第16回 キャスリーン・パーロウ(Kathleen Parlow、1890-1963、カナダ)

平林直哉(音楽評論家。著書に『クラシックの深淵』〔青弓社〕など多数)

カナダが生んだ異形のヴァイオリニスト

 2023年になって、イギリス・ビダルフからキャスリーン・パーロウの2枚組みが発売された(85036-2)。ジャケット下にはわざわざレオポルド・アウアーの顔写真入りで「ジ・アウアー・レガシー」と記されているように、従来は「レオポルト・アウアーの優れた弟子の一人」といった程度の扱いしか見ることがなかった。たとえば、ボリス・シュヴァルツの『グレート・マスターズ・オヴ・ザ・ヴァイオリン』(邦訳なし)では、アウアーの弟子の一人としてごく短くパーロウにふれているだけで、ヨーアヒム・ハルトナックの『二十世紀の名ヴァイオリニスト』(松本道介訳、白水社、1971年)やマーガレット・キャンベルの『名ヴァイオリニストたち』(岡部宏之訳〔Music Library〕、東京創元社、1983年)のなかに彼女の名前は見いだせない。パーロウは戦後まで元気に活躍していたが、レコードの世界からは早々に手を引いてしまったせいか、ひどく古い人のような印象を与えている。
 パーロウは1890年9月20日、カナダのカルガリーに生まれた。ヴァイオリンを始めたきっかけや年齢は定かではないが、習得速度はめざましいものがあり、その才能を育むためにパーロウが5歳のとき、一家はサンフランシスコに移住する。6歳のときには最初のリサイタルを開き、ルイ・シュポアの弟子だったヘンリー・ホームズに師事した。その後、パーロウはミッシャ・エルマンの演奏を聴き、アウアーに弟子入りを切望。1906年、ペテルブルク音楽院に最初の外国人として、また最初の女性としてアウアーのもとでエルマンやエフレム・ジンバリストとともに学んだ。アウアーはパーロウを気に入り、「スカートをはいたエルマン」と呼んでいたそうだ。09年にはノルウェーの作曲家ヨハン・ハルヴォルセンがパーロウのためにヴァイオリン協奏曲を書き、活躍の場はヨーロッパやアメリカに及んだ。しかし、20年代後半からソリスト活動を制限するようになり、36年に短期間ニューヨークに住んだあと、41年にはカナダに戻り、トロント大学で後進の指導にあたるとともに、チェロのザラ・ネルソヴァ、ピアニストのアーネスト・マクミランらとカナディアン・ピアノ三重奏団を結成、パーロウ弦楽四重奏団の活動も並行しておこなっていた。63年8月19日、死去。
 ビダルフの2枚組みのメインはHMVとアメリカ・コロンビアの全録音である。すべて小品で1909年から16年の収録、すべてアコースティック(ラッパ吹き込み)録音である。最初はパガニーニの『常動曲(無窮動) 作品11』、これはテンポが速く、あざやかであり、なおかつ何とも言えない香気を振りまきながら一気に進んでいく。あいさつがわりの一発目としては、まことに鮮烈である。2曲目のバッハの『G線上のアリア』(ヴィルヘルミ編)では一転して、ゆったりと、おおらかに歌う。パーロウに協奏曲を献呈したハルヴォルセンの小品が2曲『ヴェスレモイの歌』『ノルウェー舞曲第2番』とあるが、ことに前者はなでるようなポルタメントが効果的に使用され、印象的。ショパンの『夜想曲』は『作品27の2』と『作品9』の2の2曲が収められていて、ともに甘い雰囲気に満ちたものだが、後者はいっそう味が濃い。ベートーヴェンの『メヌエット』はゆっくりと先を急がず、のんびりと、なつかしさいっぱいに弾いている。
 フリッツ・クライスラーの『愛の喜び』は軽やかさと、ささやくような歌い回しが絶妙に対比されている。同じくクライスラーでは『中国の太鼓』もあるが、これも個性的だ。中間部でたっぷりと甘く歌うのは予想どおりだが、速い部分で突然減速するのは異例だろう。また、ヘンリク・ヴィエニャフスキの『庭園の情景』、ピエトロ・マスカーニの『間奏曲(カヴァレリア・ルスティカーナ)』、チャイコフスキーの『メロディ』、ヨハン・スヴェンセンの『ロマンス』などは甘くたっぷりと歌うパーロウのうまさを堪能できる逸品である。
