第22回 コンヴィチュニーの謎解き

 コロムビアからフランツ・コンヴィチュニー指揮、ウィーン交響楽団のブルックナーの『交響曲第4番「ロマンティック」』(COCQ-84623)が新装再発売された。これは帯に“オリジナル・マスターによる世界初CD化”とあるように、初めてオリジナル・マスターからリマスタリングされたもので、聴いてみると確かに過去に発売されたCDよりも格段に鮮度を増している。
  今回、オリジナルまでさかのぼってCD化をおこなった段階で、実は驚くべき事実が発覚したのだ。それは、これまで流通していた同じくコンヴィチュニー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による同じ曲のブルックナーの『交響曲第4番「ロマンティック」』、これは世の中に存在しない、つまり中身はウィーン交響楽団のものと同一であることが確定されたのである。
  では、どうしてこんなことが起こったのか。ごくおおまかに説明すると以下のようになる。ウィーン響の録音が終了後、安全のためにマスターからセイフティ・コピー(サブ・マスター)が作成され、以後、このコピーでさまざまな作業がおこなわれていた。この原盤はオイロディスクによるものだったが、LP時代、このオイロディスクは旧東ドイツの国営レコード会社エテルナとライセンス契約を結んでいた。おそらく1960年代後半のことと思われるが、オイロディスクはエテルナからコンヴィチュニー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管とのブルックナーの『交響曲第5番』『第7番』の原盤を借り受けた。そして、自社にある『第4番』とエテルナからの『第5番』と『第7番』をLP3枚組みセットで発売したのである。
  このときに間違いが起きた。ウィーン響の『第4番』のテープが保管してあった箱にはオーケストラ名の表記がなかったため、オイロディスクの担当者が『第4番』もゲヴァントハウスだと勘違いし、“ゲヴァントハウス管による”ブルックナーの『交響曲第4番』『第5番』『第7番』の3枚組みが市場に流布してしまったのである。国内ではウィーン響と表記されたLPは1971年10月に、ゲヴァントハウス管(中身はウィーン響)と表記されたLPは73年12月にそれぞれ発売されており、つい最近までこの2種類のステレオ録音の存在が信じられていた。しかし、これは何も日本国内だけの問題ではなく、世界中のカタログやディスコグラフィでも同様の現象が起きていたのである。
  けれどもこの取り違え問題、この先にもいろいろとありそうなのだ。たとえば、上記の『ロマンティック』と同時に発売されたドヴォルザークの『交響曲第9番「新世界より」』(COCQ-84624)の余白にあるベートーヴェンの『序曲「レオノーレ」第2番』。これと、ベートーヴェンの『交響曲全集』(徳間ジャパン/ドイツ・シャルプラッテン TKCC-15044、6枚組み)に入っている同じ曲を比べてみた。前者はバンベルク交響楽団、録音年不詳、後者はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、録音は1959年~61年と記されている。聴いてみると、これがものすごく似ている。演奏時間も酷似している(ブックレット表記は14分17秒と14分18秒だが、CDプレーヤーでの表示もほとんど同じ)。両者はともにステレオなので、録音された時期はほぼ同じと断定していい。同じ曲を同じ頃にオーケストラを変えて録音するということは、現実的にはほとんどありえないことだ。古いLPの表記もバンベルク響なので、おそらくバンベルクが正しいと思われる。この場合、エテルナがオイロディスクから原盤を借り受け、そこでうっかりバンベルク響をゲヴァントハウス管として保管してしまったのだろうか。
  同じベートーヴェンでは1959年のモノーラル録音の『交響曲第6番「田園」』というCD(コロムビア COCO-75405)も出ていた。TKCCの『全集』はステレオだが、このステレオの『田園』とモノーラルのそれを比較してみると、これらは違う演奏のようにも思える。最も大きな違いは、前者コロムビア盤では第1楽章の提示部の反復がないが、後者TKCC盤では楽譜どおりに反復がなされていることだ。ただし、この2つは互いにピッチがかなり異なるため、ピッチを揃えて比較すると案外……。
  そのほか、ワーグナーの『ジークフリート牧歌』というのもある。国内で出た実績があるものはウィーン交響楽団のものだが、古いレコード総目録にははっきりと「ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団」と記されている。この曲のゲヴァントハウス盤というのは存在しないので(少なくとも正規の録音では)、これは目録の誤植ということも考えられる。ただ、あれこれとひっかかってくると、どれもこれも疑いの目で見たくなってしまう。そうなると、落ち着いて聴けなくなるので、この問題はとりあえずこのあたりで終了。

