衣・職・住――サービス・ワークの労働市場と女性たち――『温泉リゾート・スタディーズ――箱根・熱海の癒し空間とサービスワーク』を書いて

文貞實

 1980年代、定時制高校の話――当時、筆者は朝鮮学校を卒業後、都内の都立高校の定時制に編入し大学進学の準備をしていた(当時、朝鮮学校から日本の大学へ進学する場合、「大検」を取るか、「通信」「定時制」などへ編入しなければならなかった)。定時制の同窓生は10代から50代まで幅広い年齢層だったが、理容院や製菓店、和菓子屋などの住み込みから製造業の生産ラインで働いていた。ロッテのガム工場で働いていたAさんは、工場長が15分、時計を遅らすために、毎回、授業に遅刻していた。新宿の花園饅頭で住み込みで働いていた20代後半のBさんは、中卒で入社した新人のCさんと一緒に定時制に再入学したという。当時、都会に出てきて働いていた同窓生たちの環境に正直驚いた。何よりも彼女らがバブル経済前夜の豊かさと全く無縁だったことである。また、彼女らを通して東京に「衣・職・住」がセットの仕事が意外に多く、製造業だけでなく、理容院、手打ちそば屋(飲食店)など寮完備の自営業の裾野が広いことを知る。
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  2000年代、公立中学校の教諭から聞いた話――冬休みに家出した生徒が繁華街でキャバクラのティッシュ配りをしているところを見つけた。小柄な中学生が大人に交じって、冬空の下でミニスカートの上にベンチコートを羽織ってティッシュを配る姿にすぐには声をかけられなかったという。当時、生徒はキャバクラの寮に20代の先輩と一緒に暮らしていた。迎えに来た教諭を前に、先輩女性が「捜してくれる人がいるうちに、帰りなさい」と諭したという。当時、15歳の少女の居場所は家庭でも学校でもなく、優しい先輩と一緒に暮らすキャバクラの寮だった。実際、自分の居場所を仕事に求める女子が増えているという。『女はなぜキャバクラ嬢になりたいのか?』(三浦展、〔光文社新書〕、光文社、2008年)によれば、近年の格差社会の拡大のなかで、キャバクラ嬢になりたい女子が増えているという。その背景として同書では、低所得・低学歴の女子の仕事がサービスワークの非正規職に多いという現実とそれらのサービスワークが人に承認される仕事だという点をあげている。サービスワークは、もともと、自分のスキルを磨くことで、顧客から直接的に感謝される場面が多い仕事である。同書によれば、家庭環境や学歴など文化資本をもたない女子が自分の能力を磨くことで、他者から承認されるだけでなく、さらにお金を得られる仕事として、近年、キャバクラ嬢に関心が高まっているということらしい。同書ではふれていないが、そのようなキャバクラ(飲食店)の多くは寮完備である。このことも女子たちを引き付ける要因になっているのではないだろうか。
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  本書『温泉リゾート・スタディーズ』の話――本書の後半では、温泉リゾート地に観光ではなく、「衣・職・住」を求めてやってくる女性労働者に焦点を当てている。筆者がインタビューしたホテル・旅館の女性従業員(仲居さん)の多くが「衣・職・住」を求めて熱海・箱根にやってきた。彼女たちがハローワークや求人誌で仕事を探すときの第一条件は「住み込み」である。さらに、旅館では賄いの「食事」があり、「制服」の着用のため、着の身着のままで家を出てきた中高年の女性たちが飛び込みやすい仕事だ。しかし、初めての仕事に入るには、誰かの後押しが必要である。ある仲居さんは、テレビで『女は度胸』(NHK、泉ピン子主演)を観たのがこの仕事に入るきっかけになったと話していた。また別の仲居さんは、子連れで社員寮に入り、他の同僚たちが水商売や他の仕事に転職していくのを横目で見ながら、30年近く「辛抱、辛抱」と経文を唱えるうちにいつしか子育てを終え、結婚もさせ、孫まで抱けるようになったという。本書では、そのような仲居さんたちの熟練化(感情労働の主体化)についてふれたが、一方で、長時間労働やサービスワークに付随する感情労働の要請に応じられずに転職していった仲居さんたちの後を追うことはできなかった。自分の居場所を求めて、転職していった女性たちのその後の人生について考えるのは別の機会に譲る。
  最後に、刷り上がったばかりの本は真新しいインクや紙の匂いがする。その匂いのなかに、熱海・箱根で出会った仲居さんたちの人生の匂いが残っていたらと願う。