第12回 スターと作品の戦略的出合い

鶴岡英理子(演劇ライター。著書に『宝塚のシルエット』〔青弓社〕ほか)

『宝塚イズム』が年2冊刊行になり、じっくりと宝塚の半年、そしてその先を検証していこうという基本方針が固まったのと並行して、宝塚に日々起こっている事柄もなんらかの形で書き留め、読者の方々、宝塚ファンの方々と共有したい、という思いでスタートしたウェブ連載「『宝塚イズム』マンスリーニュース」も、早くも12回目を迎えました。以前にも申し上げましたように『宝塚イズム』制作繁忙期には休んでいるので、1年以上が過ぎたことになります。月日がたつのはなんと早いことか!と驚きを禁じえません。本当に1年は矢のように過ぎていくものですね。だからこそ1日1日を大切に過ごさなければと思いながら、ひたすら時間に追われているのが実情なのがつらいところです。
 そんな日々のなかで、この原稿がアップされるころには宙組トップスター朝夏まなとが宝塚大劇場に別れを告げていることになります。太陽のようなトップスターでありたいと言っていた、その言葉どおりの明るさで組を率いてきた朝夏のラストランにもいよいよ加速がかかる寂しさは、宝塚の宿命とはいえ何度体験しても切ないものです。『宝塚イズム36』には、そんな思いが詰まった、力のある原稿が集まるはずです。ご期待いただきたいと思います。
 その一方で、次代の宙組トップコンビ真風涼帆と星風まどかのプレお披露目公演が、ブロードウェイ・ミュージカルの金字塔『WEST SIDE STORY』(2017年)、さらに大劇場お披露目公演が、篠原千絵の同名少女マンガを原作としたミュージカル『天は赤い河のほとり』と『シトラスの風――Sunrise』(2018年)に決まりました。『WEST SIDE STORY』も『天は赤い河のほとり』も、なるほど、新トップコンビにピッタリだな!という作品ですし、宙組発足20周年の記念イヤーに、宙組誕生第1作の演出の栄誉を担った岡田敬二のレビューを、ロマンチック・レビュー・シリーズ20作目の記念と合わせて上演するというのも非常に卓越したアイデアで、ポンと膝を打ちました。しかも、2017年に『はいからさんが通る』(花組)、18年に『ポーの一族』(花組)と、少女マンガ史に残る作品の上演予定が目白押しだったところに、さらに『天は赤い河のほとり』が加わるという話題性も大きく、宝塚歌劇団の企画力を感じます。このあたりも『宝塚イズム36』の新トップへの期待の小特集1、また少女マンガと宝塚を考える小特集2で大いに語られるにちがいありません。
 そうしたラインアップのなかでも、私個人が思わず「そうきたか!」とうならされたのが、雪組新トップコンビのお披露目公演『ひかりふる路――革命家、マクシミリアン・ロベスピエール』(2017年)の楽曲を、世界のミュージカルシーンで活躍する気鋭の作曲家フランク・ワイルドホーンが全曲書き下ろすというニュースでした。これには本当に驚かされましたし、かなり興奮もしています。というのも、こう事態が動いたいまだからこそいえるのですが、雪組新トップスターとなる望海風斗のお披露目公演の題材がマクシミリアン・ロベスピエールを題材にしたオリジナル作品だと聞いたときには、ちょっと首を傾げたからです。もちろん望海の骨太な個性に、人類の平等を夢見て革命に理想を燃やしフランス大革命を成し遂げながら、のちに自らが独裁者となっていくロベスピエールの波乱万丈の人生がとてもマッチするだろうことに異論はありませんでした。「『ベルばら』共和国」とも称される宝塚歌劇で、マリー・アントワネットを断頭台に送った側の人物を、生田大和が主人公としてどう描くのか?という興味も大いにありました。ただ、危惧されたのはタイミングでした。今年(2017年)宝塚では『THE SCARLET PIMPERNEL』(星組)、『瑠璃色の刻』(月組)とフランス大革命の時代を描いた作品の上演がすでに2本あり、七海ひろきと宇月颯がそれぞれの作品でロベスピエールを演じています。いくら主人公として描かれるとはいえ、新トップスターが今年3人目のロベスピエールというのはどうなんだろう、『1789――バスティーユの恋人たち』(月組、2015年)の上演がそれほど前のことではないことも含めて、この時代設定に、ロベスピエールに、宝塚ファンがどうしても既視感を抱くのではないか?、と案じられたのです。
 けれども、フランク・ワイルドホーンという隠し玉の登場で、この杞憂は一気にはじけ飛びました。何しろワイルドホーンは現代のミュージカルシーンを作り上げた作曲家です。難度の高い楽曲を、朗々と劇場中に響き渡るほどの大声量で歌い上げるナンバーが立て続く。どこが山なのかがある意味わからなくなるほど、大ナンバーに次ぐ大ナンバーで圧倒する。このミュージカルの一つの潮流が作られたのには、彼の出現が大きく関与しています。そのワイルドホーンのミュージカルならではのよさや彼の楽曲のスケール感を、望海の歌唱力ならば、そしてトップ娘役になった真彩希帆の歌唱力ならば、見事に体現してくれるでしょう。しかも全曲が書き下ろし。男役を想定して書かれた「ひとかけらの勇気」が宝塚のすばらしい財産になったことを考えると、『ひかりふる路』の楽曲が今後どれほど大きな価値をもつかを考えるだけでワクワクします。雪組の新トップコンビが歌を最大の武器とする人材だったこととこの企画は、もちろん無縁ではないでしょう。
 こう考えると、まずスターありきだった宝塚に、ひょっとしたら変化が生まれつつあるのかもしれない、という推論も成り立ってくるように思います。ブロードウェイ・ミュージカルの傑作古典、有名少女マンガ、そしてフランク・ワイルドホーン。雪組も宙組も新トップコンビならでは、と思える企画ばかりが見事にそろいました。でも一方、こういう企画が先にあって、それに見事にマッチしたスターが選び出されているのでは?と思うと、特にトップ娘役の人選には非常に腑に落ちるものも感じられるのが、とても興味深い点でもあります。もちろんこれは勝手な想像ですから、「いやとんでもない、スターに最適な作品を選んだのです」といわれるかもしれない。もともと鶏が先か卵が先かという話でもありますから。でも、いずれにせよ、創立100周年という華やぎを超えた宝塚歌劇が、新世紀最初の10年を進むために、かつてないほど戦略的な舵取りをしていることだけは、確かに見えてくるのです。スターの個性と刺激的な作品のマッチング、その成果にさらに注目していきたい2017年から18年の日々が続いていきます。

 

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第6回 コンテンツツーリズム(アニメ聖地巡礼)――イマジネーションとテクノロジーのゆるやかな関係

須川亜紀子(横浜国立大学教員。専攻は文化研究。著書に『少女と魔法』〔NTT出版〕など)

『君の名は。』が浸透させた「聖地巡礼」

「聖地巡礼」という言葉が、お茶の間を騒がせている。もともと聖なる地への巡礼という宗教に根ざした言葉だが、現代では宗教ではなく、自分にとって神聖だと思う地への観光という意味で使用されている(1)。新海誠監督のアニメーション映画『君の名は。』(2016年)の国内外での大ヒットによって、アニメファンだけでなく、アニメをあまり見たことがない人までもがモデルになった場所を訪問する行為が社会現象になり、「聖地巡礼」イコール「アニメの舞台訪問」として印象づけられた。
『君の名は。』は、都会に暮らす男子高校生・瀧と田舎の女子高校生・三葉という見ず知らずの2人が、不思議な縁で身体が入れ替わり、お互いを探し求める恋愛ファンタジー物語である。舞台は、四谷(東京都)の須賀神社、四谷駅、新宿御苑、飛騨地方(岐阜県)の駅や図書館、諏訪湖(長野県)、某高校(広島県)、瀧がバイトをしていた都内のレストラン(のモデルになった店)など、多岐にわたる。ファンがその「聖地」を特定し、写真を撮ってSNSやウェブサイトで拡散、それを見た別のファンがまた写真をアップする……という連鎖作用の結果、聖地巡礼が大流行した。韓国、台湾、中国など、海外からも聖地巡礼に訪れるファンがいる。劇場公開が終了した現在でも、2017年7月にはDVD・BDも発売され、聖地巡礼は衰えを知らない。実は『君の名は。』以前からこうしたアニメ聖地巡礼はおこなわれているが(2)、『君の名は。』効果でアニメファン以外の一般の人が知るところになったという意味で、「(アニメ)聖地巡礼」という用語が人口に膾炙したのは、おそらく2016年からといっていいだろう(3)。

コンテンツツーリズムとは何か?

 こうしたアニメが誘引する「聖地巡礼」は、“コンテンツツーリズム”とも呼ばれる。コンテンツとは、岡本健によると「情報が何らかの形で創造、編集されたものであり、それ自体を体験、消費することで楽しさを得られる情報内容(4)」である。しかし、「コンテンツビジネス」という昨今よく耳にする用語になると、アニメを中心にした多角的メディアミックス展開(漫画、小説、ゲーム、舞台、グッズ、DVD/BDなど多メディアでの展開)を指すことが多いので、「コンテンツ」というとすぐにアニメなどのポピュラー文化を連想してしまうかもしれない。だが、「コンテンツ」を情報の集積だととらえれば、あらゆる情報の集積に関連した観光は、総じて「コンテンツツーリズム」となる。
 類似の行為は古くから見られたが、コンテンツツーリズムという大きな枠組みでとらえて概念化したのは日本である。そもそもContents Tourismという英語は存在しない。和製英語の造語なのである。コンテンツツーリズムという用語の初出は、2005年の国土交通省、経済産業省、文化庁による「映像等コンテンツの制作・活用による地域振興のあり方に関する調査報告書」である。そこでは、コンテンツツーリズムは「地域に関わるコンテンツ(映画、テレビドラマ、小説、まんが、ゲームなど)を活用して、観光と関連産業の振興を図ることを意図したツーリズム(5)」という意味で使用されていて、地域振興を目的にする観光資源としてのコンテンツに関する観光という位置づけだった。一方、シートンらによると、コンテンツツーリズムとは、「映画、ドラマ、マンガ、アニメ、小説、ゲームなどの大衆文化商品の物語、キャラクター、舞台、その他創造的要素に、多かれ少なかれ動機づけされた旅行行動(6)」だと定義されている。地域に限らず、また産業の振興を第一義的目的にしない行動も含む、広義のコンテンツツーリズムの定義だといえる。本稿では、この定義に基づいて、コンテンツツーリズムの社会文化的側面に焦点を当てていく。
 これまで、映画ツーリズム、小説ツーリズム、ダークツーリズム(死や悲しみを対象にしたもの。戦場、災害地などへの観光)などメディアやテーマごとで発生した観光形態は、小説や映画の登場・普及時から存在していた。もっと時代をさかのぼれば、日本では江戸時代の印刷メディアの発達によって、大量生産された版画として、たとえば京都の名所のイラストと説明文の版画を現在のガイドブックのように庶民が目にし、それを見にいくために観光に赴くという例や、やじきた道中として有名な十返舎一九の『東海道中膝栗毛』(1802年)を読んだ人たちが、実際に弥次さん、喜多さんの世界の体験を兼ねて伊勢参り、京都・大阪巡りの徒歩旅行をする、といった例は存在していた(7)。つまり、大量生産によって多くの人が何かのコンテンツを共有するポピュラー文化があれば、コンテンツツーリズムのような現象は、発生していたのである。

