第8回 ブリジット・ユーグ・ド・ボーフォン(1922-2008、フランス)

平林直哉(音楽評論家。著書に『フルトヴェングラーを追って』〔青弓社〕など多数)

 ブリジット・ユーグ・ド・ボーフォン Brigitte Huyghues de Beaufond、彼女の名を知る人は相当なヴァイオリン・コレクター、もしくは、かなりのご高齢の方だろう。ご高齢と言ったのは、実はボーフォンは1960年前後に数回程度、ほぼ毎年、来日していたからである。最初の来日は58年といわれるが、手元にある59年のボーフォンに関する新聞記事には「初来日」の文字がないため、58年は正しいのかもしれない。ただ、60年の記事にも来日回数については何もふれていないので、確かなことは言えないのだが。
 来日時のプログラムからボーフォンの履歴を追ってみると、まず、生まれはパリ。1934年、パリ音楽院でジュール・ブーシュリに師事(マルク・ソリアノ『ヴァイオリニストの奥義――ジュール・ブーシュリ回想録:1877―1962』〔桑原威夫訳、音楽之友社、2010年〕の巻末に、卒業生としてボーフォンの名前が掲載されている)、37年、プルミエ・プリ(第一位)で卒業。その後、個人的にジャック・ティボーに学ぶが、来日した際には「ティボーの愛弟子」と宣伝されていた。47年、ヴァイオリン・プルミエプリ協会から大賞を受賞。共演した指揮者はアンリ・ラボー、ジャック・ティボー、シャルル・ミュンシュ、アンドレ・クリュイタンスなど。また、ボーフォンがエリザベス女王臨席の演奏会に出演した際には、ティボーは自分の愛器を彼女に貸し与えたとされる。
 1960年の来日の際、ボーフォンは置き土産をしてくれた。ひとつは、わざわざスタジオに出向き、月刊誌「ディスク」6月号(ディスク社)の付録のソノシートのためにシューベルト(?)の「アヴェ・マリア」とシューマンの「トロイメライ」を録音している。もうひとつは同じく月刊誌「芸術新潮」4月号(新潮社)に「師ティボーを語る」というインタビューを残してくれた。この二つの出来事からすれば、当時、ボーフォンはそこそこ話題になっていたと推測できる。
 しかしながら、ボーフォンのレコードが国内で発売された形跡はない。というか、地元フランスでさえもまとまった録音はなさそうなのだ。けれども、少なくとも来日に関してはフランス政府が大きく関与していることは間違いないから、ある程度以上の力量のはずである。 
 いろいろ探していたら、非常に珍しい音源をせっせと復刻しているForgotten recordsaというのを見つけた。ただ、ここで扱っているのはCDではなくCD-Rなので、注文するのを一瞬ためらった。だが、実際に届いたのを試したところ、装丁はきれいだし、解説書も充実(ただし、フランス語表記だけ)、音質もよく編集もきっちり、録音データもできるだけ詳しく記されている。このくらいの質であれば紹介する価値はあると判断した(ただし、CD-Rの耐久性については、私自身はまったくわからないので、その点はご了承いただきたい)。
 そのFogottenからは2点発売されている(音はすべてモノーラル)。最初に出たものにはウェーバーの『ヴァイオリン・ソナタ作品10の1、3、5番』(1960年)、サン=サーンスの『ヴァイオリン・ソナタ第1番』、ガブリエル・ピエルネの『ヴァイオリン・ソナタ作品36』(以上、1957年)が含まれる(fr1055)。ピアニストはHelene Boschi、Varda Nishry、両者の経歴は不明。
 ウェーバーやサン=サーンスにおけるボーフォンは、ピンと張った、抜けるような明るい音が印象的である。それに、いかにも人なつっこいような雰囲気もある。しかし、ピエルネは少し異なる。ティボーのような蠱惑的な音色と、ジネット・ヌヴーのような集中力を足して2で割ったような感じ。
 2枚めはモーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲第3番』(1960年)、ジャン=フェリ・ルベル(1666-1747)の『ソナタ』(ヴァイオリン独奏と管弦楽編曲版)(1962年)、ヴィラ=ロボスの『黒鳥の歌』(W123)、『雑多な楽章からなる幻想曲』からセレナード(W174)(1957年)、清瀬保二の『ヴァイオリン・ソナタ第3番』(1960年)(fr11279)を収録。このなかで最も個性的なのはモーツァルトの『第3番』(Capdevielle指揮、フランス国立放送室内管)である。ウェーバーなどは意外にすっきりしているが、これはときにテンポを落とし、ティボーに似た甘さや間の取り方が散見される。言うならば、いかにも昔風の情緒が漂ったものであり、彼女のほかのモーツァルトが残っているのなら、ぜひとも聴きたいと思わせる。これを聴くと、「女ティボー」という言葉はミシェル・オークレールではなく、このボーフォンのほうに付けられるべきではないかと思ってしまう。また、ルベルの曲は珍しいし、ボーフォンの独奏もみずみずしい。ヴィラ=ロボスは彼女のしなやかさが存分に出ていて、これも聴き物のひとつだろう。
 驚いたのは清瀬のソナタだ。これはNHKのスタジオでの収録とあるが、Forgottenの主宰者はどのようにしてこの音源を手に入れたのだろうか。ピアノは和田則彦だが、おそらく楽譜は前もってボーフォンのもとに届けてあったのだろう、しっかりと練り込んだ解釈である。
 以上、2枚の曲のなかでは、ときにざらついた音になる箇所もあるが、この時代の放送用録音としては非常に明瞭である。

 

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第13回 朝夏まなと退団、そして2018年の宝塚

薮下哲司(映画・演劇評論家。元スポーツニッポン新聞社特別委員、甲南女子大学非常勤講師)

『宝塚イズム36』発行日の12月1日が迫ってきました。今号も執筆メンバーの宝塚愛に満ちた熱い原稿が多く集まり、すでに校了。印刷そして発売を待つばかりの最終段階になっています。
 最新号のトップを飾るのは、11月19日、東京宝塚劇場公演『神々の土地』『クラシカル ビジュー』千秋楽で退団した宙組トップスター朝夏まなとのさよなら特集です。丸2年という短い就任期間でしたが、作品に恵まれ、濃い2年間だったことが、寄せられた惜別の原稿にもよく表れていました。最後に巡り合った『神々の土地』のロマノフ王朝最後の貴公子ドミトリー・パブロヴィチ・ロマノフは、朝夏本人にとってもファンにとっても、長く記憶に残る当たり役だったと思います。退団が宿命づけられている宝塚のスターにとって、退団後もファンの記憶に残る作品に出演できることは非常に大事なことだと改めて思いました。退団後に女優として活躍しているOGの宝塚時代の代表作を聞かれて、誰も知らない作品のタイトルを言わないといけないことほど寂しいことはありません。大地真央なら『ガイズ&ドールズ』(1984年初演)、一路真輝なら『エリザベート』(1996年初演)、最近では早霧せいなといえば『ルパン3世――王妃の首飾りを追え!』(雪組、2015年)、『るろうに剣心』(雪組、2016年)とすぐに出てくる人はいいのですが、出ない人のほうが多くて悔しい思いをしたことが何度もありました。『神々の土地』が再演されて、初演は朝夏だったといわれるようになってほしいものです。
 一方、過去を振り返るばかりではなく、年明け最初の話題作、1月1日から宝塚大劇場で開幕するミュージカル『ポーの一族』(花組)への期待を込めた「少女マンガと宝塚歌劇」についての小特集も組みました。『ポーの一族』は、11月16日にパレスホテル東京で盛大に制作発表会見がおこなわれて作品の一端がベールを脱ぎ、明日海りお扮する美少年エドガーの妖しい美しさに、会場の出席者は「この世のものとは思えない」と一様に思わずため息が出たようです。
 この作品の原作は、萩尾望都の少女マンガの伝説的な名作。演出の小池修一郎が、宝塚歌劇団に入団する前の1970年代のはじめごろ、萩尾が原作を発表したころからの熱烈な読者で、宝塚歌劇団に入った暁にはこの作品をぜひ舞台化したいと念願していたといういわくつきの作品。作品が発表された当時、私の周囲にも『ポーの一族』の熱狂的な信者がいて、よく話を聞かされていたので、当時の少女マンガファンにとって特別な作品であることは理解していました。その後、劇団Studio Lifeが上演した『トーマの心臓』(1996年初演)や『訪問者』(1998年初演)などで萩尾作品にもふれましたが、瞳がキラキラ輝く少女マンガ独特の絵柄にどうしてもなじめず、『ポーの一族』はずっと読んだことがありませんでした。今回、舞台化が決まったということで、初めて原作に目を通しました。
 永遠に年をとらないバンパネラ(吸血鬼)一族の少年が主人公の話だったんですね。シェークスピアの『真夏の夜の夢』を宝塚で舞台化した小池の初期の秀作『PUCK』(1992年初演)にも通じる内容であることがわかり、小池の胸の中にはずっと『ポーの一族』が渦巻いていたのだなあといまさらながら納得。年をとらないことを周囲の人たちに悟られないように、時空を超えて転々と引っ越しを繰り返すという設定も、宝塚にはふさわしい題材だと思いました。そういえば美人女優ブレイク・ライヴリーが主演した映画『アデライン、100年目の恋』(監督:リー・トランド・クリーガー、2015年)が同じ設定だったことを思い出しましたが、洋の東西、考えつくことはあまり変わらないですね。
 問題は主人公のエドガーの14歳という年齢の設定。しかし、これも姿形は14歳でも、長年生きていることから精神的には成熟しているという解釈でクリアするのだとか。小池氏は会見で「入団時点で宝塚に『ベルサイユのばら』ブームがきていて、少女マンガと宝塚が親和するのはわかっていたし、いつかぜひやりたいと思っていたのが『ポーの一族』だった。主人公が少年なので、宝塚では難しいかなと思った時期もあったが、ポスター撮影での明日海の扮装を見て、明日海でやれるまで運命の神が待ちなさいと言ったんだなと思った」と語って、いま舞台化する意味と作品への熱い思いを語りました。
 エドガーを演じる明日海は、赤いバラをもって主題歌「悲しみのヴァンパイア」を披露したあと、「原作を読めば読むほど魅力的で、すっかり『ポーの一族』の世界にはまっています。エドガーは少年だけれど、何百年も生きていて、周りにいる普通の少年たちとは明らかに違うものをもっているはずですから、彼のオーラや、少年の姿でありながらのセクシーさ、永遠に生きなければならない悲しみを表現したい」と抱負を述べました。
 そんな2人を傍らで見守りながら、原作者の萩尾氏も「長い間待たされたけれど、私のイメージを超えた美しい世界が目の前に広がるのが予感できて、いまからドキドキわくわくしております」と舞台化への期待を込めました。
 宝塚版は、原作の第2巻(〔フラワーコミックス〕、小学館、1974年)所収の「メリーベルと銀のばら」のエピソードがメインになり、問題の年齢設定は明確化されないそう。小池は、「みなさん一人ひとりさまざまなイメージがあると思いますが、私たちで、いまの花組でできるベストの作品を作りたい」と明言していました。いずれにしても、宝塚の2018年最初にしていちばんの話題作であることは確か。『宝塚イズム36』では甲南女子大学メディア表現学科准教授で少女マンガと宝塚歌劇の両方に精通している増田のぞみさんに原稿を依頼、『ポーの一族』の宝塚での舞台化の意味と期待を執筆していただきました。熱心な宝塚ファンでもある増田さんらしい鋭い分析で読み応えがある原稿が送られてきました。ぜひお楽しみください。
『ポーの一族』を筆頭に、宝塚歌劇は2018年も新作に加えて名作の再演と話題作が目白押し。気が早い話ですが、編著者としては気持ちはすでに『宝塚イズム37』に動きかけています。次の発行は6月1日の予定。どんな特集が組めるのか、いまからあれこれ考えるのが楽しみです。

