第31回 盤鬼が盤鬼でなくなる?

  最近、とある人からこう言われた。「平林さんは最近もっぱらオープンリールテープからの復刻をやっていますが、そうなると、盤鬼ではなくなるんですか?」。確かに、ここ最近発売した復刻盤はすべてオープンリールからのもので、近々発売を予定しているパレーの『フランス管弦楽曲集』(GS-2051)、ワルターのドヴォルザークの『新世界より』(GS-2052)なども同じくテープからの復刻である。
  SPやLPはディスク=盤なわけで、テープはテープである。では、今後は“テープの鬼”ということになるのか。でも、これだと盤鬼に比べるとちょっと迫力に欠ける。また、テープは俗にヒモともいうが、では“ヒモの鬼”にしたらどうか。だが、これだと団鬼六の世界に近づいてしまいそうだ。
  だが、CDの解説にも書いたように、オープンリールのカタログは非常に限られている。そのため、オープンテープからの復刻を出したくても出せないものの方が圧倒的に多いのである。ここ最近、たまたまテープの復刻が続いているだけで、来春にはLPからの復刻もいつくか用意しているので、安心していただきたい。
  このオープンリールを聴いていて気がついたことがある。同一の音源をオープンリールから録ったものと市販のCDで比較すると、後者は明らかに「高域に冴えがない」ということである。つまり、アナログのマスターテープは多かれ少なかれ「シャー」というテープ・ヒスが含まれる。これまでの復刻盤は、まずそうしたノイズを除去することから復刻作業が始められているような気がする。普通に考えれば、オリジナル・マスターからの方が圧倒的に情報量が豊かなはずである。しかし、途中経過で余計な手間をかけると、どうやら逆転現象が起きてしまうようだ。
  これはいつも書くことだが、たとえば高域のきつい音源があったとする。その音を丸くしようとしてある高域を削ると、聴きやすくはなるが、同時に多くの音楽的成分も失われているのである。ちなみに、8月末に発売を予定しているワルター指揮、コロンビア交響楽団のドヴォルザークの『新世界より』を聴いてみてほしい。確かにテープ・ヒスは目立つ。しかし、全体の情報量の多さには改めて驚かされるだろう。このワルターもすごかったが、その次に予定しているトスカニーニ指揮、NBC交響楽団のブラームスの『交響曲第1番』とムソルグスキーの『展覧会の絵』(番号未定)にも仰天してしまった。演奏者の汗が飛び散ってくるような音、これぞまさしくトスカニーニではないか。
  リスナーのなかにはそうしたノイズ成分のない音が好きだという人もいることは知っている。けれど、本当にワルターやトスカニーニを好きな人は、そんな無菌室的な音は望んでいないと思う。

Copyright NAOYA HIRABAYASHI
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。

