ギモン3:何を展示するの?(第2回)

難波祐子(なんば・さちこ)
(現代美術キュレーション。著書に『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーターという仕事』〔ともに青弓社〕など)

 

コロナ禍に寄せて――「ギモン3:何を展示するの?(第2回)」の前に

 いま、コロナ禍のなかで展覧会やキュレーションについて考えることが非常に困難な状況となっている。
 この2カ月あまりの間に新型コロナウイルスの感染拡大により、文字どおり世の中が一変してしまった。ここで今回、これまでの連載の続きを掲載する前に、この場をお借りして、この状況下で展覧会やキュレーションに向き合うことについて、少しふれてみたい。書いたところでいますぐ何かの解決につながるわけではないのだが、とにかく私自身、本連載を続けるうえで、刻一刻と変わるいまの状況を備忘録的に書き留めながら、思考していくという以外にこれから先の原稿を書き進めるすべがない状況に陥っているので、このような脱線をお許し願いたい。またここで書いたことについては、今後も状況に応じてもともとの本連載全体の構成をアップデートしながら、連載後半の内容に反映していきたい。

 2011年の東日本大震災のあとも、しばらくアートについて考えることができない、あるいはすぐにアートを通じて何らかの行動を起こすことが難しいと感じる美術関係者は、私自身も含めて大勢いたと思う。もちろん、さまざまな芸術を通した救援活動やチャリティー、また津波被害にあった作品のレスキュー事業(1)などもおこなわれていたが、それは被災者支援、復興に向けた活動だった。現在進行中の世界的なパンデミックと9年前に東日本で起きた震災と放射能汚染では、単純に比較することはできないが、本連載でも追って危機的な状況に私たちの社会が陥ったあとのアートや展覧会のあり方などについて、考察していきたい。
 今回のコロナ禍について現時点(2020年4月末)で言えることは、1つの地域、あるいは1つの国にとどまらず、まさに地球規模で私たちが生きるということそのもの、また社会生活や経済活動に深刻な影響を及ぼしていて、しかもその「異常事態」が数カ月というごく短いスパンでもはや日常化しつつある、ということである。このような現況において美術の分野に限って簡単にこの2カ月あまりを振り返ってみると、中国を皮切りに韓国、ヨーロッパ、アメリカなど世界各国の美術館が2月から3月にかけて軒並み臨時休館に入り、多くの展覧会やアートフェアなどが中止・延期となった(2)。また私立美術館の多いアメリカでは、MoMAやメトロポリタン美術館をはじめとする名だたる館でスタッフの解雇が始まっている(3)。日本も首都圏など7都市を対象に緊急事態宣言が4月7日に発令される前から、大規模なイベント実施に関して自粛モードに入り、2月末からは美術館や博物館も床面積1,000平方メートル以上の館を中心に臨時休館に入っていたが、発令後には、細々と開けていたギャラリーも休廊を余儀なくされた。そして緊急事態宣言が4月16日に全国に拡大されてからは、実質的に日本国内の展覧会という展覧会が中止や再開見込み不透明なまま延期などに追い込まれている。
 このような状況下でも、なんとか芸術活動を続けようと世界各地でさまざまな試みがなされている。音楽や舞台芸術、パフォーマンスの分野で動画配信、ライブ配信などがおこなわれるのに続き、美術館でも、オンラインで公開するコレクションを充実させたり、展示したものの休館せざるをえなくなった展覧会をウェブサイト上で写真や動画を交えて紹介したり、カタログテキストをウェブサイト上で閲覧できるようにするなど、各館がしのぎを削っている。だが、展覧会というメディアは、本連載の冒頭でも述べたとおり、そもそもが非常にアナログなメディアであり、展覧会に観客が実際にいってなんぼの世界である。したがって、今回のような事態にすぐさま対応しろと言われても、そう簡単にはいかないのも事実だ。また今日の現代美術の展覧会は、国際的な協力のもとに成り立っているものも多く、作品を国内外に輸送することや、展覧会場に国を超えてアーティストやキュレーター、クーリエなどの人が移動することができない現状のなか、作品を展示する、という行為自体が不可能になっている。またアーティストやフリーランスのキュレーターなどについては、予定していた展覧会が中止や延期となり、収入が断たれる人も多い。ドイツ政府は、この事態のなかいち早く「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要な存在(4)」と断言し、フリーランサーや芸術家、個人業者に向けて500億ユーロという大規模な支援を約束した。日本では、ドイツのような国レベルでの動きは鈍いが、地方自治体が独自の支援策を打ち出したり、各芸術団体やアーティスト、民間企業などが、立ち上がって、基金を設立したり、クラウド・ファンディングや、各種の署名活動などが始まっている。
 明日の暮らしをどうするのか、を考えなくてはならない事態のなかで、こうしたいますぐ必要な支援や対応について、それぞれができることを考え、動いていくことは大事だ。だが、同時にポスト・コロナ、ポスト・パンデミックの世界について考え始めることも重要である。感染の収束にはまだ相当の時間がかかりそうだし、この状況によりさまざまな価値観の変容が否が応でも起こっていることは確かである。世界的にこの危機的状況を共有した(大半がまだそのただなかにあるが)あとのポスト・コロナの世界では、私たちの暮らしのあらゆる面で、従来どおりというわけにはいかないことは明らかだろう。それは、人間の文化活動でも当然同じであり、本連載の根本的なテーマである、展覧会やキュレーションとは何か、またどうあるべきか、という問いにもつながっている。

 連載は、ギモン3の第2回を執筆当時(2月中旬)のままの原稿で以下、掲載するが、ギモン4以降はそうしたポスト・コロナ社会で求められる展覧会やキュレーションとは何か、といった問題も考えながら、あらためて執筆していきたい。なお、本連載の書籍化の際には、これまでの執筆分も含めて大幅に見直しが必要となってくる部分も出てくると思われる。というか、見直さざるをえない状況にいると言ったほうが正しい。こんな時期に展覧会やキュレーションのことを論じるのか、と言われるかもしれないが、こんな時期だからこそ、見えてくるものがあると信じて、今後の連載を継続したい。


(1)文化財レスキューの具体的な事例については、例えば東京文化財研究所の「被災文化財レスキュー事業 実施状況」などを参照のこと(https://www.tobunken.go.jp/japanese/rescue/110627/index.html)。
(2)なお、先に流行して早くから都市封鎖に入った上海の美術館は、3月中旬から再開、北京の美術館も4月下旬から再開している。イタリアの美術館も5月中旬以降、再開の予定となっている。
(3)「MOMA AND NEW MUSEUM AMONG NY INSTITUTIONS CUTTING JOBS TO CURB DEFICITS」「ARTFORUM」2020年4月3日(https://www.artforum.com/news/moma-and-new-museum-among-ny-institutions-cutting-jobs-to-curb-deficits-82681)、「METROPOLITAN MUSEUM OF ART LAYS OFF EIGHTY-ONE EMPLOYEES」「ARTFORUM」2020年4月22日(https://www.artforum.com/news/metropolitan-museum-of-art-lays-off-eighty-one-employees-82782
(4)モーゲンスタン陽子「ドイツ政府「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」大規模支援」「ニューズウィーク日本版」2020年3月30日(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/03/post-92928.php

 

 

第2回 展覧会に出す「作品」を選ぶ行為

 展覧会では、世の中にあまたある「作品」から、ある特定のものを選んで展示する。その特定のものを選ぶ基準を決めて、何をどのように展示するかを決めるのが、キュレーターの仕事とも言える。
 ギモン2の順路の話のところで少し触れたが、キュレーターは、一本の展覧会に通底するストーリー、あるいは展覧会のテーマ、企画のコンセプトを考え、それに基づいてアーティストとその作品を選ぶ。アーティスト自身が企画をする場合はキュレーターを立てないこともあるが、その場合でも、アーティストがキュレーターの役割を兼務することには変わりない。つまり展覧会は、キュレーターによってなんらかの価値基準の下で選択される作品で構成される、極めて恣意的なものである、ということだ。
 旧東ドイツ出身の哲学者・美術批評家であるボリス・グロイスは、著書『アート・パワー』のなかで、キュレーターやアーティストによってもたらされる展覧会の恣意性について次のように述べている。
「アーティストやキュレーターはこれら芸術の対象とされる物すべてを、純粋に私的で、個人的で、主観的な秩序に従って空間に配置する。このようにしてアーティストやキュレーターは、選択という私的な自己統治の戦略を公衆に表明する機会を得るのである(6)」
 グロイスの指摘は、半分当たっているが、半分は正直、首を傾げたくなる。確かに展覧会で何を展示するかは、キュレーターあるいはアーティストが決めるにせよ、「純粋に私的で、個人的で、主観的な秩序に従って空間に配置する」ことができるなら、世の中のキュレーターたちはこんなに苦労していないだろう。そんな思いどおりの夢の企画が実現できることは、まずないと言ってもいい。大抵は、予算の問題や物理的な制約、また人的・政治的要因などさまざまな軋轢があるなかで、それでも自分の理想とする展示に向けて、あらゆる創意工夫をして、多くの人の協力を得て、ようやくなんとか納得できる形に落とし込んでいく、というのがキュレーションの現場の実態に近いと思う。
 ただ、グロイスの指摘のうち、ここで注目したいのは、半分当たっているほうの部分の話だ。先に述べたように、キュレーターの仕事の根幹をなす部分は、展覧会のコンセプト作りとそれに基づく作品の選定にある。展覧会は、グロイスが言うとおり、「選択という私的な自己統治の戦略を公衆に表明する機会」にはちがいない。だが、それは単に自分が好きなものを展示して終わり、ではない。展覧会の規模や種類にもよるが、都内の美術館での大型展覧会となると、家が一軒買えるぐらいの予算を扱う。これが公立館の場合なら、その財源は市民や都民の税金ということになる。特に公金を投じるタイプの展覧会の場合、キュレーターがある選択をして展示する以上は、その作品をどのように美術や美術史の文脈に位置づけるのかについて観客に公的に説明する責任が生じる。一つの展覧会を作るときに、あるコンセプトやテーマを設定した場合、それに沿ってさまざまな選択のプロセスが生まれる。ときには、そのプロセスのなかでコンセプトやテーマそのものを軌道修正していくことも少なくない。なぜAという作家ではなくBという作家を選ぶのか、あるいは同じ作家の手によるものでも、なぜCという作品ではなくDという作品を展示するのか、など一つひとつの選択をしながら、その理由を展覧会の形で広く観客に向けて示していくことが必要になる。またなぜその会場で、このタイミングで、そのテーマの展覧会をやるのか、ということも問われるだろう。それでも、この「選択」という展覧会の宿命は、ときにキュレーターにある種の権力を生み出す危険性もはらんでいる。
「作品」は、作家の手で生み出されて、展覧会場に置かれて、観覧されることではじめて「作品」として多くの人が知ることになる。この「作品」を「作品」として位置づけるのがキュレーターだとすると、キュレーターがもつ責任は非常に重大だと言えるだろう。「作品」がなければ展覧会は始まらないが、キュレーターが選ばなければ、「作品」は日の目を見ることはない。ここでキュレーターは、その選定の根拠をしっかり説明する必要がある。ウォールテキストやカタログは単なる飾りや展覧会の付属物ではなく、展示だけでは足りない部分を言葉を使って補足する大切な役割を担っている。特に近年の多様化する現代美術の場合、見ただけではわかりにくく、その背景について説明を要する作品も多い。こうした展覧会に展示された作品を、その展覧会全体の説明や個々の作品に関する説明も含めて鑑賞した観客の反応、さらには美術史家や美術評論家といった人たちがそれらを論じていくことで、あらためてキュレーターのキュレーションや作品の意義や位置づけが問われていくのだ。