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第21回 シューリヒトのベートーヴェン

 カール・シューリヒトが1957年から翌年にかけてパリ音楽院管弦楽団を振って録音したベートーヴェンの『交響曲全集』(EMI)は非常に有名であり、いまでも人気が高い歴史的名演のひとつである。最近はせっせとLP復刻盤を作っている関係上、初期LPをがさがさと探し回ることが多いのだが、その過程でこのベートーヴェンには思わぬ珍事が起きていたことがわかった。
  2年前だろうか、ドイツのコレクターから上記の全集のなかの『第3番「英雄」』『第6番「田園」』『第7番』『第8番』のLPを一括で購入した。これらはフランスEMIの初出盤で、番号は順にFALP574、575、576、572である。購入した理由は、そのドイツのコレクターが「これらは片面にプレスされたテスト盤であり、市販盤よりも音がいい。非常に珍しいもので、この機会を逃せば、まず手に入らない」と言ってくれたからだ。こういうふうに言われると、すぐに頭に血がのぼるのがコレクターの悲しい性である。高額なのを顧みずに、思わずエエイッとばかり買ってしまったのである。
  確かに、音は良さそうだ。手元にある国内盤CD(TOCE-6214―8)と比較しても、このLPの方が格段にしゃきっとした再生音である。ところが、である。『第8番』の第1楽章の251、252小節が欠落しているのだ。最初聴いたときはドキッとした。けれどもCDはまったく正常である。私は、これはテスト・プレスの段階でのミスであり、市販盤は正常に違いないと思った。
  後日、市販されている『第8番』のFALP572を持っている人に聴かせてもらったところ、これが同じく欠落しているのである。さらに、この『第8番』のイギリス初出LP(XLP-20022、1960年12月発売)を購入して聴いたところ、これにも同様の欠落があった。ということはこの『第8番』、最初期のLPは欠落のまま市販されていたのである。
  やっぱりフランス人のやることはいいかげんだなあ、なんて思っていたら、ようやく最近になって買っておいた『第7番』のテスト・プレス盤を聴いて、もっとびっくりした。これは第1楽章の211―216小節、今度は6小節(!)も欠落している。こちらも市販盤の方は正常ではないかと思っていたら、あるシューリヒト・ファンから間接的にではあるが「その欠落は昔から一部のコレクターには知られている」という情報を得た。
  これだけ派手に抜けているのだから、その昔の批評にもきっとそれが指摘されているのだろうと思い、いろいろとあたってみたところ、この『第7番』のイギリスの「グラモフォン」誌にイギリス初出LPのレビューが見つかった(ALP-1707、1959年10月発売)。そうしたら、ありましたねえ、欠落がある、と。ところが、よく読んでみると、その欠落の個所が第1楽章の35―41小節とある。しかし、手元にあるテスト・プレスの35―41小節はまったく欠落はない。この違いは何なのかはわからないが、ともかく『第7番』もその昔は大きな欠落のまま売られていたことだけは事実のようである。
  こうなってくると、まだちゃんと聴いたことのない『第3番「英雄」』や『第6番「田園」』も欠落があるのではないかと疑いたくなるし、所持はしていないけれどもほかの『第1』『2』『4』『5』『9番』なども気になってくる。ただ、ここで強調しておきたいのは、上記の国内盤CD(TOCE-6214―8)を含め、比較的最近発売されたものはまったく正常だということである。
  このような編集ミスはしばしば起こりがちである。しかし、このような大きな録音プロジェクトで2個所も大きな編集ミスを起こしているというのは前代未聞だろう。言うまでもないが、この『交響曲全集』はシューリヒトが生きているときに発売されたものである。彼にとってはいい迷惑だっただろう。