 以上、一部ピアニスト名は判明しているが、大半は不詳のピアノ伴奏と管弦楽伴奏付きである。
 1925年以降の、いわゆる電気録音による正規盤が存在しないパーロウにとって、以下の放送録音は非常に貴重であり、この2枚組みではむしろこちらがメインと言っても過言ではない。まず、メンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲』、41年の放送録音(ジェフリー・ワディントン指揮、CBC交響楽団)で、全曲を収録している。第2楽章だけの録音(1916年)もこの2枚組みに収録されていて、これもまことに美麗で魅惑的だが、さすがに全曲のほうは聴きごたえがある。
 音質も1941年ながら明瞭であり、なかでも第1楽章が最も個性的だ。最初は楚々と、いかにも物憂げに歌い始めるのだが、急に獲物を狙うような険しい目つきになる。そして、それまでは低空を飛行していた鳥が一気に高いところへ行き、急降下や旋回を繰り返すような自由闊達さを振りまく。この曲で、こんなに大胆に描き分けた演奏は、そう多くはないだろう。第2楽章以降もすばらしいが、第2楽章は前述の16年録音よりもだいぶ甘さが控えめになっている。これはパーロウが意識的に変えたのか、あるいは、室内楽のような合わせ物が多くなった関係でそうなったのか、それは判断がつかない。
 なお、同一の演奏はケンレコード/ウィング WCD59(こちらは1950年頃と表記)からも出ていたが、音質はほぼ同等ながらも、こちらはピッチが高すぎる。
 同じく1941年の放送録音ではグリーグの『ヴァイオリン・ソナタ第2番』から第1楽章がある。燃え上がるような、非常に闊達な演奏であり、技術的な衰えなどは全く感じない。全曲ではないのが惜しまれる。ピアノはマクミラン。
 残りの2曲はバッハ、1957年の録音で、パーロウが最も高齢でのものになる。最初は『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番』からの第3楽章アンダンテ。これも味わいがある演奏で、全曲はないのかとぼやきたくなる。感動的だったのは『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番』の全曲。これはまず最初の「アルマンド」で心をガシッとつかまれる。テンポはかなり速く、挑み込んでくるような気迫がある。次の「クーラント」以降も非常に力強く、自在で、しなやかさも十分。最後の「シャコンヌ」も表情はきわめて多彩であり、非常にスリリング。技術的にも気力的にも、衰えなどは一切感じない。これは『パルティータ第2番』としても最も注目すべき演奏であり、もしもパーロウによるバッハの『無伴奏』が6曲そろったならば、それはそれで全く独自の地位を確保するにちがいない。ほかにもパーロウの放送録音が残っていたら、ぜひとも聴いてみたい。
 末筆になってしまったが、パーロウは1922年に来日し、ニッポノホンに10インチで14面分の録音をおこなっていることにふれておく。このなかで8曲が前記ウィングのCDに収録されているが(曲の大半はビダルフの2枚組みと同一で、解釈も酷似している)、あまりにも古色蒼然とした音質で、これではかえって誤解を招いてしまう。手元にパーロウのニッポノホン盤SPが1枚あるが、いくらラッパとはいえ、もっとましな音がする。海外で発売されたものはビダルフのような海外レーベルが復刻するだろうが、日本録音はやはり国内で制作されるべきものだろう。適正な音質補正によるパーロウの「コンプリート・ニッポノホン・レコーディングズ」が待たれる。

 

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