第40回 子連れ対策の強化を望む

 1月12日午後、三浦文彰のリサイタルに行ってきた(調布市文化会館たづくり・くすのきホール。ピアノは菊地裕介)。私は開演2分ほど前に着席したが、間際になって目の前の席に5歳と3歳くらいの女の子と、その母親とおぼしき客が座った。「あ、こりゃあ演奏を台なしにされてしまう」と思ったが、全くそのとおりだった。
 特に妹と思われる方は演奏が始まるやいなやゴソゴソと動く。それを制する母親。これの繰り返しである。すぐ前の席だからいやが応でも視界に入ってくる。周囲の他の客が何か言いだすかと思って静観していたが、誰も何も言わない。ずいぶんと寛容なようだ。
 私はこれまで、このような子連れに何度演奏をじゃまされたことだろう。そのたびに直接注意し(これまで、少なくとも2組の親子にはお帰りいただいた)、さらには係員にもその旨を告げてきた。でも、この悪習はいっこうに改善されない。このたびも注意しようと思ったが、しょせんは調布という郊外である。それに、三浦という若い男性ヴァイオリニストが主役であり、平日の午後ということになれば、ある程度質がよくない客層が予想されるのに、それを見込めなかった自分も悪いのだろう(同じ列の初老の男性は演奏中にいきなり携帯電話を取り出し、画面をチェック。暗い客席で携帯の画面を見ると異様に目立つことを知らないらしい。それに、演奏中にさえ携帯をチェックしなければならないようだったら、聴きにこなくてもいいはずだ)。
 ひどく気分を害されたので後半を聴く気力をなくし、会場を去ろうとした。そして、係員にひとこと「何であんなに小さい子供を入れるんですか? 非常に行儀が悪くて迷惑です。とても後半を聴く気にならないので帰ります」と言ったのだが、「未就学児の入場はできないことになっておりますが」との返答。「2、3歳くらいは未就学児ではないんですか?」と言ったら、「申し訳ありません」で終わり。生演奏は二度と再現できないのだということをもっと重要視してもらわなければ困るのだが、でも主催者にとってはチケット代さえもらえれば、それで問題はないのだろう。ちなみに、この日の三浦のリサイタルは完売だった。
 前半を聴いただけの印象を振り返ると、デビューCD(プロコフィエフの『ヴァイオリン・ソナタ第1番』『ヴァイオリン・ソナタ第2番』/ソニークラシカル MECO-1006)で聴き取れる音よりも、実際の彼の音はもう少し柔らかくて繊細である。次回は“都会”のホールで口直しをするとしよう。
 先日、コンビニでビールを買ったら、レジで「20歳以上」というボタンを押せと言われた。これは「年齢確認」なのだろうが、明らかに20歳以上だとわかる50歳を過ぎたおじさんにもボタンを押させるのは無駄というか、ほとんど意味がない作業ではないか。
 それと同じく、ほとんどのチラシに書いてある「未就学児のご入場はご遠慮ください」という断り書きも、もはやたいして意味がないものとなっているようだ。繰り返すが、生演奏の再現は2度と不可能である。それを思えば、主催者は明らかな未就学児を連れた客に対して毅然とした態度でお引き取り願ってもいいのではないか。

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第39回 枝並千花が弾くワルターのソナタ、TPPのこと、など

 2012年はブルーノ・ワルターの没後50年だが、それにふさわしい演奏会が4月9日にある(東京オペラシティ・リサイタルホール、19時開演、ピアノ:伊藤翔)。それは枝並千花ヴァイオリン・リサイタルで、ワルターのソナタの本邦初演がおこなわれることだ。このソナタは1909年にウィーン・フィルのコンマス、アルノルト・ロゼーのヴァイオリン、ワルター自身のピアノで初演されたもので、CDは過去にオルフェオ・デュオ(Vai Audio VAIA 1155)とハガイ・シャハム(Talent DOM 291093)があった。
 このソナタは伝統的な3楽章形式で、演奏時間は約30分。ワルターは師マーラーにあこがれ、そのマーラーと同じく指揮と作曲の双方の分野で活躍することを夢見たが、マーラーの死後、ワルターはぷっつりと作曲をやめてしまった。最近、ワルターの『交響曲ニ短調』(レオン・ボトシュタイン指揮、北ドイツ放送交響楽団、CPO 777 163-2)がCD発売されたが、これはちょっと歯ごたえがある内容だった。さすがのマーラーもこれを聴いてウームと思ったらしいが、まあそれは理解できる。
 でも、このワルターのヴァイオリン・ソナタは聴きやすい作品である。枝並はすでにフランクとフォーレのソナタが入ったアルバム『夢のあとに』を発売しているが(MA Recordings MAJ-506)、このアルバムで聴くしなやかな美音から想像すると、ワルターのソナタへの期待もぐんと高まってくる。ちなみに、4月9日のワルター以外の演目はコルンゴルトの『から騒ぎ』から4つの小品、R・シュトラウスのソナタである。
 ヴァイオリンといえば、ある人が12月26日にソウルでチョン・キョンファのリサイタルを聴いてきたということである。ソウルでやるのだったら、少なくとも東京で1回くらいはやってほしいとは思うが、そう簡単にならないのはいつもの彼女のこと。新録音の話も浮上しているとのことだが、目下のところどうなるかは全く不明である。
 話題はみなさんもご存じのTPP、環太平洋経済協定というものに変わる。詳細は知らずとも、なんとなく欧米諸国が自分たちの都合のいいように物事を運びたいために仕組んだワナのような臭いが漂うのだが、「文藝春秋」2012年1月号(文藝春秋)の記事「警告 著作権が主戦場になる!」を読んで、やっぱりと思った。
 この記事を書いたのは弁護士の福井健策だが、福井によるとこのTPPには著作権の保護期間の延長も含まれているという。つまり、現在日本の保護期間は50年だが、TPPに加盟してしまうと70年に延長されるのである。もしもそうなったら、私が現在やっているCD制作は廃業に追い込まれる。公共の利益のために延長されるというのならば仕方がないが、福井も書いているように、この延長は「ミッキーマウス保護法」なのである。ミッキーマウスの保護期間が切れそうになると延長される、それが過去に繰り返されているのだ。一部の企業が自分たちの利益を守りたいがために法律をねじ曲げる。これは、植民地支配的な発想だ。世界の多くの国は北朝鮮を野蛮な国と思っているようだが、この「ミッキーマウス保護法」もそれと同じレベルである。2011年に打ち立てた誓いは、ディズニーランドなどには決して足を踏み入れない、ディズニー関連商品を絶対に買わない、である。
 話題はふたたびコロッと変わる。最近、エードリアン・ボールト指揮、ロンドン・フィルのシューマンの『交響曲全集』を買った(First Hand FH-07、3枚組み)。これは1956年の録音だが、信じがたいほどの鮮明なステレオである。演奏もめちゃめちゃすばらしい。シューマンの全4曲が揃ったCDではポール・パレー指揮、デトロイト響(マーキュリー)が最高だと思ったが、そのパレーは『第4番』だけがモノラルだった。対するボールト盤は4曲すべてステレオである。3枚めはベルリオーズの序曲集だが、こちらも冴えざえと響き渡っている。

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