第5回 ステファン・ルーハ(Stefan Ruha、1932-、ルーマニア)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

ルーマニアのパガニーニ
 
 ステファン・ルーハについては、詳しいことが全くわからない。1932年生まれだが、どうやらまだ存命であるようだ。具体的な情報としては58年の第1回チャイコフスキー・コンクール(言うまでもなく、クライヴァーン騒動だったとき)でヴァイオリン部門の第3位(上位8位の入賞者のうち6人が旧ソビエト連邦勢)、翌59年のロン=ティボー・コンクールで第2位、ジョルジュ・エネスコ・コンクールでは優勝(年不明)している。60年11月には来日しているらしい。
 ルーハのレコードはルーマニアのエレクト・レコードから出ていて、一部CD化もされているが、新品のCDはほとんど見かけず、中古のLPは1枚1,000円から3,000円程度で購入できる。ヴァイオリニストのLPというと、ときにとんでもない価格のものもあるが、ルーハにはそれがなく、集めやすい。ただし、録音年代は全くわからない。以下に紹介するものはすべてステレオ録音で、1960年代後半から70年代に収録されたと推測されている。
 最初に聴いたのはチャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲』(ミルチェア・バサラブ指揮、ルーマニア放送交響楽団、Electrecord STM-ECE01088)。第1楽章、序奏のあと独奏が出てくるが、ここをわずかに聴いただけでも、ただ者ではないことが明らかだ。音はピンと張って輝かしく、ヴィブラートは大きめだが、テンポの揺らし方が非常にうまく、和音の弾き方も独特だ。また、カデンツァをこれだけ多彩に弾いた例も珍しい。
 第2楽章は非常に大らかに歌っていて、その独奏は遠くまでもよく響き渡るような、伸びのよさも感じさせる。第3楽章もその安定感と音の粒立ちのよさ、そしてリズムの切れは第一級である。
 次のブラームスは、ちょっと驚きの演奏だ(エミール・シモン指揮、クルジュ=ナポカ・フィルハーモニー、Electrecord ST-ECE01381)。まず、序奏がかなり遅いので、期待感が増してくる。そしてルーハの登場。ものすごい気迫だ。まるで敵陣に乗り込むサムライのよう。こんな厳しい開始を告げたヴァイオリニストは、過去にあっただろうか。むろん、全編にわたり、この雰囲気はずっと持続させられる。また、ちょうど曲の半ばで低い音域で重音を弾く個所があるが、ここはベートーヴェンの『第9交響曲』の第4楽章冒頭の低弦のように、何かをしゃべりかけているかのようだった。さらに、チャイコフスキー同様、カデンツァがとても濃厚である(弾いているのは最も一般的な、ヨアヒム)。
 第2楽章もルーハのソロは実に力強く、輝かしい。実際の彼の音量は録音ではわからないが、きっと大きなホールの隅々まで届いていたのだろう。
 第3楽章は、これまで聴いていたなかでも最も遅い部類だ。全体の構成はがっちりとしていて、気迫、輝かしさ、伸びやかさのバランスが見事にとれている。ルーハを知りたければ、まず、このブラームスを聴くことだ。
 ヴィヴァルディの『四季』(ミルチェア・クリステスク指揮、クルジュ=ナポカ・フィルハーモニー室内管弦楽団、Electrecord ST-ECE0564)も聴いた。全体の解釈は、やや遅めのテンポを基調として、伴奏もたっぷりと鳴らされている。要するに、古楽器奏法とは反対の、昔ながらの演奏である。
 ルーハのソロはここでも冴え渡っていて、堂々として、ヒバリのようにさえずっている。たとえば『秋』の第1楽章のような切れ味の鋭さは、彼が並みの奏者ではない証拠でもある。
 ヴュータンの『ヴァイオリン協奏曲第4番』『第5番』(エルヴィン・アチェル指揮、Electrecord ST-ECE03674)も手元にあるが、これは参考資料だ。というのは、このLP、見た目には全く問題なくきれいなのだが、実際にかけてみると、針と溝がピタッと合わないようなノイズが盛大な音で再生されるからだ。このようなLPにはときどき遭遇するのだが、近々、別のLPを手に入れてみたい。演奏はとてもすばらしいと思う。
 エレクトレコードの音質はお世辞にもいいとはいえないので、その点ではちょっと損をしているが、虚心なく聴く人にはルーハの実力は明らかになるだろう。

 

Copyright Naoya Hirabayashi
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。
 

第4回 ジャン・フルニエ(Jean Fournier、1911-2003、フランス)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

