第7回 朝夏退団発表、望海&真彩就任発表、動き続ける宝塚

薮下哲司(映画・演劇評論家。元スポーツニッポン新聞社特別委員、甲南女子大学非常勤講師)

 雪組トップコンビ早霧せいな・咲妃みゆの2017年7月退団に続いて、宙組トップスター朝夏まなとの11月退団が、3月7日に発表されました。そして、9日には雪組の次期トップコンビが望海風斗と真彩希帆に正式に決まり、8月の全国ツアーでのお披露目が発表されました。一方、宝塚大劇場では10日から星組新トップコンビのお披露目公演『THE SCARLET PIMPERNEL(ルビ:スカーレット ピンパーネル)』が華やかに開幕しました。相変わらず宝塚は目まぐるしく動いています。去る者がいれば新たなスターが誕生する。宝塚102年の歴史はこの繰り返しです。

 朝夏の退団は、昨年(2016年)末に発売された雑誌「an・an」(マガジンハウス)宝塚特集のトップスターの項に早霧とともに朝夏も入っていなかったことや、8月から11月にかけての宝塚大劇場と東京宝塚劇場での宙組公演が『神々の土地』と『クラシカル ビジュー』と発表されるのと同時に、その前の6月に梅田芸術劇場と文京シビックホールでおこなわれる朝夏のためのコンサート『A Motion(ルビ:エース モーション)』が発表されたことから、ある程度予想されたことではありました。それにしても、朝夏は2015年3月のお披露目公演『TOP HAT』(宙組)に続く『王家に捧ぐ歌』(宙組、2015年)で正式にトップに就任したばかりですから、まだ2年にもなりません。『エリザベート――愛と死の輪舞(ルビ:ロンド)』(宙組、2016年)に続く『王妃の館――Chateau de la Reine』(宙組、2017年)で新境地を開拓、これからじっくりと朝夏の男役を完成していってほしいと思っていた矢先でもあり、この時期での退団は残念です。いろいろな大人の事情があるのはわかりますが、ちょっと早い気がしてなりません。
 その朝夏ですが、退団会見に臨んで「卒業するその日まで進化し続けたい」と、彼女らしいさばさばとした潔さで退団の思いを吐露しました。退団の決断は昨年7・8月宝塚大劇場での『エリザベート』公演中のことだったと言い、「大作に挑戦したことで組が一つになり、自身も充実感を得た」ことが退団への思いを後押ししたとか。退団後のことは「まだ考えられない」というのは退団発表時のスターの常套句ですが、ここは、最後の公演にかける彼女の思いを汲んで、温かく見守りたいと思います。
 朝夏といえば佐賀県出身としては初めてのトップスター。トップ就任のときは佐賀県あげての応援ぶりで、公演初日に駆け付けたいという知事の意向を汲んで、広報担当が公務と重ならないようにスケジュールの調整に躍起になっていたことが懐かしく思い出されます。当の本人は、同じ佐賀県出身で1期上の夢乃聖夏(元・雪組)が1999年に宝塚音楽学校に合格したとき、地元の新聞に大きく報じられ、「佐賀県からでも宝塚を受けられるんだ」と知って一念発起、レッスンに励んで、翌2000年に受験、見事一発で合格しました。初舞台は香寿たつきがトップだった02年4月の星組公演『プラハの春』でしたから、今年で研16ということになります。
 当初は花組に配属され、長身で見栄えがすることから、新人公演などで早くから主役に抜擢されました。ダンスが得意で雰囲気がよく似ていることから、「ポスト和央ようか」と言われたものです。春野寿美礼、真飛聖、蘭寿とむと3人のトップスターのもとで男役を修業、春野時代には彩吹真央や蘭寿、真飛時代には大空祐飛、蘭寿時代には壮一帆、愛音羽麗と男役の層が厚い花組で、新人時代の勢いほどにはなかなか目が出ず、スランプの時期もありましたが、2012年、凰稀かなめのトップ就任と同時に宙組に組替え、一気に2番手に躍り出て、凰稀退団と同時に100周年後の新生宙組のトップスターに就任しました。
 朝夏がトップに就任した時点での各組のトップは、花組が明日海りお、月組が龍真咲、雪組が早霧せいな、星組が柚希礼音で、朝夏の長身とその凜としたたたずまいがなんとも新鮮でフレッシュな感じでした。課題だった歌唱力も、宙組に組替えになったころからレッスンの仕方を変えたのか、声の出し方を新たに習得したのか、高音低音ともに余裕がある歌い方に見違えるように変わり、よく伸びる歌声は『王家に捧ぐ歌』や『Shakespeare ――空に満つるは、尽きせぬ言の葉』(宙組、2016年)、そして『エリザベート』と、ダンサーであるとともに歌手・朝夏を強く印象づけることにもなりました。
 退団公演『神々の土地』は宝塚期待の作家・上田久美子の新作です。朝夏の最後にして代表作となるような傑作の誕生を期待したいと思います。

 そして、雪組の新トップスターに就任することが決まった望海は、もう誰もが彼女の起用に異論はない、待ちに待った花も実もある実力派です。特に花組の下級生時代に主演した『太王四神記』(花組、2009年)新人公演のときから定評があったその歌唱力は、その後もどんどん進化して、本公演以外でも『アル・カポネ――スカーフェイスに秘められた真実』(雪組、2015年)や『ドン・ジュアン』(雪組、2016年)などの主演作で観客を魅了しています。早霧・咲妃、そしての望海のゴールデントリオは、観客動員数でも5組中トップを誇っています。この雪組人気を望海1人で今後持続できるか、これも注目の的です。お披露目公演は高汐巴、若葉ひろみ時代の花組で上演され、その後も春野寿美礼や柚希礼音で再演されている柴田侑宏の名作『琥珀色の雨にぬれて』全国ツアーと発表されています。望海の個性にはぴったりの選択で、なかなか楽しみな公演になりそうです。

 そんな発表のさなか、10日からは星組新トップコンビ紅ゆずる・綺咲愛里のお披露目公演、ミュージカル『THE SCARLET PIMPERNEL』が宝塚大劇場で開幕しました。2008年の初演時、紅が新人公演で主演したゆかりの深い演目とあって、初日は満員札止めの盛況。2番手時代が長かっただけに、ファンの待望感も相当なもので、初日の熱気は独特のものがありました。それに応えて紅も、終演後の挨拶で「ファンの方の応援があればこそ今日がありました。ありがとうございました」と感謝、その言葉に満員の客席から大きな拍手が送られました。

 そんな新旧入れ替わりが話題の2017年前半の宝塚ですが、6月1日発売のわが『宝塚イズム35』は、雪組トップコンビ早霧せいな・咲妃みゆの退団を惜しんで、彼女たちのコンビの魅力を大解剖します。現在は雪組ですが、早霧は宙組が生んだ最初のトップスターでもあります。華奢な体のどこにあれだけのパワーがあるのか、その源を執筆メンバーが探ります。大いにご期待ください。もちろん、柚希礼音、北翔海莉のもとで2番手修業をした星組新トップ紅ゆずるのお祝い特集もあります。常に動いている宝塚だからこそ、いましっかりと書きとめておかないといけない。『宝塚イズム』のテーマはそれに尽きるでしょう。執筆メンバーからそろそろ原稿が届くころです。編著者として、宝塚への愛にあふれた多くの原稿を読むのを楽しみにしたいと思います。

 

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オペレッタの楽しみを伝えたくて――『オペレッタの幕開け――オッフェンバックと日本近代』を書いて