2000年代以降のコンテンツツーリズム

 昔からコンテンツツーリズムのような事象が存在していたにもかかわらず、なぜいまコンテンツツーリズムが流行し、学術的研究がなされるまでに至っているのだろうか。今日のコンテンツツーリズムと既存のメディアやテーマ別ツーリズムとは何がどう違うのだろうか。その一つのファクターは、インターネットの普及を背景にした人々の広範囲のコミュニケーション行動だろう。1995年のWindows95の登場によって、コンピューターは、機械に強く特殊な技能をもち、必要に迫られた一部の人たちのものから、さほどコマンドの知識や技能がない一般の人も気軽に使えるものになった。色がついた画面とアイコンで見やすさが向上し、マウスをクリックすればアプリケーションが起動できるようになったのである。面倒なパソコン通信の時代から、インターネット接続機能が搭載され、クリック一つでネットにつながる時代がやってきたのだ。以後、2000年代に入るとパソコン機能の向上によって、ネットは私たちの生活により身近になった。フォーラムや掲示板で匿名での書き込みによる情報発信、見知らぬ他者との交流が盛んになり、またブログで定期的に特定の個人の情報発信と読者のやりとりも可能になった。そこに登場してきたのが、04年にサービスが開始された「mixi」や「GREE」などのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)である。情報の公開制限などアクセスコントロールをカスタマイズできるようになり、趣味を共有するユーザーとのコミュニティーの形成や、見知らぬ他者とオフ会を開催して人脈を広げることも可能になっている。海外では、04年に「LinkedIn」「Orkut」「MySpace」などが展開。04年に一部の学生だけに開放されていた「Facebook」も06年に一般の登録が可能になり、日本に上陸すると瞬く間にユーザーを増加させた(8)。それに続くかたちで、06年開設の「Twitter」が登場。字数制限はあるが、匿名で不特定多数の他者へのつぶやきを発信するという手軽さで、若者を中心にいまや必須のコミュニケーション手段になっている。情報発信・相互交換ツールの発達・普及とともに、ガジェットの性能、小型化、多機能化も進み、ポケットベル→携帯電話→スマートフォンと、軽量モバイルメディアの普及で、私たちは常時接続状態のなかで生活をしている。
 こうした個人が匿名でおこなうことができる情報発信ツールが発達し、コンテンツツーリズムの写真や体験を見知らぬ他者と共有することが可能になった。アニメのシーンとそっくりなアングルで写真を撮り、キャプチャーしたそのシーンと写真を並行してアップするサイトも登場するなど(9)、SNSというツールを獲得した現在、コンテンツツーリズムは、過去のコンテンツツーリズム的なものとはメディア環境の変化による、コミュニケーション形態で違いがある。
 またもう一つのファクターとして、ネットや映像技術の発達によるリアリティー感覚の認識の変化も、現在のコンテンツツーリズムを論じるうえで重要である。今回注目するのはこの点である。「第1回 2.5次元文化とは何か?」でも論じたように、ファンタジー(虚構)とリアリティー(現実)の感覚が限りなく融合した“ハイブリッドリアリティー”の世界に生きている私たち、特に物心ついたときにはすでにネットがあった若者たちにとって、コンテンツツーリズムに感じる「2.5次元的な要素」は、ネットの登場以前の感覚とは異なっているように思われる。
 では、2.5次元文化としてのコンテンツツーリズムには、どのような事象が起こっているのだろうか。その一端を探るため、本稿では、ハイブリッドリアリティーを生きる若者たちのコンテンツツーリズム行動での動態調査として、『夏目友人帳』(テレビ東京、2008年―)のゆかりの地である熊本県人吉市の事例を取り上げる。また、観光地でスマホをかざすと、昔の街並みや歴史の説明などが現れるAR(拡張現実)アプリがコンテンツツーリズムでも活躍しているが、テクノロジーの発達とイマジネーションにはどのような相互作用があるのか、スマホARアプリとファンの反応についても(次回)考察する。

『夏目友人帳』――妖怪、自然、そして人

『夏目友人帳』は、緑川ゆきの同名漫画(「LaLa DX」2003年7月号〔白泉社〕初出。現在「LaLa」〔白泉社〕で連載中)原作のアニメで、2017年までに6期分放送されているロングランの人気作品である(10)。幼いころ突然両親を亡くした主人公・夏目貴志は、親戚の家を転々とし、幽霊や妖怪が見える特殊能力のために、周囲から「嘘つき」と言われて孤独な幼年時代を過ごした。高校生になり、遠い親戚で子どもがいない藤原夫妻に引き取られ、山あいの田舎に引っ越してくるが、そこでいままで以上に妖怪に追いかけられることになる。そこは霊力が強かった祖母・夏目レイコが育った土地であり、レイコが勝負を挑んで負かせた妖怪の名前をつづった「友人帳」を残して亡くなり、それを引き継いだ貴志をレイコと勘違いした妖怪たちがやってくるようになったからだ。偶然結界を破るかたちで助けた狐のような大妖怪の斑(招き猫に封じられていたが、便利なので普段は猫の姿でニャンコ先生と呼ばれる)に、死後「友人帳」を譲るという条件で用心棒になってもらううち、貴志はいろいろな妖怪と出会う。レイコと妖怪との思い出を知り、妖怪たちや高校の友人と交流するうちに、貴志も頑なな心を開いていくのだった。
 妖怪退治ではなく、貴志の視点を通して妖怪や人間との交流が淡々と描かれる。ぎこちないながらも妖怪に温かく接する貴志の態度はしばしばトラブルも起こすが、その貴志を見つめるニャンコ先生の冷静な目がしばしばズームアップされ、視聴者は少し距離のある視点にも同一化することができる。
 感動的な物語はファンの心を動かし、『夏目友人帳』の舞台とされる熊本県人吉球磨地方には国内外から多くのファンが訪れている。熊本県人吉市は、原作者・緑川ゆきの故郷とされ、実在する人吉駅、神社、天狗橋や山や川、田畑の風景などがアニメに登場する(11)。

聖地化の動き、ファンの行動

『夏目友人帳』(以下、『夏目』と略記)は2008年に放映が開始された。熊本県では数カ月ずれて放映されている。人吉温泉観光協会の方々を含め、自分たちの街がアニメの舞台であり、そのファンが訪れていると地域住民が気づいたのは、ファン主導のコンテンツツーリズムが起きたあとのようだ。山村高淑によると、日本のコンテンツツーリズムには2つの系譜があるという。1つは行政の施策として作られるコンテンツツーリズム、もう1つファンによる自発的なコンテンツツーリズムである(12)。『夏目』のケースは、ファンによる自発的なものから始まり、行政があとから参入したかたちである。
 アニメ第3期が始まる2011年7月には、人吉花火大会のポスターやうちわにアニメのイラストが使用された。人吉温泉観光協会によって、『夏目』の舞台を巡る「アニメ『夏目友人帳』探訪マップ」が作られ、人吉駅にある観光案内所で現在でも無料配布されている(図1)。同年には、オープニングに出てくる田町菅原天満宮でニャンコ先生絵馬が販売され、探訪ノートが設置されている。記念スタンプも各所に設置された(詳細は後述)。12年にはアニメ公式ファンブック『夏目友人帳』(〔「PASH! Animation File」第10巻〕、主婦と生活社)も出版され、ガイドブック的役割をになっている。

図1 アニメ夏目友人帳聖地巡礼マップ

 マップに記された「聖地」は広範囲にわたるため、短時間ですべて巡るのは容易ではない。バスは1時間に1、2本程度なので、レンタサイクルまたはタクシーがよく利用される。若いファンが多いため、金銭的な制限もあってか観光タクシーの利用は少なかったようだが、2016年には人吉タクシーの「人吉球磨アニメ聖地巡礼」コースに大手旅行サイト「じゃらん」のクーポンが使用できるようになり、リーズナブルな値段で利用できるようになった。乗車記念『夏目』コースターもお土産にもらえる(2016年時点)。
 こうしたマップの提供、交通機関の整備によって、コンテンツツーリズムがしやすくなっている。では、ファンは何を求めて『夏目』コンテンツツーリズムをするのだろうか。ファンの足跡をたどりながら、言説を類型化していく。

人吉観光案内所
 熊本駅から特急で1時間ほどで人吉駅に到着する。人吉駅も聖地の一つで、コンテンツツーリズムの玄関口である。改札口外には観光案内所があり、ファンが立ち寄る最初の場所である。ここにはニャンコ先生の巨大ぬいぐるみ、声優・井上和彦(斑/ニャンコ先生役)と堀江一眞(田沼要役)のサインも置いてある。もちろん、地酒など『夏目』以外の物産品も置いてあるが、特徴的なのは、ファンの置き土産スペースがあることだ。ファンは聖地に何かしら自分の痕跡を残す(モノを置いていく)が、主にニャンコ先生ストラップがかけられていて、この置き土産がまだ残っているか確認するため、リピーターになる動機づけにもなるだろう。筆者がおこなった観光案内所の方へのインタビューによると、ファンが自主的に置いていったものを飾っていたら、次々に置き土産が増え、特定のスペースになったのだという。ファンが帰る場所の確保は、コンテンツツーリズムの持続性に大いに貢献している。

田町菅原天満宮
 田町菅原天満宮(写真1)は、アニメの第2期のオープニングで、夏目の友人であり、除霊師の名取周一が座っていた場所である。前述したとおり、ここには『夏目』絵馬が販売されていて(無人なので、さい銭箱に良心的に支払う方式)、ファンが多くのメッセージを残している。ここには「『夏目』探訪ノート」やニャンコ先生スタンプが置いてある。スタンプは人吉温泉観光協会が設置したが、スタンプ台はファンや地域住民がボランティアで交換しているのだという。絵馬やノートに書かれたファンの心情を分類すると次のようなものになる(1つの書き込みのなかで複数の項目に当てはまるものもある)。

写真1 田町菅原天満宮

1、足跡を残す……「○○から来ました」と出身地を書き、名前を残す。ファンが再訪したときに、自分の足跡を確認するツールとしても、探訪ノートは機能する(田町菅原天満宮の場合、ノート保存ボックスがあり、過去のノートも閲覧可能)。筆者が2016年に訪れた時点でノートは16冊あったが、近年になるにつれ、海外からの訪問者の書き込みも目立つ(写真2)。

写真2 ノート香港

2、アニメの新シリーズ放映へのメッセージ……新シリーズを楽しみにしているという書き込み。アニメは中断を挟み、2017年時点で第6期まで制作されていて、新シリーズ放映発表がコンテンツツーリズムの契機になっていると考えられる。

3、地域住民へのメッセージ……『夏目』をきっかけに人吉球磨地方を訪れた際、地域住民のおもてなしに感動したことへの感謝をつづる(写真3)。

写真3 ノート人について

4、熊本地震への言及……2016年4月16日、熊本県・大分県を震度7の熊本地震が襲った。熊本城や阿蘇神社の損壊、最も震度が大きかった益城町では、特に被害が大きかった。人吉市は幸い軽度だったが、熊本地震も『夏目』コンテンツツーリズムの動機の一つと思われる書き込みもあった(写真4)。地域住民とのラポール形成後の応援メッセージが含まれている。

写真4 リピータ人について

5、成功祈願……このメッセージは絵馬に多いが、入試・試合などの成功を祈願するものである。天満宮は菅原道真を祭神とする神社である。学問の神である天満宮に必勝祈願をするのは本来の姿だが、興味深いのは『夏目』と天満宮を同一視するような書き込みも散見されることだ。多くのファンの熱気が集中したパワースポット的なイメージをもっているのだろう(写真5)。

写真5 絵馬

 探訪ノートは、晴山バス停にも設置されている。晴山バス停は、アニメ第2期オープニングに出てきたバス停のモデルである。筆者が人吉タクシーの運転手に話をうかがうと、かなり辺鄙な場所にあるごく普通のバス停に多くのファンが訪れ写真を撮る姿に、地域住民は当初不思議に思ったそうだ。ここにも多くのファンが上記のような書き込みをしている。