第30回 新潟へ行くの巻

 先週の7月8日から11日まで新潟を初めて訪れた。最初の予定は2泊だったが、8日木曜日の夜に立川志の輔の公演があったので、それに合わせて1日余計に泊まったわけである。志の輔はたっぷり三席やってくれ、特に最後の「柳田格之進」は絶品だった。このとき、ちょっと面白いことがあった。「携帯電話をお切りください、録音録画はご遠慮ください」という例の開演前のアナウンスである。「座席の上に立ち上がったり、あるいは舞台に駆け寄ったりしますと、公演が中断、もしくは中止になることがあります」と続いて流れた。私は「このアナウンスは落語の前には変ですよね」なんて言っていたのだが、そのアナウンスを舞台に出てきた志の輔が早速ネタに使っていた。「いやあ、私も落語を長くやっておりますが、座席の上に立ち上がった人なんか見たことはないですねえ。舞台に駆け寄ってくる人、これもありませんね。私なんか舞台に人が近づいてきたら、何かくれるんじゃないかと思わず期待しちゃいますけど」なんて言っていた。
  8日午後に新潟駅に到着し、すぐに案内されたのが朱鷺メッセ。ここの展望室で新潟市内を一望した。曇り空だったので佐渡はかすかにぼんやりと見えた程度だったが、次回はその佐渡に行ってみたいと思う。市内の中心を流れる信濃川、それにかかるいくつかの大きな橋。この橋も道路も幅広くゆったりとしているが、これはどうやら田中角栄の遺産のようである。その信濃川の悠然とした流れと幅広い道路、これらが街全体に独特の情緒を醸し出しているような気がする。古町マンガストリートで『ドカベン』(作者の水島新司は新潟出身)に出てくる里中、山田、殿馬、岩鬼の銅像を見て、その予想以上の大きさに驚いたが、心から感動したのは郊外にあった豪農の館(北方文化博物館http://hoppou-bunka.com/)である。もしも新潟へ行く機会があれば、ここはぜひ立ち寄るといい。また、あの横田めぐみさんが拉致されたと言われる個所も通過した。一瞬ではあるが、心が痛んだ。
  その豪農の館と同じく印象的だったのは、初日に志の輔を聞いた新潟県民会館と、その隣にあるりゅーとぴあという施設(コンサートホール、能楽堂、練習室など)とその周辺である。この一帯は人工の丘だが、公園としてきちんと整備されていて、たいへんに心地いい。しかも、すぐそばにはすばらしい洋風建築の県政記念館(重要文化財、現存する最古の県会議事堂)や、まことに風情あふれる燕喜館(重要文化財、豪商の館)などもあり、環境としては理想的だろう。
  10日土曜日の夕方、りゅーとぴあで東京交響楽団の公演を聴いた。指揮はユベール・スダーン、曲目はブルックナーの『交響曲第9番』だが、この日は「テ・デウム」も加えた4楽章版である。「テ・デウム」付きはめったにない機会だし、演奏も非常によく、十分に楽しめた。それ以上に驚いたのはコンサートホールの音響のすばらしさである。ウェブサイトによると、座席数は約1,900。そもそもホールは最初に足を踏み入れた瞬間に、いい音がしそうか否かの第一印象を抱く。そして、これがだいたい当たるのである。ここはむろん、「良さそうだ」と思い浮かんだ。私は3階右の1列めを買ってみたが、音は十分すぎるくらい届く。バランスもいいし、残響も適度であり、透明感も申し分ない。地元の人によると、2階席はもっといいとのことで、次回はぜひそこを試してみようと思う。1度聴いただけで即断は危険ではあるが、東京にあるいくつかのホールよりもずっといいのではないか。それに周囲の環境も考慮すれば、まことにうらやましい限りである。
  今回の滞在中、新潟県民エフエムの番組を収録した。放送は7月17日(土)、24日(土)の2日間で、時間はともに11時45分から12時までだ。聴ける環境にある方は、ぜひ聴いてみてほしい。
  最後に、今回の新潟滞在で以下の方々に特にお世話になりました。佐藤さん(CDショップ・コンチェルト)、K嬢(リッカルド・ムーティ・ファン/彼女はムーティではなく、ムーチーと呼ぶ)、田代さん+遠藤さん(新潟県民エフエム放送)。本当にいろいろとありがとうございました。

Copyright NAOYA HIRABAYASHI
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。

第29回 新旧ヴァイオリニスト

  先日、たまたま店頭で新人らしきヴァイオリニストのCDを見つけた。ハンブルク生まれのザブリナ=ヴィヴィアン・ヘプカー(Sabrina-Vivian Hopcker(oはウムラウト付き))。年齢は不明だが、写真から20代と推測される。曲目はマックス・ブルッフの『スコットランド幻想曲』、フェリックス・メンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲ホ短調』、伴奏はエドウィン・アウトウォーター指揮/北西ドイツ・フィル、マルティン・ブラウス指揮/ゲッティンゲン響、レーベルはトゥルー・サウンズTrue Soundsと、初耳が続く(番号はTSC-0209)。
  CDでは後ろの方に収録されているメンデルスゾーンから聴いたのだが、これがなかなかいい。アンネ=ゾフィー・ムターのデビュー時を思わせるような、明るく力強く、伸びがあるヴァイオリンだ。だが、最初のブルッフの方がもっと個性が濃厚に出ている。全体の響きも非常にいい。ディスクの表示によると、このブルッフはスタジオでの収録らしく、それで音がいっそういいのだろう。彼女の音色もたいへんにみずみずしく捉えられている。ブックレットを見ると、R・シュトラウスとセルゲイ・プロコフィエフのソナタが同じレーベルから出ているという。こちらも、なるべく早くに聴かなければ。
  エクストンから韓国生まれのベク・ジュヤン(Ju-Yang Baek)という、これまた若手のブラームス、ブルッフ(第1番)の協奏曲集(OVCL-00422)が出た。彼女は日本のオーケストラと過去に何回か共演しているらしいが、私は初めて聴く。まず気がついたのは音楽の運びがとてもゆっくり。しかも、高音域はキーンと迫るのではなく、どことなく丸みを帯びていて、反対に中低域はややヴィブラートを大きめにして、打ち震えるように歌っている。そこはかとなく妖艶さも漂うが、ちょっと往年のジョコンダ・デ・ヴィートを想起させる。伴奏はヘンリク・シェーファー指揮/新日本フィル。いかにも安全運転のように思えたが、聴き進むうちに、彼女のそのゆったりとした呼吸に極力合わせようとした結果なのだということがわかった。
  往年の奏者といえば、ヨハンナ・マルツィの初出ライヴも発売された(ドレミ DHR-7778)。曲目はベートーヴェンの『ヴァイオリン協奏曲』(オトマール・ヌッシオ指揮/スイス・イタリア放送、1954年)、モーツァルトの『ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調K.454』(ジャン・アントニエッティ、ピアノ)の2曲。前者はおっとりと上品に歌う。テンポも常に微妙に揺れていて、伴奏とピタッと合っていないところがいい。響きが乾いているせいか、伴奏はいかにも素っ気ないが、独奏が明瞭に捉えられているので鑑賞上は全く問題ない。後者は気持ち曇った音質ではあるが、決して悪くない。とにかく、きわめて優雅なその独奏は非常に個性的で、こんな表現は最近にヴァイオリニストからは聴けない。
  6月、サロネン/フィルハーモニアの来日公演でヒラリー・ハーンのチャイコフスキー『ヴァイオリン協奏曲』を聴いた(サントリーホール)。いつものように技巧的には完璧無比ではあったが、全体の表現としては、何か迷いのようなものを感じさせた。仕掛けようとしたが思い切れず、心の中では何かやりたい、やらなければという気持ちがくすぶっていたように思えた。むろん、ハーンはこの先が長い人である。こういうときもあって当然だろう。

