第5回 レビュー90周年、2017年の宝塚のゆくえは?

薮下哲司(映画・演劇評論家。元スポーツニッポン新聞社特別委員、甲南女子大学非常勤講師)

 新しい年が明けました。2017年は、宝塚的にいうと「レビュー」という名称で洋物ショーが上演された『モン・パリ』(1927年)の初演から数えて90周年という記念の年になります。宝塚大劇場ではそれを記念した月組公演、レビュー『カルーセル輪舞曲(ロンド)』を元日から上演中です。『モン・パリ』は、作者・岸田辰彌の日本からパリへの船旅をそのまま舞台に再現しましたが、今回はパリから出発して世界をぐるっと回って宝塚に帰ってくるという構成。作者の稲葉太地はニューヨークやブラジルの場面などできちんと宝塚歌劇の先人たちのレビューにオマージュを捧げ、フィナーレを大階段をバックにした男役の黒い燕尾服と娘役の純白のドレスの優雅で華やかな群舞で締めくくり、見事な宝塚レビュー讃歌になっていました。『エリザベート』(1996年初演)が大ヒットする前に初演されたミュージカル『グランドホテル』(1993年初演)の24年ぶりの再演との2本立てですが、非常に充実した内容で、現在の宝塚歌劇のパワーを存分に証明したといっていいと思います。『カルーセル輪舞曲』は、3日にはNHKBSプレミアムでさっそく録画中継されたのでごらんになった方も多いのではないでしょうか。新トップ珠城りょうの大劇場お披露目公演ですが、宝塚歌劇にとってもずいぶん晴れやかな新年のスタートになったのではないかと思います。
 正月公演は以前、NHKが元日に大劇場から初日の模様を生中継していましたが、宝塚がライブDVDを発売、CSで専門チャンネルの放送をするようになってからは、いつのまにかなくなっていました。ですが、今年から再開するようです。100周年を盛況裏に終え、その後も順調なことから自信が付いたのでしょうか。守り一辺倒からようやく攻めの姿勢に転じたのは、これからの宝塚歌劇の発展にとって喜ばしいことだと思います。再開第1回の今年は生中継ではありませんでしたが、ほぼ実際の公演と同じ時間帯での放送で、臨場感にあふれていました。衛星放送とはいえ、NHKで録画中継が実現したことは、宝塚歌劇を観たことがない人たちへの格好のプレゼンテーションになったのではないかと思います。
 神戸の女子大学で宝塚歌劇講座を担当して今年で11年目になります。毎回、講義の1回目に「宝塚歌劇を観たことがあるか、ないか」というアンケート調査をするのですが、観たことがあるという回答は受講生の1割にも満たないのが現実です。地元・神戸の女子大学でこれですから、全国的には推して知るべし。そんな彼女たちに宝塚の魅力を伝えるのは言葉ではありません。実際の公演を観てもらうのがいちばん。それまで彼女たちがもっていた宝塚歌劇に対するイメージは公演を観ることによって一気に払拭され、ファンになる学生が続出します。それだけ宝塚歌劇の魅力というのは独特で強烈なインパクトがあります。専門チャンネルはファンを育てるコンテンツとしては最上ですが、ファンになる前の初心者を引き付けるにはやはりNHKの全国放送に勝るものはありません。
 中継放送再開がきっかけで、いつの日かまたNHKに宝塚のバラエティー番組ができて、『紅白歌合戦』でタカラジェンヌが歌うところまで発展すれば申し分ありません。大竹しのぶの「愛の讃歌」が悪いとはいいませんが、望海風斗がNHKホールで絶唱、全国の視聴者をびっくりさせたいと思うのは私だけではないと思います。
 正月公演の中継の話題からとんでもないところに話が飛びましたが、2017年の宝塚歌劇はどうなるのでしょうか。小川友次理事長は雑誌「歌劇」(宝塚クリエイティブアーツ)の年頭所感で、全国のシネマコンプレックスでのライブ中継をさらに充実させるとともに、技術力・作品力など「総合力」のさらなるアップを目指すと表明しています。正月の月組公演、まずは幸先がいいスタートになったと思います。
 気になるスターの動向ですが、宝塚ならではの新陳代謝をさらに積極的に加速させようとする狙いがうかがえます。今年は7月に雪組のトップコンビ、早霧せいなと咲妃みゆが退団することがすでに発表されています。100周年以降にトップになったコンビが退団するのは星組の北翔海莉、妃海風に続いて2組目。宝塚というところは本当にめまぐるしく動いているのだなあというのが正直な印象です。
 昨年暮れ、花、月、星、宙の4組のスタークラスが勢ぞろいした『タカラヅカスペシャル2016――Music Succession to Next』が開催されました。年に一度の祭典で、各組のスターが一堂に会して全体的なスターランクが明確になることから毎年注目されてきました。最近はトップ、2番手以外のランクを明確にすることはほとんどなく、すべて同ランク的な扱いで、どこからも文句が出ないように無難にまとめてきた感がありましたが、今年は久々にドラスティックな動きがありました。
 星組が新トップコンビ、紅ゆずると綺咲愛里のお披露目、月組も珠城がトップとして『タカラヅカスペシャル』初出演だったこともあり、各組の2番手は花組・芹香斗亜、月組・美弥るりか、星組・礼真琴、宙組・真風涼帆がラインアップ、一気に若返った感がありました。ここまではごく当たり前で順当だったのですが、第1部の後半、専科の凪七瑠海、沙央くらま、星条海斗、華形ひかるが歌い継いだ作曲家・寺田瀧雄の17回忌にちなんだメモリアルコーナーで、事態は一変しました。バックで踊った柚香光、暁千星、七海ひろき、愛月ひかるの各組3番手にそれぞれ女役のお相手が付き、それを各組の次代を担うと期待されるスターたちが務めたからです。その4人は花組・水美舞斗、月組・朝美絢、星組・瀬央ゆりあ、宙組・桜木みなとの面々でした。各組には各組の事情があり、組だけの公演ではどうしても抜擢しづらいところをこういう形で起用、劇団の期待の高さを示してみせたのはなかなかでした。これが偶然のことではないのは、12月26日に発売された雑誌「an・an」(2016年12月28日―1月4日合併号、マガジンハウス)の宝塚特集を見ても明らかです。「2017年もやっぱり宝塚が好き!」という特集記事で「いま注目の次世代スター」として登場したのがほかならぬこの4人と雪組の月城かなとでした。
『宝塚イズム35』(6月1日発売)も、そんな2017年宝塚のホットな動きをふまえて、いよいよ今月から始動します。編集会議はこれからですが、7月の『幕末太陽傳(ばくまつたいようでん)』千秋楽で退団する雪組のトップコンビ、早霧と咲妃をふまえ、彼女たちの宝塚での足跡を振り返り、今後の活躍に期待する2人のサヨナラ特集がやはり最大の目玉になることでしょう。ほかにもさまざまな新企画、タイムリーな特集を打ち出していきたいと思っています。ご期待ください。

 

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第7回 マントヴァーニ(Mantovani、1905-80、イギリス)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

