第24回 盤鬼と“ねこけん”の共演が実現!

 盤鬼・平林と“ねこけん”こと金子建志の共演がこの11月に実現する。……などと書くとちょっと食品偽装風になってしまうが、2人が同じ舞台に立つことには間違いない。
  周知のように、金子さんは明晰な音楽評論を展開する一方で、アマチュア・オーケストラを振る機会も非常に多い。私はかねてから金子さんから「一緒にやりましょうよ」と言われていたが、なにせ金子さんの本拠地は千葉・習志野方面である。臨時団員として本番前の数回の練習に参加するとしても、通うのはちょっと厳しい。そんなことだから、一緒に演奏する機会はなかなか訪れなかった。しかし、それがこの11月14日にようやく実現する。
  金子さんの指揮で私が何か協奏曲を弾く、そうなればいちばん面白いのだろうが、残念ながら私は人前で協奏曲を披露するような技量は持ち合わせていない。単にヴァイオリン奏者のひとりとして参加するだけである。こう言うと、「おっ、コンマスですか?」なんて返す人もあるが、そうではない。
  これまでに何回か金子さんの練習に出たが、あの評論のように非常に的確に、わかりやすく説明してくれるし、全体の流れも非常に円滑だ。雰囲気も明るくて、弾く方としてはたいへんにやりやすい。また、合間にいろいろな指揮者や音楽史的なこぼれ話をはさんでくれるのも興味深い。アマチュア・オーケストラの団員のなかに金子信者が多数存在するというのも十分にうなずける。
  さて、今回のプログラムだが、モーツァルトの『ドイツ舞曲K.571』、ブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲』、モーツァルトの『交響曲第40番』というものである。もともとこのオーケストラはトロンボーンがオプションという小編成のオーケストラで、マーラー、ブルックナーはおろかチャイコフスキーの交響曲も過去に一度も取り上げていない。そのため、こうしたこぢんまりとしたプログラムになっているのだが、まず『交響曲第40番』がメインというのはまずめったにお目にかかれないのではないかと思う。それ以上に珍しいのがK.571の『ドイツ舞曲』である。この曲はセットものでもCDでも聴く機会がなかなかないし、プロ・アマを含めても過去に演奏会で取り上げられた回数は極めて少ないと推測される。おおげさに言うと、今回の機会を逃したら次はいつ実演に接することができるかわからない作品でもある。それをプログラムに入れるというところが、いかにも金子さんのマニアック魂である。
  さらに言うならば、アンコールにも隠し球がある。それは某有名曲を金子さん自身が編曲したものだ。それは何か? 答えは会場に足を運んで確かめていただきたいと思う。なお、オーケストラはアマチュアなので、過度には期待しないでほしい。演奏会の詳細は以下のとおり。

 狛江フィルハーモニー管弦楽団第24回定期演奏会
  演目/モーツァルト『ドイツ舞曲K.571』
      ブラームス『ハイドンの主題による変奏曲作品56a』
      モーツァルト『交響曲第40番K.550』
  日時;2009年11月14日(土曜日)13時30分開場、14時開演
  会場;狛江エコルマホール(小田急線・狛江駅前、小田急OX4F)
  入場料;1,000円(中学生以下500円/当日券あり)
  *未就学児童の入場はご遠慮ください。
  団のホームページ;http://www.komaphil.com/

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チームスポーツとしての共著――『幻の東京オリンピックとその時代――戦時期のスポーツ・都市・身体』を刊行して