Copyright NAOYA HIRABAYASHI
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。

第28回 ムターを聴く

  4月19日、サントリーホールでアンネ=ゾフィー・ムターのリサイタルを聴いた。ピアノはCDと同じランバート・オルキス、曲目はブラームスの3つのソナタだった。
  舞台に出てきたムターは気品があり、美しくて凛々しく、豊かな風格が感じられた。楽器を持って構える姿も実にカッコよかった。ヴァイオリンを常に床と平行か、わずかに上の角度で持ち、弾いている最中もどちらかというと動きが少ないほうだ。背筋はピンと伸び、見ただけでもびくともしない安定感を与えてくれた。
  出てくる音も実に多彩だった。強弱、濃淡を大胆に、あるいは繊細に弾き分け、テンポも巧みに変化する。最も見事だと思ったのは休憩後の『第3番』だろうか。息を飲んだのは2番目に弾いた『第1番』のソナタ。冒頭、ふっと息を吹きかけられたような音が中空に舞い、それがスウッと消えていく。そこを聴いただけでも「きょうは来てよかったなあ」と思った。アンコールはブラームスの『ハンガリー舞曲』の『第1番』『第2番』『第7番』、『子守歌』、それとマスネの『タイスの瞑想曲』と、5曲も弾いた。特に『ハンガリー舞曲』はいっそう自在で意欲的だった。オルキスもムターにぴたりとつけていて、有機的なアンサンブルという点でも申し分がなかった。
  どこで読んだか忘れたが、ムターは「チューニングなどはお客に聴かせるものではない」と語っていた。この日も彼女は舞台上では一度もチューニングしていない。これは、何ということもないがすがすがしくて好きだ。2009年秋にエンリコ・オノフリの演奏会に行ったが、そのときはコンサート・マスターがいちいち各パートのトップ奏者のところに歩み寄ってまでチューニングをしていた。しかも、曲の始まる前はもちろん、楽章間も。これを誠実さの現れと捉える人もあるかもしれないが、私にはなんとも見苦しいものとしか思えなかった。
  ムターは、ピアニストが座るやいなや間髪を入れずに弾いていた。楽章間もほとんどアタッカに近い。よけいな思わせぶりを排し、音だけで勝負するような気迫さえ感じた。また、この日はピアニストの横に座る譜めくり係もいなかった。これは単純に、あえて用意する必要がないからそうしたのだろう。しかし、私には音楽をしない人間は舞台には必要ない、といった演奏者の言外のメッセージではないかと感じた次第である。
  印象的だったのは、この日の舞台上には大きな花輪が飾られていたこと。この花はムターの要望なのかどうかはわからないが、当日の演奏の記憶を彩るものとしては実にふさわしいものだと思った。

Copyright NAOYA HIRABAYASHI
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。