 

Copyright Tetsuji Yabushita
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ソーシャルメディア時代の「模型」と「本」(「世界」あるいは「人」の媒介性)――『模型のメディア論――時空間を媒介する「モノ」』を書いて

松井広志

 安直な「時代診断」にくみするのは慎重でなければならないが、やはり現代ほど人々の「つながり」が重視される時代はないだろう。こうした傾向は、勤務校で日常的に大学生と接していると顕著であり、まさに「友だち地獄」(土井隆義)的なコミュニケーションの時代だなと思う。また、そうしたつながり自体をビジネスとして活用するインフルエンサー・マーケティングも盛んで、なるほど、単にSNSが普及しているというだけでなく、上記のような意味で現代は「ソーシャル(=人々のつながり)メディアの時代」かもしれない。
 そうしたなか、本書のテーマである「模型」は、一見レトロな対象に映るかもしれない。たしかに、戦前期からメディア考古学的に記述した(特に戦時下の重要性も強調した)本書の「第1部 歴史」については、そうしたイメージは的外れではない。ただ私は、本書を単なる「懐古趣味」の本にしたくないと考えていた。「第2部 現在」「第3部 理論」という他の部も含ませた構成や、特に「理論」の「「モノ」のメディア論」の章ではそのことを理論研究という(ある意味では難解な)かたちで書いたが、ここではエッセーという機会を借りて、別の方向から述べておきたい。
 そもそもメディアについての学術的な捉え方としては、(「こちら側」の主体をとりあえず「人」に限定するとしても)「人と人をつなぐ」場合と「人と世界をつなぐ」場合と、2つのパターンがある。「つながり」を求める時代とは、ある意味では、前者の「人と人をつなぐ」パターンのメディアが中心となった社会だろう。逆に言うと、現代社会では、後者の「世界とつながる」ような体験をもたらすメディアがマイナーになりつつあるのかもしれない。
 私はいまのところ「模型」や「ゲーム」といったメディアとそれをめぐる文化を主たる研究対象にしているが、これらに着目する理由のひとつは、「人と世界をつなぐ」ほうの媒介性を強くもっているからだ。
 もちろんこれらに「人と人をつながる」媒介性、例えばコミュニティーをつくる機能がないわけではない。例えば、ゲームの場合、「マルチプレイ」と呼ばれる多人数によるプレイとそれに伴うコミュニケーションが、魅力の片面を占める。
 しかし、もう片面では「シングルプレイ」の領域も大きい。ロールプレイングゲームやアドベンチャーゲームが形成する虚構世界(イェスパー・ユール)に一人で(ときに寝食を忘れて)没頭するのは、広く見られる振る舞いだ。私はこうしたシングルプレイの体験を、けっしてネガティブに捉えたくはない。それは、「人と人」のつながりを絶対視するメディア観では低い価値しか与えられないかもしれないが、「人と世界」をつなぐという視点から見たとき、メディアの、文化の、そして人間社会の、何か重要な部分領域を示しているように思えるからだ。そうした「別の時空間とつながる」メディア経験こそが、(やや強く言うならば)人間らしさのひとつなのではないだろうか。
 上記の視点に立ったとき、これまで(アカデミックな領域の)研究がほとんどなかった(少なくとも、それを主たるテーマにした単著レベルの研究書は存在していなかった)模型が、とたんにメディア研究の重要な対象として立ち現れてくるのである。
 模型は(もちろん他人と一緒につくる場合もあるが)基本的には「孤独」な作業で、一人で組み立てはじめて、独力で完成される場合が多い。こうした模型は「人と人」をつなぐメディアとしてはマイナーである。しかし、だからこそ逆に、ときに自己の内面と対話しながら「いま・ここ」とは異なる「時空間」を想像し、目の前にある具体的な「モノ」を創造していく模型が、「人と(異なる)世界をつなぐ」性質を帯びる。これこそ、私が模型をテーマとした理由だったのだ。
 *
 続いて後半では、本書の内容から少し離れて、本書自体を「メディア」と捉えた所感を述べておきたい。
 前述したようなメディアの2つの捉え方は、もちろん「本」というメディアでも成り立つ。私は(ここまで読んでいただいた方ならおわかりのとおり)どちらかというと「世界」とつながるほうの媒介性を魅力と感じ、数多くの本を読んできた(これは文学作品でも学術研究書でも同じだ)。
 ただ、本書の出版の後は、図らずも(オーソドックスな)「人と人をつなぐ」ほうの媒介性の大事さを再認識する出来事がいくつもあった。端的には、出版というメディアがつなぐ、こちらが想定していない(あるいは想定を上回る)読み手の応答である。
 まず、驚いたのが、松岡正剛さんによる書評サイト「千夜千冊」で取り上げられたことである(http://1000ya.isis.ne.jp/1648.html)。ここで、編集工学者である松岡さんによって、玩具文化史や大衆文化論ではない「模型の思想」の本と紹介されたことはたいへん光栄だった。さらに、近年のモノ理論(Thing Theory)やオブジェクト指向存在論(Object Oriented Ontology)と呼応する「もの思想」に連なるとの位置づけは、本書の理論的含意を適切に把握してくださっていて、ありがたかった。そこに松岡さんの持ち味である該博的な知識に裏打ちされた具体的な模型体験・模型史の記述が加わり、第一級の書評となっている。まだの方はぜひご一読いただきたい。
 また、「超音速備忘録」(http://wivern.exblog.jp/27063703/)や「徒然日記2~モデラーの戯言」(http://maidomailbox.seesaa.net/article/452814745.html)など、模型製作者(愛好者)のブログでのいくつかのレビューがある。そもそも私は本書を典型的な学術書のフォーマットで書いていて、専門であるメディア論や社会学には限らないとしても、ある程度人文学・社会科学の背景知識が必要な内容になっている。もちろん、さまざまな人々に広く読まれたいという思いも強かったので、記述のしかたは可能なかぎり平易になるよう心がけてはいた。しかし構成・文体などは学術的な専門書であるため、その意味では決して読みやすい本ではないように思う。それにもかかわらず、熱心な模型製作者(モデラー)によるブログで本書が書評されており、しかもそれぞれの視点からしっかり読み解いてくださっている。実作者(それも熱心な方々)にも届いたのは(幼少期から現在まで模型製作をおこなってきたひとりとして)本当にうれしかった。
 さらに、異分野の専門家からのリアクションがあった。例えば、建築設計事務所オンデザインが運営する、新感覚オウンドメディア『BEYOND ARCHITECTURE』(http://beyondarchitecture.jp/magazine/)から本書を読んだという連絡があり、オンデザインの代表である建築家・西田司さんと「模型と人とメディア」というテーマで対談することになった。同事務所は建築模型をとても細かく作ることで知られていて、昨2016年から「模型づくりランチ」という一般向けのワークショップまでスタートさせている。その背景には、建築模型が「施主と建築家を結ぶメディア」だという考えがあると聞いた。西田さんとの対談は、『BEYOND ARCHITECTURE』の「ケンチクウンチク」というコーナーに、11月末くらいから公開されるとのことだ。
 これらはすべて、筆者が属しているメディア論や社会学といった学術的コミュニティーの外からの応答である。ソーシャルメディアによる即時的で断片的な情報(接収)がメジャーになる時代にあって、スローペースではありながらも、さまざまな「人と人」を確実につないでいくのが出版物なのだなと、その重要性を改めて強く実感した。さらにこれは、もうひとつ別の媒介性である「世界をつなぐ」という観点から見ると、ある知的世界(メディア論・社会学)と他の知的世界(編集工学、模型製作、建築の世界)が『模型のメディア論』を介してつながったと、(少しおおげさには)記述できるかもしれない。
 *
 最後に、本書の読書会がいくつか計画されているので、告知させていただきたい。現時点(2017年11月1日)のところ、東京と名古屋の2カ所が決定している。希望される方はどなたでもご参加いただけるので、松井までご連絡ください(hirodongmel@gmail.com)。それぞれの幹事につなぎます。
・2017年12月17日(日)14:00-17:30、東京大学・本郷キャンパス
 (主催・モノ-メディア研究会、幹事・近藤和都さん、評者・谷島貫太さん、永田大輔さん)
・2018年1月27日(土)、愛知淑徳大学・星ヶ丘キャンパス
(幹事・宮田雅子さん、評者・伊藤昌亮さん、村田麻里子さん)
 他に、関西(大阪市立大学)でも2018年春までに計画されているので、決まり次第、筆者の「ツイッター」(https://twitter.com/himalayan16)などで告知します。

 