坂上康博

 12人で取り組んできた共著『幻の東京オリンピックとその時代――戦時期のスポーツ・都市・身体』が出版された。予定よりも1年ほど遅れてしまったが、デッドラインと定めてきた「2016年のオリンピックの開催地が決定する10月のIOC総会」にはギリギリ間に合った。このことがまずうれしい!
  石原慎太郎東京都知事を先頭に展開されてきた東京オリンピックの招致運動も、そこでひとまず決着がつくことになるが、なんとしてもその前に本書を出したかった。そこにこだわったのは、現在進行中の東京オリンピックをめぐる議論に“参戦”したいという強い思いがあったからだが、とはいえ本書は“緊急提言”を携えた際物とは違う。現実の動向をにらみながら、そこからは一定の距離を置き、歴史的な事実を丹念に追究した歴史研究の書である。
  そんな本を12人全員で、最後まで誰一人ドロップアウトせずに書き上げることが、できたことがこれまたうれしい。そこには単著の完成とはひと味もふた味もちがう特別の喜びがある。それは、力を合わせてゴールに向かうという、チームスポーツの醍醐味に似ている。サッカーに例えれば、絶妙なパスやアイコンタクト、チームメイトによる励ましなど、そんなシーンがたくさんあった。そしてスポーツ社会学、スポーツ史、日本近・現代史、デザイン史といった専門領域(ポジション)が異なる個性的なメンバーだからこそできた絶妙なコンビネーション。いまは出版を終えての安堵感とともに、このチームでの活動がこれで終わるという何ともいえないさみしさが同時に込み上げてくる。
  さて、本書は当初、「学生や一般読者がすんなりと読み進められるよう質は落とさず、しかし文章は平明に」を方針として掲げ、つまり研究書と一般書の中間的なもの、文章も価格もそのようなものを目指した。文章については妥協せずにこの方針を最後まで貫いたつもりだが、価格に関しては、残念ながら4,200円(税込み)という一般書とは言いがたいものになってしまった。
  全部で12章、計452ページ、写真が143点、図表が40点というボリュームなので、むしろこの価格で出せたこと自体が奇跡的だと思うが、分量の膨張をコントロールできなかった責任は、やはり編者が負わなければならないだろう。分量オーバーの原稿に対しては何度か削ってもらったが、時間がたつとまた膨れ上がる。新しい史実や史料の発見があって、それらがどんどん付け加わってくるからだが、それらについては「もったいない」という気持ちがはたらいてしまい、なかなか削れない。
  そんな葛藤を伴いながら刈り込み作業を重ねたが、それでも当初予定の2倍近くの分量になってしまった。さてどうするか? 2冊に分けるという案も検討したが、せっかくの一体感が壊れる。悩みに悩んで、最後は「写真と図表を削れるだけ削ってそれで出版」ということになった。
  だから本書は、2冊分の内容をもち、しかも100点を超える写真と多くの図表を掲載した、つまりヴィジュアル的にも資料的にも充実したものとなっていて、このような中味からすれば決して高い価格ではない――そんなふうに読者のみなさんが思ってくれたらうれしいのだが、さて結果はいかに?

突撃隊の消息について――『村上春樹と物語の条件――『ノルウェイの森』から『ねじまき鳥クロニクル』へ』を書いて

鈴木智之

 三人称を基調として書き進められるようになった最近の長篇(例えば『1Q84』)では少し様子が違うのかもしれないが、もっぱら一人称の視点から語られていた頃の村上春樹作品では、語り手であり主人公である人物――「僕」――が、少なくとも見かけ上は特に傑出するところのない「普通」の人として設定されることが多かった。それは、作家が主人公に等身大の自分自身を重ね合わせながら物語世界を造形していたということでもあるだろうし、またそれゆえに、読者の感情移入をしやすくする仕掛けになっていたとも思う。これに対して、主人公の周辺には、あまり「普通」とは言い難い個性あふれる脇役たちが、作品を経るごとに数多く配置されるようになる(その傾向は『羊をめぐる冒険』にはじまり、『ねじまき鳥クロニクル』で最も顕著になる)。おそらく、取り立てて突出するところのない人物を中心に長い物語を書き進めるために、そういう装置が必要になっていったのだろう。
  では、物語世界のなかで脇役たちは何をしているのか。それは読解を進めるうえで1つの焦点となる。もちろん、彼らは主人公が生きていく世界に現れる「他者」であり、物語の共演者である。現実の世界と同じように、人は他者との関わりのなかで何かを求め、何かを妨げられ、そうして何者かになっていく。「僕」の生きる世界に内在し、これを構成する要素としての他者。そういうものとして脇役たちの役割を考えなければならない。しかしそれだけではなく、村上春樹の作品ではしばしば、際立った個性を備えた人物たちが、主人公の抱えている問題――したがってまた作品全体の主題――を極端な形で体現し、論理的に純化された形で提示している。そのことを強く意識するようになったのは、『ノルウェイの森』についての論考(本書の第一部)を書いているときだった。「永沢」や「ハツミさん」や「レイコさん」が直面している問題を考えていくことが、そのままこの作品全体を動かしている「問い」の摘出につながる。同じことは、『ねじまき鳥クロニクル』についてもいえる。「加納クレタ」や「赤坂ナツメグ」のエピソードこそが、作品の構造を明らかにする鍵になっているのだ。このとき、脇役たちは、物語が物語に対してほどこす「解説」の役割を果たしているように見える。テクストによる作品への「注釈」とでもいえばいいだろうか。
  ともあれ、一見したところ物語の本筋にどう関わっているのかわからないような周辺のエピソードをクローズアップして、脇役たちを作品理解の導き手に抜擢する。それが、本書で採用した1つの方法論上の選択である。そして、その作戦は割合にうまく機能したのではないかと、ひそかに自画自賛している。少なくとも、多彩な脇役たちに大切な場所を割り当てることができた、と思う。
  だからこそ、この本のなかでまともに語ることのできなかった周辺的な人物のことが気がかりである。その1人は、『ノルウェイの森』の「突撃隊」。もう1人は、『ねじまき鳥クロニクル』の「牛河」である。どちらも、そのほかの登場人物たちとは明らかに違う雰囲気をもち、その「育ち」からして異質なものを感じさせる。いわば彼らは、「僕」の世界に間違って入り込んでしまった「闖入者」である。だから、こういう人たちの登場にこそ、物語の現実感覚が凝縮されているに違いない。そういう思いが、読んでいるときにも、書いているときにも色濃くあった。にもかかわらず、何も書けなかった。そこに、書き落としたものがあるような気がしている。
「綿谷ノボル」の秘書として「僕」の前に現れた「牛河」は、『1Q84』で相変わらずのいやらしい押しの強さを見せて再登場している。「牛河」は健在だ。いずれは、彼を真ん中に据えて、作品横断的な論考を書くことができるかもしれない。だが、「突撃隊」はどうしているのだろう。『ノルウェイの森』で、「僕」が暮らしている寮の同室者であった彼は、「国土地理院」に入って「地図を作る」ことを目標に「国立大学で地理学を専攻していた」。毎朝、1つの手順も省略せずラジオ体操を繰り返していた「突撃隊」。「直子」が京都の療養所へと移ってしまったあと、孤独を抱える「僕」に「蛍」をくれた「突撃隊」。しかし彼は、夏休みが明けて大学が再開されても、山梨の実家から戻ってこなかった。どんな事情があったのか、説明は一切なし。突然の退場。その後、消息は途絶えている。
「突撃隊」的なるものには居場所がない世界。「僕」や「緑」が生きていかなければならないのは、そういう世界なのだと了解してしまうことはできる。しかしそれはどこか寂しく、空恐ろしい。「突撃隊」はいまどこで何をして生きているのか。いまの僕には、それが気になってならない。

