3月30日の日曜日のこと――極私的「愛も、闘争も」論序説――『刑法39条はもういらない』を書いて

佐藤直樹

  統合失調症は、思春期に恋愛を契機に発症することが多い。恋愛というのは、人生において一種の「危機」であり、それだけでも立派なビョーキだといっていいが、私にとって恋愛は「闘争」と完全にオーバーラップするものであった。
  それは、1969年3月30日の日曜日の午後のことだった。私はこの年に高校を卒業したものの、受験した大学は全部落ちて、浪人確定のブルーな気分のまま、生まれて初めてのデートで、清水の舞台からバンジー・ジャンプする心境で、そのころ「死ぬほど」好きだったNという女性に、喫茶店の片隅で告白というやつをした。が、「好きとかキライとかそういうんじゃなくって、お友達としてね」とやさしく諭され、あっさりフラれてしまった。要するに、向こうのほうがずっと大人だったのだ。
   彼女と別れて、折しも降ってきた雨に「春雨じゃぬれて帰ろう」などとカッコつけて、傘もささずに2時間ほど歩いてやっと家にたどりついたはいいが、アホなことに、フラれたことに気づくのにそれからしばらく時間がかかった。あまりのことに、ボーゼン自失していたのだ。
   これを世に「69年の3・30事件」という(んなわけ、ないか)。
   なぜこの日付をはっきりと覚えているかといえば、すぐそのあとで新谷のり子の「フランシーヌの場合」という反戦フォークがはやったからである。なんと69年3月30日の日曜日は、ベトナム戦争に抗議して、パリでフランシーヌが焼身自殺した日だったのだ。
   恋愛というのは、自分では制御できない絶対的な他者に出会うという経験のことである。絶対的な他者とは、「話せばわかる」ということがまるで通じないということである。言い換えれば、近代的啓蒙ということがまったく無効となる地平のことである。しかも、そのことを通じて無意識にせよ、フッサールのいう「エポケー」(自然的態度の停止)というやつをやってしまう。
   私の場合は、高校2年から浪人時代をつうじてほとんどこの「エポケー」状態で、Nのこと以外、ホントになーんにも考えられなかった。彼女とは具体的に何かあったわけでもなく、要するに片思いにすぎなかったのだが、大学受験のことなど、どーでもよくなった。高校も赤点ギリギリでやっと卒業できた。それまであたりまえで自明のことだと思っていたことが、まるでそう思えなくなったのだ。
   かなりツラかったので、いま考えれば、当時の文学青年の読書の典型みたいなものだったのだが、吉本隆明や木村敏や中原中也などにのめり込んでいった。そういってはなんだが、いま考えていることの大半は、この頃に思いついたものにすぎない。結局、ここ30年ぐらいさっぱり進歩がないことになる。
   しかも、時あたかも「全国教育学園闘争」が吹き荒れていた時代であった。当時真面目な高校生だった私も、これと無縁ではなかった。というよりも、恋愛の「エポケー」状態があまりにツラかったので、当時東北大にいた大内秀明や樋口陽一を呼んで、校内で「反戦ティーチ・イン」(どうだ、なつかしいだろう)を開催するなど、さまざまな活動にのめり込んだのだが、要するに、ほとんどヤケクソのなせる業であった。
   1969年1月には、例の東京大学「安田講堂」の機動隊との攻防戦があったが、私が住んでいた仙台でも、東北大学の封鎖解除をめぐって民青や機動隊との攻防戦がおこなわれたり、デモ隊が道路いっぱいに広がる(違法な)ジグザグデモやフランスデモをやったり、クルマをひっくり返して火をつけるなどという、いま考えればとんでもない悪事が、まあふつうに横行していた。
   大学の教室はふつう、正常に授業を受けるところであって、ストライキがおこなわれ、バリケードが積み上げられるようなところではない。車道はふつう、クルマが通行するところであって、人が道いっぱいに広がってデモをするところではない。クルマはふつう、平穏に道路を走っているもので、ひっくり返されて放火されるものではない。
  「全国教育学園闘争」は、私の自明で日常的な秩序感覚を完全にぶちこわした。つまり、ブランケンブルクのいう「自然な自明性の喪失」というやつである。私が「愛も、闘争も」といっているのは、この日常的感覚の反転が、恋愛にも闘争にも共通しているからである。つまりこれらに共通するのは、「エポケー」状態である。
   自分の恋愛体験のなかで心底思い知らされたのは、この「自然な自明性の喪失」という感覚であり、あとで木村の書物で、これをブランケンブルクが統合失調症論として展開していることを知ったときに、恋愛も統合失調症もきっと同じことなのだと確信した。つまり狂気は、日常性と関係のない彼岸にあるものではなく、正気、すなわち日常性の延長線上にあるものにすぎない。
  私の『刑法39条はもういらない』を通奏低音のように流れているのは、この30年ほど前に確信した、日常的な秩序感覚が全部ぶっこわれたという「愛も、闘争も」という経験である。それから日常性というものは、いつか何かのきっかけで壊れてしまう危ういものだという感覚が抜けない。
  39条廃止論という私の主張の背景にあるのは、何もメンドーなものではなく、日常は非 – 日常に、正気は狂気に、いつでも反転しうるものであるという、このごく単純な確信である。