森 佳子

「あとがき」にも書いたように、本書は、2014年に出版した私の前著『オッフェンバックと大衆芸術――パリジャンが愛した夢幻オペレッタ』(早稲田大学出版部。博士論文をもとに書いたもの)の「続篇」である。着想から2冊の本の完成までにかなりの年数がかかってしまったが、17年になってやっと出版することができた。
 最初にテーマの着想を得たきっかけは、次のようなものである。オペレッタの創始者ジャック・オッフェンバックの名は日本でも有名で、最高傑作の一つ『地獄のオルフェウス』に挿入される「フレンチ・カンカン」の音楽だけを知っている人も多い。若い世代でさえ、この曲を「運動会の音楽」として認識している。私にはその点が気になった。明治時代から主にドイツのクラシック音楽の影響下にあった日本で、なぜあの曲が昔から知られているのか、不思議だったのだ。
 それに加えて、オッフェンバック作品のすばらしい上演に巡り合ったことが、このたびの執筆に大きな影響を与えている。まずは15年以上さかのぼるが、パリのオペラ・バスチーユで『ホフマン物語』を初めて観て、大きな憧れを抱いたことがその始まりだった。印象的で洗練されたメロディー、時空を行き来し、夢と現実の境が見えない物語構成の面白さ、人形や悪魔あるいは音楽の女神ミューズなどの魅力的な登場人物たち……あの「フレンチ・カンカン」と同じ作曲家の作品とは信じられず、これをテーマに何か書いてみたいと思った。
 そして2007年になって、パリのオペラ・コミック座でオッフェンバックのオペレッタ『ラ・ペリコール』を観て、大きな衝撃を受けたことがあった。本書でも触れた、ジェローム・サヴァリによる「ミュージカル風」演出の上演である。サヴァリはジャズをかなり勉強した人らしいが、このときに使っていた音楽には大変驚かされた。オッフェンバックのオリジナル音楽に、ジャズやロックが交ざったようなアレンジを加えていたと記憶しているが、物語の舞台がペルーということもあってうまくマッチしていた(サヴァリ自身によれば、同時代の南アメリカの独裁政治を舞台で表現したという)。しかもそのうえ、オッフェンバックに扮装した「謎の人物」(小さな丸メガネに薄い頭髪、黒っぽい毛皮付きガウンといった格好)がたびたび舞台上に現れ、観客の笑いをとっていたのが印象的だった。ちなみに本書でも触れたが、彼自身に扮した人物を舞台に出すのは、20世紀初頭によくおこなわれた演出方法である。もっとも、こうした「翻案」上演は、オーソドックスなものを好む人には評価されないかもしれないが、当時の私にとっては新鮮な驚きだった。
 このようなかつての様々な体験のなかで、オッフェンバック作品が秘めている多彩な上演の可能性を見いだしたことが、博士論文と2冊の本の執筆に向かう出発点になっている。しかし博士論文では、オペレッタのように娯楽性が強いジャンルが受け入れられるかどうかわからず、困難な道になるだろうと予想した。だが、幸運なことにそれはうまくいき、学術書と一般書の両方を書き上げるにいたったのだ。
 博士論文と前著の執筆に際しては、オッフェンバックが晩年に影響を受けた「夢幻劇」の調査にかなり時間を費やしたが、後続の本書でもそうした地道なアプローチの姿勢は崩していない。例えば第3章「オッフェンバックとは何者か」では、オッフェンバックがテーマになったムーラン・ルージュのレビューに関して、パンフレットなどの一次資料を読み込んだうえで書いている(フランス国立図書館はまとまった数のパンフレットを所蔵していて、これらが役に立った)。また第6章「日本人とオッフェンバックの出合い」と第7章「花開く日本のオペレッタ」の日本のオペラやオペレッタ上演に関する項目でも、できるかぎり当時の雑誌などにあたったり、オペラ団体からパンフレットを取り寄せたりして、様々な資料に基づいてまとめている。ただし「浅草オペラ」に関しては、知られざる資料がまだまだ眠っていると思われ、十分な情報が得られたとは言いがたい。私にとってはそれが心残りだが、これらが世に出てくることを切に願っている。
 さらに今回の執筆では、次のような点でも苦労した。まず論文から一般書に書き換える際には、かなり工夫しなければならない。例えば、学術の世界で説明が不要のことでも、一般書の場合はそれが必要になる。なおかつ、丁寧で簡潔な表現でなければならない。同時に、単なる「オッフェンバックの伝記」にとどまらない、多くの読者が興味を持てるような構成にしたい。ある意味では、前著を一歩でも乗り越えたいという気持ちもあり、正直言って完成するまでの道のりは平坦ではなかったと思う。
 おそらく、いわゆる「研究書」と呼ばれる本のなかには、専門家だけでなく一般の読者や大学生にも面白いと思えるテーマがたくさんあるだろう。しかも書き方や構成の工夫次第で、それらはもっと興味深く、読みやすいものになると思う。今回はその点で、青弓社にずいぶんサポートしてもらった。私にとってはこれが貴重な第一歩である。

 

第4回 トラックドライバーがコンビニエンスストアを変えた?――私の国道16号線見聞録

後藤美緒(日本大学文理学部助手。論文に「戦間期の学生の読書実践」〔「社会学評論」第62巻第1号〕など)

 国道16号線(以下、16号と略記)を走破してみた。一度は後部座席の乗客として全部を、次は運転手として一部区間を走った。ファミリーカー、ワゴン、大型トラックとさまざまな車両がこの道を駆けていく。立場はさまざまだったが、車中にいながら感じたことがある。はたして16号は、とりわけ自動車で移動する者たちにとって走りやすいのだろうかと。
 運転することは快楽であるとともに、思いのほか体を酷使するものだ。長時間運転して体がこわばった、のどが渇いた、気分転換がしたいなど、ドライバーは気ままに思いつく。
 実際にすでに走りだしてから小1時間。ちょうどいい具合にコンビニエンスストアが見えてきた。あそこで一息入れよう。雑誌を立ち読みしてからトイレに行って、甘い物でも買おうか。しかし、はたしてここはコンビニなのか。

写真1 埼玉県春日部市増戸地区を野田市方面から望む(2016年5月1日撮影)

16号上のサービスエリア?

 川口方面からは左手に、野田方面からは右手にそのコンビニは現れる。川口方面から駐車場に入ると、まず目に入るのは10トンを超える大型トラックの鼻先である。駐車スペースを求めて徐行運転すると、それが数台あることに気づき、いま何をしようとしていたのか忘れてしまう(写真2)。よく見ると、ナンバーはさいたまではない。札幌、山形、三重、大分と全国のナンバーだ。ウィンドーガラスには日中にもかかわらずカーテンがかけられ、エンジンが切られた車体同様、運転手たちも休んでいることがうかがわれる。

写真2 駐車場で出迎える大型トラック

 群居する車体を横目に店内に入って入り口付近に目をこらすと、まず飛び込んでくるのは、書体も鮮やかな廉価コミックとCDラック。次に車内用の消臭剤や芳香剤と携帯トイレ、簡易車体用ワックス、そして大容量の水色のカーウォッシャー液である。小さなカーショップ並みの品ぞろえをいぶかしみながら、ようやく書棚にたどり着くと、そこには女性ファッション誌はなく、地図や観光情報、男性マンガ雑誌、生活雑誌、成人雑誌が並ぶ。どうやらお目当てのものはないようだ。それではとトイレに向かうと、男女別に分かれてトイレが3つあることに気づく。こうなるとがぜん面白くなって店内散策に出かける。すると、弁当や飲料だけではなくアルコール類も小型スーパーマーケット並み。男性用肌着も都心のオフィス街レベルの品ぞろえだ。
 サービスエリアの基本設計は、駐車場、トイレ、電話、園地(休憩スペース)で構成されているという。巨大な駐車場に全国のナンバーのトラック、複数のトイレ設備、自動車用品を含む充実した品ぞろえは、あたかも高速道路のサービスエリアのようだ。しかし、ここは16号。幹線道路であって高速ではない。

ドライバーとコンビニ

 コンビニ経営の成立要件は人口密度、配送距離、配送コストの3点だといわれる。ここで取り上げたコンビニは、東北自動車道と国道4号線から車で約10分の幹線道路沿いにあり、近隣には徒歩圏内ではないものの住宅団地が広がっている。最寄りのコンビニまでも距離があり、深夜営業を売りにして競合する存在はない。独立した商圏が十分成立することが予想される。通勤通学途中にあるコンビニは、ちょっとした飲み物やお菓子にはじまり、昼食や夜食の調達、公共料金の振り込みや預金の払い戻しもでき、もはや地域になくてはならないものである。さしずめ、ここは地域のコンビニというところだろう。
 だが、ここではコンビニであるがゆえに、異なる時間と空間を引き寄せているのではないだろうか。2つの大きな道路網に囲まれた、片側2車線で中央分離帯と歩道が整備された春日部市内の16号は、拠点をつないで物を運ぶトラックにとって本来なら最適な道路である。しかし、彼らの欲求をまかなう施設は幹線沿いには見つからない。実際に移動してみると、飲食店にはファミリーカーを基本にした駐車場しかなく、トラック運転手が休息と栄養を補給する場所は必然的に限られる。付近には巨大な駐車スペースを備えた物流センターが散在するものの、そこにとどまってはあまりにも仕事と休息が地続きになってしまう。
 おおよそ、生活に必要なものをまかなえるのがコンビニである。訪れれば必ずこれだけはある、という確信が私たちをコンビニに運ぶ。そこに時間や場所に対する制約はない。それは誰に対してもだ。
 そうしたなか、幹線沿いの商店にとって、得意先を自動車で回る営業マンや運送業社のドライバーは重要な顧客である。昼夜を問わずおこなわれる長距離移動で疲れたトラックドライバーを休ませるのは、ひょっとするといつもの一杯かもしれない。しかも、コンビニは通勤途中だろうが、休日のドライブだろうが、勤務中だろうが理由を問わない。彼らを消費者として取り込もうとしたときに見いだされた身体性が、コンビニをサービスエリア化させ、コンビニの特性である没場所性を奪っていく。けれど、ここはコンビニ。駐車場やトイレは付属設備になり、純然たるサービスエリアになることはない。