第23回 ピアニスト、久野久のこと

 久野久(くの・ひさ)というピアニストをご存じだろうか。彼女は1886年(1885年とも)に、滋賀県で生まれ、1925年に死去した。私が久野を知ったのは中村紘子『ピアニストという蛮族がいる』(文藝春秋、1992年)だった。そのなかで最もショッキングな記述は、久野はしばしば演奏中に鍵盤が血で染まったということだった。彼女はピアノにうずくまったまま朝を迎えることが珍しくなかったほど猛練習したらしいが、中村は自身の経験をふまえても、鍵盤が血で染まる理由はわからないとしている。もうひとつ鮮明に覚えているのは、久野はウィーンに留学し、現地のピアニストの演奏を聴いてショックを受け、ホテルから身を投げて自らの命を絶ったことだ。
  最近発売された『ロームミュージックファンデーションSPレコード復刻CD集』(Ⅳ)を手にしたとき、私はまずこの久野が弾いたベートーヴェンの「月光」ソナタが入っていることに驚いた。中村の著作でも久野の演奏については具体的に触れていないので、この本を執筆中には中村もまだ久野の録音を聴いていなかったのだろう。実際、このSP盤はウルトラ・レアであり、今回は昭和館所蔵のコレクションから復刻されている。
  中村の著作によると、久野は演奏中に激しく身体を動かすので、頭のかんざしがはずれることがしばしばだったようだ。また、ロームのCD解説によると、レパートリーではベートーヴェンを得意とし、そのベートーヴェンの後期のソナタを弾いたのは久野が初めてと言われている。鍵盤が血で染まり、かんざしがはずれるくらいとなると、よほど激しいベートーヴェンだったと想像される。しかし、今回のSP盤は久野が渡欧する前の1922、23年頃、つまりラッパ(アコースティック)吹き込みによって収録されたため、ダイナミック・レンジが極端に狭く、細部も不明瞭である。そのため、文献上で言われているような激しさはあまり感じ取れないと思う。しかし、私は特に第1、2楽章に感銘を受けた。微妙なテンポの揺れのなかに、えも言われぬ妖しい雰囲気が立ち上ってくるのは印象的だった。いずれにせよ、伝説のピアニストの音が聴けたのは望外の喜びだった。
  このセットの概要について、ごく簡単に触れておこう。日本人の演奏家と来日演奏家とのオムニバスなのは先行の3巻と同様だが、今回も中古市場ではまずお目にかかることができない超貴重なSP盤からの復刻を多数含んでいる。このセットを聴くと、情報が乏しかった時代の日本人の演奏は一般的に思われているほど稚拙ではないし、今日のそれとはまた別の味があることがわかる。また、魅力的であり意外性に富んだ日本人作品も非常に多いし、来日演奏家の演奏(海外作曲家と日本人作曲家の作品)も興味深いものばかりである。解説書も充実しており、聴くほどに読むほどに、かつての日本の音楽界の奥深さを知ることになるのだ。それにしてもこのセット、全4巻の充実ぶりは破格である。これこそがレコード(記録)である。関係者の努力と熱意には心から敬意を表したい。

