第26回 コロナウイルス蔓延による休演に思う

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 猛威を振るう新型コロナウイルスの蔓延は宝塚歌劇団にも甚大な影響を与え、公演の中止が相次ぎ、6月1日刊行予定の『宝塚イズム41』の編集作業にも支障が出始めています。突然の公演中止で、公演評執筆者が公演を観ることができなくなったり、公演それ自体もなくなってしまうという事態が発生しているのです。しかも、東京や大阪に緊急事態宣言が出され、東西の移動がままならないことも編集作業のネックになっています。とはいえ、新しい執筆者の参加もあって何とか形が見えてきたきょうこのごろです。

 ことの始まりは2月28日の閣議でのイベント自粛要請でした。宝塚大劇場では星組の礼真琴、舞空瞳トップ披露公演『眩耀の谷――舞い降りた新星』と『Ray――星の光線』の上演中。25日には碧海さりお主演による新人公演が満員の盛況でおこなわれたばかりの直後の金曜日。横浜港に停泊していたクルーズ船内での感染が連日ニュースで伝えられていたころで、脅威はまだそれほど身近ではありませんでした。しかし、和歌山や北海道での感染が伝えられるに至っての自粛要請でした。
 歌劇団は28日、他の劇場よりも先んじて翌29日の土曜日から3月8日までの全公演の休演を発表。宝塚大劇場星組公演、東京宝塚劇場雪組公演、名古屋御園座月組公演、東京建物Brillia HALL月組公演が対象になり、月組の2公演は公演半ばでの突如の打ち切りとなってしまいました。大劇場と東京宝塚劇場は休演期間中に劇場内を完全消毒、観客全員の検温装置を完備して再開に備え、9日は大劇場の星組公演千秋楽。東京宝塚劇場は休演日だったため、翌10日から大劇場と同様の態勢で再開にこぎつけました。
 ところが、社会ではそのころからやっと自粛ムードが高まり始め、松竹系の各劇場が3月16日までの休演を決めたところだったので、宝塚歌劇の再開がテレビのニュースやワイドショーで大々的に取り上げられ、ネットなどで「なぜ宝塚だけが再開するのか」などと批判が殺到し、再開を心待ちにしていたファンの喜びをよそに、結局、東京宝塚劇場は10、11日と2日間再開しただけで再び休演。大劇場は13日から開幕するはずだった新トップスター、柚香光のトップ披露の花組公演『はいからさんが通る』の初日を20日まで1週間延期することを決断、東京宝塚劇場とともに19日までの休演を発表しました。
 しかし、感染は終息どころかますます拡大するばかりで、政府は3月20、21、22日の外出を自粛するよう要請、再び公演を中止せざるをえなくなり20、21日の2日間延長を発表、大劇場花組の初日は22日と発表されました。その日が東京宝塚劇場雪組公演の千秋楽だったこともあります。
 大劇場の3月21、22日は2回公演でしたが、そのうち2公演が貸し切り公演で、早くからキャンセルになっていて休演することになっていたこともあって結局、月末の31日まで延期がずれこみました。しかし東京宝塚劇場だけは公演を決行。全国映画館でのライブビューイングを中止、そのかわりにCS放送の宝塚専門チャンネル「タカラヅカ・スカイ・ステージ」での生中継に踏み切りました。
 望海風斗は千秋楽の舞台を終えた後、「舞台はお客様があってこそということを改めて思い知りました。このようなときに観にきてくださったすべての方に感謝するとともに、大変な苦労の末、私たちにこの機会を作ってくださった関係者のみなさんの努力に対してこの場をお借りして感謝の念をお伝えしたい」と涙を浮かべてあいさつしたのが印象的でした。3月22日のこの公演から、宝塚歌劇はまだ上演されていません。
 花組公演『はいからさんが通る』はその時点で4月2日初日(1日は休演日)の予定で準備を進めていましたが、新型コロナウイルスの感染はさらなる拡大傾向をみせはじめ、3月30日になって4月12日まで『はいからさん』も含めた全公演の中止を発表しました。『はいからさん』の初日がまたまた延期になったほか、もともと27日開幕予定だった東京宝塚劇場の星組公演『眩耀の谷』『Ray』の初日がさらに延期、真風涼帆主演の宙組TBS赤坂ACTシアター公演『FLYING SAPA――フライング サパ』も初日がずれこみ、桜木みなと主演の宙組公演『壮麗帝』東京公演は全日程中止になってしまいました。当初1週間ぐらい自粛すれば大丈夫だろうと考えていたふしがあるのですが、少しずつずれこんで気がつくと1カ月の休演になってしまいました。そして4月7日、緊急事態宣言が出る直前に、期限を切らない公演の中止に踏み切りました。
 宝塚歌劇が公演中止に追い込まれたのは、106年の歴史のなかで初めてではありません。最初は、まだ草創期の1923年、東京公演が成功するなど人気が沸騰して宝塚パラダイス劇場だけでは手狭になり、箕面の公会堂劇場を宝塚に移設して2劇場で上演をするようになった矢先、失火で2劇場とも焼失するという大事故が起こりました。創始者の小林一三はそれを前向きにとらえて4,000人収容の宝塚大劇場を建設。約2カ月間の休演を余儀なくされました。その間、歌劇団は全国で巡回公演をおこなっています。次は44年4月から46年4月まで、太平洋戦争末期から戦後にかけての2年間にわたる休演です。そして95年1月17日に発生した阪神・淡路大震災のときです。このときは3月31日の再開まで約2カ月、宝塚大劇場とバウホールが休演しましたが、シアター・ドラマシティや東京宝塚劇場、名古屋の中日劇場での上演は予定どおりでした。それを考えるとこの事態はまさに戦時中以来ということになります。

 ウイルス感染の脅威が、人々の生命と生活にこれほど大きな影響を及ぼしたことが、かつてあったでしょうか。「不要不急」という言葉で文化すべてがなくなっていく現実は、まさに戦時下を思わせます。人の命の尊さにはあらがうことはできませんが、必死で舞台づくりをしている人々の努力が無に帰すのはなんとも切ないかぎり。ニュースによると、ヨーロッパ各国では国が要請して公演を中止した劇場の従業員や俳優には全額とは言わないまでもかなりの補償金が支払われるといいます。自粛だけ要請して「補償はできない」と堂々と言ってのける国のトップの無神経さがたまりません。それだけではなく、マスコミの報道も毎日あきもせず同じことばかり。政治家ともども文化的水準の低さが改めて浮き彫りになり、言ってもむなしいとわかってはいても愚痴のひとつもこぼしたくなります。
 ますます深刻さの一途をたどる新型コロナウイルスの感染拡大ですが、一刻も早い終息を願うばかりです。

 

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