写真6 アニメ第2期オープニングに出てきたバス停のモデル

旅館(一富士旅館)
 観光地でもある人吉市内にホテルは多いが、『夏目』ファンに人気がある宿泊先の一つが町屋旅館一富士である。町屋風なつくりで情緒があり、日本語・英語のバイリンガルウェブサイト(http://www.1fuji.jp/)でのアクセスのしやすさのためか、海外からの『夏目』ファンも多く宿泊するという。部屋にはアンケートが置いてあり、観光理由の項目に「夏目友人帳」という固有名があるのが、その人気度の証左になっている。筆者が女将の松田淳子氏にインタビューしたところ、ファンがニャンコ先生ぬいぐるみを置いていってくれたという(写真7)。情緒がある和式の部屋、気さくで親切な女将、おいしい料理……と、『夏目』の世界観にも通じる、人のあたたかさが感じられる。こうしたおもてなしも、『夏目』の世界に入り込む一助になっている。

写真7 旅館

ファンの帰る場所――イマジネーションとコミュニケーション

「人吉は人良し」――一富士旅館の女将・松田氏は、宿泊客からお礼の手紙が届いたり、リピーターが多かったりする理由を、地域住民とのコミュニケーションだろうと分析していた。松田氏によると、『夏目』コンテンツツーリズムで訪れた宿泊客は、筆者の予想に反して、男性や家族連れも多いという(それでも女性が過半数である)。年齢も若者だけでなく、40代から50代の人もいるという。原作は少女漫画だが、ジェンダーや年齢関係なく受け入れられる物語内容であり、シリーズの長期化によるファン層の拡大がなされたと思われる。探訪ノートや絵馬には、「娘・息子に誘われて来た」という書き込みも多く見られた。「最初は1人で来たが、2回目は両親・友人・彼氏を連れてきた」という書き込みも見られ、ファーストウィンドーが作品(漫画、アニメ)ではなく口コミだったことも、ファン層の拡大の一因だと推測される。同時にファンによる聖地巡礼報告がSNSやウェブサイト上で盛んである。こうしたリピーターを中村純子は「文化仲介者」と呼び、観光産業の重要なアクターとして位置づけている(13)。
“居心地のよさ”から、聖地を“第2のふるさと”のように感じるファン、つまり作品のファンから地元のファンへ、という動きは多くのコンテンツツーリズムで観察される。それが、コンテンツツーリズムを一過性にせず、サステナブル(持続可能な)にする要因の一つだろう。しかし、 “2次元作品の世界観に浸る”というのがコンテンツツーリズムの第一義的目的であることは変わらない。上記で指摘した、ファンのノート(聖地巡礼ノート、探訪ノートなど)の設置、『夏目』絵馬のような特別仕様の絵馬、聖地巡礼マップ、スタンプの設置、記念グッズの販売など、訪れるファンのために地元の自治体や観光協会が整備している物理的なものも、2.5次元空間を構築する重要な媒介物である。けれども、例えばノートやグッズがない聖地の天狗橋(『夏目』第1期第3話など)や胸川(『夏目』第2期第8話など)、『夏目』という文脈の外では社会文化的意味をもたない自然や橋を眺めるとき、ファンはどのような行為をするのだろうか。それは、アニメなどの映像で観た世界を幻視し、想いを馳せ、写真に残す、という一連の作業だろう。写真はSNSなどにアップされ、クレジット(『夏目』に出てきた○○など)をつけると、『夏目』の世界が可視化される。
 では、そうした“2.5次元遊戯”といえる行為に、ARアプリが介入すると、どのような変化が起こるのだろうか。不可視だからこそイマジネーションの世界を楽しめた聖地に、テクノロジーはどういう意味作用をもたらすのか。次回は、テクノロジーとイマジネーションの関係の具体例を考察していきたい。


(1)岡本亮輔『聖地巡礼――世界遺産からアニメの舞台まで』(〔中公新書〕、中央公論新社、2015年)参照。江戸時代のお伊勢参りなど、宗教と観光が未分化だったことも指摘している。
(2)大石玄「アニメ《舞台探訪》成立史――いわゆる《聖地巡礼》の起源について」「釧路工業高等専門学校紀要」第45号、釧路工業高等専門学校、2011年、41―50ページ、参照
(3)アニメ聖地巡礼が、地域振興に寄与する事例として注目されたのは、2007年ごろ話題となった、埼玉県鷲宮町(現・久喜市)の『らき☆すた』(千葉テレビ/TVK、2007年)聖地巡礼がある。山村高淑などが学術的に研究したことでも話題となった(山村高淑『アニメ・マンガで地域振興――まちのファンを生むコンテンツツーリズム開発法』東京法令出版、2011年、参照)。
(4)岡本健「コンテンツツーリズムを研究する」、岡本健編著『コンテンツツーリズム研究――情報社会の観光行動と地域振興』所収、福村出版、2015年、10―13ページ
(5)国土交通省総合政策局観光地域振興課/経済産業省商務情報政策局文化情報関連産業課/文化庁文化部芸術文化課「映像等コンテンツの制作・活用による地域振興のあり方に関する調査報告書」49ページ(http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/souhatu/h16seika/12eizou/12_3.pdf)[2017年6月13日アクセス]
(6)Philip A Seaton, Takayoshi Yamamura, Akiko Sugawa and Kyungjae Jang, Contents Tourism in Japan: Pilgrimages to “Sacred Sites” of Popular Culture, Cambria Press, 2017, p. 3.
(7)増淵敏之『物語を旅するひとびと――コンテンツ・ツーリズムとは何か』彩流社、2010年、14ページ
(8)大向一輝「SNSの歴史」「通信ソサイエティマガジン」第9巻第2号、電子情報通信学会、2015年、70ページ(https://www.jstage.jst.go.jp/article/bplus/9/2/9_70/_pdf)[2017年6月15日アクセス]
(9)たとえば、大石玄による「舞台探訪アーカイブ」(http://legwork.g.hatena.ne.jp/)や、ディップによる「聖地巡礼マップ」(https://seichimap.jp/)などがある。
(10)2017年8月現在、第20巻まで刊行。2014年の18巻目で単行本累計1,000万部を超えた(「「夏目友人帳」単行本1000万部突破 最新18巻刊行で大台超え」「アニメ!アニメ!」〔https://animeanime.jp/article/2014/09/06/20074.html〕[2017年7月30日アクセス])。原作漫画のファンによるコンテンツツーリズムももちろん観察されるが、後述する筆者の調査で、アニメ放映によって動機づけられたコンテンツツーリズムが大多数を占めているため、本稿ではアニメについて論じている。
(11)須川亜紀子「コンテンツツーリズムとジェンダー」、前掲『コンテンツツーリズム研究』所収、59ページ
(12)山村高淑「コンテンツツーリズムと日本の政策」、同書所収、68―71ページ
(13)中村純子「コンテンツツーリズムと「ホスト&ゲスト」論」、同書所収、36―39ページ

*取材にご協力くださいました町屋旅館一富士の松田淳子氏、人吉観光案内所のスタッフのみなさまにこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。

 

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第11回 千秋楽中継に見る宝塚の変化と進化

薮下哲司(映画・演劇評論家。元スポーツニッポン新聞社特別委員、甲南女子大学非常勤講師)

 宝塚史上最強のトップコンビといわれた早霧せいな・咲妃みゆの2人が、7月23日の雪組『幕末太陽傳』『Dramatic“S”!』東京公演千秋楽で、宝塚歌劇団を無事卒業しました。当日の模様は最近の千秋楽恒例になった全国東宝系と台湾の映画館でライブ中継されました。今回は特に上映館数が多く、直前にも上映館が追加されるなど、あらためて2人の人気が証明される盛況になりました。
 東京宝塚劇場の千秋楽のチケットは、チケットサイトでは30万円のプレミアがついたといわれていますが、ライブ中継のチケットでさえも3倍以上の値で取り引きされたといいますからびっくりです。100周年以降、蘭寿とむ、壮一帆、凰稀かなめ、柚希礼音、龍真咲、北翔海莉と6人のトップがすでに退団、それぞれ熱気を帯びたサヨナラでしたが、今回の早霧・咲妃の退団の過熱ぶりは想像をはるかに超えたものになったようで、これほどのサヨナラフィーバーはもう当分ないだろうとさえいわれています。
 トップスターのサヨナラ公演の東京公演千秋楽の様子が全国の映画館でライブ中継されるようになったのはいつごろからだろうと思い返してみると、2015年の柚希退団のときくらいからではないかと思われますので、まだそんな前ではありません。年に一度の祭典『タカラヅカスペシャル』や宝塚歌劇100周年夢の祭典『時を奏でるスミレの花たち』などの特別なイベントの全国的な映画館ライブ中継はありましたが、サヨナラ公演千秋楽のライブ中継は宝塚バウホールや東京、大阪、福岡などの大都市の映画館でのライブに限られていました。全国の映画館でのライブは柚希が最初ではなかったかと。柚希の千秋楽ライブ中継はさいたまアリーナでもあり、それを観ていたファンが、終了後、日比谷に大挙してどっと流れてきたことでちょっとした話題になったものです。柚希の大成功で、最近はサヨナラ公演でなくても東京公演千秋楽はすべての公演でライブ中継がおこなわれるようになり、早霧・咲妃のサヨナラ公演はついに宝塚大劇場千秋楽も全国ライブ中継が実現、宙組公演『A Motion』(2017年)のような梅田芸術劇場での外箱公演までも全国の映画館でライブ中継されるようになりました。
 映画館といってもシネマコンプレックスですから、チケットの売れ行きによって大きなスペースだったり小さなスペースだったりとさまざまに変化しますが、料金は一律4,600円で変わりません。東京公演のサヨナラ千秋楽は1時半に開演して終了は6時半ごろになりますから正味5時間。単純に計算して映画3本分になりますのであながち高いとはいえないのですが、その昔、宝塚大劇場でのトップのサヨナラ千秋楽のときは、チケットを買えなかったファンのためにロビーにテレビを置き、場内の様子を中継、無料で開放していたことを思うと、時代も変わったものだなあと思うことしきり。小さなテレビ画面を食い入るように見つめていたファンの熱い視線が忘れられません。もちろんロビーに集まるファンの多さが人気のバロメーターになったものでした。テレビがプロジェクターに変わり、大劇場に隣接するエスプリホールで中継するようになってから有料になったと記憶しています。そのころはまだ1,000円程度でしたが。いまや宝塚の千秋楽中継は、東宝の年間売り上げを左右するほどの一大イベントになっているようです。
 さて退団した早霧は、退団後10日ほどたった8月初旬、11月に東京と大阪で『SECRET SPLENDOUR』(構成・演出:荻田浩一)と題するコンサートで再出発することを発表しました。東京での千秋楽では、終了後の記者会見で、退団後については「軍の機密」とユーモアたっぷりに言明、男役との決別に対しては涙を見せたと聞いていたことから早期の芸能界復帰はないかもと思っていたので、思いのほか早い再出発の発表にはちょっと驚かされました。とはいえ、舞台人としての可能性は計り知れないと思いますので大歓迎。今後どんな舞台を見せてくれるのか、いずれ『宝塚イズム』のOGインタビューに登場してもらって、そのあたりをじっくり聞いてみたいと思います。
 早霧・咲妃以外にも鳳翔大、香綾しずる、桃花ひな、星乃あんりといった、早霧・咲妃の2人を支えてきたメンバーも同時に退団、次期トップコンビ望海風斗・真彩希帆を中心とした新生雪組はがらりと雰囲気が変わりそうです。そんな新生雪組は、8月25日から始まる全国ツアー公演『琥珀色の雨にぬれて』からスタートします。前トップが退団後初コンサートを発表したかと思うと、宝塚では丸1カ月で新しい組が始動する。そんな目まぐるしい動きの連続で、宝塚は少しずつ、しかしドラスティックに変わっていきます。
 そんな宝塚のダイナミックな動きを正確に、確実にお伝えしていこうというのが『宝塚イズム』の大きなテーマ。その最新号『宝塚イズム36』ですが、すでに大体の構成は固まり、現在、執筆メンバーに原稿を依頼している段階です。
 次号のメイン特集は、早霧・咲妃に続いて今年末で退団する宙組のトップスター朝夏まなとのサヨナラ特集です。朝夏といえば佐賀県が生んだ最初のトップスター。星組トップの紅ゆずるとは同期生です。早くから新人公演の主役に起用され、次代のスターとして大事に育てられてきました。ひまわりのような明るさと、手足の長さを駆使したダイナミックなダンスが魅力的な男役です。トップに就任して丸2年。退団はちょっと早すぎるような気もしないではありませんが、それも一つの決断。退団公演『神々の土地』にかける彼女の意気込みに期待しましょう。さまざまな面から彼女の魅力にアプローチ、朝夏との惜別にふさわしい特集をお約束します。
 もちろん、望海を中心とした新生雪組と真風涼帆を中心とした新生宙組への期待といった、2018年、新たな宝塚の展望を見据えた小特集にも興味深い原稿が集まりそうです。大いに期待していただきたいと思います。
 一方、10月には花組で大和和紀原作『はいからさんが通る』、来年1月には同じ花組で萩尾望都原作『ポーの一族』と少女マンガの王道というべき2作が次々に上演されます。『はいからさんが通る』はかつて関西テレビ『宝塚テレビロマン』(1979年)で、花鳥いつき、平みち、日向薫、剣幸、遥くららといった豪華メンバーでドラマ化されたことがありますが、以来、初めての舞台化。『ポーの一族』は、1974年に刊行されたときから小池修一郎が宝塚での舞台化を念願していたという作品。『ルパン3世――王妃の首飾りを追え!』(雪組、2015年)、『るろうに剣心』(雪組、2016年)と少年マンガの舞台化が続いた宝塚にあって、久々、少女マンガの王道作の登場。この2作の上演に合わせて宝塚歌劇と少女マンガの特集も組みます。
 と、こう書いただけで早くも手に取りたいと思われたファンの方、それは相当な宝塚ファン。発売日はまだ先ですが、首を長くしてお待ちください!