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レッスンとしての写真――『現代アメリカ写真を読む――デモクラシーの眺望』を書いて

日高 優

 写真の寡黙さの豊かさや深さを、どのようにしたら掬い取ることができるだろう――私が本書を通じてただひたすらに追求しようとしたのは、そうしたことでした。「写真に潜勢するものに応答しなくては」という想いが写真の研究を始めた当初からいまなお私を突き動かしていて、ほとんどそれだけが写真を研究し続けていることの動機だといっても過言ではないぐらいなのです。そして、なかには奇妙と思われる方もいるかもしれませんが、私は写真を研究してはいても写真マニアではなくて(幸か不幸か、ちっとも!)、写真的経験を生きる現代のひとりの凡庸な人間だからこそ、ジャーゴンや学問のトレンドに過度に囚われることなく、それ自体は言葉を持たない寡黙な写真の、しかし私たちの生に穴を穿つほどの力を掴まえることの方へと赴くことができたのかもしれない、などと考えるのです。どうやら私のスタンスは、「社会的風景」展のネイサン・ライアンズの思考、そしてもちろん、彼が参照点としたジョージ・ケペシュの思考と共鳴しているようです。ともあれ、すでに世に船出した一冊の書物にとって、作者や作者の個人的な感慨など、どうでもいいことではないでしょうか。そんなことよりも大切なのは、どんなに拙い言葉たちではあっても、本書のなかの言葉たちが、読者のみなさんの写真的経験、生の経験と結ばれ、生きられるということなのですから。
  本書の終章にも記したように、〈デモクラシーとしての写真〉とは、究極的には、「私たちが自らの感度を上げて写真になる」という企図のことを意味しています。つまり、「写真が世界の潜像を結ぶ場所であるようにわれわれは自らを世界の可能態へと向かう地点とし、自らを潜勢する関係性に普段に開き続ける主体性生の運動の場として生きる」。そして、〈デモクラシーとしての写真〉を生きるということは、混迷状態と見える現代の社会を生きるための、ひとつの不可欠なレッスンになるのではないでしょうか。それは、世界に潜在する他なるものへの感度を上げて、この世界のただなかで生きるというレッスンです。本書は、社会から逃走するのではなく、社会のただなかにいて諸力に拘束されたり痛みを感じたりしながら生きる凡庸な私たちの、パフォーマティヴな〈倫理的主体の生成〉というモメントを探索しています(写真ではこれまでほとんど探索されてこなかったけれども、しかし、私たちがこの世界に希望を持つことがゆるされるのだとすれば、決定的に重要なモメントになるのではないでしょうか)。要するに、写真になる、写真を生きるとは、そうした主体になるためのレッスンなのです。
  本書とともにアメリカの歴史を駆け足で紐解くだけでも、私たちは自己の過剰なる重力圏を解除して、他なるもの、他者を見出すのにどれだけの時間を要してきたかが痛感され、思わず愕然とすることでしょう。そして本書が明らかにするのは、写真が潜在する他者や他者との関係性を可視化しそれらに視線の権利を与えてきた、ということです。さらに、写真は一見寡黙ながらも/寡黙だからこそ、私たちの社会をいまなお浮き足立たせている「世界の中心で愛を叫ぶ」的美学(「エコ」や「コミュニケーション」の「優しい関係」を言祝ぐ美学)に穴を穿ち、その抑圧下に潜勢するものを解き放つ可能性を帯びているのです。
  写真関係の多くの書物のなかでも、本書はとにもかくにもユニークな位置を占めているかもしれません。写真の経験を掬うというスタンスを追求した結果がこの書物です。しかし、写真自体を把捉しようと写真に向かっていく研究、写真に潜勢する力を見出そうとする研究は、残念ながらむしろ意外にも少数派です。ましてや、本書はデモクラシーというもうひとつの系を引くわけですから……。とはいえ、別段、本書は奇をてらったものではありません。本書をお読みいただければ、「写真とデモクラシー」とは、なぜかこれまで書かれてこなかったことが不思議なぐらいの、書かれるべくして書かれたテーマであると感じ取っていただけるのではないでしょうか。