第27回 祝! 『クラシック100バカ』増刷

 このメール・マガジンも、ずいぶんと間があいてしまった。昨日、青弓社から「『クラシック100バカ』を増刷します」と連絡があった。これは2004年秋に出版して、ほどなく増刷されたので、今回は第3刷ということである。といってもそんなに大量部数ではないが、どこの出版社も「売れない」とぼやいているご時世にあっては、まことにおめでたいと言わざるをえない。
  いま読み返してみると、項目によってはちょっと古くなってしまったものもあるが(たとえば、CCCDについて書いてあるものなど)、「よくもこんなにいろいろと書いたなあ」というのが正直なところである。この本を出して、「本当のバカはお前だよ」なんてネットに書かれていたし、一部の人は不快な思いをしたかもしれない。しかし、私の基本的な考えとしては、蔭で裏でブツブツ言ったところで何も生み出さない、始まらない、ということである。それらは単なる愚痴以外の何ものでもないからだ。
『100バカ』もある意味力作だったが、自分ではなんといっても構想から完成まで12年も費やした『クラシック名曲初演&初録音事典』(大和書房)に思い入れがある。ごく最近、出版社に問い合わせたら、この事典もほとんど在庫がなくなっているそうだ。もちろん、増刷したらしたで単純にうれしいが、私としては近い将来大幅に増補改訂したいという気持ちがある。理由は、ある程度内容を掘り下げようとしたために曲を絞り込んだことと、もうひとつは締め切りまでにSP、LPなどの現物(あるいは初版が手に入らず、やむなく再発売のもので代用したものもあった)が手に入らなかったものが多数あったからだ。

 ところで、話題はガラリと変わる。3月25日、スクロヴァチェフスキ指揮、読売交響楽団のブルックナーの『交響曲第8番』(東京オペラ・シティ)を聴いて、たいへんに感銘を受けた。近年聴いた演奏会のなかでも屈指のものだった。かつて客席で耳にしたマタチッチ/NHK交響楽団を上回ったかもしれない。これだけ創意と工夫に満ちていながらも、曲も持ち味を全く崩してないのは驚きだった。この日はどうやら録音が入っていたらしい。発売されるかどうかは不明だが、発売されたときのために、詳細な報告はあえて記さないでおきたい。ただし、これだけは書いておきたい。読響の真剣で真摯な演奏ぶりはすごかった。これだけやってくれれば、正直、そこらの海外オーケストラ公演はあえて行く必要がないと感じた。拍手。

Copyright NAOYA HIRABAYASHI
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。