一生の趣味として楽しもう!――『まるごとアコギの本』を書いて

山田篤志

 本書は、私が運営するサイト「初心者のためのアコースティックギター上達テクニック」(http://ac-guitar.com)にこれまで書いた原稿に加筆してまとめたものです。私にとって書籍の執筆は初めての経験で、右も左もわからない状態で書き始めました。実際のところは既存のサイトをもとに執筆したので、一から企画や構成を考える必要もなく、素人の私でも執筆はそれなりに進み、楽しい作業になりました……と思っていたのですが、それは私だけだったようなのです。

 7月31日に本書が発売されて、すぐにお盆がきました。毎年、お盆には実家に帰省するのが恒例となっていて、今年も妻と2人で戻りました。私の両親も本書のことを気にかけてくれていたようで、当然のように話題になりました。
父:「執筆は大変だったろうね?」
私:「まぁ、そうでもないよ。既存のサイトをまとめ直しただけだからね」
鬼の形相の妻:「そんなことないでしょ。だって、用事を頼んでも執筆中だからって全部断ってきたじゃない。理由を全部締め切りのせいにして、あたかも売れっ子作家になったかのような言い草だったでしょ!!(怒)」
鬼の形相の母:「(私に向かって)そりゃー、アンタが悪いわ!」
私:「えっ、出版おめでとう…じゃなくて!? 俺が悪いの!?」
 まぁ、こんなものです。いまから考えると妻には迷惑をかけていたかもしれませんね。青弓社にも……。この場を借りてお礼を申し上げます。

 さて、本書では「アコギは趣味として楽しいよ、一生の趣味になるよ」ということをわかりやすく解説したかったのですが、本当に読者に伝わっているかどうかが気になるところです。実際には、発売から2カ月がたった現在、「ツイッター」や「アマゾン」のレビューなどで少しずつ反響があり、まあまあ伝わっているなという感じで、ホッとしています。
「基本部分から歴史やコード理論など非常に勉強になりました」
「アコギに興味を持たせる、さらにはアマチュア演奏家として弦楽器に興味を持たせてくれる本としては非常に秀逸」
「リズムを意識したり、耳コピにチャンレジ、さらにはオリジナルの作曲まで視野を広げることが可能になる本だと思う」
 こういうご好評をいただくことは書き手冥利に尽きます。本当にありがとうございます。

 本書の「あとがき」でも書いたように、アコギを趣味としたとき、その可能性は2つあると思っています。
 1つ目は人生を豊かにするということ。豊かな人生といっても人それぞれで、私が押し付けるようなものでないことは十分に承知していますが、趣味を持つと人生が豊かになるといいます。まったくそのとおりだと思います。
 趣味の定義も難しいのですが、私は「自分が没頭できるもの」と考えています。人に認められなくても、お金にならなくてもいい、忙しいときでも時間を作ってまでもやりたい、たとえ上達しなくてもそれをやっていると楽しい、仲間が増えて一緒に盛り上がりたい……そういったものが趣味なのでしょう。
 例えば私の場合、友人の誕生日会で「「ハッピーバースデートゥーユー」を弾いて!」と言われればすぐに、子どもに「「アンパンマンのマーチ」を弾いて!」と言われればその場で、弾いてあげたいのです。うまく弾けなくてもいいのです。その場が盛り上がって、みんながハッピーな気持ちになることが大事だと思っています。
 また、過去に私のサイトを見た人から、こんなメールをいただきました。
「このサイトを見て基本の大切さを切に感じました。C→F→Cのチェンジが2週間でなんとか弾けるようになり、はずみがつきました。これからも貴サイトでレッスンを続けていきます。病院でボランティアをしているので、早く上達して、入院している方を少しでも元気づけられたらと思っています」
 うれしかったですね。とても穏やかな気持ちになりました。

 2つ目は自分の演奏をインターネットで世界中に配信できること。自分の演奏を録音したり動画に撮ったりして発表することも簡単にできます。そのあたりのコツも本書に書きました。もちろん私もSNSを使って楽しんでいます。会ったこともない外国の人と、翻訳ソフトと闘いながらメールでやりとりしています。趣味をきっかけに世界中の人とつながることは本当にすばらしいことです。

 アコギは奥が深いのでプロレベルまで極めようとすれば難しいのですが、趣味での演奏なら弾けるようになるまで時間はそれほどかかりません。このような可能性があるので、「音楽が好き、カラオケが好き」という方はぜひ本書を読んで、アコギを趣味としていただきたいのです。
 さらに、本書で書けなかったことも含め、私が運営するサイト「初心者のためのアコースティックギター上達テクニック」で少しずつですが更新しています。興味がある方は、ぜひのぞいてみてください。
 みなさんのアコギライフがすばらしいものになるよう切に願っています。

 

ロンドンでは本書を片手に巡り歩いてほしい――『ブリティッシュロック巡礼』を書いて

加藤雅之

「いま思えば、行っておけばよかった」――年を経るにつれて、こんな後悔が増えてくるのは自然の成り行きだろう。
 学生時代に熱心に聴いたブリティッシュロックを本場で体験しようと思ったのは、ロンドンに転居してから3年がたち、娘の学校への送り迎えから解放されてからだ。ロンドンに住んでいるのだからいつでも伝説のロッカーたちのコンサートへ行けるだろう、そんな甘い考えを捨てることになったきっかけは、ファンだったクリームのベーシスト、ジャック・ブルースの死(2014年10月25日)だった。
 調べてみると、ジャックはさまざまなフォーマットで6回は来日している。仕事で忙しかったり、ジャズやクラッシック、はたまたイタリアポップスなどロック以外の音楽に関心が移っていたり、と理由はいろいろある。ただ、改めて思い知ったのは、演奏する側にも聴く側にも、時間は迫っているということだ。それから、「冥途の土産ツアー」と勝手に銘打って、すでに70歳前後になっているロック黄金期のアーティストのコンサートに通い詰めることにした。
 これと並行して、いわゆるロック聖地巡りも始めたのだが、ここでも時の流れの残酷さを感じることになる。忘れ去られて正確な所在地が不明だったり、再開発で取り壊されたり。はたまた富裕層向け分譲地にあるジョン・レノンやリンゴ・スターの旧宅はセキュリティー強化で近寄ることさえ不可能になっていた。
 そこで、もしロックファンがロンドンへ行ったり住んだりする機会があれば最後のチャンスを逃さないでほしい、そんな思いに駆られて執筆したのが本書である。
 コンサート通いや家探しを続けるなかで、いろいろわかってきたことも多い。
 音楽的に言えば、世界的に成功したビートルズのようなバンドでもイギリスでは流行歌の一種ととらえられ、その時代の刻印が強く押されていること。言い換えれば、それ以降の世代以外からは古い音楽とみなされて、敬遠されてしまう。日本やアメリカでのように世代を超えてビートルズが聴かれるということはなく、さらに言えば、現在ではロックそのものが時代がかった音楽とみなされている印象を受けた。
 また、アメリカで成功してイギリスに戻ってこない人間に対する冷たさにも驚いた。アメリカに移住してしまったジョン・レノンやスティングに対する扱いは、日本ではちょっと想像できないだろう。ロックだけではない。イギリスが生んだ偉大な映画監督、チャールズ・チャップリンやアルフレッド・ヒッチコックについても、二人が生まれ育ったロンドンには記念館など存在しない。ハリウッドで成功したのが気に入らないのだと思われる。
 そして、イギリス人は英語を母語とする白人であっても、その人間がイギリス人か否か、を日本人が想像する以上に気にする。日本にも通じる島国根性とでも言うのだろうか。
 コンサートに行って衝撃を受けたのは、その飲酒文化。まあ、飲むこと飲むこと。ストイックな音楽性をもつキング・クリムゾンのような例外を除き、ほとんどのロックコンサートは酒が飲めるところで音楽もやっているぐらいに考えたほうがいい。演奏中も周りの観客がビールを買いに行ったり、トイレに行ったりと、ちっとも落ち着かないことも多かった。だが、それが本場、イギリスでのロックの聴き方なのだ。
 ロックの聖地巡りでは、外部の人間がめったに足を踏み入れない郊外の田舎町なども訪れた。そこでしばしば感じたのは、ロンドンの街中ではなかなか味わえない「よそ者」に対する疑わしげな視線だ。帰国直後の2016年6月の国民投票でイギリスは欧州連合(EU)脱退を決めてしまったが、排他的な民族主義の一端を垣間見た気がした。
 執筆のためいろいろ調べているうちに初めて知ったエピソードも多い。そのなかで特に面白いと思ったのは日本との関係だ。黄金期のブリティッシュロックに直接関わった日本人としては、いずれも末期のフリーとフェイセズに参加した山内テツ(b)が有名だが、カーブド・エアのカービー・グレゴリー(g)をたどっていくと加藤ヒロシ(g)という名前に行き当たった。カービーが巻き込まれた偽フリードウッド・マック事件に関連するストレッチというバンドに一時加入していたからだ。この加藤さん、リンド&リンダーズという関西のグループ・サウンズのメンバーで、元キング・クリムゾンのゴードン・ハスケル(b,vo)とジョー(JOE)というバンドも組んでいる。そこで、プロレスラー藤波辰巳のテーマ曲「ドラゴン・スープレックス」を発表したり、山口百恵のロンドン録音のアルバム『GOLDEN FLIGHT』でプロデュース・演奏したりと、なかなかの活躍ぶりなのだ。
 また、加藤さんは元Tレックスのスティーブ・ティックとも一時活動したが、同時期にティックとセッションしていたのが高橋英介(b,g)という人で、グループ・サウンズのZOO NEE VOOの出身。奥深い世界である。
 こういった本書に盛り込めなかったエピソードや写真を、書名と同じ「ブリティッシュロック巡礼」のブログhttps://ameblo.jp/noelredding/で順次公開しているので、興味がある方はぜひのぞいてみてほしい。

 

第12回 スターと作品の戦略的出合い

鶴岡英理子(演劇ライター。著書に『宝塚のシルエット』〔青弓社〕ほか)