現代美術における作家とキュレーターの関係

 現代美術の場合、作家が現役で活躍していることも多いので、展覧会に合わせて新作を作ってもらう、ということもできてしまう。ときには、評価が定まっていない作家の作品を展示することもあり、若手の作家にお願いすることは、最後まで結果が見えないというリスクも大きい。これは近代美術までのキュレーションとの大きな違いである。既存のものを見いだし、ときには全く新しい文脈から光を当てて選ぶという行為までは近代美術までの美術も現代美術も変わりないが、現代美術の場合、それに加えて、新しく作り出すという行為が可能になってくるのだ。そうしたプロセスにおいて、まさに展覧会で「作品」を「作品」として位置づける行為は、ある種作家とキュレーターによる共同作業になっていくとともに、緊張関係を生み出す。
 1990年代に入って、特に現代美術の展覧会でキュレーターの役割が世界各地で急激に台頭してきたなかで、ヴェネチア・ビエンナーレやドクメンタといった大型の国際展を華々しく取り仕切るキュレーターは、「スター・キュレーター」ともてはやされた。そのスター・キュレーターに選ばれる作家はスター・アーティストと呼ばれ、国際展の常連組となり、作品が高値で取り引きされ、世界の名だたる美術館で展覧会が開催されていった。そうした国際的な舞台で活躍するにはスター・キュレーターのお眼鏡にかなう必要があり、そうしたキュレーターと「ワイン&ダイン(食事やお酒を一緒に飲んで仲良くする、の意)」するのが作家として成功への近道であるかのように揶揄されることも多かった。その一方で、そうした作家とキュレーターのパワーゲームに異を唱えるように特に2000年代以降、「アーティスト/キュレーター」と呼ばれるキュレーションを自ら積極的におこなうアーティストが登場したり、複数のキュレーターが一つの展覧会を作る共同キュレーションの試みなど、既存の一人のキュレーターがすべてを取り仕切る形とは異なる新しいキュレーションの方法が次々と実践されている。あるいは、従来の美術の展覧会の枠組みではなく、社会的な問題意識から、アーティストなどが自発的にプロジェクトを立ち上げるなど新たな方法論を模索する試みも近年増えている。例えばアーティスト集団のwah document(ワウ・ドキュメント)は、東日本大震災後の東北の被災地に赴き、子どもたちとワークショップを通してお手製の映画館を作った(7)。あるいは、詩人の上田假奈代が主宰するNPO法人のココルームは、日雇い労働者や路上生活者が多く住む大阪のあいりん地区・釜ヶ崎で「釜ヶ崎芸術大学」という名の地元の「おじさん」たちを対象とした狂言、書道、音楽、美術、天文学など幅広いジャンルを扱う市民大学、ワークショップを継続的に実施している(8)。
 こうしたさまざまな新しい試みは、「作品」を「作品」として位置づける行為が、これまでアーティストが「作品」を創り出し、キュレーターがそれを「展示する」という前提に成り立つ行為であったことを浮き彫りにする。と同時に、近年のキュレーションのあり方の見直しや、観客やコミュニティーが作品制作のプロセスに大きく関わるなかで「作品」を創り出し、それを「作品」として位置づける行為の主体者が必ずしもアーティストやキュレーターとはかぎらないという、現代美術ならではの状況が発生している。
 これまで見てきたとおり、展覧会は、確かに作品を「作品」と定義づけ、美術の文脈のなかに位置づける装置であったと言える。だが、その担い手については誰が「作品」を創るのか、という問いも含めて、あらためて考える必要がある。「作品」が「作品」として成立するときについて、本ギモンでは主にキュレーターの立場から考えてきたが、次のギモンでは、視点を変えて、観客とアーティストの立場からもう一度考えてみることにしよう。


(6)ボリス・グロイス「多重的な作者」齋木克裕訳、『アート・パワー』石田圭子/齋木克裕/三本松倫代/角尾宣信訳、現代企画室、2017年、151ページ
(7)詳しくは「wah in 東北 9日間の活動レポート」(「wah document」〔http://wah-document.com/blog/2011/07/wah-in-東北%E3%80%809日間の活動レポート/〕)を参照。
(8)釜ヶ崎芸術大学については下記を参照のこと。「NPO法人こえとことばとこころの部屋cocoroom」(http://cocoroom.org/釜ヶ崎芸術大学・大学院2019/)。なお、釜ヶ崎芸術大学は、2014年の横浜トリエンナーレに作家として参加している。

 

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旅が流れ着く場所――『お遍路ズッコケ一人旅――うっかりスペイン、七年半の記録』を書いて

波 環

 これを書いているのは2020年4月18日です。全都道府県を対象に新型コロナウイルス対策としての行動自粛要請が発表されて2日目です。世界中が緊張感で満ちています。そんな世の中に、あれよあれよという間に本書を出版しました。
 いまは、このタイミングで出版することがお遍路のゴールだったように思えています。お遍路を歩いているときのゴールは八十八番札所でした。歩き終わったあとは、終える気持ちを成仏させるために書き留めておこうと思いました。書いた先にこんな世の中が待っていました。
 思えば、1冊目(『宝塚に連れてって!』青弓社)を出版した22年前は妊娠中でした。ちょうどつわりがひどい時期に校正などをおこない、何でこんなことになったのか、そもそも自分から始めたことなので、どうもこうもないのですが、考える暇もないほどで、その先に本ができあがってきました。その本をもって私は、宝塚が大好きなおねえちゃんから、母親になりました。書くことでおねえちゃん時代を卒業したように思います。
 そこから30代は子育てと仕事で記憶なし。保育所や学童保育と会社と家の三角移動で10年ほど過ぎました。荒っぽく育てた息子は、そのうちに自分でごはんを炊けるようになっていました。彼がごはんを炊いたりカップ麺にお湯を入れたりできることを確認したころに東日本大震災があって、お遍路を歩き始めたという経緯は本書に述べたとおりです。
 東日本大震災→お遍路→本書という時間の流れがあるのですが、絶妙な、このタイミングしかないというところで出版できたと思っているのです。しばらくはスペインには行ける気がしませんし、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂も巡礼事務所も閉鎖になっていると聞きます。お遍路もしかりで、札所のお寺は参拝の受け入れを中止したり大きな法会をとりやめたりしているようです。タイミングとしては、巡礼もお遍路もぎりぎりセーフだったのです。
 さあ、こんなあとから考えると何もかもぎりぎりセーフの本書ですが、出版までの作業もぎりぎりでした。入稿したのが2月末。私が住む北海道は、早くから行動規制が始まっていて引きこもり生活は原稿執筆にぴったりでした。2月のころはまだ、3月になったら上京して青弓社を訪ねて打ち合わせをしようと日程を調整していました。が、みるみるうちにそれはかなわなくなりました。3月は飲食店への出入りも自粛になってきましたので飲み会もなくなり、今度は校正作業の日々。青弓社から「印刷所に入れましたので、来週からは当社も基本的には在宅勤務です」という連絡を受け取ったときには本当にありがたく思いました。青弓社のみなさんも、印刷所の方々も、デザイナーの和田悠里さんもカバーイラストを描いてくださった霜田あゆ美さんも、日々のリスクのなかで完成までたどり着いてくださったものになりました。
 出版について友人たちに触れ回ったときにいちばんに予約をしたと言ってくれたのは、看護師をしている2人の友人でした。それぞれ専門的な分野の仕事をしていて、いまは緊張の日々です。そんななか、届くのが楽しみだと言ってくれた2人に本書を届けることができて本当によかった。土曜の夜に食べるチョコレートのように、少し笑ってくれるのなら何かの役に立てる気がする。マスクを作ったり募金を集めたりするようなことはできませんが、長い旅のゴールに届けるものができたことは幸せです。本書には16歳のころから出会ってきた人たちがたくさん登場しています。しばらく会えないことになるかもしれない彼らにも、私からの長い長い手紙を届けることができました。
 本書を手にしてくださる方たちにも、長い手紙、長いおしゃべりをするつもりで書きました。会ってお話をするということさえ、あらためて貴重な時間であることをみんなが知りました。
 飛行機も列車も運行が減り、買い物に出ることさえはばかられるような時期に世の中に出ることになった本書、ましてや旅の本は不運なのか幸運なのか。それはまた何年かあとにわかるでしょう。どんなゴールが待っているのでしょう。本書で書いたように、私は執念深いようなので会って時間を忘れて長々と話せる日常が戻ることを諦めることはありません。それまではどうか四国の川の流れやスペインの風を想像しながらご一緒にそのときを待っていただけるよう、本書をお届けします。

 

第26回 コロナウイルス蔓延による休演に思う

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 猛威を振るう新型コロナウイルスの蔓延は宝塚歌劇団にも甚大な影響を与え、公演の中止が相次ぎ、6月1日刊行予定の『宝塚イズム41』の編集作業にも支障が出始めています。突然の公演中止で、公演評執筆者が公演を観ることができなくなったり、公演それ自体もなくなってしまうという事態が発生しているのです。しかも、東京や大阪に緊急事態宣言が出され、東西の移動がままならないことも編集作業のネックになっています。とはいえ、新しい執筆者の参加もあって何とか形が見えてきたきょうこのごろです。

 ことの始まりは2月28日の閣議でのイベント自粛要請でした。宝塚大劇場では星組の礼真琴、舞空瞳トップ披露公演『眩耀の谷――舞い降りた新星』と『Ray――星の光線』の上演中。25日には碧海さりお主演による新人公演が満員の盛況でおこなわれたばかりの直後の金曜日。横浜港に停泊していたクルーズ船内での感染が連日ニュースで伝えられていたころで、脅威はまだそれほど身近ではありませんでした。しかし、和歌山や北海道での感染が伝えられるに至っての自粛要請でした。
 歌劇団は28日、他の劇場よりも先んじて翌29日の土曜日から3月8日までの全公演の休演を発表。宝塚大劇場星組公演、東京宝塚劇場雪組公演、名古屋御園座月組公演、東京建物Brillia HALL月組公演が対象になり、月組の2公演は公演半ばでの突如の打ち切りとなってしまいました。大劇場と東京宝塚劇場は休演期間中に劇場内を完全消毒、観客全員の検温装置を完備して再開に備え、9日は大劇場の星組公演千秋楽。東京宝塚劇場は休演日だったため、翌10日から大劇場と同様の態勢で再開にこぎつけました。
 ところが、社会ではそのころからやっと自粛ムードが高まり始め、松竹系の各劇場が3月16日までの休演を決めたところだったので、宝塚歌劇の再開がテレビのニュースやワイドショーで大々的に取り上げられ、ネットなどで「なぜ宝塚だけが再開するのか」などと批判が殺到し、再開を心待ちにしていたファンの喜びをよそに、結局、東京宝塚劇場は10、11日と2日間再開しただけで再び休演。大劇場は13日から開幕するはずだった新トップスター、柚香光のトップ披露の花組公演『はいからさんが通る』の初日を20日まで1週間延期することを決断、東京宝塚劇場とともに19日までの休演を発表しました。
 しかし、感染は終息どころかますます拡大するばかりで、政府は3月20、21、22日の外出を自粛するよう要請、再び公演を中止せざるをえなくなり20、21日の2日間延長を発表、大劇場花組の初日は22日と発表されました。その日が東京宝塚劇場雪組公演の千秋楽だったこともあります。
 大劇場の3月21、22日は2回公演でしたが、そのうち2公演が貸し切り公演で、早くからキャンセルになっていて休演することになっていたこともあって結局、月末の31日まで延期がずれこみました。しかし東京宝塚劇場だけは公演を決行。全国映画館でのライブビューイングを中止、そのかわりにCS放送の宝塚専門チャンネル「タカラヅカ・スカイ・ステージ」での生中継に踏み切りました。
 望海風斗は千秋楽の舞台を終えた後、「舞台はお客様があってこそということを改めて思い知りました。このようなときに観にきてくださったすべての方に感謝するとともに、大変な苦労の末、私たちにこの機会を作ってくださった関係者のみなさんの努力に対してこの場をお借りして感謝の念をお伝えしたい」と涙を浮かべてあいさつしたのが印象的でした。3月22日のこの公演から、宝塚歌劇はまだ上演されていません。
 花組公演『はいからさんが通る』はその時点で4月2日初日(1日は休演日)の予定で準備を進めていましたが、新型コロナウイルスの感染はさらなる拡大傾向をみせはじめ、3月30日になって4月12日まで『はいからさん』も含めた全公演の中止を発表しました。『はいからさん』の初日がまたまた延期になったほか、もともと27日開幕予定だった東京宝塚劇場の星組公演『眩耀の谷』『Ray』の初日がさらに延期、真風涼帆主演の宙組TBS赤坂ACTシアター公演『FLYING SAPA――フライング サパ』も初日がずれこみ、桜木みなと主演の宙組公演『壮麗帝』東京公演は全日程中止になってしまいました。当初1週間ぐらい自粛すれば大丈夫だろうと考えていたふしがあるのですが、少しずつずれこんで気がつくと1カ月の休演になってしまいました。そして4月7日、緊急事態宣言が出る直前に、期限を切らない公演の中止に踏み切りました。
 宝塚歌劇が公演中止に追い込まれたのは、106年の歴史のなかで初めてではありません。最初は、まだ草創期の1923年、東京公演が成功するなど人気が沸騰して宝塚パラダイス劇場だけでは手狭になり、箕面の公会堂劇場を宝塚に移設して2劇場で上演をするようになった矢先、失火で2劇場とも焼失するという大事故が起こりました。創始者の小林一三はそれを前向きにとらえて4,000人収容の宝塚大劇場を建設。約2カ月間の休演を余儀なくされました。その間、歌劇団は全国で巡回公演をおこなっています。次は44年4月から46年4月まで、太平洋戦争末期から戦後にかけての2年間にわたる休演です。そして95年1月17日に発生した阪神・淡路大震災のときです。このときは3月31日の再開まで約2カ月、宝塚大劇場とバウホールが休演しましたが、シアター・ドラマシティや東京宝塚劇場、名古屋の中日劇場での上演は予定どおりでした。それを考えるとこの事態はまさに戦時中以来ということになります。

