第20回 『ムラヴィンスキー――高貴なる指揮者』を読む

 アルファベータがシューリヒトに続く評伝、グレゴール・タシー『ムラヴィンスキー――高貴なる指揮者』(天羽健三訳)を刊行した。これはムラヴィンスキーに関心のある人はもちろんのこと、ショスタコーヴィチなどロシア音楽全般に興味のある人にも非常に有益なものである。
  少し前まではムラヴィンスキーというと、私たち書き手にとってはとてもやりにくい指揮者だった。偉大であり、突出した存在であるということはわかっていても、通り一遍の履歴以外はほとんど何もわからなかったからだ。それが大きく変わり始めたのは日本ムラヴィンスキー協会の設立である。この協会は地元ロシアよりも先に設立されたムラヴィンスキーの研究組織であり、第1回の会報は1986年2月に発行され、今日に至っている。その協会がおこなった最も重要な行事は、ムラヴィンスキー夫人で元レニングラード・フィルの首席フルート奏者アレクサンドラさんを日本に招いたことだ(通算2回)。夫人の口から出てくる事実はそれまで私たちが全く知らないことばかりだった。そのなかで最も残念だったのは、81年以降の来日予定がムラヴィンウスキーの健康に問題があったわけではないにもかかわらず、すべてが政治的な問題で取り消されたことである。
  本書はムラヴィンスキーの家系の話から始まり、その全生涯を描いたものである。本書は著者のタシーが長く旧ソ連に滞在していたため、ロシアの関係者からの証言や資料を豊富に取り入れて書いてある。私自身も日本ムラヴィンスキー協会の厚意によって夫人に直接話をうかがう機会があったが、そうした夫人の話とこの本に出てくる記述は基本的な部分ではほとんど一致している。
  かつてヨーロッパで活躍していたほとんどすべての音楽家と同様に、ムラヴィンスキーもまた戦争の恐怖を体験している。しかし、ムラヴィンスキーの生涯は政府当局との闘いの日々だったと言える。彼は政治的な駆け引きを拒絶し、絶え間のないいやがらせに抵抗し、また甘い罠にはまって苦い思いをした。どんなことが繰り広げられていたか、それは本書を読んで確かめていただきたい。そうした状況であっても常にムラヴィンスキーが一流であり続けたのは、彼が鋼鉄のような強い意志を持ち、他の指揮者とは別次元のような音楽を繰り広げていたからである。
  訳者のあとがきにもあるが、翻訳作業は相当に困難なものだったと察せられる。まず、タシーの英語はイギリス人でさえも「癖がある」と言うほどだから、さぞや苦労したことと思う。しかし、読みやすさ以上に感心するのは、訳者天羽氏が原書の誤りを筆者に直接問い合わせたり、あるいはロシア語の文献についてはムラヴィンスキーの通訳を務めた河島みどり氏に確認するなどの作業をおこなっていることである。つまり、日本の読者は原書よりも精度の高い情報を得ていることになる。
  もうひとつ重要なことを指摘しておきたい。巻末には訳者天羽氏の労作であるディスコグラフィとコンサート・リストが付いていることだ(前者はF・Formanとの共著)。これらは原書にはないもので、最初は自費出版で発刊され、その後アルトゥスのムラヴィンスキー・シリーズの特典として再度お目見えし、今回がいわば第3版となるものである。この間に加筆・訂正がなされているが、特にコンサート・リストは天羽氏がレニングラードまで出向いて調査したものである(資料はまとまった形で保管されていなかったそうだ)。この2つはムラヴィンスキーの足跡をたどるうえでたいへんに貴重なものであるばかりではなく、本書の価値をいっそう高めている。また、これらは英文で書かれているので、イギリスの「CRC(Classic Record Collector) 」誌のオーナーであるアラン・サンダースにも本書を送ったが、彼は「素晴らしい記録だ。「CRC」でも紹介したい」と返事をくれた。その他、年譜や珍しい写真も多数含まれていて、帯にある「決定版」という言葉は決して大げさではないと思う。
  本書と『評伝エフゲニー・ムラヴィンスキー』(河島みどり監訳、音楽之友社)、『ムラヴィンスキーと私』(河島みどり著、草思社)、以上の3冊を揃えれば、ムラヴィンスキーに関する基本的な情報はほとんどすべて網羅できると言ってもいいだろう。

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