『宝塚イズム』が年2冊刊行になり、じっくりと宝塚の半年、そしてその先を検証していこうという基本方針が固まったのと並行して、宝塚に日々起こっている事柄もなんらかの形で書き留め、読者の方々、宝塚ファンの方々と共有したい、という思いでスタートしたウェブ連載「『宝塚イズム』マンスリーニュース」も、早くも12回目を迎えました。以前にも申し上げましたように『宝塚イズム』制作繁忙期には休んでいるので、1年以上が過ぎたことになります。月日がたつのはなんと早いことか!と驚きを禁じえません。本当に1年は矢のように過ぎていくものですね。だからこそ1日1日を大切に過ごさなければと思いながら、ひたすら時間に追われているのが実情なのがつらいところです。
 そんな日々のなかで、この原稿がアップされるころには宙組トップスター朝夏まなとが宝塚大劇場に別れを告げていることになります。太陽のようなトップスターでありたいと言っていた、その言葉どおりの明るさで組を率いてきた朝夏のラストランにもいよいよ加速がかかる寂しさは、宝塚の宿命とはいえ何度体験しても切ないものです。『宝塚イズム36』には、そんな思いが詰まった、力のある原稿が集まるはずです。ご期待いただきたいと思います。
 その一方で、次代の宙組トップコンビ真風涼帆と星風まどかのプレお披露目公演が、ブロードウェイ・ミュージカルの金字塔『WEST SIDE STORY』(2017年)、さらに大劇場お披露目公演が、篠原千絵の同名少女マンガを原作としたミュージカル『天は赤い河のほとり』と『シトラスの風――Sunrise』(2018年)に決まりました。『WEST SIDE STORY』も『天は赤い河のほとり』も、なるほど、新トップコンビにピッタリだな!という作品ですし、宙組発足20周年の記念イヤーに、宙組誕生第1作の演出の栄誉を担った岡田敬二のレビューを、ロマンチック・レビュー・シリーズ20作目の記念と合わせて上演するというのも非常に卓越したアイデアで、ポンと膝を打ちました。しかも、2017年に『はいからさんが通る』(花組)、18年に『ポーの一族』(花組)と、少女マンガ史に残る作品の上演予定が目白押しだったところに、さらに『天は赤い河のほとり』が加わるという話題性も大きく、宝塚歌劇団の企画力を感じます。このあたりも『宝塚イズム36』の新トップへの期待の小特集1、また少女マンガと宝塚を考える小特集2で大いに語られるにちがいありません。
 そうしたラインアップのなかでも、私個人が思わず「そうきたか!」とうならされたのが、雪組新トップコンビのお披露目公演『ひかりふる路――革命家、マクシミリアン・ロベスピエール』(2017年)の楽曲を、世界のミュージカルシーンで活躍する気鋭の作曲家フランク・ワイルドホーンが全曲書き下ろすというニュースでした。これには本当に驚かされましたし、かなり興奮もしています。というのも、こう事態が動いたいまだからこそいえるのですが、雪組新トップスターとなる望海風斗のお披露目公演の題材がマクシミリアン・ロベスピエールを題材にしたオリジナル作品だと聞いたときには、ちょっと首を傾げたからです。もちろん望海の骨太な個性に、人類の平等を夢見て革命に理想を燃やしフランス大革命を成し遂げながら、のちに自らが独裁者となっていくロベスピエールの波乱万丈の人生がとてもマッチするだろうことに異論はありませんでした。「『ベルばら』共和国」とも称される宝塚歌劇で、マリー・アントワネットを断頭台に送った側の人物を、生田大和が主人公としてどう描くのか?という興味も大いにありました。ただ、危惧されたのはタイミングでした。今年(2017年)宝塚では『THE SCARLET PIMPERNEL』(星組)、『瑠璃色の刻』(月組)とフランス大革命の時代を描いた作品の上演がすでに2本あり、七海ひろきと宇月颯がそれぞれの作品でロベスピエールを演じています。いくら主人公として描かれるとはいえ、新トップスターが今年3人目のロベスピエールというのはどうなんだろう、『1789――バスティーユの恋人たち』(月組、2015年)の上演がそれほど前のことではないことも含めて、この時代設定に、ロベスピエールに、宝塚ファンがどうしても既視感を抱くのではないか?、と案じられたのです。
 けれども、フランク・ワイルドホーンという隠し玉の登場で、この杞憂は一気にはじけ飛びました。何しろワイルドホーンは現代のミュージカルシーンを作り上げた作曲家です。難度の高い楽曲を、朗々と劇場中に響き渡るほどの大声量で歌い上げるナンバーが立て続く。どこが山なのかがある意味わからなくなるほど、大ナンバーに次ぐ大ナンバーで圧倒する。このミュージカルの一つの潮流が作られたのには、彼の出現が大きく関与しています。そのワイルドホーンのミュージカルならではのよさや彼の楽曲のスケール感を、望海の歌唱力ならば、そしてトップ娘役になった真彩希帆の歌唱力ならば、見事に体現してくれるでしょう。しかも全曲が書き下ろし。男役を想定して書かれた「ひとかけらの勇気」が宝塚のすばらしい財産になったことを考えると、『ひかりふる路』の楽曲が今後どれほど大きな価値をもつかを考えるだけでワクワクします。雪組の新トップコンビが歌を最大の武器とする人材だったこととこの企画は、もちろん無縁ではないでしょう。
 こう考えると、まずスターありきだった宝塚に、ひょっとしたら変化が生まれつつあるのかもしれない、という推論も成り立ってくるように思います。ブロードウェイ・ミュージカルの傑作古典、有名少女マンガ、そしてフランク・ワイルドホーン。雪組も宙組も新トップコンビならでは、と思える企画ばかりが見事にそろいました。でも一方、こういう企画が先にあって、それに見事にマッチしたスターが選び出されているのでは?と思うと、特にトップ娘役の人選には非常に腑に落ちるものも感じられるのが、とても興味深い点でもあります。もちろんこれは勝手な想像ですから、「いやとんでもない、スターに最適な作品を選んだのです」といわれるかもしれない。もともと鶏が先か卵が先かという話でもありますから。でも、いずれにせよ、創立100周年という華やぎを超えた宝塚歌劇が、新世紀最初の10年を進むために、かつてないほど戦略的な舵取りをしていることだけは、確かに見えてくるのです。スターの個性と刺激的な作品のマッチング、その成果にさらに注目していきたい2017年から18年の日々が続いていきます。

 

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第6回 コンテンツツーリズム(アニメ聖地巡礼)――イマジネーションとテクノロジーのゆるやかな関係

須川亜紀子(横浜国立大学教員。専攻は文化研究。著書に『少女と魔法』〔NTT出版〕など)

『君の名は。』が浸透させた「聖地巡礼」

「聖地巡礼」という言葉が、お茶の間を騒がせている。もともと聖なる地への巡礼という宗教に根ざした言葉だが、現代では宗教ではなく、自分にとって神聖だと思う地への観光という意味で使用されている(1)。新海誠監督のアニメーション映画『君の名は。』(2016年)の国内外での大ヒットによって、アニメファンだけでなく、アニメをあまり見たことがない人までもがモデルになった場所を訪問する行為が社会現象になり、「聖地巡礼」イコール「アニメの舞台訪問」として印象づけられた。
『君の名は。』は、都会に暮らす男子高校生・瀧と田舎の女子高校生・三葉という見ず知らずの2人が、不思議な縁で身体が入れ替わり、お互いを探し求める恋愛ファンタジー物語である。舞台は、四谷(東京都)の須賀神社、四谷駅、新宿御苑、飛騨地方(岐阜県)の駅や図書館、諏訪湖(長野県)、某高校(広島県)、瀧がバイトをしていた都内のレストラン(のモデルになった店)など、多岐にわたる。ファンがその「聖地」を特定し、写真を撮ってSNSやウェブサイトで拡散、それを見た別のファンがまた写真をアップする……という連鎖作用の結果、聖地巡礼が大流行した。韓国、台湾、中国など、海外からも聖地巡礼に訪れるファンがいる。劇場公開が終了した現在でも、2017年7月にはDVD・BDも発売され、聖地巡礼は衰えを知らない。実は『君の名は。』以前からこうしたアニメ聖地巡礼はおこなわれているが(2)、『君の名は。』効果でアニメファン以外の一般の人が知るところになったという意味で、「(アニメ)聖地巡礼」という用語が人口に膾炙したのは、おそらく2016年からといっていいだろう(3)。

コンテンツツーリズムとは何か?

 こうしたアニメが誘引する「聖地巡礼」は、“コンテンツツーリズム”とも呼ばれる。コンテンツとは、岡本健によると「情報が何らかの形で創造、編集されたものであり、それ自体を体験、消費することで楽しさを得られる情報内容(4)」である。しかし、「コンテンツビジネス」という昨今よく耳にする用語になると、アニメを中心にした多角的メディアミックス展開(漫画、小説、ゲーム、舞台、グッズ、DVD/BDなど多メディアでの展開)を指すことが多いので、「コンテンツ」というとすぐにアニメなどのポピュラー文化を連想してしまうかもしれない。だが、「コンテンツ」を情報の集積だととらえれば、あらゆる情報の集積に関連した観光は、総じて「コンテンツツーリズム」となる。
 類似の行為は古くから見られたが、コンテンツツーリズムという大きな枠組みでとらえて概念化したのは日本である。そもそもContents Tourismという英語は存在しない。和製英語の造語なのである。コンテンツツーリズムという用語の初出は、2005年の国土交通省、経済産業省、文化庁による「映像等コンテンツの制作・活用による地域振興のあり方に関する調査報告書」である。そこでは、コンテンツツーリズムは「地域に関わるコンテンツ(映画、テレビドラマ、小説、まんが、ゲームなど)を活用して、観光と関連産業の振興を図ることを意図したツーリズム(5)」という意味で使用されていて、地域振興を目的にする観光資源としてのコンテンツに関する観光という位置づけだった。一方、シートンらによると、コンテンツツーリズムとは、「映画、ドラマ、マンガ、アニメ、小説、ゲームなどの大衆文化商品の物語、キャラクター、舞台、その他創造的要素に、多かれ少なかれ動機づけされた旅行行動(6)」だと定義されている。地域に限らず、また産業の振興を第一義的目的にしない行動も含む、広義のコンテンツツーリズムの定義だといえる。本稿では、この定義に基づいて、コンテンツツーリズムの社会文化的側面に焦点を当てていく。
 これまで、映画ツーリズム、小説ツーリズム、ダークツーリズム(死や悲しみを対象にしたもの。戦場、災害地などへの観光)などメディアやテーマごとで発生した観光形態は、小説や映画の登場・普及時から存在していた。もっと時代をさかのぼれば、日本では江戸時代の印刷メディアの発達によって、大量生産された版画として、たとえば京都の名所のイラストと説明文の版画を現在のガイドブックのように庶民が目にし、それを見にいくために観光に赴くという例や、やじきた道中として有名な十返舎一九の『東海道中膝栗毛』(1802年)を読んだ人たちが、実際に弥次さん、喜多さんの世界の体験を兼ねて伊勢参り、京都・大阪巡りの徒歩旅行をする、といった例は存在していた(7)。つまり、大量生産によって多くの人が何かのコンテンツを共有するポピュラー文化があれば、コンテンツツーリズムのような現象は、発生していたのである。