 16号ではトラックとファミリーカーをしばしば見かける。それらは並列で、ときには縦列のように走っていることもある。ただ、それらは、一方通行の道を互いに無関心に走っている。また、散在する大型ショッピングセンターでは、ファミリーカーは幹線道路沿いから店舗正面へ、トラックは搬入口のある店舗の裏側に回り、ここでも交わることはない。目的も運転技術も異なる2つのドライバーは潜在的に不協和音を抱えているが、16号上で顕在化することはない。そうした出会わないドライバーが、商業を媒介に対面してしまうのがくだんのコンビニなのだ。
 本リレーエッセーの第2回「国道16号と私――あるいは『国道16号線スタディーズ』の私的企画意図」で西田善行が述べるように、16号は実は地域によってさまざまな表情を見せる。没場所性を有するコンビニは、一部とはいえ、16号と交わることでむしろ独自性を進化させていったのだ。

 

Copyright Mio Goto
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第6回 花組トップ娘役・花乃まりあ退団に贈る言葉

鶴岡英理子(演劇ライター。著書に『宝塚のシルエット』〔青弓社〕ほか)

 つい先日2017年年頭のご挨拶をさまざまな方たちと交わしたつもりでいましたが、早くもめくれたカレンダーの2枚目、2月が終わりに近づいています。まさに飛ぶように過ぎていく毎日に息つく暇もない思いですし、すでに手配している劇場の前売り券には6月・7月の公演も交じってきました。あまりにも先すぎるように思いながら、このチケットで客席に座るまで、ちゃんと元気でいなければ!と前売り券に鼓舞されているような気持ちにもなるのは、ライブパフォーマンスを愛する者の特権かもしれません。
 そんななか、6月1日刊行予定の『宝塚イズム35』の準備も着々と始まっています。幸い『宝塚イズム34――特集 さよなら北翔海莉&妃海風』は大変ご好評をいただき、青弓社にほぼ在庫がない状態ということで、編著者の一人としてうれしく、ありがたく思っています。書店によってはまだ並んでいるかと思いますので、気になっている方は店頭でぜひお求めください。その熱い勢いに乗って!と、『35』の編集会議も白熱し、平成のゴールデンコンビとうたわれた雪組トップコンビ早霧せいな&咲妃みゆ退団特集を軸に、星組新トップコンビ紅ゆずる&綺咲愛里お披露目、宝塚レビュー90周年、など盛りだくさんなテーマでお送りすべく動いています。こちらもどうぞお楽しみになさってください。
 と、思いは先へ先へと進んでいくのですが、一方でこの2月を思い返しますと、第一日曜日の2月5日、宝塚花組公演『雪華抄』『金色の砂漠』東京宝塚劇場千秋楽をもって、花組トップ娘役・花乃まりあが宝塚を去っていきました。
 2010年、『THE SCARLET PIMPERNEL』(月組)で初舞台を踏んだ花乃は、宙組に配属。可憐な容姿の新進娘役として、いち早く頭角を現します。12年、宙組6代目トップスター凰稀かなめのトップお披露目公演『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』の新人公演では、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ(ヒルダ)役を演じ、早くも新人公演初ヒロイン。13年、同作品の博多座公演では、物語の重要人物ヤン・ウェンリーの養子ユリアンを、キリリと芯が通った少年役として生き生きと演じ注目を集めます。その後も『モンテ・クリスト伯』(宙組、2013年)の新人公演でヒロイン・メルセデス役、『the WILD Meets the WILD』(宙組、2013年)のエマ・トゥワイニング役で宝塚バウホール公演初ヒロイン、さらに『風と共に去りぬ』(宙組、2013年)の新人公演では、本公演で男役スターの朝夏まなと・七海ひろきが演じていたヒロイン、スカーレット・オハラ役を演じ、娘役が演じるスカーレットならではの、可憐さをもった体当たりの熱演を披露しました。何より、博多座公演からここまでの経歴がすべて2013年1年間でのことだった、という事実が雄弁に語るように、花乃は宙組の秘蔵っ子、未来のヒロイン娘役候補生として、大切に大切に育てられてきたのです。
 ですから、翌2014年に花組に組替え、『ベルサイユのばら――フェルゼンとマリー・アントワネット編』(花組、2014年)の中日劇場公演でのロザリー役、『エリザベート――愛と死の輪舞』(花組、2014年)新人公演でのエリザベート役を経て、花組トップスター明日海りおの2代目の相手役、花組トップ娘役に花乃が就任したことは、宙組時代の彼女を知る者からすれば、しごく当然の流れに思えたものでした。
 ところが、明日海の相手役という観点だけで見れば花乃がやや大柄だったことや、これまで当たり役にしてきたのが、『the WILD Meets the WILD』のエマや『風と共に去りぬ』のスカーレットという、宝塚の娘役特有の砂糖菓子のような愛らしさとは一つ異なる、勝ち気な性格の役どころだったこと、さらに持ち味にどこか現代的な香りがあったことが、古典的な美貌を誇る明日海の個性と、ややなじみにくいのでは?ということ――これらが懸念され、ファンの一部から不安の声が上がったのもまた事実で、花乃の才能を高く買っていた一人として、私も陰ながら気をもんだ時期があったものです。
 けれども、トップ娘役として一つひとつの作品に立ち向かううちに、役柄に対してひたむきでまっすぐな花乃らしい演じぶりが、やはり芝居をとことん深めていく明日海とがっぷり向かい合う真剣勝負に、日々爽快さを加えていったように思います。確かに寄り添い型の娘役ではなかったかもしれませんが、でもだからこそ、進化するコンビとしての面白さは抜群でした。『Ernest in Love』(花組、2015、16年)のグウェンドレン、『カリスタの海に抱かれて』(花組、2015年)のアリシア・グランディー、『ベルサイユのばら――フェルゼンとマリー・アントワネット編』(花組、2015年)のマリー・アントワネット、『新源氏物語』(花組、2015年)の藤壺の女御、『ME AND MY GIRL』(花組、2016年)のサリー・スミス、『仮面のロマネスク』(花組、2016年)のメルトゥイユ夫人、そして、『金色の砂漠』のタルハーミネ。こうして並べてみると、意外にも再演物が多いのですが、そのどれもが花乃でなければ、もっといえば明日海と花乃でなければという、丁々発止のやりとりを楽しめる作品になっていたのは、宝塚を観る楽しみをさらに超えて、芝居を観る醍醐味にあふれていました。特に、『ME AND MY GIRL』以降の作品には、花乃のなかになかったはずがない悩みや葛藤が吹っ切れたかのような伸びやかさと勢いがあり、宙組の若手時代のおおらかさも戻って、生き生きと輝く花乃を観ることができ、実にうれしい期間でした。
 そんな花乃だからこそ、退団公演になった『金色の砂漠』の、男役トップスターが奴隷でトップ娘役が王女という、女性が夢を見られるファンタジー世界のなかでの男性優位を描いてきた宝塚としてはイレギュラー中のイレギュラーである設定が生み出す、互いの矜持をかけた愛憎相半ばするきわめてディープな世界を演じきることができたのだと思います。『金色の砂漠』は、花乃まりあという娘役にとっても、また明日海&花乃コンビにとっても、集大成であり代表作に仕上がりました。これぞ有終の美とたたえられるべきものにちがいありません。
 ですから、2月5日の千秋楽におこなわれた花乃まりあサヨナラショーでは、『ME AND MY GIRL』を中心に、花乃の代表作のナンバーを芝居チックにつなげていく見事な構成とともに、実に晴れやかな花乃を堪能できたのも当然だったのでしょう。真紅のドレスで大階段に1人立つ花乃が劇場中に発したオーラのなんと輝いていたことか! 台湾公演にももっていった『宝塚幻想曲』(花組、2015年)の「花は咲く」による明日海との名残のデュエットダンスも美しく、なんとも華やぎに満ちた時間が流れていきました。筋金入りの「雨女」だという花乃ですが、この日東京の天気はどうにかもち、明日海が「花組の雨姫は、今日はみなさまの心と(自分の頬を指して)ここに雨を降らせたのだと思います」という、なんとも粋で愛にあふれた言葉で、去りゆく相手役をねぎらったのがことさらに印象的で、花乃の真摯な別れの言葉とともに胸に深く残るものがありました。
 だからこそ、トップ娘役として花乃まりあが本懐を遂げて退団していったことを疑う余地はないのですが、少し気になるのは、花乃が今後芸能生活をする予定はなさそうだという声です。それはあまりにももったいない!と伝えたい気持ちでいっぱいです。花乃は、宝塚の枠を広げる域にまで達したあの芝居力、映像にも出ていけるビジュアル、心地いい声と、たくさんの宝石をもった表現者です。しばらくはゆっくり休んで、そしていつかどんな形でもいいから、また表現することを始めてほしいと、声を大にして言っておきたいと思います。そんな願いとともに、大輪の花を咲かせた宝塚トップ娘役・花乃まりあに拍手を贈ります。お疲れさまでした、そしてすばらしい舞台をありがとう。