 

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第10回 宝塚激動の夏のなかで

鶴岡英理子(演劇ライター。著書に『宝塚のシルエット』〔青弓社〕ほか)

 早霧せいな&咲妃みゆコンビへの惜別の言葉を中心に、盛りだくさんでお届けした『宝塚イズム35』の発刊から早くも2カ月がたとうとしています。この間の関東はちょっとしばらく記憶にないくらいの空梅雨で、「梅雨明け宣言」といわれても、いつ梅雨があったのだろうか?というほどの日照り続きでした。これでは夏場に水不足になりはしないかと大変案じられますが、一方で九州、また東北などをはじめあちこちで激しい豪雨があり、大きな被害が生じているということで、まず心からお見舞い申し上げます。地球温暖化の影響か、温帯地方だったはずの日本もどうやら亜熱帯・熱帯にジリジリと近づいているようで、夕立などという言葉では到底収まらない激しい雨が一気に降ることが増えました。少女のころ亡き森瑤子さんの小説に頻繁に登場した「スコール」という雨の降り方の描写がいまひとつピンとこなくて、「どうも夏の夕立よりもかなり激しい降り方の雨らしい……」などと想像していたものですが、最近は「きっとこれがスコールなんだろうな」と思う雨がしばしば降るようになりました。なんとか少しでも穏やかな気候が取り戻せるといいのですが。
 などと思い巡らせて鬱々としてしまうときこそ、宝塚観劇がいちばん!なのですが、その宝塚にも激震が走りました。すでに退団を発表している宙組トップスターの朝夏まなととともに同時退団をするメンバーの発表、そして翌日の宙組次期トップコンビ発表、さらに組替え発表は、近年にないと思えるほど大きな動きだったように思います。
 宙組の次期トップスターが真風涼帆だったのは、逆にこの人でなかったほうが天地がひっくり返っただろう!というほどの順当なものでしたから、唯一驚きはありませんでしたし、次期トップ娘役の星風まどかも、まだ組配属前のいわゆる「組回り」中の研1生だった段階で、宙組前トップスター凰稀かなめの退団公演『白夜の誓い――グスタフⅢ世、誇り高き王の戦い』(宙組、2014―15年)で、主人公グスタフⅢ世の少年時代を演じていきなりセリ下がりをしたり、同時上演の『PHOENIX 宝塚!!――蘇る愛』でも通し役のバードを演じるという大抜擢で登場した娘役です。星風はその後も続けざまにバウホール公演ヒロイン、ドラマシティ公演とKAAT神奈川芸術劇場公演で東上ヒロイン、新人公演では『王家に捧ぐ歌』(宙組、2015年)のアイーダ、『エリザベート――愛と死の輪舞』(宙組、2016年)のエリザベートと、宝塚の娘役としては最も大きいといってもいい大ヒロインを次々に演じ、全国ツアー公演『バレンシアの熱い花』『HOT EYES!!』(宙組、2016年)、そして宙組次回公演『神々の土地』『クラシカル ビジュー』(宙組、2017年)でのポスター入りと、まさに破竹の勢いで駆け上がっていました。ですから、いずれ遠からずトップ娘役に就任するだろうことは、誰しもが想像していたことではあれ、このタイミングで、宙組で!という驚きにはやはり大きなものがありました。いうまでもなく宙組には伶美うららという、星風が彗星のごとく現れた前述の『白夜の誓い』上演時に、すでに2番手の娘役の立場でポスター入りしていた美貌の娘役がいたからです。
 確かに伶美には歌唱力に足りないものがあるというウィークポイントはありましたが、過去にも遥くらら、檀れいなど、同様の弱さはもちながらも、トップ娘役として大輪の花を咲かせた娘役たちがいました。その共通点は、何はさておいても……と思わせる美しさで、伶美のそれも先人たちに勝るとも劣らないものでした。特に朝夏とコンビを組んだ『翼ある人びと――ブラームスとクララ・シューマン』(宙組、2014年)や、愛月ひかるとコンビを組んだ『SANCTUARY』(宙組、2014年)など、伶美のクラシカルな美貌と芝居力が、作品全体をより深いものにした情景がいくつも思い出されるだけに、そんな伶美が朝夏とともに、トップ娘役という称号を得ずして宝塚を去るという顛末には、一ファンとして無念なものが残りました。宝塚の娘役は、本当にわずかな一つのタイミングで、その命運が大きく異なってしまうもので、残念ながら伶美もその一人になってしまったようです。彼女がトップ娘役になってくれたら観てみたいと思っていたあまたの夢の役柄は夢のままになってしまいましたが、せめて朝夏の退団公演が、伶美にとっても有終の美を残す公演となってくれることを祈っています。そして、花組から芹香斗亜を2番手に迎えて、真風&星風を頂点にまったく新しい風が吹くだろう次の宙組が、愛月をはじめとしたこれまで宙組で頑張ってきた組子たちにも、働き場の多い作品に恵まれることを願っています。
 そんな激動を続ける宝塚で、7月23日、雪組トップコンビ早霧せいな&咲妃みゆを含めた7人が、この夢の園に別れを告げて去っていきました。千秋楽の『早霧せいなサヨナラショー』は雪組のトップスター時代の曲を網羅した構成でしたが、なかでも際立っていたのは、平成のゴールデンコンビと謳われた早霧と咲妃らしく、2人の場面の比重が大きかったことでした。個人的にも熱望していた『Greatest HITS!』(雪組、2016年)の「オーバー・ザ・レインボー」でのデュエットダンスの再現はもちろん、2人のデュエット曲が『ルパン3世――王妃の首飾りを追え!』(雪組、2015年)、『私立探偵ケイレブ・ハント』(雪組、2016年)、『ローマの休日』(雪組、2016年)と3曲ものメドレーで歌われていて、非常に印象に残りました。退団記者会見での早霧本人の弁によれば「私のサヨナラショーであると同時に、咲妃と2人のサヨナラショーであると思っていたので、デュエット曲の選択については咲妃の意向もたくさん入っています」ということで、どこまでも相手役を尊重している早霧の男気と、早霧と咲妃という、2人がそこにいるだけで観客が幸福を感じることができた「平成のゴールデンコンビ」の神髄を改めて見た思いがしました。
 もう一つ印象的だったのは、サヨナラショー、最後の挨拶、退団記者会見と、セレモニーのすべてが最近には珍しく涙、涙のなかにあったことで、早霧の「できることなら一生男役でいたかった」という言葉に、ずっしりと重いものを覚えました。それがかなったならどんなにすばらしかったことか……と思いますが、それがかなわないことが、宝塚が100有余年の歴史を築いてきた源でもあるのでしょう。この日同時退団した鳳翔大、香綾しずる、さらに咲妃みゆ、それぞれの次の動きが早くも聞こえてきているのはうれしいことです。ほかの退団者のメンバー、そして誰よりも激務の日々を送ってきただろう早霧には、しばらくゆっくりする時間をとってほしいという気持ちももちろんありながら、きっとまたどこかで、必ずやあのすばらしい笑顔に出会えると信じています。本当にお疲れさまでした。さようならは言いません。「See you Again!」

 

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第7回 ローソンの「まぶしさ」を想起する――大阪南部のロードサイドの私的記憶から

近森高明(慶應義塾大学准教授。著者に『ベンヤミンの迷宮都市』〔世界思想社〕、共著に『夜食の文化誌』〔青弓社〕ほか)

 均質化、没場所化、非-場所化、郊外化、モール化、ジェントリフィケーション、俗都市化、など――近年の都市空間に対する批評的言説の定型は、一言でいえば、「街がつまらなくなっている」ということである。チェーン店舗の増殖など、生活環境の均質化が進行し、街の個性が消えて、どこにでもある風景が広がっている。定番のテナントが並ぶショッピング・モールが隆盛する一方で、昔ながらの商店街が廃れ、かつてあった盛り場の輝きが失われている。あるいは、一見すると個性的に見える新興の街も、その「個性」は演出されたものにすぎず、記号的に飾られた表層をはがすと、その底には均質的なフォーマットが隠れている、など。
 ロードサイドショップが並び、巨大な看板がそれぞれに自己主張する国道16号線(以下、16号と略記)の風景は、こうした「つまらない」都市的景観の代表格だろう。都市ともいなかともつかないその場所には、交通のフローがあり、それなりの商業施設がそろい、大体のアイテムや情報にはアクセスできる。だがしかし、都市にふさわしい輝き、都市の都市らしさ、街の街らしさが、そこには決定的に欠けている――そのように批評的言説は語るだろう。なるほど、そうかもしれない。
 だが、ここで私たちは思い出すべきである。チェーン店舗やロードサイドショップが、かつてもっていた輝きとまぶしさを。それらはかつて、凡庸ではなく新鮮であり、荒廃のしるしではなく発展の予兆であり、日常への埋没ではなく、大げさにいえば「ここではないどこか」をのぞかせてくれる窓だった。

大阪南部のロードサイド

 個人的な話をする。関西育ちの私にとって、そもそも2000年代以降に都市論や現代社会論の領域で浮上してきた「16号」なるキーワードは、まったくピンとくるものではなかった。だが、ロードサイドショップが並ぶ風景という描写を聞いて、なるほどあれか、と思い当たった。ただし、思い当たる「あれ」は、ひとしなみに語られる16号的な郊外の「荒々しい」「殺伐とした」風景とは、少し違う何かを含んでいた。
 親が転勤族で、あちこちと動いていた(小学校だけで5つの学校に通った)私は、中学の3年間を大阪南部の貝塚市にある、とある海岸近くの場所で過ごした。あたりは田畑ばかりで、点々と宅地が並ぶ、何もないところだった。家の前に、旧国道26号線という交通量が比較的多い道路が通っていて、通学のため駅に向かうには、毎日、その道路を渡っていく必要があった。その道路は、正式には大阪府道204号堺阪南線という名称だが、地元では「旧26=キューニーロク」と呼んでいた(なお、まったくの偶然だが、戦前にはこの路線は「国道16号線」に指定されていた)。
 何もない、とはいえ、目立つ建物はあった。家の近くのパチンコ屋。少し遠くに見えるラブホテル(これは私が過ごした中学の3年間に、3度名前を変えた)。そして駅に行く途中にある靴流通センター。現在の観点からは、見事なまでに「荒々しい」ロードサイドの風景と見えるかもしれないが、当時の私にとって、それは所与の環境であり、とくに違和感はなかった。むしろ靴流通センターは、その巨大さと品ぞろえの多さに目を見張らされ、驚異の的だった。