 ウイルス感染の脅威が、人々の生命と生活にこれほど大きな影響を及ぼしたことが、かつてあったでしょうか。「不要不急」という言葉で文化すべてがなくなっていく現実は、まさに戦時下を思わせます。人の命の尊さにはあらがうことはできませんが、必死で舞台づくりをしている人々の努力が無に帰すのはなんとも切ないかぎり。ニュースによると、ヨーロッパ各国では国が要請して公演を中止した劇場の従業員や俳優には全額とは言わないまでもかなりの補償金が支払われるといいます。自粛だけ要請して「補償はできない」と堂々と言ってのける国のトップの無神経さがたまりません。それだけではなく、マスコミの報道も毎日あきもせず同じことばかり。政治家ともども文化的水準の低さが改めて浮き彫りになり、言ってもむなしいとわかってはいても愚痴のひとつもこぼしたくなります。
 ますます深刻さの一途をたどる新型コロナウイルスの感染拡大ですが、一刻も早い終息を願うばかりです。

 

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「乃木坂46論」書籍化のお知らせ

[青弓社編集部から]

香月孝史「乃木坂46論」のコンセプトを踏襲して全面的にアップデートし、新たに書き下ろした単著を刊行いたします。

ご興味がある方はお手にとっていただければ幸いです。

香月孝史
『乃木坂46のドラマトゥルギー――演じる身体/フィクション/静かな成熟』
定価2000円+税 2020年4月25日刊行予定 ISBN978-4-7872-7431-1

ギモン3:何を展示するの?(第1回)

第1回 展覧会における「作品」とは?

難波祐子(なんば・さちこ)
(キュレーター。東京都現代美術館を経て、国内外での展覧会企画に関わる。著書に『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーターという仕事』〔ともに青弓社〕など)

 これまで「展覧会」という時空間についてさまざまな角度から見てきたが、ここで基本に立ち返って質問を一つ。展覧会では何を展示しているのだろうか。そりゃぁ、「作品」に決まってるでしょ、とおそらく大半の人は躊躇なく答えるにちがいない。そもそも人は「作品」を観に展覧会に行くわけだし、それは映画館に映画を観にいったり、コンサートホールに音楽を聴きにいくのと同じくらい自然なことのように思われる。だが、ゴッホやモネ、ルノアールなど近代美術あたりまで美術館や展覧会で当たり前のように鎮座していた「作品」の「当たり前感」が、現代美術では、デュシャンを機に著しく崩壊あるいは変容しつつあることは、本連載をこれまで読んでくださったみなさんにはもうおわかりいただいていることだろう。展覧会に「作品」を展示するというよりも、ある意味、美術館や展覧会に展示してあるから「作品」が「作品」として成立する、という一種の逆転現象が現代美術の場合、多発している。本連載の冒頭で、「作家が作品を作るように、キュレーター、あるいは学芸員と呼ばれる人たちは、展覧会を作る」とさらりと述べた。キュレーターの仕事の要になるのは、展覧会に一体何をどう展示するのか、ということに尽きるだろう。
 今回のギモンでは、作品はどのように「作品」となるのかについて、キュレーターの立場から考えてみよう。具体的には、美術の展覧会で私たちが普段、至極当たり前のように見ている「作品」について、なかでもとりわけ現代美術特有の事情を抱えた「作品」の展示について、主に次の2つのキュレートリアルな視点からあらためて考えてみたい。まず1つ目は、「作品」を「作品」として展覧会のなかで位置づける行為について、そして2つ目は、「作品」を展覧会のために選ぶという行為について考える。どちらも「作品」を展示するにあたってキュレーターが大きく関わる行為であり、それが特に現代美術の場合、近代までの美術の展示では見られなかったようなさまざまなギモンを呈する。さて、何がどう問題なのか、これから一つひとつ具体的に見ていこう。

「作品」が「作品」になるとき

 まずここであらためて私たちが普段、現代美術の展覧会で「作品」を鑑賞するときのことを思い起こしてみよう。近代までに制作された絵画や彫刻などなら一目で「作品」と判別できるのに、現代美術となると、「これが作品?」「え、これも作品?」と途端にわかりにくくなってしまうのはなぜだろうか。言葉は悪いが、正直、一見ゴミみたいなものも「アート」だったりすることも少なくない。展示室内にあればまだしも、屋外のインスタレーションを中心とした展覧会になってくると、一体どこに作品があるんだ、となかなかに紛らわしい事態が発生する場合もある。逆に無造作に道端に積まれたバケツなどの日用品が、その色合いや積まれ具合が絶妙な味を醸し出して「これって現代アートじゃん」と言われそうになることだってあるだろう。さらにモノの展示ならまだしも、ハプニングやイベント、パフォーマンスなど形に残らない作品の展示になってくると、混迷を極める。例えばティノ・セーガルの『This is Propaganda(これはプロパガンダ)』という作品は、展示室に観客が足を踏み入れると、看視員に扮した人がおもむろに「This is Propaganda, you know, you know.(これはプロパガンダ、知ってるでしょ、知ってるでしょ)」と歌う。こうなってくると、もう気づく人は気づくが、それが「作品」なのかどうかよくわからずに通り過ぎてしまう人が続出してもおかしくない。展覧会場で作品を鑑賞するというときに、私たちは一体どこでそれが「作品」だと判別しているのだろうか。
 MoMAが建築やデザイン、映画、写真などを美術館で展示してコレクションにも加えることで、それまでアートと目されなかったものがアートの文脈に位置づけられてきたことは、ギモン1ですでに見てきたとおりだ。このように美術館や展覧会で何かを展示するという行為は、それを「作品」として美術の文脈に位置づける行為になる。現代美術は、領域横断的な性格を近年ますます強めていて、視覚美術にとどまらず、音楽やファッション、建築などの他ジャンルの芸術、あるいは科学や人類学、社会学、工学、医学、福祉などの芸術以外の分野と横断・協働する作品や展覧会が増加の一途をたどっている。これらの試みのなかには、従来の絵画や彫刻といったモノによるアウトプットだけではなく、地域のコミュニティーを巻き込むようなプロジェクト型になっていたり、最終的な形にはこだわらず、そのときどきの行為やプロセスを重視した形がない「作品」もたくさんある。多様化する現代美術で、「作品」や「アート」の概念は常に再定義を迫られる宿命にある。そもそも現代美術自体、何が「作品」なのか、何が「アート」なのかを開拓、挑戦し続けていくことを本分としているようなところもある。良く言えば懐が深いのだが、下手するとなんでもアリになってしまう危険もはらんでいる。そうした状況のなかで、ホワイト・キューブという展示空間や展覧会という枠組みで「作品」を「作品」として位置づけるのが、キュレーターの大事な仕事の一つである。では具体的に、キュレーターはどうやって「作品」を「作品」として位置づけているのだろうか。

逆パルメザンチーズ再考

 ホワイト・キューブの展示空間の場合は、そこに置かれているだけで「作品」と認識されやすい、というのはギモン1でも見てきた。だが、「作品」はただ展示室にポンと置かれているだけで自動的に「作品」と認識されるとはかぎらない。デュシャン の『泉』を思い出してみると、単に男性用小便器を展示室に持ち込んだだけであれば「作品」とはならないし、あんな一大事件にもならなかった。便器が「作品」になったのには、まず「泉」というタイトルをつけて、制作年と作家によるサインを添え、「展覧会」に出品し(実際には出品されなかったわけだが)、展示台にひっくり返して展示をする、という一連のこまやかな展覧会での決まりごとを経て、さらにそれについて美術雑誌で評論を掲載する、というところまでを全部含めて「作品」が「作品」として美術史における歴史的大事件として位置づけられた。
 ホワイト・キューブという環境、あるいは「展覧会」という枠組みそのものは、「作品」を「作品」たらしめる一種の舞台装置である。この舞台装置で「作品」を「作品」として、よりわかりやすくする小道具がいくつかある。ここで本連載の初めに登場した「逆パルメザンチーズ」に再登場してもらい、作品の展示を構成していた小道具とその役割をいま一度整理してみよう。

「ほら、これ、なんか周り全部白いバックにして、白い台の上に置いて、ケースに入れて、その周りになんか紐みたいなの張って「入らないでください」とか「さわらないでください」って書いてさ、で、四角い紙みたいなのに「〇〇〇〇(自分の名前)」って書いて、「この作品は、現代社会をいままでの発想とは真逆の発想で捉えることを表している」とかって説明書けば終わりじゃん」

 まず「周り全部白いバック」が舞台となるホワイト・キューブ空間とすると、「白い台」と「ケース」がそれぞれ小道具の筆頭となる展示台と展示ケースになる。平面作品ならば、額も同じ部類の小道具と言える。これらは作品を保護すると同時に、壁や床に作品を展示することを可能にし、展示室内での作品の位置を明確に示してくれる。もっとも現代美術の場合は、額装されていない平面作品も多いし、展示台を使わないで床に直接配置するような立体作品も多い。次に「周りになんか紐みたいなの張って」いるのが「結界」と呼ばれるもので、ワイヤー状のものや金属製のバーなどがある。これも作品を保護したり、逆に作品によって観客がけがをしたり服を汚さないようにするなど観客を保護する役割がある。そしてこれらの小道具のなかでその最たるものが「四角い紙みたいなのに」あれこれ書いてあるキャプションだ。キャプションというのは、通常、白い四角いパネルなどに黒字で印字してあるもので、作家名、作品タイトル、制作年、素材・技法などを明記して作品のそばに掲示されている。ときには簡単な作品解説などのウォールテキストが別途添えられていることもある。屋外の展示の場合でも、立て看板のようになっているものや、長期的な展示の場合は、金属製のプレートなどで作られて台座などにしっかりと設置されているものもある。