衣・職・住――サービス・ワークの労働市場と女性たち――『温泉リゾート・スタディーズ――箱根・熱海の癒し空間とサービスワーク』を書いて

文貞實

 1980年代、定時制高校の話――当時、筆者は朝鮮学校を卒業後、都内の都立高校の定時制に編入し大学進学の準備をしていた(当時、朝鮮学校から日本の大学へ進学する場合、「大検」を取るか、「通信」「定時制」などへ編入しなければならなかった)。定時制の同窓生は10代から50代まで幅広い年齢層だったが、理容院や製菓店、和菓子屋などの住み込みから製造業の生産ラインで働いていた。ロッテのガム工場で働いていたAさんは、工場長が15分、時計を遅らすために、毎回、授業に遅刻していた。新宿の花園饅頭で住み込みで働いていた20代後半のBさんは、中卒で入社した新人のCさんと一緒に定時制に再入学したという。当時、都会に出てきて働いていた同窓生たちの環境に正直驚いた。何よりも彼女らがバブル経済前夜の豊かさと全く無縁だったことである。また、彼女らを通して東京に「衣・職・住」がセットの仕事が意外に多く、製造業だけでなく、理容院、手打ちそば屋(飲食店)など寮完備の自営業の裾野が広いことを知る。
    *
  2000年代、公立中学校の教諭から聞いた話――冬休みに家出した生徒が繁華街でキャバクラのティッシュ配りをしているところを見つけた。小柄な中学生が大人に交じって、冬空の下でミニスカートの上にベンチコートを羽織ってティッシュを配る姿にすぐには声をかけられなかったという。当時、生徒はキャバクラの寮に20代の先輩と一緒に暮らしていた。迎えに来た教諭を前に、先輩女性が「捜してくれる人がいるうちに、帰りなさい」と諭したという。当時、15歳の少女の居場所は家庭でも学校でもなく、優しい先輩と一緒に暮らすキャバクラの寮だった。実際、自分の居場所を仕事に求める女子が増えているという。『女はなぜキャバクラ嬢になりたいのか?』(三浦展、〔光文社新書〕、光文社、2008年)によれば、近年の格差社会の拡大のなかで、キャバクラ嬢になりたい女子が増えているという。その背景として同書では、低所得・低学歴の女子の仕事がサービスワークの非正規職に多いという現実とそれらのサービスワークが人に承認される仕事だという点をあげている。サービスワークは、もともと、自分のスキルを磨くことで、顧客から直接的に感謝される場面が多い仕事である。同書によれば、家庭環境や学歴など文化資本をもたない女子が自分の能力を磨くことで、他者から承認されるだけでなく、さらにお金を得られる仕事として、近年、キャバクラ嬢に関心が高まっているということらしい。同書ではふれていないが、そのようなキャバクラ(飲食店)の多くは寮完備である。このことも女子たちを引き付ける要因になっているのではないだろうか。
    *
  本書『温泉リゾート・スタディーズ』の話――本書の後半では、温泉リゾート地に観光ではなく、「衣・職・住」を求めてやってくる女性労働者に焦点を当てている。筆者がインタビューしたホテル・旅館の女性従業員(仲居さん)の多くが「衣・職・住」を求めて熱海・箱根にやってきた。彼女たちがハローワークや求人誌で仕事を探すときの第一条件は「住み込み」である。さらに、旅館では賄いの「食事」があり、「制服」の着用のため、着の身着のままで家を出てきた中高年の女性たちが飛び込みやすい仕事だ。しかし、初めての仕事に入るには、誰かの後押しが必要である。ある仲居さんは、テレビで『女は度胸』(NHK、泉ピン子主演)を観たのがこの仕事に入るきっかけになったと話していた。また別の仲居さんは、子連れで社員寮に入り、他の同僚たちが水商売や他の仕事に転職していくのを横目で見ながら、30年近く「辛抱、辛抱」と経文を唱えるうちにいつしか子育てを終え、結婚もさせ、孫まで抱けるようになったという。本書では、そのような仲居さんたちの熟練化(感情労働の主体化)についてふれたが、一方で、長時間労働やサービスワークに付随する感情労働の要請に応じられずに転職していった仲居さんたちの後を追うことはできなかった。自分の居場所を求めて、転職していった女性たちのその後の人生について考えるのは別の機会に譲る。
  最後に、刷り上がったばかりの本は真新しいインクや紙の匂いがする。その匂いのなかに、熱海・箱根で出会った仲居さんたちの人生の匂いが残っていたらと願う。

事後的にわかる研究動機――『植民地朝鮮の宗教と学知――帝国日本の眼差しの構築』を書いて

川瀬貴也

「どうしてそれを研究しているのですか?」「なぜそのテーマを選んだのですか?」
  この質問がいちばん苦手だった。しかし、人文系の研究をしていると、必ずこのような質問に遭うことがある。「面白そうだったから」というのは大前提なので、この質問はそういうことを聞いているのではなく、はたまた「誰もやっていないから(チャンスだと思った)」という功名心をぎらぎらさせた回答も期待していない(誰も手を付けていない、というのも大きなモティベーションの一つではあるが、「資料が少なすぎる」とか「あまり面白くない」からいままで誰も手を付けていなかっただけという危険性もあるので要注意)。
  教員となったいまは、聞かれるよりも聞く側になってこの問いを学生にしているが、この質問は実は、その研究をせざるをえない、その人の「実存的」なあり方を聞いている場合が多い。だから、この質問に簡単に答えることができないのはある意味当たり前。そして、このような質問をされるということは、少なくともその研究の面白さを伝え損ねていることが多いから、ますます聞かれた側はしどろもどろになってしまう。そして何よりも大きな問題は、「なぜその研究をやったのか」ということは、その研究にいったんけりをつけた時点で、事後的に(いくぶんの自己欺瞞をも交えながら)わかることが多いので、「いま答えろ」というのは実は酷なことなのだ。

