第9回 ドゥヴィ・エルリ(Devy Erlih、1928-2012、フランス)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

異形のフランス・ヴァイオリン奏者

 ドゥヴィ・エルリはパリに生まれ、父からヴァイオリンの手ほどきを受けた。1941年からパリ音楽院でジュール・ブーシュリに師事(マルク・ソリアノ編著『ヴァイオリンの奥義――ジュール・ブーシュリ回想録:1877→1962』〔桑原威夫訳、音楽之友社、2010年〕のなかに、師ブーシュリについて記したエルリの一文が掲載されている)、44年、パドゥルー管弦楽団の演奏会でデビュー。翌45年、パリ音楽院を首席で卒業。55年、ロン=ティボー・コンクールで優勝、その年に初来日を果たす。その後、広く世界中で活躍するが、80年代以降たびたび日本を訪れ、多くの音楽祭に出演したり後進の指導にあたった。2012年2月、交通事故によって死去。
 エルリは特に日本にゆかりが深い奏者であったのにもかかわらず、一般的には指導者としての印象が強い。しかも、彼の録音の大半はデュクレテ・トムソン、フランス・ディスク・クラブ(Le Club francais du Disque)など、フランスのマイナー・レーベルにあるため(しかも、これらのマスター・テープは廃棄されている)、一般的な認知度を得にくい状況である。
 エルリのヴァイオリンはひとことで言うならば、情熱的で戦闘的であり、豊かなロマンがふつふつと湧き上がるようなものである。したがって、フランスの多くのヴァイオリン奏者に共通するような粋でしゃれた味わいをもちながらも、全体の印象はかなり異なっている。
 では、エルリの何から聴けばいいのか。比較的入手しやすいものでは、inaの2枚組みCD(番号なし)がある。このなかにはベートーヴェン(「第2番」)、ブラームス(「第3番」)、ドビュッシー、ルーセル(「第2番」)、ラヴェル、ミヨー(「第2番」)などのソナタ(録音:1960-62年、モノラル、放送録音、ピアノはジャック・フェヴリエ)が収録されている。やや乾いた音のスタジオ収録だが内容は充実していて、特にブラームス、ルーセル、ラヴェルが傑出している。しかし、彼の個性がより明瞭に表れているのは、ボーナス・トラックに含まれた、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」、1955年のロン=ティボー・コンクールでのライヴである。これは、誰にも似ていない、特別に個性的な演奏だ。ジャック・ティボーのような自在さにもあふれているが、ゲルハルト・タシュナーのような粘り強さと、ブロニスワフ・フーベルマンのような、次々と敵をなぎ倒すような突進力もある。モノラルだが、音もいい。
 同じチャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲』には、ピエール・デルヴォー指揮、コンセール・コロンヌ管弦楽団とのステレオ盤もある(録音:1962年3月28日、パリ、サル・ワグラム)。この演奏はデュクレテ・トムソンのLP(DL-CC-108)で聴いた。これはスペイン・プレス盤だが、オリジナルのフランス盤は数万円以上するので、手を出せない。演奏の基本は1955年ライヴと同じだが、全体のテンポはいくらかゆったりしている。しかし、やはりステレオの恩恵は大きく、ヴァイオリンの音がみずみずしい(そのほか、デュクレテ・トムソンには別録音のモノラル盤もあるらしいが、これは未聴)。
 グリーンドア音楽出版からはデュクレテ・トムソンのLP復刻が出ているが、同じ音源が別々のCDに入っていたり、使用LPの情報や録音データが記されていないなどの不備があるので、いちおう以下の2点をあげておく。
 ひとつはラロの『スペイン交響曲』(デジレ・エミール・アンゲルブレヒト指揮、ロンドン・フィルハーモニー交響楽団)である(GDCL-0031。ほかの資料によると録音は1956年10月29-31日、パリ、アポロ・シアター)。この曲はティボーの十八番だったわけだが、そのティボーに共通するような自在さは感じられる。しかし、エルリの演奏はもっと筆致が力強く、激しい。音は悪くないが、LP盤のノイズをカットしたせいか、高域にちょっと不自然な箇所もあるものの、それほど気になるという程度ではない。
『ドゥヴィ・エルリーの芸術』(GD-2058)はデユクレテ・トムソンのLP2枚分の小品が収録されている(録音:1955年、57年、ピアノはモーリス・ビューロー、アンドレ・コラール)。サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」など、エルリにはサラサーテがぴたりと合っているかもしれない。反対に、クライスラーの小品(「プニャーニの形式による前奏曲とアレグロ」「愛の悲しみ」「中国の太鼓」ほか)は、その濃厚な歌に多少違和感を感じる人もあるだろう。私自身は好きだが。