ムード音楽の大家だが、クラシックの小品も数多く録音

 マントヴァーニ、本名はアンヌツィオ・マントヴァーニAnnuzio Mantovani。ムード音楽の大家であり、その名は世界的に有名。生まれはイタリアだが、幼い頃に一家はイギリスに移住した。私たちが知っているマントヴァーニは、楽団を率いて指揮をしているが、彼自身はもともとヴァイオリン奏者だった。そのため、ヴァイオリンのパートを複数に分割して同時に演奏すると旋律に聞こえる“カスケード・ストリングスcasacade strings”(滝が流れるような)という方法を発案、電気的に増幅したような効果を出すことに成功していた。
 そのマントヴァーニだが、クラシックの小品を数多く録音しているのを、少し前に知った。それらは数十曲ともいわれ、収録時期は1920年代中盤から後半頃と推定されている。当然、SP盤(78回転)である。
 私が最初に聴いたマントヴァーニのクラシック小品は、シューマンの『トロイメライ』とシューベルトの『セレナーデ』だが、のちのマントヴァーニ・サウンドを予告するかのような、甘く、親しみやすい表現だった。最近、彼のソロがCD化されていないかと調べてみると、ナクソスから“A Mantovani Concert:Original Recordings 1946-1949”(8.120516)が出ていた。表紙にはマントヴァーニがヴァイオリンを持っている姿があったのでソロも聴けるのかと思ったら、オーケストラだけだった。どうやら、彼のソロを集めたCDは、目下のところは出ていないようだ。
 以来、私は気にかけていて、彼のSPを見つけたら買おうと思っていたのだが、数十あるといわれているのに、ちっとも見つからない。そんなに彼のソロSP盤は希少なのかと思っていたところ、ひっかかってこない理由が最近判明した。それは、マントヴァーニと表示されたSP盤も存在するが、多くはマヌエロManuelloという変名で発売されていたというのだ。だから、いくらインターネットでMantovaniと検索しても出てこないわけだ。さらに話がややこしいのは、同じマヌエロという名であっても、マントヴァーニの叔父の録音も含まれているという噂もある。いきなり難題を突き付けられた形になったが、解決の糸口を見つけるためにも、不十分ではあるけれど、少しマントヴァーニのソロ録音についてふれてみたい。
 私が入手したマントヴァーニのSP盤は以下のものである。
シューマン『トロイメライ』
シューベルト『セレナーデ』(日本コロムビア J866)

ドヴォルザーク『ユモレスク』
ラフ『カヴァティーナ』(日本コロムビア J270)

ブラームス『ハンガリー舞曲第1番』『第2番』(イギリスRegal G7821)

ヴェルディ『椿姫』幻想曲(Fantasia)
プッチーニ『ボエーム』幻想曲(イギリスRegal G1020)

 J866だけがマントヴァーニと表記されているが、他の3枚はマヌエロ表記。すべてピアノ伴奏付きだが、ピアニストの名前は表示されていない。このなかでも最も詳しく表記されているのはJ866で、シューマンはマントヴァーニの編曲であり、シューベルトはMANTOVANI and HIS HOTEL METROPOLE ORCHESTRAと記されている。
 私が初めて聴いたシューマンからふれてみよう。これは、とろけてしまいそうなほど、べたべた、クネクネと弾いている。その甘さは異様なほどで、しかも通常よりも1オクターヴ高く弾いているので、なおさらである。このシューマンだが、ある有名ヴァイオリニストに聴かせたところ、「興味なし!」と一蹴された。シューベルトも、めちゃくちゃ甘い。先ほど記したようにレーベルにはORCHESTRAとあるが、せいぜい3、4人程度だろう(ヴァイオリン2本とチェロ1本?)。ドヴォルザークとラフも同傾向の演奏だが、特にドヴォルザークの中間部にマントヴァーニらしさが出ている。
 ブラームスはおっとりと優雅な演奏で、テンポの揺らせ方も実にうまい。もちろん、ポルタメントも多用されている。
 ヴェルディの2曲は、このなかではマントヴァーニの個性が最も理想的に発揮されていて、聴く価値は大きいと思う。ここでも彼のソロはトロトロに甘いのだが、編曲(明記はないが、マントヴァーニ自身だろう)の巧さと相まって、楽団を率いたときのような最上のムード音楽が展開されている。
 マントヴァーニがソナタや協奏曲などを弾いていたかどうかは、わからない。でも、だからといって彼を単純にB級奏者扱いするのもおかしい。量的には決して十分とはいえないが、以上の作品を聴いてみても彼は決して非力ではない。それどころか、そこらの専門奏者以上に、小品を魅惑的に演奏していたことは間違いないのだ。

 

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第2回 国道16号と私――あるいは『国道16号線スタディーズ』の私的企画意図

西田善行(法政大学社会学部非常勤講師。共編著に『失われざる十年の記憶』〔青弓社〕ほか)

 国道16号線(以下、16号と略記)についての編著を書くと周囲に漏らすと、意外なほどその沿線に住んでいる、あるいは住んでいた人が多いことに気がつく。それもそのはずで、都心から30キロを環状につないでいる16号沿線には、850万人を超える人々が住んでいるのだ(1)。これは千葉県や埼玉県の人口を上回り、神奈川県の人口に迫る規模である。こうした人々のなかには16号を頻繁に利用していた人もいれば、単に横切っていたにすぎない人、まったく利用した記憶がない人もいる。そもそも日常的に16号を利用している人でさえ、自分が普段利用している道が「16号」だと必ずしも認識していないのかもしれない。
 郊外論は自らの郊外体験に多くをよっているという指摘があるが(2)、本書でいえば16号をめぐる個人的体験の差異や、より広く国道とどのような付き合い方をしてきたのか、その国道をめぐる個人史が16号の見方を左右するとも考えられる。そもそもなぜこの『国道16号線スタディーズ』という企画を進めたのかという私的動機には、16号をめぐる私の個人史が関わっている。そのため、ここでは私の個人的な16号との関わりについてふれておきたい。

幼少期の私と16号――市原市

 私は16号沿線地域の、千葉県市原市の出身である。幼いころは京葉工業地域にある企業で働く父に連れられ、何度となく16号を行き来していた。多くのトラックやタンクローリーが往来する産業道路としての16号は、私にとって父の職場を連想する空間であり、田畑と住宅が混在するスプロール的郊外住宅地だった自宅周辺や、家族で買い物に出たときによく通った、イトーヨーカ堂(スーパーマーケット)やすかいらーく(ファミリーレストラン)、ラオックス(家電量販店)、ケーヨーホーム(ホームセンター)、ロッテリア(ファストフード)などが並ぶ駅の近くの県道とは異なる外部空間だった。また、家族で車に乗って千葉市へと出るときにも16号を利用していたため、「外へ出る」ための道路でもあった。16号沿いにあるロコボウル(ボウリング場)やステーキハウスなどにも何度か足を運んでいたが、そこに向かう際には往来が激しい16号を避けて「手前(16号より内陸側)」の道を利用するのが常だった。

国道16号から見た京葉工業地域(2016年3月7日撮影)

高校時代の私と16号――木更津市

 高校時代は木更津市にある公立高校に通っていて、その近くを16号のバイパスが通っていた。駅までの通学ルートとは反対だったため毎日通っていたわけではなかったが、近くに持ち込みができる行きつけのカラオケボックスがあったので、バイパス沿いにあったマクドナルドでセットを買って夕方までカラオケをすることもよくあった。ただし16号は横切ったり、バイパスの下を通ったりしただけで、道路として利用することはなかった。
 私が高校生として木更津に通っていた1990年代前半、木更津の駅前にはそごうをはじめとする大型ショッピングビルが立ち並び、街として活気があったが、その後そごうをはじめ多くの商業施設が駅前から撤退し、16号などのロードサイドのチェーンストアが活況を呈していった(これについては本書で詳述する)。

