第13回 シュテフィ・ゲイエル(Stefi Geyer、1888-1956、ハンガリー→スイス)

平林直哉(音楽評論家。著書に『クラシックの深淵』〔青弓社〕など多数)

バルトークに愛されたヴァイオリニスト

 シュテフィ・ゲイエルは戦前・戦後を通じて活躍したヴァイオリニストのなかでも屈指の実力を備えていたが、今日ではヴァイオリン関係の文献でさえも彼女の名前は見つけにくい。多くの人がゲイエルの名前に遭遇するのは、おそらくバルトークの『ヴァイオリン協奏曲第1番』の曲目解説だろう。『ヴァイオリン協奏曲』はバルトークがゲイエルのために書き上げたものの、ゲイエル、バルトークがともに他界してから公開されたことは周知の通りである。
 インターネット上にはゲイエルに関する様々な情報があるが、相変わらず根拠を示していない、思い込みのようなものが多いので、ここではイギリス・パールのCD“THE RECORDED VIOLIN VOLUMEⅡ”(BVAⅡ、3枚組み)に所収されている、タリー・ポッターの記述を引用しておく。
 ゲイエルは1888年6月23日、ハンガリーのブダペストに生まれる。名教師フバイに師事し、ヨーロッパ、アメリカで活躍し始める。1908年、師フバイの50歳の誕生日を祝い、フバイが書いた『ヴァイオリン協奏曲第4番』を演奏した。11年から19年までオーストリア・ウィーンに滞在、その後スイス・チューリヒに移住し、作曲家のワルター・シュルテス(下記のピアノ伴奏者と同一人物?)と結婚、スイス国籍を取得する。23年から53年までチューリヒ音楽院で後進の指導にあたり、パウル・ザッハーが主宰するチューリヒ・コレギウム・ムジクムにも加入、並行して弦楽四重奏の活動もおこなう。50年、フランス・プラードのカザルス音楽祭ではバッハの『ヴァイオリン・ソナタ』をクララ・ハスキルと共演している。56年12月11日、チューリヒで死去。
 バルトークが1907年から翌年にかけて最初の『ヴァイオリン協奏曲』を書いていたとき、バルトークがゲイエルに好意をもっていたことは明らかだったようだ。でも、なぜ、ゲイエルはこの協奏曲を弾かなかったのか? 単純に、ゲイエルは曲に対して完全に共感できなかったためと考えられる。また一方では、バルトークとの関係が密になるのを避けたいがために、ゲイエルはこの協奏曲を無視したのだと指摘する声もある。ただ、真相は不明だ。
 バルトークはその昔、ダラニ家の次女でありヴァイオリニストのアディラ・ファチリ(ファキーリ)に強い愛情をもっていた。実際、バルトークはアディラと一緒に演奏するために、ヴァイオリンとピアノのための小品を書いている。それでも、バルトークとアディラの関係は深まらなかった。すると、バルトークの関心は三女のヴァイオリニスト、イェリ・ダラニに移っていく。イェリはバルトークを優れた作曲家でありピアニストとして認識はしていたものの、バルトークにユーモアのセンスが欠けていたのがお気に召さなかったようだ。このように、バルトークは結局、3人の女性ヴァイオリニストにフラれたともいえる。
 話が横道にそれてしまった。SPにいくつかゲイエルの録音が残っているのは知っていたが、ゲイエル単独のCDは出ていないと思い込んでいた。ところが、つい最近、オークションでゲイエルのCDを見つけ、送料込み約1万円で落札した。これはフランスの復刻レーベル、ダンテのLYSシリーズ(LYS398)のものだった。このシリーズは発売点数は多かったものの、内容は玉石混交。しかし、“玉”のほうには唯一の復刻とされるものも多く含まれており、ここにゲイエルがあったのは驚きだった(ヴァイオリン関係に詳しい知人も、このゲイエル盤を知らなかった)。
