第19回 ミゲル(ミケル)・カンデラ (Miguel〔Miquel〕Candela、1914-?、1877-1957?、フランス)

平林直哉(音楽評論家。著書に『クラシックの深淵』〔青弓社〕など多数)

ヴァイオリン美の化身

 拙著『クラシック名曲初演&初録音事典』(大和書房、2008年、絶版)をしたためるためにサン=サーンスの『ヴァイオリン協奏曲第3番』の世界初録音を調べていたとき、ミゲル・カンデラの独奏、フィリップ・ゴーベール指揮、パリ音楽院管弦楽団のSP盤に出合った。自分が手に入れたのは日本コロムビア盤(J-7739/42)だったが、盤質もよくて非常に聴きやすく、それ以上にカンデラの絶妙なソロにたちまち魅了されてしまった。ほどなく、これは1928年(1929年説もある)録音と判明したが、これをなんとか形にしたいと思い立ち、季刊「クラシックプレス」(第13巻、音楽出版社、2002年冬)の付録CD(CPCD-2006)として、自分の手で初めて復刻した。
 とにかく、ヴァイオリンはいうならば、甘く弾いてナンボの楽器である。それを、とてもうまく表現したのがカンデラの独奏である。言い換えれば、どう弾けば聴衆がうっとりしてくれるか、そのツボを知り尽くしているような感じだ。ポルタメントの使い方も、あまたの奏者のなかで最もなめらかで堂に入っていると思う。
 ところで、このカンデラは一般的には1914年、パリ生まれとなっている。弦楽器の世界的な権威であるタリー・ポッターもイギリスPearlから発売された『THE RECORDED VIOLIN VOLUMEⅡ』(BVAⅡ)の解説書で「1914年生まれで、サン=サーンスの『ヴァイオリン協奏曲第3番』を録音した」としている。没年はインターネット上に2000年と記したものを見たことがあるが、これが正しいかどうかはわからない。
 しかし、現在では閉鎖されてしまったパリ音楽院のウェブサイトに、「ヴァンサン・ミシェル(ミゲル)・カンデラ、1877年パリ生まれ、1957年没。1907年、パリ音楽院管弦楽団に加入、1937年に引退。数種の録音で独奏を務めた」と記してあったのを見たことがある。つまり、同姓の親子ヴァイオリニストが存在したようなのだ。実際、後述するMelo ClassicのCDの解説には、息子の最初のヴァイオリンの先生は父だと記してある(カンデラのSPのレーベル面には名前のミゲルMiguel、そしてスペイン風のミケルMiquelの2つが混在しているが、理由は不明である)。
 もしも1914年生まれの息子が上記のサン=サーンスを録音したとなると、13歳から15歳のときということになる。神童に協奏曲の全曲録音を、しかもそれまでに誰一人として収録していない作品を託すということは、絶対にありえないとはいえない。だが、この手練れのような熟した大人の雰囲気がたっぷりの独奏を聴いていると、1877年生まれの父の壮年期(50歳前後)の記録としたほうがぴたりとくるような気がする。それに、今回あらためて聴き直して感じたのは、右手の運弓の加減によってわずかに音が薄くなったり、切れが鈍かったりする箇所が散見されたことも、父の演奏ではないかという思いにつながる。若い奏者だったならば、音の粒立ちはもっと明瞭なはずである。
 ただ、別の疑問も浮かび上がる。カンデラのもう一つの大物録音にはグラズノフの『ヴァイオリン協奏曲』(フランス・コロンビア LFX645/7)、ロジェ・デゾルミーエール指揮、ピエルネ管弦楽団が存在する(この音源はインターネット上にはあがっているようだが、この種のものは信用していない)。これは1943年録音とされるので、そうなると37年に引退したという記述とかみ合わなくなる。むろん、引退は公的な場での活動であり、ヴァイオリンを弾くことはやめていなかったとも推測できなくはないが。
 残念なことに、過去にCD化されたカンデラの録音は非常に少ない。先ほど触れたPearlのCDにジュゼッペ・タルティーニの『グラーヴェ』(1937年録音、ピアニスト不詳)が含まれている。これも非常に美しいが、サン=サーンスでのソロに比べると、若干個性が薄い。
 放送録音ではパガニーニの「「こんなに胸さわぎが」による序奏と変奏曲」(『タンクレディ』より)(Melo Classic MC2016、1955年、モノラル、ピアノはシモーヌ・グア)がある。これは現在知られているなかではカンデラの最も後年の録音にあたる。これも透き通った美音が印象的な演奏だが(音質も良好)、タルティーニ同様、それほど濃厚な演奏とはいえない。
 カンデラの小品のSPは、手元に2枚ある。ともに10インチで、マスカーニの「シシリエン」と「間奏曲」(『カヴァレリア・ルスティカーナ』より)(フランス・サラベール 325)と、イサーク・アルベニス(クライスラー編)の『タンゴ』、ショパン(クライスラー編)の『マズルカ 作品67』(フランス・コロンビア LF32、ピアノはともにモーリス・フォーレ)である。
 マスカーニの2曲は聴いた感じではアコースティック(ラッパ吹き込み)録音のようだが、サン=サーンス同様、甘さをこれでもかとまき散らした演奏である。音はさほどよくないが、カンデラの強烈な個性ははっきりと聴き取れる。
 アルベニスとショパンは電気録音で、音質は格段に明瞭になっている。おそらくは1920年代の後半の録音だろう。2曲ともに2分弱の短い演奏だが、その魅惑は時間以上に充実した喜びを感じさせてくれる。
 なお、サン=サーンスとLF32のSP番にはミケルMiquelと表示してあるが、サラベールのSPでは姓のカンデラだけが表記されていた。
 今回は手に入れにくい音源を中心に原稿を進めてしまい、申し訳ない気持ちもある。しかし、サン=サーンスの『ヴァイオリン協奏曲第3番』を聴き直していて、この録音が少年のものとはどうしても思えないのである。こんなことはまずありえないとは思うが、カンデラと表示された録音のなかで、ひょっとしたら父と息子の演奏が混在しているのではないかとさえ感じる。
 古い録音をたどっていく場合、フランス関連のものは糸口がつかみにくい。したがって、これを書くことによって情報が少しでも拡散し、何らかの新情報が明らかにされることへの期待もある。

