第17回 巖本真理 (Mari Iwamoto、1926-79、日本)

平林直哉(音楽評論家。著書に『クラシックの深淵』〔青弓社〕など多数)

持って生まれた音色をもった巫女

 日本の楽壇で、最初に天才として認められたヴァイオリニストは諏訪根自子(1920-2012)である。そこから、やや時間が経過したころに注目を集めたのが巖本真理だった。諏訪と巖本の最も大きな違いは、前者はソロ活動だけをおこなっていたが、後者は活動の大半を弦楽四重奏に費やしていたことである。実際、残っている録音のほとんどは巖本真理弦楽四重奏団のものであり、巖本がソロを受け持ったものはごく一部に限られている。巖本は1970年の「FM fan」(第11号、共同通信社)のインタビュー「室内楽にすべてを傾注」のなかで、基本的にはソロ活動をやらないと公言していたように、ある時期以降は室内楽が自分の使命と考えていたようである。しかしながら、量的には少ないソロの録音であるのだが、そこから聴き取れる妙音はただならぬ妖気を放っていて、今日でも非常に根強い人気がある。
 巖本真理は1926年1月19日、東京の巣鴨でアメリカ人の母、日本人の父との間に生まれた。最初の名前はメリー・エステル。6歳のときに小野アンナ(諏訪根自子も同門)に学び、38年、12歳のときに第6回日本音楽コンクールで第1位を獲得。翌39年11月、レオ・シロタのピアノ伴奏で最初のリサイタルを開催した。42年、カタカナ追放によって、名前を真理と改める。44年、井口基成、斎藤秀雄とピアノ三重奏を始め、以後、室内楽への活動が増える。50年6月、アメリカに渡り、ニューヨークのタウンホールでリサイタルを開き、約1年後に帰国。この間、ジュリアード音楽院でルイス・パーシンガー、ジョルジュ・エネスコに師事。66年、初めて「巖本真理弦楽四重奏団」を名乗り、以後、日本を代表する四重奏団としてその名を広めた。77年、乳がんの手術を受ける。一時的には回復するも、その後転移が認められ、79年5月11日、53歳で他界。
 巖本の才能は、ある意味、特殊な環境で育まれたといってもいい。小学校時代、彼女は病弱であり、医者は学業とヴァイオリンの両立は難しいとさえ言った。それに加え、巖本は「あいのこ」(ミックスルーツの人は当時、こう呼ばれていた)とはやしたてられ、ときには身の危険を感じるほどいじめられたという。学業よりもヴァイオリンを優先し、いじめから逃れるためにも学校をやめることが許された。しかし、父から与えられた条件は「1日6時間の練習」である。父は真理の監視を女中に言いつけ、帰宅するたびに娘がその日のノルマを達成したかどうかを確かめた。そのころ、真理は小説を読むのに夢中になっていた。さすがに6時間も練習すると、本を読む時間が取りづらかったので、彼女はある方法を考え出した。それは、練習する曲を暗記してしまい、それを弾きながら本のページをめくって小説を読破したのである。つまり、ずっとヴァイオリンの音が出ていれば、女中にもばれなくてすんだのである。この方法によって、暗譜をする能力が鍛えられたとされる。
 巖本真理の録音はソロ、弦楽四重奏団を問わず、ときどきカタログに浮上してはいつの間にか消えるということが繰り返されていた。現在でも現役盤は非常に少ない。
 巖本の、最もまとまったソロ演奏集は『巖本真理 ヴァイオリン小品集』(山野楽器 YMCD-1083)だろう。1曲を除いては1960年の録音で、モノラルながら音質は非常にいい(ピアノは坪田昭三)。ディスクはシャルル・グノーの『アヴェ・マリア』で始まるが、非常に訴求力が強い、熱い血潮を感じさせる音色に、たちどころに心を奪われる。シューベルトの『子守歌』も、これほど内容の詰まった演奏も珍しい。フランツ・リストの『愛の夢』は全19曲のなかで、巖本らしさがしっかりと刻印されたもののひとつである。これほど物悲しく憂いを帯びた音がほかにあるだろうか。マヌエル・ポンセの『小さな星』(エストレリータという表記も多い)も傑作だ。歌い方が実に多彩であり、この曲の最も優れた演奏のひとつである。
 ステレオ録音(1960年録音)で巖本のソロを聴きたい人には、『巖本真理の芸術』(キングレコード KICC788/9)のなかに、付録的に数曲収録されている。ここにはチャイコフスキーの『アンダンテ・カンタービレ』、フランティシェク・ドルドラの『思い出』などがあり、さすがにモノラル録音よりも音がふくよかで透明感が強い(余談だが、この2枚組みの帯に記された巖本の履歴には、渡米年や享年などの間違いが多い)。
 ほかにCD化されたなかで重要なものは、ギヨーム・ルクーの『ヴァイオリン・ソナタ』(ロームミュージックファンデーション RMFSP-J006/011)がある。これは1949年ごろに録音されたもので、日本コロムビアのSP(G33/6)から復刻されたものだ(ピアノは野辺地勝久)。この日本コロムビア盤に限らず、ビクター、ポリドールなどの巖本のSP録音は戦中・戦後の物資難の時代におこなわれていたため、盤質が非常に悪いものしか残っていないのが残念だ。このルクーも雑音が多くてちょっと聴きづらいが、演奏は絶品である。第1楽章の冒頭を聴いただけでも、巖本がほかの奏者とは全く違った、非常に個性的な弾き方をしているのがはっきりとわかる。第2楽章も雑音成分が多いのがうらめしいが、巖本の繊細さは伝わってくる。第3楽章も、誠に雄々しく、感動的だ。また、野辺地のピアノ伴奏が、巖本の意図をすごく理解したように弾いているのにも注目したい。これは、セットに入っていて見つけにくいので、単独で聴けるディスクがほしい。