大学時代の私と16号――相模原市

 大学に入り神奈川県の相模原市で一人暮らしをするようになっても近くに16号が通っていて、初めて16号が首都圏を環状に走っていることに気づいた。また引っ越しの際、当時親戚が住んでいた相模大野まで16号を移動し、チェーン系のレストランなどが密集するロードサイドの景観に、工場が並ぶ市原の16号との違いを感じたことを覚えている。大学にはスクーターで通っていたが、朝夕に渋滞してひどく時間がかかる16号を極力避けて裏道を使うまでに1週間とかからなかった。また、一度16号を使って横浜までスクーターで行こうとしたことがあったが、トラックにあおられて怖い思いをし、疲れて町田で引き返してしまった。

相模原の16号沿いにあるニトリモール(2016年3月6日撮影)

 こうして16号との関わりを振り返ってみると、少なくとも大学を出るまでの二十数年間、16号の近くに住んでいたものの、私にとって16号は少なくとも親しみがもてる対象ではなかったことがわかる。徒歩や自転車、あるいはスクーターで移動する私にとって、16号は外的な存在だったのだ。それはたとえ父が運転する自動車に乗っても同じことであり、自分の意思でそこを通ることができない場として16号を経験していたのである。
 このような16号をめぐる経験は、16号に広がるロードサイドへの否定的感覚へとどこかつながっているのかもしれない。ただその一方で、特に何もないと思っていた16号という1本の国道が、父をはじめとする家族の記憶や高校・大学時代の個人史を想起させたことは意外な収穫だった。歴史性をもたない16号や、あるいは別の国道であっても、そこを生活のなかで利用した経験は、それぞれのライフストーリーのなかに想起可能なかたちで根づいているのではないか。「16号と私」を振り返って改めてそのように思う。


(1)総務省統計局によると、2010年の16号沿線市区町村の人口は852万人となっている。16号沿線地域の統計的基本情報については書籍でふれる。
(2)西田亮介「郊外と郊外論を問い直す」、宇野常寛編『PLANETS SPECIAL 2010 ゼロ年代のすべて』所収、宇野常寛、2009年

 

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第4回 早霧&咲妃コンビの退団発表と充実の轟主演舞台に見える宝塚

鶴岡英理子(演劇ライター。著書に『宝塚のシルエット』〔青弓社〕ほか)

 宝塚歌劇の評論シリーズの最新号『宝塚イズム34』を12月1日に無事刊行しました。特集は11月20日に宝塚を巣立っていった北翔海莉&妃海風コンビに贈る評論の花束「さよなら北翔海莉&妃海風」。小特集に『アーサー王伝説』(月組、2016年)で月組トップスターとしてのスタートを切った珠城りょうにエールを送る「珠城りょう――若き月組トップへの期待」と、非常にレベルが高い仕上がりとなった『ドン・ジュアン』(雪組、2016年)で主演し、進境著しい雪組2番手スター望海風斗をキーワードに各組2番手を語る「望海風斗の衝撃――各組二番手戦力分析」をそろえました。このほか、2016年4月から11月の大劇場作品公演評、編著者2人で外箱公演を一気に振り返る対談、東西の新人公演評、OG公演評、さらに宝塚OGによる『CHICAGO』ニューヨーク公演観劇報告と、天津乙女さんのありし日をつづった貴重な寄稿文。そして17年の元旦から月組で幕を開けるミュージカル『グランドホテル』の初演主演者である涼風真世さん登場のOGロングインタビューまで、充実のラインアップになっています。北翔&妃海ファンのみなさんからはもちろん、望海ファンの方々からもさっそく熱いメッセージが届いているのに加え、紫の美しい装丁も、北翔海莉&妃海風サヨナラ公演のロマンチック・レビューや、サヨナラショーで再現された『LOVE&DREAM』(星組、2016年)のシンデレラのシーンで妃海が着用したドレスを連想するという声をいただき、大変うれしく思っています。宝塚ファン必携の評論シリーズとして今後もますます内容を充実させていきますので、ぜひ書店でお買い求めください。青弓社サイトからのオーダーももちろん可能です。
 さて、宝塚の大きな動きとしては、なんといっても圧倒的な人気を誇る雪組のトップコンビ早霧せいなと咲妃みゆが2017年7月23日、『幕末太陽傳』『Dramatic“S”!』東京宝塚劇場公演千秋楽をもって同時退団するという発表がなされたことでしょう。さまざまな要因から、この公演での退団が予想はされていた2人ですが、宝塚の動員記録を塗り替え、コンビとしても組としても乗りに乗っている時期だっただけに、劇団がこれだけのトップコンビをそう簡単に手放さないのではないか?という思いもどこかではあり、正式な発表にはやはり大きな寂しさが募りました。最近では異例のトップコンビの同時退団発表、しかもその会見日が11月22日「いい夫婦の日」というのは、もちろん狙ったことではなかったそうですが、2人のプレお披露目公演だった『伯爵令嬢』(雪組、2014年)の初日前囲み会見で早霧から「結婚します。そのくらいの覚悟がないとね」という咲妃をちょっとからかった発言が飛び出したこの2人らしいなと、感慨も大きかったものです。退団発表を挟んで東京での上演となった『私立探偵ケイレブ・ハント』(雪組、2016年)は、早霧時代の雪組では初めてとなるオリジナルのスーツ物。2人が初めから恋人同士という設定に新鮮さがあり、コンビとしてキャリアを重ねてきたいまだからこそ出せる雰囲気がきちんとあって、面白い仕上がりになっていました。原作物でヒットを飛ばしてきた印象が強い雪組だけに、適材適所に配置された主要メンバーの活躍に、オリジナル作品なればこそのよさも感じられました(鳳翔大には、何かもう少し別の役を書いてほしかったですが)。さらに、ショー『Greatest HITS!』は、大劇場ではいくら「あわてんぼうのサンタクロース」を組み入れていても、ちょっと早すぎるなぁと感じられたクリスマスメドレーがどんぴしゃり!のシーズンになったことも手伝って、明るい楽しさにはじけていて、癖になるショーとして楽しめます。ここでも圧巻はやはり早霧&咲妃のデュエットダンスで、ベートーヴェンの『運命』を使った望海&彩風咲奈による赤と白の激しい対立の場面が、2人の緑がもたらす安らぎと幸せオーラによって昇華される流れは、いま絶好調の雪組を象徴するシーンとしてなんとも美しいものでした。本当に早霧&咲妃は、2人が並んだときの絵面としての美しさが抜群なだけでなく、芝居をしてもともに踊っても、お互いがそれぞれのよさを引き出し合い、引き立て合う、近年屈指のベスト・カップルです。正直、まだまだこの2人で観たかった作品、夢は多くありますが、残された7カ月、2人ならではのラストランの輝きを見届けたいと思います。もちろん、次代を担うだろう望海の、任せて安心の盤石さと豊かな歌唱力にも、また新たな夢が描けることでしょう。宝塚はこうして続いていくのですね。つくづくすごいシステムだなと感じずにはいられません。
 一方で、この雪組公演と同じ時期に、KAAT神奈川芸術劇場で専科の轟悠と宙組トップ娘役の実咲凜音をはじめとした宙組精鋭メンバーによる『双頭の鷲』も上演され、その高い完成度に圧倒されました。脚本・演出の植田景子の美意識が凝縮された舞台で、それに応えた出演者・スタッフすべての力がほとばしるさまは見事なものでした。ジャン・コクトーの『双頭の鷲』(1946年)を宝塚で上演しようというこの企画自体もそうなのですが、ここ数年、轟悠の存在が宝塚の幅を広げ、新たな挑戦を成し遂げている姿には、退団と新トップスター誕生という別れと再生を繰り返す宝塚のスターシステムが紡いできた100年を超える伝統とはまた別の安定を宝塚にもたらしていることを確かに感じずにはいられません。役者には年齢を重ねないとできない役柄が確実にありますし、轟さえいれば今後の宝塚でそうした役柄を脇筋ではなく主役で取り上げることが実現していくと思います。変わり続けることでバトンをつないできた宝塚に変わらない象徴があることは、やはり貴重なものですね。春日野八千代亡きいま、その重みを痛感します。
 そんな轟が『For the people――リンカーン 自由を求めた男』(花組)そして『双頭の鷲』という秀作をそろえてきたのをはじめ、2016年の宝塚には見応えある作品が並びました。新たなファンを獲得した『るろうに剣心』(雪組)。実在の人物を宝塚ならではの自由さで描いた作品が、くしくもトップスター退団公演としてそろった『NOBUNAGA〈信長〉――下天の夢』(月組)、『桜華に舞え』(星組)。宝塚の財産演目である海外ミュージカル『ME AND MY GIRL』(花組)、『エリザベート――愛と死の輪舞』(宙組)。オペレッタの『こうもり』(星組)への挑戦や、シェイクスピアの人生を作品でコラージュした意欲作『Shakespeare――空に満つるは、尽きせぬ言の葉』(宙組)。またオリジナル作品ならではの作家の個性が表れた『私立探偵ケイレブ・ハント』(雪組)、『金色の砂漠』(花組)が続きました。さらに数多くのショー作品のきらめきが並び、外箱に目を転じれば『ローマの休日』(雪組)、『ドン・ジュアン』『アーサー王伝説』など、大作も多く登場しています。6月と12月に発行している『宝塚イズム』では、残念ながらこうした1年の作品のベストを語り合うような企画は作りにくいのですが、きっと宝塚ファンの間では、一人ひとりの胸にある独自のベストに話がはずんでいる時期ではないでしょうか。見どころの多い作品がそろった2016年の宝塚。この勢いと盛り上がりが、また17年にも続いていくことを期待しています。