 

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第18回 ジャンヌ・ゴーティエ (Jeanne Gautier、1898-1974、フランス)

平林直哉(音楽評論家。著書に『クラシックの深淵』〔青弓社〕など多数)

知る人ぞ知る、フランスの表現巧者

 パリ音楽院でジュール・ブーシュリのもとで学んだヴァイオリニストにはジネット・ヌヴー(1919年生まれ)、ミシェル・オークレール(1924年生まれ)、ジャニーヌ・アンドラード(1918年生まれ)、ローラ・ボベスコ(1921年生まれ)、アンリ・テミアンカ(1906年生まれ)、ドゥヴィ・エルリ(1928年生まれ)などがいるが、その門下生のなかで最も先輩格だったのがジャンヌ・ゴーティエである。このなかでは今日、ヌヴーが特に神格化されているが、ゴーティエはそのヌヴーにも劣らない底力があるヴァイオリニストだったように思う。
 ゴーティエは1898年9月18日、パリ近郊のアニエールに生まれる。4歳でヴァイオリンを始め、7歳のときから正式にレッスンを受ける。パリ音楽院でブーシュリのクラスに入り、1914年に一等賞を得た。翌年からソリストの活動を開始し、各地を訪問。39年にオーストラリアを訪れ、大戦中はメルボルンに住む。45年、フランスに帰国、52年(1950年説もある)からは、ピアニストのジュヌヴィエーヴ・ジョワ、チェリストのアンドレ・レヴィらと「トリオ・デ・フランス」を結成した。並行してリヨン音楽院で後進の指導にもあたる。63年、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を贈られる。74年1月6日、ヌイイ・シュル・セーヌで死去。以上がおおまかな経歴だが、人間性についての話は、残念ながらわかっていない。
 ゴーティエの正規録音はSP時代の器楽、室内楽の分野に限られていて、LPに復刻されたものも、ほとんどなかったように思う。したがって、私自身もゴーティエを意識しはじめたのは比較的最近のことである。
 ゴーティエ単体で正規録音をまとめたCDはグリーンドア音楽出版から発売されたGDCS-0026が唯一である。これにはおもにフランス・オデオンで発売されたものを中心に復刻したものだ(特に明記していないもの以外は、ピアニストは不詳)。CDはまず、作曲家ホアキン・ニン自身のピアノ伴奏によるニン(パウル・コハンスキ編)の『20のスペイン民謡集』から4曲で始まる。ゴーティエの音色はいかにもしゃれていて、明るくしなやか。これら4曲に全くふさわしい弾き方である。次は名曲、ジュール・マスネの『タイスの瞑想曲』。テンポは素っ気ないほどに速いが、上品な甘さと横揺れの巧さが光る。フリッツ・クライスラーの『中国の太鼓』はおそらく最もテンポが速い部類に属するだろう。その果敢な勢いは胸をすくようだが、中間部の歌い方が、これまた実に堂に入っている。ガブリエル・フォーレの『子守歌』、決してべたべたしないのだが、その柔らかさとほのかな甘さは最上質だろう。フランソワ・シューベルト(シュベール)の『蜜蜂』は、その滑らかさが絶品。ヴァイオリニストの音色を決めるのは右手といわれているが、その技巧の確かさがここにも現れている。クライスラーの『愛の悲しみ』も歌い方が実に独特で、やるせなさをしっかりと表現していると思う。そのほか、イェネー・フバイの『そよ風』、ドビュッシーの『レントよりおそく』なども粋な雰囲気にあふれた演奏だが、ジョージ・ガーシュウィン(サミュエル・ドゥシュキン編)の『短い話』のユニークな表情も忘れがたい(以上の小品は1927、28年の録音)。