ローソン出店の衝撃

 1988年、私が中学2年生のとき、近所の消費環境に革命が起きる。ローソンの出店である。それまで商店といえば、駅前の小さな文房具店や駄菓子屋しかなく、少し気が利いたものを手に入れるには、隣駅のダイエーにまで行かなければならなかった。そのような消費環境のなかでのローソンの登場は、中学生にとっては福音であり、衝撃であり、価値観の転換を引き起こす出来事だった。
 雑誌、菓子、日用品と、ありとあらゆるアイテムがそろっている。駅前の小さな駄菓子屋では見たことがない種類のガムやポテトチップスがある(まるでアメリカ文化の豊かさに衝撃を受けた、戦後間もなくの子どもである)。ガラス張りで、外から中の様子がわかり、夜には煌々と蛍光灯がともっている。BGMでも最新の曲がかかっている。それは旧26の郊外を生きる私にとって、近所に出前されてきた「都市」であり、都市的なるもののミニチュア版にほかならなかった(コンビニが都市のミニチュアだという指摘は、すでに若林幹夫がおこなっている)。「ローソン」は、中学生の同級生のあいだでかっこよさの代名詞になり、夜中に友達と連れだってローソンに遊びにいき、駐車場でアメリカンドッグを食べるという行為が、最先端の、きわめて洗練された行為として私たちには認識されていた。働いている店員もどこかしら垢抜けて見えたが、これはさすがに幻想がすぎたかもしれない。

ロードサイドの殺伐

 もちろん、旧26にも「殺伐とした」ロードサイドの側面がある。記憶に残っているのは、路上でひき殺された野良犬の姿である。死骸を見かけた初日には、それは姿形がはっきりとしていて、一部がぺしゃんこになり、黒々とした血の染みを道路の上に作っていた。誰も処理をしないまま、死骸は日を追うごとに形を変え、平板さを加えてゆく。駅に向かう通学路にあるので、どうしても毎日、その死骸を見ないわけにはいかない。1週間後には、ビーフジャーキーのように、かすかにそれとわかる毛と表皮が小さく、アスファルト上にこびりついていた。かつて犬だったそれは、無数のタイヤにひかれ、付着して、消え去ってしまった。このひかれた野良犬の姿は、私にとっての旧26の殺伐さを象徴している。

ロードサイドの「まぶしさ」を想起する

 ともあれ、「16号」というキーワードを聞くたびに、私には中学時代を過ごした旧26がそこに重なるのだが、それは「荒々しい」「殺伐とした」風景というよりも、退屈だが所与の環境にすぎず、そのなかにローソンがまばゆい光を放っている、そういう斑状のロードサイドとして想起されてくる。
 こうした見え方は、もしかすると旧26のロードサイドを、私が中学卒業とともに離れ、その時点での見え方がいわば冷凍保存された結果、現在から想起するとそのように見えるのかもしれない。もし旧26に私が住み続けていたとすれば、その連続的な変化のうちに、かつてのローソンのまぶしさが取り紛れ、忘却され、別の見え方になっていたかもしれない。いずれにせよ、「郊外化」や「非-場所化」ということで、何かがわかった気になってしまう語りの平板さ――あるいは生活環境の均質化という、それ自体が均質的な語りの「つまらなさ」――を批判的に留保しながら、「16号的なるもの」の豊かな多面性を語ろうとするなら、私たちはまず、こうしたチェーン店舗やロードサイドショップがかつてもっていた、ある種の「まぶしさ」を想起する必要があるのではないだろうか。

 

Copyright Takaaki Chikamori
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第9回 早霧・咲妃コンビを大特集! 内容充実の『宝塚イズム35』

薮下哲司(映画・演劇評論家。元スポーツニッポン新聞社特別委員、甲南女子大学非常勤講師)

『宝塚イズム35』が6月1日に発売されました。今回のメイン特集は、『幕末太陽傳(ルビ:ばくまつたいようでん)』東京宝塚劇場千秋楽の7月23日付で宝塚を卒業する雪組の人気トップコンビ、早霧せいなと咲妃みゆのサヨナラ特集です。
 この2人は、100周年後の2015年正月に『ルパン3世――王妃の首飾りを追え!』(雪組)で宝塚大劇場でのトップ披露を飾り、以来、退団公演までの全公演が前売りで完売という前代未聞の記録を作りました。宝塚の長い歴史のなかで、トップ在籍中の公演すべてが完売したのは初めてのことだといいます。100周年人気の余韻のなかで、話題性がある演目に恵まれたこともありますが、タカラジェンヌとしての資質に加えて、2人の舞台人としてのたゆまぬ努力のたまものが、この記録を生んだのだと思います。
 早霧の初取材のとき、宝塚音楽学校の受験のために初めて大阪に来たときの思い出を話してくれました。梅田から宝塚行きの阪急電車が8両連結だったことにびっくり。「佐世保では2両連結の電車しか見たことがなかったから、なんて都会なんだろう、と思った」というのです。好きで受験したとはいえ「こんなところで1人で生活できるのだろうか」と漠然と不安を感じたようです。遠い九州からたった1人で都会に出てきた少女の戸惑いが実感として迫り、強く印象に残っています。そんなか弱い少女が、18年後、こんな立派なトップスターになるとは誰が予想したでしょうか。
 2001年初舞台。戦時中のタカラジェンヌの苦難の歴史を描いた藤原紀香主演のテレビドラマ『愛と青春の宝塚――恋よりも生命よりも』(フジテレビ系、2002年)に、収録当時の研1生がエキストラ出演していて、同期の沙央くらまらとともに早霧の初々しい姿も見られます。当初は宙組に配属され、アイドル的な美貌とダンスの切れ味で注目されましたが、背の高い男役が多かった宙組にあって、どちらかというと埋没ぎみでした。研6のとき、和央ようか・花總まりの退団公演『NEVER SAY GOODBYE』(宙組、2006年)新人公演で初主演、ようやくエンジンがかかりました。
 その後雪組に組替えとなり、このあたりから劇団は、早霧をトップ候補として全面的に押し出していきます。しかし、このころは早霧のやる気と役の大きさがまだアンバランスで、歌唱力にも課題があり、かなり無理をしている感じがあって、見ているほうがつらかったこともありました。壮一帆トップ時代の『Shall we ダンス?』(雪組、2013―14年)の女役への挑戦から、それが抜けるように見事になくなり、あとはもうご存じのとおりです。
 サヨナラ公演の『幕末太陽傳』は、宝塚大劇場で大好評裏に上演を終え、6月16日から東京宝塚劇場での公演が始まります。幕末の品川宿を舞台に、江戸落語の『居残り佐平次』をメインに『品川心中』『三枚起請』『お見立て』といった噺を随所にちりばめた人情喜劇。1957年制作の日活映画『幕末太陽傳』(監督:川島雄三)を、小柳奈穂子が宝塚風のミュージカル・コメディとして巧みにアレンジしました。早霧が演じるのは、映画でフランキー堺が演じた佐平次。労咳(結核)を病み、死に場所を求めて品川にやってきた口八丁手八丁の佐平次が、幕末の品川に生きるバイタリティーあふれる人々の姿を見て再び生きる勇気をもらうまでを、早霧は、明るさのなかにも陰影をつけて、人間賛歌を謳い上げることに成功しています。『ルパン3世』や『るろうに剣心』(雪組、2016年)などのアニメキャラクターを宝塚の舞台で作り込んだ貴重な経験が、この舞台で見事に開花したといっていいでしょう。100周年後の新たな宝塚の男役像を築き上げてのラストステージ、『宝塚イズム』の執筆者たちも熱いメッセージを寄せてくれました。
 一方、相手役の咲妃みゆは、2010年初舞台の96期生。月組に配属後、期待の娘役として早くから大役に起用され、清純な娘役から大人の役まで演じるたびに大きく成長してきた、天性の素質をもつ宝塚の娘役の枠を超えた舞台人です。その類いまれなる歌唱力で芝居だけでなくショーでも活躍。昨年(2016年)の『Greatest HITS!』(雪組)では、マドンナの難曲「マテリアルガール」を見事に歌いこなして観客を驚かせました。サヨナラ公演の『幕末太陽傳』では、吉原から品川に流れ着き、お客をえり好みするうちに、後輩のこはるに板頭(トップ)の座を奪われてしまう相模屋の女郎おそめ役。宝塚のトップ娘役のラストステージとは思えない役どころですが、咲妃らしく、そこは品よく、はかなげに、しかし芯がある演技でラストを飾っています。早霧、咲妃という花も実もある2人だからこそ実現したファイナルステージになったのではないでしょうか。そんな2人に対する特集原稿は、退団を惜しむ声で埋め尽くされました。宝塚史上希有なトップコンビの退団に対する惜別の文章をごらんください。
 そして、早霧と咲妃については退団後の活躍も期待したいと思います。2人とも作品と運に恵まれれば、女優として大成できる可能性を十分秘めていると思います。宝塚は、月丘夢路、乙羽信子、淡島千景、新珠三千代、八千草薫、有馬稲子と、戦後すぐの映画黄金時代に娘役から多くの女優を輩出しています。このあたりの人の生の舞台はさすがに観ていませんが、ぎりぎり朝丘雪路や浜木綿子、扇千景そして淀かほるあたりはかすかに記憶があります。『風と共に去りぬ』が1966年に東宝で初めて舞台化されたとき、スカーレットが有馬稲子、メラニーを淀かほる、ベル・ワットリングは浜木綿子と、主要キャストをすべて宝塚出身女優が占め、大きな話題になったものです。
 その『風と共に去りぬ』ですが、宝塚で初演されてから今年で40年になります。今年は、宝塚が初めてレビュー『モン・パリ――吾が巴里よ』を上演して90年という節目の年にもあたり、宝塚的にはそちらのほうにスポットが当たりがちですが、ポスト『ベルサイユのばら』(1974年初演)の急先鋒として1977年に初演され大ヒット、宝塚の現在に至る隆盛の一翼を担った作品として忘れるわけにはいきません。その月組初演のスカーレットは順みつきでしたが、続演した星組のスカーレットに抜擢されたのが遥くらら。彼女は在団中に2度スカーレットを演じ、退団公演になった1984年の雪組公演でのスカーレットは歴代最高といわれる名演技でした。元毎日放送記者の宮田達夫さんがその当時の思い出をつづってくださいました。
 もちろん、レビュー90周年をことほいだ「宝塚レビューの魅力」についての論考も特集します。もともとは「お伽歌劇」から始まった宝塚がレビューを取り入れたことによって、歌劇団のコンセプトが大きく変貌しました。そのレビュー自体も、時代とともに変化する観客の嗜好に合わせて、大きく様変わりしてきています。新時代のレビューとは何か、さまざまな視点で分析します。
 ほかにも星組新トップ・紅ゆずるへの期待の小特集、今回から新たに執筆メンバーに加わってくださった宮本啓子さんのデビュー論考「宝塚に見る戦国武将」など、盛りだくさんな内容はまさにいまの宝塚をそのまま反映しています。
 そして今回の目玉の一つ、OGインタビューは元星組の北翔海莉。退団後初めて『宝塚イズム』のインタビューに応じてくれました。宝塚ファンならずとも読み応え十分。『宝塚イズム35』を全国有名書店でぜひお買い求めください!