 

Copyright Eriko Tsuruoka
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第1回 「国境」としての国道16号線

塚田修一(東京都市大学、大妻女子大学非常勤講師。共著に『アイドル論の教科書』〔青弓社〕ほか)

 国道16号線(以下、16号と略記)が都心/郊外の「境界」としての性質を有していることは、しばしば指摘される。その16号が文字どおりの「国境(Border)」になっている個所がある。それがここ、福生である。
 16号の向こう側は、アメリカ空軍横田基地である。許可なしに入ることは許されない、アメリカ合衆国なのだ。

2016年9月27日撮影

にじみ出ていたアメリカ

 かつては、この横田基地から「国境」を超えてにじみ出すアメリカンな文化や雰囲気を求めて、多くの若者やアーティストが福生に集まった。
 例えば、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』(講談社、1976年)は、この福生が舞台である。また、1973年にここに移り住んだ大瀧詠一は次のように語っていた。

「福生のよさ?そりゃ住んでいる仲間たちが素晴らしいということだね。ここには、朝8時半から夕方の5時まで働くような、スクウエアな人種はいないんだ。みんな金はないけど、ミュージシャンになろうとか、絵描きになろうとか、そういう目的をちゃんと持ってる。つまり、みんなビビットに生きているのさ。それが素晴らしいんだヨ」
この福生から、深夜放送『ゴーゴー・ナイアガラ』のワンマンDJを流している大瀧詠一クン(27)は、“わが街”のよさを語る(1)。

 ――だが、現在の福生の16号沿いを「歩いて」みて感じるのは、こうしたかつての「アメリカンな匂い」の希薄化である。
 確かに、16号沿いには多少「アメリカン」な店舗が並んでいるし、16号と沿うように走るJR八高線やわらつけ街道沿いには、古びた米軍ハウスが現在も点在している。だが、現在の福生では、何よりも「基地の街」としてのリアリティーが希薄化しているように思えるのである。

「聖地巡礼」の頓挫

 映画『シュガー&スパイス 風味絶佳』(監督:中江功、2006年)は、「基地の街・東京―福生(ルビ:ふっさ)。アメリカの香り漂う街角で、少年ははじめて“本当の恋”を知る」と銘打っていたように、ここ福生の「アメリカンな香り」を存分に演出した、ほろ苦いラブストーリーである(原作は、山田詠美の短篇小説『風味絶佳』〔文藝春秋、2005年〕)。
 しかしながら、福生でこの映画の「聖地巡礼」を試みるならば、早々に頓挫するだろう。
 JR福生駅前や横田基地のフェンスなど、確かに福生でロケーションがおこなわれた場面もあるが、この物語中で「福生のアメリカの香り」を演出している肝心な個所であるガソリンスタンド――グランマ(夏木マリ)風にいえば、「ガスステイション」――や、主人公2人(柳楽優弥と沢尻エリカ)が同棲する米軍ハウスを、ここ福生で探そうとしても無駄である。実は「ガスステイション」(原作では立川にある設定になっている)は木更津に作られたセットであり(2)、2人が暮らす米軍ハウスは埼玉県入間市の「ジョンソンタウン」――狭山にあったアメリカ空軍ジョンソン基地の跡を利用して、「ハウス」と街並みを保存している地域――で撮影がおこなわれているのである。木更津も入間も「16号つながり」であるのはただの偶然だろうが。
 ここで、ただ「アメリカ文化が廃れている」ことを指摘したいわけではない。
「基地の街としての福生らしさ」を「福生以外の場所」によって演出しなければならないほどに、「基地」の存在が日常に溶解してしまっていること――すなわち、福生の街と「基地」とが、象徴的な意味で「地続き」になってしまっている、ということが言いたいのである。
 その意味で、もはや福生は「基地の街」らしくない。
 では、「国境」としての16号のリアリティーも考え直さなければならないのだろうか。

「国境」が無効になる日に

 いや、そういえば1年に1度だけ、ここ福生がまぎれもなく「基地の街」であることを強く意識せざるをえない日がある。
 毎年横田基地で開催されている、「日米友好祭」である。この日は横田基地が開放され、基地内のアメリカンな匂いを思う存分味わうことができるため、非常に大勢の人がこの基地を目指して福生を訪れ、16号を横断していく。福生がまぎれもなく「基地の街」として意識される日である。
「国境」が物理的に無効になる日に、「基地」の存在が強く意識されるとは、なんとも逆説的な話だが。


(1)「FUSSA=若き芸術家たちの限りなく透明なブルーの世界」「女性自身」1976年7月29日号、光文社、51ページ
(2)宮崎祐治『東京映画地図』キネマ旬報社、2016年、240ページ

 

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「ホームルーム」後の講師室にて――『アイドル論の教科書』を書いて