 いちばん最後にはイヴォンヌ・ルフェビュールがピアノ伴奏を務めたモーリス・ラヴェルの『ヴァイオリン・ソナタ』(1950年録音)が収められている。この曲はゴーティエにぴったりの曲といえるが、なかでも第2楽章「ブルース」は強烈だ。背筋がぞくぞくするような、粘り気たっぷりの妖艶さであり、ゴーティエの真骨頂かもしれない。
 なお、グリーンドアのCDの解説書には、このラヴェルは音質を考慮し、Le Chant du Monde のLP(LDY8115)復刻ではなく、あえて同レーベルのSP(5056-7)を使用したとある。インターネット上では、これらのSPとLPは別音源とする記述もあるが、おそらくその可能性はないと判断している。
 また、ゴーティエにはチェリストのレヴィと演奏したラヴェルの『ヴァイオリンとチェロのためのソナタ』(Le Chant du Monde LDZ-M8145)もある。これはたしか、まだ復刻盤はなかったように思う。LPを聴いてみたいとも思うが、現在の中古市場では30万円前後の値段がついていて、手を出せない。
 2024年になって、ゴーティエの本丸ともいうべき録音が発売された。それはメンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲』(Spectrum CDSMBA-149、ピエール=ミシェル・ル・コント指揮、リリック放送管弦楽団、1958年)の放送録音である(音声はモノラル)。響きは乾いていて、オーケストラはかなり荒っぽいが(ソロとずれる箇所が散見される)、ゴーティエのソロはきれいに捉えられている。演奏は、これまで聴いたことがない傾向のもので、それがいちばんうれしい。第1楽章、テンポはかなり速く、いかにも挑戦的という感じだ。しかし、随所でささっと甘い音色をまき散らすのが、いかにもゴーティエである。第2主題はいくらかテンポをゆるめ、期待どおりの優美さを演出する。跳ね上がるようなリズムも素晴らしいが、第1楽章の最後はものすごいスピードで突進し、伴奏が全くついていけていない。第2楽章も、きりりと引き締まったスタイルと、キラリと輝くような甘さがうまくバランスされている。第3楽章の最初のアンダンテは、先行する楽章でほてった体を冷ますかのように、ゆったり、しっとりと甘く歌う。しかし、アレグロに入ると第1楽章同様に一気にエンジンがかかり、最高の切れ味を発揮しながら突き進んでいくが、その合間にこぼれ落ちるような魅惑をしっかりと描いている。この見事な対比は、やはり尋常ではない。ゴーティエの写真はそれほど多くは残されていないが、それらを見ると、彼女はどうやら男装の麗人のような感じがする。そのせいかどうかはわからないが、このあふれんばかりのエネルギーは男性アスリートの力強い演技をほうふつとさせる。
 同じCDの次の3曲はユゲット・ドレフュスのチェンバロの伴奏によるクライスラーの『パヴァーヌ』『プニャーニのスタイルによる前奏曲とアレグロ』、トマソ・アントニオ・ヴィターリの『シャコンヌ』(1956年録音、モノラル)。楽器がマイクに近いせいか、非常に気迫にあふれた印象を与える。グリーンドアのCDにも同じ『プニャーニ』の別演奏が含まれるが、こちらはきわめて熾烈な演奏で、その集中力と気迫はヌヴー顔負けだろう。