 

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第8回 娘役としての完成形――実咲凜音に寄せて

鶴岡英理子(演劇ライター。著書に『宝塚のシルエット』〔青弓社〕ほか)

『宝塚イズム』の共同編著者である薮下哲司さんと、毎月交代で執筆しているこの「『宝塚イズム』マンスリーニュース」ですが、4月と10月にはお休みをいただいています。といいますのも、この2カ月は6月と12月に刊行している『宝塚イズム』の新刊制作が最も佳境に入る時期なのです。雑誌、新聞、さらにウェブニュースと、情報のサイクルが早いメディアから考えると「2カ月も前に制作?」と思われるかもしれませんが、これは書籍である『宝塚イズム』にはどうしても必要なスパンで、執筆メンバーから集まる原稿の精査、校正、OG公演の舞台写真貸与の依頼、対談、さらに自身の担当原稿の執筆と、さまざまな作業に追われる日々が続きます。特に、ニュースの即時性という意味ではほかのメディアに追いつけない書籍であるからこそ、宝塚の半年間をじっくりと検証し、きちんと書き留め、残していくことを最大のテーマに制作に当たっています。
 そんな思いを込めた『宝塚イズム35』、「平成のゴールデンコンビ」と謳われた、早霧せいな&咲妃みゆのさよなら特集を柱とした新刊が、もうすぐお目見えを果たします。その新刊については次回で薮下さんが存分に語ってくださるので、そちらをぜひ楽しみにお待ちいただくとして、私は去る4月30日、『王妃の館――Chateau de la Reine』『VIVA! FESTA!』(宙組)東京宝塚劇場公演千秋楽をもって宝塚歌劇団を退団した宙組トップ娘役・実咲凜音について書き記したいと思います。
 実咲凜音は、2009年『Amour それは…』(宙組)で初舞台を踏んだ95期生。現在の宝塚で最も勢いがある期といっても過言ではないほど多くのスターが輩出している95期ですが、そのなかでもいちばん早く名前が出てきたのが、娘役の実咲でした。
 何しろ花組に配属になったばかりの研究科1年生で、ショー『EXCITER!!』の「ファッション革命」のシーンで当時花組の男役ホープだった朝夏まなとと組んで銀橋を渡る大役に抜擢されたのですから、そのインパクトは大変なものでした。のちに実咲が朝夏と宙組トップコンビになろうとは、もちろん誰一人予想することはできませんでしたし、実咲のさよなら特集の「歌劇」2017年4月号(宝塚クリエイティブアーツ)の朝夏からの「送る言葉」によれば、この配役発表を見た朝夏が「私と組む、実咲凜音って誰だ?」と思ったということですから、未知数も未知数、いわば海のものとも山のものともわからない時点での抜擢だったわけです。でも、このとき舞台を観ていた観客の多くが「朝夏まなとと組んでいる、あの娘役は誰だ?」と公演パンフレットをひっくり返し、「実咲凜音」の名前を覚えたのもまた間違いないことで、この大きな賭けが、実咲をあれよあれよという間にスターダムに押し上げていきます。
 翌年2010年、研2で『麗しのサブリナ』(花組)のサブリナ・フェアチャイルド役で新人公演初ヒロイン。同じ年に、朝夏主演のバウホール公演『CODE HERO/コード・ヒーロー』(花組)でバウホール初ヒロイン、そしてこの作品は東上もしたので、早くも東京でのヒロインデビューも果たします。さらに11年には『ファントム』新人公演(花組)で歌姫クリスティーヌ・ダーエを演じ、抜群の歌唱力を披露。ソロナンバーで客席からの拍手がしばし鳴りやまなかったほどで、この一夜のヒロインの見事な歌いっぷりの評判は、宝塚世界を瞬く間に駆け回ったものでした。特に実咲は、どちらかというと明るくサバサバとした現代的な個性をもった新しいタイプの娘役として認識されていたので、こうしたクラシカルな役柄をしっとりと演じられることがわかったのも、豊かな歌唱力とともに大きな収穫になり、ここからの実咲の日々は、ただまっすぐに続くトップ娘役への階段を駆け上っているかのごとくでした。なんと花組に在籍した4年間でヒロインを演じた別箱公演3本すべてが東京にきているのですから、劇団の英才教育ここに極まれりといえるでしょう。
 その勢いのまま2012年、宙組に組替えして宙組6代目トップスター凰稀かなめの相手役としてトップ娘役に。実に意外なことですが、むしろここから実咲はヒロイン一直線ではない、さまざまな役に巡り合うことになります。トップ娘役披露だった『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』(宙組、2012年)は、長大な原作のほぼ第2巻までを舞台化していた関係上、凰稀が演じたラインハルト・フォン・ローエングラムと実咲のヒルデガルド・フォン・マリーンドルフの関係は、この舞台の幕が下りたあと、2人の間に新しいページが開いていくでしょう……を匂わせるにとどまるものになりました。また、『風と共に去りぬ』(宙組、2013年)ではメラニー・ハミルトン、『ベルサイユのばら――オスカル編』(宙組、2014年)ではロザリーと、コンビの凰稀の相手役ではない役柄に当たることも続きます。もちろん『うたかたの恋』(宙組、2013年)のマリー・ヴェッツェラなど、娘役なら誰しもが憧れるだろう大役を全国ツアーで務めてもいたものの、トップコンビががっぷり組む作品が本公演で特に少なかったことから、凰稀時代の実咲には、彼女本来の明るさが控えめに映る時期もあったものでした。
 けれども、この時期に蓄えていたもの、古典的な娘役に求められていた「男役に寄り添い、華を添える」という経験が、実咲の宝塚の娘役としての幅を大きく広げていたことが、凰稀退団後、宙組7代目トップスターに就任した朝夏と、まさに初恋の成就のように改めてコンビを組んだ日々のなかで明らかになっていきました。
 それは『王家に捧ぐ歌』(宙組、2015年)のアイーダや、『エリザベート――愛と死の輪舞』(宙組、2016年)のエリザベートという、宝塚の娘役の域をハッキリと超えて、実質的には物語の主人公である役柄を堂々と演じることもできれば、『メランコリック・ジゴロ』(宙組、2015年)のフェリシアや、実咲の退団公演になった『王妃の館』の桜井玲子といった、作品のなかで周りとの呼吸を計り、大切なピースとしての役割を果たす役どころも軽やかに演じられる強みとなって表れます。さらに彼女がすばらしかったのは、歌える娘役であるだけでなく踊れる娘役でもあったことで、ダンサートップスターである朝夏とのデュエットダンスは、宙組に大きな輝きをもたらしました。それらすべての経験が、縁の濃い朝夏との同志のような関係から生み出される小気味よいテンポ感はもちろん、轟悠と正面から渡り合った『双頭の鷲』(宙組、2016年)の全身全霊の演技につながったのです。思えば、劇団が初舞台まもなくから彼女に施した英才教育のすべてが実咲の実りになり、輝きになった、まさにパーフェクトな娘役でした。
 そんな彼女ですから、サヨナラショーで圧巻だった『エリザベート』の「私だけに」の文字どおりのショーストップの歌唱に負けず劣らず、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』の「蒼氷色の瞳」のリリカルにどこまでも澄み切った歌声がいつまでも耳に残ったのも当然だったのでしょう。そこには役柄に瞬時に染まり、歌に合わせてほほ笑み方さえ変わる、娘役・実咲凜音の完成された姿が輝いていました。実に美しい娘役の、それは見事な旅立ちでした。
 ですから、実咲が早くも今年2017年の年末、市村正親と、宝塚の大先輩・鳳蘭が主演するミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』の長女ツァイテル役を演じることが発表されたのは、とてもうれしいニュースでした。ツァイテル役には大きなソロナンバーがなく、実咲の歌唱力が温存されるのはもったいないかぎりですが、市村、鳳という日本ミュージカル界の大スターとの共演から得るものは、計り知れないほど大きいはずです。宝塚の娘役として完成形をなしたと思える実咲だからこそ、女優としての第2章でどんな歩みを見せてくれるのかに期待が高まります。そんな実咲のこれからを楽しみにしながら、大輪の花を咲かせた彼女に、拍手とエールを送ります。たくさんのすばらしい舞台をありがとう! これからの道のりにも期待しています!

 

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第6回 極私的テレビ・ドキュメンタリーの視聴記録

丸山友美(法政大学大学院博士後期課程、法政大学兼任講師)

 私は『国道16号線スタディーズ』で2つのドキュメンタリー番組を取り上げる予定だ。私がドキュメンタリーに関心をもっているからか、ゼミの先輩であり本書の編者である西田善行さんが、国道16号線(以下、16号と略記)を取り上げた2つのドキュメンタリー番組で書いてみないかと、声をかけてくれた。新しいことへの挑戦は大切だ。そう考えて、私は二つ返事で本書のもとになる研究会への参加を決めた。だが、番組を見始めた途端、私は大きなショックを受ける。

写真1 『ドキュメント72時間』第48回「オン・ザ・ロード――国道16号の“幸福論”」(NHK、2014年6月13日放送)タイトル画面
写真2 前掲「オン・ザ・ロード」の横浜のシーン

 番組の1つ、16号を取り上げた『ドキュメント72時間』に父が出てきたのである。いや、「父」がいるように見えてしまうのである。画面に現れた消防士が、私の父だとは断言できない。父に確認して自慢されても面倒なので、番組を見せることなど絶対にしない。けれども、歩き方、身のこなし、声のかけ方のどれをとっても、私には「父」にしか見えないのである。それは、商店街に1人で暮らす高齢者が救急搬送される場面。取材クルーは現場で近隣住民に話を聞きながら、高齢者の孤独を「16号の風景」として映そうとする。しかし、父がこのエピソードに映り込んでいると「気づいて」から、私の目は全身銀色の父ばかり追ってしまう。搬送者に声をかけ、ストレッチャーを動かす父。救急車に担架を乗せる父、指さし確認している父。私の頭は「16号」を探究するどころか、画面のいたるところに現れる「父」に振り回されてしまったのである。
 映画『アメリ』(監督:ジャン=ピエール・ジュネ、2001年)で主人公が告白するように、私は、画面のなかの物語から逸脱する存在に魅力を感じる。彼女が楽しむように、キスシーンのすぐ後ろの壁で這い回るハエがいないか探したり、俳優が脇見運転する時間を心のなかで数えたりする。メディア論の大家マーシャル・マクルーハンは、映画はシナリオに書かれた言葉よりはるかに豊富な現実(視覚的要素)を映すメディアであるために、余計なものを映し込むのだと指摘する(1)。人間の目よりも優れたカメラが、シナリオよりももっと複雑な現実を映像の内に撮り込んでしまうからだ。ただし、統語法のうえに成立する映画は、その豊富な現実を後景に押しやって、観客に物語世界に没頭するよう要求する。だから、観客はロマンチックな雰囲気を台無しにする壁のハエを見落とすし、事故を起こさない見事な脇見運転テクニックを、熱情を伴った女性への視線として読み込もうとする。『ドキュメント72時間』で出合った「私の現実」は、私がちょっと変わった観客ゆえに見つけてしまったものだった。
『ドキュメント72時間』は、16号の幸福を探すことを目標にしたドキュメンタリーだった。もしかしたら『ドキュメント72時間』は、日常の記録を装いながら、日常に存在する意識が及ばない“盲点”を映しているかもしれない。それは、「私」が見つけた「父」であり、極私的なフィルターを通して構築される“再発見”された16号の面白さである。
 もう1つのTVK『キンシオ』(2010年―)は、画家キン・シオタニのフィルターを通して16号を再発見する番組である。彼は、16号からかなり離れた公民館に車を走らせたり、旧街道(絹の道)を歩いたり、日光街道や奥州街道との交差点を丹念に確認したりする。『ドキュメント72時間』と比べると、キンシオの好みがてんこ盛りで、郊外型の店や人々の語りはほとんど登場しない。平たく言えば、「わかる人だけわかればいい」というタイプの、マニアックな場所や店ばかりなのだ(地元住民からすると「どうしてそこに?」と思う場所かもしれない(2))。キンシオのフィルターを通して再現された16号の面白さは、人々の日常からごっそり落ちた土地の記憶であり、その土地の記憶と出合うには、16号から思い切りはみ出す必要がある。神奈川の走水から千葉の富津に表れる「郊外的」な景色を見落として、彼は地域が育む記憶の積層に「16号の姿」を読み込んでいく。これが、キンシオのフィルターを通して再発見された16号の面白さである(3)。