塚田修一

 本書では「ホームルーム」で講義を終えたので、ここでは、さしずめ「ホームルーム」後の講師室で、本書にまつわるこぼれ話を、というような雰囲気で書いてみたい。

 実は、本書の著者2人がそろって格闘していたものが2つある。
 まずは「経年変化」である。周知のように、アイドル文化は変化が早い。盛り込んだ最新のネタも、すぐに古くなってしまうのである。アイドル文化界隈の情報を定期的に仕入れながらの、記述のアップデート作業が私たちに付きまとった。
 もう一つが「距離感」だ。よく言われることだが、アイドルファンは、物理的にも、心理的にも、どこかでアイドルとの「距離感」を楽しんでいる。アイドル(文化)を論じる際にも「距離感」、つまり、どのようなスタンスで記述するかに頭を悩ませた。
 高踏的な論じ方は「鼻につく」(「学術論文」としてならば、それでいいのかもしれないが)。オタク的な知識や偏愛の披露では、「ツマラナイ」。さらに、教科書(参考書)というコンセプト上、読者が真似できない「名人芸」になってしまうのも避けなければならない。――アイドル文化を論じる、最適な「距離感」を模索して、私たちはあれこれ悩んだ。
 ぶっちゃけてしまえば、私たちはこれらを解決できたわけではない(いまだに格闘中である)。
 だが、暫定的な解決策として、本書では、「読者に積極的に委ねる」という形にしたつもりである。つまり、読者によって考えられ、埋められる「余白」とした、ということだ。――これが本書の重要な仕掛けである。
「経年変化」については、読者が各々アップデートして、「応用篇」をつむいでいってもらえるようにした。また「距離感」についてもやはり、読者によって書かれるべき「応用篇」を設定することで、読者の思考の参入を呼び込むかたちにして、「鼻につく」「ツマラナイ」「名人芸」――これらは要するに、読者が参入できないことに起因するものだ――をなんとか回避したつもりである。
 これを「読者に丸投げしている」とは捉えないでほしい。
 先述の暫定的解決策は、著者2人の、「余白」の必要性への敏感さから講じられたものだからだ。
 例えば、私たちは大学や予備校での講義の際にしばしば、ある問題の思考方法から正解までをすべて説明してしまうのではなく(その場合、実は教育的効果は低いはずだ)、思考方法を示したうえで、「あとは自分で考えてみなさい」と指導するときがある。私たちは、「すべてを説明すること」が、必ずしも最善手でないことを体得的に理解している。そして、生徒や学生にわざと考えさせる、あるいは判断を委ねることの「効用」を知っているのである。
 このようにして本書は、読者の手によって「余白」が埋められること、つまり読者によって「応用篇」が書かれることを想定した、少々奇妙なスタイルの「学術書」になっている。

 そういえば、先日、知り合いの研究者からこんな連絡をもらった。指導しているゼミの女子学生が、本書を発売日に購入し、「国語」講を参照しながら、「女性が女性アイドルを応援すること」をテーマに、「握手会におけるコミュニケーション」の会話分析をおこなっているという。さっそく、本書の「応用篇」が試みられているのだ。――これほどうれしい知らせはない。

 さて、2016年最大のアイドル関連ニュース(男女を問わず)といえば、SMAPの「解散」――「卒業」ではなく――だろう。私たちもやはり気になっている。
「解散」の時間モデルはどうなっているのだろうか。一応、「卒業」と同様の、〈線分〉の時間の〈終わり〉ということになるのだろうか。だが、それは「卒業」のように美化されたものでも、予期(期待)されたものでもないし、そもそもジャニーズのアイドルに「卒業」制度は存在しない。
 また、SMAPファンはどうなるのだろう? ファンたちは、キャンディーズ「微笑みがえし」のキャンペーンを彷彿とさせるような運動(「世界に一つだけの花」の購買運動など)をおこなっているが、「解散」を翻意させるまでには至らなさそうである。では、ファンたちはうまく「あがる」または「おりる」ことができるのだろうか――。そんなことをあれこれ考えているところである。

 

はじめに 連載を始めるにあたって

塚田修一(東京都市大学、大妻女子大学非常勤講師。共著に『アイドル論の教科書』〔青弓社〕ほか)

 どういう町なのか?何にゾッとしたのか?ってことを考えてみたんですが、16号線のあの場所には物語の発生する余地がないのかもしれないと思ったんですよ。(富田克也)(1)

 国道の研究を始めた。
 本リレーエッセーの執筆者である私たち——執筆順に、塚田修一、西田善行、後藤美緒、松下優一、丸山友美、鈴木智之、近森高明、佐幸信介、加藤宏——は、いま、『国道16号線スタディーズ』という書籍企画を準備している。
 それにしても、いぶかしがられるかもしれない。私たちは、交通や道路の専門家ではないからだ(私たちが専門にしているのは社会学である)。
 もう少し正確に言い直そう。私たちは国道16号線(以下、16号と略記)をめぐる〈社会〉の研究を始めた、と。
 この「16号」とは、神奈川県横須賀市から千葉県富津市を結ぶ、総延長約341キロの環状国道である。いわゆる「郊外」の都市を結びながら、首都圏をぐるりと囲むこの国道は、「東京環状」とも呼ばれている。

国道16号線
16号線、富津の始点=終点(2016年3月7日撮影)

「16号線的なるもの」

「国道16号線的郊外」という言い方がある。それは「ファミレスやジャスコなどの大型ショッピングセンター、ファストフードなどのロードサイドショップが軒を連ねている均質空間としての郊外(2)」を指す。
 事実、16号沿いにはまさにそのような光景が広がっている。大規模ショッピングモール、TSUTAYA、ブックオフ、ファミレス、紳士服のチェーン店……。それは、三浦展が「ファスト風土(3)」と呼んだ風景であり、また近森高明がレム・コールハースにならって「無印都市(4)」と呼んだものでもある。
 そこには、映画監督の富田克也に「物語の発生する余地がない」場所と語られるような空漠感が広がり、森山大道の写真集『ROUTE16』(アイセンシア、2004年)に切り取られているような、無機質な光景がある。
 このような、16号沿いに醸成されている光景および「空気感」のことを、「16号線的なるもの」と呼んでみることにしよう。
 この「16号線的なるもの」への社会学的関心と欲求が、私たちの研究の出発点である。
 だがしかし、この「物語の発生する余地がない」とまでいわれるこの「16号線的なるもの」を、私たちはどのようにして把握し、記述できるのだろうか。

2つのテレビ番組から

 ここで2つのテレビ番組を参照したい(これらの番組は、丸山友美によって詳細に検討されることになる)。
 1つは、NHK『ドキュメント72時間』の「オン・ザ・ロード 国道16号線の“幸福”論」(2014年6月13日放送)である。
 この番組では、72時間かけて16号を横須賀・走水から千葉・富津までたどり、道中、出会った人々にインタビューをおこなっている。「ホームレスの真似事」といって河原で生活をする男性や、一見不良っぽい17歳のカップル……。彼(女)らの話はどれも興味深い。だが、ここで注目しておきたいのは、この番組で映し出される風景や人物に対して、ある種の既視感(「ああ、これこれ!!」といった)を覚えてしまうことである。この既視感の要因は、この番組が、私たちの「16号線的なるもの」のイメージをなぞっていることにあるだろう。
 このような、「(車で)走って」なぞり、確認される「16号線的なるもの」に対置されるもう1つのテレビ番組が、テレビ神奈川『キンシオ』の「キンシオ特別編 16号を行く」(2012年)である。これも、イラストレーターのキン・シオタニが、5日間かけて16号を車で走破するのだが、この番組が『ドキュメント72時間』と大きく異なるのは、キンシオが「歩いて」いることである。すなわち彼は、道中、あちこちで寄り道をして喫茶店に立ち寄ったり、顔なじみの店を訪れたり(だがその店が定休日であったりする)と、16号沿いの街々で、偶発性と軽妙に戯れてみせるのである。それは、「16号線的なるもの」を直接的に描出しているとは言いがたいが、行く先々で16号沿いの街の新たな表情を引き出すことに成功している。