キャプションをつける

「キャプション」という用語は知らなくても、ここまでの説明で「あぁ、あれね」と思い当たる人も多いだろう。あんな小さな四角い紙切れみたいなものが、そんな大事な小道具なのかと思う方もいるかもしれない。だが、おそらくいまこの文章をお読みになっているあなたも、作品だけを観て、キャプションにあるタイトルや作家名を確認せずに展示室を後にすることは少ないのではないだろうか。例えばルーヴル美術館で『モナ・リザ』の絵を観て、そこに「モナ・リザ」という作品名と「レオナルド・ダ・ヴィンチ」という作家名を記したキャプションを見て、「あぁ、いま、自分はあの『モナ・リザ』を観ているのだ」と確認する人は案外多いのではないだろうか。あるいは、近年日本でも人気が高まっているフェルメールの展覧会に行くと、そもそも現存する作品が30数点という寡作で知られるフェルメールの作品は、大抵フェルメール以外の画家の作品と一緒に展示されている。そこで人だかりができるのは、やはりフェルメールの作品だ。人々はキャプションをチェックして、似たような作風の同時代の他の画家の作品には目もくれず、「フェルメール」と記されたキャプションを確認して熱心にそのキャプションが示す作品に見入る。作家名をキャプションで認識するという行為、またそれが自分の知っている作家なのかどうかを確認する行為は、現代美術作品の場合でもよく見られる光景だ。いわば、私たちはキャプションとセットで作品を鑑賞している。こうした作家名や作品名など、作品にまつわる情報を一枚のキャプションの形で整えて展示室に作品と一緒に掲示するのは、キュレーターである。このキャプションは、作品を鑑賞するうえで多くの人がその解釈の手がかりにするものであり、作品が作品として展覧会のなかで位置づけられるプロセスを目に見える形で示す。このキャプションのなかに記されている一つひとつの要素をここで見ていきたい。

キャプションを構成する要素

 まずは作家名だが、通常は、作家名に加えて出身地や活動拠点、並びに生没年を添えることも多い。この情報だけで、その作家を知っているかどうか、ということだけでなく、その作品はどういった場所で活動した(あるいは活動している)作家の手によるものなのかがわかる。また制作年を見ながら、その作家が何歳ぐらいのときに作られたものなのか、どういった時代背景の際に作られたものなのか、といったことが明らかになる。
 そしてキャプションに記載された情報のなかでも、その作品を解釈するうえで最大の手がかりになるのが作品タイトルだ。作品タイトルをつける行為自体は作家によるものだが、キャプションにそれが示されることで、観客は目の前の作品とキャプションを見比べながら、それが何を表そうとしているのかをあれこれ想像することができる。作品の実物を先に見て、次にキャプションのタイトルを見てから、再びその作品の内容について考える人も多いだろう。

作品タイトルいろいろ

 作品とタイトルの関係については、古典的な例としては、ベルギーのシュルレアリスト画家、ルネ・マグリットの『イメージの裏切り』(1928―29年)を思い起こす人もいるだろう。喫煙具のパイプの絵の下に「Ceci n’est pas une pipe(これはパイプではない)」とフランス語の文章が添えてある一枚の油彩画である。絵柄としては「パイプ」だが、「イメージの裏切り」というタイトルが示すとおり、それはパイプではなく、一枚の絵にすぎない。マグリットのこの作品については、フランスの哲学者ミシェル・フーコーが著書『これはパイプではない』(1973年)で言葉と物の関係について主題的に論じているので、ここでは割愛したい。だが、作品の主題を読み解くうえで、言葉と物の関係は切っても切れないこと、また作品タイトルは実に多くのことを示唆することが、マグリットのこの一枚の絵からも想像できるだろう。
 現代美術作家たちも、作品に実にさまざまなタイトルをつけている。例えば、1970年に大阪万国博覧会のペプシ館を水を使った人工の霧で覆った『霧の彫刻』で有名な中谷芙二子は、これまで手がけた霧の作品タイトルに必ず「国際地点番号」と呼ばれる5桁のアラビア数字を付している。これは、世界各国にある観測所に一つずつ割り当てられた番号で、各地点で観測された気象情報は、この番号とともに各国気象機関の世界的なネットワークで共有される。例えば、インド洋に浮かぶ大小1, 200ものサンゴ礁の島々からなるモルディブ共和国の首都マレの国際地点番号は43555である。同地の国立美術館に隣接する緑豊かな公園に出現した作品は、『霧の彫刻#43555「モルディブの雲樹」』と命名された。霧は、風や人の流れ、温湿度、光などによってその表情を刻々と変化させる。筆者が2012年にモルディブで企画した展覧会では、中谷は現地の気象台を訪れ、年間を通したマレの温湿度、風向や風速などの精密なデータを調べた。そして年間平均気温が30度前後という気象条件で、霧を見ることがないモルディブで人工の霧を出現させた(1)。あるいは、08年の横浜トリエンナーレの際に横浜市内にある有名な日本庭園である三渓園で発表された作品は、その外苑のいちばん奥にある人工の滝がある場所に設置され、『「雨月物語―懸崖の滝」 Fogfalls #47670』と題された。自然の物語を語る風の化身として、変幻自在に舞う霧を「雨月物語」になぞらえ、最後に横浜の国際地点番号が付されている(2)。中谷の霧は、芸術であると同時に科学的な眼差しに貫かれていて、それはそのタイトルにも色濃く反映されている。
 一方で1950年代半ばから70年代初頭にかけて関西を中心に活動した前衛美術グループ、具体美術家協会(通称「具体」)の作家たちの作品タイトルには、「無題」や「作品」などほぼタイトルらしいタイトルがつけられていないケースが多い。これは文学的な題名を嫌ったリーダーである吉原治良の意向によるものということだが(3)、具体のメンバーたちの作品タイトルは、押し並べて「作品」「無題」といったものが多い。例えば、具体の主要メンバーの一人、田中敦子は、エナメル塗料でカラフルな円と曲線で構成された絵画を数多く制作したが、そのほとんどが「無題」か「作品」だけ、あるいは「作品 66-SA」「WORK 1964」など、「作品」や「WORK(英語で「作品」、の意)」という言葉の後に制作年を表す数字やアルファベットを付しただけのタイトルにとどまっている。その昔、田中敦子の個展(4)の展覧会カタログの編集のお手伝いをしたことがあったが、とにかく作品を同定するのが大変で、作品画像とサイズ、制作年を必死に照らし合わせる羽目になった。キャプションも「作品」というタイトルと制作年だけ、素材もほぼ同じであるため、間違わないようにつける必要があるが、キャプションがついたところで、観客にとっては、「無題」や「作品」のほかは制作年が異なるぐらいなので、ただひたすらに目の前の絵画に向き合うしかない。既成の絵画や彫刻の概念を解体しようとした具体の意図に鑑みれば、作品につきもののキャプションにタイトルを付さず、ただそこに表現された作品をなんの先入観も与えずに観客に提示するというのは、誠に理にかなってはいるものの、私たちがいかに普段、タイトルを手がかりに作品を鑑賞しているかをあらためて認識させられる。
 このようにタイトルがつけられていないキャプションというのは、鑑賞者にとってはなかなか手強い相手だが、これとは真逆で、岡崎乾二郎は、一編の詩のように長いタイトルをつけることで知られる。岡崎の絵画作品のなかに、2枚1組になっているアクリル絵の具で描いた抽象画のシリーズがあるが、同じ大きさのカンヴァスの左と右でそれぞれタイトルがついている。例えばセゾン現代美術館所蔵の2001年に制作された作品は、左が「平面ばかりつづいて家のひとつもない真一文字の道を猛スピードで走っていれば、なおさら気分も座ってくる。この道や行く人なしに秋の暮。日除けの陰で顔は緑に蔽われ、そのくせ眼の輝きはまっすぐ向こうを見つめている。野菜が少なかろうと海で魚がなかろうと恐れるにたりない。米を一粒播くとかならず三百粒の実をつける」、右が「それを辿れば間違いなく家に戻れる一つしかない煉瓦敷きの道をゆっくり歩いていれば、どっと笑いがとまらない。やがて死ぬ景色は見えず蝉の声。陽の光をさんさん受けた気楽な世界のただ中で影に包まれ、爪先だって歩いている。自分が茄子であるのか南瓜であるのか分らなくてもよい。一生のうちに一回きっと蝶は飛んでくる(5)」という具合である。描かれた絵画自体は、色とりどりの絵具をコテのような形状のペインティングナイフで画面にのせて押し広げたり、絵具の盛り上がりをナイフで丁寧に造形したりした痕跡がわかるようなリズミカルな画面となっている。左と右とで見比べると、同じようなパターンが色の組み合わせや大きさなどを変えたりしながら、左右の同じ位置や、異なる位置にそれぞれ配された画面構成となっている。タイトルのほうは、左と右の文字数は合わせてあるが、それぞれの文章は関連があるようで、ないようで、一つの物語と、もう一つ別のありえたかもしれない物語のように左右のタイトルの関係性について考えさせられる。二枚一組の絵と、左右で対になっているタイトルの文章を鑑賞者は見比べながら、しばし反芻する。岡崎の絵とタイトルは、このように同じような重きを持って鑑賞され、キャプションと言えど、それは単なるタイトルを示す小道具の域を超え、もはや作品の一部となっている。
 と、少々脱線したが、作品タイトルにかける(あるいはあえてそれを意識させないようにする)作家たちのこだわりは、それだけタイトルが作品で非常に重要な役割をもっていることを端的に示している。もっとも、現代美術の場合、展覧会に向けて新作を発表する作家も多く、オープンギリギリまでタイトルが決まらなくて、キュレーターは冷や冷やさせられることもしょっちゅうだ。また作家のほうも、やっと決まったタイトルを時間がたつと忘れてしまったり、あとから変更してしまうことも少なくない。と、なんとも悩ましいものではあるが、作品にとってタイトルは不可欠な存在であり、そんなタイトルも、キャプションがなければ、観客はその作品がどういうタイトルなのか、誰による作品なのか、皆目見当がつかない。つまり、展示室で、ただ作品が置かれるのではなく、キャプションにそのタイトルと作家名が示されることで、「作品」が「作品」として位置づけられることは間違いないだろう。狭い会場であれば、ときに壁にはキャプションをつけずに、会場マップを別途用意してそこにタイトルがまとめて付されていることも珍しくない。ただいずれにせよ、私たちは、普段、タイトルや作家名を見ることなく作品のみを見る、ということはしない。
 ちなみに先に紹介したセーガルの場合は、実は、展示室内にキャプションをつけること自体を許さない。さらに作品を写真や動画で記録することもご法度であることで知られている。これは、キャプションを軽視しているのではなく、展覧会や美術館という枠組みのなかで「作品」を展示する際にいかにキャプションというものが作品を作品らしく見せているか、また、そうした枠組みのなかで作品を展示するという行為そのものに対する痛烈なインスティチューショナル・クリティークとなっている。

 さて、ここまでは「展覧会に一体何をどう展示するのか」ということについて、キャプションなどに象徴される作品展示にまつわる物理的な設えを中心として見てきた。だが、「作品」を「作品」として位置づけるうえでさらに大切なキュレーターの仕事がある。それは、その「作品」を美術の文脈のなかに位置づける、という論理的な設えだ。逆パルメザンチーズのエピソードで言えば、最後の部分、「「この作品は、現代社会をいままでの発想とは真逆の発想で捉えることを表している」とかって説明」を書く、という部分である。つまり、作品に関するテキストを書く、作品について論じるということである。テキストというとカタログを思い浮かべる人もいると思うが、カタログそのものについては、また追ってのちほど少し考える機会をもちたい。ここでは展覧会のためにある作品を選んで、それについて説明する、テキストを書くということについて次回考えてみよう。