 本書の「あとがき」に書いたが、僕が韓国研究に手を染めたきっかけは、指導教官の勧めと(指導教官のS先生は「広く東アジアに目を向けよ」と英語が苦手な教え子におっしゃってくださっただけで、韓国を選んだのは僕の選択)、幼少期の韓国体験である。
  もともと何事においても移り気な僕は、なかなか研究対象を絞ることができず、本書の内容もお読みになればおわかりのとおり、その時代のさまざまな事象をいわば「つまみ食い」して、なんとか「鳥瞰図」として仕立て上げようとしたものである。博士課程時代の最大の悩みは、そのテーマ(例えば教団や人物)一つで博士論文を書いてやろうと思える対象がなかなか見つからなかったことなのである(結局、そういうテーマは見つけられなかったので、本書のもととなるような博士論文を書くことになった)。しかし、もっと深い実存的なレベルを掘り起こせば、本書で取り上げたさまざまなテーマは、ある一貫性をもっている(少なくとも、研究動機には一貫性がある)と自分では思っている。それを自己分析すれば、以下のようなものだろう。
  まずは、韓国に幼少期に住んでいたといっても、韓国の歴史や言葉に本当に無知だったことへの反省がある。「あとがき」に書いたが、外国人が集住する地域で、ろくに韓国語を使うこともなく、ぬくぬくと「コロニアル」な生活をしていたことに罪悪感といわないまでも負い目は感じており、いずれもっと本腰を入れて韓国を知らなければ、と心のどこかで思っていたのは確かである。そして、大学院に入ってさまざまな韓国人留学生と交流をもった、ということも大きく影響していると思う。日本に来たばかりの留学生のお手伝いをする「チューター制度」というものがあり、僕は数人の韓国人留学生のチューターをしたが、彼らの話の端々に、1980年代の苦しかった民主化運動(当時留学にきていた人は、80年代後半期に学生運動を経験した人が多かった)の影が差していた。密輸した岩波文庫の『資本論』でマルクス主義と日本語を勉強した、と言う彼らの話から、いつしか僕は「ポストコロニアル」という、いままで抽象的にしか感じていなかった「流行」の用語の「生きた姿」を見るようになった。そして彼らと同じゼミ、自主的な研究会を繰り返し、ますますその思いは強まった。また、ネガティブな形ではあるが、「自由主義史観」やら「嫌韓流」といった流れも、僕の研究の背中を押したと思う。
「ポストコロニアル」というのは、俗で雑なまとめをすると「植民地状況が名目的には終わったにもかかわらず、生活のそこかしこに、いまだに植民地主義の名残が発見できる状態にイライラ・モヤモヤしている状態」ということだと思うが、僕の研究動機そのものがまさにポストコロニアリズムだったのだ、と見本刷りの本書をなでながら、自分で改めて得心したのだった(博士論文の口頭試問では、「なぜこのような対象を取り上げたのか」と質問され、しどろもどろだったのに)。

 なお、見本刷りが届いた日は、奇しくも僕の誕生日だった。僕の周りの人すべてに感謝するにはうってつけの日だった。

第26回 もっとセッション録音を!

 最近発売されたユベール・スダーン指揮、東京交響楽団のブルックナーの『交響曲第7番』(ファイン・エヌエフ/SACDシングルレイヤー=NF61202、通常CD=NF21202)を聴き、その演奏と録音のすばらしさに感動した。
  これがここまで成功したのは、やはりきちんとセッションを組んだ録音だからなのだろう(収録は2009年3月27、28日、ミューザ川崎シンフォニーホール)。以前は、製品として売るレコードは無人のホールか録音専用会場で収録することが常識だった。ところが、近年ではリハーサルと本番の両方を録音し、後日、傷のないテイクを編集するという方法が主流である。言うまでもなく、リハーサルと本番とでは会場の響きが全く異なる。それを電気的に加工してつなぎ合わせるのだから、音が不自然になることは容易に想像がつくだろう。それに聴衆の有無が演奏者に影響を与えることも考慮すれば、なおさらである。
  しかし現実的には、特にオーケストラのような大所帯を、演奏会とは別の日にセッティングして録音するのは膨大な経費がかかる。ことに最近のような不況だと、ますますこうしたセッション録音はできにくくなる。ただ、こうした回しっぱなしの録音は、晩年のギュンター・ヴァントのような高齢の演奏家の負担を減らすことができるという利点もある。けれども、このような場合は特例と捉えた方がいいのではないだろうか。
  技術者は現在の技術を駆使すれば不自然な音にはならないと考えているようだが、実際は全くそうではないと思う。たとえば、1960年代、70年代のアナログ時代に録音されたオーケストラの録音を聴いていると、譜面をめくる音、弓が譜面台に触れた音、弱音器を床に置いたと思われる音、椅子がきしむ音、靴音などなど、実にさまざまな演奏ノイズが入っている。これらは入っていて当たり前なのだが、驚くことにこうした音は最近のCDからはほとんど聴こえてこないのである。おそらく、技術者が懸命になって除去しているのだろう。そういったノイズはない方がいいのかもしれないが、この操作によって必要な響きの成分までもが犠牲になっていると推測できる。
  私が最も嫌いなのは、ライヴとはとても思えないライヴ録音である。演奏中の会場は不気味なほど静かであり、奏者もむしろ淡々と弾いているが、演奏が終わるやいなや盛大なブラヴォー。しかもこのブラヴォーは音楽が鳴っているときよりもはるかに臨場感豊かに響いている。正直、こんな不自然な拍手ならば、カットしてくれた方がよほどましである。
  ファイン・エヌエフは、このスダーンに限らず長岡京室内管弦楽団などもすべてセッションで収録している。他のレーベルでセッション録音を積極的におこなっているのはエクストンだろう。たとえばエド・デ・ワールト指揮のR・シュトラウス、ワーグナー、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮のブルックナー、ストラヴィンスキー、小林研一郎指揮のチャイコフスキーの『交響曲第5番』(アーネム・フィル)など、絶賛されるべき内容のものは多い。また、ちょっと一般的ではないが、エクストンから発売中の“ダイレクト・カットSACD”、1枚2万円の高額盤だが、これが言葉を失うほどすごい音が出てくる。私はいままでにデ・ワールト指揮の『ツァラ』(OVXL00020)、ズヴェーデン指揮のブルックナーの『交響曲第9番』(OVXL00014)、同じくズヴェーデンのストラヴィンスキーの『春の祭典』(OVXL00007)を購入したが、2010年にはさらに2、3枚手に入れようと思っている。
  オーケストラ音楽はやはりクラシック音楽のなかでも最も注目される分野である。したがって、2010年はオーケストラのセッション録音がひとつでも多くおこなわれ、さらにそれらがSACDという優れたフォーマットで発売されることを期待したい。