 最後にはジョワ、アンドレ・レヴィとのフランツ・シューベルトの『ピアノ三重奏曲第2番』(第1楽章・第2楽章だけ、1960年録音、モノラル)が収録されている(リハーサルの音源?)。このSpectrum盤の難点は出力レベルがそろえられていないこと。つまり、最初の『ヴァイオリン協奏曲』に出力を適正にすると、次のチェンバロとの3曲は異様に音が大きく、さらに次の三重奏曲は非常に音が小さくなり、そのたびにアンプのボリュームを調整しなければならない。
 現在、ゴーティエの協奏曲録音で唯一ステレオで聴けるのが、ベートーヴェンの『ヴァイオリン、チェロとピアノのための三重協奏曲』(Spectrum CDSMBA021、2枚組み、シャルル・ブリュック指揮、フランス国立放送管弦楽団、1960年ライヴ)である。この作品は3つの独奏楽器が三人四脚みたいに音楽が進行するので、個人プレーを堪能するという点ではいささか物足りなさはあるが、演奏全体は非常にうららかで新鮮である。この曲の名演の一つに数えていい。
 ゴーティエの音色をもっと楽しみたい人には、同じくステレオ録音であるラヴェルの『ピアノ三重奏曲』(Spectrum CDSMBA-013、2枚組み、ピアノはジョワ、チェロはレヴィ、1965年録音)がおすすめである。ここでは、小品やメンデルスゾーンの協奏曲で聴けるゴーティエの妙技が聴き取れる。
 そのほか、協奏曲の分野に属するものとしてはバッハの『ヴァイオリン協奏曲第2番』(ハンス・ロスバウト指揮、南西ドイツ放送交響楽団、1951年録音、モノラル)、アメデ=エルネスト・ショーソンの『詩曲』(ハンス・ロスバウト指揮、フランクフルト帝国管弦楽団、1937年録音、モノラル。以上、Melo Classic MC 2038)、ラヴェルの『ツィガーヌ』(Melo Classic MC 2016、ハンス・ロスバウト指揮、フランクフルト帝国管弦楽団、1937年録音、モノラル)もある。音質はどれも悪くはなく、ゴーティエのソロもきちっと捉えられているが、ほかの多くの演奏と比較すると、彼女らしさがいまひとつ希薄なのが残念だ。強いていえば、バッハの第2楽章が秀逸か。
 いまとなっては入手は難しいかもしれないが、季刊「クラシックプレス」(第13巻、音楽出版社、2002年冬)の付録CD(CPCD-2006)にゴーティエが2曲、ドヴォルザークの『ユモレスク』とニンの『スペインの歌』(これは、グリーンドアのCDにも含まれる。1927、28年録音、モノラル)が収録されている。ドヴォルザークはわずか2分弱の演奏だが、ゴーティエの魅惑がしっかりと刻まれていて、貴重である。
 手元にあるSPではピエトロ・マスカーニの『間奏曲』(歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』より)と、ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフの『インドの歌』(フランスOdeon 166.018、1927年録音、モノラル、ピアニスト不詳)がある。2曲ともドヴォルザーク同様、いかにもゴーティエらしい逸品であり、遠からず復刻盤がほしい。
 モーツァルトの『ヴァイオリン・ソナタ第23番』『第21番』『第26番』(Spectrum CDSMBA 009、2枚組み)にもふれておこう。これらは1953年、56年録音(モノラル)で、なかでは『第26番』にいちばんゴーティエらしさが出ていて、聴いておいて損はないと思う。ただ、このCDは楽章間、曲間が極端に短いのが難で、しかもCDの表示があいまいでこの3曲のピアニスト(ラザール・レヴィ、レリア・グッソー)と録音日の識別ができにくい。

 

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