 

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第3回 相模原市緑区巡礼――Walking alone/along R16

松下優一(法政大学大原社会問題研究所環境アーカイブズRA。共著に『失われざる十年の記憶』〔青弓社〕ほか)

 筆者にとって国道16号線(以下、16号と略記)とは、何よりもまず、鉄道駅(JR線および京王線の橋本駅)へ向かうべく、ほぼ毎日のように横切る道路である。幅が広く、交通量が多く、大型車両が行き交うその道を渡るのは、いつも少し億劫だ(たいてい、長い信号待ちや地下道への迂回を強いられる)。電車で各地へ通勤する者にとって16号は、行く手を遮る障害物、多少の緊張感とともに横切る対象として現れる。
 このエリアに暮らしてはや数年になるが、思えば私は16号を横切るばかりで、道に沿って移動したことがないのだった(特に用がなかったからである)。そこで、今回のリレーエッセーでは、16号に沿って歩く、という非日常的な行為に出ることにしたい。区間は相模原市緑区。陸橋続きで、自動車ならあっという間に通り過ぎてしまうような距離だが、その沿線風景を見ていくと「16号的」要素連関が浮かび上がってくる、のではないだろうか。

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写真1 アリオ橋本屋上駐車場から北西=津久井方面を望む(2016年11月29日撮影)

相模原北部から八王子、福生、入間・狭山にかけては、16号のルートのうちで最も“山”が近づく区間である。横浜方面から北上すれば左手に、埼玉方面から南下すれば右手に“山”=関東山地が見える(関東山地は、相模川を挟んで北の秩父山地と南の丹沢山地に分かれていて、相模湖や津久井湖は相模川のダム湖にあたる)。橋本駅に入る京王線や駅周辺の少し高い建物から西の方角を眺めると、山の近さがよくわかる。

 

写真2 国道413号線分岐点前(2016年10月29日撮影

2016年の夏、私たちはメディア報道で「相模原市緑区」という地名をしばしば目にすることになった。「相模原障害者殺傷事件」の現場(津久井やまゆり園の所在地およびその容疑者の居住地)として、である。ただし、「事件が起きた場所は10年前までは相模原市ではなかった(1)」。緑区は、10年に政令指定都市になった相模原市の北部に位置し、JR横浜線・相模線と京王線が乗り入れる橋本駅を中心とした区域と、06年から07年に合併した旧・津久井郡4町(城山町・津久井町・相模湖町・藤野町)の広大な山間部からなる。16号は、緑区の東端をかすめるように走っている。写真は相模原から津久井・相模湖方面へ向かう幹線である国道413号線の分岐点。津久井方面へは葬儀屋の手前で左折、直進すればJR横浜線の踏切。

 

写真3 元橋本交差点付近(2016年10月29日撮影)

横浜線の踏切を渡って北へ行くと元橋本交差点。ここで16号は八王子バイパスと旧道に分岐する。地上に横断歩道はない。

 

写真4 八王子バイパスと多摩丘陵(2016年12月3日撮影)

写真4 八王子バイパスと多摩丘陵(2016年12月3日撮影)
16号緑区区間の北端。墓地の向こうには「境川」が蛇行し、東京都・町田市との境界線をなしている。このあたりは「元橋本」の地名のとおり、お寺や墓地があり、歴史が漂う。16号は境川を越えると東京都道47号線(通称・町田街道)と交差し、多摩丘陵にぶつかる。

 

写真5 元橋本交差点歩道橋上から横浜方面を望む(2016年10月29日撮影)

横須賀から58キロ、横浜から35キロ。新宿まで京王線特急で40分足らず。画面奥のタワーマンションが立ち並ぶあたりに、緑区の区役所ができた。ちなみに現在、首都圏には4つの緑区があり(ほかに横浜市・さいたま市・千葉市)、どの緑区も16号沿線である。

 

写真6 東京電力橋本変電所前(2016年11月22日撮影)

横浜方面に南下すると、向かって左側に、長いコンクリートの壁と送電線、そびえ立つ大小の鉄塔の群れが現れる。この一帯には、住宅地の頭上を送電線が走る“『ウシジマくん(2)』的な風景”が広がる。画面右の信号機には「自転車事故多発地点」という警告看板が立っている。左手に折れると、かなたまで続くコンクリート塀の有刺鉄線が殺伐たる雰囲気を醸している。写真1の右手に見える鉄塔はここに立つ。

 

写真7 小学校入り口(2016年10月29日撮影)

変電所からさらに南下すると左手に小学校。優先されるべき歩行者にはなかなか出会わない。

 

写真8 橋本五差路地下道(2016年10月29日撮影)

さらに南下すると、16号は国道129号線や津久井広域道路などと立体交差し、やや東に折れる。ここも横断歩道はなく、歩行者や自転車は地下道を通らなければならないのだが、枝分かれした地下道は複雑で、方向感覚をまひさせる。そのため往々にして意図せざる場所に出る羽目になる。

 

写真9 ロジポート橋本(2016年10月29日撮影)

五差路の地下道を無事抜けると、左手に巨大な箱のような建物が現れる。物流施設のようだ。やはり沿道に人影はない。

 

写真10 大河原陸橋側道(2016年10月29日撮影)

右手に16号、左手に日本山村硝子の工場。突き当たりはJR相模線、その向こうは神奈川医療少年院、中央区である。中央区の16号は道幅が広い直線区間で、銀杏並木が続き、ロードサイドの商業施設が増え、沿道は華やいで見える。この風景は、基地の痕跡である。道路の直線は戦前の軍都計画の名残だし、相模原初のロードサイド店は、道沿いに休憩施設がほしいという駐留アメリカ軍人や外国人観光客からの声を受けて1955年に開設された相模原レストハウスだったという(3)。

 

写真11 ラブホテル(2016年10月29日撮影)

もちろんある。ロジテック橋本の向かい。奥にもう一軒あり。

 

写真12 相模原機械金属工業団地(2016年11月29日撮影)

ここは大小さまざまな工場が立ち並ぶエリア。この一帯は、さながら巨大な迷路だ。まず、同じような工場や倉庫の建屋が続くので場所の見当をつけにくい。また、歩道がない道路が人を拒み、車両に脅かされる(工業団地なので当然だが)。夕暮れどきに迷い込めば、人外の心細さを味わうことができるだろう。

 

写真13 貸しコンテナ(2016年11月29日撮影)

最近このあたりに増えた気がする。モノは捨てないかぎり蓄積されていく。そして、大都市住民の居住スペースは限られている。これはあふれたモノ、持て余されたモノたちが行き着く先、ということになるのだろうか。

 

写真14 相模原市北清掃工場(2016年12月3日撮影)