 本書を辿る読者のみなさんの眼差しのうちに、デモクラシーが発火しますように。

スポーツした文学研究者たち――『スポーツする文学』を出版して

疋田雅昭

 言うまでもなく、昨2008年はオリンピックイヤーであった。本来ならば、そのタイミングを狙っていた本書の刊行だったが、諸般の事情でやっと先月刊行に至ることができた。しかし、当然のことながら、われわれが議論の前提としているスポーツをめぐる諸事情が、この1年で変わってしまったなどということはありえない。
  スポーツで起こるプレーの興奮や感動とは、それまでにあったチームや選手たちの「物語」や「意味」の共有を前提にしていることが多い。そうでなければ、同じスポーツには同じプレーが起こる確率は決して低くはないわけだから、過去に起こった同様なプレーとの差異を決定する具体的な要因などあるわけはない。だから、このこと自体は意識するにせよしないにせよ、むしろ常識なのだ。しかしながら、これまでのスポーツ研究は、スポーツが持つこうした「物語」や「意味」の存在をあまりに軽視してこなかっただろうか。または、個別の「物語」や「意味」にこだわりすぎて、それを抽象化するアプローチを忘れてはいないだろうか。
  われわれ「文学」を専門とする人間が、多くは社会学や歴史学的範疇で語られてきたこの言説群に参入しようと思った理由もまさにここにある。「……史」を構築しようとするのならば、具体的な物語に拘泥するような語り方も重要だろう。また、社会学的に考えるのならば、それぞれの時代とスポーツの関係を数値など様々なデータを基に構築していく語り方が必要になるのかもしれない。
  だが、われわれは、スポーツが起こす感動を支える「意味」や「物語」に徹底的にこだわる。それも、それらを支えるメカニズムを眼差す言葉を会得したいと思うのだ。それは、やや大風呂敷を広げれば、社会学や歴史学との「対話」の申し込みでもある。これをスポーツになぞらえて「試合」と言いたいところだが、もちろんこの「対話」に勝ち負けがあるわけではない。そう考えてみれば、われわれが扱うスポーツにも必ず勝ち負けがあるわけではないことに思い至る。あるときは自己探求のため、あるときはストレス解消や健康維持のため、またあるときは無目的にスポーツを楽しもうとすることさえある。
  もちろん、スポーツ研究をめぐる言説のレベル向上のために他流「試合」をしなくてはならないこともあるだろうし、より一層の技術向上のために「練習」を続けていくことも怠ってはならない。だから、われわれ執筆者一同としては、そういった「試合」を楽しみにもしている。ぜひ、お申し込みいただきたい次第である。
  しかし、同時にわれわれは「スポーツ」をしたかったわけでもある。スポーツの目的は様々である。だから、われわれはチームでもあるが、一方でそのチームの選手のスタンスは多種多様でもある。様々な目的を包摂したスポーツ……。その成果がこの書籍である。およそ3年間の合同トレーニング(なかには合宿まで含まれている!)によって、飛躍的に技術が向上した者もいれば、まだまだ向上の余地が望まれる者もいるかもしれない。そして、われわれのスポーツにも、今後様々な「意味」や「物語」が付与されていくだろう。そういった意味でも、われわれは「スポーツ」を「文学」したのである。

出版の動機と経過、そして反応――『美空ひばりという生き方』を書いて

想田 正

 中学生時代、隣のガキンコが「リンゴ追分」をいつも歌っていた。音楽といえば、家ではいつも、父が持っていたセミクラシックのレコードをかけていたから、これが歌謡曲に親しんだきっかけだった。当時の娯楽はラジオと映画ぐらいだったから、つけっぱなしのラジオから流れる歌謡曲に日々親しむことになった。
  筆者が入学した法政大学日本文学科では、アカデミックな官学に対抗し、対象を客体化して歴史的・社会的に研究する科学的方法を標榜しており、私たちはその薫陶を受けた。
  そのうち、全盛期を過ぎてきた歌謡曲がもつ大衆的意義を学術的に解明する試みが少ないことに思い至った。
  そうしたなか1996年に、竹島嗣学氏が設立した広域市民塾《美空ひばり学会》の存在を知る。この人は元新聞記者で、洒脱あふれる文章をものするだけではなく、弁舌・歌・楽器などどの分野も堂に入った器用人。拙著のカバー・扉にも、氏のイラストを使わせていただいた。
  この学会の目的は、「わが国を代表する天才歌手・美空ひばりの足跡を通して、その時代・文化・風俗・生活を幅広く研鑽する」とある。これは、歌謡曲を「学」として扱うべきと常々考えていた筆者にとってまことに共鳴するものだった。2001年の元旦に掲載された「朝日新聞」の紹介記事を見て直ちに入会。以降、学会ニュースに、歌謡曲を軸とした大衆芸能について、かつて学んだ方法に基づきながら思考した論考を持続的に掲載させていただいた。
  こうして蓄積されてきたものを、2008年に『美空ひばり歌謡研究』2分冊にまとめ、私家版として上梓。その後周囲の勧めによって、出版社に検討を打診し、サブカルチャー分野で定評のある青弓社の応諾を得て出版に至った次第である。
 