写真3 『キンシオ』タイトル

 2つの番組には、16号の「内と外」という違いがあるように思える。そうであるならば、16号の幸福を探して、その内側にべったり張り付いた『ドキュメント72時間』には、どんな盲点が記録されているのだろう。このあたりを分析してみたら、国道を描くドキュメンタリーの面白さを説明できるかもしれない。


(1)マーシャル・マクルーハン『メディア論――人間の拡張の諸相』栗原裕/河本仲聖訳、みすず書房、1987年、276ページ
(2)キンシオは横浜では朝食のかわりに文明堂に立ち寄るが、私なら平沼にあるそば屋の角平を紹介したと思う。ここの「つけ天」はおいしさとボリュームを兼ね備え、「つけ天」発祥の店として、週末や大みそかには長蛇の列ができる。私たち執筆メンバーは、2016年3月に1泊2日のフィールドワークを実施した。そのときは、ファミリーレストランのほうが「16号らしい」と思い黙っていたが、瀬谷のサイゼリアで昼休みをとることになり、299円のミラノ風ドリアを口にしたとき、角平でつけ天を食べたほうがやる気が出たなと思ったことを白状しておく(だから、2日目に柏で「ホワイト餃子」を思い切り食べたときは幸せだった)。
(3)とてもマニアックな店や場所ばかりを取り上げる番組で、私が住む横浜を通り過ぎたあとは、何度も眠気に襲われた。しかし、だからこそ、地元民がキンシオの番組を見ると、「ああ、あそこだ!」と言わずにはいられない魅力がある(実際番組には、「見ているよ!」と声をかけてくる人が映り込んでいる)。『出没!アド街ック天国』(テレビ東京系、1995年―)と違うのは、街を知らない視聴者に観光したいと思わせるのではなく、街の住民が見落としている「街の魅力」を見つけることで、街を好きにさせてしまうところにあるように思う。

 

Copyright Tomomi Maruyama
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第5回 続・コスプレ――キャラクターとパフォーマンス

須川亜紀子(横浜国立大学教員。専攻は文化研究。著書に『少女と魔法』〔NTT出版〕など)

 第4回「コスプレ――キャラクターとパフォーマンス」では、コスプレにまつわる問題群として、【1】アイデンティティーの問題、【2】セクシュアリティーの問題、【3】空間意識の問題に注目し、【1】と【2】について考察した。今回は、【3】空間意識の問題について論じていく。

空間意識――2次元への侵入

 コスプレイヤーのイベントには、必ずカメラをもった参加者がいる。プロのカメラマン、コスプレイヤーが連れてきたカメラ小僧(カメこ)、まったく参加者と関係がない素人カメこまで、出自はさまざまだが、彼・彼女らの目的はただ一つ――ベストショットを写真に残すことである。また、コスプレ撮影スタジオで、さまざまな背景を使いながら撮影会をするコスプレイヤーも多い。イベントに参加せず、もっぱら写真撮影を専門にするコスプレイヤーもいるくらいである。写真は、ネットにアップして公共に公開する場合もあれば、コミュニティー内でしか共有しない場合もある。
 最近では、“コスプレ”写真をアートとしてビジネス化している例もある。たとえば、フィリピンのプロのコスプレフォトグラファーであるジェイ・タブランテは、モデルに主にアメコミ(アメリカン・コミックス)や日本アニメのキャラクターのコスプレをさせ、コミックスのワンシーンの一瞬を切り取ったような写真を撮影して、効果(エフェクト)をつけた写真集を出版している(1)。2013年に筆者がおこなったインタビューでは、フィリピンは1970年代から日本アニメの影響が強く(特に『超電磁マシーンボルテスV』〔テレビ朝日系、1977―78年〕の政治的・文化的影響は有名である)、彼自身も日本のアニメを見て育ったため、植民地化の影響で文化的にも浸透しているアメコミはもちろんだが、戦後影響力を持った日本アニメへの親近感があると語っていた(2)。彼の写真には、彼自身のノスタルジアも多分に含まれているようだ。
 日本では、著作権者に了解をとったうえで、プロの外国人モデルを起用した本格的なアニメ・マンガ・ゲームキャラクターのアート写真を手がけるアーティストICHIを中心とするANIMAREALがある(3)。筆者がICHI氏に失礼ながら「これはコスプレ写真ですか?」とうかがったところ、完全に否定された。タブランテ氏が考えるCosplayの定義とは、異なる理解をしているようだった。“コスプレ”への解釈は異なるものの、彼らの写真作品は、コスチュームの“プレイ”を超えた芸術である。
 コスプレと写真の関係は、多様な側面から考察することができる。スーザン・ソンタグは有名な『写真論』のなかで、映像との関係から写真の機能について次のように述べている。

写真は幾つかの形での獲得である。一番単純な形では、私たちは写真の中で大事なひとやものを代用所有する。その所有のお陰で、写真はどことなく独特の物体の性格を帯びてくる。私たちはまた写真を通じて、出来事に対して消費者の関係をもつようになる。(略)3番目の形の獲得は、映像作りと複写機を通して私たちはなにかを(経験というよりも)情報として獲得できるということである(4)。

 この代用所有による物質化された身体、出来事の消費、情報としての獲得、という認識は、2次元性へと回帰するコスプレイヤーたちの欲望と結び付くだろう。
 では、素人コスプレイヤーたちの舞台上の小演劇(スキット)という動的なパフォーマンスではなく、写真撮影という静的なパフォーマンスには、どのような社会的・文化的意味が生成されるのだろうか。

2.5次元からみる2次元性・物質性・記憶

 コスプレイヤーは、自分が扮したアニメ・マンガ・ゲームなどのキャラクターの決めポーズの写真を名刺代わりにしている人が多い(図1)。キャラクターの決めポーズそのままの写真もあれば、決めポーズがないキャラクターの場合は“キャラクターらしさ”がにじみ出るポーズの写真やシーンの再現もある。たとえば、「コスプレイヤーズアーカイブ(5)」には、コスプレイヤー名・作品名・キャラクター名がデータベース化され、誰でも(素人の)コスプレ写真を検索して鑑賞することができる。作品内ではありえない他のキャラクターとの二次創作的ショットなどもあり、コスプレ写真の可能性は無限だ。それは自己表現や自己アピールの意味ももちろんある。しかし、注目すべきは、2次元のキャラクターの世界に入りたい、というコスプレイヤーたちの欲望と空間意識である。

図1

 2016年に中国のコスプレイヤーたちにインタビューしていたとき、好きなキャラクターのコスプレはできない、と話した女性がいた(6)。「好きすぎて〔畏れ多くて、コスプレ:引用者注〕できない」というのである。こうした例は、日本はもちろん世界中で聞かれる感想の一つである。神のように崇めているキャラクターではなく、彼(女)の脇に寄り添うサブキャラクターのコスプレをすることで、彼(女)に近づける感覚があるようだ。むろん、崇拝という理由だけでなく、自らのコスプレ技術が未熟なため、もう少し上達するまで好きなキャラクターのコスプレはしない、という理由をあげる人もいる。事情はさまざまだが、重要なのは、好きなキャラクター、もしくは彼・彼女らがいる虚構世界に、コスプレを通じて接近、もしくは侵入するという感覚が、多くのコスプレイヤーに共通しているということである。
 筆者が考える「2.5次元遊戯」とは、2次元(虚構)と3次元(現実)のはざまを漂いながら楽しむ文化実践なので、コスプレはまさに2次元と3次元を行き来する遊戯だと言える。しかし、写真を通じて自らを平面化・物質化することで“2次元”の世界に入る、つまりアニメなどのキャラクターたちがいる世界と地続きになる感覚、コスプレをした自分と作品内のキャラクターを同列に位置づけるという認識は、もっぱら2次元から3次元という方向へと展開しているようにみえる2.5次元文化に、新たな視点を与える契機をもたらしてくれる。

“逆2.5次元”――“現実”から“虚構”へ?

 コスプレからいったん離れて、再度2.5次元舞台に目を向けてみよう。2次元のマンガ・アニメ・ゲームの世界を3次元で再現して、虚構性をある程度維持したまま3次元の身体で表現する舞台作品が2.5次元ミュージカルやストレートプレイである。しかし、最近注目されてきたのが、“逆2.5次元”、つまり3次元の舞台をアニメ・マンガ・ゲーム化(2次元化)するという取り組みである。これは、2.5次元ミュージカルの嚆矢であるミュージカル『テニスの王子様』(2003年―)を手がけているネルケプランニングが打ち出したプロジェクトで、舞台『錆色のアーマ』(2017年)を原作に、アニメ・マンガ・ゲームなどの2次元メディアへとメディアミックス展開をしていく計画だという(7)。『錆色のアーマ』の主演には、EXILEの佐藤大樹と、ミュージカル『テニスの王子様』出身の声優・増田俊樹をキャスティングして、すでにアイドル、俳優、2.5次元俳優、声優という2.5次元的“虚構性”と親和性がある2人を選択しているところに、戦略が垣間見える。現時点で今後の展開やファンの受容についてはまだ未知数だが、3次元から2次元へのベクトルの可能性に注目した最初の例だと言える。
 それより先んじてメディアミックス展開している例に、バンダイナムコグループとアミューズが手がける「2.5次元アイドル応援プロジェクト『ドリフェス!』(8)」がある。Dear Dreamを中心とする男性アイドルグループたちの成長を描くゲーム・アニメだが、アニメのキャラクターと重ねて、実際のアイドルDear Dreamとしての声優たちの活動がパラレルに展開されるという、最初から企図して進められたプロジェクトに、“逆2.5次元”ともいうべき要素が認められうる。

虚構が担保する「現実」

 さらに、空間認識を考えるうえで興味深いのが、最近ネット上で炎上した「『うたの☆プリンスさまっ♪』の舞台化」騒動である。『うたの☆プリンスさまっ♪』(以下、『うたプリ』と略記)とは、女性向け恋愛アドベンチャーゲームを原作にアニメ・ドラマCD・キャラツイッター・コンサートなどメディアミックス展開をしている大人気コンテンツである。アニメシリーズ(TOKYO MX、2011年―)のストーリーは、作曲家志望の15歳の少女・七海春歌の視点から主に描かれる。芸能学校「早乙女学園」を舞台に、七海と一十木音也、一ノ瀬トキヤ、来栖翔、四ノ宮那月、神宮寺レン、聖川真斗、それに愛島セシルを加えたアイドルの卵たちの成長と、アイドルグループST☆RISHとしてのデビュー、ブレイク、ライバルグループとの切磋琢磨などが描かれ、2016年には第4期が放映されている。これまでキャストされた声優(寺島拓篤、宮野真守など)による『うたプリ』コンサート=プリライも開催され、2次元キャラクターにビジュアルが必ずしも忠実でないにもかかわらず、主に声の演出によって2.5次元的空間を創出している希少な成功例である。“その『うたプリ』が舞台化される”と聞くと、他作品でもすでに展開されている“ゲーム原作の作品の2.5次元舞台化”と思われがちである。しかし実際は、作品中に登場する早乙女学園長シャイニング早乙女の「劇団シャイニング」が上演したという設定の『天下無敵の忍び道』を舞台化する、という発表だったのである(9)。いわば、劇中劇を舞台化するということである。舞台化では、たとえば、一十木音也が演じた音也衛門役を俳優・小澤廉が演じる。しかし、多くのファンにとっては、“実在する(はずの)”音也を他者(俳優)が演じること自体が許せなかったり、『うたプリ』とは別次元の「演劇作品」だから『うたプリ』の舞台化ではない(から許容できる)、といった賛否両論が「twitter」上に飛び交った。『うたプリ』は、他のアイドルコンテンツとは現象面で一線を画すコンテンツだが、こうしたファンの反応を分析すると、ファンにとっての虚構(2次元)の確実性や指向性、重厚なリアル感の存在が浮き彫りになる。