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第20回 『ムラヴィンスキー――高貴なる指揮者』を読む

 アルファベータがシューリヒトに続く評伝、グレゴール・タシー『ムラヴィンスキー――高貴なる指揮者』(天羽健三訳)を刊行した。これはムラヴィンスキーに関心のある人はもちろんのこと、ショスタコーヴィチなどロシア音楽全般に興味のある人にも非常に有益なものである。
  少し前まではムラヴィンスキーというと、私たち書き手にとってはとてもやりにくい指揮者だった。偉大であり、突出した存在であるということはわかっていても、通り一遍の履歴以外はほとんど何もわからなかったからだ。それが大きく変わり始めたのは日本ムラヴィンスキー協会の設立である。この協会は地元ロシアよりも先に設立されたムラヴィンスキーの研究組織であり、第1回の会報は1986年2月に発行され、今日に至っている。その協会がおこなった最も重要な行事は、ムラヴィンスキー夫人で元レニングラード・フィルの首席フルート奏者アレクサンドラさんを日本に招いたことだ(通算2回)。夫人の口から出てくる事実はそれまで私たちが全く知らないことばかりだった。そのなかで最も残念だったのは、81年以降の来日予定がムラヴィンウスキーの健康に問題があったわけではないにもかかわらず、すべてが政治的な問題で取り消されたことである。
  本書はムラヴィンスキーの家系の話から始まり、その全生涯を描いたものである。本書は著者のタシーが長く旧ソ連に滞在していたため、ロシアの関係者からの証言や資料を豊富に取り入れて書いてある。私自身も日本ムラヴィンスキー協会の厚意によって夫人に直接話をうかがう機会があったが、そうした夫人の話とこの本に出てくる記述は基本的な部分ではほとんど一致している。
  かつてヨーロッパで活躍していたほとんどすべての音楽家と同様に、ムラヴィンスキーもまた戦争の恐怖を体験している。しかし、ムラヴィンスキーの生涯は政府当局との闘いの日々だったと言える。彼は政治的な駆け引きを拒絶し、絶え間のないいやがらせに抵抗し、また甘い罠にはまって苦い思いをした。どんなことが繰り広げられていたか、それは本書を読んで確かめていただきたい。そうした状況であっても常にムラヴィンスキーが一流であり続けたのは、彼が鋼鉄のような強い意志を持ち、他の指揮者とは別次元のような音楽を繰り広げていたからである。
  訳者のあとがきにもあるが、翻訳作業は相当に困難なものだったと察せられる。まず、タシーの英語はイギリス人でさえも「癖がある」と言うほどだから、さぞや苦労したことと思う。しかし、読みやすさ以上に感心するのは、訳者天羽氏が原書の誤りを筆者に直接問い合わせたり、あるいはロシア語の文献についてはムラヴィンスキーの通訳を務めた河島みどり氏に確認するなどの作業をおこなっていることである。つまり、日本の読者は原書よりも精度の高い情報を得ていることになる。
  もうひとつ重要なことを指摘しておきたい。巻末には訳者天羽氏の労作であるディスコグラフィとコンサート・リストが付いていることだ(前者はF・Formanとの共著)。これらは原書にはないもので、最初は自費出版で発刊され、その後アルトゥスのムラヴィンスキー・シリーズの特典として再度お目見えし、今回がいわば第3版となるものである。この間に加筆・訂正がなされているが、特にコンサート・リストは天羽氏がレニングラードまで出向いて調査したものである(資料はまとまった形で保管されていなかったそうだ)。この2つはムラヴィンスキーの足跡をたどるうえでたいへんに貴重なものであるばかりではなく、本書の価値をいっそう高めている。また、これらは英文で書かれているので、イギリスの「CRC(Classic Record Collector) 」誌のオーナーであるアラン・サンダースにも本書を送ったが、彼は「素晴らしい記録だ。「CRC」でも紹介したい」と返事をくれた。その他、年譜や珍しい写真も多数含まれていて、帯にある「決定版」という言葉は決して大げさではないと思う。
  本書と『評伝エフゲニー・ムラヴィンスキー』(河島みどり監訳、音楽之友社)、『ムラヴィンスキーと私』(河島みどり著、草思社)、以上の3冊を揃えれば、ムラヴィンスキーに関する基本的な情報はほとんどすべて網羅できると言ってもいいだろう。

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