 最近、巖本の協奏曲録音が発掘された。ひとつは、バッハの『2つのヴァイオリンのための協奏曲』(キングインターナショナル KKC2516)。これは先輩の諏訪根自子が第1ヴァイオリンを担当、第2ヴァイオリンを巖本が弾くという、夢の共演である(伴奏は斎藤秀雄指揮、桐朋学園オーケストラ、1957年4月収録)。これはしかし、猛烈に音が悪い。2人の個性を聴き取ることはできないわけではないが、鑑賞用というよりは、記録用だろう。
 もうひとつはハイドンの『ヴァイオリン協奏曲第1番』(キングインターナショナル KKC2519)。これは山田一雄指揮、オーケストラは短命に終わったNFC交響楽団(在京団体の首席クラスが選抜されたもの)、1961年にニッポン放送で放送されたもので、モノラルながら音質は鮮明である。曲の性格からか、巖本としては正攻法に弾いた感じだが、第2楽章は特に感動的だ。この、胸にじーんとくる音は、彼女ならではである。
 以上の協奏曲録音は諏訪根自子、山田一雄がそれぞれ主役ディスクなので、うっかりすると見過ごしてしまう。
 以下は現時点で聴くことができたSP盤である。先ほどもふれたように、どのSP盤も状態が悪いが、そのなかでも最も聴きごたえがあるのがチャイコフスキーの『カンツォネッタ』(日本コロムビア B161)だ。伴奏は金子登指揮、コロムビア・シンフォニック・オーケストラで、珍しく黛敏郎の編曲。いずれにせよ、チャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲』の第2楽章がほとんど全部入っているので、貴重だ。演奏は素晴らしい。歌心にあふれ、艶やかで熟した音色は、たまらない。これを聴くと、短縮版でもいいから第1、3楽章も聴きたかったと思う。
 ベートーヴェンの『ロマンス第2番』(日本ビクター VH4092、1944年発売)もチャイコフスキーと並ぶ傑作だろう。伴奏は斎藤秀雄指揮、東京交響楽団だが、巖本の独特の節回しや、聴き手の心をぐっと引き寄せるような強さがひしひしと感じられる。なお、これはロームミュージックファンデーションから発売されたCD『日本の洋楽1923~1944』(RMFSP-J001/005)のDisc4に収録されている。
『ロマンス第2番』と同じころに発売された『ロマンス第1番』(日本ビクター VH4091、伴奏者同じ)も聴くことができた。『第2番』ほどの味の濃さはないものの、やはりこの独特の音色は聴きものだ。
 SPの小品ではバッハの『ガヴォット』、アルマス・ヤルネフェルトの『子守歌』(日本コロムビア B306、ピアノは鷲見五郎、1953年7月新譜)、イサーク・アルベニスの『タンゴ』、チャイコフスキーの『カンツォネッタ』(日本コロムビア 100651、ピアノは谷康子)を聴くことができた。これらはピアノ伴奏のせいか、盤質の悪さが上記のオーケストラ録音よりも目立たず、巖本のソロがより明瞭に感じられる。どれも、彼女ならではの美演奏が堪能できる。なお、アルベニスが入ったSPのレーベル面には「巖本メリー・エステル」と表記されているので、1941年以前の収録だろう。
 なお、以下は「グッディーズ」(https://goodies.yu-yake.com/)からCDRで市販されているので、参考までにふれておく(これらのCDRには再生できない場合もあると記されていて、実際、まれではあるが、再生できないこともあると聞いている)。バッハ『シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番より)』(78CDR-3200)、ルクーの『ヴァイオリン・ソナタ』(78CDR-3486)、バッハ『G線上のアリア』(33CDR-3469)、『アヴェ・マリア』(33CDR-3470)、ベートーヴェンの『ロマンス』(33CDR-3479)、以上である。
 このなかでは、現時点でほかでは聴くことが困難なバッハの『シャコンヌ』とステレオで収録されたベートーヴェンの『ロマンス第1番』『第2番』(33CDR-3479、上田仁指揮、東京交響楽団、1960年ごろ)が貴重かもしれない。33CDR-3469と3470の大半は、最初にふれた山野楽器のCDと重複している。
 未聴のSPで最も気になっているのは、ブルッフの『ヴァイオリン協奏曲第1番』より第1楽章(日本ビクター J54491)である。これはピアノ伴奏(安倍和子)だが、第6回日本音楽コンクール優勝記念であり、1939年に発売されたものだった。
 巖本真理の動画は「YouTube」でも見ることができるが、映画『乙女の祈り』(佐分利信監督、松竹、1959年)のなかには、かなり長く巖本がヴァイオリンを弾いている姿が見られる。

 

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