「走ること」と「歩くこと」

「16号線的なるもの」の把握と記述のために私たちが選んだのは、前述の「走ること」と「歩くこと」の両方である。
 実際に、私たちは1泊2日で16号を車で「走って」、「16号線的なるもの」をなぞって、把握している。
 同時に、それぞれが、自動車による移動が前提とされている16号沿いの街を、文字どおり、あるいは比喩的な意味で「歩いて」もいる。すなわち、ある者はインタビュー調査を、また丹念なフィールド調査を、ある者は文学テクストを、またある者はテレビドラマを、そして映画を通して、16号沿いのそれぞれの街に内在的に分け入り、その記述を試みている。
「走り」ながらも、「歩く」こと。あるいは「歩き」ながら「走る」こと。こうした私たちの試みをつなぎ合わせると、物語なき16号の〈物語〉が浮かび上がってくるはずである。
 本リレーエッセーでは、そんな私たちの思考/試行(あるいは嗜好)の断片をつづっていく予定である。


(1)「splash!!」vol.4、双葉社、2012年、148ページ
(2)東浩紀/北田暁大『東京から考える——格差・郊外・ナショナリズム』(NHKブックス)、日本放送出版協会、2007年、95ページ
(3)三浦展『ファスト風土化する日本——郊外化とその病理』(新書y)、洋泉社、2004年
(4)近森高明/工藤保則編『無印都市の社会学——どこにでもある日常空間をフィールドワークする』法律文化社、2013年

 

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代理出産、特別養子縁組、里親、児童養護施設をつなげる視点――『〈ハイブリッドな親子〉の社会学――血縁・家族へのこだわりを解きほぐす』を書いて

土屋 敦/松木洋人

「ふつう」の親子? 「ふつう」の子育て?

 血縁でつながっている実の親と子どもとの関係。これが多くの人がイメージする「ふつう」の親子関係だろう。同様に、我々が「子育て」という言葉を使うとき、それはたいてい実の親が実の子どもを育てる営みのことを意味している。
 しかし、この「ふつう」の親子関係とは異なる関係のもとで、子どもが生まれたり育てられたりする場合がある。たとえば、近年、子どもがいる男女が結婚することで形成されるステップファミリーへの注目が高まっている。ステップファミリーでは、夫と前の妻との間に生まれた子どもは、血のつながりがない「新しいお母さん」と生活をともにして、さまざまなケアを受けることになる。

「ハイブリッドな親子」と血縁・家族へのこだわり

 本書の書名になっている「ハイブリッドな親子」という概念は、ステップファミリーのように、子どもの生育に生みの親以外の大人が関与するさまざまな状況に光を当てるために我々が新たに考案した言葉である。「ハイブリッドな親子」にも多様なかたちがあるだろう。例えば、代理出産における「産む親」と「遺伝的親」の分離をめぐる問題、養親と養子の関係、里親と里子の関係や、児童養護施設で実親と切り離されながら養育される子どものケアなども含まれるだろう。
「ハイブリッドな親子」は、一方では血縁にとらわれていない点がポジティブに捉えられることもある。子どもの親にとって大事なのは子どもへの愛情であり配慮だと考えるならば、血縁がもつ意味は二次的なものになるだろう。たとえば、養親子関係のもとで育てられた子どもが、実際に自分を育ててくれた親こそが「ほんとうのお母さん、お父さん」であって、顔も覚えていない生みの親のことは「親でもなんでもない」と考えるというような場合である。
 他方で、本書も含めて、これまでさまざまな研究が示してきたのは、「ハイブリッドな親子」関係を生きる人々が、血縁へのこだわりと向き合いながら生きているということである。さきほどのステップファミリーの例でいうならば、「新しいお母さん」は、子どもが実の母親と会っていることに複雑な感情を抱いているかもしれないし、子どもも「新しいお母さん」のそんな気持ちに気づいて、実の母親と会っていることを隠そうとするかもしれない。また、養親子関係のもとで育てられた子どもも、自分を育ててくれた養親への感謝の念は大きく、自分はこのお父さんとお母さんの子どもだという思いは強くても、それと同時に、心のどこかで実の親への思いをぬぐい去ることができないような場合もあるだろう。
 このような人々の血縁へのこだわりは、血縁でつながった実の親と子どもの関係、そのような関係のもとでなされる子育てが「ふつう」であり、そうでない関係や子育てと比べて、なにか特別な価値をもつものとする規範に由来している。
 本書では、家族社会学の視座から人々の血縁へのこだわりや実の親と子どもの関係を価値づけている規範を解きほぐす作業に力を注いだ。その結果明らかになるのは、このこだわりや規範の強固さであるかもしれない。しかし、社会学的な分析は血縁へのこだわりを社会的プロセスのなかに置くことで相対化する作業でもある。本書は、子どもが実の親だけではなく、多様な大人との養育関係のなかで「ふつう」に育まれる社会をイメージして、その輪郭を浮き彫りにすることを心がけた。現代の日本社会では、家族に子育ての責任が過度に集中することの問題が指摘され、「育児の社会化」の必要性が主張されているが、本書が示そうとしている新たな社会のイメージは、「育児の社会化」を構想するうえでも新たな視点を提供してくれるはずだ。

■代理出産■
 現代社会のテクノロジーの発展にともない、「ハイブリッドな親子」の血縁・家族へのこだわりが最も顕著に表出しているのが、代理出産や第三者の配偶子(精子・卵子)を用いた体外授精の場だろう。代理出産は、自らの卵子を用いて自分で妊娠出産をおこなえない女性が、第三者の女性に妊娠出産腹を委託する行為をさし、「遺伝的親」と「産む親」の分離がおこなわれる。また、カップルのいずれかの不妊が著しい場合、第三者の精子や卵子を借りて出産がおこなわれる場合もある。
 日本国内で代理出産は2008年4月に日本学術会議から出された提言によって原則禁止されていて、この問題に関する法はいまだに整備されていない。他方で、アメリカで代理出産をし、出生児の戸籍上の扱いをめぐって03年に訴訟を起こした向井亜紀・高田延彦夫妻の事例は有名だが、日本人による代理出産自体は、アメリカへの渡航はもちろん、インドやベトナム、タイなどのアジア諸国で生殖ツーリズムとして展開されている。
 また、精子提供や卵子提供による非配偶者間人工授精(AID)、特に精子提供は1949年に慶應義塾大学病院で開始され、これまでに約1万5,000人あまりの子どもが精子提供で生まれている。他方で卵子提供は、日本国内では原則禁止されているものの、アメリカやインド、タイやベトナムなど、海外で提供を受けることが頻繁におこなわれている。
 本書では、こうした代理出産や卵子提供などの生殖ツーリズムの拠点になっているタイやベトナムなどの経験者に取材して、提供者になっている女性たちの身体観や血縁・家族へのこだわりを浮かび上がらせた。そこから見えてくるのは、出産や生殖をめぐる文化的規範のあり方であり、彼女たちが身体感覚の位相で抱く、出産に対する意味づけの差異である。

■特別養子縁組■
「ハイブリッドな親子」と聞いて最も多くの方が思い浮かべるのが、養子縁組の親子関係かもしれない。そこでは、「遺伝的親」と「育ての親」の分離がある。本書では、養子縁組のなかでも特別養子縁組制度の立法化過程を取り上げた。
 普通養子縁組制度では、養子になった子どもは戸籍上、実親と養親の2組の親をもつことになる。だが、特別養子縁組制度は戸籍上、養親の子どもになり実親との関係がなくなる。特別養子縁組制度が誕生したのは1987年のことだ。長い養子縁組の歴史を振り返れば、近年になって誕生した新たな制度だといえるだろう。
 血縁関係に基づく親子観は、「ごく自然で自明のもの」として想起されやすい。他方で、特別養子縁組制度の立法過程をさかのぼるなかで見えてくるのは、「ごく自然で自明のもの」として意識されがちな親子観が、過去のある時点で偶然生じたものであったり、政治的な交渉のなかで恣意的に選択されたものであったりする、親子観をめぐる血縁のポリティクスとも言うべき事態である。本書で意識的に心がけたのは、「血縁」という一見強固に見える親子観を換骨奪胎しながら、そこで議論される政治的な交渉の背景をつぶさに浮かび上がらせることである。