  本書に盛り込んだ筆者の意図は「ひばり歌謡学・序説」に尽くされているので、以下これを引く。
「国民歌謡の不在、歌謡曲の喪失が慨嘆されて久しい。それは昭和の終焉とほぼ軌を一にしていて、昨今昭和が見直されてきているものの、歌謡曲の喪失は、外来音楽の攻勢によってその存在が揺らいだことに起因しているだろう。
  結果、歌謡曲は「演歌」という限定された枠に押し込められることになるが、そのことは享受層を中・高年に限定することを伴っていた。とはいっても、若者たちがいつまでもポップスなどの分野に専心し続けるわけでもなく、行き場を失った彼らは、「フォーク=ニューミュージック」という新たなジャンルに求めていった。しかしこの世界は、折からの閉塞状況と相まって、ひたすら内部への沈潜・鬱屈の吐露となり、こうして世情と同様、歌の世界でも世代間の分裂は決定的になっていったのである。
  いま六十代以前の世代が往年の歌謡曲を口ずさむのは、単に懐旧の情だけではない。そこには生活・人生と一体となった「歌」があるからである。ニューミュージックや演歌にそうした役割は求め難い。われわれが「歌謡曲」の復権を願望するのは、こうしたかつて国民の実体と同化していて、昭和とともに喪失したまさに「国民歌謡」を欲するからにほかならない。
  しかしそれにしても、歌謡曲の黄金期を築いた歌手たちはたちどころに何人も挙げられるのに、なぜいま〈ひばり〉なのか。彼女がそれら群雄スターらのなかにあって、ひときわ輝く存在であり続けた要因は何だったのか。これを解明することは、スターとは何か、ヒットとは何か、はたまた彼女を支持し続けた大衆とは何かを問うのと同時に、昭和とはどのような時代であったかを照らし出すことにほかならない。そしてこれを解明することは、われらが切望する新たな「国民歌謡」を生み出すだろうと信じる」

 さて、本書を出版したことを周囲に紹介すると、共通の対応を受けることに気が付いた。それは、ほとんどの人が、まず小生の堅いイメージと作物にそぐわないとばかり爆笑することである。そして、「美空ひばりってお好きだったんですか?」と聞くのである。
  このような反応は、2つのことを示していると思う。第一に、世にいう学者先生は大衆歌謡などを扱うはずがない、と思われていること。第二に、対象が「好き」であることが前提だと思い込まれていること。小生がいっぱしの学者に見られているらしいことは汗顔の至りだが、それはともかく、インテリが大衆芸能を扱うことの戸惑いは、本書の「まえがき」で触れたように、竹中労が受けた半世紀前の経験と現状はなにほども変わっていないことを示すものだろう。
  そして、学問研究は対象にのめり込むのでなく突き放し客体視することから始まる、ということが、どうも一般に定着していないようなのである。そのことは巷に繁盛している「カルチャーセンター」の在り方を見れば容易に頷けることである。