写真14 相模原市北清掃工場(2016年12月3日撮影)
ゴミ収集車出動。相模原北部の廃棄物はここに集まる。粗大ごみを持ち込める施設も併設されている。

 

写真15 職業能力開発総合大学校跡(2016年12月3日撮影)

視界が開け、何やら大きな建物が取り壊されている。ここにあった学校は2013年に移転し、それ以後廃墟になっていた。

 

写真16 送電線の狭間の荒地(2016年12月3日撮影)

写真16 送電線の狭間の荒地(2016年12月3日撮影)
立て看板によれば、障害者福祉施設の建設予定地であるようだ。台地を下って少し行けば、相模川に出る。

 

写真16+1 相模川と圏央道(2015年8月10日撮影)

写真16+1 相模川と圏央道(2015年8月10日撮影)
相模川にかかる巨大な橋(県道510号線/津久井広域道路新小倉橋)の上は、足が竦むような高さである。奥の山が城山。手前を横切るのが圏央道の橋梁。画面右奥に城山ダム(ダム上を国道413号線が通る)、その向こうは津久井湖や相模湖が連なるエリアになる。遥拝。もはや16号からずいぶん離れたところまで来てしまった。

****************

 さて、今回の撮影地点は、以下の地図のとおりである。相模原市緑区の橋本エリア(相模川と境川のあいだに広がる台地)を、おおよそ東北南西に巡ったことになるだろうか。ルートとしては途中で16号を外れ、五差路で分岐する県道508号線(相模原から津久井への路線を複数化すべく整備中の「津久井広域道路」)に沿って北西へと向かっているが、この道は中央区から続く16号直線区間の延長線である。地図で見れば単純そうだが、実際に歩くとなれば話は別である。まず途中で歩道がなくなる。また工業地帯の道路が直線ということは大型車両のスピードが出るということであり、沿線の工場から輸送トラックがしばしば出てくるということである。自転車や歩行者は気が抜けず、車が怖くて脇道に逃げ込む。すると工場地帯をさまよう羽目になる。このルートを歩こうとされる奇特な方々はくれぐれも気をつけてほしい。
 なお採録は見送ったが、橋本変電所周辺に立つ送電線鉄塔の風景は、夕映えの山のシルエットとともに実にフォトジェニックである。鉄塔好きなら西へ続く送電線をたどるのも一興だ。橋本駅はアリオ橋本付近の相模線の歩道橋から撮るのがいい(相模線・横浜線・京王線が集散する様子が楽しめる)。境川付近は、曲がりくねった深い谷川に白鷺が歩き、町田街道と多摩丘陵周辺は『ブラタモリ』(NHK、2008年―)的な歴史散歩にもってこいではないだろうか。相模川付近では、段丘上の畑地にたたずむひまわりののどかさに癒される一方で、城山(津久井城)東麓は、巨大な橋梁や山を貫く圏央道、ダムや発電所など新旧の建造物が集中していて(小倉橋は1938年、城山ダムは65年完成、新小倉橋は2004年開通、愛川―高尾山間の圏央道は14年開通)、開発的近代の地層を露出させるかのように織りなす山河と人工物のスペクタクルが目をうつ(4)。やがてこのあたりの風景には、リニア中央新幹線が重なることになる。東京からほぼ途切れなく広がった都市が、“山”にぶつかる場所。東京の西の淵。そこでは20世紀に夢見られた近代的プロジェクトがいまなお作動し、堆積し続けている。


図1 撮影地点
『相模原市・愛川町 第6版』(〔「都市地図――神奈川県」第10巻〕、昭文社、2016年)を利用。


(1)猪瀬浩平「土地の名前は残ったか?――吶喊の傍らで、相模湖町の地域史を掘る」、「緊急特集 相模原障害者殺傷事件」「現代思想」2016年10月号、青土社、232ページ
(2)真鍋昌平『闇金ウシジマくん』(ビッグコミックス)、小学館、2004年―
(3)箸本健二「消費と商業をめぐる相模原市の現代史」、相模原市教育委員会教育局生涯学習部博物館編『相模原市史現代テーマ編――軍都・基地そして都市化』所収、相模原市、2014年、684―685ページ
(4)相模湖周辺の開発については、ひとまず前掲「土地の名前は残ったか?」参照。

 

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第5回 レビュー90周年、2017年の宝塚のゆくえは?

薮下哲司(映画・演劇評論家。元スポーツニッポン新聞社特別委員、甲南女子大学非常勤講師)

 新しい年が明けました。2017年は、宝塚的にいうと「レビュー」という名称で洋物ショーが上演された『モン・パリ』(1927年)の初演から数えて90周年という記念の年になります。宝塚大劇場ではそれを記念した月組公演、レビュー『カルーセル輪舞曲(ロンド)』を元日から上演中です。『モン・パリ』は、作者・岸田辰彌の日本からパリへの船旅をそのまま舞台に再現しましたが、今回はパリから出発して世界をぐるっと回って宝塚に帰ってくるという構成。作者の稲葉太地はニューヨークやブラジルの場面などできちんと宝塚歌劇の先人たちのレビューにオマージュを捧げ、フィナーレを大階段をバックにした男役の黒い燕尾服と娘役の純白のドレスの優雅で華やかな群舞で締めくくり、見事な宝塚レビュー讃歌になっていました。『エリザベート』(1996年初演)が大ヒットする前に初演されたミュージカル『グランドホテル』(1993年初演)の24年ぶりの再演との2本立てですが、非常に充実した内容で、現在の宝塚歌劇のパワーを存分に証明したといっていいと思います。『カルーセル輪舞曲』は、3日にはNHKBSプレミアムでさっそく録画中継されたのでごらんになった方も多いのではないでしょうか。新トップ珠城りょうの大劇場お披露目公演ですが、宝塚歌劇にとってもずいぶん晴れやかな新年のスタートになったのではないかと思います。
 正月公演は以前、NHKが元日に大劇場から初日の模様を生中継していましたが、宝塚がライブDVDを発売、CSで専門チャンネルの放送をするようになってからは、いつのまにかなくなっていました。ですが、今年から再開するようです。100周年を盛況裏に終え、その後も順調なことから自信が付いたのでしょうか。守り一辺倒からようやく攻めの姿勢に転じたのは、これからの宝塚歌劇の発展にとって喜ばしいことだと思います。再開第1回の今年は生中継ではありませんでしたが、ほぼ実際の公演と同じ時間帯での放送で、臨場感にあふれていました。衛星放送とはいえ、NHKで録画中継が実現したことは、宝塚歌劇を観たことがない人たちへの格好のプレゼンテーションになったのではないかと思います。
 神戸の女子大学で宝塚歌劇講座を担当して今年で11年目になります。毎回、講義の1回目に「宝塚歌劇を観たことがあるか、ないか」というアンケート調査をするのですが、観たことがあるという回答は受講生の1割にも満たないのが現実です。地元・神戸の女子大学でこれですから、全国的には推して知るべし。そんな彼女たちに宝塚の魅力を伝えるのは言葉ではありません。実際の公演を観てもらうのがいちばん。それまで彼女たちがもっていた宝塚歌劇に対するイメージは公演を観ることによって一気に払拭され、ファンになる学生が続出します。それだけ宝塚歌劇の魅力というのは独特で強烈なインパクトがあります。専門チャンネルはファンを育てるコンテンツとしては最上ですが、ファンになる前の初心者を引き付けるにはやはりNHKの全国放送に勝るものはありません。
 中継放送再開がきっかけで、いつの日かまたNHKに宝塚のバラエティー番組ができて、『紅白歌合戦』でタカラジェンヌが歌うところまで発展すれば申し分ありません。大竹しのぶの「愛の讃歌」が悪いとはいいませんが、望海風斗がNHKホールで絶唱、全国の視聴者をびっくりさせたいと思うのは私だけではないと思います。
 正月公演の中継の話題からとんでもないところに話が飛びましたが、2017年の宝塚歌劇はどうなるのでしょうか。小川友次理事長は雑誌「歌劇」(宝塚クリエイティブアーツ)の年頭所感で、全国のシネマコンプレックスでのライブ中継をさらに充実させるとともに、技術力・作品力など「総合力」のさらなるアップを目指すと表明しています。正月の月組公演、まずは幸先がいいスタートになったと思います。
 気になるスターの動向ですが、宝塚ならではの新陳代謝をさらに積極的に加速させようとする狙いがうかがえます。今年は7月に雪組のトップコンビ、早霧せいなと咲妃みゆが退団することがすでに発表されています。100周年以降にトップになったコンビが退団するのは星組の北翔海莉、妃海風に続いて2組目。宝塚というところは本当にめまぐるしく動いているのだなあというのが正直な印象です。
 昨年暮れ、花、月、星、宙の4組のスタークラスが勢ぞろいした『タカラヅカスペシャル2016――Music Succession to Next』が開催されました。年に一度の祭典で、各組のスターが一堂に会して全体的なスターランクが明確になることから毎年注目されてきました。最近はトップ、2番手以外のランクを明確にすることはほとんどなく、すべて同ランク的な扱いで、どこからも文句が出ないように無難にまとめてきた感がありましたが、今年は久々にドラスティックな動きがありました。
 星組が新トップコンビ、紅ゆずると綺咲愛里のお披露目、月組も珠城がトップとして『タカラヅカスペシャル』初出演だったこともあり、各組の2番手は花組・芹香斗亜、月組・美弥るりか、星組・礼真琴、宙組・真風涼帆がラインアップ、一気に若返った感がありました。ここまではごく当たり前で順当だったのですが、第1部の後半、専科の凪七瑠海、沙央くらま、星条海斗、華形ひかるが歌い継いだ作曲家・寺田瀧雄の17回忌にちなんだメモリアルコーナーで、事態は一変しました。バックで踊った柚香光、暁千星、七海ひろき、愛月ひかるの各組3番手にそれぞれ女役のお相手が付き、それを各組の次代を担うと期待されるスターたちが務めたからです。その4人は花組・水美舞斗、月組・朝美絢、星組・瀬央ゆりあ、宙組・桜木みなとの面々でした。各組には各組の事情があり、組だけの公演ではどうしても抜擢しづらいところをこういう形で起用、劇団の期待の高さを示してみせたのはなかなかでした。これが偶然のことではないのは、12月26日に発売された雑誌「an・an」(2016年12月28日―1月4日合併号、マガジンハウス)の宝塚特集を見ても明らかです。「2017年もやっぱり宝塚が好き!」という特集記事で「いま注目の次世代スター」として登場したのがほかならぬこの4人と雪組の月城かなとでした。
『宝塚イズム35』(6月1日発売)も、そんな2017年宝塚のホットな動きをふまえて、いよいよ今月から始動します。編集会議はこれからですが、7月の『幕末太陽傳(ばくまつたいようでん)』千秋楽で退団する雪組のトップコンビ、早霧と咲妃をふまえ、彼女たちの宝塚での足跡を振り返り、今後の活躍に期待する2人のサヨナラ特集がやはり最大の目玉になることでしょう。ほかにもさまざまな新企画、タイムリーな特集を打ち出していきたいと思っています。ご期待ください。

