第36回 フルトヴェングラーのSACD

 EMIミュージックから発売されたフルトヴェングラーのSACD、ベートーヴェンの『交響曲第5番+第7番』(TOGE-11003)と同じく『交響曲第9番「合唱」』(TOGE-11005)を購入した。音は予想どおり、ノイズを大幅にカットし、聴きやすく丸めたものだった。
  チラシやCDのブックレットにはマスタリングに際して使用した機器のことがいろいろと書いてあったが、これだけさまざな回路を通してしまえば、原音から遠くなるのは当然だろう。なかでも問題なのはCEDAR(シーダー)かもしれない。このシーダーは作業がしやすいということでノー・ノイズと同様に世界中で使用されているノイズ・リダクションだが、これらを通すだけでも音はかなり変質してしまう。かつてBMGがメロディア音源を発売した際、ノー・ノイズを使用した輸入盤が入ってきて、ファンから総スカンを喰ったことがある。そのため、国内盤はノー・ノイズを使用する前のマスターを使用してプレスしたこともあった。ただ、ノイズレスは最近の傾向でもあり、これに慣れている人には、今回のような音の方が心地い良いのかもしれない。
  音とは別の問題もある。先に『第9』から述べるが、これには指揮者が登場して盛大な拍手が起こり、そのあと指揮者が何事かをしゃべっているという、いわゆる“足音入り”の版である。しかし、少し前に日本フルトヴェングラー・センターの関係者がフルトヴェングラー夫人のもとを訪れ、この個所を夫人に聴いてもらったところ、彼女は「夫が演奏前に話しかけることはありえない。当日もこのようなことはなかったはず」と述べたという。当日の模様については、夫人の記憶違いということもありうるだろう。けれども、私個人の経験の範囲でも演奏会で演奏前に指揮者が何かを言ったような場面に遭遇したことはない。ましてやこれは『第9』である。あのような開始の音楽である。フルトヴェングラーの人間性やその音楽、さらには戦後初のバイロイト音楽祭の開幕曲という状況も考慮すれば、確かにこのささやきは不自然である。けれども、帯にはあえて「足音、喝采入り」と、これを売りにしている。
  また、この『第9』にはEMIと同じ日の演奏だが、全くの別テイクというものが発売されている。これは最初に日本フルトヴェングラー・センターが世界で初めてCD化し、現在ではオルフェオから一般発売されている。一時は「EMIはリハーサルであり、オルフェオこそが本物のライヴ」と言われたほどだったが、その後は逆に「オルフェオの方がリハーサルで、EMIこそがライヴのテイク」という意見も出され、その謎はいまだに解明されていない。その点についてはCD解説で金子建志氏による的確な推察が記されているが、今回のSACD化に際し、制作者もしくは研究者などによるさらに一歩突っ込んだ調査報告がほしかった。
  今回のSACDシリーズで最も注目されると思われるのは『第7番』の新発見マスターかもしれない。これまでの言われてきたことを整理すると、以下のようになる。この『第7番』(1950年1月録音)は最初磁気テープに収録されたが、当時はまだSP時代末期だったためにこのテープからSP用の金属原盤が作製された。この時点で最初のマスターは廃棄。しかし、LPの普及が加速化したため、SPの金属原盤から再度磁気テープ用のマスターが作製された。この作業が終わった時点で金属原盤も廃棄。ところが、再度作製された磁気テープには第4楽章に女声のノイズが混入していたことが判明した。最初のマスターと、その次に作られた金属原盤ともに廃棄してしまったので、このノイズは除去できず、そのままの状態のマスターがその後世界中で使用されていたのである。
  以上のような事情を知っている人ならば、今回の新発見マスターこそ廃棄されたと信じられていたいちばん最初のものだと思うに違いない。だが、私の試聴結果は現在使用されているマスターの双生児と考えている。まず、聴いた感じでは低域のゴロゴロ、ボソボソというノイズが共通している。さらには旧マスターほどではないが、かすかに女声の混入ノイズも聴き取れる。今回はおそらくそのノイズは可能な限り除去したのだろう。それに、オリジナル・マスターは万が一のために複数存在する場合があるからだ。たとえば、EMIの本社から日本をはじめドイツ、フランスなどの支社に原盤を提供するときにはコピー・マスターからさらにコピーしたものを送ったりする。この点についてはCD解説には特に触れていないが、EMI側の説明を読んでも、単に新発見という事実はわかるのだが、これがファンが期待する最初のものかどうかは判然としない。
  ここで一度冷静に考えてみると、先ほど触れた磁気テープ作製→金属原盤作製→再度磁気テープ作製、この流れは本当の話なのかとも思う。つまり、最初にマスターを作製した時点ですでにノイズが混入し、その言い訳のためにこうした話が作られたとか……。
  来月に予定されているブルックナーの『交響曲第8番』(TOGE-11012)も、ちょっと気になる。この録音は1949年3月だが、EMIの原盤はこれまで14日と15日の演奏が混合されたものが使用されていた。この2日間の演奏は現在では分別されて発売されているが、これについてSACDの発売予告では何も触れられていない。もしもその混合原盤のままSACD化されるのだとしたら、ちょっと時代錯誤という感じがする。

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