2000年代以降のコンテンツツーリズム

 昔からコンテンツツーリズムのような事象が存在していたにもかかわらず、なぜいまコンテンツツーリズムが流行し、学術的研究がなされるまでに至っているのだろうか。今日のコンテンツツーリズムと既存のメディアやテーマ別ツーリズムとは何がどう違うのだろうか。その一つのファクターは、インターネットの普及を背景にした人々の広範囲のコミュニケーション行動だろう。1995年のWindows95の登場によって、コンピューターは、機械に強く特殊な技能をもち、必要に迫られた一部の人たちのものから、さほどコマンドの知識や技能がない一般の人も気軽に使えるものになった。色がついた画面とアイコンで見やすさが向上し、マウスをクリックすればアプリケーションが起動できるようになったのである。面倒なパソコン通信の時代から、インターネット接続機能が搭載され、クリック一つでネットにつながる時代がやってきたのだ。以後、2000年代に入るとパソコン機能の向上によって、ネットは私たちの生活により身近になった。フォーラムや掲示板で匿名での書き込みによる情報発信、見知らぬ他者との交流が盛んになり、またブログで定期的に特定の個人の情報発信と読者のやりとりも可能になった。そこに登場してきたのが、04年にサービスが開始された「mixi」や「GREE」などのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)である。情報の公開制限などアクセスコントロールをカスタマイズできるようになり、趣味を共有するユーザーとのコミュニティーの形成や、見知らぬ他者とオフ会を開催して人脈を広げることも可能になっている。海外では、04年に「LinkedIn」「Orkut」「MySpace」などが展開。04年に一部の学生だけに開放されていた「Facebook」も06年に一般の登録が可能になり、日本に上陸すると瞬く間にユーザーを増加させた(8)。それに続くかたちで、06年開設の「Twitter」が登場。字数制限はあるが、匿名で不特定多数の他者へのつぶやきを発信するという手軽さで、若者を中心にいまや必須のコミュニケーション手段になっている。情報発信・相互交換ツールの発達・普及とともに、ガジェットの性能、小型化、多機能化も進み、ポケットベル→携帯電話→スマートフォンと、軽量モバイルメディアの普及で、私たちは常時接続状態のなかで生活をしている。
 こうした個人が匿名でおこなうことができる情報発信ツールが発達し、コンテンツツーリズムの写真や体験を見知らぬ他者と共有することが可能になった。アニメのシーンとそっくりなアングルで写真を撮り、キャプチャーしたそのシーンと写真を並行してアップするサイトも登場するなど(9)、SNSというツールを獲得した現在、コンテンツツーリズムは、過去のコンテンツツーリズム的なものとはメディア環境の変化による、コミュニケーション形態で違いがある。
 またもう一つのファクターとして、ネットや映像技術の発達によるリアリティー感覚の認識の変化も、現在のコンテンツツーリズムを論じるうえで重要である。今回注目するのはこの点である。「第1回 2.5次元文化とは何か?」でも論じたように、ファンタジー(虚構)とリアリティー(現実)の感覚が限りなく融合した“ハイブリッドリアリティー”の世界に生きている私たち、特に物心ついたときにはすでにネットがあった若者たちにとって、コンテンツツーリズムに感じる「2.5次元的な要素」は、ネットの登場以前の感覚とは異なっているように思われる。
 では、2.5次元文化としてのコンテンツツーリズムには、どのような事象が起こっているのだろうか。その一端を探るため、本稿では、ハイブリッドリアリティーを生きる若者たちのコンテンツツーリズム行動での動態調査として、『夏目友人帳』(テレビ東京、2008年―)のゆかりの地である熊本県人吉市の事例を取り上げる。また、観光地でスマホをかざすと、昔の街並みや歴史の説明などが現れるAR(拡張現実)アプリがコンテンツツーリズムでも活躍しているが、テクノロジーの発達とイマジネーションにはどのような相互作用があるのか、スマホARアプリとファンの反応についても(次回)考察する。

『夏目友人帳』――妖怪、自然、そして人

『夏目友人帳』は、緑川ゆきの同名漫画(「LaLa DX」2003年7月号〔白泉社〕初出。現在「LaLa」〔白泉社〕で連載中)原作のアニメで、2017年までに6期分放送されているロングランの人気作品である(10)。幼いころ突然両親を亡くした主人公・夏目貴志は、親戚の家を転々とし、幽霊や妖怪が見える特殊能力のために、周囲から「嘘つき」と言われて孤独な幼年時代を過ごした。高校生になり、遠い親戚で子どもがいない藤原夫妻に引き取られ、山あいの田舎に引っ越してくるが、そこでいままで以上に妖怪に追いかけられることになる。そこは霊力が強かった祖母・夏目レイコが育った土地であり、レイコが勝負を挑んで負かせた妖怪の名前をつづった「友人帳」を残して亡くなり、それを引き継いだ貴志をレイコと勘違いした妖怪たちがやってくるようになったからだ。偶然結界を破るかたちで助けた狐のような大妖怪の斑(招き猫に封じられていたが、便利なので普段は猫の姿でニャンコ先生と呼ばれる)に、死後「友人帳」を譲るという条件で用心棒になってもらううち、貴志はいろいろな妖怪と出会う。レイコと妖怪との思い出を知り、妖怪たちや高校の友人と交流するうちに、貴志も頑なな心を開いていくのだった。
 妖怪退治ではなく、貴志の視点を通して妖怪や人間との交流が淡々と描かれる。ぎこちないながらも妖怪に温かく接する貴志の態度はしばしばトラブルも起こすが、その貴志を見つめるニャンコ先生の冷静な目がしばしばズームアップされ、視聴者は少し距離のある視点にも同一化することができる。
 感動的な物語はファンの心を動かし、『夏目友人帳』の舞台とされる熊本県人吉球磨地方には国内外から多くのファンが訪れている。熊本県人吉市は、原作者・緑川ゆきの故郷とされ、実在する人吉駅、神社、天狗橋や山や川、田畑の風景などがアニメに登場する(11)。

聖地化の動き、ファンの行動

『夏目友人帳』(以下、『夏目』と略記)は2008年に放映が開始された。熊本県では数カ月ずれて放映されている。人吉温泉観光協会の方々を含め、自分たちの街がアニメの舞台であり、そのファンが訪れていると地域住民が気づいたのは、ファン主導のコンテンツツーリズムが起きたあとのようだ。山村高淑によると、日本のコンテンツツーリズムには2つの系譜があるという。1つは行政の施策として作られるコンテンツツーリズム、もう1つファンによる自発的なコンテンツツーリズムである(12)。『夏目』のケースは、ファンによる自発的なものから始まり、行政があとから参入したかたちである。
 アニメ第3期が始まる2011年7月には、人吉花火大会のポスターやうちわにアニメのイラストが使用された。人吉温泉観光協会によって、『夏目』の舞台を巡る「アニメ『夏目友人帳』探訪マップ」が作られ、人吉駅にある観光案内所で現在でも無料配布されている(図1)。同年には、オープニングに出てくる田町菅原天満宮でニャンコ先生絵馬が販売され、探訪ノートが設置されている。記念スタンプも各所に設置された(詳細は後述)。12年にはアニメ公式ファンブック『夏目友人帳』(〔「PASH! Animation File」第10巻〕、主婦と生活社)も出版され、ガイドブック的役割をになっている。

図1 アニメ夏目友人帳聖地巡礼マップ

 マップに記された「聖地」は広範囲にわたるため、短時間ですべて巡るのは容易ではない。バスは1時間に1、2本程度なので、レンタサイクルまたはタクシーがよく利用される。若いファンが多いため、金銭的な制限もあってか観光タクシーの利用は少なかったようだが、2016年には人吉タクシーの「人吉球磨アニメ聖地巡礼」コースに大手旅行サイト「じゃらん」のクーポンが使用できるようになり、リーズナブルな値段で利用できるようになった。乗車記念『夏目』コースターもお土産にもらえる(2016年時点)。
 こうしたマップの提供、交通機関の整備によって、コンテンツツーリズムがしやすくなっている。では、ファンは何を求めて『夏目』コンテンツツーリズムをするのだろうか。ファンの足跡をたどりながら、言説を類型化していく。

人吉観光案内所
 熊本駅から特急で1時間ほどで人吉駅に到着する。人吉駅も聖地の一つで、コンテンツツーリズムの玄関口である。改札口外には観光案内所があり、ファンが立ち寄る最初の場所である。ここにはニャンコ先生の巨大ぬいぐるみ、声優・井上和彦(斑/ニャンコ先生役)と堀江一眞(田沼要役)のサインも置いてある。もちろん、地酒など『夏目』以外の物産品も置いてあるが、特徴的なのは、ファンの置き土産スペースがあることだ。ファンは聖地に何かしら自分の痕跡を残す(モノを置いていく)が、主にニャンコ先生ストラップがかけられていて、この置き土産がまだ残っているか確認するため、リピーターになる動機づけにもなるだろう。筆者がおこなった観光案内所の方へのインタビューによると、ファンが自主的に置いていったものを飾っていたら、次々に置き土産が増え、特定のスペースになったのだという。ファンが帰る場所の確保は、コンテンツツーリズムの持続性に大いに貢献している。