 

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第7回 マントヴァーニ(Mantovani、1905-80、イギリス)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

ムード音楽の大家だが、クラシックの小品も数多く録音

 マントヴァーニ、本名はアンヌツィオ・マントヴァーニAnnuzio Mantovani。ムード音楽の大家であり、その名は世界的に有名。生まれはイタリアだが、幼い頃に一家はイギリスに移住した。私たちが知っているマントヴァーニは、楽団を率いて指揮をしているが、彼自身はもともとヴァイオリン奏者だった。そのため、ヴァイオリンのパートを複数に分割して同時に演奏すると旋律に聞こえる“カスケード・ストリングスcasacade strings”(滝が流れるような)という方法を発案、電気的に増幅したような効果を出すことに成功していた。
 そのマントヴァーニだが、クラシックの小品を数多く録音しているのを、少し前に知った。それらは数十曲ともいわれ、収録時期は1920年代中盤から後半頃と推定されている。当然、SP盤(78回転)である。
 私が最初に聴いたマントヴァーニのクラシック小品は、シューマンの『トロイメライ』とシューベルトの『セレナーデ』だが、のちのマントヴァーニ・サウンドを予告するかのような、甘く、親しみやすい表現だった。最近、彼のソロがCD化されていないかと調べてみると、ナクソスから“A Mantovani Concert:Original Recordings 1946-1949”(8.120516)が出ていた。表紙にはマントヴァーニがヴァイオリンを持っている姿があったのでソロも聴けるのかと思ったら、オーケストラだけだった。どうやら、彼のソロを集めたCDは、目下のところは出ていないようだ。
 以来、私は気にかけていて、彼のSPを見つけたら買おうと思っていたのだが、数十あるといわれているのに、ちっとも見つからない。そんなに彼のソロSP盤は希少なのかと思っていたところ、ひっかかってこない理由が最近判明した。それは、マントヴァーニと表示されたSP盤も存在するが、多くはマヌエロManuelloという変名で発売されていたというのだ。だから、いくらインターネットでMantovaniと検索しても出てこないわけだ。さらに話がややこしいのは、同じマヌエロという名であっても、マントヴァーニの叔父の録音も含まれているという噂もある。いきなり難題を突き付けられた形になったが、解決の糸口を見つけるためにも、不十分ではあるけれど、少しマントヴァーニのソロ録音についてふれてみたい。
 私が入手したマントヴァーニのSP盤は以下のものである。
シューマン『トロイメライ』
シューベルト『セレナーデ』(日本コロムビア J866)

ドヴォルザーク『ユモレスク』
ラフ『カヴァティーナ』(日本コロムビア J270)

ブラームス『ハンガリー舞曲第1番』『第2番』(イギリスRegal G7821)

ヴェルディ『椿姫』幻想曲(Fantasia)
プッチーニ『ボエーム』幻想曲(イギリスRegal G1020)

 J866だけがマントヴァーニと表記されているが、他の3枚はマヌエロ表記。すべてピアノ伴奏付きだが、ピアニストの名前は表示されていない。このなかでも最も詳しく表記されているのはJ866で、シューマンはマントヴァーニの編曲であり、シューベルトはMANTOVANI and HIS HOTEL METROPOLE ORCHESTRAと記されている。
 私が初めて聴いたシューマンからふれてみよう。これは、とろけてしまいそうなほど、べたべた、クネクネと弾いている。その甘さは異様なほどで、しかも通常よりも1オクターヴ高く弾いているので、なおさらである。このシューマンだが、ある有名ヴァイオリニストに聴かせたところ、「興味なし!」と一蹴された。シューベルトも、めちゃくちゃ甘い。先ほど記したようにレーベルにはORCHESTRAとあるが、せいぜい3、4人程度だろう(ヴァイオリン2本とチェロ1本?)。ドヴォルザークとラフも同傾向の演奏だが、特にドヴォルザークの中間部にマントヴァーニらしさが出ている。
 ブラームスはおっとりと優雅な演奏で、テンポの揺らせ方も実にうまい。もちろん、ポルタメントも多用されている。
 ヴェルディの2曲は、このなかではマントヴァーニの個性が最も理想的に発揮されていて、聴く価値は大きいと思う。ここでも彼のソロはトロトロに甘いのだが、編曲(明記はないが、マントヴァーニ自身だろう)の巧さと相まって、楽団を率いたときのような最上のムード音楽が展開されている。
 マントヴァーニがソナタや協奏曲などを弾いていたかどうかは、わからない。でも、だからといって彼を単純にB級奏者扱いするのもおかしい。量的には決して十分とはいえないが、以上の作品を聴いてみても彼は決して非力ではない。それどころか、そこらの専門奏者以上に、小品を魅惑的に演奏していたことは間違いないのだ。

 

Copyright Naoya Hirabayashi
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第2回 国道16号と私――あるいは『国道16号線スタディーズ』の私的企画意図

西田善行(法政大学社会学部非常勤講師。共編著に『失われざる十年の記憶』〔青弓社〕ほか)

 国道16号線(以下、16号と略記)についての編著を書くと周囲に漏らすと、意外なほどその沿線に住んでいる、あるいは住んでいた人が多いことに気がつく。それもそのはずで、都心から30キロを環状につないでいる16号沿線には、850万人を超える人々が住んでいるのだ(1)。これは千葉県や埼玉県の人口を上回り、神奈川県の人口に迫る規模である。こうした人々のなかには16号を頻繁に利用していた人もいれば、単に横切っていたにすぎない人、まったく利用した記憶がない人もいる。そもそも日常的に16号を利用している人でさえ、自分が普段利用している道が「16号」だと必ずしも認識していないのかもしれない。
 郊外論は自らの郊外体験に多くをよっているという指摘があるが(2)、本書でいえば16号をめぐる個人的体験の差異や、より広く国道とどのような付き合い方をしてきたのか、その国道をめぐる個人史が16号の見方を左右するとも考えられる。そもそもなぜこの『国道16号線スタディーズ』という企画を進めたのかという私的動機には、16号をめぐる私の個人史が関わっている。そのため、ここでは私の個人的な16号との関わりについてふれておきたい。