 最近CDになったバッハの無伴奏ソナタ&パルティータ全曲(ドレミ DHR-8061/2、録音:1969年)には、ちょっと驚いた。これはアデ(Ades)のLP復刻である。本当ならばアデのオリジナルLPで聴きたいのだが、3枚そろえると30万円から50万円程度必要なので、これはあまりにも現実離れしている。復刻に際しては盤面のノイズをきれいに除去してくれているのだが、そのせいか、ときどき高域に不自然な箇所がある。だが、安価で聴けるようになったことを素直に喜んだほうがいいだろう。とにかく、バッハの無伴奏で、これほど挑戦的で起伏が激しいというのは記憶にない。たとえば、『パルティータ第2番』。最初の2曲のスピード感はどうなのだろうか。〈シャコンヌ〉だって、音のドラマにあふれている。そのほかの曲も緩急の差が激しく、歌うところはしっかりと気持ちを込めている。これだけ個性的なのだから、あちこちで賛否が飛び交ってもよさそうに思うが、なぜかあまり話題にはなっていない。
 1980年10月7日、パリのサル・ガヴォーでのリサイタル、これは数少ないステレオ・ライヴである(スペクトラム CDSMBA008。2枚組みだが、もう1枚はミシェル・オークレールのライヴ)。モーツァルトのソナタやウェーベルンなどが収録されているが、惜しいことに高域に持続的なノイズが混入していて、ちょっと気分がそがれる。ただ、最後に収録されたベートーヴェンの『クロイツェル』は立派(ピアノはブリジッテ・エンゲラー)。幸いなことに、このベートーヴェンあたりになるとノイズはかなり目立たなくなり、かなり普通に聴ける。
 1990年12月に桐朋学園で収録された『現代無伴奏ヴァイオリン作品集』(フォンテック FOCD3129)も、エルリの演奏のなかでも重要である。内容はバルトークの「ソナタ」、ジョリヴェの「ラプソディックな組曲」、三善晃の「鏡」、マデルナの「アマンダより」である。これは、なかなかすさまじい切れ味と熱気である。これは長くカタログにあるものだが、これを聴いて、ほかのエルリの演奏を聴いてみようと思う人がもっといてもよさそうな気がする。
 以下はLPで聴いたものだ。ハチャトゥリアンの『ヴァイオリン協奏曲』(セルジュ・ボド指揮、セント・ソリ管弦楽団、Le Club francaise du Disque 64、録音:1956年3月30日、パリ、サル・ワグラム)。これはすばらしい。リズムはたいへん弾力性があり、伸びやかに歌う箇所での艶々した音色は忘れがたい。ある中古レコード店の店主がかつて「これはとてもいい演奏なんですけど、あまり知られていないですね」と言っていたが、全面的に賛同したい。
 バルトークの『ラプソディ第1番』(カレル・フサ指揮、セント・ソリ管弦楽団、Le Club francaise du Disque 4、録音:1953年9月12日、パリ、Maison de la Mutualite)も生き生きとして、冴え渡った演奏である。モノラルながら、音もいい。
 メンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲ホ短調』(エルネスト・ブール指揮、南西ドイツ放送管弦楽団〔バーデンバーデン〕、デュクレテ・トムソン 255C048、録音:1957年7月、収録場所不明)もある。これはフランス盤の25センチ(10インチ)。音がこもっていて風呂場みたいであり(周波数特性がRIAAでないせいか?)、ちょっと聴きづらい。ほかのLPだと違う音かもしれないが、いい演奏だとは思わせるのだが、実感として伝わりづらいのが残念である。
 エルリが1955年に来日した際、彼の演奏を聴いた平島正郎は「さすがに技術はすばらしいが、音程を時に高くとりすぎる点が気にならないではなかった」(「シンフォニー」1955年12月号、東京交響楽団)と記している。これは誤解を招きそうな言葉である。つまり、「高くとりすぎている」というのは“間違っている”と受け取られがちだからである。かつてローラ・ボベスコが彼女自身の音程について「私の音程の取り方は、ちょっと変わっているでしょ?」と言っていたように、音程の取り方とは、実に一筋縄ではいかない。音程の取り方は育った環境や教わった先生など実にさまざまな要素が絡み合って熟成され、それが独自の音色と表裏一体になっている。それに、意図的に、正しいか間違っているかのスレスレを採用することだってあるだろう。こんなことも覚えている。確かピアニストのスティーヴン・コワセヴィチだったと思う。彼はベートーヴェンのソナタを演奏するときに荒っぽい感じを出したくて、調律の際、ほんのわずかオクターヴを狭めると言っていた。つまり、不協和音に、少しだけ近づけるわけである。
 自分はちゃんと聴いているぞということを強調したいのか、特に日本では弦楽器奏者に対してだけではなく、歌手やオーケストラなどにも音程がどうのと書く人は多い。本当に音程が悪ければ、そんな演奏家はすぐに消えてしまうだろう。だから、音程音程と騒ぐ人ほど、音程のことはわかっていないような気がする。

 

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