■里親■
「ハイブリッドな親子」のなかでは、里親制度の親子のあり方もまた大きな主題である。養子制度が戸籍の変更を伴う親子関係構築の場であるのに対し、里親制度は児童福祉法に位置づけられた制度であり、虐待を受けた子どもなど、実親のもとでは養育が困難な子どもを第三者が一時的に養育する社会的養護の一つであるところに特徴がある。
 この社会的養護の実践の場で、乳児院や児童養護施設などの施設養護が望ましいのか、それとも里親委託のほうが望ましいのかという論争は長年にわたり繰り広げられてきた。だが、特に2000年以降の潮流は圧倒的に後者の里親委託への支持に傾斜している。本書で取り組んだのは、この潮流のなかで「里親」の位置づけはどう変化したのかを明らかにすることである。
 里親制度は児童福祉法に基づく福祉制度である。そのため、この制度は、「親」であること、「家族」であることを社会がどう評価・実践するのか、という問題と向き合いながら作り上げられてきた。里親制度で近年生じてる事態は、血縁・家族へのこだわりの今後を読み解いていく際、大きな試金石になるだろう。

■児童養護施設■
 里親制度などの「家庭的養護」と対比して語られるのが、乳児院や児童養護施設などでの子どもの養育であり、それは「施設養護」と呼ばれる。「施設養護」は里親制度と並んで日本の社会的養護を担ってきた代表的な場だが、近年、要保護児童の養育に占める「施設養護」割合の高さが大きな問題になっている。国連子どもの権利条約(1989年)では、実親家庭での生活が困難な子どもに家庭的な場での養育を保障することが盛り込まれ、日本の施設養護の多さに3度の国連勧告がなされてきた。
 子どもの「施設養護」は、家庭的な養護からは最も隔てられた場所でなされる育児である。そうした場所での育児規範は、「ふつうの家族」における育児規範とどのような交錯関係のなかで形成されてきたのだろうか。本書で試みたのは、「施設養護」における育児規範の歴史的な変容を跡付ける作業であり、1960年代から70年代に大きな画期があったことを明らかにしている。

***

「ハイブリッドな親子」における血縁・家族へのこだわりを解きほぐしていく最大の意味は、ある種の息苦しさも含む「家族」から少し距離を置いて現在の親子関係を検証していく視座を確保することであり、血縁や実親子へのこだわりを一度カッコにくくり、多様な親子関係に目を向けていくことを世に喚起することにある。まずは多様な「現実」と向き合い、理解するということ――それが、個々人がもつ「こだわり」を解きほぐすことにつながる第一歩だと、そう信じている。

 

本書が受けるかもしれない誤解についての釈明――『怪獣から読む戦後ポピュラー・カルチャー――特撮映画・SFジャンル形成史』を書いて

森下 達

 エピローグにも書いたとおり、本書は、筆者の博士学位論文がもとになっている。博士論文を母校に提出したのは2014年12月のこと。そのときには、まさか2016年に新しいゴジラ映画が封切られることになろうとは――そして、それにふれた文章を書籍化した拙論に付け加えることになろうとは――夢にも思っていなかった。
 2015年7月、『シン・ゴジラ』(監督:庵野秀明、2016年)の製作発表に胸をときめかせた3カ月ののち、博士(文学)の学位を取得することに成功した筆者は、前後して改稿作業に力を注いでいった。最終的には、400字詰め原稿用紙に換算して150枚ほどの分量を削っている。もともとの論文にあった回り道や脱線を削除していけばいいのだから、これはそれほど大変な作業ではなかったのだが、問題は書名だった。
 すでに読んだ方はわかってくださると思うが、本書はいささか特殊な問題設定をおこなっている。特撮映画やSFを扱った本、というと、まず思い浮かぶのは、そのジャンルに包摂される作品に対する著者自身の熱い思いを紡いでいくことでジャンルの根本精神を深く深く掘り下げる体のものだろう。ファン向けのムックから評論本、学術的な香りをもった著作まで、読みの深さや議論の精度はそれぞれだが、こうしたスタイルを採用した書籍がもっとも広く世の中に流通している。
 そのほかに、著者の関心が作品よりも背後の社会に向けられている本も、学術書を中心にしばしば見ることができる。すなわち、ポピュラー・カルチャー作品を、社会の空気や時代の風潮をなんらかのかたちで反映しているものとして捉え、その変遷から社会の変化の重要な一側面を切り取って叙述する、というスタイルの書籍だ。
 だが困ったことに、本書はそのどちらでもないのだった。本書が焦点を当てるのは、前者の本がしばしば当たり前に存在するものとして議論の前提にする「特撮映画」や「SF」という「ジャンル」が、はたしてどのようにして形作られていったのか、ということだ。検討の過程では、ジャンルに包摂される作品そのものが第一に問題になるわけだから、この点では前者の著作にも通じる要素が本書にはある。しかし、ジャンルの存在を議論の前提とはしないので、これだけにとどまらず、主として同時代の作品評に着目して、当時どういったジャンル認識が通用していたのかも問題にしていく。その際、ジャンル形成の力学を、時代や社会との関係でもって論じることが多い点では、後者の著作にも近いところがある。こうした重層的な分析によって、ポピュラー・カルチャーという領域が「政治」や「社会」から切り離されたものとして形成されていった、その一断面を描き出してみようというのが本書の意図だった(成功しているかどうかについては、読者諸兄の判断を仰ぎたい)。
 しかし、このような執筆意図を、どのような書名でわかりやすくパッケージングすればいいのか。博士論文では、「「特撮映画」・「SF(日本SF)」ジャンルの成立と「核」の想像力――戦後日本におけるポピュラー・カルチャー領域の形成をめぐって」とタイトルを付したが、いかにも論文っぽくてぎこちなく、商業書籍の題名にはふさわしくない。研究者仲間に相談したら、『怪獣と政治』というすてきな書名を提案してくれたものの、なんの本かわからず「Amazon」が分類に困るということでこれもダメ。編集を担当してくださった矢野未知生さんからもさまざまなアイデアをいただき、紆余曲折を経て、『怪獣から読む戦後ポピュラー・カルチャー――特撮映画・SFジャンル形成史』に決定した。
 とはいえ、この書名が、「戦後ポピュラー・カルチャー」という領域の存在を前提にしたうえで、、、、、、、、、、、、、、、「怪獣というキャラクターがそこでどのような活躍をしてきたか」を歴史的に解説した本だという印象を与えかねないものでもあることに、筆者は一抹の不安を抱いてもいる。そのような期待を胸に本書を手に取り、購入するジャンルのファンがいるのではないかという懸念も、いまだにないではない。怪獣対決路線の映画が論じられていないとか、ガメラのほうが好きなんだとか、ウルトラマンを出せとか、「期待していたのと違う!」と、さまざまな不満を抱く方もいらっしゃるかもしれない。本当にすみませんでした、と、まずはこの場を借りて頭を下げておきたい。
 と同時に、「そういう趣味的な解説本ではなくて、あなたが興味をもっているそれらの領域がどのように形成されたかを外側から見る本なんです」ということも、あらためてここで強調しておこう。ポピュラー・カルチャーにはまった経験がある人にこそ、じっくりと読んでほしい。本書の問題設定を理解していただいたうえで、お付き合いいただければ幸いです。