おわりに

 再び写真に立ち戻る。写真は「現実」を切り取り、記憶を喚起させるメディアとして作用してきた。また、所有を通じた「現実」や「身体」の物質化という意味も生成してきた。映像というメディアが現れたことで、写真はつねに静的であり、かつ動的な要素を含む映像とは異なるメディアとして異化されるようになった。今日では、VRやARの浸透によって現実(reality)と虚構(virtuality)が感覚的にはすでに融合し、われわれの「現実」認識を撹乱している。仮に物質的な現実世界の「2.5次元化」によって、特に若い世代に不確実性による不安が生じているのだとしたら、無時間性であり、所有し、記録し、共有し、存在証明ツールともなるコスプレ写真は、2次元(虚構)の“確実性”というべきものを逆説的に保証するのである。2次元キャラクターは歳をとらず、性格のブレもなく、スキャンダルもない。失望することがなく、勝手な妄想をしたとしても、キャラクター自身から訴えられることもない(ファンからバッシングされることはあるが)。コスプレ写真から析出しうるものは、「現実」(3次元)を異化し、その不確実性を照射する機能と、虚構(2次元)によって再認識・再評価される「現実」(3次元)への価値・意味づけという機能なのである。


(1)“January 2013 Featured Photographer of the Month: Jay Tablante,” Cosplay Photographers(http://cosplayphotographers.com/2013/01/jay-tablante/)[2017年3月1日アクセス]
(2)2013年12月フィリピンでおこなったCheng Tju Lim氏(現Yishun中学)との共同インタビューによる。
(3)「ANIMAREAL」(http://animareal.com)[2017年3月1日アクセス]
(4)スーザン・ソンタグ『写真論』近藤耕人訳、晶文社、1979年、158ページ
(5)「Cosplayers Archive」(http://www.cosp.jp/photo_search.aspx)[2017年3月10日アクセス]。アクセス時には、約1万6,000人の登録(活動)と記されていた。
(6)2016年10月上海でおこなった田中東子氏(大妻女子大学)との共同調査による。
(7)「錆色のアーマ」(http://www.nelke.co.jp/stage/rusted_armors/)[2017年3月30日アクセス]
(8)「2.5次元アイドル応援プロジェクト『ドリフェス!』」(http://www.dream-fes.com/)[2017年1月29日アクセス]
(9)「“劇団シャイニング”はシャイニング事務所のアイドル11人をメインに構成された「劇団」をキーワードに展開するうたの☆プリンスさまっ♪オフィシャルプロジェクト」と設定されている。「劇団シャイニング」(http://www.utapri.com/sp/shining_theatrical_troupe/introduction.php#.WNyv4BLyg0Q)[2017年3月30日アクセス]

 

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第5回 杉戸から春日部へ――北村薫「円紫さんと私」シリーズの「町」と不在の国道16号線

鈴木智之(法政大学社会学部教授。著書に『顔の剥奪』〔青弓社〕など)

北村薫「円紫さんと私」シリーズにおける郊外の「町」

 ミステリー作家・北村薫は、デビュー作『空飛ぶ馬(1)』(1989年)を起点として、博識な落語家・春桜亭円紫を探偵役に、女子大学生の「私」を語り手に配したシリーズ作品――「円紫さんと私」シリーズ――を著している。これらの作品では、殺人事件のような重大な犯罪を契機としてではなく、日常生活のふとしたなりゆきのなかに浮かび上がる小さな「謎」をめぐって物語が展開される。
 他方で、一連の作品は語り手である「私」の「成長」の物語でもある。郊外の町に生まれ育ち、地元の女子高を卒業したあと東京の大学の文学部に進んだ「私」は、魅力ある教員や友人たち、そして落語家・円紫との交流のなかで、文学的教養を深めていくだけでなく、とりわけ「事件」との出会いを通じて人間的な成熟を遂げていく。各篇は、19歳から23歳になるまでの日々の緩やかな成長の軌跡を、1コマずつ丹念に追っていく。この間、「私」はずっと両親の家に暮らしていて、謎解きの対象になる「事件」もまたしばしばこの郊外の町に起こる。
 断片的にちりばめられた手がかりから、その「町」は埼玉県杉戸町から春日部市にかけてのエリアであることがわかる。杉戸は作者・北村薫が育った町であり、彼は早稲田大学を卒業後、県立春日部高校の教員を長く務めていた。そして、作中の語り手である「私」の家もまた杉戸にあると推察され、彼女は隣の市(春日部)の女子高に通い、大学生になってからもしばしば市立図書館に足を運んでいる。

「国道16号線」の不在

 杉戸、春日部は国道16号線(以下、16号と略記)沿道の町である(厳密にいえば、この道が杉戸町内を走ることはないのだが)。ところが、「円紫さんと私」シリーズのなかに、16号は一度も登場しない。「町」を舞台とする場面ではしばしば「国道」が描かれるが、それは常に「国道4号線」――旧日光街道――である。国道4号線(以下、4号と略記)は、「私」の生活圏内にあって、「物語」の展開に関わる場所として登場する。だが、16号は存在さえしないかのように、テクストの外部にうちやられている。しかし、作者である北村も作中の「私」も、この道と無縁の場所に暮らしていたわけではない。16号は、北村が教員を務めていた県立春日部高校のすぐ裏側を走っている。

写真1 国道16号線、浜川戸交差点(春日部市南栄町)。春日部高校の裏手にあたる。右前方に伸びているのが16号。左前方が工業団地
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 また作中でも、「私」の家がある杉戸と、通っていた高校や図書館がある春日部の町のあいだを16号は走っていて、「私」が春日部に行くときには、必ずこれを超えていかなければならない。作中に記されているように、「家」から「古利根川」の岸に沿って自転車を走らせるとすれば、「春日部大橋」の交差点で16号を渡ることになる。

写真2 国道16号線、春日部大橋の信号。古利根川との交点

 このように、16号は物語の舞台になるエリア(杉戸から春日部)の中央を走っている。ところが、物語の語り手からは完全に無視されてしまう。だが、このような位置づけ(物語空間からの脱落)は、それなりの必然性をもっているようにも思える。この道は徒歩や自転車を移動手段にする町の人々の往来には使われない産業道路であり、車で移動する習慣をもたない「私」にとっては、「不在」であるにも等しい道だからである。生活空間・物語空間としての「杉戸・春日部」と、「無縁の道」としての「16号」。その(没)関係性を考えることも、「町」と「道」のつながりを論じる一つの回路になるのかもしれない。

物語の舞台としての「道」

 まったく無視されている16号との対比で、物語の舞台として重要な意味をもつ道も登場する。
 1つは4号である。「私」が暮らしている家は、おそらく杉戸町の県道373号線と古利根川のあいだのエリアに位置している。そこから、4号までは歩いて5分もかからない。そして、作中にはしばしば4号沿いの風景が描き出される。例えば「赤頭巾(2)」では、夜遅くに「私」が家を出て深夜営業の本屋にまで足を運んでいる。あるいは、「山眠る(3)」では、子どものころに、雪の日に「父と2人」で行ったことがある思い出の場所として、「国道沿い」の「郵便局」が思い起こされている。
 それは、杉戸町清地2丁目に所在するこの郵便局かもしれない。

写真3 国道4号線沿いの郵便局(杉戸町清地2丁目)

 ただし、その地域にもすでに、確実に「ロードサイド」型の商業施設が進出し始めている。「私」の家の近くの4号沿いには、「ビデオCD」のレンタルショップが「ビリヤード場」と「本屋」を兼ねて開業し、深夜まで営業を続けている。

  こんな時間に家の近くで本屋に入れるなどとは、高校時代には想像もしなかった。去年の冬、国道沿いのガソリンスタンドの隣に、ビデオCDレンタル兼ビリヤード兼本屋がオープンして、深夜までの営業を始めたのである。一方の隣は役場の広い駐車場だし、国道を挟んだ向こう側はカステラの工場である。特に今夜のように暗い夜には、派手とはいえないむしろ沈んだ風景の中で、点滅する極彩色のネオンは魔界の城のしるしのようである(4)。

 一連の作品が描き出すのは、1970年代から80年代にかけて虫食い的に進行していく「郊外都市化」の流れのなかで、高度経済成長期以前の「町」とこれを侵食していく新しい「町」の要素とが混在する、いわば「過渡の風景」だが、ロードサイドの深夜営業の書店やビリヤード場が物語るように、「国道沿い」の風景もまた「郊外型」の開発にしたがって変容している。しかし、重要なことはおそらく、4号は人々の生活の履歴のなかで蓄積されていくさまざまな「記憶」の痕跡をとどめているということである。
 そして、作品世界の構成を考えるうえで重要な、もう一つの道がある。それは、古利根川沿いの道である。「私」が住んでいると思しきエリアから、4号とは逆の方向に進むと、すぐに古利根川の河原に出る。「家」から川に出るルートについては、具体的な記述がある。

  工場の塀に沿って回ると、川に出る。風景が大きくなって気持ちがいい。朝の光で、まぶしい。
 土手は冬枯れの草の筈だが、一面の雪に覆われている。わずかに、川に接する辺りの、ふんわりとした白い裾から、葉先の黄色くなった緑が顔を覗かせている。遠くの橋に近い辺りでは家鴨が泳いでいることもあるが、今日は見えない。水量が減って大きな中州が出来ている。勿論、そこも白だ。元気に走ったらしい犬の足跡が、そんなところに8の字を描いている(5)。

「町」を舞台にした作品では、この古利根川沿いの道が、重要な出来事が起こる場所になっている。「私」が(春日部の)市立図書館に向かって自転車を走らせるのも、『秋の花(6)』でオートバイに乗ったかつての同級生「伊原君」と再会するのも、「山眠る」で母校の教員「本郷先生」と出会うのもこの河原の道だった。彼女の「成長」の節目になる出来事は、しばしば「古利根川沿い」の土手の道で起こる。物語の要所を占める出来事が生まれる場所、それは、ミハイル・バフチンがいう意味での「クロノトポス」である。

写真4 古利根川沿いの道(杉戸町清地3丁目

「私」の成長の物語が演じられる舞台としての「町」。4号と古利根川沿いの道は、その物語に「有縁な場所」としてある。それは、日々の有意味な出来事が生起するトポスであり、人々の生活の痕跡をとどめる「記憶の場所」である。そして、杉戸(生家・小中学校)から春日部(高校・図書館)へ、さらには東京(大学・職場)へとつらなるこの「南北の道」は、そのまま「私」の成長の軌跡を方向づけるルートにもなっている。
 これに対して16号は「記憶なき道」だといえるだろう。ただ移動するだけの、通過するだけの「道」。そこには、出来事の痕跡が刻印されない。何度通り過ぎても、その場所にかつて営まれていた生活の記憶を呼び起こさない。16号はその意味で、この「町」の生活の履歴に対して「無縁の道」である。そして、この町に暮らし、成長していく「私」は、この不在の場所をただ通り過ぎていくだけなのである。


(1)北村薫『空飛ぶ馬』(創元推理文庫)、東京創元社、1994年
(2)北村薫「赤頭巾」、同書
(3)北村薫「山眠る」『朝霧』(創元推理文庫)、東京創元社、2004年
(4)前掲「赤頭巾」246ページ
(5)前掲「山眠る」86ページ
(6)北村薫『秋の花』(創元推理文庫)、東京創元社、1997年

参考文献
北村薫『空飛ぶ馬』(創元推理文庫)、東京創元社、1994年(初出:1989年)
北村薫『夜の蝉』(創元推理文庫)、東京創元社、1996年(初出:1990年)
北村薫『秋の花』(創元推理文庫)、東京創元社、1997年(初出:1991年)
北村薫『六の宮の姫君』(創元推理文庫)、東京創元社、1999年(初出:1992年)
北村薫『朝霧』(創元推理文庫)、東京創元社、2004年(初出:1998年)
『このミステリーがすごい!』編集部編『静かなる謎 北村薫』(「別冊宝島」第1023号)、宝島社、2004年

 

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