幼少期の私と16号――市原市

 私は16号沿線地域の、千葉県市原市の出身である。幼いころは京葉工業地域にある企業で働く父に連れられ、何度となく16号を行き来していた。多くのトラックやタンクローリーが往来する産業道路としての16号は、私にとって父の職場を連想する空間であり、田畑と住宅が混在するスプロール的郊外住宅地だった自宅周辺や、家族で買い物に出たときによく通った、イトーヨーカ堂(スーパーマーケット)やすかいらーく(ファミリーレストラン)、ラオックス(家電量販店)、ケーヨーホーム(ホームセンター)、ロッテリア(ファストフード)などが並ぶ駅の近くの県道とは異なる外部空間だった。また、家族で車に乗って千葉市へと出るときにも16号を利用していたため、「外へ出る」ための道路でもあった。16号沿いにあるロコボウル(ボウリング場)やステーキハウスなどにも何度か足を運んでいたが、そこに向かう際には往来が激しい16号を避けて「手前(16号より内陸側)」の道を利用するのが常だった。

国道16号から見た京葉工業地域(2016年3月7日撮影)

高校時代の私と16号――木更津市

 高校時代は木更津市にある公立高校に通っていて、その近くを16号のバイパスが通っていた。駅までの通学ルートとは反対だったため毎日通っていたわけではなかったが、近くに持ち込みができる行きつけのカラオケボックスがあったので、バイパス沿いにあったマクドナルドでセットを買って夕方までカラオケをすることもよくあった。ただし16号は横切ったり、バイパスの下を通ったりしただけで、道路として利用することはなかった。
 私が高校生として木更津に通っていた1990年代前半、木更津の駅前にはそごうをはじめとする大型ショッピングビルが立ち並び、街として活気があったが、その後そごうをはじめ多くの商業施設が駅前から撤退し、16号などのロードサイドのチェーンストアが活況を呈していった(これについては本書で詳述する)。

大学時代の私と16号――相模原市

 大学に入り神奈川県の相模原市で一人暮らしをするようになっても近くに16号が通っていて、初めて16号が首都圏を環状に走っていることに気づいた。また引っ越しの際、当時親戚が住んでいた相模大野まで16号を移動し、チェーン系のレストランなどが密集するロードサイドの景観に、工場が並ぶ市原の16号との違いを感じたことを覚えている。大学にはスクーターで通っていたが、朝夕に渋滞してひどく時間がかかる16号を極力避けて裏道を使うまでに1週間とかからなかった。また、一度16号を使って横浜までスクーターで行こうとしたことがあったが、トラックにあおられて怖い思いをし、疲れて町田で引き返してしまった。

相模原の16号沿いにあるニトリモール(2016年3月6日撮影)

 こうして16号との関わりを振り返ってみると、少なくとも大学を出るまでの二十数年間、16号の近くに住んでいたものの、私にとって16号は少なくとも親しみがもてる対象ではなかったことがわかる。徒歩や自転車、あるいはスクーターで移動する私にとって、16号は外的な存在だったのだ。それはたとえ父が運転する自動車に乗っても同じことであり、自分の意思でそこを通ることができない場として16号を経験していたのである。
 このような16号をめぐる経験は、16号に広がるロードサイドへの否定的感覚へとどこかつながっているのかもしれない。ただその一方で、特に何もないと思っていた16号という1本の国道が、父をはじめとする家族の記憶や高校・大学時代の個人史を想起させたことは意外な収穫だった。歴史性をもたない16号や、あるいは別の国道であっても、そこを生活のなかで利用した経験は、それぞれのライフストーリーのなかに想起可能なかたちで根づいているのではないか。「16号と私」を振り返って改めてそのように思う。


(1)総務省統計局によると、2010年の16号沿線市区町村の人口は852万人となっている。16号沿線地域の統計的基本情報については書籍でふれる。
(2)西田亮介「郊外と郊外論を問い直す」、宇野常寛編『PLANETS SPECIAL 2010 ゼロ年代のすべて』所収、宇野常寛、2009年

 

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第4回 早霧&咲妃コンビの退団発表と充実の轟主演舞台に見える宝塚

鶴岡英理子(演劇ライター。著書に『宝塚のシルエット』〔青弓社〕ほか)