田町菅原天満宮
 田町菅原天満宮(写真1)は、アニメの第2期のオープニングで、夏目の友人であり、除霊師の名取周一が座っていた場所である。前述したとおり、ここには『夏目』絵馬が販売されていて(無人なので、さい銭箱に良心的に支払う方式)、ファンが多くのメッセージを残している。ここには「『夏目』探訪ノート」やニャンコ先生スタンプが置いてある。スタンプは人吉温泉観光協会が設置したが、スタンプ台はファンや地域住民がボランティアで交換しているのだという。絵馬やノートに書かれたファンの心情を分類すると次のようなものになる(1つの書き込みのなかで複数の項目に当てはまるものもある)。

写真1 田町菅原天満宮

1、足跡を残す……「○○から来ました」と出身地を書き、名前を残す。ファンが再訪したときに、自分の足跡を確認するツールとしても、探訪ノートは機能する(田町菅原天満宮の場合、ノート保存ボックスがあり、過去のノートも閲覧可能)。筆者が2016年に訪れた時点でノートは16冊あったが、近年になるにつれ、海外からの訪問者の書き込みも目立つ(写真2)。

写真2 ノート香港

2、アニメの新シリーズ放映へのメッセージ……新シリーズを楽しみにしているという書き込み。アニメは中断を挟み、2017年時点で第6期まで制作されていて、新シリーズ放映発表がコンテンツツーリズムの契機になっていると考えられる。

3、地域住民へのメッセージ……『夏目』をきっかけに人吉球磨地方を訪れた際、地域住民のおもてなしに感動したことへの感謝をつづる(写真3)。

写真3 ノート人について

4、熊本地震への言及……2016年4月16日、熊本県・大分県を震度7の熊本地震が襲った。熊本城や阿蘇神社の損壊、最も震度が大きかった益城町では、特に被害が大きかった。人吉市は幸い軽度だったが、熊本地震も『夏目』コンテンツツーリズムの動機の一つと思われる書き込みもあった(写真4)。地域住民とのラポール形成後の応援メッセージが含まれている。

写真4 リピータ人について

5、成功祈願……このメッセージは絵馬に多いが、入試・試合などの成功を祈願するものである。天満宮は菅原道真を祭神とする神社である。学問の神である天満宮に必勝祈願をするのは本来の姿だが、興味深いのは『夏目』と天満宮を同一視するような書き込みも散見されることだ。多くのファンの熱気が集中したパワースポット的なイメージをもっているのだろう(写真5)。

写真5 絵馬

 探訪ノートは、晴山バス停にも設置されている。晴山バス停は、アニメ第2期オープニングに出てきたバス停のモデルである。筆者が人吉タクシーの運転手に話をうかがうと、かなり辺鄙な場所にあるごく普通のバス停に多くのファンが訪れ写真を撮る姿に、地域住民は当初不思議に思ったそうだ。ここにも多くのファンが上記のような書き込みをしている。

写真6 アニメ第2期オープニングに出てきたバス停のモデル

旅館(一富士旅館)
 観光地でもある人吉市内にホテルは多いが、『夏目』ファンに人気がある宿泊先の一つが町屋旅館一富士である。町屋風なつくりで情緒があり、日本語・英語のバイリンガルウェブサイト(http://www.1fuji.jp/)でのアクセスのしやすさのためか、海外からの『夏目』ファンも多く宿泊するという。部屋にはアンケートが置いてあり、観光理由の項目に「夏目友人帳」という固有名があるのが、その人気度の証左になっている。筆者が女将の松田淳子氏にインタビューしたところ、ファンがニャンコ先生ぬいぐるみを置いていってくれたという(写真7)。情緒がある和式の部屋、気さくで親切な女将、おいしい料理……と、『夏目』の世界観にも通じる、人のあたたかさが感じられる。こうしたおもてなしも、『夏目』の世界に入り込む一助になっている。

写真7 旅館

ファンの帰る場所――イマジネーションとコミュニケーション

「人吉は人良し」――一富士旅館の女将・松田氏は、宿泊客からお礼の手紙が届いたり、リピーターが多かったりする理由を、地域住民とのコミュニケーションだろうと分析していた。松田氏によると、『夏目』コンテンツツーリズムで訪れた宿泊客は、筆者の予想に反して、男性や家族連れも多いという(それでも女性が過半数である)。年齢も若者だけでなく、40代から50代の人もいるという。原作は少女漫画だが、ジェンダーや年齢関係なく受け入れられる物語内容であり、シリーズの長期化によるファン層の拡大がなされたと思われる。探訪ノートや絵馬には、「娘・息子に誘われて来た」という書き込みも多く見られた。「最初は1人で来たが、2回目は両親・友人・彼氏を連れてきた」という書き込みも見られ、ファーストウィンドーが作品(漫画、アニメ)ではなく口コミだったことも、ファン層の拡大の一因だと推測される。同時にファンによる聖地巡礼報告がSNSやウェブサイト上で盛んである。こうしたリピーターを中村純子は「文化仲介者」と呼び、観光産業の重要なアクターとして位置づけている(13)。
“居心地のよさ”から、聖地を“第2のふるさと”のように感じるファン、つまり作品のファンから地元のファンへ、という動きは多くのコンテンツツーリズムで観察される。それが、コンテンツツーリズムを一過性にせず、サステナブル(持続可能な)にする要因の一つだろう。しかし、 “2次元作品の世界観に浸る”というのがコンテンツツーリズムの第一義的目的であることは変わらない。上記で指摘した、ファンのノート(聖地巡礼ノート、探訪ノートなど)の設置、『夏目』絵馬のような特別仕様の絵馬、聖地巡礼マップ、スタンプの設置、記念グッズの販売など、訪れるファンのために地元の自治体や観光協会が整備している物理的なものも、2.5次元空間を構築する重要な媒介物である。けれども、例えばノートやグッズがない聖地の天狗橋(『夏目』第1期第3話など)や胸川(『夏目』第2期第8話など)、『夏目』という文脈の外では社会文化的意味をもたない自然や橋を眺めるとき、ファンはどのような行為をするのだろうか。それは、アニメなどの映像で観た世界を幻視し、想いを馳せ、写真に残す、という一連の作業だろう。写真はSNSなどにアップされ、クレジット(『夏目』に出てきた○○など)をつけると、『夏目』の世界が可視化される。
 では、そうした“2.5次元遊戯”といえる行為に、ARアプリが介入すると、どのような変化が起こるのだろうか。不可視だからこそイマジネーションの世界を楽しめた聖地に、テクノロジーはどういう意味作用をもたらすのか。次回は、テクノロジーとイマジネーションの関係の具体例を考察していきたい。


(1)岡本亮輔『聖地巡礼――世界遺産からアニメの舞台まで』(〔中公新書〕、中央公論新社、2015年)参照。江戸時代のお伊勢参りなど、宗教と観光が未分化だったことも指摘している。
(2)大石玄「アニメ《舞台探訪》成立史――いわゆる《聖地巡礼》の起源について」「釧路工業高等専門学校紀要」第45号、釧路工業高等専門学校、2011年、41―50ページ、参照
(3)アニメ聖地巡礼が、地域振興に寄与する事例として注目されたのは、2007年ごろ話題となった、埼玉県鷲宮町(現・久喜市)の『らき☆すた』(千葉テレビ/TVK、2007年)聖地巡礼がある。山村高淑などが学術的に研究したことでも話題となった(山村高淑『アニメ・マンガで地域振興――まちのファンを生むコンテンツツーリズム開発法』東京法令出版、2011年、参照)。
(4)岡本健「コンテンツツーリズムを研究する」、岡本健編著『コンテンツツーリズム研究――情報社会の観光行動と地域振興』所収、福村出版、2015年、10―13ページ
(5)国土交通省総合政策局観光地域振興課/経済産業省商務情報政策局文化情報関連産業課/文化庁文化部芸術文化課「映像等コンテンツの制作・活用による地域振興のあり方に関する調査報告書」49ページ(http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/souhatu/h16seika/12eizou/12_3.pdf)[2017年6月13日アクセス]
(6)Philip A Seaton, Takayoshi Yamamura, Akiko Sugawa and Kyungjae Jang, Contents Tourism in Japan: Pilgrimages to “Sacred Sites” of Popular Culture, Cambria Press, 2017, p. 3.
(7)増淵敏之『物語を旅するひとびと――コンテンツ・ツーリズムとは何か』彩流社、2010年、14ページ
(8)大向一輝「SNSの歴史」「通信ソサイエティマガジン」第9巻第2号、電子情報通信学会、2015年、70ページ(https://www.jstage.jst.go.jp/article/bplus/9/2/9_70/_pdf)[2017年6月15日アクセス]
(9)たとえば、大石玄による「舞台探訪アーカイブ」(http://legwork.g.hatena.ne.jp/)や、ディップによる「聖地巡礼マップ」(https://seichimap.jp/)などがある。
(10)2017年8月現在、第20巻まで刊行。2014年の18巻目で単行本累計1,000万部を超えた(「「夏目友人帳」単行本1000万部突破 最新18巻刊行で大台超え」「アニメ!アニメ!」〔https://animeanime.jp/article/2014/09/06/20074.html〕[2017年7月30日アクセス])。原作漫画のファンによるコンテンツツーリズムももちろん観察されるが、後述する筆者の調査で、アニメ放映によって動機づけられたコンテンツツーリズムが大多数を占めているため、本稿ではアニメについて論じている。
(11)須川亜紀子「コンテンツツーリズムとジェンダー」、前掲『コンテンツツーリズム研究』所収、59ページ
(12)山村高淑「コンテンツツーリズムと日本の政策」、同書所収、68―71ページ
(13)中村純子「コンテンツツーリズムと「ホスト&ゲスト」論」、同書所収、36―39ページ

*取材にご協力くださいました町屋旅館一富士の松田淳子氏、人吉観光案内所のスタッフのみなさまにこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。

 

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第11回 千秋楽中継に見る宝塚の変化と進化

薮下哲司(映画・演劇評論家。元スポーツニッポン新聞社特別委員、甲南女子大学非常勤講師)