知る人ぞ知る、フランスの逸材

 フルニエと聞いたら、まず百パーセントのクラシック・ファンがチェリストのピエール・フルニエ(1906―86)を思い出すだろう。そのピエールの弟ジャン・フルニエが優れたヴァイオリニストだったことは、残念ながらほとんど一般的には認識されていない。
 ジャン・フルニエはフランス・パリ生まれ。パリ音楽院でブラン、ティボー、カメンスキーに師事し、卒業後はフランス国内はもとより、広く世界中でソリストとして注目された。妻はピアニストのジネット・ドワイアン。2人は1957年に結婚したとされる。58年、2人は来日して全国各地でリサイタルを開いている。
 私がいつジャンの演奏を初めて聴いたのかは覚えていないが、モーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲第3番』『第5番』(ミラン・ホルヴァート指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウエストミンスター WL-5187、録音:1952年)で、こんなに優雅な演奏があったのかと、腰を抜かさんばかりに驚いたのははっきりと記憶している。
 この演奏に惚れぬいた結果、とうとう自分でLP復刻盤(GRAND SLAM GS-2099)を制作してしまった。2013年のことである。ところが、制作過程で思わぬことを知ってしまったのだ。フルニエらは来日した際、ドビュッシーの『レントよりおそく』と『亜麻色の髪の乙女』、フォーレの『子守歌』、ラヴェルの「一寸法師」(『マ・メール・ロワ』から)の4曲の小品を録音したという。それは日本ウエストミンスターで録音されたが、45回転盤(WF-9001)というフォーマットの宿命なのか、中古市場ではウルトラ・レアなレコードだという。
 そういわれるともう、矢も盾もたまらず、あちこちにメールを送り電話をかけ、知っていそうな人には声をかけまくった。すると、とある人の仲介によってこの貴重な45回転盤を借りることができたのである。さらに、これまた幸運がなせるわざか、この録音手記を古い雑誌で見つけた。手記を書いた人は故人だったが、遺族と連絡がとれて原稿の再使用の許諾も得ることができた。
 GS-2099 の本編の協奏曲はすばらしい演奏であり、ボーナス・トラックの日本録音は、それこそ幻の逸品である。しかも、解説書にはその録音現場をレポートした記事も掲載してある。CDの内容としては、これ以上は望みえない、完璧といえるものだった。
 ところが、あれだけ力を入れて発売したのに、恐ろしいほどに売れない。何人かの知人は「こんなにすばらしい演奏があったのか」と驚いてくれたのだが、売れ行きの悪さは全く変わっていない。
 協奏曲と同じくウエストミンスターには、ベートーヴェンの『ヴァイオリン・ソナタ全集』(WL-5275、録音:1954年頃)がある。このなかで私は「第2番」と「第9番「クロイツェル」」を聴くことができた。ピアノはドワイアン。「第2番」は予想どおりの軽やかな演奏だったが、「クロイツェル」はこれほど見事とは思わなかった。第1楽章の序奏は実にゆったりと、存分に歌い、風格も豊かだ。主部に入っても凜々しく品格にあふれ、表情もしなやかに変化する。第2楽章の流麗さも、たいへんに印象的だ。第3楽章も、余裕のある足取りがいい。ピアノ伴奏については、あとでまとめて触れる。
 ベートーヴェン以上に優れていると思われるのはフォーレの『ヴァイオリン・ソナタ第1番』『第2番』(ウエストミンスター WL-5156、録音:1952年)だろう。なぜか最初に『第2番』を聴き、そのむせかえるような濃い味わいに感心したのだが、『第1番』はいっそうすばらしいと思った。これも、ピアノはドワイアン。
 ドビュッシーの『ヴァイオリン・ソナタ』(ウエストミンスター WL-5207、録音:1953年)。これもきれいな演奏だが、フォーレの翌年の収録なのに、ちょっと音が冴えない。このLPは『チェロ・ソナタ』と『フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ』、この3曲を詰め込んだせいで音がいささか窮屈になったのだろうか。
 ブラームスの『ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲』(ヘルマン・シェルヘン指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウエストミンスター WL-5117、録音:1951年)も聴くことができた。チェロはアントニオ・ヤニグロ。この曲にはほかに内容的・音質的に優れた名盤があるが、チェロのヤニグロともども、抒情的な美しさが楽しめる個所も多く、聴いて損はないと思う。
 いかにもジャンらしいということで選ぶなら、ヘンデルの『ヴァイオリン・ソナタ』(「第1番」から「第4番」、フランスVega 30MT10.180、録音:不詳)は、最右翼ともいえる。非常におおらかで気品にあふれ、心からゆったりとくつろげるような、本当に趣味のいい音がする。ピアノはドワイアン。
 フロラン・シュミットの『ヴァイオリン・ソナタ』(フランスVega C35A251、録音:1959年)は、曲そのものは地味だが、フルニエの妙技を満喫できる点では、ほかの録音と同等である。この演奏もピアノはドワイアンだ。フルニエとドワイアンは夫婦だからか、きっと心ゆくまで合わせることができたのだろう、見事なアンサンブルといえる。これぞ、真のデュオである。興奮して本能がおもむくまま、食べ物を食い散らかすようなヴァイオリンとピアノは、音楽的な意味合いは低いのだ。
『クライスラーの作品集』(フランスVega C30A38、録音:不詳)、これまた身震いするくらい魅惑的である。ここには『美しきロスマリン』『愛の喜び』『中国の太鼓』など、入っていそうな有名曲は含まれない。こうした選曲の理由はわかりようがないが、おそらくはフルニエが納得できる作品を厳選したと思われる。面白いのは、紹介したなかで唯一ピアニストがドワイアンではない。Andre Collard とある。もちろん、どうしてこの人が起用されたのかも不明。「モーツァルトのロンド」、その前半部分の軽やかさ、そして後半部分の甘い、甘い音! 「序奏のアレグロ」のとても柔軟な音も、ため息が出てきそうだ。さらに「ウィーン奇想曲」のむせかえるようなウィーン情緒。これは、かのクライスラー以上ではあるまいか。「メロディー」「シチリアーナとリゴードン」「コレルリの主題による変奏曲」ほか、14曲を収録。CD化が熱望されるだろう。
 聴いた範囲では、フルニエの録音はすべてモノーラルのようだ。その理由だけで認知度が低いわけではないのだろうが、いずれにせよ、きちっと再評価することが急務のヴァイオリニストだと断言したい。

 

Copyright Naoya Hirabayashi
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。