Copyright NAOYA HIRABAYASHI
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。

第25回 ミュンシュのライヴ

 この年末にパリ管弦楽団発足ライヴ録音(1967年11月14日)がアルトゥスから発売される(ALT182)。指揮はシャルル・ミュンシュ。当日のプログラムはドビュッシーの『海』、ストラヴィンスキーの『レクイエム・カンティクルス』、ベルリオーズの『幻想交響曲』だったが、このディスクにはストラヴィンスキー以外の2曲が収録されている。
  この演奏について宣伝文を書いてくれと依頼されて、私は以下のように書いた。「これは人間の演奏ではない。神と悪魔が手を組んだ饗宴である。大爆発、驚天動地、未曾有、空前絶後、千載一遇――こうした言葉をいくつ並べてもこの演奏の凄さを言い表すのに十分ではない。トリカブトの百万倍の猛毒を持った極めて危険なライヴ録音」
  私は、このなかから適当に選んでくださいと言ったつもりだったが、レコード会社はそのまま全部使用したようだ。これを読んだある人が、「ものすごいキャッチを書かれていましたねえ」と言っていたが、これは決して大げさではない。さらに言えば、これは過去10年20年に発掘されたライヴのなかでも突出して輝いているのだ。
  私はミュンシュという指揮者にそれほど強い思い入れはない。パリ管弦楽団発足を記念してEMIに録音されたベルリオーズの『幻想交響曲』、ブラームスの『交響曲第1番』も高く評価されるべき演奏だとは思うが、決して自分にとっての最高峰ではない。しかし、今回のライヴを聴き、このミュンシュという指揮者について、もう一度きちんと聴き直したいと思わせられた。とにかく、各パートが生き物のように動き、オーケストラ全体からは信じがたいエネルギーが放射されている。単に燃えているという言葉では言い尽くせず、取り憑かれていると言ってもまだ不十分だ。特にベルリオーズを聴いて思ったのだが、この約1カ月前のEMI録音と、その細部の表情がかなり違っていることである。つまり、この1カ月の間に、ミュンシュはまだ試行錯誤していたのだ。もうひとつは、これだけ荒れ狂っているのに、それほどオーケストラが乱れていないことだ。シェルヘンやアーベントロートのライヴのなかには、オーケストラが崩壊したかのような場面が含まれているものもあるが、それらと比べると、このミュンシュ盤の演奏は本当に個々の団員が棒に食らいついているのがわかる。
  この日は、フランス国内はもとよりヨーロッパ各地から各界の重鎮が列席していたことだろう。そのため、指揮者も楽団員もやる気満々だったことは想像に難くないが、それでも、これだけ空恐ろしい演奏が繰り広げられたというのは奇跡とも言うべきものだ。

 話題はがらりと変わる。けさの新聞を見たら、「ビートルズのモノーラル・ボックス、在庫僅少、お早めに」なんて広告が出ていた。そこには「モノーラルで聴いてこそ本当のビートルズの音がわかる」といったキャッチコピーがあった。これを見て、即座に自分が先日発売した『クナッパーツブッシュ/ウィーンの休日』(GS-2040)を思い出した。すでに買っていただいた方はおわかりだろうが、このCDにはモノーラル録音をあえてボーナス・トラックに加えている。ビートルズの広告にあるように、「モノーラルでなければ本当の良さがわからない」とまでは言わないが、このビートルズの広告が私の仕事をも評価してくれているような気がして、ちょっとうれしかった。あ、宣伝で申し訳ない、このGS-2040も在庫僅少です。