 以上のことは、小著を刊行して痛感させられた思わぬ副産物だった。

第22回 コンヴィチュニーの謎解き

 コロムビアからフランツ・コンヴィチュニー指揮、ウィーン交響楽団のブルックナーの『交響曲第4番「ロマンティック」』(COCQ-84623)が新装再発売された。これは帯に“オリジナル・マスターによる世界初CD化”とあるように、初めてオリジナル・マスターからリマスタリングされたもので、聴いてみると確かに過去に発売されたCDよりも格段に鮮度を増している。
  今回、オリジナルまでさかのぼってCD化をおこなった段階で、実は驚くべき事実が発覚したのだ。それは、これまで流通していた同じくコンヴィチュニー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による同じ曲のブルックナーの『交響曲第4番「ロマンティック」』、これは世の中に存在しない、つまり中身はウィーン交響楽団のものと同一であることが確定されたのである。
  では、どうしてこんなことが起こったのか。ごくおおまかに説明すると以下のようになる。ウィーン響の録音が終了後、安全のためにマスターからセイフティ・コピー(サブ・マスター)が作成され、以後、このコピーでさまざまな作業がおこなわれていた。この原盤はオイロディスクによるものだったが、LP時代、このオイロディスクは旧東ドイツの国営レコード会社エテルナとライセンス契約を結んでいた。おそらく1960年代後半のことと思われるが、オイロディスクはエテルナからコンヴィチュニー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管とのブルックナーの『交響曲第5番』『第7番』の原盤を借り受けた。そして、自社にある『第4番』とエテルナからの『第5番』と『第7番』をLP3枚組みセットで発売したのである。
  このときに間違いが起きた。ウィーン響の『第4番』のテープが保管してあった箱にはオーケストラ名の表記がなかったため、オイロディスクの担当者が『第4番』もゲヴァントハウスだと勘違いし、“ゲヴァントハウス管による”ブルックナーの『交響曲第4番』『第5番』『第7番』の3枚組みが市場に流布してしまったのである。国内ではウィーン響と表記されたLPは1971年10月に、ゲヴァントハウス管(中身はウィーン響)と表記されたLPは73年12月にそれぞれ発売されており、つい最近までこの2種類のステレオ録音の存在が信じられていた。しかし、これは何も日本国内だけの問題ではなく、世界中のカタログやディスコグラフィでも同様の現象が起きていたのである。
  けれどもこの取り違え問題、この先にもいろいろとありそうなのだ。たとえば、上記の『ロマンティック』と同時に発売されたドヴォルザークの『交響曲第9番「新世界より」』(COCQ-84624)の余白にあるベートーヴェンの『序曲「レオノーレ」第2番』。これと、ベートーヴェンの『交響曲全集』(徳間ジャパン/ドイツ・シャルプラッテン TKCC-15044、6枚組み)に入っている同じ曲を比べてみた。前者はバンベルク交響楽団、録音年不詳、後者はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、録音は1959年~61年と記されている。聴いてみると、これがものすごく似ている。演奏時間も酷似している(ブックレット表記は14分17秒と14分18秒だが、CDプレーヤーでの表示もほとんど同じ)。両者はともにステレオなので、録音された時期はほぼ同じと断定していい。同じ曲を同じ頃にオーケストラを変えて録音するということは、現実的にはほとんどありえないことだ。古いLPの表記もバンベルク響なので、おそらくバンベルクが正しいと思われる。この場合、エテルナがオイロディスクから原盤を借り受け、そこでうっかりバンベルク響をゲヴァントハウス管として保管してしまったのだろうか。
  同じベートーヴェンでは1959年のモノーラル録音の『交響曲第6番「田園」』というCD(コロムビア COCO-75405)も出ていた。TKCCの『全集』はステレオだが、このステレオの『田園』とモノーラルのそれを比較してみると、これらは違う演奏のようにも思える。最も大きな違いは、前者コロムビア盤では第1楽章の提示部の反復がないが、後者TKCC盤では楽譜どおりに反復がなされていることだ。ただし、この2つは互いにピッチがかなり異なるため、ピッチを揃えて比較すると案外……。
  そのほか、ワーグナーの『ジークフリート牧歌』というのもある。国内で出た実績があるものはウィーン交響楽団のものだが、古いレコード総目録にははっきりと「ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団」と記されている。この曲のゲヴァントハウス盤というのは存在しないので(少なくとも正規の録音では)、これは目録の誤植ということも考えられる。ただ、あれこれとひっかかってくると、どれもこれも疑いの目で見たくなってしまう。そうなると、落ち着いて聴けなくなるので、この問題はとりあえずこのあたりで終了。

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第21回 シューリヒトのベートーヴェン

 カール・シューリヒトが1957年から翌年にかけてパリ音楽院管弦楽団を振って録音したベートーヴェンの『交響曲全集』(EMI)は非常に有名であり、いまでも人気が高い歴史的名演のひとつである。最近はせっせとLP復刻盤を作っている関係上、初期LPをがさがさと探し回ることが多いのだが、その過程でこのベートーヴェンには思わぬ珍事が起きていたことがわかった。
  2年前だろうか、ドイツのコレクターから上記の全集のなかの『第3番「英雄」』『第6番「田園」』『第7番』『第8番』のLPを一括で購入した。これらはフランスEMIの初出盤で、番号は順にFALP574、575、576、572である。購入した理由は、そのドイツのコレクターが「これらは片面にプレスされたテスト盤であり、市販盤よりも音がいい。非常に珍しいもので、この機会を逃せば、まず手に入らない」と言ってくれたからだ。こういうふうに言われると、すぐに頭に血がのぼるのがコレクターの悲しい性である。高額なのを顧みずに、思わずエエイッとばかり買ってしまったのである。
  確かに、音は良さそうだ。手元にある国内盤CD(TOCE-6214―8)と比較しても、このLPの方が格段にしゃきっとした再生音である。ところが、である。『第8番』の第1楽章の251、252小節が欠落しているのだ。最初聴いたときはドキッとした。けれどもCDはまったく正常である。私は、これはテスト・プレスの段階でのミスであり、市販盤は正常に違いないと思った。
  後日、市販されている『第8番』のFALP572を持っている人に聴かせてもらったところ、これが同じく欠落しているのである。さらに、この『第8番』のイギリス初出LP(XLP-20022、1960年12月発売)を購入して聴いたところ、これにも同様の欠落があった。ということはこの『第8番』、最初期のLPは欠落のまま市販されていたのである。
  やっぱりフランス人のやることはいいかげんだなあ、なんて思っていたら、ようやく最近になって買っておいた『第7番』のテスト・プレス盤を聴いて、もっとびっくりした。これは第1楽章の211―216小節、今度は6小節(!)も欠落している。こちらも市販盤の方は正常ではないかと思っていたら、あるシューリヒト・ファンから間接的にではあるが「その欠落は昔から一部のコレクターには知られている」という情報を得た。
  これだけ派手に抜けているのだから、その昔の批評にもきっとそれが指摘されているのだろうと思い、いろいろとあたってみたところ、この『第7番』のイギリスの「グラモフォン」誌にイギリス初出LPのレビューが見つかった(ALP-1707、1959年10月発売)。そうしたら、ありましたねえ、欠落がある、と。ところが、よく読んでみると、その欠落の個所が第1楽章の35―41小節とある。しかし、手元にあるテスト・プレスの35―41小節はまったく欠落はない。この違いは何なのかはわからないが、ともかく『第7番』もその昔は大きな欠落のまま売られていたことだけは事実のようである。
  こうなってくると、まだちゃんと聴いたことのない『第3番「英雄」』や『第6番「田園」』も欠落があるのではないかと疑いたくなるし、所持はしていないけれどもほかの『第1』『2』『4』『5』『9番』なども気になってくる。ただ、ここで強調しておきたいのは、上記の国内盤CD(TOCE-6214―8)を含め、比較的最近発売されたものはまったく正常だということである。
  このような編集ミスはしばしば起こりがちである。しかし、このような大きな録音プロジェクトで2個所も大きな編集ミスを起こしているというのは前代未聞だろう。言うまでもないが、この『交響曲全集』はシューリヒトが生きているときに発売されたものである。彼にとってはいい迷惑だっただろう。