(1)難波祐子「呼吸する環礁(アトール)――連なりの美学」、国際交流基金『呼吸する環礁(アトール)――モルディブ 日本現代美術展』所収、国際交流基金、2012年、59ページ
(2)『横浜トリエンナーレ2008カタログ――time crevasse』横浜トリエンナーレ組織委員会、2008年、197ページ
(3)加藤瑞穂氏へのメールによるインタビュー、2019年11月6日
(4)「田中敦子――アート・オブ・コネクティング」(2011―12年)、アイコンギャラリー(イギリス)、カステジョン現代美術センター(スペイン)、東京都現代美術館を巡回。
(5)岡崎の作品画像とタイトルは以下の記事を参照のこと。影山幸一「デジタルアーカイブを開始した美術家「岡崎乾二郎」」「artscape」(http://www.dnp.co.jp/artscape/artreport/it/k_0602.html

 

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第25回 礼真琴と柚香光、お披露目公演への期待

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 105周年という節目の年に星組の紅ゆずる、花組の明日海りおという人気トップスター2人が連続退団して、大きな穴がぽっかりあいたような寂寞感が残るなか、宝塚歌劇は2020年を迎えました。年頭の小川友次理事長の会見によると、紅と明日海の退団もあって観客動員はさらに伸びて、19年は280万人を超え、史上最高の記録を達成したそうです。近年、力を入れているライブビューイングも明日海の千秋楽は全国で6万人の新記録になったといいます。東京宝塚劇場のチケット争奪戦はより深刻で、転売によるトラブルが後を絶たず、100周年以降の宝塚人気が頂点に達したかのようです。
 2人の人気スター退団後、この好調をどのように持続するかが2020年の大きな課題ですが、トップスターが退団しても、すぐそのあとに新たなスターが生まれ、新たな時代が始まるのが宝塚歌劇。この繰り返しで宝塚歌劇は105年間にわたる盛況を保ってきました。現に1月には花組の新トップスター・柚香光がお披露目公演『DANCE OLYMPIA』を東京国際フォーラムで華々しくスタートし、連日満員の人気で熱気あふれる舞台を繰り広げました。
 スターの新陳代謝の繰り返しこそがほかの劇団にない宝塚歌劇の特徴です。誰が次のトップになるか、中身よりもそんな人事的興味だけで宝塚歌劇が楽しめることは誰もが納得するところです。昨今のSNSの普及とともにファンによるスターの青田買いはますます過熱しているようです。
 ということで、トップスター2人が退団するということは2人の新トップスターが誕生することにつながるわけで、次代のスターがどのように成功するかが、宝塚存亡の鍵にもなるわけです。それだけにトップお披露目公演の選択は宝塚歌劇の今後を占う重要なものになります。お披露目公演はサヨナラ公演と違って客足が思ったほど伸びないというのもこれまでの通例です。宝塚ファンには早くから知られているスターでも、宝塚ファン以外はトップスターになったときにはじめて名前を知る新人。よほどのインパクトがないと都会から遠く離れた2,500人収容の宝塚大劇場に、宝塚ファン以外を巻き込んで連日満員にすることは至難の業なのです。
 そこで近年は、新トップのお披露目公演には宝塚ファン以外にもよく知られる大作の再演をぶつけて新トップを作品面で応援することがセオリーになっています。観客動員が好調に推移している100周年以降の新トップお披露目公演を振り返ってみてもこんなラインアップです。

 2014年8月、花組 明日海りお『エリザベート――愛と死の輪舞』
 2015年1月、雪組 早霧せいな『ルパン三世――王妃の首飾りを追え!』
    8月、星組 北翔海莉『ガイズ&ドールズ』
 2016年5月、宙組 朝夏まなと『王家に捧ぐ歌』
 2017年1月、月組 珠城りょう『グランドホテル』
    3月、星組 紅ゆずる『THE SCARLET PIMPERNEL』
   11月、雪組 望海風斗『ひかりふる路――革命家、マクシミリアン・ロベスピエール』
 2018年3月宙組 真風涼帆『天は赤い河のほとり』

 雪組の早霧せいなのお披露目公演が『ルパン三世』、望海風斗が『ひかりふる路』、そして宙組の真風涼帆が『天は赤い河のほとり』と新作です。しかし、『ルパン三世』『天は赤い河のほとり』は漫画がベストセラーでよく知られた作品ということを差し引けば、フランス革命の立役者マクシミリアン・ロベスピエールを主人公にした『ひかりふる路』が唯一オリジナルの新作で、それ以外はすべて再演の大作です。それ以前も月組の霧矢大夢が『THE SCARLET PIMPERNEL』(2010年)、花組の蘭寿とむが『ファントム』(2011年)、月組の龍真咲が『ロミオとジュリエット』(2012年)、雪組の壮一帆が『ベルサイユのばら』(2013年)とお披露目公演はすべて知名度がある一本立ての大作でした。
 新トップスターの大劇場お披露目公演が動員的に不安であることの証しですが、近年はそれを見越して、大劇場お披露目公演の前に、外箱公演で肩慣らし的なプレお披露目公演をおこなってある程度知名度を上げてから大劇場に乗り込むというのが通例化してきました。珠城りょうの『アーサー王伝説』(月組、2016年)、紅ゆずるの『オーム・シャンティ・オーム――恋する輪廻』(星組、2017年)、望海風斗の『琥珀色の雨にぬれて』(雪組、2017年)全国ツアー、真風涼帆の『WEST SIDE STORY』(宙組、2018年)という具合です。
 紅と明日海の後を継ぐ星組の礼真琴と花組の柚香光も例にもれず、プレお披露目公演が用意されました。礼が『ロックオペラ モーツァルト』(星組、2019年)、柚香が前述の『DANCE OLYMPIA』です。『ロックオペラ モーツァルト』は歌が得意な礼に合わせたロックミュージカル、『DANCE OLYMPIA』はダンスが得意な柚香のためのダンスコンサートと、2人の個性にぴったりの演目が用意されました。そして、大劇場のお披露目公演は礼が『眩耀(げんよう)の谷――舞い降りた新星』(星組、2020年)、柚香は『はいからさんが通る』(花組、2020年)です。
『はいからさんが通る』は、柚香が二番手時代に主演して当たり役になったヒット公演の再演ということで、柚香のための企画としてはうってつけだと思いますが、礼のお披露目公演になった星組『眩耀の谷』には少々驚きました。新トップのお披露目公演に動員数などが読みづらいタイトルの新作です。作・演出・振付を担当する謝珠栄の先祖に材を取った紀元前800年ごろの中国大陸を背景にしたオリジナルの新作。流浪の民・汶族を滅ぼした周は、新しく赴任した丹礼真に汶族の聖地〝眩耀の谷〟探索を命じるが、礼真はそこで美しい舞姫・瞳花と運命の出会いをして……というストーリーです。「新トップコンビ、礼と舞空瞳のために書き下ろした幻想的な歴史ファンタジー」というのが売り文句ですが、これは大きなチャレンジだと思います。3回の台湾公演を成功裏に終え、台湾や香港でのライブビューイングが盛況で、インバウンドの観客が増えていることで、アジア人向けに選んだ作品のような気もします。新トップコンビのお披露目公演としてどういう結果が出るか、今後の宝塚にとって大きな試金石になる公演のような気がしています。いずれにしても、100周年以来毎年動員数を記録更新しているいまだからしかできない冒険なのかもしれません。開幕は2月7日。大いに注目したいと思います。
 さて『宝塚イズム』では第40号刊行記念として、去る12月18日に東京・日比谷のHMV&BOOKS HIBIYA COTTAGEのイベントスペースで、橘涼香さんの司会でトークイベントをおこないました。狭いスペースに満席の70人の方々が参加してくださり、約1時間半の読者との初めての交流は盛況に終わりました。そのときにいただいたさまざまなご意見を参考に、次号の編集作業に取り組んでいきたいと思っています。本当にありがとうございました。機会があればぜひまた開催できればと思います。

 

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暴力のなかで生きた人・中村哲に思いをはせながら――『体罰・暴力・いじめ――スポーツと学校の社会哲学』を書いて

松田太希

 昨夜、出来上がった本書が手元に届いた。早速ページを繰ってみる。どういうわけか、自分が書いた書籍だとはうまく実感できなかった。夜、一人きりの家だったからかもしれない。今後、何らかの反響やコメントなどが届けば、きっと実感できるのだろう。
 当たり前のことだが、こういう本を書いたということは、体罰やいじめに関する研究者として見なされることになる。つまりこの本は、ある意味では、私の名刺である。しかし、そんな名刺をいったい誰が喜んで受け取るだろうか。多くの場合、警戒心を抱かれてしまうだろう。決して明るい話題ではないので、みんな、やはり難しい顔になってしまうのではないだろうか。
 ただ、本書でも繰り返し強調していることだが、私は、体罰やいじめを一刀両断に評価するのではなく、それらを徹底的に考え抜くために書いた。それは私の思考の可視化であり、それによる読者の思考の触発である。書籍は学術論文とは違い、一般の方にも届きやすい。困っている方々や、問題意識を共有できる人たちとの出会いを待ちたいと思う。
 本書では、「暴力をなくしたい」という直接的な表現を努めて控えたが、このコラムでは、その思いが思考の根底に強烈にうごめいていることをはっきりと表明しておきたい。
 とはいえ、このことを表明するのはずいぶん躊躇した。なぜなら、ある意味では素朴すぎるその願いが、場合によっては暴力現象の分析・考察を妨げ、あるいは、自分自身の暴力性を高める可能性があることを自覚していたからである。リード文に村上春樹の一文を引用したことには、その意味を込めている。しかし、結局はこうして表明したわけだが、その動機にはある日本人医師の悲劇的な死がある。中村哲の死である。
 私の実家はペシャワール会の会員だったので(現在は諸事情により会費を払っていない)、哲先生(彼の小柄な体格と人柄が私にこう呼ばせる)の存在は、昔から心の中にあった。その、アフガニスタンに身を捧げた人が、凶弾に倒れた。誤報か何かだろうと思った。しかし、そうではなかった。信じられなかった。そのとき、私は坂本龍一の「ZERO LANDMINE」を聴いていた。哲先生が建設した学校では、子どもたちが地雷の対処の仕方について学んでいる。坂本龍一は、「ZERO LANDMINE」の付録に、「人が殺されることのない世界を望むことは、果たして青くさい妄想なのだろうか?(略)全ては「希望する」ことから始まるのではないか?」と記している。そして、哲先生は、アフガニスタンの大旱魃とアメリカ軍ヘリからの機銃掃射というすさまじい暴力的状況のなかで、「武器ではなく命の水」を求め、現地の人々と日々、格闘していた。響き合う非暴力への願い。込み上げてくるものがあった。
 あるジャーナリストは、その記事で「哲先生が死に際して猛烈に悔しがっただろう」という趣旨の文章を記していたが、はたして本当にそうだろうか。「誰をも敵と見なさない」。哲先生は、あるインタビューでそう答えている。哲先生は、おそらく、静かにその死を受け入れたのではないか。「このときがきたのか」と。彼の『天、共に在り――アフガニスタン三十年の闘い』(NHK出版、2013年)を読めば、かの地に対する哲先生の深い慈悲があふれていることがわかる。悲しみは消えないが、哲先生はその死によって形而上的な存在になり、いつまでも天で私たちとともにあるだろう。ご遺族には不謹慎な言い方になってしまうが、凶弾に倒れたというその悲劇が、皮肉にも、その神話性を彩っているように感じる(こういう演出的解釈を哲先生は嫌うだろうが)。
 哲先生の死は、「暴力をなくしたい」という思いを、ここで私に表明させた。その思いは、長く続いた暴力研究のなかで、目に見える形で浮上することを許されていなかった。理由は既に述べたとおりである。しかし、暴力の解決のためになされない暴力研究などありえない。解決を目指さないのであれば、暴力研究など必要ではない。暴力の現実を、そのまま放っておけばいいのだから。
 暴力を解決しなければならない理由の一つは、それが命に関わるからである。体罰やいじめによって、既に若い命が失われている。ただし、私の実感では、「命の大切さ」という言い方が現代ではどうも響きにくい。基本的な安全が確保され、命があることが、ある意味ではきわめて自明のことになっているからだろう。それはすばらしいことではある。私たちがその尊さを自覚的に理解している限りで。
 形而上的・神話的存在となった哲先生は、日々の暮らしや命の大切さへの自覚を、私たちに促している。しかし、スポーツや学校で命が失われているという日本の現実。日々の暮らしの上に立つ、ある意味では過剰なものである文化や教育の現場で命が奪われている現実。この現実を乗り越えていくための神話が、私たちにはあるのか。
 キリスト教神学者の滝沢克己は『競技・芸術・人生』(内田老鶴圃、1969年)のなかで、スポーツの意味を日常生活の雑多な制約から解き放たれる点に認めている(滝沢は、『天、共に在り』で哲先生が参照しているカール・バルトに師事していた)。滝沢は日本のスポーツ哲学に大きな影響を及ぼした人だが、彼のこうした指摘を簡単に引用できなくなっているのが、現代スポーツの状況だろう。例えば、スポーツ推薦制度。授業料免除などの日常生活に恩恵をもたらすその制度は過剰な競争を駆り立て、滝沢がスポーツに見ていたような爽やかさを奪っているようにも見える。
 本書は、暴力を乗り越えていくための神話ではもちろんなく、神話、あるいは物語が要請されるような現実、そして、その現実を構成している人間存在のむごさを描き出している。しかし、なぜ神話・物語は要請されるのか。暴力の現実を徹底的に分析できたとしても、暴力の必然性が見えてくるだけ、と言えば、それだけだからである。
 本書でも指摘したが、どこまでいっても暴力の可能性は残る。それが現実なのである。だから、その厳しい現実に埋没しないために、私たちは神話・物語を求めるのだろう。しかし、価値観が多様化した現代で、私たちを包摂するような神話・物語は可能なのだろうか。もっとも、それは歴史だけが知るところなのかもしれない。私たちにできるのは、この生=時間を、日々、充実させていくことだけだろう。哲先生とアフガニスタンの人々が、護岸の石を一つ一つ積んでいくように。その結果として、河川がかの地の人々の暮らしを潤すように、私たちの日々の積み重ねが神話・物語へと昇華し、過酷な現実に希望という潤いを与えるように。