Copyright NAOYA HIRABAYASHI
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。

想像力を刺激する音を求めて――『クラシック名盤名演奏100』を書いて

平林直哉

 今回上梓した『クラシック名盤名演奏100』だが、このなかには自分が制作したCDがいくつか含まれている。なぜ、こうしたCD制作を始めるようになったのか、そのきっかけについては旧著『盤鬼、クラシック100盤勝負!』を読んでいただきたいのだが、もうひとつ私が日頃から気をつけていることがある。それはCDの解説書である。
  LPを買い始めた頃、あの見開きのデラックス・ジャケット盤はあこがれであった。わくわくして、神妙に見つめていた。そこに書いてあることがまだ完全に理解できたわけではないが、読めばなんとなく偉くなったような気がした。写真類もあれこれと掲載されていた。たとえば、ベートーヴェンが生きていた頃の街並みとか、作曲家が作品を仕上げた別荘、あるいは録音セッション風景、アーティストとその家族の写真とかである。それらを見て、あれこれといろいろなことを想像したのであり、こうした行為はいま思い出しても実に楽しい日々だった。
  ところがこの時代、CDも「安ければよし」という風潮に染まっている。CDを作ったことがある人にはわかりきったことだろうが、この解説書(ブックレット)はコストが高い。したがって、制作者が真っ先にこれをカットするのは十分に理解できる。けれども、何も書いていない、あるいはありきたりのことがごく少量書かれているだけとか、そんなCDを手にすると、少なくとも私は聴く意欲がさほど湧いてこないのである。
「文藝春秋」2009年12月号には「ユニクロ栄えて国滅ぶ」という浜矩子氏の一文が掲載されていた。その内容をごくおおまかに言えば、利益がないに等しい商品は賃金を低くし、消費はさらに低迷し、結果として生活を圧迫する悪循環を生むというものである。この文に追従する形で同誌2010年1月号に、作家の塩野七生氏が「価格破壊に追従しない理由」を寄稿していた。塩野氏は「価格破壊は文明の破壊」と位置づけ、その理由を「想像力の欠如」としている。たとえば、塩野氏自身は高価なハンドバッグを買うと、これに合う服は何か、あるいはどういうスタイルで持てばいいのか、と想像力が刺激されるというのである。そして印象的だったのは、塩野氏の「想像力とは筋力に似て、使わないと劣化するという性質を持つ」という言葉だった。さらに自身の創作についても、「損をさせません、と言える作品を書くには、頭脳と時間とおカネは充分に使う必要がある」、だから結果的に高くならざるをえないとも結んでいる。
  私がこれまでに作ったCDのブックレットには、埋もれさせておくには惜しい原稿を再使用したり、海外の文献を訳してもらったり、さらにはCDのために新規に依頼したインタビューを掲載したことも少なくない。要するに時間とお金はそれなりにかけているのである。こうした文章のなかには、たとえば「クナッパーツブッシュの地鳴りのような音」とある。これはいったいどんなものだったのか想像したくなるに違いない。また、「フルトヴェングラーの指揮で同じ曲を何度も演奏しても飽きなかった」というのはなぜなのか、その理由を多少なりとも考えたりするのではないだろうか。
  あしらいに使用したプログラム類にも気を遣った。ときには「なんでこんな薄っぺらい紙切れ1枚にあんなに高額を払ったのだろう」と後悔することもあったが、このプログラムを手にした人はどんな職業だったのかとか、その人はどれほどの感慨を抱いて帰路についたのかといったことに思いをめぐらせていくうちに、そうした苦労は次第に忘れてしまう。
  表紙に使用するアーティスト写真も重要である。いくらPD(公的所有物)音源とはいえ、先人たちの数々の苦労によって生み出された音源を拝借してCDを制作するのである。そこに、ありきたりの写真を使用することなど、とても失礼ではないか。手抜きブックレットにすれば、おそらく現在の倍以上のペースで発売することも可能である。しかし、そうしてしまえば、それこそ自分の想像力が一気に低下してきそうである。
  物書きなのにこんなにCD制作をしていていいのか、とときどき思う。でも、そうした作業を通じて、原稿に生かせるものをたくさん吸収していることも事実である。物書きとCD制作を通じて、最近特に強く思うことがある。それは「世の中には自分の知らないことが多すぎる」である。