 

第3回 北翔&妃海の退団から思うこと

薮下哲司(映画・演劇評論家。元スポーツニッポン新聞社特別委員、甲南女子大学非常勤講師)

 宝塚歌劇の評論シリーズの最新号『宝塚イズム34』の発売日、12月1日が迫ってきました。すでに原稿はすべてそろい、現在は校正、印刷、製本と出版に向けての最終段階といったところです。
 今号の目玉は、11月20日の星組公演『桜華に舞え』『ロマンス!!(Romance)』東京公演千秋楽で退団するトップコンビ、北翔海莉と妃海風のサヨナラ特集で、2人が宝塚に残した足跡をたどりながら、それぞれのタカラジェンヌとしての資質と魅力を、オフの人柄や舞台姿などさまざまな面から分析・解析していきます。
 北翔海莉という人は、最近のタカラジェンヌには珍しく宝塚歌劇のことを何も知らずに受験、入団。持ち前の負けん気で猛勉強、宝塚音楽学校在学中の2年間で頭角を現しました。まさに努力の人で、それは20年後、退団する現在までずっと変わりませんでした。
 退団公演は、明治維新の立役者・西郷隆盛の右腕として西南戦争で壮絶な戦死をとげた桐野利秋の半生を描いた齋藤吉正の書き下ろしのミュージカル『桜華に舞え』で、北翔はもちろん主人公の桐野を演じました。生粋の薩摩藩士役で齋藤の脚本の台詞は全編ほとんど鹿児島弁。もちろん歌劇団には方言指導のスタッフがいるのですが、それで飽き足らない北翔は、役作りを兼ねて早くから鹿児島へ出向いて実地特訓、現地出身の人が聞いて遜色のない自然な鹿児島弁を舞台で操りました。宝塚での公演が終わり、東京公演までのあわただしい時間の合間にも、再度鹿児島へ。舞台で披露する自顕流の特訓を改めて受けにいくというほどの念の入れ方。退団公演の宝塚と東京の合間に、改めて役作りのための特訓をしたトップスターというのは、長い宝塚取材歴のなかでも初めて聞きました。トップスターは退団を発表すると、雑誌「歌劇」(宝塚クリエイティブアーツ)や「宝塚GRAPH」(宝塚クリエイティブアーツ)のサヨナラ特集の取材、さらにCSチャンネルの特集番組収録、加えてサヨナラ記念写真集の撮影など、そうでなくとも退団の準備や本業の舞台で多忙にもかかわらず、その合間を縫っての殺陣の稽古というのは、まさに完璧主義者・北翔らしいエピソードでした。そのぶれない姿勢には本当に頭が下がります。
 もともと、何事もやり始めたら究めるまでやらないと気がすまないタイプらしく、横笛も運転免許もフラメンコも、役作りのためにやり始めたらとことんやってしまうという性格。宝塚でのトップ就任も、入ったのだからとことん究めるという彼女なりのポリシーの成就だったのかもしれません。
 宝塚での千秋楽は、大劇場全体が彼女らしい温かい雰囲気に終始包まれ、とてもいいサヨナラショーでした。20日の東京での千秋楽はさらに盛り上がることになるでしょう。何も知らないで入った宝塚を愛し、仲間を愛し、ファンを愛した北翔のこれからの活躍を切に願いたいものです。すでに、さまざまなところからのオファーがきていて、水面下では決まっているものもあるようですが、さしあたりは年末のファンクラブ対象のディナーショーから再スタートになるようです。歌に芝居になんでもできる強みで、あわてずじっくりと長いスタンスをもって活躍してほしいと思います。
 さて、北翔・妃海という星組トップコンビが退団すると、さっそく次期の紅ゆずる・綺咲愛里という新コンビが12月の『タカラヅカスペシャル2016――Music Succession to Next』でお披露目、早くも始動します。人が変わればまた組は別のカラーに染まり、新たな星組に生まれ変わります。これこそが宝塚が102年続いてきた原動力の一つでしょう。二番手には成長目覚ましい礼真琴、それをサポートする七海ひろきの人気上昇も見逃せません。麻央侑希や十碧れいやといった中堅に加えて綾凰華や天華えまといった若手の成長も頼もしいかぎり。

 一方、北翔退団で一段落した星組のあとは、次なるトップスター退団の動きに注目が集まっています。この原稿の締め切りまでにはまだ発表がありませんが、先ごろ、星組の実力派娘役・真彩希帆が雪組に、雪組の人気男役スター・月城かなとが月組に異動することが発表されるなど、次期体制作りが着々とおこなわれていて、発表は時間の問題です。こうして次々に新陳代謝が繰り返される宝塚は、旬のスターの魅力を楽しむエンターテインメントなのだなあとつくづく感じ入ります。それがうまくいったときには本人の実力以上の輝きがあふれます。
 それを改めて確認したイベントの発表がありました。12月から来年(2017年)にかけておこなわれる『エリザベート TAKARAZUKA20周年 スペシャル・ガラ・コンサート』制作発表会見です。今年(2016年)は『エリザベート』が宝塚で初演されて以来20年、その掉尾を飾ってこれまでの公演に出演してきたスターたちが一堂に会してのガラコンサートが開催されることになり、にぎやかに制作発表会見がおこなわれたのです。
 壇上に上がったのは、初演の雪組公演に出演、トート役を演じた一路真輝、再演の麻路さき(星組)、姿月あさと(宙組)、彩輝なお(月組)、春野寿美礼(花組)、水夏希(雪組)。エリザベート役の大鳥れい(花組)、白羽ゆり(雪組)、退団したばかりの龍真咲(月組)、そして月組公演に出演した専科・凪七瑠海の10人。
 席上、演出の小池修一郎が「まさか20年続くヒット作になるとは夢にも思わなかったが、いま振り返ると、初演のメンバーはじめ、この作品を演じてくれた生徒たちが青春の情熱のすべてを振り絞って取り組んでくれていたんだなあと思う。それがいまに続いているんだと思う」としみじみと語ったとおり、生徒がそのときそのときのもてる力を最大限に作品にぶつけていて、それぞれの思いがまさに青春なのでした。しかし、この作品を通過して宝塚を卒業、改めてこの作品に向き合ったとき、宝塚時代とはまったく違ったトートなりエリザベートが生まれる。それぞれが人生経験を積んだあとの『エリザベート』は、深みがあり奥行きが出て、宝塚時代とはまた違ったすばらしさがある。しかし、無垢な青春時代の『エリザベート』は帰ってこない。今年、20周年ということで『エリザベート』は東宝版と宝塚版が同時に上演されました。朝夏まなとと実咲凜音が演じた宙組公演は、東宝版に比べるとなんだか幼く見えたようにも思います。でも、それが宝塚の魅力なのだと、会見でのOGたちを見ていて改めて感じ入りました。どちらがいいとはもはやいえない。その違いをぜひ『エリザベート TAKARAZUKA20周年 スペシャル・ガラ・コンサート』でも確かめてほしいと思います。

 さて2016年の宝塚は、100周年人気の余韻を引き継ぎ、年初から好評裏に推移。『るろうに剣心』(雪組)のヒット、月組の龍真咲、星組の北翔海莉の退団公演の間には『エリザベート』再演(宙組)と、ほぼ毎公演満員の盛況が続いています。この好調をどのように持続していくか、それにはスムーズなスター交代人事と新作のヒット作を生み出すことに尽きるでしょう。制作陣の手腕を切に期待したいと思います。

 

Copyright Tetsuji Yabushita
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