 

ギモン2:展示の順番と見る順番は違うの?(第2回)

第2回 時間軸がある作品の展示

難波祐子(なんば・さちこ)
(現代美術キュレーション。著書に『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーターという仕事』〔ともに青弓社〕など)

 近年、現代美術の展覧会で、映像作品が占める割合が著しく増えている。これは映像を撮影するための機材や編集するためのコンピューターのソフトウエアなどの開発が1990年代以降、飛躍的に発展し、廉価でコンパクトで性能がいいものが急速に大量に出回るようになったことが大きい。展示の方法も、シンプルに壁にプロジェクターで投影したり、モニターで見せるほか、コンピューターのプログラムを介して複数の映像を同期させたり、空間全体を作り込むようなインスタレーションの形で見せるものも多い。このほか、音を使ったサウンド・インスタレーションやパフォーマンス、また光や音、映像、インスタレーションなどを総合的に組み合わせてコンピューターでプログラミングし、演劇のように見せるメディアアートなど、特定の時間軸をもつ作品の展示が、旧来の劇場やコンサートホール、映画館といったスペースだけでなく、美術の展覧会の枠組みのなかにも入り込んで盛んにおこなわれている。こうした時間軸をもつ作品が展覧会で展示されているとき、あなたは普段どのように鑑賞しているだろうか。先に考察した順路については、キュレーターの設定した順路に沿って見たり、逆に自分の好きな順路とペースで見ることが可能である。だが映像作品やパフォーマンス作品のなかには、起承転結がはっきりしていたり、始めから終わりまでの流れと長さが決まっているものも多く、そうなると途端に自分の見るペースが乱される。美術館で展示される映像作品の大半は、数分程度と短めに編集されていることが多いものの、上映時間のスタートが決まっているもの、あるいは長篇の映像の場合だと、どうしても作品の途中で展示をのぞくことになってしまう。展覧会の規模にもよるが、通常は、美術館で一本の展覧会を鑑賞する場合、1時間、あるいは長くてもせいぜい2時間程度で見終わることが一般的である。だが、近年の映像作品の増加によって、すべての映像作品を始めから終わりまできちんと見ようとすると、4時間近くかかってしまう展覧会も少なくない。こうなってくると、よっぽど覚悟を決めてかからないと、全部を消化するのは不可能になってしまう。その場合、何らかの取捨選択をしながら一本の展覧会を見ることになるが、その際にあなたにとっては何が決め手になるだろうか。

音楽を「設置」する展覧会

 ここで2017年の春にワタリウム美術館(東京)で開催された「Ryuichi Sakamoto async 坂本龍一設置音楽展(4)」(以下、「設置音楽展」と略記)を具体例として少し丁寧に見ていきながら、キュレーターがデザインする時間、作品がもつ時間、ならびに鑑賞者の体験する時間の関係について考えてみよう。「設置音楽展」は、17年にリリースされた坂本龍一のアルバム『async』を「立体的に聴かせる(5)」ことを意図した展覧会だった。展示は3フロアに分かれていて、2階からスタートして3階、4階と上がっていき、最後に地下1階のショップでアナログ盤の同アルバムなどを視聴できるような構成になっていた。
 2階の入ってすぐの部屋には、展示ケースのなかに坂本がアルバムを制作する際に着想のもとになった書籍や写真、メモ、譜面などが導入的に展示され、奥に進むと『async』の楽曲が5.1chの高性能スピーカー6台で流れる部屋へと続き、そこで四方から音に囲まれる。壁には、縦型に配置された8台のフラットなモニターに高谷史郎による映像がリアルタイムで生成される。3階にはアルバムの制作のために坂本が過ごしたニューヨークのスタジオとその周辺などを撮影した映像と音風景を、24台の iPhone と iPad でスケッチのように見せるニューヨーク在住のアーティスト・ユニット Zakkubalan によるインスタレーション、4階にはタイ人アーティスト・映画監督のアピチャッポン・ウィーラセタクンが同アルバムから着想を得て制作した映像作品が展示された。

「設置音楽展」(2017年)会場風景
Photo by Ryuichi Maruo
2017 commmons/Avex Eentertainment Inc.

 このように「設置音楽展」は、3フロアを通して、坂本とさまざまなアーティストとのコラボレーションによって『async』という一枚のアルバムがもつ世界観を多角的に展示する展覧会だった。だが、私はこの展覧会をかなりの時間をかけて見終わった後、なんとも言えない違和感を覚えて会場を後にした。その違和感について、展覧会が終わった後も事あるごとに何が原因なのかを考えることが多かった。その後、2018年の秋にソウルで坂本のデビューから現在までの40年にわたるさまざまな活動を音楽、映像、インスタレーションなどを通して振り返るような個展(6)を見る機会があった。同展では、映画音楽に始まり、1980年代のナムジュン・パイクとの実験的なビデオ作品や長年活動をともにしているミュージシャンのアルヴァ・ノトとのライブ映像、高谷史郎とのインスタレーション作品のほか、「設置音楽展」とはまた少し異なる形で『async』に関する展示もあるなど、盛りだくさんな内容だった。そこで3時間近くを過ごしたあげく、閉館時間になってしまいあえなく会場を出たが、久々に「時間」を忘れて一つの展覧会を堪能するという体験をした。そしてこの展覧会では「時間」が幾重にもなって大切な要素になっていると実感した。同時に改めて「設置音楽展」のことを思い出し、そこで覚えた違和感の背後に展示を取り巻く「時間」の問題が潜んでいるのではないか、とようやく思い当たった。特に「設置音楽展」のなかでも2階の展示は、アルバムの音楽を立体的に展示する、という同展覧会の中核をなす展示であるとともに、最も違和感を覚えた展示でもあった。どうやらこの展示に向き合うことが、特定の時間軸をもつ作品とその鑑賞体験の関係について、いくつか思考するためのヒントを与えてくれそうだ。そこでここでは、「設置音楽展」のなかでも、この2階のインスタレーションについてもう少し掘り下げながら読み解いていき、展示を取り巻く「時間」の問題を改めて考えてみたい。
 通常の映像インスタレーションやサウンド・インスタレーションでは、「出入り自由」であることが多く、「設置音楽展」でも3階と4階の展示については、各展示室を観客が比較的自由に自分のペースで見て回る姿がよく見られた。だが、2階のインスタレーションについては、整った音環境のなかで「一枚のアルバムを聴く」という行為が組み込まれていたがために、そこにいた観客のほとんどは、一度展示室に足を踏み入れると、退出することなく、かなり長い時間、音楽そのものを聴きながら高谷の映像を見ていた。高谷の映像は、坂本のニューヨークのスタジオにあるピアノや書籍、譜面、マレット(打楽器用の枹/バチ)、指揮棒、裏庭の植木鉢などさまざまな事物を撮影したものをベースに構成されている。モニターに映し出される映像は、右側あるいは左側のモニターから一定方向に徐々に時間差で変化していき、8台で一つの風景を作り出す(7)。無数の細い横線からなる画面は、左側からあるいは右側からゆっくりとスキャンするように1ピクセルずつ実写した動画へと変換されていく。動画は徐々に隣のモニターへとスライドしていくように流れ、動画の部分が終わると、その端から1ピクセルずつ順に画面上に固定されていき、静止画となる。こうして線の映像は動画へ、動画は静止画へと変換され、一つのイメージが織物を織るように生成されていく。8面の静止画のイメージができあがると今度は逆に、静止画のイメージが1ピクセルずつ引き伸ばされて、時間の経過とともにその痕跡が無数の横線になって堆積していく。こうして8面のイメージは徐々に分解され、最後には幾重にも積み重なった横線が再びすべての画面を覆う。そしてまたこれらの線が少しずつ変換され、新しいイメージが立ち現れていく。高谷の映像は、アルバムの音と同期しているわけではないが、刻一刻と表情を変え、アルバムの音が作り出す時間軸に並行して、潮の満ち干のように展示室に流れるもう一つの時間軸を視覚的に鑑賞者に強く印象づける。

「設置音楽展」(2017年)会場風景
Photo by Ryuichi Maruo
2017 commmons/Avex Eentertainment Inc.
「設置音楽展」(2017年)会場風景
Photo by Ryuichi Maruo
2017 commmons/Avex Eentertainment Inc.

