思議な役人』を見る。私はバレエについては全く詳しくはないが、この新潟を本拠地とするバレエ団ノイズムはなかなかやるな、と思った。存分に楽しませてもらった。
  そこでいよいよ後半の『青ひげ』。会場には「本当に小澤は出てくるのか?」という雰囲気が漂っていたが、小澤の姿が見えたとたんにどっと湧いた。ブラヴォーも出ていたような気がする。オーケストラのメンバーもみんな、「あ、来た!」と満面の笑みを浮かべていた。私が聴いた感じでは、始まって5分程度は指揮者とオーケストラの一体感がいささか希薄に思えた。でもそれはしようがない。オーケストラにとっては6日ぶりの小澤の棒である。しかし間もなく本調子となり、私も音楽に集中できた。総合的に言えば、一部にバレエの扱い方に違和感を感じたことを除けば、上々の公演だったと思う。
  終演後、何度もカーテンコールに応えていた小澤の姿を見ると、2度も降板したほど体調が悪いようには思えなかった。「小澤は今日も無理でしょう」と言っていた知人に「出た! お化け、じゃない小澤、本当に出たぞ」とメールしたら、即座に「それはラッキーでしたね」と返ってきた。
  サイトウキネンというオーケストラだが、確かに寄せ集めの欠点があると言えばある。まとまりという点では直前の8月24日に聴いた読売日本交響楽団(指揮は小林研一郎)の方が上だった。しかし、このオーケストラのメンバーによって先ほど触れた珍しい室内楽やオペラなど、短期間に多彩なプログラムを楽しめるのはありがたいことである。それに、フェスティバルの存在自体も、日本のクラシック界の発展に大きく寄与していることは間違いない。
  私は今回初めて松本を訪れたが、遅まきながらこの街並みのすばらしさにたちまちファンになってしまった。特に感激したのは縄手通り、中町などの古い建物や石垣が残っている付近である。小さなお店や資料館もあって、身も心も、そして財布も軽くなった。また、ほとんどのお店にはサイトウキネンのミニTシャツが飾ってあって、街全体がこのフェスティバルを盛り上げようとしているのにも感心した(ただひとつ気になったのは、主に松本駅周辺にある街頭のスピーカーから流れ出るBGM。これはない方がいい。ちょっと無粋)。
  今回は昼間ちょこっと観光し、夕方、夜が仕事(演奏会)というわけだったが、次回はできるならば完全にフリーな日を1、2日程度付け加えてサイトウキネンに行きたいと思った。
  松本訪問、予想をはるかに上回る収穫だった。「動けば何かが生まれる」、これはやはり正解だったのである。