 宝塚史上最強のトップコンビといわれた早霧せいな・咲妃みゆの2人が、7月23日の雪組『幕末太陽傳』『Dramatic“S”!』東京公演千秋楽で、宝塚歌劇団を無事卒業しました。当日の模様は最近の千秋楽恒例になった全国東宝系と台湾の映画館でライブ中継されました。今回は特に上映館数が多く、直前にも上映館が追加されるなど、あらためて2人の人気が証明される盛況になりました。
 東京宝塚劇場の千秋楽のチケットは、チケットサイトでは30万円のプレミアがついたといわれていますが、ライブ中継のチケットでさえも3倍以上の値で取り引きされたといいますからびっくりです。100周年以降、蘭寿とむ、壮一帆、凰稀かなめ、柚希礼音、龍真咲、北翔海莉と6人のトップがすでに退団、それぞれ熱気を帯びたサヨナラでしたが、今回の早霧・咲妃の退団の過熱ぶりは想像をはるかに超えたものになったようで、これほどのサヨナラフィーバーはもう当分ないだろうとさえいわれています。
 トップスターのサヨナラ公演の東京公演千秋楽の様子が全国の映画館でライブ中継されるようになったのはいつごろからだろうと思い返してみると、2015年の柚希退団のときくらいからではないかと思われますので、まだそんな前ではありません。年に一度の祭典『タカラヅカスペシャル』や宝塚歌劇100周年夢の祭典『時を奏でるスミレの花たち』などの特別なイベントの全国的な映画館ライブ中継はありましたが、サヨナラ公演千秋楽のライブ中継は宝塚バウホールや東京、大阪、福岡などの大都市の映画館でのライブに限られていました。全国の映画館でのライブは柚希が最初ではなかったかと。柚希の千秋楽ライブ中継はさいたまアリーナでもあり、それを観ていたファンが、終了後、日比谷に大挙してどっと流れてきたことでちょっとした話題になったものです。柚希の大成功で、最近はサヨナラ公演でなくても東京公演千秋楽はすべての公演でライブ中継がおこなわれるようになり、早霧・咲妃のサヨナラ公演はついに宝塚大劇場千秋楽も全国ライブ中継が実現、宙組公演『A Motion』(2017年)のような梅田芸術劇場での外箱公演までも全国の映画館でライブ中継されるようになりました。
 映画館といってもシネマコンプレックスですから、チケットの売れ行きによって大きなスペースだったり小さなスペースだったりとさまざまに変化しますが、料金は一律4,600円で変わりません。東京公演のサヨナラ千秋楽は1時半に開演して終了は6時半ごろになりますから正味5時間。単純に計算して映画3本分になりますのであながち高いとはいえないのですが、その昔、宝塚大劇場でのトップのサヨナラ千秋楽のときは、チケットを買えなかったファンのためにロビーにテレビを置き、場内の様子を中継、無料で開放していたことを思うと、時代も変わったものだなあと思うことしきり。小さなテレビ画面を食い入るように見つめていたファンの熱い視線が忘れられません。もちろんロビーに集まるファンの多さが人気のバロメーターになったものでした。テレビがプロジェクターに変わり、大劇場に隣接するエスプリホールで中継するようになってから有料になったと記憶しています。そのころはまだ1,000円程度でしたが。いまや宝塚の千秋楽中継は、東宝の年間売り上げを左右するほどの一大イベントになっているようです。
 さて退団した早霧は、退団後10日ほどたった8月初旬、11月に東京と大阪で『SECRET SPLENDOUR』(構成・演出:荻田浩一)と題するコンサートで再出発することを発表しました。東京での千秋楽では、終了後の記者会見で、退団後については「軍の機密」とユーモアたっぷりに言明、男役との決別に対しては涙を見せたと聞いていたことから早期の芸能界復帰はないかもと思っていたので、思いのほか早い再出発の発表にはちょっと驚かされました。とはいえ、舞台人としての可能性は計り知れないと思いますので大歓迎。今後どんな舞台を見せてくれるのか、いずれ『宝塚イズム』のOGインタビューに登場してもらって、そのあたりをじっくり聞いてみたいと思います。
 早霧・咲妃以外にも鳳翔大、香綾しずる、桃花ひな、星乃あんりといった、早霧・咲妃の2人を支えてきたメンバーも同時に退団、次期トップコンビ望海風斗・真彩希帆を中心とした新生雪組はがらりと雰囲気が変わりそうです。そんな新生雪組は、8月25日から始まる全国ツアー公演『琥珀色の雨にぬれて』からスタートします。前トップが退団後初コンサートを発表したかと思うと、宝塚では丸1カ月で新しい組が始動する。そんな目まぐるしい動きの連続で、宝塚は少しずつ、しかしドラスティックに変わっていきます。
 そんな宝塚のダイナミックな動きを正確に、確実にお伝えしていこうというのが『宝塚イズム』の大きなテーマ。その最新号『宝塚イズム36』ですが、すでに大体の構成は固まり、現在、執筆メンバーに原稿を依頼している段階です。
 次号のメイン特集は、早霧・咲妃に続いて今年末で退団する宙組のトップスター朝夏まなとのサヨナラ特集です。朝夏といえば佐賀県が生んだ最初のトップスター。星組トップの紅ゆずるとは同期生です。早くから新人公演の主役に起用され、次代のスターとして大事に育てられてきました。ひまわりのような明るさと、手足の長さを駆使したダイナミックなダンスが魅力的な男役です。トップに就任して丸2年。退団はちょっと早すぎるような気もしないではありませんが、それも一つの決断。退団公演『神々の土地』にかける彼女の意気込みに期待しましょう。さまざまな面から彼女の魅力にアプローチ、朝夏との惜別にふさわしい特集をお約束します。
 もちろん、望海を中心とした新生雪組と真風涼帆を中心とした新生宙組への期待といった、2018年、新たな宝塚の展望を見据えた小特集にも興味深い原稿が集まりそうです。大いに期待していただきたいと思います。
 一方、10月には花組で大和和紀原作『はいからさんが通る』、来年1月には同じ花組で萩尾望都原作『ポーの一族』と少女マンガの王道というべき2作が次々に上演されます。『はいからさんが通る』はかつて関西テレビ『宝塚テレビロマン』(1979年)で、花鳥いつき、平みち、日向薫、剣幸、遥くららといった豪華メンバーでドラマ化されたことがありますが、以来、初めての舞台化。『ポーの一族』は、1974年に刊行されたときから小池修一郎が宝塚での舞台化を念願していたという作品。『ルパン3世――王妃の首飾りを追え!』(雪組、2015年)、『るろうに剣心』(雪組、2016年)と少年マンガの舞台化が続いた宝塚にあって、久々、少女マンガの王道作の登場。この2作の上演に合わせて宝塚歌劇と少女マンガの特集も組みます。
 と、こう書いただけで早くも手に取りたいと思われたファンの方、それは相当な宝塚ファン。発売日はまだ先ですが、首を長くしてお待ちください!

 

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第10回 宝塚激動の夏のなかで

鶴岡英理子(演劇ライター。著書に『宝塚のシルエット』〔青弓社〕ほか)

 早霧せいな&咲妃みゆコンビへの惜別の言葉を中心に、盛りだくさんでお届けした『宝塚イズム35』の発刊から早くも2カ月がたとうとしています。この間の関東はちょっとしばらく記憶にないくらいの空梅雨で、「梅雨明け宣言」といわれても、いつ梅雨があったのだろうか?というほどの日照り続きでした。これでは夏場に水不足になりはしないかと大変案じられますが、一方で九州、また東北などをはじめあちこちで激しい豪雨があり、大きな被害が生じているということで、まず心からお見舞い申し上げます。地球温暖化の影響か、温帯地方だったはずの日本もどうやら亜熱帯・熱帯にジリジリと近づいているようで、夕立などという言葉では到底収まらない激しい雨が一気に降ることが増えました。少女のころ亡き森瑤子さんの小説に頻繁に登場した「スコール」という雨の降り方の描写がいまひとつピンとこなくて、「どうも夏の夕立よりもかなり激しい降り方の雨らしい……」などと想像していたものですが、最近は「きっとこれがスコールなんだろうな」と思う雨がしばしば降るようになりました。なんとか少しでも穏やかな気候が取り戻せるといいのですが。
 などと思い巡らせて鬱々としてしまうときこそ、宝塚観劇がいちばん!なのですが、その宝塚にも激震が走りました。すでに退団を発表している宙組トップスターの朝夏まなととともに同時退団をするメンバーの発表、そして翌日の宙組次期トップコンビ発表、さらに組替え発表は、近年にないと思えるほど大きな動きだったように思います。
 宙組の次期トップスターが真風涼帆だったのは、逆にこの人でなかったほうが天地がひっくり返っただろう!というほどの順当なものでしたから、唯一驚きはありませんでしたし、次期トップ娘役の星風まどかも、まだ組配属前のいわゆる「組回り」中の研1生だった段階で、宙組前トップスター凰稀かなめの退団公演『白夜の誓い――グスタフⅢ世、誇り高き王の戦い』(宙組、2014―15年)で、主人公グスタフⅢ世の少年時代を演じていきなりセリ下がりをしたり、同時上演の『PHOENIX 宝塚!!――蘇る愛』でも通し役のバードを演じるという大抜擢で登場した娘役です。星風はその後も続けざまにバウホール公演ヒロイン、ドラマシティ公演とKAAT神奈川芸術劇場公演で東上ヒロイン、新人公演では『王家に捧ぐ歌』(宙組、2015年)のアイーダ、『エリザベート――愛と死の輪舞』(宙組、2016年)のエリザベートと、宝塚の娘役としては最も大きいといってもいい大ヒロインを次々に演じ、全国ツアー公演『バレンシアの熱い花』『HOT EYES!!』(宙組、2016年)、そして宙組次回公演『神々の土地』『クラシカル ビジュー』(宙組、2017年)でのポスター入りと、まさに破竹の勢いで駆け上がっていました。ですから、いずれ遠からずトップ娘役に就任するだろうことは、誰しもが想像していたことではあれ、このタイミングで、宙組で!という驚きにはやはり大きなものがありました。いうまでもなく宙組には伶美うららという、星風が彗星のごとく現れた前述の『白夜の誓い』上演時に、すでに2番手の娘役の立場でポスター入りしていた美貌の娘役がいたからです。
 確かに伶美には歌唱力に足りないものがあるというウィークポイントはありましたが、過去にも遥くらら、檀れいなど、同様の弱さはもちながらも、トップ娘役として大輪の花を咲かせた娘役たちがいました。その共通点は、何はさておいても……と思わせる美しさで、伶美のそれも先人たちに勝るとも劣らないものでした。特に朝夏とコンビを組んだ『翼ある人びと――ブラームスとクララ・シューマン』(宙組、2014年)や、愛月ひかるとコンビを組んだ『SANCTUARY』(宙組、2014年)など、伶美のクラシカルな美貌と芝居力が、作品全体をより深いものにした情景がいくつも思い出されるだけに、そんな伶美が朝夏とともに、トップ娘役という称号を得ずして宝塚を去るという顛末には、一ファンとして無念なものが残りました。宝塚の娘役は、本当にわずかな一つのタイミングで、その命運が大きく異なってしまうもので、残念ながら伶美もその一人になってしまったようです。彼女がトップ娘役になってくれたら観てみたいと思っていたあまたの夢の役柄は夢のままになってしまいましたが、せめて朝夏の退団公演が、伶美にとっても有終の美を残す公演となってくれることを祈っています。そして、花組から芹香斗亜を2番手に迎えて、真風&星風を頂点にまったく新しい風が吹くだろう次の宙組が、愛月をはじめとしたこれまで宙組で頑張ってきた組子たちにも、働き場の多い作品に恵まれることを願っています。
 そんな激動を続ける宝塚で、7月23日、雪組トップコンビ早霧せいな&咲妃みゆを含めた7人が、この夢の園に別れを告げて去っていきました。千秋楽の『早霧せいなサヨナラショー』は雪組のトップスター時代の曲を網羅した構成でしたが、なかでも際立っていたのは、平成のゴールデンコンビと謳われた早霧と咲妃らしく、2人の場面の比重が大きかったことでした。個人的にも熱望していた『Greatest HITS!』(雪組、2016年)の「オーバー・ザ・レインボー」でのデュエットダンスの再現はもちろん、2人のデュエット曲が『ルパン3世――王妃の首飾りを追え!』(雪組、2015年)、『私立探偵ケイレブ・ハント』(雪組、2016年)、『ローマの休日』(雪組、2016年)と3曲ものメドレーで歌われていて、非常に印象に残りました。退団記者会見での早霧本人の弁によれば「私のサヨナラショーであると同時に、咲妃と2人のサヨナラショーであると思っていたので、デュエット曲の選択については咲妃の意向もたくさん入っています」ということで、どこまでも相手役を尊重している早霧の男気と、早霧と咲妃という、2人がそこにいるだけで観客が幸福を感じることができた「平成のゴールデンコンビ」の神髄を改めて見た思いがしました。
 もう一つ印象的だったのは、サヨナラショー、最後の挨拶、退団記者会見と、セレモニーのすべてが最近には珍しく涙、涙のなかにあったことで、早霧の「できることなら一生男役でいたかった」という言葉に、ずっしりと重いものを覚えました。それがかなったならどんなにすばらしかったことか……と思いますが、それがかなわないことが、宝塚が100有余年の歴史を築いてきた源でもあるのでしょう。この日同時退団した鳳翔大、香綾しずる、さらに咲妃みゆ、それぞれの次の動きが早くも聞こえてきているのはうれしいことです。ほかの退団者のメンバー、そして誰よりも激務の日々を送ってきただろう早霧には、しばらくゆっくりする時間をとってほしいという気持ちももちろんありながら、きっとまたどこかで、必ずやあのすばらしい笑顔に出会えると信じています。本当にお疲れさまでした。さようならは言いません。「See you Again!」