 宝塚歌劇の評論シリーズの最新号『宝塚イズム34』を12月1日に無事刊行しました。特集は11月20日に宝塚を巣立っていった北翔海莉&妃海風コンビに贈る評論の花束「さよなら北翔海莉&妃海風」。小特集に『アーサー王伝説』(月組、2016年)で月組トップスターとしてのスタートを切った珠城りょうにエールを送る「珠城りょう――若き月組トップへの期待」と、非常にレベルが高い仕上がりとなった『ドン・ジュアン』(雪組、2016年)で主演し、進境著しい雪組2番手スター望海風斗をキーワードに各組2番手を語る「望海風斗の衝撃――各組二番手戦力分析」をそろえました。このほか、2016年4月から11月の大劇場作品公演評、編著者2人で外箱公演を一気に振り返る対談、東西の新人公演評、OG公演評、さらに宝塚OGによる『CHICAGO』ニューヨーク公演観劇報告と、天津乙女さんのありし日をつづった貴重な寄稿文。そして17年の元旦から月組で幕を開けるミュージカル『グランドホテル』の初演主演者である涼風真世さん登場のOGロングインタビューまで、充実のラインアップになっています。北翔&妃海ファンのみなさんからはもちろん、望海ファンの方々からもさっそく熱いメッセージが届いているのに加え、紫の美しい装丁も、北翔海莉&妃海風サヨナラ公演のロマンチック・レビューや、サヨナラショーで再現された『LOVE&DREAM』(星組、2016年)のシンデレラのシーンで妃海が着用したドレスを連想するという声をいただき、大変うれしく思っています。宝塚ファン必携の評論シリーズとして今後もますます内容を充実させていきますので、ぜひ書店でお買い求めください。青弓社サイトからのオーダーももちろん可能です。
 さて、宝塚の大きな動きとしては、なんといっても圧倒的な人気を誇る雪組のトップコンビ早霧せいなと咲妃みゆが2017年7月23日、『幕末太陽傳』『Dramatic“S”!』東京宝塚劇場公演千秋楽をもって同時退団するという発表がなされたことでしょう。さまざまな要因から、この公演での退団が予想はされていた2人ですが、宝塚の動員記録を塗り替え、コンビとしても組としても乗りに乗っている時期だっただけに、劇団がこれだけのトップコンビをそう簡単に手放さないのではないか?という思いもどこかではあり、正式な発表にはやはり大きな寂しさが募りました。最近では異例のトップコンビの同時退団発表、しかもその会見日が11月22日「いい夫婦の日」というのは、もちろん狙ったことではなかったそうですが、2人のプレお披露目公演だった『伯爵令嬢』(雪組、2014年)の初日前囲み会見で早霧から「結婚します。そのくらいの覚悟がないとね」という咲妃をちょっとからかった発言が飛び出したこの2人らしいなと、感慨も大きかったものです。退団発表を挟んで東京での上演となった『私立探偵ケイレブ・ハント』(雪組、2016年)は、早霧時代の雪組では初めてとなるオリジナルのスーツ物。2人が初めから恋人同士という設定に新鮮さがあり、コンビとしてキャリアを重ねてきたいまだからこそ出せる雰囲気がきちんとあって、面白い仕上がりになっていました。原作物でヒットを飛ばしてきた印象が強い雪組だけに、適材適所に配置された主要メンバーの活躍に、オリジナル作品なればこそのよさも感じられました(鳳翔大には、何かもう少し別の役を書いてほしかったですが)。さらに、ショー『Greatest HITS!』は、大劇場ではいくら「あわてんぼうのサンタクロース」を組み入れていても、ちょっと早すぎるなぁと感じられたクリスマスメドレーがどんぴしゃり!のシーズンになったことも手伝って、明るい楽しさにはじけていて、癖になるショーとして楽しめます。ここでも圧巻はやはり早霧&咲妃のデュエットダンスで、ベートーヴェンの『運命』を使った望海&彩風咲奈による赤と白の激しい対立の場面が、2人の緑がもたらす安らぎと幸せオーラによって昇華される流れは、いま絶好調の雪組を象徴するシーンとしてなんとも美しいものでした。本当に早霧&咲妃は、2人が並んだときの絵面としての美しさが抜群なだけでなく、芝居をしてもともに踊っても、お互いがそれぞれのよさを引き出し合い、引き立て合う、近年屈指のベスト・カップルです。正直、まだまだこの2人で観たかった作品、夢は多くありますが、残された7カ月、2人ならではのラストランの輝きを見届けたいと思います。もちろん、次代を担うだろう望海の、任せて安心の盤石さと豊かな歌唱力にも、また新たな夢が描けることでしょう。宝塚はこうして続いていくのですね。つくづくすごいシステムだなと感じずにはいられません。
 一方で、この雪組公演と同じ時期に、KAAT神奈川芸術劇場で専科の轟悠と宙組トップ娘役の実咲凜音をはじめとした宙組精鋭メンバーによる『双頭の鷲』も上演され、その高い完成度に圧倒されました。脚本・演出の植田景子の美意識が凝縮された舞台で、それに応えた出演者・スタッフすべての力がほとばしるさまは見事なものでした。ジャン・コクトーの『双頭の鷲』(1946年)を宝塚で上演しようというこの企画自体もそうなのですが、ここ数年、轟悠の存在が宝塚の幅を広げ、新たな挑戦を成し遂げている姿には、退団と新トップスター誕生という別れと再生を繰り返す宝塚のスターシステムが紡いできた100年を超える伝統とはまた別の安定を宝塚にもたらしていることを確かに感じずにはいられません。役者には年齢を重ねないとできない役柄が確実にありますし、轟さえいれば今後の宝塚でそうした役柄を脇筋ではなく主役で取り上げることが実現していくと思います。変わり続けることでバトンをつないできた宝塚に変わらない象徴があることは、やはり貴重なものですね。春日野八千代亡きいま、その重みを痛感します。
 そんな轟が『For the people――リンカーン 自由を求めた男』(花組)そして『双頭の鷲』という秀作をそろえてきたのをはじめ、2016年の宝塚には見応えある作品が並びました。新たなファンを獲得した『るろうに剣心』(雪組)。実在の人物を宝塚ならではの自由さで描いた作品が、くしくもトップスター退団公演としてそろった『NOBUNAGA〈信長〉――下天の夢』(月組)、『桜華に舞え』(星組)。宝塚の財産演目である海外ミュージカル『ME AND MY GIRL』(花組)、『エリザベート――愛と死の輪舞』(宙組)。オペレッタの『こうもり』(星組)への挑戦や、シェイクスピアの人生を作品でコラージュした意欲作『Shakespeare――空に満つるは、尽きせぬ言の葉』(宙組)。またオリジナル作品ならではの作家の個性が表れた『私立探偵ケイレブ・ハント』(雪組)、『金色の砂漠』(花組)が続きました。さらに数多くのショー作品のきらめきが並び、外箱に目を転じれば『ローマの休日』(雪組)、『ドン・ジュアン』『アーサー王伝説』など、大作も多く登場しています。6月と12月に発行している『宝塚イズム』では、残念ながらこうした1年の作品のベストを語り合うような企画は作りにくいのですが、きっと宝塚ファンの間では、一人ひとりの胸にある独自のベストに話がはずんでいる時期ではないでしょうか。見どころの多い作品がそろった2016年の宝塚。この勢いと盛り上がりが、また17年にも続いていくことを期待しています。

 

Copyright Eriko Tsuruoka
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第1回 「国境」としての国道16号線

塚田修一(東京都市大学、大妻女子大学非常勤講師。共著に『アイドル論の教科書』〔青弓社〕ほか)

 国道16号線(以下、16号と略記)が都心/郊外の「境界」としての性質を有していることは、しばしば指摘される。その16号が文字どおりの「国境(Border)」になっている個所がある。それがここ、福生である。
 16号の向こう側は、アメリカ空軍横田基地である。許可なしに入ることは許されない、アメリカ合衆国なのだ。

2016年9月27日撮影

にじみ出ていたアメリカ

 かつては、この横田基地から「国境」を超えてにじみ出すアメリカンな文化や雰囲気を求めて、多くの若者やアーティストが福生に集まった。
 例えば、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』(講談社、1976年)は、この福生が舞台である。また、1973年にここに移り住んだ大瀧詠一は次のように語っていた。

「福生のよさ?そりゃ住んでいる仲間たちが素晴らしいということだね。ここには、朝8時半から夕方の5時まで働くような、スクウエアな人種はいないんだ。みんな金はないけど、ミュージシャンになろうとか、絵描きになろうとか、そういう目的をちゃんと持ってる。つまり、みんなビビットに生きているのさ。それが素晴らしいんだヨ」
この福生から、深夜放送『ゴーゴー・ナイアガラ』のワンマンDJを流している大瀧詠一クン(27)は、“わが街”のよさを語る(1)。

 ――だが、現在の福生の16号沿いを「歩いて」みて感じるのは、こうしたかつての「アメリカンな匂い」の希薄化である。
 確かに、16号沿いには多少「アメリカン」な店舗が並んでいるし、16号と沿うように走るJR八高線やわらつけ街道沿いには、古びた米軍ハウスが現在も点在している。だが、現在の福生では、何よりも「基地の街」としてのリアリティーが希薄化しているように思えるのである。

「聖地巡礼」の頓挫

 映画『シュガー&スパイス 風味絶佳』(監督:中江功、2006年)は、「基地の街・東京―福生(ルビ:ふっさ)。アメリカの香り漂う街角で、少年ははじめて“本当の恋”を知る」と銘打っていたように、ここ福生の「アメリカンな香り」を存分に演出した、ほろ苦いラブストーリーである(原作は、山田詠美の短篇小説『風味絶佳』〔文藝春秋、2005年〕)。
 しかしながら、福生でこの映画の「聖地巡礼」を試みるならば、早々に頓挫するだろう。
 JR福生駅前や横田基地のフェンスなど、確かに福生でロケーションがおこなわれた場面もあるが、この物語中で「福生のアメリカの香り」を演出している肝心な個所であるガソリンスタンド――グランマ(夏木マリ)風にいえば、「ガスステイション」――や、主人公2人(柳楽優弥と沢尻エリカ)が同棲する米軍ハウスを、ここ福生で探そうとしても無駄である。実は「ガスステイション」(原作では立川にある設定になっている)は木更津に作られたセットであり(2)、2人が暮らす米軍ハウスは埼玉県入間市の「ジョンソンタウン」――狭山にあったアメリカ空軍ジョンソン基地の跡を利用して、「ハウス」と街並みを保存している地域――で撮影がおこなわれているのである。木更津も入間も「16号つながり」であるのはただの偶然だろうが。
 ここで、ただ「アメリカ文化が廃れている」ことを指摘したいわけではない。
「基地の街としての福生らしさ」を「福生以外の場所」によって演出しなければならないほどに、「基地」の存在が日常に溶解してしまっていること――すなわち、福生の街と「基地」とが、象徴的な意味で「地続き」になってしまっている、ということが言いたいのである。
 その意味で、もはや福生は「基地の街」らしくない。
 では、「国境」としての16号のリアリティーも考え直さなければならないのだろうか。

「国境」が無効になる日に

 いや、そういえば1年に1度だけ、ここ福生がまぎれもなく「基地の街」であることを強く意識せざるをえない日がある。
 毎年横田基地で開催されている、「日米友好祭」である。この日は横田基地が開放され、基地内のアメリカンな匂いを思う存分味わうことができるため、非常に大勢の人がこの基地を目指して福生を訪れ、16号を横断していく。福生がまぎれもなく「基地の街」として意識される日である。
「国境」が物理的に無効になる日に、「基地」の存在が強く意識されるとは、なんとも逆説的な話だが。


(1)「FUSSA=若き芸術家たちの限りなく透明なブルーの世界」「女性自身」1976年7月29日号、光文社、51ページ
(2)宮崎祐治『東京映画地図』キネマ旬報社、2016年、240ページ

 

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