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第36回 フルトヴェングラーのSACD

 EMIミュージックから発売されたフルトヴェングラーのSACD、ベートーヴェンの『交響曲第5番+第7番』(TOGE-11003)と同じく『交響曲第9番「合唱」』(TOGE-11005)を購入した。音は予想どおり、ノイズを大幅にカットし、聴きやすく丸めたものだった。
  チラシやCDのブックレットにはマスタリングに際して使用した機器のことがいろいろと書いてあったが、これだけさまざな回路を通してしまえば、原音から遠くなるのは当然だろう。なかでも問題なのはCEDAR(シーダー)かもしれない。このシーダーは作業がしやすいということでノー・ノイズと同様に世界中で使用されているノイズ・リダクションだが、これらを通すだけでも音はかなり変質してしまう。かつてBMGがメロディア音源を発売した際、ノー・ノイズを使用した輸入盤が入ってきて、ファンから総スカンを喰ったことがある。そのため、国内盤はノー・ノイズを使用する前のマスターを使用してプレスしたこともあった。ただ、ノイズレスは最近の傾向でもあり、これに慣れている人には、今回のような音の方が心地い良いのかもしれない。
  音とは別の問題もある。先に『第9』から述べるが、これには指揮者が登場して盛大な拍手が起こり、そのあと指揮者が何事かをしゃべっているという、いわゆる“足音入り”の版である。しかし、少し前に日本フルトヴェングラー・センターの関係者がフルトヴェングラー夫人のもとを訪れ、この個所を夫人に聴いてもらったところ、彼女は「夫が演奏前に話しかけることはありえない。当日もこのようなことはなかったはず」と述べたという。当日の模様については、夫人の記憶違いということもありうるだろう。けれども、私個人の経験の範囲でも演奏会で演奏前に指揮者が何かを言ったような場面に遭遇したことはない。ましてやこれは『第9』である。あのような開始の音楽である。フルトヴェングラーの人間性やその音楽、さらには戦後初のバイロイト音楽祭の開幕曲という状況も考慮すれば、確かにこのささやきは不自然である。けれども、帯にはあえて「足音、喝采入り」と、これを売りにしている。
  また、この『第9』にはEMIと同じ日の演奏だが、全くの別テイクというものが発売されている。これは最初に日本フルトヴェングラー・センターが世界で初めてCD化し、現在ではオルフェオから一般発売されている。一時は「EMIはリハーサルであり、オルフェオこそが本物のライヴ」と言われたほどだったが、その後は逆に「オルフェオの方がリハーサルで、EMIこそがライヴのテイク」という意見も出され、その謎はいまだに解明されていない。その点についてはCD解説で金子建志氏による的確な推察が記されているが、今回のSACD化に際し、制作者もしくは研究者などによるさらに一歩突っ込んだ調査報告がほしかった。
  今回のSACDシリーズで最も注目されると思われるのは『第7番』の新発見マスターかもしれない。これまでの言われてきたことを整理すると、以下のようになる。この『第7番』(1950年1月録音)は最初磁気テープに収録されたが、当時はまだSP時代末期だったためにこのテープからSP用の金属原盤が作製された。この時点で最初のマスターは廃棄。しかし、LPの普及が加速化したため、SPの金属原盤から再度磁気テープ用のマスターが作製された。この作業が終わった時点で金属原盤も廃棄。ところが、再度作製された磁気テープには第4楽章に女声のノイズが混入していたことが判明した。最初のマスターと、その次に作られた金属原盤ともに廃棄してしまったので、このノイズは除去できず、そのままの状態のマスターがその後世界中で使用されていたのである。
  以上のような事情を知っている人ならば、今回の新発見マスターこそ廃棄されたと信じられていたいちばん最初のものだと思うに違いない。だが、私の試聴結果は現在使用されているマスターの双生児と考えている。まず、聴いた感じでは低域のゴロゴロ、ボソボソというノイズが共通している。さらには旧マスターほどではないが、かすかに女声の混入ノイズも聴き取れる。今回はおそらくそのノイズは可能な限り除去したのだろう。それに、オリジナル・マスターは万が一のために複数存在する場合があるからだ。たとえば、EMIの本社から日本をはじめドイツ、フランスなどの支社に原盤を提供するときにはコピー・マスターからさらにコピーしたものを送ったりする。この点についてはCD解説には特に触れていないが、EMI側の説明を読んでも、単に新発見という事実はわかるのだが、これがファンが期待する最初のものかどうかは判然としない。
  ここで一度冷静に考えてみると、先ほど触れた磁気テープ作製→金属原盤作製→再度磁気テープ作製、この流れは本当の話なのかとも思う。つまり、最初にマスターを作製した時点ですでにノイズが混入し、その言い訳のためにこうした話が作られたとか……。
  来月に予定されているブルックナーの『交響曲第8番』(TOGE-11012)も、ちょっと気になる。この録音は1949年3月だが、EMIの原盤はこれまで14日と15日の演奏が混合されたものが使用されていた。この2日間の演奏は現在では分別されて発売されているが、これについてSACDの発売予告では何も触れられていない。もしもその混合原盤のままSACD化されるのだとしたら、ちょっと時代錯誤という感じがする。

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