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ライトノベルという問題――『ライトノベル研究序説』を書いて

久米依子

 3年にわたるライトノベル研究会の成果として、一柳廣孝氏と共編著で本書を刊行することができた。ここ数年注目を集めているライトノベルとその周辺現象に、主として文学研究の立場から切り込んだ試みである。若い書き手が多いこともあって、それぞれが自分自身とライトノベルとの距離感を測りながら考察を進めるような、熱気を帯びた論集となった。
  研究会自体も、ライトノベルを「研究」する視座を開きたいという学生たちの願いから始まっている。当初は少人数で開始したが、いつの間にかさまざまな大学の友人・知人が集い、20人以上の会となった。脱会(?)するメンバーがほとんどいなかったのも特色である。サブカルチャーについて少し知的に語り合いたいという欲求は、若い世代に共通してあるらしい。
  3年間、研究の基盤を整えるために種々のアプローチを重ねたが、その間懸念していたのは、急速に発展したライトノベルの勢いが鈍り読むべき作品も減って、研究の意義が失われるのではないかということだった。しかし、どうやらそれは杞憂に終わった。現在のところライトノベル作家には新しい才能が次々と参入し、アニメ、マンガ、ゲームとのメディアミックス展開も活発で、書店のライトノベルの棚は明らかに拡張している。各国語に翻訳される例も出始めた。かつてマンガやアニメが戦後文化として認められていった道筋を、ライトノベルもたどる……かもしれない。そうなれば〈動物化〉した世代の〈データベース消費〉小説、といったこれまでの単純な裁断だけでは論じにくくなるだろう。本書はそのような動向への期待と、しかしこの現象がいったいどこに行き着くのか、という危惧と不安(!)も込めた1冊になっている。読者の方々にも、現在の「ライトノベルという問題」をともに考えていただければと願っている。
  本のなかで明言はしなかったが、こうした青少年向けサブカルチャー研究の可能性が広がったのは、やはりカルチュラル・スタディーズのおかげである。旧来のアカデミズムでは扱いにくかった大衆的な言説文化研究の方向を、カルチュラル・スタディーズから見出すことができた。娯楽的な文化が爛熟している日本社会では、ますます応用されるべき理論・方法だと思う。本書も題材はライトノベルながら、分析姿勢はハード&ヘビーを目指したつもりである。
  研究会の活動は出版によって一区切りついたが、今後はライトノベルだけでなく、現代の多様な文化にまで対象を広げて分析しようと話し合っている。ライトノベル現象そのものも調査を重ねなければならないし、メディアミックスが常態であるジャンルの特質を考えるためには、ミックスされる他ジャンルへの探究が欠かせない。
  再び研究会の成果を問う日がくるかどうかは未知数だが、今回の1冊を大切な指標として、若い会員の意欲的な取り組みが新たな研究シーンを開くことを待望している。
  さて、本書のカバーは印象的なイラストで飾られているが、これも本書に執筆した研究会の女性メンバーの労作である。カバーについては青弓社の矢野未知生さんにリードしてもらいながら、細部まで執筆者たちで話し合い、意匠を凝らした。書店で見かけたらぜひお手に取って、袖のイラストまでお目通しいただきたい。そこに描かれている矢野さんのイラストを見たうえで、「矢野さんはもっともっとハンサムではないか?」といった愛あるご批評などは、絶賛受け付け中です。