 

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第7回 ローソンの「まぶしさ」を想起する――大阪南部のロードサイドの私的記憶から

近森高明(慶應義塾大学准教授。著者に『ベンヤミンの迷宮都市』〔世界思想社〕、共著に『夜食の文化誌』〔青弓社〕ほか)

 均質化、没場所化、非-場所化、郊外化、モール化、ジェントリフィケーション、俗都市化、など――近年の都市空間に対する批評的言説の定型は、一言でいえば、「街がつまらなくなっている」ということである。チェーン店舗の増殖など、生活環境の均質化が進行し、街の個性が消えて、どこにでもある風景が広がっている。定番のテナントが並ぶショッピング・モールが隆盛する一方で、昔ながらの商店街が廃れ、かつてあった盛り場の輝きが失われている。あるいは、一見すると個性的に見える新興の街も、その「個性」は演出されたものにすぎず、記号的に飾られた表層をはがすと、その底には均質的なフォーマットが隠れている、など。
 ロードサイドショップが並び、巨大な看板がそれぞれに自己主張する国道16号線(以下、16号と略記)の風景は、こうした「つまらない」都市的景観の代表格だろう。都市ともいなかともつかないその場所には、交通のフローがあり、それなりの商業施設がそろい、大体のアイテムや情報にはアクセスできる。だがしかし、都市にふさわしい輝き、都市の都市らしさ、街の街らしさが、そこには決定的に欠けている――そのように批評的言説は語るだろう。なるほど、そうかもしれない。
 だが、ここで私たちは思い出すべきである。チェーン店舗やロードサイドショップが、かつてもっていた輝きとまぶしさを。それらはかつて、凡庸ではなく新鮮であり、荒廃のしるしではなく発展の予兆であり、日常への埋没ではなく、大げさにいえば「ここではないどこか」をのぞかせてくれる窓だった。

大阪南部のロードサイド

 個人的な話をする。関西育ちの私にとって、そもそも2000年代以降に都市論や現代社会論の領域で浮上してきた「16号」なるキーワードは、まったくピンとくるものではなかった。だが、ロードサイドショップが並ぶ風景という描写を聞いて、なるほどあれか、と思い当たった。ただし、思い当たる「あれ」は、ひとしなみに語られる16号的な郊外の「荒々しい」「殺伐とした」風景とは、少し違う何かを含んでいた。
 親が転勤族で、あちこちと動いていた(小学校だけで5つの学校に通った)私は、中学の3年間を大阪南部の貝塚市にある、とある海岸近くの場所で過ごした。あたりは田畑ばかりで、点々と宅地が並ぶ、何もないところだった。家の前に、旧国道26号線という交通量が比較的多い道路が通っていて、通学のため駅に向かうには、毎日、その道路を渡っていく必要があった。その道路は、正式には大阪府道204号堺阪南線という名称だが、地元では「旧26=キューニーロク」と呼んでいた(なお、まったくの偶然だが、戦前にはこの路線は「国道16号線」に指定されていた)。
 何もない、とはいえ、目立つ建物はあった。家の近くのパチンコ屋。少し遠くに見えるラブホテル(これは私が過ごした中学の3年間に、3度名前を変えた)。そして駅に行く途中にある靴流通センター。現在の観点からは、見事なまでに「荒々しい」ロードサイドの風景と見えるかもしれないが、当時の私にとって、それは所与の環境であり、とくに違和感はなかった。むしろ靴流通センターは、その巨大さと品ぞろえの多さに目を見張らされ、驚異の的だった。

ローソン出店の衝撃

 1988年、私が中学2年生のとき、近所の消費環境に革命が起きる。ローソンの出店である。それまで商店といえば、駅前の小さな文房具店や駄菓子屋しかなく、少し気が利いたものを手に入れるには、隣駅のダイエーにまで行かなければならなかった。そのような消費環境のなかでのローソンの登場は、中学生にとっては福音であり、衝撃であり、価値観の転換を引き起こす出来事だった。
 雑誌、菓子、日用品と、ありとあらゆるアイテムがそろっている。駅前の小さな駄菓子屋では見たことがない種類のガムやポテトチップスがある(まるでアメリカ文化の豊かさに衝撃を受けた、戦後間もなくの子どもである)。ガラス張りで、外から中の様子がわかり、夜には煌々と蛍光灯がともっている。BGMでも最新の曲がかかっている。それは旧26の郊外を生きる私にとって、近所に出前されてきた「都市」であり、都市的なるもののミニチュア版にほかならなかった(コンビニが都市のミニチュアだという指摘は、すでに若林幹夫がおこなっている)。「ローソン」は、中学生の同級生のあいだでかっこよさの代名詞になり、夜中に友達と連れだってローソンに遊びにいき、駐車場でアメリカンドッグを食べるという行為が、最先端の、きわめて洗練された行為として私たちには認識されていた。働いている店員もどこかしら垢抜けて見えたが、これはさすがに幻想がすぎたかもしれない。

ロードサイドの殺伐

 もちろん、旧26にも「殺伐とした」ロードサイドの側面がある。記憶に残っているのは、路上でひき殺された野良犬の姿である。死骸を見かけた初日には、それは姿形がはっきりとしていて、一部がぺしゃんこになり、黒々とした血の染みを道路の上に作っていた。誰も処理をしないまま、死骸は日を追うごとに形を変え、平板さを加えてゆく。駅に向かう通学路にあるので、どうしても毎日、その死骸を見ないわけにはいかない。1週間後には、ビーフジャーキーのように、かすかにそれとわかる毛と表皮が小さく、アスファルト上にこびりついていた。かつて犬だったそれは、無数のタイヤにひかれ、付着して、消え去ってしまった。このひかれた野良犬の姿は、私にとっての旧26の殺伐さを象徴している。

ロードサイドの「まぶしさ」を想起する

 ともあれ、「16号」というキーワードを聞くたびに、私には中学時代を過ごした旧26がそこに重なるのだが、それは「荒々しい」「殺伐とした」風景というよりも、退屈だが所与の環境にすぎず、そのなかにローソンがまばゆい光を放っている、そういう斑状のロードサイドとして想起されてくる。
 こうした見え方は、もしかすると旧26のロードサイドを、私が中学卒業とともに離れ、その時点での見え方がいわば冷凍保存された結果、現在から想起するとそのように見えるのかもしれない。もし旧26に私が住み続けていたとすれば、その連続的な変化のうちに、かつてのローソンのまぶしさが取り紛れ、忘却され、別の見え方になっていたかもしれない。いずれにせよ、「郊外化」や「非-場所化」ということで、何かがわかった気になってしまう語りの平板さ――あるいは生活環境の均質化という、それ自体が均質的な語りの「つまらなさ」――を批判的に留保しながら、「16号的なるもの」の豊かな多面性を語ろうとするなら、私たちはまず、こうしたチェーン店舗やロードサイドショップがかつてもっていた、ある種の「まぶしさ」を想起する必要があるのではないだろうか。

 

Copyright Takaaki Chikamori
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