 ゲイエルのCDは全7曲、すべてSP復刻である。最初はスイスの作曲家、オトマール・シェックの『ヴァイオリン協奏曲「幻想曲風」』(1912年、初演の詳細は不明)である。この協奏曲はバルトーク同様、ゲイエルに対するシェックの恋愛感情からの産物といわれる。これは1947年にフォルクマール・アンドレーエ指揮、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団によって録音されているが、確かこの曲の世界初録音のはずである。音の古めかしさは多少感じさせるものの、甘く、叙情的な情感を実に見事に弾ききっているゲイエルのソロはすばらしい。バルトークとは違い、ゲイエルもこの曲に強く共感しているのも聴き取れる。CDもさほど出ていないし、演奏会でもほとんど取り上げられないが、この演奏を聴けば、多くの人がこの協奏曲を好きになるだろう。
 次はモーツァルトの『アダージョ』、パウル・ザッハー指揮、チューリヒ・コレギウム・ムジクムの伴奏(録音:1938年)。ゲイエルは非常にゆったりと、一つひとつを味わい、慈しみながら弾いている。柔らかくはあるが、とても透き通ったきれいな音だ。
 モーツァルトと同じ指揮者、オーケストラの伴奏で、ハイドンの『ヴァイオリン協奏曲第1番』(録音:1947年)がある。シェックの『ヴァイオリン協奏曲』では、かなりしなやかに、蠱惑的に弾いているゲイエルだが、ここでは古典的なたたずまいに徹していて、明るく冴え渡った音で弾いている。伴奏も、カチッとまとまっている。
 バッハには『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番』より「ルール」(録音:1930年)がある。これはハイドン同様に透き通った、いくらか硬質な音色ではあるが、品格とほのかな甘さが漂う逸品である。ゲイエルのバッハがこの曲しか残されていないのは、残念としか言いようがない。
 ゴルトマルクの『エアー』(録音:1927年、CDにはピアニストの表記なし。別資料ではW.シュルテス)はバッハよりもさらに甘く、柔らかい雰囲気が強い。あまり有名な曲ではないが、ゲイエルの個性がはっきりと打ち出されている。
 ドヴォルザーク(クライスラー編)の『スラヴ舞曲作品72-2』(録音:1927年、ピアノ:W.シュルテス)は、先ほどふれたパールのCDにも入っている。ややゆっくりめに弾き、テンポをゆらゆらと揺らしながら歌っている。このあたりが、いかにも古いヴァイオリニストである。
 最後はクライスラーの『美しきロスマリン』(録音:1930年、SP盤ではピアニスト不詳だが、このCDではW.シュルテスと表記)。この曲もテンポは気持ち遅め。普通は柔らかめに始まるのだが、ゲイエルはその逆。けれど、右に左にテンポは揺れ、少し強めのポルタメントも使用される。このように弾くヴァイオリニストは、最近ではまずいないだろう。
 以上、ゲイエルの主要な曲が収録されている単独のCDとして非常に貴重だが、ブックレットのSP番号、マトリクス番号の表記のデタラメさには驚き入ってしまった。
 手元にあるSPで、ダンテのCDには含まれていない曲が2つある。1つはマルティーニ(クライスラー編)の『アンダンティーノ』(英コロンビア LZ1/録音:1930年、ピアニスト不詳)。これはゴルトマルクと同様、柔らかく甘い雰囲気に満ちた美演奏である。もう1つはベートーヴェンの『ロマンス第1番』(英コロンビア LZX2/録音:1930年、ピアニスト不詳)。これまたゆったりと歌っており、ほどよいテンポ・ルバートと、ごく控えめなポルタメントを使用し、非常にうま味のある演奏を展開している。これだけを聴いても、ゲイエルの豊かな音楽性がしっかりと感じられる。なお、ゲイエルは『ロマンス第2番』は録音していない。
 ゲイエルの未発表録音があるとすると、スイスの放送局なのだろうか? メジャーな協奏曲を期待したいけれど、有名なソナタでもいいから、ぜひ聴いてみたい。

 

Copyright Naoya Hirabayashi
本ウェブサイトの全部あるいは一部を引用するさいは著作権法に基づいて出典(URL)を明記してください。
商業用に無断でコピー・利用・流用することは禁止します。商業用に利用する場合は、著作権者と青弓社の許諾が必要です。