第31回 轟悠退団の衝撃

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 昨年来のコロナ禍は一年たってもまだまだ沈静化する様子はありませんが、感染拡大防止策を徹底するなかでさまざまな活動が再開され、社会全体がずいぶん落ち着いてきた印象。コロナ禍の宝塚を総括した『宝塚イズム42』を1月に刊行、次号の『宝塚イズム43』刊行の7月ごろには東西の行き来ももう少し楽になればと願うきょうこのごろです。
 宝塚歌劇団も、感染拡大防止に最大の神経を使いながら徐々に正常な状態に戻りつつあります。宝塚大劇場では4月の花組公演からオーケストラの生演奏が再開、5月の月組公演からはこれまで受け付けを中止していた団体の申し込みも再開し、ほぼ通常の形態になろうとしています。とはいえ、まだまだ油断は禁物。
 そんななか、3月に入って、この20年間、トップ・オブ・トップスとして君臨してきた専科のスター・轟悠が、今年(2021年)10月1日をもって退団することがわかりました。昨年9月に宝塚きっての舞姫だった専科の松本悠里が退団を発表し1月に退団したばかりのタイミングでの発表は、ファンだけでなく関係者にも大きな衝撃をもって迎えられました。
 轟は、1997年から2002年まで雪組のトップスターを務め、その後専科入りし、トップ・オブ・トップスという特別待遇で文字どおり宝塚を代表するスターとして、今日まで男役一筋で活躍してきました。雪組時代に演じた『エリザベート』初演(1996年)のルキーニ、雪組トップ時代の『凱旋門』(2001年)のラヴィック、トップ時代と専科時代を通じて何度も演じた『風と共に去りぬ』のレット・バトラーなど、豪快ななかにも繊細な心理の表現は誰にもまねができないものがあり、近年も『For the people ――リンカーン 自由を求めた男』(花組、2016年)、『ドクトル・ジバゴ』(星組、2018年)、『チェ・ゲバラ』(月組、2019年)と轟でなければ宝塚では上演できなかったであろう作品群に主演して存在感を強めていただけに、退団の発表は誰もが青天の霹靂でした。
 宝塚歌劇団は、トップスターになれば数年後に退団して次世代につなぐというのが通常パターンで、トップを極めた後、専科に残って活躍するという例は、宝塚の至宝といわれた天津乙女や春日野八千代を除くときわめてまれなケースです。『ベルサイユのばら』初演(1974年)でオスカルを演じて人気となり『ベルばら』四天王といわれた榛名由梨が月組でトップになり、その後専科入りしたものの数年で退団しています。轟がトップを退いて専科入りしたのは、歌劇団が2014年に100周年を迎えるにあたって歌劇団を代表するスターとして轟に白羽の矢を立て「春日野八千代のような存在に」と残留を要請、宝塚を愛し、男役を愛した轟がこれを受ける決意を固めたからです。
 残留にあたって歌劇団と轟の間にどんな条件が交わされたのかはつまびらかではありませんが、その後の轟の活躍ぶりからみると、年1回の各組への別格扱いでの特別出演や外部劇場での主演公演、ディナーショーの開催などが確約されたと思われます。轟の各組への特別出演は原則的に新トップスターのお披露目公演の次の公演で、2003年の春野寿美礼トップ時代の花組公演『野風の笛』を皮切りに、雪組『青い鳥を捜して』(2004年)、星組『長崎しぐれ坂』(2005年)、月組『暁のローマ』(2006年)、宙組『黎明(れいめい)の風』(2008年)と各組を一巡しました。その後も、雪組『風の錦絵』(2009年)にゲスト出演、100周年の14年には星組『The Lost Glory――美しき幻影』に続いて18年の雪組『凱旋門』に主演しています。
 そのほかにも『風と共に去りぬ』はじめ数々の外箱公演に主演、宝塚の男役の手本として、後輩の道標的存在になってきました。毎年暮れに各組のスターが勢ぞろいして開催される『タカラヅカスペシャル』では常に中央に君臨、各組のトップスターのまとめ役でした。「春日野八千代のような存在」に限りなく近づく「雲の上の存在」になっていきました。
 昨年はコロナ禍で公演が中止や延期になり、暮れに予定していた『タカラヅカスペシャル』も中止になってしまいました。とはいえ、暮れには延期されていた轟主演の星組公演『シラノ・ド・ベルジュラック』公演が実現、年明け2月には同期生の真琴つばさ、愛華みれ、稔幸を迎えての4人のコンサートが宝塚ホテルで開催されるなど、活躍ぶりが伝えられていた矢先の退団発表でした。
 3月18日におこなわれた退団会見で轟は「昨年9月ごろに退団の意思を固めた」と明言しましたが、実際はそれよりも前、劇団の理事を退任、特別顧問に就任したというニュースがあったころから何らかの動きがあったのではないかと考えられます。その後のコロナ騒ぎですっかり隠れてしまいましたが、ここ数年12月を飾ってきたスターカレンダーの2021年版から轟の姿が消えたことがその証明でしょう。
 いずれにしても、春日野同様、宝塚に骨をうずめる覚悟だと誰もが思っていた轟の退団は、ファンにとってもなんともいえない喪失感なのではないでしょうか。下級生のころは舞台でもオフでもずいぶん突っ張っていた印象があり、それはトップになったころに頂点に達し、なにか近寄りがたいオーラがありました。しかし専科になってからは、周囲を見る目が穏やかになり、演技も円熟味を増し、名実ともに宝塚を代表する存在になったと思います。
 思い出深い役は数多くあります。初期のころでは『JFK』(雪組、1995年)のキング牧師や『アナジ』(雪組、1996年)のアナジがありますが、やはりなんといっても『エリザベート』初演のルキーニでしょう。「キッチュ」の独特のハスキーな歌声はいまも耳について離れません。近年では『リンカーン』『ドクトル・ジバゴ』『チェ・ゲバラ』と続く原田諒とのコンビ作で、原田のリアリズム演出に轟が究極の男役演技で応えたことで宝塚の男役像そのものの幅を広げたことは大きな功績になったと思います。そして、この成果が昨年暮れの『シラノ・ド・ベルジュラック』のシラノ役で男役の完成形につながっていったのだと思います。
 轟の退団が今後の宝塚歌劇団にどんな影響をもたらすのかはまだわかりませんが、宝塚の一つの流れが変わる節目になるのは間違いありません。『宝塚イズム43』は、轟を筆頭に月組トップコンビの珠城りょう、美園さくら、そして花組の華優希という4人の退団者に対する惜別のメッセージがメイン特集です。雪組のトップコンビも交代、宝塚は大きく様変わりするなか、今後の宝塚の動向を占う興味深い論考が期待できそうです。刊行はもう少し先ですが、楽しみにお待ちください。

 

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