 展示室内に「設置」された「音楽」を体感するという行為は、最初から最後までの時間を演者側がコントロールし、大勢の人が一斉に鑑賞するライブや映画、舞台とは何が異なるのだろうか。ここで、通常の音楽アルバムを聴く行為と、展示空間でインスタレーションという形で『async』というアルバムを鑑賞する行為について比較しながら少し考えてみよう。

音楽アルバムを聴くという行為

 レコードの登場は音楽の鑑賞体験に大きな革命を起こしたが、1970年代に普及したカセットテープはさらなる変化をもたらした。カセットテープは、ラジオやレコードの音楽を聴き手が自ら編集・録音することを可能にした。さらにコンパクトなカセットテープは、カーオーディオにも組み込みやすく、車で移動しながら自分の好みの音楽を聴くことを可能にした。またカセットテープのポータブルな再生機として開発された79年のソニーのウォークマンの登場は、音楽を文字どおり持ち歩くことを可能にした。現在では録音される媒体は、レコードやカセットテープからCDへと変わり、さらにネットから配信されたり、ダウンロードした音楽を iPhone などのスマホで聴くことが一般的になっている。
 カナダの天才ピアニスト、グレン・グールドは、1966年に発表した「レコーディングの将来」という評論で、録音音楽による演奏音楽家の役割の変化、編集技術者や作曲者、聴き手への影響などについて鋭く洞察している。なかでも、従来の「受動的な分析者」ではない編集意識をもった新しい聴き手の可能性を次のように予見している。「かれは協力者であり、将来といわず現在すでにかれの趣味、嗜好、傾向は、かれが注意を寄せる音楽経験の周辺部分を変えている。音楽芸術の未来は、かれのさらなる参加を期待している(8)」
 通常、一枚のアルバムを聴くという行為は、音楽ホールなどである特定の日時に生演奏を聴く行為と異なり、すでに録音された音楽を再生して聴く。したがってアルバムそのものは、作り手によってその一枚にバランスよく収まるように編まれているものの、その聴き方は、グールドが予見したとおり、聴き手の自由にかなり任されている。自分の好きなようにスキップさせたり順序を入れ替えたり、途中で止めたり、同じ曲を繰り返し聴くことも可能である。またアルバムを聴くシチュエーションも、スマホで通勤・通学時に聴いたり、自室で何か作業をしながら流したり、車を運転しながら聴いたり、と自分の好きなところ、好きなときに好きなペースで聴くことができる。そういった意味では、「演奏会」や「展覧会」という時空間でしか成立しない作品鑑賞のあり方と比べて、比較的自由な鑑賞を可能にする。
 もともと『async』のアルバムは、一般的なコンサートやライブなどステージ上で再現するのが難しいタイプの楽曲で構成されていて、録音されたアルバムの形で鑑賞することを前提として坂本が作り込んだものだ。そういう意味では、このアルバムは本来、アルバムとして通常の音楽アルバムと同様に鑑賞することが期待されている。だが同時に、このアルバムについて坂本は、次のような重要な発言をしている。それは、このアルバムをもともと「音を空間に配置するつもりで作った(9)」ということである。つまり、このアルバムは、アルバムという形を取りながらも、展示を前提とした音楽として考えられていたのだ。そして「設置音楽展」は、そのアルバムを「良質な環境で音楽に向き合ってもらえたら(10)」という坂本自身の思いからスタートし、自らが展示ディレクションを手がけた展覧会だった。

展示室に設置されたアルバムを鑑賞する行為

「async」というのは、そもそも「同期しない」「非同期」という意味である。これは普段、演奏や鑑賞において同期を前提としている音楽というメディアの本質を根本から問い直すような試みである。収録している楽曲も、いわゆるメロディーを追って聴くような楽曲だけでなく、坂本自身がさまざまな音を収集し、それらを配置・編集した楽曲で構成されている。林のなかを枯れ葉や小枝を踏みながら歩く足音、三味線の擦れる音、6月の裏庭の雨音、ピアノの弦をはじいたりこすったりする音など、それぞれの音が固有のテンポをもちながら、複層的な時間が流れる音楽となって「架空のタルコフスキー映画のサウンドトラック(11)」というコンセプトのもと、一枚のアルバムに編まれている。
 実際に展示室で流す際には、市販されている『async』のアルバムよりも少し長めに編集した音源が展覧会のために用意された。具体的には、収録曲のうちの一つをオリジナルの5分9秒の長さから6分5秒とわずかながら長めに編集し、また通常のアルバムには収録されていない曲をボーナストラックとして一曲加えて構成した。これは、「出入り自由」なインスタレーションの形で聴かせる展示を意識しながらも、アルバムを立体的に鑑賞させるという目的に軸が置かれていたため、「アルバムからあまり大きく離れないように少し長くする(12)」ことを基本とした結果であるという。最終的な全体の長さについては、坂本自身が現場で聴き比べながら判断して決めた。高谷の映像は、物語性を排除し、坂本の音とあえて同期しないことで、その世界観と展示空間で流れる時間を可視化する『async』のアルバムと不可分なインスタレーションになっていた。
 結果的に、この展示は、一見「出入り自由」な映像インスタレーションの体裁を取りながらも、実際には、ライブを鑑賞するように作品の時間軸に沿ってじっとその場で鑑賞する観客を多く生み出すことになった。これは、この展示が、一般的なアルバムの観賞よりもライブ体験に近いことを物語っている。同時にステージ上で再現することが難しい音楽アルバムを個人による鑑賞やライブ会場での鑑賞とは異なる手法で「立体的に聴かせる」には、展示室でのインスタレーション/設置の形が最良の手段だったと言えるだろう。そういった意味では、同展は、通常の一枚のアルバムを聴くという行為と、映像インスタレーションを鑑賞する行為、さらにはライブ鑑賞をする行為のちょうど中間に位置するような展示であり、一つのライブ・パフォーマンス的なインスタレーション作品として提示されていた。言い換えれば、今回の「設置音楽展」の2階のインスタレーションは、単なる音楽アルバムの鑑賞ではなく、「async」というアルバムタイトルが象徴するように、多様な時間の層が交錯する鑑賞のあり方の可能性を開く先駆的・過渡的な試みだったと言える。私が初めにこの展示に対して抱いた違和感は、一つの展覧会のなかに幾重にも絡まり合った時間が同期することなく提示されている、といういままで経験したことがない鑑賞体験に戸惑ってしまったことに起因しているのかもしれない。
 一枚の音楽アルバムを音楽と映像によるインスタレーションとして展示室に展開する手法は、音楽を「設置」するという行為が単に展示室の空間に物理的に作品を配置するだけでなく、展示室に流れる時間も配置していることを浮き彫りにする。展覧会、展示のための音楽のあり方は、コンサートやアルバムとは異なる非同期性を内包する音楽の新しい鑑賞の可能性を開く。一方で、展示室で音楽や映像作品を鑑賞するという行為は、スマホで音楽や動画を視聴するように、好きな順序で、好きなタイミングや場所で鑑賞する行為と異なり、あくまでも展覧会の時空間でしか成立しない作品鑑賞のあり方について改めて問いを投げかける。ここで、時間軸をもつ作品の鑑賞について、さらに考えを深めるためにもう一つパフォーマンスを「展示」した事例を見てみたい。

パフォーマンスを展示する

 2019年の第58回ヴェネチア・ビエンナーレ(13)で金獅子賞を受賞したリトアニア館の「Sun & Sea(Marine)」は、会期中の週2日だけ終日開催される新しい形の「オペラ・パフォーマンス(14)」だった。ビエンナーレ主会場の一つであるアルセナーレ(旧造船所)から少し離れた一角にある倉庫に、2階に上がる階段と上階部分をぐるりと取り囲むバルコニーが設えられている。2階に上がって薄暗いバルコニーから見下ろすと、1階部分がまるで一枚の巨大な絵画のように見える。そこでは明るく照らし出された人工のビーチが広がり、思い思いにくつろぐ水着姿の人々が目に入る。砂浜の上にタオルを広げて寝転がっている人たち、寝椅子に横たわって本を読む人、犬を連れて散歩をする人、ビーチテニスで遊ぶ子どもたち。そのうち一人の女性が寝転がったまま、おもむろに日焼け止めを手に取って、そのラベルを読み上げながらソプラノで歌い始める。やがて彼女のアリアにビーチにいる人たちが声を合わせて歌いだす。しばらくすると今度は別の男性が日々の仕事で過労ぎみだと歌い、周りがハミングしてハーモニーを奏でる。こうして約20人の歌い手が穏やかにゆっくりとしたリズムで順に歌い始め、それにコーラスが加わっていく。歌詞の一つひとつは、仕事や休暇の話、日焼けやビーチに捨てられたゴミなど、他愛のない個人の日常を取り上げたものから始まる。やがて彼らが抱えている現代生活のさまざまな歪みや不安を描き出し、さらには環境破壊や地球温暖化など、地球が滅びゆく最後の日がささやかな日常から静かに忍び寄っていること、そしてそのことに対して、ビーチに横たわる人々のように緩慢な態度であり続ける私たち自身の姿を示唆していることがわかる。
 パフォーマンスは約1時間でひとめぐりするが、特に終わりと始まりが明確にされているわけではなく、観客は自分の好きなタイミングでその場を後にすることができる。リトアニア館の試みは、上演時間が定められた既存のオペラとは異なる、展覧会の形で見せることを全面的に意識した、生きた絵画を見せるような作品として提示されていた。「設置音楽展」の『async』が、展示と音楽アルバムというそれぞれ異なる鑑賞形態に開かれた多面的な性格(15)を有していたのに対し、リトアニア館の「Sun & Sea」は、定められた時空間を有する展覧会の形でしか成立することができないタイプのパフォーマンス作品だったとも言える。

展示の時空間を主体的に鑑賞する

 これまで見てきたように、展覧会を鑑賞する行為は、展覧会がもつ物理的な空間と時間の両方を一人ひとりが鑑賞する行為であると言える。展示の順番や設えというキュレーターがデザインする展覧会の時空間、見る順番とペースという鑑賞者がデザインする展覧会の時空間、そして作品そのものが作り出す展覧会の時空間が交錯するなか、ストーリーやロジックを道筋の手がかりとしながら、どう歩くかは鑑賞者に開かれ、その主体性に委ねられている。つまり展覧会では、空間的な問題だけでなく、展覧会を体験する時間についても主体的な鑑賞が求められる。
 ただし、作品そのものがもつ時間軸を鑑賞者が経験することが必須のタイプの作品の場合、主体的な鑑賞者を招き入れながらも、作品がもつ時間に鑑賞者はある程度取り込まれ、その現象を包括的に直接肌で感じながら、自らのなかにリアルタイムで流れる時間や自身の過去のさまざまな体験や記憶などと照らし合わせて結び付けながら作品を体感することになる。絵画作品や彫刻作品の場合も、それらを作り出すために作家が費やした時間、さらにはその作家が生きていた/いる時代性などの歴史的時間が織り成されていて、ときにそれは絵筆の跡やのみの跡、あるいは主題とするモチーフなどから感じることもある。しかし、音や映像、パフォーマンスなどを用いた作品は、よりそのものがもつ時間軸が鮮明になり、鑑賞者の鑑賞体験の時間にダイレクトにリアルタイムで作用していく。ただし、コンサートホールや映画館での鑑賞と異なり、展覧会での展示はあくまで「出入り自由」なので、どの程度その作品がもつ時間のなかに自分の時間を重ねていくかは、あくまでも観客の手に委ねられている。
 一方で、時間軸をもつ作品の展示は、そういった作品を制作する作家やそれを展示するキュレーターの側にとっても、順路や時系列に従わない展示のあり方について再考を促す。そこではストーリーの組み立て方も起承転結型ではなく、オープンエンドな作品や展示のロジックも選択肢の一つに加えながら、展示の時空間をデザインしていくことが必要とされるだろう。
 このことは、展覧会という枠組みのなかで、個々の作品が成立するプロセスや、展覧会の時空間や体験をデザインする担い手について、作家、キュレーター、鑑賞者のあり方を改めて私たちに考えさせる。展覧会は、単に作品を「見る」空間を提供するだけではなく、体全体を使って感じ、思考し、作品と接する特定の時間を過ごす場なのだ。また作品は、いったん作家の手元で完成すると、作家の手から離れる。だが作品は、展覧会という時空間のなかにある文脈をもって設置され、鑑賞者が展示室に入ることで、個々の鑑賞者の鑑賞体験となって共有、解釈されていく。
 近年、現代美術の展覧会で映像作品と並んで増加している参加型・体感型の展示や、展覧会の枠組みのなかで実施されるパフォーマンス作品の展示は、作家、キュレーター、鑑賞者といったそれぞれがもつ異なる時空間の交錯の仕方、ならびにグールドが言う「新しい聴き手」としての主体的な鑑賞者のあり方が作品の成立に大きく関わっていることを示唆している。次のギモンでは、こうした作品が作品として展覧会のなかで成立する仕組みについて考えていこう。


