川瀬貴也
「どうしてそれを研究しているのですか?」「なぜそのテーマを選んだのですか?」
この質問がいちばん苦手だった。しかし、人文系の研究をしていると、必ずこのような質問に遭うことがある。「面白そうだったから」というのは大前提なので、この質問はそういうことを聞いているのではなく、はたまた「誰もやっていないから(チャンスだと思った)」という功名心をぎらぎらさせた回答も期待していない(誰も手を付けていない、というのも大きなモティベーションの一つではあるが、「資料が少なすぎる」とか「あまり面白くない」からいままで誰も手を付けていなかっただけという危険性もあるので要注意)。
教員となったいまは、聞かれるよりも聞く側になってこの問いを学生にしているが、この質問は実は、その研究をせざるをえない、その人の「実存的」なあり方を聞いている場合が多い。だから、この質問に簡単に答えることができないのはある意味当たり前。そして、このような質問をされるということは、少なくともその研究の面白さを伝え損ねていることが多いから、ますます聞かれた側はしどろもどろになってしまう。そして何よりも大きな問題は、「なぜその研究をやったのか」ということは、その研究にいったんけりをつけた時点で、事後的に(いくぶんの自己欺瞞をも交えながら)わかることが多いので、「いま答えろ」というのは実は酷なことなのだ。
本書の「あとがき」に書いたが、僕が韓国研究に手を染めたきっかけは、指導教官の勧めと(指導教官のS先生は「広く東アジアに目を向けよ」と英語が苦手な教え子におっしゃってくださっただけで、韓国を選んだのは僕の選択)、幼少期の韓国体験である。
もともと何事においても移り気な僕は、なかなか研究対象を絞ることができず、本書の内容もお読みになればおわかりのとおり、その時代のさまざまな事象をいわば「つまみ食い」して、なんとか「鳥瞰図」として仕立て上げようとしたものである。博士課程時代の最大の悩みは、そのテーマ(例えば教団や人物)一つで博士論文を書いてやろうと思える対象がなかなか見つからなかったことなのである(結局、そういうテーマは見つけられなかったので、本書のもととなるような博士論文を書くことになった)。しかし、もっと深い実存的なレベルを掘り起こせば、本書で取り上げたさまざまなテーマは、ある一貫性をもっている(少なくとも、研究動機には一貫性がある)と自分では思っている。それを自己分析すれば、以下のようなものだろう。
まずは、韓国に幼少期に住んでいたといっても、韓国の歴史や言葉に本当に無知だったことへの反省がある。「あとがき」に書いたが、外国人が集住する地域で、ろくに韓国語を使うこともなく、ぬくぬくと「コロニアル」な生活をしていたことに罪悪感といわないまでも負い目は感じており、いずれもっと本腰を入れて韓国を知らなければ、と心のどこかで思っていたのは確かである。そして、大学院に入ってさまざまな韓国人留学生と交流をもった、ということも大きく影響していると思う。日本に来たばかりの留学生のお手伝いをする「チューター制度」というものがあり、僕は数人の韓国人留学生のチューターをしたが、彼らの話の端々に、1980年代の苦しかった民主化運動(当時留学にきていた人は、80年代後半期に学生運動を経験した人が多かった)の影が差していた。密輸した岩波文庫の『資本論』でマルクス主義と日本語を勉強した、と言う彼らの話から、いつしか僕は「ポストコロニアル」という、いままで抽象的にしか感じていなかった「流行」の用語の「生きた姿」を見るようになった。そして彼らと同じゼミ、自主的な研究会を繰り返し、ますますその思いは強まった。また、ネガティブな形ではあるが、「自由主義史観」やら「嫌韓流」といった流れも、僕の研究の背中を押したと思う。
「ポストコロニアル」というのは、俗で雑なまとめをすると「植民地状況が名目的には終わったにもかかわらず、生活のそこかしこに、いまだに植民地主義の名残が発見できる状態にイライラ・モヤモヤしている状態」ということだと思うが、僕の研究動機そのものがまさにポストコロニアリズムだったのだ、と見本刷りの本書をなでながら、自分で改めて得心したのだった(博士論文の口頭試問では、「なぜこのような対象を取り上げたのか」と質問され、しどろもどろだったのに)。
なお、見本刷りが届いた日は、奇しくも僕の誕生日だった。僕の周りの人すべてに感謝するにはうってつけの日だった。