(4)「Ryuichi Sakamoto async 坂本龍一設置音楽展」ワタリウム美術館、2017年4月4日-5月28日
(5)坂本龍一氏メール談。2019年6月2日
(6)「LIFE, LIFE: RYUICHI SAKAMOTO EXHIBITION」piknic(韓国・ソウル)、2018年5月26日-10月14日
(7)以下の映像の描写については、高谷史郎氏によるメールと電話での解説に基づく。2019年6月30日(メール)、8月24日(メール、電話)
(8)グレン・グールド「レコーディングの将来」、ティム・ペイジ編『グレン・グールド著作集2――パフォーマンスとメディア』野水瑞穂訳、みすず書房、1990年、162ページ
(9)NHK BSプレミアム『坂本龍一 ライブ・イン・ニューヨーク“アシンク”』(2018年3月11日放送)での坂本のコメント。
(10)ワタリウム美術館「坂本龍一 async 設置音楽展」展覧会概要(http://www.watarium.co.jp/exhibition/1704sakamoto/index.html)[2019年7月27日アクセス]
(11)『async』ライナーノーツ。アンドレイ・タルコフスキー(1932-86)は、ソ連の映画監督。
(12)坂本氏メール談。2019年6月2日
(13)第58回ヴェネチア・ビエンナーレ、2019年5月11日-11月24日。リトアニア館展示は2019年5月11日-10月31日。
(14)リトアニア館チラシ
(15)『async』は、その多面性を象徴するように展示とアルバムのほか、ニューヨークで2日間限定のライヴとして実施され、またそれが映画にもなっている。ライヴ:Ryuichi Sakamoto – async Live at Park Avenue Armory/Artists Studio、2017年4月25日、26日(各回100人限定)高谷史郎と共演。映画:『坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async』(原題RYUICHI SAKAMOTO: async AT THE PARK AVENUE ARMORY)、アメリカ・日本、監督:スティーブン・ノムラ・シブル、2017年

 

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『日本人の疎開体験をめぐる文化史的研究』を『疎開体験の戦後文化史――帰ラレマセン、勝ツマデハ』へ

李承俊(イ・スンジュン)

 本書は、名古屋大学大学院文学研究科に提出した博士論文をもとに、一般書として書き直したものです。博士論文のタイトルは、『日本人の疎開体験をめぐる文化史的研究』です。これが、『疎開体験の戦後文化史――帰ラレマセン、勝ツマデハ』になったわけですが、大幅な改訂や修正をおこないました。特に、外国人の不自然な日本語を数回にわたってチェックしてくださった出版社の方々に、改めて感謝を申し上げます。
 本書に関する感想としてよく耳にするのは、「新しい」という言葉です。疎開に対するとらえ方が新しい、論じているテキストの選定が新しい、疎開体験の語りを戦後という枠内で読み解いていくという試みが新しい……など。研究のレベルでいえば、先行研究に対するリスペクトが見えない、ともなるでしょう。そのような声は謹んで拝聴したいと思います。
 もし本書が新しいとしたら、それは2019年現在、疎開体験者の声に耳を傾ける人々が増えることを願ってのことです。いままでの疎開に関する研究や体験者のさまざまな声は、津々浦々に届いて読み手・聴き手に何らかの感化を巻き起こしてきたと思います。現在、戦時期の体験としてもっともよく語られるのが、疎開体験です。一方で、いままでと同じ言い方、論じ方で同じ内容を繰り返すだけでより多くの方々に疎開体験について考えてもらうことができるかどうか、自問自答せずにはいられませんでした。そこで私は、人文学研究という領域では諸刃の剣である「新しさ」というものを、あえて、しかし徹底して追求していくことにしました。その成果である博士論文は、そもそも一般書になる運命を定められていたかもしれません。
「新しさ」を追求した結果ともなるでしょうか、本書には終章がありません。全体の議論をまとめて、できなかった点を反省し、今後の課題を提示するような部分がない、といっていいと思います。実をいうと、あえて書きませんでした。もしより学術的な方向性をもつような本だったら、終章にあたる部分は必要だったと思います。たとえば、戦時期の疎開体験が戦後に語られる際に主に3つの位相を呈する、第1は戦争体験とする語り、第2は戦争体験としない語り、第3は「田舎と都会」の出合いとしての語り、という具合になるでしょうか。こうまとめてしまうと、なぜか3つの位相がそれぞれ独立して存在しているような印象を読者に与えてしまうのではないか、ということを思わざるをえませんでした。
 本書は、まとめずに終えた、といえます。博士論文では以上のように整理し、それが現代社会の戦争という問題とどのように接続するのか、今後の展望のようなことを述べました。対して本書は、第9章「疎開を読み替える――戦争体験、〈田舎と都会〉、そして坂上弘」で終わります。ここでは、本書のそれまでの議論を取り入れてまとめていくかのようであって、第2部「戦争を体験しない疎開――「内向の世代」・黒井千次・高井有一」で取り上げた「内向の世代」の坂上弘をいきなり召喚します。1970年前後の高度経済成長期というコンテキストを下敷きに、坂上が自らの体験に基づいて書いた疎開体験の表象をどのように読み取ることができるのかに関して述べて終わります。
 第9章の後に終章を入れなかったのは、疎開というキーワードが、どこまで広がっていき、どの領域にまで接ぎ木されていくのかという「実験」のプロセスと結果を、より鮮やかに感じ取ってもらいたいという、私の勝手な願望によります。たくさんの読者に、一般書として本書を読んだことをきっかけに疎開をめぐって自由に想像の翼を広げてもらいたかったのです。終章の空白は、読者に向けて仕組まれた余白です。

 これらに対する評価も批判も、本書を手に取ってくださったみなさまの自由です。ぜひ聞かせてください。本書の扉を開くことで、疎開ということに関して改めて考えてみるという内向きの体験が生じ、それを機におじいちゃん・おばあちゃんの疎開体験はどのようなものだったのか、それがいまどのように語られているのか、といったような興味が湧くという外向きの体験が生じるのであれば、本書の役割は果たされたと思います。

 

第24回 「明日海りお退団」の熱狂を振り返る

薮下哲司(映画・演劇評論家)

『宝塚イズム40』が、11月27日に全国の大型書店を中心に発売されました。記念すべき第40号は、先日の24日に東京宝塚劇場千秋楽をもって退団した花組のトップスター・明日海りおのさよなら特集号です。半年に1回の刊行ペースでこのタイミングというのは、奇跡的なことだと思います。まさに神の啓示でしょうか。
『宝塚イズム』は雑誌ではなく書籍ですので、当たり前ですが原稿の締め切りはかなり前で、東京公演の千秋楽など誰も見ていない時期に原稿を書くことになります。しかし、そこはこれまでずっと明日海ウオッチャーの執筆メンバーのこと、全員がまるで千秋楽を観てきたかのように明日海のことを深く理解した原稿が集まったのには驚かされました。
 それはともあれ、明日海の千秋楽は最近の宝塚でも異例尽くしのビッグイベントになりました。千秋楽のチケットは2階最後列のB席でも30万円で取り引きされるというプレミアがつき、全国189の映画館で開催されたライブビューイングは7万人を超える動員になりました。7万人という数字は、東京宝塚劇場のほぼ1カ月の入場者数に匹敵します。
 明日海は退団公演の前に横浜アリーナでのコンサートを成功させるなどしているのだから、1カ月の公演では到底、ファン全員が見られないことは初めからわかっていたはず。ライブビューイングの数字にそれが如実に現れています。これだけのスターはこれから当分現れないかもしれませんが、宝塚歌劇の今後の発展を考慮すると、少なくとも公演回数を倍に増やすなどの配慮があってもよかったのではないでしょうか。
 105周年に2人の人気トップスターが退団するのですから、極論すれば紅ゆずると明日海りおのさよなら公演を半年ずつロングランしてもいいほどだったと思います。もちろんほかの組のメンバーも出て各組合同公演にするのです。夢のような話ではありますが、これぐらいしなければ賄えないくらい明日海の人気は過熱したということでしょうか。
 11月24日の千秋楽のパレードには1万人が劇場前に集結して明日海の退団を惜しみました。そんななか、明日海自身は「第27代花組トップスターの任務を今日終えました」とさわやかな笑顔で別れを告げました。宝塚を愛し、男役を愛した明日海らしく、最後まで凛とした表情で務め上げ、最後の最後のカーテンコールでは、「明日からはもうタカラジェンヌではなくなるので、道ですれ違ったら気軽に声をかけてくださいね」と一般人宣言をして、スタンディングオベーションをするファンたちを感激させました。
 千秋楽公演直後におこなわれた記者会見で「今後の予定」を聞かれた明日海は「結婚の予定はなく、とりあえず明日は何も予定がありません」と答えましたが、それでもやはり気になるのは退団後の身の振り方でしょう。これだけの人気者ですから業界が放っておくはずはなく、引く手あまたであることは確かで、そのなかから本人が何を選ぶかということなのだろうと思います。
 宝塚が好きで男役が好きな明日海がすぐに女優に転じるとは思えず、とりあえずコンサートのような形で復帰することになるのではないかというのが大方の予想です。個人的にはしばらくゆっくり休養して、心身ともにリフレッシュしてからコンサートなりミュージカルなりで元気な姿を見せてくれたらと願っています。
 ただ、ゆめゆめ『ポーの一族』(花組、2018年)を明日海の主演によって外部で再演するというような暴挙だけはやめてほしいと思います。元雪組の早霧せいなが退団後に『るろうに剣心』(2018年)に同じ役で出演しましたが、宝塚版とほぼ同じ脚本にもかかわらず、周囲の出演者に男性が交じると宝塚版とはまったく違った空間になりました。たかが宝塚、されど宝塚です。えらいものです。『ポーの一族』も宝塚の舞台でこそ生きえた題材だったのではないでしょうか。将来『ポーの一族』のエドガー・ポーツネルにふさわしい新たなトップスターが出現するまで大切に封印しておいてほしいと思います。
 さて、明日海が退団したいま、ポスト明日海は現れるのか。これが宝塚にとってこれからのいちばん大きな問題でしょう。紅が退団した星組は、新トップスター・礼真琴のプレお披露目公演『ロックオペラ モーツァルト』(2019年)が大阪からスタート。連日満員御礼の人気で上演中で、東京公演もいつにないチケット争奪戦が繰り広げられているようです。作品的にもクオリティーが高く幸先がいいスタートになりました。明日海の後継者になった花組の柚香光は2020年1月の東京国際フォーラムでの『DANCE OLYMPIA』からの出発になります。柚香がいちばん輝くダンスを中心にしたショーということで、こちらも期待できそうです。とりあえず星・花組には不安はなさそうです。
 ただ、新人公演クラスの若手にこれといった期待のスター候補生が、星・花組も含めた各組に見当たらないのがちょっと問題です。歌がうまい、芝居がうまいというスターはいっぱいいるのですが、宝塚ならではのスター性豊かな突出した人材が見当たらないのです。そんななかで『チェ・ゲバラ』(2019年)のフィデル・カストロ役を見事に演じた月組の風間柚乃が、今後どういう形で大きくなっていってくれるか、ポスト明日海になることができるか、見守っていきたいと思います。
 そして最後に、『宝塚イズム40』刊行記念トークイベントのお知らせです。12月18日(水)18時から東京・日比谷の東京宝塚劇場前にあるブックストアHMV&BOOKS HIBIYA COTTAGEイベントスペースで、編著者の演劇評論家・薮下哲司とOGロングインタビューを担当した演劇ライター・橘涼香さんが「明日海りお・紅ゆずるの魅力を語り、2020年を展望する」のタイトルで語り合います。月組公演観劇後にお気軽にお立ち寄りください。お問い合わせはウェブサイトか03-5157-1900まで。

 

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